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  夜長月
09/01 (月)

旧暦名、長月
もう、秋なんだなぁ・・・
ところで、歴と節気は違うんだ
太陽の位置から季節の目印としたものが24節気
(太陽暦5月初旬に)「暦の上ではもう立夏です」
なんてコメントをするが、大間違いなんだ
「立夏・大暑・立秋・大寒」などは節気
しかも、節気は地域によっての目印で
日本で使われているのは、どうやら
中国の揚子江の中辺地域らしいよ
日本も縦長だから、この節気に適合するのは一部なんだ
今月の節気は「仲秋の白露と秋分」
先月は初秋だったから、今月は仲秋なんだ

歴は本来農作業に関係した言葉から出た名前が多い
だけどワシは人間の営みに関係した言葉が好みだ
だから、今月の歴名「夜長月」は
恋する人を想う夜が長い季節だから・・・
という説を好む
まぁ、ワシ自身は横になると
例え悩みがどんなにあっても
すぐ眠ってしまうから夜長月にはならんけどねぇ

「このまま、朝なんか来なければいい・・・」
「僕達の出会いは、遅かったのか・・・」
夜の逢瀬しか世間は許さない、忍ぶ恋の二人は
長い夜にお互いの体温をゆっくり融かしていった・・・

(夜ならいいのか? というより、
世間は許す・許さぬという権限があるのか?
というより、「世間」は死語じゃないのか?
別に、迷惑かけなきゃどうでもいいよ
というツッコミは入れないで下さい。
恋する二人は、無理やりにでも障害をつくらないと
最近は燃えないもんで・・・(^_^; )

  生命即神
09/02 (火)

龍村師匠の師匠様の故沖正弘師の言葉らしい
この言葉は、最初はピンとこなかった
それまでのワシは
生命を「有限」のモノとしていたし
生命が「無限の魂」としても
個々のモノとしていたからだ

今はこの言葉に同調する
意味の深さに辿り着いたかどうか不明だが
そう、その通りだぁ!と思える

心は個々のモノ
結構・・・クダラナイ塊が多数ある
綺麗な立派な塊も多数ある
でも・・・個々のモノだ

魂・・・
心と体の体験を通して
無限に成長するかもしれないが
神に融けるまでは・・・個々のモノ


これがポイントだった!
体が「神」さんのモノと知って
生命の観方が変わった

肉体がこの世に生まれ
「死」という滅びまで
個々に属するから「個々のモノ」と
考え違いをしていた
個々が専用に使用するが
個々のモノではなかったんだなぁ・・・

だから
心なんぞどうでもいいけど
(どうでもはよくないなぁ・・・)
体は敬意を払って使うモノなんだ

その体の動力源が「生命」
それは、どうやら「神」の末端
末端でも本質に変わり無い

生命は即、神なんだ

「生命」を真っ先に信じないで
どうして健康になれるんだ?
神と生命を信じないで
どうして幸せになるんだ?

「信じる」相手は生命と神
人間はマジメでも一所懸命でも
間違えるし迷う
だから「信じたい」気持ちはわかるけど
「信じる」のは間違いなんだ
人間は間違え、迷うから
「愛する」相手だぜ
「信じる」と「愛する」
ゴチャゴチャにするなよなぁ

「神」という言葉を使ったからって
「人間の作った宗教」とは関係ないぜ
人間の考えた、作った宗教から
「神」は別次元な存在なんだ
本気で「神」を感じたかったら
宗教組織からは離れなよ

今日は・・・神を語ったから
一日・・・不マジメに過ごそう
人間らしく・・・不純を愉しもう
(ワシは、バランスを重視しているから・・・)

  生命即神 A
09/03 (水)

常々思う
ワシは不親切だなぁ・・・
言葉が足りないのは
説明するのがメンドウだったり、忘れているからで
ワシがどう誤解されても
誤解を解く努力をするより
誤解されっぱなしでも
それほど苦にならない性質だからで
結局、かなり自分勝手なんだな
まぁ、いいやぁ

以前に紹介した佐藤初女さん
「私はメンドウという言葉が嫌いです!」・・・
もうしわけありません・・・
ワシも好きじゃないんだけど
向こう(メンドウ)が寄って来るので
「来るモノ拒まず、猿は追わず」という家訓もあるし・・・
つい、可愛がってしまいます

無駄話は好きだけど・・・戻そう
昨日の「体は神のモノ」の説明だった・・・

ワシにとっては何の違和感もない言葉だけど
どうやら多くの人は
「私の体、どう使おうと勝手じゃない!」
などと威張る・・・困ったなぁ・・・
「あのぉ〜、その体、アンタのモンじゃないんだけど」
納得してくれんよねぇ
固定概念を外すのは容易じゃない
だから、ワシはメンドウになって
「解らん者に何で説明せにゃならん!」と
不親切になる・・・

アンタは「魂」が本質体
この世(物質界)に来る時
ボディレンタル屋で借りてきたの!

でも・・・その事を忘れているんだもんなぁ・・・
どう説明するのさ?
人間って、無責任だよねぇ
この世以前の事は忘れているだけなのに
「覚えてないから、無い!」と無茶を言う

ワシが言うのもナンだけど・・・
自覚って、いつかしなけりゃならん事だぜ

  生命即神 B
09/04 (木)

生命即神
この言葉の前では
神がいる、いない、の議論は成り立たない
生命・アンタがいる、いない、は議論にならない
当たり前
「当たり前」の別名が「神様」
(ちなみに、カミサンは当たり前と思わぬ事だ
予想を裏切るのが人間だから・・・)

神様というと
とてもエライというか、スゴイというか
何とも表現できない存在
だから
ワシやアンタのようなロクデナシにも
「当たり前」に付いていてくれる
生きている事自体が、神様と一緒
どんな、クダラナイ事をしても
呆れず、怒らず、手助けもしないで
その時が来るまで、付いていてくれる

生命即神

この意味に感応すると
感謝以外、しようが無いじゃないかぁ
ワシのような不マジメでも
同じなんだなぁ

だから
生きてさえいてくれれば
十分
なんだ
そんなにリッパに
そんなにマジメにならなくても
いいよ

ワシの言葉じゃないから
自信持って贈るよ

生きるのに疲れた人へ

生命即神

  プロスポーツ
09/05 (金)

世界のトップ、あるいは一流選手を見ていると
ワシの扱う「氣」の世界と交り合うと思える
トップのほとんどの選手は
いつも「氣」を意識しているのだろう
一流でなくてもここ20年くらいは
イメージトレーニングとして取り入れている
あれも意識からの「氣」の活用法の一つだ
もちろんトップはその先の「氣」を使っている

「氣」の活用といっても種類がある
スポーツ・武術で活用しているのは
集中して100%(120%)の力を出す方法だ
コンマ以下の秒数で
記録が塗り替えられる世界だからこそ
トップは「氣」を活用する
これは武術系の集中「氣」だ

ワシは「氣」の活用法でも回復系(癒し・治療)と
自然体(生き方)が専門だ
これもコンマ以下の世界に活用できる
しかし、多くのスポーツ・武術選手にとっては
使わなかった方向の「氣」だ

故お師匠様が
「あと10年もすれば、あらゆる分野で
【氣】を意識する時代になる」
ワシはこの言葉を表面で聞いていたが
よく観れば
トップの世界では昔からだった
やっと、もう一つの意味に気づいた
「氣」の「質」が見直されて
調和系の「氣」の活用される
時代が近づいているのだ

トップの選手
試させてくれんかなぁ
今までの「氣」では超えられなかった
0.1秒の壁は
ワシのような調和系「氣」で
もう一段、動くと思う
さらに
故障からの治療と
その後のリハビリにも使えるぜ
ワシもプロの氣功師として
非常に興味がある世界だ

ワシと組んでくれれば
ワシは世界を観る機会に恵まれる
一石数鳥なんだがなぁ・・・
誰か
トップの選手に伝えてくれぇ〜

  音氣
09/06 (土)

故お師匠様はアイデアマンだった
というか「氣」を取り入れていると
ワシでも発想は次々湧いてくる
違いは・・・
ワシにはアイデアが湧いても
そこから先につなげる根性が無い
根性無しに形は創れぬ
根性は根っこだから、親か神様の責任だと思う
責任とって、棚から現金でも降らせてくれぇぇ

おお、そうだ! そのお師匠様の話だ
お師匠様は「氣」を暮らしに簡単に使えるように
いろいろなモノに「氣入れ」したり
中継装置を作ったりした
その一つが「音氣」という音楽だった
最初は磁気テープだった
「氣」は磁気に「氣入れ」すると
相性がいいのか、積極的に磁力に乗せてくれる
デジタル方式のCDは厳密にいうと
音楽でないので音氣が難しかった
デジカメも「氣」を同調させる写真ではないので
「氣」は写らない、とされていた
今はこの周波数の「氣」がレベルアップして
デジタルでも使えるようになった
理屈では納得できないのだが
そう言われてからすぐに
ワシの撮ったデジカメに「氣」が写った
デジタルでも使えるのは本当だった

音氣はその後CDとなりMDとなった
音氣は音楽に氣を乗せたものなので
ボリュームを絞って聞こえないようにしても
敏感な人は反応する
気持ちよくなり、体が温かくなるのだ

ワシは治療院では朝の開院のマントラから
閉院のマントラまで使っている
一日13〜16時間流しっぱなしだ
それが8年間
「氣」で調子を整えていながら動いていたデッキ機器も
ついに動かなくなった・・・
通常の可動時間を遥かに超えて、よく働いたようだが
モーターが・・・ダウンしてしまった

今まで、ありがとう・・・
そして・・・

  音氣 A
09/07 (日)

空気のように
いつも治療院内で流れていた音氣
無いと・・・寂しいのだ

ワシは出張治療に出かける
プロとなって最初の頃は
水晶などでクライアントの周りに結界を張った
そして、ラジカセまで持って行き
音氣を流しながら氣功治療をしたものだ
その頃は未だ意識だけで
結界を張りながら治療を行なう
今のレベルに達していなかった
意識が一つしかコントロールできなくて
結界と治療の両方同時に使えなかったからだ
この使い方(コツ)も龍村道場でのヨガによって
身体に染み付いたお陰だ

だから音氣が無くても差し障りはないのだが
いつも流れているモノが途絶えると
どうしても物足りない
そこで、すぐ新しいラジカセを買ってきた
やはり、音氣は落ち着くなぁ・・・

故お師匠様が音氣というモノを世に出してから
「氣」の音楽というのは沢山出回るようになった
真似をしたわけではなく
この世はある意識のスイッチを誰かが押すと
離れたところでも同じ意識のスイッチが
ONになってしまう仕組みなんだ
これをライアル・ワトソンは
「百匹目の猿現象」と名づけた
何十年も前の話だ
自然学者の観る力はスゴイ

そして、「氣」を取り入れた
音楽家によるヒーリングミュージックが
多く、世に出はじめた
日本での先駆けとして
今年、次の世界に飛び立った
故宮下富実夫氏がいた
宮下音楽との出会いは明日・・・

  音氣 B
09/08 (月)

もともと音楽というのは天界のモノ
天界のモノだから人間界にも流れる
もちろん餓鬼界にも修羅界にも流れる
畜生界にも地獄界にも流れているのだ
耳を澄ませば・・・
心を澄ませば・・・

もし、アナタが地獄界に行ったとしても
(この六道界は全て重なりあっているから
死んでから行くわけじゃあないぜ
今の生き方がそのまま移るだけ
人間界の地獄界も死後の地獄界も同じ
ワシなんか行ないが悪いから、
人間界の貧困界だぁ・・・)
心を澄ませて天上の音楽を聞ければ
その音楽に導かれて楽しい世界に行ける・・・と思う
芥川龍之介の「くもの糸」は音楽かもしれない

ところが人間だけは変に器用な脳みそがあり
自分でも音楽を作ってしまう
もともと天上界のモノだから
天界からの音を素直に映し出すほど
偉大な(有名という意味じゃない)音楽家になる
つまり、偉大な音楽家の音楽は
自分の才能から生まれたものではなく
心の澄まし方から生まれたものだ
それを邪魔しないようにアレンジしたものだ
ホンモノの芸術家というのは
皆、同じ事をしている
天からのモノを受け取り、顕す仕事なのだ

そういう音楽家の一人に
故宮下富実夫氏がいた

ワシは映画「地球交響曲」に使われていた
宮下氏の曲に心惹かれ
その後、龍村道場の3周年記念でお会いした
つづく

  音氣 C
09/09 (火)

「スペースガイアシンフォニー」という
東京北千住の龍村道場3周年講演には
天河神社の柿坂神酒之祐宮司
天啓画家の龍敬子画伯
自然環境建築家の相根昭典氏
そして
ヒーリング音楽家の宮下富実夫氏という
知っている人ならヨダレがでそうな人達が集まった
それぞれが意味深い話を講演し
言霊・色霊・音霊を感じさせてくれた
宮下氏はハーモニカくらいの横笛で演奏し
そのホンモノの生の音楽の凄さに感動した
違うのだなぁ・・・ホンモノは!

細身で背の高い宮下氏の軌跡は
自署の「天使のいやし」という本に書かれている
成るべくして、成った
こういう人たちの軌跡は
振り返ると、そう思わずにいられない

それにしても
どうして?というほど
人々の癒しと平和に奔走する人達は
早く次の世界に逝ってしまうのだろう
氏は54歳だった

追悼会で龍村仁監督が
「人は死なない、ということがわかりました」
と、深い愛情あふれる挨拶をされたと聞いている
「肉体が無くなっても、魂は生き続ける
肉体を持っている私達が活かしている限り」

私は氏の音楽がとても
好きです

  柿坂宮司
09/10 (水)

昨日の雑記を書いていて思い出した
天河神社の柿坂神酒之祐宮司の事だ
龍村道場では通常の講座の他に
外部からの講師による特別講座を時々開講する
いろいろな先生に講義をしていただいた
アーユルヴェーダのクリシュナ先生
日本独自東洋医学の伊藤真愚先生
頭蓋仙骨療法セミナー
もちろん龍村仁監督
宗教学の鎌田東二先生
天啓画家の龍敬子画伯
合気道の先生
呼吸法の先生
龍村先生以外のヨガ指導者からも学んだ
3年間はかなり濃い時間だった

そんな中、天河神社の柿坂宮司の講座があった
日本の神社の中でも特殊な役目を持ち
非日常現象がひんぱんに起こる天河神社
漫画家の美内すずえ氏などが
あちこちにエッセイで書いているが
その中心人物の神酒之祐宮司の話は
とても興味深いものだった

やがて講義が終り、天河について書かれた本に
柿坂宮司のサインをいただこうと並ぶ

宮司は本を前に一人一人に冥想し
浮かんだ言葉を心を込めて書く
時間など無視し、この一瞬が今生の別れのごとく
サイン一つに心を精一杯込める

こんな光景を見た事がなかった
サインをするのに(しかも柿坂宮司の著書ではないのだ)
命懸けのように接するのだ
「神様との約束」
口だけでなく、生活を命懸けで過ごす
とても・・・凄い人だった
神様と常に接する役目は
大変だなぁ・・・
ワシでは到底無理だ
ひたすら・・・凄い、と思った

  講演
09/11 (木)

今日は久しぶりの講演だった
ロータリークラブだった
経営者組織での講演は初めてだった
30分というワシとしては短い時間だったので
どうしても早口になってしまい
「氣」という解りづらいモノの話は
少し難しいという印象だったようだ

「氣」は森羅万象の元
だから、あらゆるモノを
「氣」から観る、事ができる
今日はロータリークラブという組織を
「氣」から観ると、という話をした

武術気功は簡単にいうと
「氣」を集中して力として使う
医療気功は
「氣」を開放して質を変える
保健気功は
「氣」を巡らせて命を活性化する

ロータリークラブという異業種交流組織は
保健気功にあたる

異な相手と接触し
交流し(双方向)
循環の路が出来ると
その「場」が活性化する

元気ない日本
元気ない地域
元気ない企業
元気ない学校
元気ない家庭
元気ない男性の一部・・・

活性化のヒントはここにある

  講演 A
09/12 (金)

講演は話し手の内容より
聴衆と話し手の間に流れる通路が大事
だから聴衆によって話を変えるのが、上手い講演者だ
といっても、内容を変えるのでは無く
話し方、間の取り方、ツッコミどころ、無駄話の
構成を変える、単語を変える事だと思う
ワシは講演者としては上手くない・・・
まだまだ、自分勝手の構成なんだなぁ・・・

笑って、ツッコミを入れて欲しかったのに
反応を(誰かが)してくれない・・・
間が・・・崩れる
落語家や漫才師に学ぶところは多い・・・

理解力レベルに大きな差がある聴衆の
どのへんに焦点を当てて話すか・・・
・・・・解りやすいほうにするべきだよねぇ・・・

と、反省というか、次回への修正点を見つける
治療に関しては迷いは少ない
修正は自然に行なえる
改めて修正点を見つける作業はいらない
だが講演やセミナーは勝手が違う

治療と講演の違いは
一対一と
一対多数の違い

「治療もいいが、指導もしなさい」
講演も指導ととらえるなら
師匠様は・・・先を読んで言葉をくれた

とにかく、講演は
まだまだ、だと思った・・・

  講演 B
09/13 (土)

保健気功として観た異業種交流の話
経営者という共通点はあるが
業種の異なる人達が集まる
目的を「場」の活性化とするか
個人の利益追求手段とするか
これによって動き方が違う

右肩上がり時期の社会では
「場」は活性化しているから
個人優先の競争社会でも「氣」は回る
負けても、生命力があるからだ

ところが「場」の元気ない時期に
苦しいからといって個人競争をすると
全体の生命力をますます消耗する
それが「勝ち組」「負け組」と分かれる
「場」が衰退していくのなら
「勝ち組の未来」は無いだろ?
消えるモノと
苦しむモノしか残らない
これが経済学者には解っていない
競争社会の活用には「場」の条件があるのだ
「勝ち組」という言葉に踊らかされて
森の砂漠化に気づかない

企業の大きな目的の利益追求の近道は
今の元気ない「場」では
「場」の生命力の活性化なのだ
その方法の有効な一つが保健気功の応用だ

相手(同業種)との接触
そして交流
ここまではどんな社会でもする
例え異業種交流といっても同種なんだ
ホントの異業種じゃないんだなぁ・・・
経営者の集まりだけじゃ、偏りすぎだろ?
学生も主婦も犬も猫も杓子も必要だろ?

例えば・・・
ブラジルカーニバルのおねぇちゃんを
見世物として呼ぶだけなんて
もったいない事をしていないで
意識の交流と循環路を作ればいいのにねぇ
そのほうがスパンの長い活性化になるのに・・・

単なる交流から離れ
「場」のどの部分からでも
一巡りできる循環路
これがこれからの人間社会に最も必要

経営
本来の「経」とは「調和への道」
それを営む者は
社会という「場」全体を導く仕事をする

一部が「勝ち組」になる事を目指して
社会は循環しない
循環しない世界は衰退するしかない

やっと、本来の経営への仕事が
日本でも、世界でも始まったばかり
変革期というのは
意識の変革

こんな話ではなかったが
意味するところは
難しいかぁ?

  台風一過
09/14 (日)

今回の大型台風は韓国の方に行ったため
12日の豚児・豚子の小学校運動会も
13日のこの辺の小学校・幼稚園運動会も
曇り・晴れで催された
そして今日は台風一過の秋晴れ

日本の季節は細かに変わる
今いわれている24節気は
本来中国の揚子江中辺あたりの気候だが
あの細やかな季節の表し方は
中国より日本に適合している
日本は細やかな「氣」配りが
長い間、得意な国だったのだ

それが、ここ40年で急速に鈍感になった
欧米並みという言葉に惑わされ
「氣」を感じ、「氣」配りできるという
世界のトップの素質を忘れた
傲慢と鈍感が自己主張だと思うような
情けない(この字の通り)固定概念の奴隷になった
この40年間は日本の劣ってしまった時間だ

それでも日本は恵まれている
多くの自然が壊されても
細やかな変化の季節はある
不調になり、回復方法が解らなくなったら
自然に学べ
自然の変化に学べ

人が人として生きる
男として、女として
一生を活き活き生きる
年を重ねる毎に
いい顔に変わる
味わい深く変わる
自然に近くなる
細やかな
自然に共鳴できる

生きるほど
心は豊になれるんだ
そのヒントは
細やかな自然にある

  時計
09/15 (月)

起き抜けの夢だった
ほんの一コマ
左手に腕時計があった
「あれ? 何で?」と腕から外した
それだけの夢

ワシは普段、腕時計をしていない
というより腕時計を持ってない

夢の中の時計は昔のデザイン
文字盤に小さな窓があり
「日付自動巻き」というシロモノだった

目が覚めてから
不意に思い出した
あれは・・・高校を卒業する頃だった
親父が自分の持っていた腕時計をくれた
たぶん・・・その腕時計だと思う

父親は家庭を持つタイプの人ではなかった
子供も妻も可愛がるタイプではなかった
長い間、ワシは恨みの心さえあった
生前体を壊し、弱くなってから
特別優しくはできなかったが
少しはメンドウもみられた
亡くなった時には
恨みも未練も全て持って行った
残念を残さず、アッケラカンとした最後
そういう意味では残る家族にとって
とても楽な親父だった

ワシは長い間、親父から
親らしい心使いをされたような
気がしていなかった
親父には親としての自覚が無いと
思い込んでいた

そうだった・・・
時計
もらった事があったんだ
あれ、精一杯だったのかも・・・

もうすぐお彼岸
10年も経ったんだ

  異次元現象@
09/16 (火)

父親が亡くなる一年前頃から
奇妙な現象がワシの内部で再び起こり始めた

2003年7月の雑記帳に書いた
「インナートリップ」の続編が始まった
氣功師になる一年前頃の事だった

形としては「夢」からだった
あの強制的な「勉強夢」
内容については
10年以上たった今でも覚えている
これって・・・異常だろ?
忘れる事だけは特技のワシだぜ
しかも・・・やたら宗教っぽい・・・

だからぁ、人違いだって言ってるのに・・・
ワシ、不マジメすぎて
宗教人になれないって言ってるのに・・・
破戒(法を無視する)タイプの方なのに・・・

オレンジの炎
風と合わさり火渦になる
青の水
風と合わさり竜巻になる
その2つが合わさり
白い空気になる
白と透明は同じ色

こういうのが映像となって
流れ込むのだ
ワシに解るイメージで・・・

例えば・・・オレンジの火炎は
ジェット機の噴射口から
オレンジと青の噴射熱として・・・
やがて透明な炎に変わる
一転して
右手に赤龍刀
左手に青龍刀
両刀を真ん中で合わせると
大きな白龍刀に変わる
同時にその使い方

これで半裸の西洋お姫様でも出てくりゃ
ドラゴンに立ち向かう戦士のRPGの世界
(注・ローリングプレイゲームというTVゲームの話
経験を積んで、主人公達がレベルを上げ
魔法なんかも使っちゃって、大魔王を倒すのだ!)
でも、イロッポイのは・・・出てこない・・・
どうも、基本的にマジメな勉強らしい・・・
困ったなぁ・・・
どうせよ!ちゅうねん

  異次元現象A
09/17 (水)

こんな場面もあった

ワシが歩きながら隣の男に何か説明している
石畳の広い道
正面に5メートルくらいの像がある
肩までしか見えない。顔がわからない像
その像の前に台があった
像を背にし、台を前にしてマントラを唱え
男に言う「ほら!ワシと同じだろ!」
その像とワシは同じモノだと説明している
その像については後日の夢で教わる
このように夢は断続ではあるが
その時に解らなくても
後日になって解るようになっている
後日といっても数年かかる場合もある

この時の言葉の前に呪文(マントラ)があった
この時点で、ワシはマントラを知らない
マントラ・真言・呪文という言葉は知っていても
具体的なマントラを覚えている事はなかった
でも、夢だと唱えられるから便利だなぁ・・・
サンスクリット語だとは見当がついていても
意味もどの宗派の使う言葉かは解らない
後日の夢で
「天・風・火・水・地」という意味だと
教えてくれた(五輪)・・・が
ホントかどうかはわからん

話は一年半後
(故)お師匠様から氣功師にさせていただき
一緒に中国に同行させていただき
その帰りの機内で隣に座った男が
やたらそういう世界に詳しかった
普段は話さないワシのアヤシゲな夢の話を
その男に話すと
「それは大日如来の意味だよ」
でも、夢ではそう教えてくれなかった
もう一度、辞典のようなもので調べると
男の言うとおりだったが
大日如来が「五輪」そのものという解説はなかった
でも、今のワシは大日と五輪(自然)は同じだと思っている
だが、ワシと大日さんとは冷静にならなくても
月とスッポンくらい違うだろうなぁ・・・
確かにワシも自然の一部ではあるが
かなり出来損ないの一部だしなぁ・・・

その機内でその男から
九字印の結び方・切り方を教わった
どういうわけか
スンナリ覚えられるのだ
「ホントに知らなかったのか?」と
疑われるほど一度に覚えた

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前

ワシはますます妖しくなってしまった・・・

  異次元現象B
09/18 (木)

ワシは20才前から精神世界という
アヤシゲでアイマイな世界に関わった
だから、それまでにも多くの本など読んだ
けれど、精神世界は知識ではない
本を読んでも、頭ではなく、体に響かないと
何の意味もない世界だ
知識は害になりやすい世界でもある
本などで教わらなくても
ある時、知識は自然と流れてくる

つまり、全て体験と体感の世界
それだけに、個人的な勝手な判断に左右されやすい
ほとんどが、勘違いと言ってもいい世界なんだ
ん〜・・・この言い方は違うな
理解度によって
勘違いの%が動く世界・・・
この文章自体が、解り難いよねぇ・・・

それぞれを理解できるには
ある時期やスイッチやレベル(?)が不可欠だろう
それでも「ホントか勘違いか最後まで不明」なんだ
不思議体験をしてしまうだけに
「真実」と思い込んでしまう
とても・・・危うい世界

それまでにも「般若心経」は知っていた
有名で短い最強の経と云われている
いろいろな解釈の本が山ほど出ている
この時期
「般若心経」がスンナリ入って来た
頭というよりも体で納得できるほど
意味が理解できるのだ
アブネェなぁ・・・

もともと短い経ではあったが
暗誦する気はなかったのに
「覚えろ!」と突っつかれているようで・・・
1・2日で暗誦し
5日で写経できるようになった
下手な字で何枚も書いた
兎に角、突っつかれていた時期だった
アブネェかなぁ・・・妖しいし・・・

でも、ワシの今の仕事に、この心経は
とても役に立っているのだ
開院と閉院はもちろん
仏事やその他の時に暗誦する
浄化力の高い「氣」の経なんだ

いつか
ワシ流のグレた文体で解釈してみよう

  異次元現象C
09/19 (金)

般若心経に続き
「観音経」を覚える気になった
延命十句観音経ではなく
法華経普門品25の全編
これは坊さん達は通常は
後編の偈(げ、と読む詩の事)だけを唱和する
前・後を誦経(ずきょう)すると30分くらいかかる
とての長い経だ
これは覚えるのに1週間くらいかかった
今ではもちろん無理
前編はほとんど・・・忘れた・・・
その他にも
「大悲心陀羅尼」
「消災妙吉祥陀羅尼」なども覚えた

何のために?
覚えながら疑問だった
今更、坊さんになる気も無いし
なったら、破戒僧に違えねぇし・・・

それでも友人の父親が亡くなったり
我家の法事などで仏壇やお墓で誦経した
心がこもっている分
(マトモな坊さんに失礼だなぁ)
ワシのほうが、いいかな、と傲慢な気持ちだった

覚えて半年後
ワシの父親が亡くなった
「この為か!」
親孝行が素直に出来なかったワシが
この経で送る事だけは、させていただいた

このように時間のズレがあり
している意味が解らない現象だった
それにしても今、ほとんどまた忘れていて
意味ねぇじゃん!
(だから、人違いだと言ってるのに・・・)

亡くなった父の49日法要の日
ワシは生駒山で「氣功師」になった

  異次元現象D
09/20 (土)

何故簡単に経が覚えられたか?
それは同時に経の意味が流れ込んで
わけのわかんねぇ言葉の羅列ではなかったからだと思う
この期間、ワシの頭は珍しくクリアーだった

ワシはたまに頭がクリアーになる時期があるのだ
高校2・3年生の文字中毒だった頃
一度読んだ本の何ページの何行目に
何という字が書いてあったかまで覚えていた
ああ、それなのに・・・
近頃は反動で、本妻の名前も忘れそう・・・
「百恵? しのぶ? ゆうこ? あれ?」
オシッコ後、仕舞う前にチャックを上げる・・・
「痛ぇ!!」(それって・・・ボケじゃないか?)

経にしろ経典にしろ
方便か例え話で書かれている
そうでないと意味を顕せないからだが
読む人が方便や例え話を解き明かせないから
トンチンカンな「教え」を創ってしまう
どうせバカな信者にゃ解んねぇだろうと
教会や宗派の都合のいいように解釈する
これはワシのヒネクレタ話ではなく
仏教にしろ、キリスト教にしろ
歴史上の「事実」なんだぜ

その方便の意味が、この時期
(ワシ流だと思うが)解るのだ
聖書も読み返すと、教会解釈と違い
キリちゃんの言いたい事が解る・・・気がした
聖書はキリちゃん亡き後
ずいぶん勝手に作り変えられていたが
教会関係者には意味の解らんところだって
たくさん残っている
だから、キリちゃんの言葉も残っている
それが・・・スゴイ!と思った
教会も信者も信用できないが
キリちゃんは・・・スゴイ!
キリちゃんの言葉のカケラしか残ってなくても
聖書はスゴイ!
(今もですが、特にこの時期、ワシは傲慢でした
こういう書き方を気にしないで下さい)

仏典の場合、書いた人は
仏陀の教えを冥想を通じて顕すモノが多かったせいか
聖書ほどデララメは入ってない、と感じた
あるレベルの冥想は自分の考えが入りにくいので
ブッダちゃんと通じてしまうのだ
(傲慢な書き方をお許し下さいませ・・・
天誅は愚かな政治家に先に落として下さいませ)

  異次元現象E
09/21 (日)

特殊な体験をすると
「もしかして、自分は・・・特殊!」
「自分は特別エライ!・・・ワシは最高!」
「天上天下Youが独走」
こうなると、アホは止まらない
「人類のリーダーだぁ!世界はワシが守る!」
「ワシは神の生まれ変わりだ!」
教祖(狂祖)タイプは皆同じ・・・アホだなぁ
ワシだってアホなら負けていないぞ
昨日の書き方のように傲慢になる
独善になる(って、ワシ、いつも独善じゃん!)
でも・・・根性無かったから
教祖(狂祖)になれなかったが・・・
ま、負けた・・・酒池肉林が遠のく・・・

「特殊な体験なんて、特殊じゃない」
一年後の(故)お師匠様に出会ってそう思った

「奇蹟なんて、日常に転がっている」
これは今でもワシの中心的考え方だ
だからどんな病状であろうとも
誰が、どんな立派な意見で「絶望」を宣言しても
(絶望宣言・・・これって、変だよねぇ
あと、○○月の命です、なんていうドクター達さ)
人間の判断なんて、アテにならない事を知った
常識外の変化なんて、当たり前に起こる
だから、
「大丈夫!未来はこれからさ」と平気で言える

今、考えれば危うい行動の一つに冥想があった
冥想は心を離れてしまうので(守れない)
「氣場」に守らせていないと
ヘンナモノに憑かれてしまう
その結果が心身の病気であったり
二重人格症状になったりする
冥想って、勝手にするとアブナイのだ

この時期
その冥想時に一つの世界に入れるようになった
決って光のサインが入り口だった
戻ってくると4・5時間経っている事がある
よくまぁ・・・無事で・・・
(無事じゃねぇ・・・変人になったぁぁぁ)

最近の文章
一人ツッコミ・・・多くない?

  異次元現象F
09/22 (月)

冥想中は夢と違って
少しは自分の意志で方向を決められる
頭で考える事はかなり薄いのだが
方向は決める事が出来るのだ
つまり「質問」を思うと
どうやら「応え」てくれるのだ
それがホントの「答」かどうかは解らんが・・・
「応え」には段階がある
だから、その先に行きたければ進む事もできる
多分、自分の知ってもいい(理解できる)所まで・・・

氣功師になってから気づくが
基本的にこの世界(冥想界)は
愉しい「氣」で満ちていた

夢で見て理解出来ない意味を
冥想で応えていただく
どうやらワシは
自然に「冥想」の使い方をしていた
この点に関しては
今のワシでも褒めてあげる
「よくやった!オヌシ、大した者じゃ」

世の中で「冥想」を「瞑想」と勘違いして
怪しく怖い世界に迷い込む
精神世界スキスキ人間が多いが
「冥想」は「迷い」を浄化するグッズなんだぜ
より深く迷うくらいなら
瞑想なんて止めなよ
ホント、危ない世界と隣合わせなんだから・・・

そして・・・妖しい夢は、まだつづく・・・

  異次元現象G
09/23 (火)

今の仕事(ライフワーク)を示唆する夢があった
ん〜・・・示唆ではなく、後押しかなぁ・・・
それも最初の後押しじゃなく、途中の後押し・・・

ワシの体が「黄金」になっていた
いや、一部の丸い玉の話じゃないぞ

ワシは以前の仕事でゴールドの性質を知っていた
世間では「お金」的な価値で見るけど
ゴールドの存在は物質界では特殊なんだ

分子構造が柔らかいので、結合しやすい
例えばゴールドとゴールドに圧力をかけると
一体になってしまう
他の金属との合金も容易だ
調和度がものすごく高い
そのくせに、単独なら
酸化しない
他を犯さないし、犯されない
こう書いていても
生き方、存在の仕方として理想的だろ
だから、人体などに使用しても害にならない
体が嫌がらないのだ
ゴールドは特別な不思議な存在なんだなぁ

「黄金の鷲」ならぬ、黄金オヤジのワシは
半身をドブに入れていた
ドブの匂いは・・・気にならなかった
夢であっても、ゴールドの性質を知っているから
「大丈夫。汚れない」と安心している
犯されない、とは、汚れも匂いも付かない事だ
接しない、のではなく
接しても、浸かっても、平気、という意味だ

今の仕事(氣功療法)で観ると
病は「氣の闇」や「氣の腐敗」でもある
汚泥の積もった体を
水(氣)が流れる体と心にするのが
ワシの仕事でもある
澄んだ水にこだわるのではなく
いろいろな水、多少汚れていても
「流れる」事を目的としている
「こだわり」から「流れ」が止まり
「汚泥に変化した」事を理解していただくのも
ワシの仕事なのだ

だからワシは他の汚泥に手を入れる
自分が黄金だと気づいていないと
怖れる
怖れがあっては、この仕事が出来ない
この夢はワシの恐怖心を
氣功師になる半年前から取り除いてくれていた
こうしてワシは
プロの氣功師としての自覚を
(無理やり?)持たされた

この夢はもう一つ続きがある

  異次元現象H
09/24 (水)

汚泥のドブから足を引き上げると
黄金の太もも(いい表現!)に
大きな蛭(ヒル)みたいなモノがジタバタしていた
「これが原因か!」
通常時のワシは
目も鼻もないムクムク動くモノは苦手なのだが
夢の中のせいか、あまり気にならない
何が、何の原因なのだかも理解できていないのに
とにかく、それが「原因」で
それを取り除くのが「役目」ということらしい・・・

右手には剣が握られていて
それが「やっつける」道具らしい
その時、その方法が流れ込んで来た
「自分の体ごと、その原因を切る」
ゴールドのワシの体は傷つけても
簡単に元に戻る事ができる
でも、切る時の「痛み」はある
自分から離して
自分は安全地帯にいて
相手を滅するのでは
「解決」にならない・・・らしい

大きな蛭のようなモノは切られ
屍骸とならずに消えていった・・・
同時につけられたワシの太ももの傷も
切ないような「痛み」を少し残して
元通りにくっ付いていった・・・

どんな「魔・闇」であろうと
一方的に滅するのは
「存在の法則」に反する
存在には理由があり
他との関わりがある

そういう事らしい・・・

自分も痛みを感じる事が
「プロ治療師」は必要らしい・・・
後に氣功師となり
何年か過ぎて
この夢が活かされた

この夢から応えまで5年以上はかかった
そして、ある時
マザー・テレサの浄化法に
同じ方法を観た

病原菌に犯され、血膿まみれの病人を
抱きしめて・・・治療していた

  異次元現象I
09/25 (木)

毎日「般若心経」を何度も唱えていた
運転中などは、ず〜と唱えていた
そして・・・
「どうやら、この経には不思議な力がある」
そう思えてきた
試したくなった

ワシはタバコは吸わないが
友人のタバコを手に取り
般若心経を唱える
特にワシ流では最後の呪を
サンスクリット語で唱える
「ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい・・・」が
「ガーティ、ガーティ、パラガティ、パラソガティ、
ボディ、スヴァハー」となる
すると
タバコに味と匂いが無くなるのだ
何度も試した

この時のワシは
これが浄化の「氣」などと思いもしなかった
なんらかの力ではあるが
「氣」というのは力学的な氣功師の「氣」しか
思い浮かばなかった
いわゆる、常識や固定概念しかなかった

今思うと、その時から
医療氣功師の準備は始まっていたのだ
医療氣功は「浄化・調和の氣」がメインだ

そしてこの異次元現象が減り始めた
ワシの41歳の誕生日の日
初めて(故)お師匠様の「氣」と
縁がつながる

実際の(故)お師匠様と生駒山で会い
氣功師にさせていただくのは
さらに半年後となる

  瞑想の科学
09/26 (金)

ワシが何度も書く「冥想」の感覚と恩恵
それがマサチューセッツ工科大学の今月の研究で
ダライ・ラマ法王を招いて発表された
17年間におよぶ研究成果である
ダラムサラにある法王の研究施設と
アメリカ・その他の幾つかの研究所との
共同作業の結果なのだ

一例として
機能的MRIなどのテクノロジー発達によって
冥想中(もちろん、あるレベルの人だ。
この研究ではチベット高僧が協力)の
前頭葉前部皮質の左側(額のすぐ内側)に
非常に活発な活動が認められた

これはようするに
ワシの感覚と同じ
「幸福感、喜び、悦び、嬉しさ」を表す
とても気持ちのいい「氣」で満ちているのだ
ワシの冥想の方向はマトモだったようだ

この「気持ち良さ」は
物事を冷静に観、認め
解決手段を湧き起こすのだ
「冥想」という境地に頼らなくても
日常で「気持ち良さ」を優先するのは
とても大切で有効なんだぜ

もちろん、心だけでなく
神経系・ホルモン系・血液・リンパ系
各内臓などの回復や調和にも
ハッキリとした効果が出ている

しかし、冥想の活かし方は
体や心という小宇宙の範囲ではない

ダライ・ラマ法王は言う
「人類の苦しみ(戦争やテロ)は、
人間の中に苦しみの原因ががある。
冥想は、人類の明るい未来を導く
具体的な方法なのだ」

(この言葉の意味と智慧は、
今の日米朝などの政治家の長には理解できない
愚者は政治家になるべきではないのだ)

何十年後か解らないが
人類が破滅を止め
未来を進むと決めたなら
一日数十分の「冥想」を
心と未来の幸せのために
毎日「仕事の一部」として
全人類が行なうようになるかもしれない

アセンション(次元移動)はその時に起こる

  生死両忘
09/27 (土)

ワシの仕事は重病・難病に縁が深い
クライアントが重病だからといって
ワシまで重くなっては氣功療法にならない
氣功モードに入れば重いも難しいも関係ない
(ワシ自身の貧困も愛憎も気にならないのだ)
が・・・氣功モードから戻ると
ほとんど普通のオヤジ感覚もある
マトモに「生死」を意識する
これでも、マジメな思いもあるんだぜ
いつまでも長く悩まないけど・・・

クライアントやその家族の「死」の意識は
ワシにも流れ込んでくる
「死」の意識に煩わされぬ
理想的な境地に「生死両忘」がある

「死」を意識するのは「生」があるから
その対立観念からの脱却ができると
ただ清清しい感覚のみ残る・・・という
だが
エラソーにそれを説教する事は
治療でも指導でも浄化でも解決でもない
相手の位置も観えぬバカモノのする事だ
(だから、ワシもプロとはいえバカモノだ)

「離れられない・離さない」から
「苦しみ・悩み」なんだ
だから
ワシ流には
「生死」は「神様」の領域
人間が考えてもいいけど、
考えなくても、いい
いずれにしても、手が出せぬ事が
「事実」

心は元々「迷い」から出来ているから
やはり、適当に無視しよう
できる事は
「身体」への慈しみ
「身体」への御褒美
より気持ち良く
より悦びを

ひょっとしたら・・・
「身体への悦び」を行なう事が
「生死両忘」の具体的方法かもしれない

「生死」は生死にあらず
すべての価値観の対比をさす

人類の未来
人類の幸福は
個人の身体への悦びから繋がっている

  餓狼咆月
09/28 (日)

タイトルはカッコイイが
内容はミジメなもんだ

太った豚より
餓えた狼になれ

ワシが高校生の頃
70年安保闘争という縦軸があり
世間は学生を含んで混乱していた

混乱はしていたが熱気があった
今のような生命力の無い混乱とは違う
人々からのエネルギーが社会を巻き込んだ
今は社会の混乱に
人々が生命力を吸い取られているが
その頃は皆、元気があったぜ
高校生・大学生・サラリーマンまでが
デモに参加して、叫んでいたんだ

その行動や考えや時代を
「いい、悪い」で判断するのは無意味だが
「生命力の有る、無し」は大きな意味がある

ワシも何も知らないバカモノだった
(今もバカモノには変わり無いが・・・)
知らないくせに、硬かった
「やわらぎ」が無かった
「微笑み」より「怒り」が
「正しい事」だと思っていた
そう
ワシは「正しさ」を心の判断にしていたのだ
バカモノというより、愚か者だったのだ
「正しさ」の主張からは
「不幸」が生まれると気づくのは
ず〜と、後の事だ

その高校生の頃
太った豚の生き方より
餓えた狼として生きる、と気負っていた

基本的には
今も同じ思いではあるし
太った豚にはなれないが
太った豚の生き方は認めているし
時々、羨ましく思ったりする
(断っておくが、本妻や知人の事ではない
仕事柄、見えないモノを観、見えないモノを扱う
見た目で物事を判断しないのは基本だ
といって、本妻が太っているわけじゃない
いや、痩せているとはいえないけど・・・
昔は・・・いや、昔の話は止めようぜ、お互い
・・・・・・・・
なんだか、ブヨブヨした文章だなぁ・・・)

そして
餓えた狼ほどの
突っ張った生き方も出来ない
ワシは・・・
根性が・・・足りなかった・・・

「飢え」と「餓え」とは違うが
現実として
力の続く限り
行きたい所へ走る事のできない
「餓え」はある
力は、まだあるのに・・・悔しいなぁ・・・

で、時々
スケベなオヤジから狼に変身し
月に
咆える

ワオォォ〜ン

(月齢2日じゃ、闇に泣いてるのと
変わんねぇ・・・情けネェ)

  盃中酔月
09/29 (月)

遠くの月に咆える昨日の雑記を受け
今日は酒盃に取り込んだ月の話だ

ワシはあまり酒を飲まない
30歳までは、仲間とよく飲んだ
コミュニケーションとして付き合った
弱い体質ではないが
好きな体質でもない
飲まなくても場が過ごせるなら
飲まない方が楽なのだ
氣功師の体になってからは
「無理せぬ意識」がプロとしての
普段からの心構えだから
出来るだけ、自然体でいる

飲みたい時は飲む
飲みたくない時は断る
会社や組織に属していると
ワシのような行動は
「ワガママ」と見えるかもしれないが
「プロフェッショナル」だから
普段からの意識をベストにしたい

飲む、といっても、量は少しだ
酒が美味しく味わえるのは
今のワシでは、少しが最高なのだ

酒そのもの、を愉しむより
何かとセットになった時に
「酒」が愉しめる
美味しい料理・ツマミ
楽しい仲間
そして
魂に染み渡るモノ

その一つにある表情の「自然」があり
酒に似合う自然の一つに

がある

月は盃に映り
盃に入り
酒に融け
酒に酔う

酒を飲むのか
月を飲むのか

静寂を
飲むのか・・・

瞑目の世界で
ワシは月になる

・・・・・・・

  夜長月最終日
09/30 (火)

今朝は寒い秋になってしまった
いや、懐や政界やワシの才能じゃなくて
外気温の話
今年は最初から不順な気候が続く
単純に冬が早いのではなくて
大気(地の「氣」)が乱れている
地球全体で地震や噴火が起きそうだなぁ

大気が乱れようと
地震が起きようと
戦争が起きようと
人は恋をする
人は人に惹かれていく

その人への想いが
切なく、甘く、温かく
いつしか微睡(まどろ)む
夜長月

長い夜は
愉しみなのか
苦しみなのか
悦びなのか
辛さなのか

愉しみも苦しみも
悦びも辛さも
コトコト回る多面体
「いのち」の体の多面体
「生きる幸せ」の変化面

長い夜にも
朝が来る

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