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  師走
12/01 (月)

一年の最後の月になった時
「あぁ、一年が早くなった・・・」と感じる
いろいろな出来事に対し
何らかのケジメをつけなきゃ、と思うが
バタバタするだけで結局大した事は出来ない

大抵はお金で解決がつくのだが・・・
そのグッズが走り回るので
紙(幣)走ともいう・・・
兎に角忙しく走る
「忙しい」という字は、心を亡くすと書く
だから「思も忘れる」で思忘(しわす)

忙しく走るより
のんびり歩くほうが
心に得るモノは多い
わかっちゃいるけど・・・
気忙しい月なんだなぁ

24節気では「大雪」と「冬至」
太陽が最も短く低い・・・が
この日から陽気が増大する出発点でもある
きっと、いいこと、あるさ!

  おごる者
12/02 (火)

奢る者なら好かれるかもしれないが
驕る者が好かれるはずがない
驕慢の国、アメリカの諸行だ
アフガン・イラクの虐殺戦争を実行し
戦争は恨みの泥沼の復讐劇だと
ようやく世論も嫌気がさした
(遅いんだけどねぇ・・・世論は
やられた両国の国民は堪んないぜ)

ほとんどの国民の思いを無視し
ひたすら米国にシッポを振りつづける
卑怯者の日本の政治家にも
嫌気の風は強くなっている
一部の「がんばれぇ〜」という
無責任な応援者を除いて・・・

あるいは日米安保の約束で
米国が日本を北の危険から守ってくれるから
イラク攻撃を支援する、と
メチャクチャな論理を振りかざす
ずいぶん自分勝手だと思わんのか?
テロだ、テロだと言うが
それを引き起こしたのは誰だ?

冷静に米国を見て、歴史を学んで
現代を学んで、未来を観て
米国が日本の為に犠牲を払ってまで
守るなんてどうして思えるのか不思議だ
世界最大のテロ国家が米国だというのは
マトモな目の持ち主なら気づくはず
歴史の事実が証明している
無差別虐殺されたヒロシマ・ナガサキの
世界最大テロを現在も正当化している国だ
それなのに・・・
いつも評論家は間違いを大声で言う
いつも専門家は間違いを犯す
いつも政治家は間違いを進める

一年にわたってこの侵略戦争と
その後の未来を警告してきたが
残念ながら現実化している
中東イスラム人からの日本に対する態度だ
彼等を非難は出来ない
非難されるべきはこの国の代表者と応援者だ
復讐の是非を問うのは場違いだろう
いつだって戦争の言い訳は
「世界の平和」か「正義の復讐」なのだ
今回のイラク侵略だって「米国からの復讐」だった
米国へのテロもアフガンからの復讐だったはずだ

本来関係ない日本が
ご主人様(米国)のゴマスリのため
イラク国民の命や家族の手足を
剥ぎ取る手伝いをしているのは事実なのだ
復興の為と言い訳しても
米国と一緒になって軍隊を送るなら
復讐の対象は当たり前だろう

何度も警告していた
米国の驕慢を諌める立場になれと・・・
このままゴマスリをすると
大きく悲惨な犠牲を生むと・・・

そして・・・犠牲は生まれた
誰が原因をごり押ししたのだ?
「テロに屈してはならない」と
無責任な発言をしているのは誰だ?
その卑怯者を応援しているのは誰だ?

そして犠牲はいつだって
卑怯者の当事者じゃない
これはいつの時代でもどんな国でも同じなんだ
「犠牲者は当事者じゃないんだ」

本当の当事者(政治家)や応援者は
日本の国内で安全に暮らしている
そして引き金を手伝ったのは
今回の戦争賛成政治家を応援した(投票した)
日本の一般人でもある

その安全な国内も安全では無くなった
日本国内は戦場の一部になってしまった
ここでも犠牲になるのは
卑怯者の首相を応援した人よりも
何も関係ない子供や病人やお年より・・・
「国益」をうたい文句にした人は
どう言い訳をするのだろう
自分の家族が犠牲になっても・・・

だから自覚して欲しい
どんな理屈をつけても
「戦争からは不幸しか生まれない」事を

無対立
無暴力
この生き方を示した偉人から
ホントに「学べ」ないのか?

  ストレス@
12/03 (水)

便利な言葉だよねぇ〜
最近では、とりあえず都合の悪い事は
ストレスに押し付けちゃえばいいんだから・・・
でも、本来の意味は少し違うんだ

ストレスは「刺激に対する適応反応」の事だから
「生きる」事に必要不可欠というか
この世に「生きる」そのものともいえるんだ
だからストレスのない生物は存在しない・・・

最近は「抑圧」という意味あいで使っているが
本来の意味を知ると「ストレス」の見方が変わる
ストレスの要因を「ストレッサー」というが
ストレッサーが抑圧を生むわけじゃない
ストレッサーとその人との反応の仕方で
「抑圧」になる
いわゆる・・・ストレスとなる
同じストレッサーでも個人個人によって
ストレスの有無も度合いも様々なんだ
つまり、ストレスは本人次第
ワシ流の不親切な言い方なら・・・
「ストレス(抑圧)は趣味の問題だぁ」
(だから評判悪いんだよなぁ・・・)

こんな原則論ばかり言っても
苦しんでいる人の解決にならんから
ワシも改めて考える
楽な生き方を示すのがワシの仕事だし・・・

ここはストレスを「抑圧」という意味で進める
「嫌だけどガマンする圧力」という意味だ

ストレスの対処の仕方には
「解消」と「発散」がある
ほとんどは、同一視しているか
「発散」しか取り上げていない
上記の「ストレスの正体」を観ないから
解消方法が解らないしねぇ・・・

発散は手軽だし
「解消した気分」になるし
発散方法は各自の「お気に入り」だし
正面から当るより逃避のほうが楽だし・・・

でも・・・解消じゃないから
また同じストレスで苦しむんだなぁ
趣味の問題というのは
そういう意味だ
本人が解消行動しないのは
本人の勝手だからだ
「発散」なら他人でも出来るけど
「解消」は他人じゃ出来ない

その「発散」も勘違いがあるんだ

  ストレスA
12/04 (木)

ゴルフ、カラオケ、お酒などを
「ストレス発散」の為にすると・・・
とりあえず自分の抑圧は一時下がる

じゃあ、ストレスはどうなった?
解消してないから、何処かに残っているよね
どこだろう?
そう、自分の中に残っているんだ
じゃあ、何を発散したのかな?
ストレッサーじゃないし抑圧そのものでもない
発散したのは「嫌氣」なんだ
その「嫌氣」も解消じゃないから残る
そう、その場所に積もっているんだ

ストレス発散場所は
「嫌氣」のゴミ捨て場
その中にしばらく浸っていると・・・
自分のストレスを捨てたつもりで
他人の「嫌氣」をたっぷり持ち帰る
最初は気づかないから
一時的には楽になったような気がする
でもすぐ溜まるのは事実でしょ
ストレスを発散も解消もしてないから・・・

話は変わるけど・・・
この世はヒネクレているんだ
嫌よ、嫌よ、は寄って来る
いいわ、いいわ、で消えちまう
まっ、いいかぁ・・・でも小さくなる

ストレスなんて元々ヒネクレているから
嫌うより、キスでもしちまった方が消えやすい
嫌な上司がストレス?
実行すれば・・・ストレスは消えると思うよ
ただし・・・別のヤッカイな問題になるかも
アナタが男でも女でも・・・

嫌な上司にキスはもっと嫌なアナタは
キスの対象を自分にするんだ
これでも解消に向かうんだなぁ・・・
だって、ストレスは相手じゃなく
自分の方がもっと大きいんだから・・・

この文章でヒントをつかみ
ストレス解消の活用が出来たら
アナタはストレス対策免許皆伝だぁ

  ストレスB
12/05 (金)

思い通りにならない
自分の思いと違う

簡単にいうとストレスはここから生まれる
アナタがこの世の創造主ならともかく
基本的にこの世はママナラヌものなんだ
思い通りにならないのが「当たり前」

でも・・・思い通りになって欲しい
少しでも近い思いになって欲しい
これはとても大切な心の動きなんだ
「調和したい」「愛したい」って事だものね

ストレスは「異なモノとの適応反応」
この世は「他との係わり合いの場」
だからストレスは
この世に生きている必要不可欠条件なんだ

問題は過剰反応なんだなぁ
必要以上に関心ありすぎ、ともいえる

ここに「ストレスと自立」の関係がある
この世では他のモノとの関係に
必ず影響を与え合っている
だから影響部分は出来るだけ「調和」したい

もう一つ大事なのが
個々が別々に「自立」している事実なんだ
他を認めるとは、自立を認める事だし
自分を自立させる事でもあるんだ

「係わり合い」の距離と
「係わらない」距離
この距離をコントロールすることが
「自立」であり
ストレスの解消法でもある

  ストレスC
12/06 (土)

ストレスで苦しむ人に対し
プロのヒーラーとしての方法がある
こちら側からお手伝い出来る部分だ
本人の意識以外の部分だ

ワシは自慢じゃないが
メンドウクサイのは好きじゃない
(ホント、自慢にならんわな・・・)
複雑なセラピーは間違えやすいし
効果的にもイマイチだと思っている
だから、いつでも同じ・・・
(でも、一人一人違うともいえるけど)

それは「生命力の活性化」だ
「氣の調和」をすると
自動的に活性化し始める
「いのち」の本質は
「活き活きと生きる」事だからだ
ストレスの原因なんて関係ない
ストレス発散も解消も関係ない
ストレスがあろうとなかろうと
「活き活き生きる」前では
問題にならないのだ
「いのち」は・・・強いものだ

これが出来るから
プロの自覚がある
プロは「いのち」の自覚なんだ
ストレスは大したことじゃない

生きているなら
「いのち」は活性化する
死んでしまうと・・・
手遅れだけど・・・
(死んでも調和は可能だけど
この説明はとてもメンドウだから
一応手遅れということにしておくね)

ストレスで苦しむ人
本気で乗り越えたかったら
ワシの「氣療法」を体験してみな

  学び@
12/07 (日)

人の生き方は様々だ
一人一人の出来事が違うし
その出来事にどう反応するかで
さらに先が違ってくる

ある人生を観ていて
その充実ぶりに感心した
コツは「切り替え」の速さだ
ある出来事から先に進む
その出来事を活かす、とは
その出来事からの解放なんだなぁ

有限の人生においては
「出来事からの学び」にこだわると
活きた人生になりにくいようだ
ワシは今まで「学び」を誤解していた

「学び」を中心にするのは
有限の人生では適していない
「学び」にこだわるのは
死んでからでも遅くない
(ここがポイントかもしれない)

「こだわり」からの解放の速さ
学べなくてもいい
「切り替え」を優先する
すると結果的に出来事は活かせる
結果的に「学び」が出来ている

ワシはまだまだマジメだった・・・
言葉では「いいかげん」といいながら
まだまだ「学び」にこだわっていた
理解してから「切り替え」ようとしていた
そんな事ぁ、どうでもよかったのに・・・

刹那刹那を切り替える
それって・・・スゲェ!
きっと面白い人生が待っている

ワシはもっと、もっと
いいかげんになるぞぉ!

  学びA
12/08 (月)

「学び」より「解放」の優先

今年一年で最大の「気づき」かもしれない
ワシは迷走しながらでも30年以上
「精神世界」というアヤシゲな世界と係わっている
「精神の進化」にこだわった世界だ

「この世はヒネクレている」と観切ったのに
つい固定概念でとらえてしまっていた
「進化にこだわって進化するはずないじゃない」
ワシがお筆先様からこの言葉を書かされたのは
もう10年以上前だった・・・
(「我輩は考えぬアッシ・・・」に書かれている)

書かされた言葉の意味に気づくのは
このように10年もかかる場合があるんだ
「学びにこだわって、学べるはずないじゃん」
そうだよなぁ・・・
仕組みはヒネクレているんだもん

何故この世では有限の生命か?
いくつもの意味があったんだなぁ
創造主は多分・・・メンドクサガリ屋
だから一つで万の影響効果の仕組みを創った

有限ならば、考えて立ち止まるより
とりあえず次の体験をするのが優先
当たり前だよなぁ・・・
反省だか検証だか学びだか
そんなもの、死んでからでもいい
無限の世界でゆっくり考えりゃいい

ただしコツがある
「こだわらない」
こだわっては次の体験も無駄になる
最初から最後まで
「解放」

やわらかく生きる

  学びB
12/09 (火)

「学び」と「気づき」は一卵性双生児
だから「気づき」も重要視しすぎていた

ワシの治療院のクライアントが寝る天井に
「病気は気づきのメッセージ。
気づく前も気づいた後も
いつもニコニコ、これが大切」と書いてある
これもその場で書かされたものだった・・・

「気づき」や「学び」より優先する事がある
「気づき」にこだわるな、と自分で書いたのに
意味の深さに気づいてなかったんだなぁ・・・
思い出したら、まだあった・・・

解説エッセイ「我輩は・・・」の最後に
「何があっても、もう過ぎている」と書かされた
単純な事実と共に、生き方の示唆でもある
何度も書かされた
「過去にこだわるな、未来にこだわるな」
いつでも「今」が新しい始まり

そして「我輩は・・・」の最後の最後に
「未来は明るい(大日)」と記されている

明るい未来は「学び」があるからじゃない
明るい未来は「こだわらない」で
新たな体験に向かうからだ

勉強はそんなに一所懸命するもんじゃない
ダイタイでいい
適当で止めていい
解らなくてもいいんだ
解決しなくていいんだ
それよりワクワクして
新たな出会いに出かけようぜ
先は明るいに決っているんだ

  区別@
12/10 (水)

意識の話だ
世界意識と社会意識と会社(仕事)意識
そしてパーソナル意識
これらの区別は大切だ

「場」の違いは「質」の違い
世界意識は全ての生物やモノが参加している
だから自分はその果てしない数の中の一つ
自分勝手が一番小さい意識の世界だ
調和を最優先にする世界だ

社会意識は住んでいる地域の
法律を含めた「常識」優先世界
常識は地域を外れれば非常識になる
常識は真理でも真実でも正しくもない
外れるとメンドウなだけだ

会社(仕事)意識は
社会意識と利益優先意識が混ざった世界
利益優先がややリード・・・
社会不適合者でも仕事が出来れば
評価される場合も多々ある
(とてもイヤな上司や社長たち)

パーソナル(個)意識だけは特別
その世界の創造主であり王様だ
法律も常識も無い世界
なのに社会や会社や世界の意識を持ち込む
だから・・・自己矛盾がおこる
悩み、迷い、病む

これらの意識は全て一人の心にある
自由な心
柔らかい心
それは、それぞれの意識を
それぞれの「場」で区別して使える
意識は意識した部分が使えるのだ
区別が出来ていないと
意識は意識に使われるんだ

意識に使われる人生と
意識を区別して自由に使う人生
心の仕組みを知ると
心のコントロールは難しくないものだ
そのコツに「区別」がある

  区別A
12/11 (木)

「場」によって意識が違う
ここの認識はアイマイで甘い
会社と家庭は意識が違って当たり前
社会と個人は意識が違って当たり前
それなのに・・・

「自分は変わらないのだから意識は同じ」
こういう固定概念がそれぞれにある
心は星の数ほどの意識の集合体なのに・・・
正反対の意識が一緒にあるのに・・・

家庭内に社会倫理意識を持ち込む
会社に世界意識を持ち込む
個人に社会意識を当てはめる
無理や矛盾がでるよねぇ〜

特に病気につながるのは
個人意識と社会意識の摩擦や衝突
会社意識と個人意識の矛盾
社会意識と世界意識の矛盾

違う「場」という区別が理解してないと
矛盾を何とか調整しようとして
無駄に生命力を使う
そして・・・疲れる

生命力は「場」に活用するもので
意識の調整に使うのは無謀なんだ
「場」の意識と個人の意識では
大きさが違いすぎるんだ
個人の生命力で調整できる範囲を
はるかに超えているんだ

だから「切り替え」が大切だ
「こだわらない」事が重要なんだ
「理解」は「区別」になるんだ
「区別」を理解できると
「差別」が無くなる

真の「区別」は
「平和」の条件なんだ

  区別B
12/12 (金)

個の自立
個の自覚
それは共生の自覚でもある
自分が確立しているから
他を認められる

「区別」ができるのは
他の自立を認めているからなんだ
「事実」を認めている事でもある

「自分の思いとの違い」を認めきれずに
他と接触すると「差別」になる
腹が立つ
戸惑う
ガマンする
悲しむ

お互いの自立の上での接触は
「氣」が合えば特別な関係になる
友達になる
恋人になる
師弟になる
なにより
「よき隣人」になる

「よき隣人」は知人だけじゃない
まだ見も知らぬ世界中の人が
「よき隣人」になるのだ

自と他の「区別」意識は
とても大切なベースとなる

オトナになるというのは
そういうことなんだ

  触れ合い@
12/13 (土)

「脳と命の仕組み」のTVを観た
触れ合い
スキンシップ
未熟児の発達を促進する行為
「いのち」の活性化として紹介していた

ワシにとっては「触れ合い」の活用は
自然治癒力や調整力の増強
自律神経の安定や心の安定
若返りや長生きまで含め
体験上、当たり前なのだ

氣功療法は一切触れなくても出来る
遠隔治療が出来るのだから・・・
それでも、手を触れる方がずっといい
(症状や原因によって一律ではない)
氣功療法は触感覚としては
理屈無しに気持ち良いから安心できるんだ

ワシの応用している「氣」の質は
母親の子供に対する「氣」と近い
それは「いのち」を育む「氣」だ
だから、やすらぐし、気持ち良い

誰でも母親になれないが
誰でも子供だったのは間違いない
だから、誰にでも共通する仕組みがある
「いのち」の活性化だ

ワシのようなプロと巡り会えなくても
「いのち」は活性化できるように
グレちゃんは、この世を創っている
普通の生活の中で、暮らしの中で・・・
それが「触れ合い」なのだ

とはいえ
触ればいいわけじゃない
チカンやセクハラは
「いのち」を弱体化するんだ

「いのち」は「氣」の質に
とても敏感に反応する
それは固定概念で想像するより
遥かに強力で迅速なんだ
たかが、触る行為が
膨大な医学の積み重ねを
簡単に凌駕するんだぜ

  触れ合いA
12/14 (日)

科学の行き着く先が古代の神話のように
医学の行き着く先は暮らしの中にある

ワシは「暮らしの中」に
あらゆるヒントがあると思っている
あらゆる解決が備わっているが
ホントに「素直」か
真の「達人」が的確に活用できる

この世の仕組みは単純ではあるが
単純であるが故に見えない
単純であるが故に深遠で広大なのだ
グレちゃんは・・・ヒネくれている

病気は単純に「治す対象」ではないが
どんな難病も「触れ合い」で解決はする
体であろうと
心であろうと
魂であろうと

霊障害や環境障害であっても
「触れ合い」で解決はできるのだ
解決の意味と
解決するまでの時間と
解決できる「触れ合い」の質が必要だが

ワシは傲慢だし不親切だ
だが、これは本当だと思うよ
解る人が世界に何人いるか知らないが
「触れ合い」の深さに気づいている
治療家や指導者は増えているだろう

専門家といわれる学者やドクターは
「科学的根拠ウンヌン」とウルサイから
相手にする気はないが
受けるクライアントの意識の方は
変わる必要がある

難しくはないんだ
気づかないだけなんだ
「触れ合い」は考える事じゃない
双方から全宇宙までの交流と循環なんだ

  触れ合いB
12/15 (月)

触れ合いの質が
「触れ愛」になった時
大きな変化が起きる
奇跡といえるような現象さえ起こる

愛の質でも段階があるが
最高級の質を持っていたキリちゃん
触れただけで盲目が治った
ライ病者が治った
根性が治った等々、聖書に書かれている
(聖書は書き換えられているが
この逸話は本当だと思うよ)

「愛」は見えないモノだが
この世は見える物質世界だ
体は見える「肉体」と
見えない「心」と「魂」で出来ている
だから、この世にいる間は
「愛」だけでは力不足なんだ

「愛」を最も活用する方法
それは肉体との合体作業
それが
触れ合い・スキンシップ

ワシのように「氣」をコントロールできるなら
いろいろな「触れ合い」が可能だが
(エネルギー注射器とか集中レーザービームとか)
誰にでも出来て、オールマイティな効果なら
「触れ愛」の触り方が一番だ

眠っている赤ちゃんを起こさぬ気持ち
春の柔らかな陽射しを分け合える気持ち
相手と自分が同じく大切に思えれば
触れた箇所から全身に「氣」は広がる

触れられた相手は
「気持ちいい」と感じる
触れた方は
「愛しい」と感じる

久しく触れられていないアナタ
「誰も触れてくれない・・・」
落ち込むことはないぜ
「触れ合い」って
自分一人でも「触れ愛」ができるんだ

  触れ合いC
12/16 (火)

体は神様からの預かりモノ
心はヒネくれたアナタのモノ
神様はヒネくれていないが
かなり・・・オチャメではある
だから
この世の仕組みはヒネくれている

一生専属に使える体は
アナタの身勝手な要求にも耐える
日々、黙って従っているのだ
アナタの心の満足の為に
奴隷のように働き続ける

でも・・・心には優しくとも
体には思いやりの少ないアナタは
体が疲れ、病んでしまうと・・・
自分で看病しようとせずに他人まかせ
病院だ治療院だ薬だ健康食品だと言いながら
要するに・・・金で何とかしようとする
体は・・・アナタの優しさに餓えていたのに

少し回復すると・・・
「仕事が忙しいから」と
本当に休ませずに
体をこき使う
アナタは・・・鬼のようだ

触れ合い
触れ愛

この世は「気持ち」だけの世界じゃない
「思い」だけでは動かぬ世界だ
むしろ「心」より「行動」が優先する
「体を大切に思っている」
誰でも言う・・・ほとんど行動しない
まして「思い」は揺らぐモノなんだ

体の中で「手」だけは特殊だ
心を直接「行動」に使える所なんだ
借りていた体に「思い」ではなく
思いやりの「行動」が出来るんだ

そう
自分一人でも出来る
無人島でたった一人でも
「触れ愛」は出来る

体は最後まで離れぬ
真の配偶者なんだ

  触れ合いD
12/17 (水)

他人に単純に触ってもらう事ではなく
自分で単純に触る事でもない
「触れあい」
「合い」「愛」「会い」「逢い」
「あい」は双方との交流なんだ

形では一方的に触っているようでも
相手からの情報を受け取って
自分に溶け込ます

赤ちゃんにそっと触れるのは
赤ちゃんから優しさや柔らかさを受け取り
自分も愛される事でもあるんだ
双方での「愛しさ」

自分一人でも同じだ
そっと触れてみればわかる
体がどう思っているか
体がどう応えてくれるか

心と体の「触れあい」は
ヨガでいう「結び」の第一歩であり
この世では究極の方法でもある
入り口でもありゴールでもある
深く・・・広い段階がある

だから、他にも同じ
ある意味
この世に生まれた目的の一つでもある
この世に生まれた目的の全てでもある

単純な
誰にでも可能な
いつでもできる
何処でもできる
「触れあい」に
道(タオ)はある

  見えない世界のお話@
12/18 (木)

とても大切なメッセージでした
だからフィクションとしての話です
大切なメッセージは
事実にこだわると伝えられません
作り話であり、作り話ではありません

私は肉声でない話を聴く事がある
それが本当に相手からの波動なのか
私の中からの幻聴なのか
単なる勘違いなのか・・・わからない

ある女の子と係わりがある
その子は意識が戻らない状態だ
いいや、意識はあるが
他の人には伝えられない状態だ

声は出ない
声帯切開してある
食事は
栄養液をチューブで胃に直接

手や目でのコミュニケーションも
意思を表す状態ではない
それでも家族や私には
「感」である程度は解るものだ

ある時、状態が悪化した
痙攣が多発する
「重い氣」が覆っていたから
予測はしていた
その「重い氣」を
何処から持って来たのかも
見当がついていた

同波動や類似波動は共鳴する
だから「場」の厳しい場所に行くと
その後は状態が悪い
例えば・・・病院などの場所だ
他の闇波動の影響を受けるのだ

普通の状態では人を含む生物は
見えないバリアーが自分の周囲にある
「個性」というバリアーだ
個性の正体は「個の意識」だ
ある意味・・・我意識でもある
(我意識が単純に悪いなどと言うのは
無知な道徳倫理スキスキ人間だぜ)

我意識はとても大切な守護役でもあるのだ
その強さは「生命力」に比例する
ただし・・・「我質」は関係しない
意識がハッキリしているのは
「いい・悪い」は関係なく
個人を守っている

意識がハッキリしない状態は
他の波動の影響を大きく受けやすい
だから
この子も受けやすい状態ではあった

この話は難しいが・・・続く

  見えない世界のお話A
12/19 (金)

この世には様々な「氣」がある
「いのち」に関してなら
「生命力」を活性化する「氣」と
弱体化する「氣」がある

しかし「氣」は単純じゃない
ドリンク剤のように一時的に興奮させ
一見「活性化」に見える「氣」と
本来の活力が甦る「氣」がある

同じように弱体化も
生命力を本当に壊していく「氣」と
より弱いモノにこちら側の「氣」が
流れていく為に、一時的に
「弱体化」する「氣」があるのだ

さらに・・・複雑なのが
顕在意識だけじゃなく
魂レベルの潜在意思によっても
「氣」の交流が行なわれるのだ

難しいよね
この話は・・・
でも、解らなくても読んでね
ちょっと、大きなメッセージだから

私は治療家として女の子に接している
だから「命の活性化」が仕事だ
注意する事として
「場」の厳しい所は避けるか
長居をしないように指導してきた
影響を受けると
状態が厳しくなるし
治療や見守る家族も辛いからだ

この子との付き合いは長い
だから意思を「感」で読める
(もちろん私の感違いの危険性がある)
これまでも
あえて「他の闇」を引き受けていると
感じていたし、そう家族にも伝えた

この子は「強い」
だから「優しい」
強さに自信があるから
辛さを引き受ける事ができる

私がこの仕事を出来るのも
「決して犯されない体」
を与えられたと思っているからだ
だから、この子の気持ちも解る

ここまでは今までも感じていた事だった

  見えない世界のお話B
12/20 (土)

自分という意識
「個」としての存在は
他と触れ合う事で成り立つ
社会と係わるから
「個」が認識できる

「個・自分」が認識できないと
意識は迷い、とても不安になる
心の影響で体も不安定になる
ますます閉じこもる悪循環

もし・・・
私が意識と意思はあるのに
それを他人に知らせる事が出来ない状態だったら
どう、社会と係わりあうだろう
しかも時々、意識さえ失う状態で・・・

魂は脳から離れる事ができる
肉体意識が失われても
魂の意思は失われない
肉体から魂が離れるクセ
離れる能力があったなら・・・

そう
この子には十分な時間があった
十分な素質があった
十分な霊性の高さがあった
ならば・・・

この子が今の自分の状態を認識した上で
社会との係わりを
確固たる意思で行動したのだ

社会との係わりとは
社会の中の自分に出来る事
社会の一員としての自分
社会と自分の一体化

赤ちゃんは
微笑む事で
社会に大きく貢献する
社会の大切な一員として
自分の存在を確認している

見えない「氣」としても
赤ちゃんは
「場」の浄化をしている
不特定多数相手に
損得無しに行動しているんだ

この子の参加は
さらに凄い

続く

  見えない世界のお話C
12/21 (日)

この子のような社会参加の仕方
今まで想像もしなかった
だから・・・ショックでもあった

こういう人からの「学び」は
普通の「気づき」より遥かに大きいし
「質」は遥かに純度が高い
私レベルではとても出来ない

体が動かなくても
意思は働く
意思が働けば
「氣」は動かせる

この世は
見える世界と
見えない世界が重なっている

見える世界は体(物質)で係わるが
見えない世界は意思や魂や「氣」など
見えないモノが接触できる

見える世界と同じく
見えない世界でも多くのモノが病んでいる
元々見えない世界は「光と闇(病)」とが
ハッキリしやすい世界なのだ

見える世界では
病みの肉体を持っている、この子も
見えない世界の魂は「光」だった
だから、見えない「闇・病み」を引き受けた

見える世界では
自分の体は、より苦しむ
それを覚悟の上で
いくつかの「闇・病み」を連れてくる

それまで私は
「場」に厳しい所では
この子の意識が弱いから
他の「病みの氣」に
憑かれ(疲れ)てしまうと思っていた
まさか
自分から
しっかり意思の力で
「病みの氣」を持ち帰って来ていたとは・・・

見えない世界に係わる仕事をしながら
私は
見える世界の考え方に引きずられていた

  見えない世界のお話D
12/22 (月)

「弱い」と「強い」は観る方向の違い
体が弱い
心が弱い
だから、魂は強いのかもしれない

この子からの「教え」は
私に幾つもの固定概念を修正させた

治療者としてクライアントを観る時
「弱い・弱点」の観方は一つじゃない
だから・・・「強い」と観る事ができる
「強さ」じゃないかもしれない
「高貴」かもしれない

体・心・社会的・経済的・人間的・・・
いろいろな弱者は
何処かに「高貴」が潜んでいる

「人間をナメんじゃねぇ」
そう、たしなめられた

ならば・・・
病気の人の中には
他の病を
自ら進んで引き受けた人達がいる
本人の顕在意識さえ気づかぬままに

「病気は間違いの現れ」
「病気は不調和の形」
これらは
病気の一面からの観方でしかない

「病気は高貴の現れ」
「病気は調和の形」
こういう現実がある

ならば
私の仕事(ライフワーク)は
病気を修正する手伝いじゃなく
生き方を手伝う事でもある

相手が人間でも
かつて、人間だったモノでも
単なる闇でも
光の方向への助手である

ありがとう
クライアントからは
多くの教えがある

  聖なる@
12/23 (火)

最近の雑記はマジメな傾向にある
これもワシの不徳だ
昨日までの話もマトモだし・・・
こんなことでは・・・イカン!
イカンじゃお湯も沸かせない
ヤカンならお湯だけじゃない
ラーメンだって作れるのに・・・
(オジヤだって作れるぞ・・・)

ワシの個性はマジメじゃない
マジメも不マジメもハチャメチャも
自由に愉しむのが目指す道
マジメだけじゃ活きないし
マジメの時の人間は・・・つまらん!
だから最近のワシは・・・つまらんかも

社会と係わるから
マジメも必要だけど
面白味には欠ける
面白く生きることが
この世に生まれた役目の一つ
ならば
マジメも不マジメもハチャメチャも
適当にいいかげんに愉しもう

なのに・・・
今年一年
政治家共とその応援者は
世界と日本の
子供・お年より・心身の病人達の
不幸や悲惨や悲しみばかり目指した
優しく暮らしたい人達を憎むかのように
マジメに正しさを言い訳にして
地獄を創ってきた

思いを押し通す
思いを実現させる

これらはアメリカ式思考だ
それが「平和の為」という大義でも
他を「力」で押し潰す
自を「力」で押し通す

本来「和」の生き方だったこの国も
多くの人が「力」を得ようとしている
だから
ワシの不マジメも湿りがちだ
つい・・・警句になってしまう
「欲の実現って、地獄界の事だぜ」

キリちゃん的には
今日から「聖なる」期間になる
聖なる期間だから
愛しい人の
お尻くらい心を込めて
撫でてやろうよ

本来の聖・・・
聖と性と生と精と星は同じ意味だと
気づく期間でもあると思うなぁ・・・

  聖なるA
12/24 (水)

聖なる夜
世界中のどんな人にも
プレゼントがある
それは
プレゼントがあったことに
気づく夜でもある

身内や恋人からのプレゼントも嬉しいが
聖なるプレゼントじゃない
聖なるプレゼントは
この世のいる全ての人に
あるいは全ての生き物にある

しかも
幾つも用意されている
「気づき」の数だけ
プレゼントがある

「今、生きている」事実
それはグレちゃんという
とっても偉大な創造主が
貴方を祝福しているという意味なんだ

グレちゃんからの祝福
これ以上のプレゼントは
この世には見当たらない
あったら見せてみなよ

次に
誰かが必ず
「貴方の事を思っている」事実
これも貴重なプレゼントだぜ

次に
ほとんどの人が
見えるか
聞こえるか
話せるか
手足が動くか
意識がある
これも事実だ
有り難いプレゼントだ

次に
嬉しい
悲しい
楽しい
寂しい
その他の感情を
感じる心も持っている
これも事実
このプレゼントが無ければ
つまらない人生だと思うよ

次に・・・
もっともっとあるけど
聖なるプレゼントは
数じゃないしね

世界中に向かって
宇宙に向かって
自分の内に向かって
言う言葉も
大きなプレゼントなんだ
(キリちゃん教徒じゃなくていいんだぜ)

Merry Christmas!

  聖なるB
12/25 (木)

本来は聖なる日は
キリちゃんの誕生日
しかし
人の意識が一つになると
本来なんてどうでもいい
(キリちゃん教徒はこうは言わない)

クリスマスはサンタクロースが
プレゼントを配ってくれる
「楽しい日」だと多くの人が思うなら
キリちゃんの事は関係なくても
「楽しい日」になるんだ

だから聖なる日も長い間に
多くの人からの意識によって
聖なる一週間になった
仏教徒でも神道でも無宗教でも
聖なる週の恩恵は受ける

だいたい神様はこうでなくちゃね
「信じる者だけ救ってやる」なんて言う
心の狭い神様はインチキに決っている
大抵は心の狭い教会の人間の言い草だ

「聖」は結構いいかげんなんだ
「大らか」だから「大いなるモノ」が共鳴する
だから「性」は「生」になる
だから星(せい)は静(せい)に輝く

どんな人にも共通して
性と星は大らかに輝くものなんだ

キリちゃんに
会ってみたかったなぁ
話してみたかったなぁ
きっと
魅力的なオヤジだったろうなぁ

  聖なるC
12/26 (金)

深い
果てし無く深い
そして
自由な柔らかさ
大らかな質がある

聖なるモノ
性も生も星も精(命)も
この身から続いているのに
何処までも深い
そして
やわらかい
大らかなモノ

地球という星にいるが
遥かなる星には届かない
命といながら
命の神秘に届かない
毎日「生きる」が
「生きる」底には届かない
性に触れても
性の深さに届かない

聖なるモノは
身近であり
深遠であり
広大である
誰でも何時でも何処でも
同時に触れているモノ
そして
やわらかく
優しいモノ

「神」って
そんなに特殊じゃない
聖なるモノって
優しく
大らかだ
どんな状況でも
包み込んでいる
なんでも許す
結構
いいかげん

聖なる週は
特殊な期間じゃない
聖なるモノを
見直す期間だ

この世にいる限り
(あの世でも、そうかも)
全てが聖なる期間
だから
何時でも何処でも
アナタは自由なんだ

  暮れ@
12/27 (土)

年の暮れ
いろいろな国に住んでいる人に
いろいろな出来事があった
ワシにもいろいろあったが
暮れを迎えて・・・生きている

今のこの国に住んでいると
感性が鈍くなる
感性の鈍さは
「いのち」の鈍さでもある
他の「いのち」を
自の「いのち」と連動できない

「いのち」の弱体化は
一つの囲われた民族の衰退か
あるいは・・・選別化
今の日本がこれに該当する
「いのち」に気づく
極、一部の日本人しか
未来に残れない

共生・共存の根本は
お題目や名文じゃない
自らの感性の共鳴なんだ
「底から(性)」「感じる」
自他の同調

世界中の人達が
もう始まっている時代への
適性検査として
「共存・共栄」の感性を試された

「戦争」を
どう感じるか?

こうしなさい
とは
誰も言わない
決めるのは
アナタ自身だ

「暮れ」の年
「前時代の暮れ」の年が
ここ数年続いている
次の時代に
移行する準備の為

日本は殊更難しい?
そんなことはないね
どの国に住んでいても
感じるのは
「個」の魂なんだ

  暮れA
12/28 (日)

暮れは
新たな始まりの
準備期間

明日は「暮れ」から始まる

競争
弱肉強食
二極化
これらは前時代意識
その時代の暮れには
当然のように「争い」が起こる
そして起こった

この国にいて
それぞれがどう思ったか
意識がどう働いたか
とても大切な事だったんだ

与野党を問わず
政党政治から
個人と世界をダイレクトに結ぶ政治に
変わっていく時代が来ている

自分の考えの代理人として
政治家に未来を託す時代は
終りなんだ

卑怯で悪魔の手先となった政治家は
首相や大臣だけじゃない
野党も同じなんだ
今からでも遅くない
自分の意識は世界につながっている事を
しっかり認識しようぜ
政治家に頼らなくていいんだ

どんな素晴らしい政治家であっても
これからの時代は必要が無い
むしろ、邪魔なんだ
一人一人の意識の方が
遥かに世界の未来に影響が出る
そういう時代が来ているんだ

手足をもがれて
苦しむ戦禍の人達は
自分達の分身なんだ
劣化ウラン弾のスイッチを押した兵士も
自分達の分身なんだ
すべて
政治家が決めたという事実
「正義」「正しさ」は
もう・・・いらない

「やすらぎ」
「やわらぎ」
「わらい」が
明日を創る

  暮れB
12/29 (月)

「暮れ」を淋しいと思うか
反省や残念を思うか
十分、満足と思うか
それとも
新たな明日にワクワクするか
貴方の意思で選択できる

「暮れ」は「暮れ」という出来事
そこに意味や感情を入れるのであれば
明るいモノにしようぜ
「それでも・・・地球は回っている」
次が来るのは間違いないしね
反省や残念なんか
人生が終わってからにしようぜ

苦しい
悲しい
辛い
でも、次がある

嫌な事なら「暮れ」で終り
素敵な事なら「暮れ」から始まる

こういうワシだって
いろいろ厳しいんだぜ
それでも地球は回っている
「暮れ」を迎えたって事は
「明日」に近づいたって事

ワシはいつでも
ノウテンキに生きたい

アナタは
どう生きたい?

 
12/30 (火)

今年は未(ひつじ)年だったね
未来の未年だったね

未来の来年はもう少し先
2000年から2012年頃まで
未来の幕開けは続く
意識の幕開けというわけだ

2000年〜2004年頃までは未
2004年〜2008年頃までは近(混)
2008年〜2012年頃が来(來)

意識によっては「近」となる
意識によっては「未」のまま
全て、自分で変わる時代に入っている
「考え・理屈・概念」では通用しない
「感性」が未来に誘導する混乱期だ

ワシはこの誘導装置を
サイコ・サイバネティックス・システム
そう6年前に勝手に名づけた
「感性」というかわりに
「いいかげん」という言葉で・・・
(迷著「やすらぎ・・・」に書かれている)

書かされた意味が
現実になるまで6年以上もかかるんじゃ
本は売れんわなぁ・・・
こうなったら
自画自賛するっきゃない!
結構スゴイ指摘だと思うけどなぁ

こうここに書いても
まだ現実では認知される時期じゃない
認知はさらに後の事だからなぁ・・・
(ええぃ!たまには愚痴だぁ)

時々、もどかしい・・・
何で、解らないのか!と・・・
ワシ自身も解ってないくせにねぇ

それでもラッキーなことに
ワシの性格がいいかげんだから
心も体も保っていける
「なるようにしか・・・ならんもんね」

避けられるのに
避けようとしないのは
個人の意識の勝手・・・
とはいいながら
今後の日本と世界の運命
人間と人間の勝手さに巻き込まれる
多種多用な「生きとし生けるモノ達」
厳しいし・・・辛いよなぁ・・・

まぁ、絶滅するわけじゃないし
地球が壊れるわけじゃないし
魂が無くなるわけじゃないけど

自他の区別の自覚と
自他の差別の撤廃
自他の気持ち良さの共有が
共生と共存の根幹なんだぜ

アナタのやすらぎは
世界につながっている

  祓い
12/31 (水)

「祓い」
見えないけど、澱んでしまったモノを
払う(掃う)事なんだ

多くは心の中にある
意識が動かないから澱んだわけだ
固定概念が澱みにもなる
コダワリが澱みにもなる

澱みが「悪い」わけじゃないけど
重くなるし、ウットウシイ
だから時々は祓おう
特に新たなケジメがある時にはね

「祓い」なんて難しくない
他の意識に触れる
自の意識の力を抜く
異を許す・受け入れる
自の澱みを許す・受け入れる

この世の仕組みはヒネクレている
「祓い」は
澱みを排除する事じゃなくて
澱みを認め・可愛いと思うと
キレイになってしまうんだ

見える体からの「祓い」も簡単
「愛しい」と触れれば
自分でも他人でも「祓い」になる
「愛しい」と抱けば
見えない体もキレイになるんだ

もちろん
ウェブ上でも「祓い」はできる

今年と来年という境目の今日
これに目を通してくれた人
今日までに何らかの縁があった人
やがて未来に縁が出来る人
(偉大な人は見境なく祓いができるが
ワシは偉大な人じゃないから
自分に縁がある人だけが対象だ)

見えないけれど
届け!

気がつくと
ワシ本人の「祓い」が
未だのような・・・
まぁ、いいさ
ワシはいつでも
「ワシのいいかげん」を
「愛しい」と抱ける

貴方の澱み
「愛しい」と
抱いて、抱かれて

ありがとう

      合掌

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