2003年8月のコラム         コラム1目次に戻る
葉月
08/01 (金)

相変わらず旧名は1月先の名前になる
月見月(つきみづき)仲秋(ちゅうしゅう)
観月(かんげつ)桂月(けいげつ)
などの別名も秋の名前だ
でも、6月に夏至があったのだから
もうだいぶ昼の長さが短くなっているのは事実

ワシのお薦めは「観月」
人は月を観て(見るのではなく)想い
月を観て、狂う
月を観て、己に沈み
月を観て、己から離れる
月を観て、命を感じ
月を観て、神を感じる
月を観て、宇宙に浮かび
月を観て、地球を感じる

月を観ると、人社会から離れる
月を観ながら、争いは出来ない
月は心を左右する力があるから
月を観て、心を静める時も
月を観て、心を乱す時もある

月は
地球の生物の「いのち」に
大きな影響を与えつづけている
誰が地球に設置したのか?
それは解らないが
地球生物用に意図的にあるのは
間違い無いだろう
(月の周期、公転、距離、その他の数字は
意図的でなければ説明できないのだ)

 
08/02 (土)

今日、やっと夏の空だ
都会から来る人にとっては
ワシのいる山の中は涼しいと感じるだろうが
ここに住んでいると
やっと・・・暑い日が来た

7月の低温の長雨、地震で
各地の地すべり災害が多かった
ワシのいる町では今年は無かったが
昨年の地すべり痕は戻らない
旅館民家合わせて5軒が土石流で壊された
元の地すべり痕は山の上部
かなり高く急勾配で起きたから
緑復元作業は無理なようだ
だから今後も
大雨で広がるだろう

ワシは今年の4月の雑記で
土の生命力が弱っている事を指摘した
複合的な原因の一つに
戦争を容認する人間の意識も指摘した
だからこの土の弱さは日本だけじゃない
全世界共通なのだ
日本は世界中でも屈指の
「いのち」溢れる国だった
それは人間ではなく
植物であり、水であり、鉱物であった
そのどれもが
アホな政治家、役人とそれを支援する
アホを自覚しない専門家と評論家達により
ウソのように自滅へと進んだ
一見利欲で支援している企業家達は
どんな方向でもつながりを持てる
つまり、国の方針がマトモな方向でも
企業家にとっては、かまわないのだ
だから、政治家と役人と専門家達に問題があるのだ
もちろん、それらになりたがり
それらに投票した人に責任が無いとはいわない
だが、責任追及では解決しない
食料自給率が半分以下になって10年以上もたつのに
まだ、「国際化だからそれでいい」などという
ボケタ評論家がTVで発言していた
もう、本当にモウロクしているというか
最初からアホのままというか・・・
そんなのを何度も平気でコメンティターとして
起用するTV局もアホ集団組織だしなぁ・・・
目を覚ませよなぁ

ワシはオプチミスト(楽天)ではあるが
未来を観ない生き方ではないし
未来を観ない生き方は出来ない
そして、お節介であろうとも
「単なる未来の事実」は指摘する
このままでは
世界はともかく
日本は悲惨な時代を迎える!

  祈り
08/03 (日)

「祈り」に時期も時間も場所も制限は無いが
今月は「祈り」が多くなる月でもある
制限は無いが
適した時間や適した場所はある
邪魔な波動が少ない時間
余計な波動を祓った結界内などだ
でも、結界内であろうとも
多くの人が手を合わせる
教会や神社に「お願い」を祈るのは
「祈り」とは云わない
あれは「おねだり」というものだ
「祈り」に「見返り」は無いのだ
「どうぞ、私に○○を!」
「どうぞ、あの人に○○を!」
○○が「勇気」であろうと「幸せ」であろうと
「祈り」ではなく「おねだり」なんだなぁ
もちろん、「おねだり」が悪いわけじゃない
身内や知人の病気回復を願うのは
見えない後押しとして有効なんだ
でも、それは「おねだり」だ
ワシなんか、「おねだり」ばかり・・・
「神様でも誰でもいいから、棚から現金を!」
(時々、・・・天誅!! でも、懲りないぜ
天誅が恐くて、おねだりが出来るかぁ〜)

「我」を離れた願いが「祈り」
つまり、その願いによって
自分に利得が有るか無いか
「日本経済の安定を・・・」
もちろん、こういうのは我欲なんだ
絶対に天誅がある
(今がそうだったりして・・・)

人類を含む全地球&全宇宙の全てに
調和をもたらす「願い」ならOK!

身内や知人の故人冥福は
人類どころか「この世」を離れているので
「祈り」になる

今月は、お盆や終戦記念や原爆の日(平和祈念)など
故人の冥福と未来への平和が「祈り」となる

  祈り A
08/04 (月)

「祈り」の相手は「神様」
別な言い方ではグレートサムシング
愛称はグレちゃん
(この言い方が気に入ってしまった)
人間じゃないから
人間だけの利益はしない
だから「祈り」として通用するのは
全てに共通する「調和」に基づく事だけだ
一部の平和や健康や幸せには
グレちゃんは関与しない
そのかわり
おおきな平和や健康や幸せには
関与してくれる
だから
魂ある人間として
「祈り」は大切な行為なんだ

悲惨な殺りく(戦争)の経験・体験は
「祈り」をしてこそ活かされる
戦争の犠牲者は人間だけじゃない
生きとして生けるモノ全てと
その憎しみ波動は
時間と空間を超え
全宇宙まで影響する
だから
それを浄化する
「祈り」が必要なんだ

時間は螺旋形に進むから
今月は特に「祈り」が必要

人間最大の愚の象徴の「戦争」を
どんどん肯定する人が増えているから
特に「祈り」が必要なんだ

難しくは無い
「祈り」は
誰の内にも宿っている

  祈り B
08/05 (火)

普段は「祈り」波動に接する機会が少ないが
この波動(氣)はとても気持ちいい
感覚として「気持ちいい」のだ

1997年インドのダラムサラ
チベット寺院「ナムギャル寺」の朝行
低く響き渡る読経
その中に参加させていただいた幸運
この体験
この体感
正しく「至福」
理屈無く、気持ちいいのだ
感覚として、体が気持ちいいのだ
「幸せ」をこういう感覚で体感したのは初めてだった
その「行」は
言葉の意味は解らなくても
「平和の祈り」だった
「祈り」自体が「幸せ」なのだ
本物の「祈り」なら「気持ちいい」のだ

この場面を写真に撮ると
「白い氣」がハッキリ写っていた

それまでのワシは「祈り」というと
キリスト教徒が
キリちゃんに「おねだり」するイメージで
いまいち重要視していなかった
でも
本物の「祈り」は別次元
だから
キリちゃん教徒の「祈り」の中にも
きっと本物があると思い
キリちゃん教徒も見直しているのだ
(皮肉じゃないけど、そう感じたらゴメンネ
ワシ、キリちゃん教徒に限らず
宗教組織の信徒には厳しいんだ)

  祈り C
08/06 (水)

58回目の広島・原爆の日・平和の誓い
今日の広島市長の言葉を引用する
「国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、
時代は正に戦後から戦前へと大きく舵(かじ)を切っている」
有事3法、イラク復興特別措置法が矢継ぎ早に整備される中で、
戦争を容認する言動が出ていることを危惧しての発言だ。
「『核兵器は神』であることを奉じる米国」
ブッシュ米大統領、金正日総書記を
「核兵器保有国のリーダー」と表現し、
核戦争の現実を直視するため、広島を来訪するよう呼びかけた。

ワシは政治家達の意識を疑問視している
一般国民の意識の動き方と同じではない!と観ている
何度も言うが、ワシは楽観を指標としている、が
楽観を信じているわけでもないし
事実を曲げて楽観視するわけでもない
政治家達がマトモな意識の動き方をするなら
広島を訪れれば、「平和」を意識するはずだ
それが、この国に何百人、何千人もの政治家達がいても
歴代の首相が何度訪れても
こんな法律を次々成立させているのが
「事実」なんだ
ミサイル防衛
先制防衛
世界平和の為に「核を!」
その名目の結果が「ヒロシマ」だったのに・・・

政治家は意識が狂いやすい立場だ
それは歴史を学べばあきらかだ
狂った政治家を修正するのは時間がかかるし
一般国民と違い、とてもヤッカイだ
だが、今の日本などの「選挙制」で政治家を選ぶ場合
支持する人の
未来を観る目がマトモなら
狂った政治家を辞めさす事ができる
政治家は選挙に落ちれば
ただの狂ったオッサンだから
選挙は
未来の世界の平和を握っているのだ
政治家でもない
マトモな国民までが
狂った政治家意識に落ちぶれる事はない
政治家になりたがる
評論家きどりのオッサン達よ
今の世界中の苦しみ・憎しみを
支持するのは
やめなよ

  祈り D
08/07 (木)

昨夜のTVニュース
「日本核維持論」が
昨年アメリカから打診されていた
もちろんアメリカ下男の日本は拒否しないだろう
だから、首相をはじめとした関係者は
一切黙っていた
黙っていた事が暗黙の了承の証拠なのだ
この国では
とても、とても恐ろしい準備が始まっているのだ
もう一つ
中国(だけじゃないアジア)の日本に対する
「核の維持」考察
「もう持っているか、すぐにでも持つかのどちらかだ」
これに対し、担当記者が
「こういう誤解を招くのは、日本政府の・・・」
政治家や政府関係者ならともかく(救いようが無いから)
記者がこれを「誤解」と平気で言い切る感覚の鈍さ・・・
時代の方向とその先を読めないのなら
記者やマスコミ関係から離れろよなぁ・・・
そして
「政治家が広島を訪れれば、もっと平和を意識する」
などと、ネボケたコメントを出すキャスターや解説者
(広島市長は立場上、これ以外に発言できないが
内心はワシと同じ思いのはずだ
58回も同じ事を言っても
国の方針はさらに酷くなったから)

ワシの昨日の雑記に書いたが
この国の代表でもある首相の発言
核戦略・先制攻撃主張のアメリカ追従の指摘に対し
「見解の違いでしょう」と一言ですます
あまりに酷いコメントを、核被害国民として
どう考える?
考えるまでもない!
今の政治家とその仲間に
マトモな意識など期待するのが変だろう
最低のゴミ人間達なのだ
歴代首相よりマトモ?
冗談じゃない
田舎の地区班長じゃないんだぜ
比較で政治を評価している場合か?
今のこの日本・世界の現状を観ろ!
命をかけて
最大・最高の政治を打ち出せないなら
クズだ!
出来ないなら辞めろ!

アメリカ・北朝鮮・日本
その代表者達に共通する
「魔」の波動を感じるのは
ワシだけではないはずだ

だからこそ
平和・調和への
「祈り」が必要

  祈り E
08/08 (金)

今週は「祈り」週間にする
今の日本の政治・世界の政治の姿勢を考えると
とても「氣」が荒れてしまうが
だからこそ
「祈り」を意識しようと思う

佐藤初女(はつめ)さんという人がいる
白神山地の麓で
「森のイスキア」という「かけこみ寺」を主宰している
龍村仁監督の「地球交響曲2番」の縦軸になった人だ
ワシは、初女さん自筆のサイン本がある
そこにはワシの名前と
「祈りのうちに今を生きる」と書かれている
この「祈り」は特別な行為ではない
日常から離れた行為ではない

不マジメなワシではあるが
目指している場所がある
それが頂だとは思わないが
まだまだ辿り着けない場所ではある
それは
「24時間の氣功療法師」
特別ではなく
日常の暮らしに完全に融けた
氣功療法師という生き方
龍村師匠なら、ヨガを
「生活ヨガ・24時間のヨガ」と表現する

初女さんの
「祈りのなかに今を生きる」は
もっと積極的な平和に関与している
ワシにとっては
24時間の氣功療法師の先にある
「頂」かもしれない

このような「祈り」の大きさには
いいかげんなワシでは
辿り着けないが
時々の「祈り」なら
ワシでも行なえる
氣功療法を併用して
ワシ流の「祈り」なら
行なえる

故中川雅仁師匠様と
その後を引き継いだ
現二代目中川雅仁会長は
毎朝7時と
毎夜10時に
世界中に向けて
平和・調和の「氣」(真氣光)を
発している
氣功師としての「祈り」の形だ
ワシはプロとして同調している

  祈り F
08/09 (土)

1945年の今日
九州長崎市
原爆炸裂
ヒロシマの原爆はウラン爆弾だったが
ナガサキはプルトニウム爆弾で、ヒロシマより強力だった
ヒロシマでの十分すぎる虐殺能力を知りながら
種類を変えて繰り返したのは
大量殺人武器のデータ欲しさ
(惨いのは事実だが、戦争時では普通なんだ)
「戦争」により
人は簡単に「悪魔」に変身する
自分(自国)の利益の為に
「正義」という言い訳を用意し
戦争を正当化する
歴史において
正義以外の戦争は無かった
つまり
正義を持ち出したら
悪魔に乗っ取られている証拠
自国の危機を避ける為?
避ける為に
より強い力で恐怖させるのは
初期段階にしか抑止力にならないと
愚かな過去から学ばなかったのか?
未だに同じ言い訳をするバカモノが
この国には横行しているが・・・
そんなモノで戦争が止まるなら
歴史上の戦争はほとんど無かったはずだろ
学べよなぁ
亡くなった人を無駄死にさせるなよ
危機を回避するには
「智慧」以外無いのに・・・

6日がヒロシマ人類初の原爆虐殺の日
そして、生き残った我々は
9日がナガサキ人類最後の原爆虐殺の日
にするのが使命

「戦争」にいかなる「言い訳」も通用しない
今、戦争肯定する政治家と支援者達は
あの時の「悪魔」に変身している

  龍村先生
08/10 (日)

8日の夕方に電話があった
「龍村です」
家族で尾瀬に来て一泊
水上町側の坤六峠を越え
(我が治療院の前を通って)
ホテルに着いたとの事
「時間があったらお茶でも」
美女に誘われても承諾しないワシだが
(ウソだな。猫にだって付いて行くクセに・・・)
師匠様の呼びかけには
何をさておいても駆けつける!
(いつもヒマではあるが・・・)

電話では何度かお話していたが
数年ぶりにお会いできた
昨年に立て続けに出版した本も評判よく
新聞、雑誌で先生のお名前を見ると
身近で会っているような気にはなっていた

一時間余りの時間ではあったが
やはり貴重な話を伺えたし
私の最近のレベルも観ていかれた
ありがたい
私には(ワシではない)
「師匠」と呼べる人がいる
もちろん
これからだ
「師匠」はいつでも
「未来」を意識しているから
私も「未来」に向かうのに
心強い
見えない世界に道標があるのは
ありがたいし
私も道標の一つに
なりたい

  総合ヨガ
08/11 (月)

先日の龍村先生にお会いする3週間前から
「総合(ホリスティック)ヨガ」の教室を考えていた
先生には道場に通っていた時から示唆されていた
体が不自由でも、お年よりでも学べるヨガ
「健康」の意味を知り、暮らしに活かせるヨガ
病気をキッカケとし、健康に変身できるヨガ
あらゆる問題に対応できるヨガ

道場での学びが
その後の
多くのクライアントと接し
治療を通じての学びと融合して
「総合ヨガ」として指導できるかな?
と最近、感じていた

龍村ヨガは
一般のアサナ(いわゆるポーズ)中心ヨガとは
別次元のものだ
また
怪しげな宗教に利用されるような
「教え」とも別次元だ
ヨガに「教え」は無い
ヨガにあるのは
「結び」への哲学と「気づき」
しかも
その人なりの「暮らし・生活」に活かせてこそ
初めて「ヨガ」となりうる
「特殊」は「ヨガ」じゃない

ワシはワシの内では融合しているし
ワシ流であっても指導できる
しかし
教室として立ち上げたり
広めたりする事が・・・得意で無い
龍村先生も得意では無いようだが
人徳で周りからのサポートがある

さて
どうなることやら?

  月と火星と流星と
08/12 (火)

今月は観月(かんげつ)ともいう
今月の満月は今日から明日
しかも6万年ぶりの火星大接近と並んで見える
しかも、しかも
ペルセウス座流星群が極大に見える夜と重なる

星と月の変化が重なる時
地球上でも変化が起こる
それは生物の体調や心にも変化が起こる
人間の心が乱れる
(って、ここ100年間、
人類は、乱れっぱなしじゃん・・・
更に乱れるのかぁ?)

ワシの心も乱れっぱなし・・・
だから
少しだけでもマトモに戻そう

こういう時はどうするか?
今月の別名を思い出してみよう
観月・・・

変化月は心を乱すが
その月を観る事により
一段進んだ調和(幸運)をもたらす
「乱」を直視(観)すると「和」になるのだ
この世の仕組みはヒネているのだなぁ・・・
つまり
災いは転じて福となるチャンスでもあるのだ

今夜は雨かもしれないが
「見え」なくとも「観る」事は出来る

今夜は6万年ぶりのチャンス(来月もあるよ)
大宇宙を
「観る」事をお薦めする

ワオォ〜ン

  量子物理学
08/13 (水)

今日の新聞のトップ
「物理学、30年ぶり新局面!」
量子物理学なんて一般には関係無いと
思っている人が多い
「この世」の仕組みを物理原理から解明する学問が
「物理学」なんだ
だから、皆さんの考えの基礎でもあるんだ
物理学を基にして人間社会構造が出来上がっているのだ
学校も会社も地域行政も法律も社会常識も・・・
ところが、この常識がねぇ・・・
400年前から、この世の解明は
「目に見える出来事中心」の学問主流になった
(物理学という言葉も同時に生まれた?)
物理学は哲学の一つとしてあった
哲学は一般に染み渡るまでタイムラグがある
この時間のズレは200年以上だ
未だに社会常識は400年前の
ニュートン力学主流であり
100年前のアインシュタインの
時間と空間に関する特殊相対性理論さえ
一般的とはいえない状態なのだ
「速度が増すと時間が短くなる」
この理論はマッハを超える世界一周ノンストップ飛行機と
コンマ数桁以下の精密時計が揃って、やっと実証された
つまり、一般社会の科学万能主義の基礎は
とても遅れているのだ
むしろ
それ以前の
「目に見えない出来事を上位」とする時代のほうが
本質を見抜いていた、という事になる
これは世界中が同じだったんだ

アインシュタイン以後
物理学は「目に見えない量子物理」に(少し)進んだ
そして最近になり
さらにその先の新素粒子物理学になった
「科学」の長所と短所は
「理論」と「実験」での証明
今回も「理論」はあっても証明が出来なかった
なにしろ「目に見えない世界」だ
大掛かりな設備と巨大な予算とプロジェクトチーム
それによって今回
「矛盾する結果」が現れたのだ
この「矛盾」が「新発見」
面白いねぇ科学者って・・・
「矛盾」は「この世」に常にあるのに
それを「新発見」と騒ぐんだなぁ・・・

ワシのいう「いいかげん」
体も心(意識)もこの世の仕組みも
「矛盾だらけ」
最先端の量子物理学の世界は
古(いにしえ)の真理を
少しづつ証明しようとしている

でも科学者が証明しなくても
真理は変わらんけどねぇ
証明できなくても
解る人には解るし・・・

  お盆
08/14 (木)

日頃失念している
「先祖様」に波動を合わせる期間

肉体のDNA的にも
霊的な魂の繋がりでも
先祖様と自分が「一つらなり」の存在
この途中の何処にも
切れ目が無い
これは、「事実」

一般的には
先祖様を敬い、供養する、と思われている
だが
先祖は「この世」では
「自分」に集約されている
つまり
先祖を敬うとは
自分の肉体と精神を
大切にする志を確認する事でもあるのだ
象徴として
仏壇やお墓参りをするが
本当の供養は
坊さんに拝んでもらう事でもなく
思い出話をする事でもなく
供え物を上げる事でもない

自分を大切にする
それは
「先祖と子孫が喜ぶ事」
そう
「未来の先祖・未来の自分」
を導く大切な行為は

自分の肉体を
慈しみ
喜ばせ
愉しませる
真の健康を
意識し、行なう

先祖様への
本当の供養を
行なおう

貴方は
大切な
人なんだ

  終戦の誓い
08/15 (金)

終戦記念日という言い方に
どうしても違和感がある

人間の心の中には
「他(人)を滅しても、自分の思いを通す」
という部分が
「事実」としてある
同じ心の中には
「他(人)と自分は同じだから
争いの未来は全ての滅亡しかない」
という理性(この世の真理を観る目)もある
これも「事実」
しかし・・・
「思い」の中に
「守る為」という大義名文をつければ
他への攻撃が「自分の滅亡」という理性を
狂わす・・・
これが
「戦争」!

「滅亡の種」も「明るい未来の種」も
個人の心の中に最初から最後まで備わっている
どちらも無くす事はできない
だからこそ
「不戦の誓い」
「不対立の誓い」

「誓い」は
「生き方」なのだ

過去の終戦記念日では
未来に続かない
最近の日本と世界
これが証拠だ

未来を続けるには
「無対立の生き方」しか無いのだ
マハトマ・ガンジーは
70年以上前に
人類に示した
人類は
未だ
理解できないでいる

勘違いしないで欲しい
戦争で亡くなった
全ての「生きとし、生けるもの」達を
無駄死にさせるのは
今の
戦争肯定者だ

「不戦の誓い」を
個人個人が意識する事が
戦死した全ての生き物を
活かす

  守る
08/16 (土)

この雑記は「いいかげん」をモットーとして
「いいかげん」をもっと・・・
なのに・・・

今月は「戦争」からみの話ばかり・・・
戦争は政治家達の責任だから
薄汚く、欲油ギトギトのボケた
オッサン達(オバサンもいるぞ)を登場させてしまう
ワシはとても不本意である
ワシは柔らかな肌の
明るい笑顔のオナゴに登場して欲しいのに・・・

で、今日も「不戦の誓い」の続きだ

昔から「好きで戦争をしたがるオッサン」は別として
兵士の殆んどと
その家族の全ては
「殺し合いは嫌」なのだ
相手も同じ立場だという想像力は
政治家以外なら誰でも持っているのだ
(最近は政治家以外もアヤシイが・・・)
だが
「国を守る為」
「家族を守る為」
「愛する人を守る為」
と言われたら、参加するしかなかった
結果として
国も家族も愛する人も
戦争では守れなかったのに・・・
これは「事実」なのだ
イラク虐殺戦争でアメリカの平和は
守られた?
いいや、これからも
ず〜と命の危険を近づけただけだ
イラクの人は
国を家族を愛する人を
守れたか?
怨みこそ増えたが
平和にはならない
アメリカを始めとする戦争支援国を
決して許さないだろう
どうだ?世界は
平和になったか?

国を守る
家族を守る
愛する人を守る
そのための「行い」を専門的にする為に
「政治家と役人」という職業が出来た
国内的・国外的に
「智慧」を使い
全ての国民の幸せの未来を
導く為の存在じゃないのか?
つまり
「戦争を肯定する」のなら
「政治家や役人」の無用・無能を表明するべきだ
どの国にも政治家がいる
この意味が政治家達には解っているのだろうか?

国を家族を愛する人を
「守る」為

その後に続く言葉なら
「殺し合いに進まぬように智慧を出し合おう」

智慧も出せない政治家や役人
そしてエラソウなコメンティター
戦争を理由をつけて肯定する人達
「あんた等は、国・家族・愛する人を守る為に
い・ら・な・い・!」

  ハチャメチャ
08/17 (日)

今月は雑記がマジメになっている
常々主張しているが
マジメばかりが横行するようになると
とても住み難い世の中になっている証拠だ
マジメと不マジメが適当に混ざり合って
悲しみや怒りより笑顔のほうが多い
ゆるやかな暮らしが出来る世の中が
パラダイスという

「いいかげん」を自覚しているワシが
マジメなコメントばかり言っているのは
とても社会が危険な状態なんだ
武器が活躍して人が殺されるのが
戦争の始まりじゃないんだ
歴史を調べてごらん
戦争の始まりは
国民のほとんどが知らないうちに
準備を整えている時なんだ

ほら、不マジメ大好きなワシでさえ
ついつい警鐘言葉を並べてしまう・・・
これでは、明るい未来は遠のいてしまう
ここは、心をオニにして(オニはマズイなぁ)
下品に振舞おう(そういう展開かよ!)

いやね
昨深夜のTVで
お笑い芸人達の、とても下品な番組を見た
○けし軍団というハチャメチャな連中だ
ワシはハチャメチャが無条件で好きだ
ワシの内には、狂気に近い笑気があるのかも・・・
すぐ人前(TVカメラ前)でスッポンポンになる
オッサン同士で(イヤイヤ)キスをする
スケベ・アホ・ハチャメチャを遠慮なく出す
衣服はマトモな社会人の心の殻
スケベに正直なハチャメチャは
世界を救う・・・
(かどうかはギモンだが)
笑いを生み出し、争いを鎮めるのは確かだなぁ

  バランスと調和
08/18 (月)

よく「バランスが大切」とか言われるけれど
あれは間違いだと思う
バランスは調和の指標なんだ
例えば・・・昨日の
「マジメと不マジメとの調和」
こんな事を言われたって
基準や指標が無いと迷うだろ?
これを
「おおよそ6対4の割合でバランスをとる」
と表現すれば見当がつくんだ
バランスが大切じゃなくて
調和が大切なんだ
だからバランスは
人により、時代により、条件により
それぞれ違うのが当たり前
調和を意識すれば
単純に白黒半分半分なんて
あまりないんだぜ

ところで上記の「6対4」
これは100年以上前だったら
「7対3」が基本指標だった
マジメと不マジメだけじゃなく
交感神経と副交感神経の割合も同じ
自然界の基本割合は
「7対3」から
「6対4」に意識して変えないと
「調和」がとれなくなっている
つまり
それだけ自然リズムが崩れているのだ
「力を入れて働く」と
「力を抜いてやすらぐ」の
割合も同じ
今は
「おおよそ6対4ぐらい」
人によって違うから
ワシは怠けすぎなので
9対1ぐらいのほうが・・・と
本妻は言います

  バランスと調和 A
08/19 (火)

調和の為のバランス
だから陰陽バランスも半々ではない
山があれば谷もあるけど
「調和」という視点からなら
半々ではないんだ
「苦労」するから「幸せ」がある
これは完全に間違いだ
「調和状態」を確める為に「幸せ」がある
「苦労は好みの問題だ!」
(おう!なんという鋭い指摘だぁ!
納得できない人が多いと思うが
これはかなり真実に近い言葉だと思うよ)

「悲しい・苦しい・辛い」と「愉しい」では
調和バランス割合なら
1対9か2対8
ところが現状は
その逆になっている人が多い
この世は圧倒的に「愉しい」し
「愉しむ事を体感する場」なのに・・・
けっして「苦行の場」ではない
一つの出来事を
「愉しみ」にするか
「何でも無い事」にするか
「苦しみ」にするかは
本人の選択なんだけどなぁ・・・

以上の「真実」(この言葉を断定するようだと怪しいよ。
真実は人でいる間では不明なんだ)から
オトコは一人のオナゴとだけ付き合うのは
自然界の調和を乱す!
バランス割合は
1対3!(根拠無し!)
(そういう展開でいいのか?
オナゴから反発が来るだろうなぁ・・・)

  バランスと調和 B
08/20 (水)

この二人の関係を知る事は、結構重要なんだ
多くの人が恋人か兄弟のように思っているようだ
エライ先生方の中には、同一視する人もいる
ところが・・・
主従の関係なんだなぁ・・・
もちろん、いつだって、どこだって
「この世」でも「あの世」でも
「調和」が最高位の王様さ

バランスだけでは解決にならない
例えば・・・食事バランス
それまでとの比較としてなら
バランスを考慮すれば
「マシ」になる・・・が
問題の「解決」には中々ならないのは
多くの人が体験しているだろう
バランスを意識した健康食品
思ったほどの解決にはならないと
多くの人が思っている(違いはあるけどね)

バランスは
「調和」に到る
一つの具体的方法なんだ
必ずしもバランスを考慮しなくても
「調和」は成り立つ

人間世界を観る
力と力のバランスばかりで
国と国を動かす
それで「世界」を
考えようとする
その結果が
この時代だ
とても・・・危うい

間違いに気づけよなぁ

バランスを意識するより
「調和」を意識する事が
とても大切な時代だぜ

  バランスと調和 C
08/21 (木)

体と心の話だ
「統一体」と「開放体」と表現する
「統一体」というのは
肉体的には、力の入った状態
精神的には、集中状態
「開放体」というのは
肉体的に、力の抜けた状態
精神的に、リラックスの進んだ状態

人が生きる・暮らすというのは
この2つで成り立っている
(もちろん、中途半端という状態もある
というより、中途半端が最多時間だったりして・・・)
例えば仕事は「統一体」でこなすもの
睡眠は「開放体」ですごすもの
仕事の中でも
「統一体」と「開放体」を上手く配置すると
能率も成果もより上がる
睡眠も
「統一体」を使う事によって
より深い「開放体」になれる

このように2つは
「バランス」を意識して行なうと
暮らす・生きるが楽になる方法だ
人社会の中では
とても役立つコツでもある
ワシは龍村道場で学んだ
だが
ヨガには段階がある
さらに・・・先

体と心の「調和」は
体が「統一体」の時
心は「開放体」
ある時は
心が「統一体」で
体は「開放体」
世界のトップクラスのスポーツ選手や格闘家は
この「調和」を意識しているものだ

バランスではない「調和」
そこには
人を超えた世界がある

  出来事
08/22 (金)

時間は出来事の増加
この世では時間が一方通行
だから出来事は増加するだけだ
この出来事の増加を
選択肢の増加としたら・・・

人生は時間と共にある
だからその人の出来事は
毎日、毎年増加する
選択肢がどんどん増加する
つまり
人生は年を加えるほど
広い世界になるって事なんだ

だけど
選択は一つしか出来ない
だから、その人だけの人生になる
結婚した人は結婚しなかった人生を送れない
入院しなかった人は入院の体験は出来ない
どちらも
比べる事は出来ない
別の出来事

どんな人でも
同じ時間
同じ出来事が増加する
ひきこもりの1年は
ひきこもりで無い1年と別な出来事
どちらの人も
1年の独自体験をしている

「悔やむ出来事」は無い
その人なりの多くの体験が増えただけ
その出来事を
「活かす」か「殺す」かで
いつでも明るい未来は訪れる

「出来事」自体に
「良い・悪い」は含まれない
次の選択肢に
「活かす」か否かは
その人、その国の
生き方次第

出来事の全ては
「ラッキー♪」
なぜならば
「生きて」いる事だから・・・

「ラッキー♪」で無い出来事は
たった一つ
「殺す」出来事のみ
殺したら「生きて」いない・・・
この世での選択肢で
「してはならない」
唯一の決りは
「殺す」事だけだ
だから
戦争肯定論者は
生きる価値が無い
どんな「言い訳」をしようが
肯定荷担する政治家・役人
それを支援する人は
自ら、生きる価値を放棄している
そして、他を巻き添えにする
アンタは、もう
い・ら・な・い!
(イラクの現状の出来事から
ついつい、また荒れた内容になってしまった・・・
バカモノ達が認めた戦争だ・・・
ワシは、哀しい・・・)

  出来事 A
08/23 (土)

出来事は選択肢の増加
一つの出来事があった時
そのまま先に進むか?
もう一度元に戻って
選択候補の一つに加えるか?
ここは大きなポイントだ

出来事を受身として流されると
人生は狭く、苦しみ・悲しみが多い道となる

出来事を単体の出来事と認識し
自分が主体となって、改めて選択するか否か?
どっちにしても、道は広く多くなる
当然、愉しみ・喜びが多くなる

さらに
出来事は道だけじゃなく
フリーゾーン(自由広場・癒しの場)として
増やす事もできる

道だけを歩かなければならないと
多くのマジメさんは思ってしまうようだ
だから、道を外れた時に
苦しむ・悲しむ
自分の意志で道以外に行くのは
道を歩くコツとしても、とても大切なんだ
道にも愉しみも喜びもあるが
そこは道以外の
愉しみ・喜び・癒され・癒しがある「場」

そこは「道」ではなく
いつでも行ける
フリーゾーン
ワシの仕事は
このフリーゾーンだ

多くの人が気軽に寄って
愉しみ・癒し・喜び
「いのち」が高まり
その人の道に戻っていただく
そういう「場」を目指している

いままでの人生に
一つ増えるフリーゾーン
(ディズニーランドみたいなもんだ
そんなに良かぁねぇかぁ・・・)
来る通路さえ開ければ(縁さえあれば)
いつでも、気ままに来て下さいな
いつでも、歓迎!

  出来事 B
08/24 (日)

出来事は贈り物
地震・雷・火事・政治・・・
グレちゃん(注・グレートサムシング)からの
贈り物だから「良い・悪い」は無い
グレちゃんからの贈り物だから・・・
全て「ありがとう」
贈り物には
「ありがとう」で応えるのが
どうやら、宇宙の理・・・らしいよ

ここが我々人間には、ちょっとツライ・・・
地震で辛い、悲しい目にあって
「ありがとう」は・・・ツライなぁ・・・
ワシなんか
こんな政治・行政に
「ありがとう」は・・・言えないなぁ・・・
政治はグレちゃんからの贈り物と違うだろ!
政治はグレた人間がしていることだろ!
と、思ってしまう・・・
そうなんだけど・・・
グレた人間の行為を含めて
「出来事」なんだ・・・
感情的には・・・ツライねぇ・・・

「ありがとう」と感謝する事
それは「出来事」を受け入れる事
だけど
それを選択肢に加える意味は
「出来事」に従う事でもなければ
言いなりになる事でも無い
あきらめる事でも無い
そこから先は
貴方の「自由」
そこから先が
貴方の「生き方」
基準は
愉しく・嬉しく・気持ち良く

  出来事 C
08/25 (月)

病という出来事
怪我という出来事
「なんで私だけが・・・」
「何も悪いこと、してないのに・・・」
これもグレちゃんからの贈り物?

実は・・・そうなんだ
しかも、ヒネくれた仕掛けまでしてある

故お師匠様の「癒し場」で
多くの難病・奇病・重病さんを観た
病が消える
消えないけれど、解決する
その過程には共通する意識が幾つかあった
その一つが
「病に感謝」だった
「病という出来事」を受け入れられない時は
なかなか回復・解決しなかった
それが
「出来事を認めた」時から
明るい道が開いてくる
もっと前向きに
「病と出会って、ありがとう」
となると、奇跡的な変化がある

グレちゃん(グレートサムシング)は
ヒネクレモノ・・・なんだ
嫌な事に「ありがとう」なんていうと
出来事が消える

そういえば・・・故お師匠様は
「難が有って、有難う」と
よく言ってたっけなぁ・・・

何一つ不必要な「出来事」は無い
「全ての出来事は必然」

未来に活かすために
あらゆる出来事が起こる

  バーチャル・ストアー
08/26 (火)

インターネットの世界は距離が無い
ウェブ上で企業との提携が出来る
そこで、新たなな販売形式が出来た
HP上にいろいろな企業との提携商品を並べた
ショッピング・ストアーがバーチャルでオープン出来る
ワシも・・・開店してみた
リスクは何も無いし・・・
結構面白い商品があったし・・・

HPを持っている個人がどのくらいいるのか知らないが
小学生でも主婦でも店が持てるんだなぁ・・・
いままでなら
ネットワークビジネスでも負担金があった
中には負担金だけで商売する
いわゆるネズミ講マガイも多い
このインターネットが普及活用されると
実質の商材が動いた時だけ利益が発生する
ある意味、極めてマトモな「商い」になる
賄賂も裏金も無い
購買者と製造販売企業と販売者だけで
商材の移動も直接だからロスが無い
その代わりに
今までの「お店」はますます厳しくなる
販売者と購買者の境もアイマイになる
それぞれが販売者であり、購買者

それにしても・・・
いろいろな商品があるし
北海道や沖縄や海外の品物でも
たちまち手元に届く時代なんだなぁ・・・
(何を今更・・・だよねぇ・・・
でも、子供時代を昭和30年代に過ごした身では
自分の好みのモノが簡単に手に入り
それは北海道でも沖縄でも翌日届く
さらに、今回のようにワシ自身が
その品物を簡単に売る店を出す・・・
改めて・・・時代が速く流れていると
感じているんだ)

  世界陸上
08/27 (水)

100mのスタート時
「フライング」の判断で選手の一人が抗議した
スターターブロックにかかる圧力を機械測定し
スタート発射音から0.1秒以内に反応した場合
「フライング」失格にしたからだ
選手は「動いてない!」と言い
VTRからも動いてはいなかった

これに関してのコメントの多くは
「ルール」だから・・・
でも、心情は解る気がする・・・とか

人間の反応速度限界として
「科学医学的」には0.1秒は正しいのだろう
ところがワシのように
「科学医学的」から外れた治療をし
それを受けたクライアントも
「科学医学的」から外れた反応をするのを
当たり前のように見ていると
今回の話は「ヤマ」を張ったかどうかという事ではなく
「科学的根拠」の見直しだろうと思う

世界の一流選手は
肉体的常識などやすやす破るから「一流」なんだ
今回がどうであるかは誰にも不明だろう
だが、0.1秒を切る可能性は十分にある

科学的はいつでも変更して来ている
「科学的は不備中」という「事実」から
すぐ目を背けてしまう世論は・・・変だなぁ・・・

ついでにいえば・・・
「ヤマ」を張るのもスポーツ技術の内だろ?
「ヤマ」を張らない選手は選手になれんだろ?

  火星
08/28 (木)

6万年ぶりの大接近
ワシは火星とは共鳴しないけれど
星を見るのは好きだ
共鳴する異星人はいそうだが
ホントかどうか、よく判らない

ワシが美童だった頃・・・
小学3年生だったかな
庭先で大きな未確認飛行物体を見た
ワシの意識している最初のUFOだろう

月が出ていた
満月だった
よく晴れていた秋だった

山嶺と空との境から
月と同じ大きさで
月と同じ輝きの丸いモノが
2つというか1つというか・・・
鉄アレイ状態で出て来た
今でも山の辺縁の木々が
明るい光ではっきり見えたのを思い出す

空飛ぶ明るい鉄アレイは
空の真ん中までス〜と来て
引き返して、山の陰に消えた

ワシは家にいた、6才上の兄を呼んだが
兄が外に出て来た時には遅かった・・・

その後、雑誌で似たような形を見つけた
プラネタリウム
「どうやら、夜空で見るものらしい」
その頃のワシは、そう思い込んだ
だから、ワシは(結構)長い間
あの鉄アレイのようなプラネタリウムというのは
空を飛ぶモノだと思っていた・・・(^_^;
情報の無い山の中の、純朴な美童だったのだ・・・

十代の終り頃には
続けて何度も変則的飛行軌道のモノを見た
そんなの、慣れっこになった
だから、TVなどで
「本物だ!偽物だ!」なんて聞くと
少し違和感があった
だって・・・
例えば・・・雲
消えたりするけど
今更、本物だの偽物だの議論しないだろ?
そういう議論をする事自体が
不思議な人たちのような気がした
今はこういうライフワークに出会い
「氣」に関して
「本物・偽物」議論に加わらないのは
そういう人もいるのだ、とキチンと認めたからだ
人は様々
目の前の変化に目を塞ぐ人に
無理に納得させる必要はないしねぇ・・・

そうそう、火星の話
火星人だか、火星生物だか、生命体だかは
それぞれの
内なるモノとの共鳴を観て
それぞれの段階で
「自分で判断」しなよ
科学者でも、それによって結論が違うから
科学的を信じると迷宮に入っちゃうぞ
星は
自分で観るモノだぜ

  槍ヶ岳
08/29 (金)

今朝のTVで北アルプスの槍ヶ岳を映していた
頂上のすぐ近くの槍ヶ岳山荘に関してだった

ワシが20代の独身美青年の頃
(もう、美青年はいいって・・・(^_^; )
風雨の中、槍ヶ岳に登った
そこから北・奥・前・西穂高の縦走だった
雨霧風で、槍ヶ岳頂上に登る物好きは
ワシ等の3人パーティだけだった
とても狭い頂上は風が強くて立ち上がれず
四つんばいで祠に手を合わせた思い出がある
ワシはその頃
いまよりもバカだったせいか
高いところが好きだったようだ
遥か下に続く崖っぷちが
どこか・・・好きだったようだ
今も生活は崖っぷちのままだが
今は・・・好きではない・・・と思う
でも、安全な道は物足りない
だからといって、危険な道は・・・もういいや
不思議な道は・・・大好きではないが
どうしても心惹かれてしまう

奇妙な道
常識外の道
不思議な道
歩いている事には満足している
暮らしは常識内の出来事だから
とても苦労するが・・・

いつか
もう一度
槍ヶ岳に登ろうかな

  槍ヶ岳 A
08/30 (土)

槍ヶ岳の頂上はとても狭い
日頃の行いが悪いせいか
せっかくの見晴らしも風雨霧の中にいた
姿勢を低く四つんばいになり
風に飛ばされまいと気を張るので
いっぱい、いっぱい・・・
だから、頂上といっても何も見えない・・・
視界は1メートルを切っていた

それが、次の日にはカラリと晴れた
日本で3番目に高い山、奥穂高岳3190mを超え
前穂高岳から見た槍ヶ岳は
北アルプス銀座といわれる多くの山頂峰の中でも
独り・・・立っている・・・
オトコの理想形だ
群れない
媚びない
独自のスタイル(生き方)
虚勢を張らず
自然体でありながら
リッパに・・・立っている!
(う、うらやましぃ・・・)

ワシは肉体の衰えを意識できる
今の年齢になって
オトコの立ち方を考える
若いときの勢いではなく
群れでも孤立でもなく
丸くもなく
独自に
立つ!
そんなオトコを目指している

  葉月最終日
08/31 (日)

葉月は最終日になったけど
8月の他の旧名「観月」は
火星の大接近もあり、来月も楽しみだ

日本では冷夏長雨だった
ワシの住む群馬県北山間部は
暑い日がほとんどない
何か日本の政治界とダブってしまって
今月の雑記は不本意だったなぁ・・・

ワシは「光」をウソに織り交ぜて
スケベとC級ダジャレで「ほんわか」と
文章を綴るのが水上流の駄文だと自負していたのに
今月はマジメに硬くなっていたなぁ・・・
硬くなっていいのは一部分だけのに・・・

「上虚下実」という言葉がある
心身の健康状態の指標だ
体の上部は柔かく
体の下部(丹田)に「氣」を充実させる
上部は頭でもある
つまり、考えは柔かく
チンチンは硬く・・・
(師匠の教えをそのまま繰り返すようでは見込みがない
天才(アホ)の弟子は、独自の表現をするものだ・・・
アホではあるが、意味は深いかも・・・)

「オナゴはどうする」って?
ほら、すぐ頭で考えようとする
太古から遥か未来まで
上も下も真ん中も
全て柔らかいのが上等なんだ
オトコはいつでも(硬い部分だけ)
オナゴより劣っているものさ

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