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  氣更来
02/01 (日)

普通は2月の旧名は「如月」と書く
でも「陽」の「氣」が更に来るという意味で
「氣更来・きさらぎ」となるんだ
今月は春が来る「立春」
本来大晦日に「祓い」として行なう
「節分の豆まき」
そして、次の日が元旦になり
「迎春」となるんだ(旧正月)
だから、陽気が更に来る月なんだなぁ

「陽気」は「明るい氣」でもある
ワシも本来のラテン系の氣を出すぞ〜!

明るい氣はルール無視の傾向がある
というより
固定概念が「明るさ」に幕を掛けているんだ
常識や社会概念にこだわると
どうしても「暗くなる」
「暗さ」は「闇」を創りだし
「闇」は「病み」を呼び込む

ワシがラテン系なのは
ワシの今の仕事にとって
天賦なんだなぁ
ルール無視は仕事上必要だし
常識外れは才能の証だぁ・・・・(^_^;

病気で心身を苦しむ人は
もう一度意識を覗いてごらん
苦しむ素は
「病気そのもの」じゃなくて
固定概念に縛られているからじゃないか?
そこから柔らかくなれば
「病気そのもの」を回復させるのは
そんなに難しくないぜ

常識外れの「明るい氣」
(常識外れの破壊の氣は論外だぜ)
そんな「春の氣」は
「いのち」に大きなエネルギーを注ぐ

運命にとっては
自然に「春」が来るわけじゃない
まとっている外套を
「自ら脱ぐ」から
「春」が来るんだぜ
どうする?
脱いでみないか?
脱いだら解る
脱いだ方が暖かいんだ

  守護霊@
02/02 (月)

精神世界はあやふやな世界でもある
判断基準が共通じゃないからだ
だから、人により別な解説になっていても
ウソじゃないし、デタラメでもないけど
(実は・・・ウソとデタラメが一番多い)
説明相手によっても、方便を使うし・・・
(方便は如何に真意を伝えるかのテクニックだ)
「真実は一つじゃない!」
コナン君、ゴメンね・・・(注:名探偵コナン)

守護霊に関しても諸説いろいろなんだ
大抵は、一人(一霊?)か二人
守護霊と守護神にしても
同じという解説と
違うという解説がある

5人説もある
魂の兄弟は5人(5霊)だ
根拠は・・・手の指が・・・^_^;
「だって・・・指導霊に教わったんだもん」
(これだからアイマイだっちゅうの!)

守護霊なんていない、という人も多いけど
心静めて、人の人生をたどれば
いなくちゃ、人生成り立たない
そう気づくだろう

それにね
見えない世界は
頭の中で判断する世界じゃないんだ
理屈(法則)じゃ無理だと思う
(論理的じゃない、というわけじゃない)
感性で判断する世界だ
だから・・・とてもアイマイでもある

ただねぇ・・・
特殊な設定をしすぎるよねぇ
この手の話を解説する場合・・・
普通な感覚で観れば
そんな特殊な事でもないのにねぇ

霊は生きている人と
ほとんど変わらない
当たり前だよね
肉体が無くなったら「仏」になれる、なんて
そりゃあ無理があるでしょ

頑固な意識は頑固だし
暗い性格は死んだからといって
急に明るくならないだろう
バカを言うのが趣味なのに(ワシのように)
急に偉そうにはならないだろう

少しづつ、何かの気づきがあって
意識は変わるんだ
それは、生きている人も
霊も同じだろう

生きているこの世界も
霊の世界も
意識という事では変わらない
仕組みもそうは変わらない

この基礎を踏まえて
「守護霊」を観てみよう

  守護霊A
02/03 (火)

どんな人にもある時期
あるいは一生
その人を守護する意識をもった人がいる
筆頭は親だろう
じいちゃん、ばあちゃんもいる
兄弟の場合もある
叔父や叔母さんもいるだろう
血縁関係だけじゃなく
親友や恋人(片思いを含む)や配偶者もいる
その他にも、恋人でも親戚でも友人でもなく
アカの他人なのに、何の縁だかわからないけど
「どうしても守護したい」
と思ってくれる人もいたりする
(前世からの約束かもしれないが
証明はできないなぁ・・・)

つまり
人は多くの人の守護意識に囲まれて生きている
これは事実だ
例外は無い
守護されない人は
この世には生きていられない
赤ちゃんは
生まれた時から一人で生きられない
赤ちゃんでなかった人はいない
だから、誰でも守護されている
これは・・・事実なんだ

「見守りたい」
それは肉体が無くなっても
意識が残る
多くの人の
多くの守護意識は続くんだ

ただし・・・
生きている時もそうだが
その人にストーカーのように
まとわりついて守護したわけじゃない
それぞれに
それぞれの人生があり
その一部に「守護意識」もある

それは霊になっても同じだ
「守護霊」と呼ばれても
ストーカーじゃないぜ
ボディガードじゃない
専門にくっついているわけじゃない
トイレの中までは入ってこない・・・^_^;
「いつでも見ている」覗き魔じゃないんだ

「困っているなら助けたい」
「助けて〜と呼べば駆けつけるぞ」
そういう控えめな意識だ
だって
霊になっても
それぞれ自分の生活?があるんだぜ

ワシの言わんとする事が解るだろうか?
ほとんどの人が
「守護霊」のイメージを誤解している
普通と同じなんだ
今、アナタを誰かが大切に思ってくれている
今、アナタが大切に思う人(達)がいる
それは家族や身内や親友やその他
それと全く同じに
霊の世界でも多くの人が
アナタを見守ってくれているが
それは意識の世界なんだ
見守る・守護する
それは「呼べば駆けつける意識だ」

  守護霊B
02/04 (水)

守護霊の事は解る
どういうコメントかもだいたい解る
だけど守護神の事はわからない
ワシは「神」が解るほど
「神」に近づいてはないし、
今生で「神」に近づこうとも思わない
ワシはクダラナイ人間が解りたいのだ
クダラナイ人間の方が好きなのだ

守護霊も守護人もいろいろいる
だから、守護霊の指図が
(指図してもメッタに聞こえない
霊の声など聞こえないのが正常なんだ)
正しいと思ってもらっては困るぜ
元が間違いだらけの人間だ
霊になったからって
多少はモノが観えるようになるけど
(モノの正体は見えないところにある
霊は見えない世界の住民だから観える)
正しい判断力まで備わるわけじゃない

自分を見守ってくれている
優しい思いで囲ってくれる
だから守護霊さんは
ありがたい
うれしい
それだけで充分な存在なんだ

正しい道を教えてくれる
窮地にいつも救ってくれる
そういう事もタマにはあるけど
過剰期待したら・・・
本体がダメになるだろ?
進化しないだろ?

だから「守護霊」って
普通の存在なんだ
イイ事があったら
ラッキー!と
フッと感謝すればいい
生きている人も
守護霊さんも
「御陰様」だから

  守護霊C
02/05 (木)

守護される側(アナタ)は
いつも感謝すればいいけど
守護霊側は
「思っている」だけじゃ役に立たない
何とか助けたい
何とか手助けしたい
けれど悲しいかな
肉体が無いから手が出せない
地団駄踏みたいけど
足も無い・・・(^_^;

そこで守護霊は
直接アナタを守護できない事に気づく・・・
「この世は、思いだけじゃダメなんだ」
「この世は、行いが大切なんだ」
守護霊も日々学んでいるんだねぇ・・・

そこで守護霊は出来る事をする
この世でアナタの手助けが出来る人間と
「縁をつなぐ」
これなら、守護霊も出来る

メカニズムはこうだ
守護霊同士は話しが出来るから
相手の守護霊に相談する
「ウン、いいんじゃない」
そうなると
「じゃ、何処で巡り逢わせる?」
「最近インターネットにハマってるから
オタクの守護人のHPに導くよ」「OK!」
(実は霊の世界と電波世界は近い関係なんだ
だから、インターネットは霊の動かせる範囲だ)

こうして窮地の人は
誰かと巡り会う
陰で守護霊が働いて・・・

故お師匠様と
ある患者さんの出会いは
守護霊さんがもっと過激に行なった
駅でお師匠様の前で
イキナリ気を失わせたのだ
当然、お師匠様はメンドウをみる
その縁でその患者さんの一族の多くは
故お師匠様との縁で
運命が好転した
一人だけじゃない
多くの関係者の守護霊の代表として
その守護霊さんは働いたんだ
人と人
人と霊
霊と霊
それぞれが複雑につながっている
この世は
見える世界も見えない世界も
そうした「つながり」で成り立っている

  歴史
02/06 (金)

何のために歴史はあるのか?
最近の日本政治を観ていると
ある諺を思い出す

「歴史の教えるところ
政治家は歴史から
何も学ばなかったという事がわかる」

何も学ばなかったんじゃない
多分・・・
政治家じゃない頃や
政治家になりたての頃は
歴史からの学びや
マトモな判断力もあったと思う

日本のように
未だに民主主義ということが
理解されない国の政治家は
政治家=エライ
という図式意識になってしまう
政治家年数が多くなると
多少マトモだった人まで
「政治家」に変身するのだ

愚か者に変身したモノが
欲と権力を持つから
「未来」を苦しみと闇に導く
それを支えるのは
マスコミに判断力を預けてしまった
多くの人達

政治って、自分の未来の事なんだぜ

日本の政治は
小さく考えても
日本の国民の安全と幸せの為にあるのに
口では「平和と安全」といいながら
行いは苦しみと危険と争いを導く

国際貢献の質と意味も解らず
日米安保の実体も理解せず
イラクに軍隊を送り
それを支持する人達の罪は大きい

正直なアメリカ人が言ったように
日本がアメリカの同盟国と思っているのは
日本の政治家と
その政治家を信じる人達だけだ
冷静に観れば
日本はアメリカの占領国だ
未だ、独立してない国だ
いつでも出来る状態なのに
対等になるつもりが無い国だ

アメリカは独立している
イザという時
日米安保など平気で破るつもりでいる
これがアメリカ流の独立なんだ

ヒロシマ・ナガサキの原爆投下は
一般市民・赤ちゃんから病人まで
平気で虐殺した事実だし
今もって、それが「正しい」と主張している
これがアメリカの本音だ
過去の話じゃない
今のアメリカの意識の話だ
これで、どうして日本を守る、と言える?

アメリカ(政府)の意識も読み取れない
モウロク政治家や
未来も判らないエセ評論家が
戦争支持して日本を壊滅にしたのは
今回が初めてじゃないだろ?
もう、目を覚ましなよ

ご主人様の顔色を伺いながら
それを変とも思わない政治家が
それを変とも言わない評論家が
跳梁跋扈する国なんだ

ワシは
結構・・・悲しいぞ

  性格@
02/07 (土)

どうしたら人は幸せになるか?

この命題に取り組む人はとても多い
その中で
「幸せになった人はどんな人か?」
と分析する人も多い

「夢を叶えた人」「成功した人」
「健康だった人」「家族一族に恵まれた人」
ところが深く観ていくと
こういう結果から「幸せ」を論じても
実用的でないと気づいた
(だから努力しなさい!と煽るのは
幸せとは別なモノだ。
それは生きがいや愉しさも一部あるが
趣味の問題であり、根元じゃない)

夢が叶えられなかったら、不幸だったか?
成功(成功って?)しなかったら不幸?
独身一人身は不幸?
病人は絶望的?
どうも「結果と幸せは別モノ」のようだ

看破した達人はこう言った
「明るい性格こそ、あらゆる財産に優る」

結果じゃない
途中の努力でもない
日々の生き方の中の
明るく光り、温かい性格

夢が叶おうと叶うまいと
成功しようとしまいと
病気であろうと
無人島に流されようと
「幸せになれる」

多くの人は固定概念でこう言う
「性格は変わんない」
でも、その根拠は無いのだ
「エライ人がそう言ってたから」
「みんな言ってるよ」・・・
固定概念なんて
ワシよりアイマイだなぁ・・・
「性格」と「性癖」もゴッチャだし・・・

性格は変わる
当たり前だ
変わらなければ
この世の存在理由が減るんだもん
この世の存在理由が
魂の進化(自由)という
一つの答えに出会ったなら
性格なんて変わって当たり前だと気づく

でも、ここにヒネリがある
多くの固定概念で思われている性格は
「幻の性格」なんだ
アナタ達が思っている性格は
「ウソの性格」なんだなぁ・・・
つづく

  性格A
02/08 (日)

生まれつきの性格
環境による性格
どちらがその人の一生で
表舞台に現れているだろうか?

「性格」だと思っていた癖
「性格」だと思っていた型
更には
「生まれつき」だと思っていた性格さえ
「生命力」の多寡・増減で
「現れ方が違う」事を指摘する人は少ない

深い言い方をすれば
「性格は変わらない」
「性」は底にあるモノ
「格」は中心にあるモノ
底と中心は「神」と通じる扉だから
「神(不変なるモノ)」は変わらない
だから「性格は変わらない」

常識でいう「性格」は
「神」じゃなく「個人」の事だ
ならば
「性格は変わって当たり前」だろ
ワシもアナタも無常な存在だろ
毎分・毎秒、時間と共に変わっている
シワも増えたし・・・
張り切り時間も短くなったし・・・^_^;
だから通常はこう言う
「性格は変わって当たり前だ」

変わらない部分の
ホントウの性格は
誰でも共通の性格
それは誰でも共通の時期
赤ちゃんの時なんだ
環境の影響が少ない
「環境による個性」が
未だ現れてない時期だ

赤ちゃんは
明ちゃんなんだ
「笑顔」を特徴とした
「明るさ」が性格なんだなぁ

つまり
どんな人も
この「明るさ」が本性なんだ

「明るい性格に優る財産はない」
最初からどんな人も
「幸せ」を「格」に持っている
これが、事実!

神様って
正しいとかマジメとか関係ない
ひたすら明るい存在だ
つまり・・・
ノーテンキなんだぜ

  性格B
02/09 (月)

「生命力」が多くなる
「いのち」が大きくなる
すると「性格」は明るくなる
これは誰でも共通する

命題に戻ろう
「どうしたら幸せになるか?」

「明るい性格」が道を開く
その「明るい性格」は誰でも共通
「生命力」が多く、大きくなると
自然体として「明るく」なってしまう

これが幸せになる唯一手段とは思わないが
「誰でも幸せになる」共通の道だろう

本来の「健康」は
体と心だけの事じゃない
「生きる」目的そのもの
あるいは
「目的への道」そのものなんだ

生活をする為
夢の実現の為
○○の為
毎日を生きている

たとえ「幸せ」を意識しなくても
「明るい性格」ならば
多くのラッキーが起こるだろう
道は開けるだろう
何よりも
本人が生きやすいだろう
周りも生きやすいだろう

生命力を上げる
生命力を増やす
その一つに
氣功療法がある

体験している人は少ない・・・

  おっぱい
02/10 (火)

この話題が好きだからしょうがない
嫌いな人は好きになったほうがいいよ
「おっぱい」は
「いのち」や「幸せ」の側にあるんだから

堀口大学という人がいる
1892年生まれだ
フランス文学(詩)の翻訳で高名な詩人だ
その人のとても素敵な詩がある

乳房は掌(たなごころ)の為に造られた
掌は乳房の為に造られた
乳房 掌の饗宴
乳房 円味の極致
乳房 わななく生きもの
乳房 息づく果実

乳房 掌の恋人
(堀口大学)

ワシが来世オナゴに生まれるのは
この乳房が理由なんだ
こんな素敵なモノを
オナゴは持っている
それだけでオナゴは素敵に生きられる

大きさ・形・張りなんて関係ない
乳房はみんな
素敵な神様の象徴なんだなぁ
オナゴ達
いとおしく
優しく
大切にしなよ

  不器用
02/11 (水)

ワシは器用じゃない
特別不器用とも思わないが
社会生活的生き方には
不器用といってもいいほどヘタになる
まさしく「気が乗らない」のだ

我儘なのかもしれない
きっとそうだ
我儘は父親からのDNAだ
(それって、責任回避・・・)
それじゃあ困るのに・・
困っても変えるつもりがない
困ったもんだ・・・

でもポジティブなワシは
「不器用」を応援をする
ヤケで応援する
そもそもワシの仕事は
他人の欠点・弱点を認め
「欠点は長所だぁ!」とか
「弱点は大切だぁ!」とか
固定概念をひっくり返して
落ち込んでいる「いのち」を
明るく温めるのが役目だし・・・

自分を褒める
ひたすら褒める
どんな状況でも褒める
だから「不器用」も褒める

「器用は長持ちしない」という言葉がある
もちろん「生き方」としての器用の事だ
具体的な行動としての器用は
工夫と智慧に支えられた大切なモノだ

器用な生き方は
社会的地位や
利益にはなりやすいけど
心は壊しやすいようだ
心を塞ぐ事で器用になれるからだ

不器用でいい
そこには
その人の心がある

仕事は相手もいるし
心を塞いでする事も必要だが
プライベートな生き方まで
器用に振舞う事はない
自然体の姿をさらけだせばいい

大丈夫
その個性を
「拾う神(人)」は必ずいる

それにしても
もうそろそろワシにも
拾う神が通りかかってもいい頃・・・

  うがい@
02/12 (木)

風邪やインフルエンザなどは
原因のウィルスが口から感染して発病する
だから「手洗い」と「うがい」が有効なんだ

以前も書いたが
風邪とインフルエンザは別のものだが
どちらも嫌なら共通する予防をしよう
(風邪はタマにはいいんだけどねぇ・・・)

これはワシ流の「観」だから
いわゆる西洋医学的に
正しいかどうかなんて知らない
ワシは傲慢だから
ワシの方がイイセンいってると思っている

「喉の奥」には関所がある
外から体の内にモノが入るのだから
関所くらい設けてなけりゃヘンだ
アヤシイのは即座に追い出すが
(嘔吐したり、セキやタンで)
ウィルスのような小さいモノは
追い出しきれない時がある
そのモノ達(ウィルスなど)は
一時的に牢屋に入れるのだが
いつまでも押し込めて置けないのだ
(ウィルスより大きいモノなどは
牢名主みたいに長く住んでるけどねぇ)

牢屋は喉の奥
いわゆるバイキンばかり入れてるから
結構汚れている
誰でも汚れている
綺麗好きな女優でも
いと高貴な女人でも
汚れているんだなぁ・・・

そこで牢屋の掃除が必要なんだ
普段なら何年汚れたままでも
急な影響は無いのだが
ウィルスは小さすぎて漏れてしまう

だから人によってだか
2〜12時間以内に掃除した方がいい
ウィルス感染しても
少しの時間なら牢屋に留まっているのだ

その掃除が「うがい」なんだ
でも世間でいう「うがい」は
牢屋の周りや、手抜きの掃除だ
もっと奥までしなけりゃ効果が少ない

方法は明日・・・
(今日、その恐れのある人は
お茶で5分以上うがいをしよう)

  うがいA
02/13 (金)

最初に認識して欲しい
アナタが想像しているより
ずっと沢山の汚れが牢屋に入っている事を

アナタのたおやかな細い喉にも
「どんぶり一杯分」は出てくる
「いやぁ〜ん」などと
びっくりしても遅いのだ
アナタって・・・汚れている・・・

それにしても人体の不思議だよね
何処にどんぶり一杯もの
(洗面器一杯という人も・・・)
汚れが隠れていたんだろうねぇ・・・

宿便にしても同じだよ
か細い腰をしてる美女から
バケツ一杯もの○ンコが出る
「いやぁ〜ん・・・臭いぃぃ」
なんて言っても遅い
特別便秘でなくても
毎日毎分持ち歩いていたモノだ
アナタは・・・臭かったのだ・・・

龍村師匠はこう説明した
「腸の突起を平にすると
テニスコートの大きさになる(!)
見た目は汚れてないように見えても
例えば0.1ミリの薄いゴミを集めれば
バケツ一杯になる」
という事だそうです・・・

話が○ンコに移ったので
「うがい」がし難くなったなぁ・・・

通常は「うがいをしなさい!」だけで
「うがい」の仕方まで教えてない
というより「うがい法」を知らないのだ
「ガラガラ・ペッ!」でいいと思っている

どんな療法でもコツは共通している
「力を抜く」
「心を静める」

「ガラガラ!ペッ!」では
表面しか掃除できないのだ
力を入れれば綺麗になると思ったら
大間違いなんだ

「コロ、コロ、コロ」
犬を呼んでいるのではない
上を向いて静かに喉を鳴らせば
最初に含んだ誘い水が
喉のどの位置まで降りているか判るんだ

ある位置になると
水とはいえ、嘔吐スイッチが入る
「オエッ!」となる
それもいいのだけど
更に静かに注意深く扱えば
もっと下まで降ろしてやれる

ここでしばらく
「コロ、コロ、コロ、コロ」
で、時々吐き出してみよう

!、!!、!!!
汚れが出てくるのが判るだろ

  うがいB
02/14 (土)

汚れは口から入ったモノだけじゃない
鼻からの汚れも多い
ワシの住む山の中からタマに都会に出ると
その空気の汚さに辟易する
都会人って・・・汚い・・・

この「うがい法」をすると
ビックリするほど空気が汚れているのが判る
よく毎日平気で暮らせるもんだなぁ・・・
都会人って・・・鈍感・・・

「コロ、コロ、コロ、コロ」と
しばらく喉を鳴らした後は
腹の底からそっと吐き出す
粘着質のゼリー状のモノが出てくるだろう
茶色や時には黒色もあるかもしれない
喉や鼻やその他で出血した場合
黒い塊も一緒に出てくる

しばらくすると透明になるが
ネバネバはそのまま果てし無く続く
このネバネバがスグレモノなのだ
バイキンやウィルスを閉じ込めているのだ
でも・・・続くという事は・・・
沢山、沢山、汚れを溜めておいた証拠

いくら掃除でも
上を向いて10分もすると疲れる
力をヘタに入れて
「ガラガラ」と「ペッ!」をしていたら
喉を痛めてしまう
それでも、大掃除だと思って
続けてみよう

あるプロの歌手は
これを30分するという
喉の奥中を綺麗にする
洗面器一杯出すという
さすが・・・プロだ

誘い水には
ぬるめのお茶がいい
ぬるめの紅茶もいい
ぬるめの塩水もいい

たっぷりすれば
鼻の中までスッキリと
綺麗に掃除されるのが体験できる

美人のアナタだけじゃない
オヤジたちも長い時間をかけ
洗面器一杯を目指してみよう
出し終わって
涙顔を洗面すれば
あら?不思議?
そこには数歳若返って綺麗な顔が・・・

「うがい法」は風邪防止だけじゃないんだ
「若返り」の秘法でもあるんだぜ

  茶色の朝
02/15 (日)

「茶色の朝」というフランス寓話がある
いつの間にかファシズムが市民を染める話だ
現代のファシズムへの移行は
いかにも好戦的な政治家が
急激に国民をリードするわけでない
かつてのヒトラーの時代とは違うのだ

少しづつ法律ができる
少しづつ法律が変わる
最初は市民の大多数に影響しない法律
「まぁ、これくらいならいいか」
「直接ワシに関係ないし・・・」
「プライバシーの保護なら・・・」
「国を守る法律だというなら・・・」
「国際貢献だもの・・・」
「みんなが賛成するなら・・・」
「評論家もそう言ってるし・・・」

こうして一部の政治家と官僚と
その背後にうごめく利権企業と
そして・・・「魔のモノ」が進める
「争いの未来」が見えないうちに近づく

ワシは悲観主義者ではない
楽観主義に近い
人を脅かしたり恐怖させるのは嫌いだ
そもそも恐怖や脅しは
力の強い方が弱い方に向けてする方法だ
政治家やヤクザがとる方法だ
だからワシが言うのは脅しじゃない
これは今の日本の単なる事実
ワシは見えないモノを観る仕事
未来を観る仕事だ

観たら警告しないわけにはいかない
特別過激な発言じゃない
これでも控えめなんだぜ
真に過激なのは
「茶色の朝」のように
「国の言う事には逆らわないで
それとなく賛成しておこう」
という国民意識のほうなのだ

国民が
市民が
「戦いからは不幸しか生まれない」
「一番弱い立場から考えよう」と
当たり前の感覚で反対すれば
ファシズムは起こらないのだ
みんなと一緒でないと不安になる癖は
とても危険な道に続くのだ
一人一人が判断して歩く
自立した国民になろうよ

原因は、この国の卑怯で酷い
首相や政治家や官僚のせいだけじゃない
それらを支える一人一人の感性が問われている
理屈では何とでも言えるのだ
理屈じゃなく
感性で判断してくれ

政治家や官僚の大切な子供や孫は
決して危ない所には出さない
今まで一番弱い立場を踏みにじって
党、派閥、利権団体、関係団体の
利権のみに働いている事実を
毎日みているのに
どうして「日本の未来の為」とか
「イラク国民の為」とか言うのを
信じられる? 信じる方が不思議だぜ
綺麗事だけなら
誰でも言えるんだ
綺麗事で誤魔化すのが仕事の政治家だぜ

今、日本は危うい橋を渡り始めている
茶色の朝は始まっている

こういう政府、政治家非難の文章を
書きつづけられるのも
いつまでかなぁ・・・
ある日、ワシは連行されるのかも
それでも、ワシは警告しつづけるぞ
根性も度胸も無いけど
「いのち」や「未来」に関して
口を塞いで誤魔化すのは出来ない

  運命と性格
02/16 (月)

2月7日から書いた「性格」で
「幸せ」は「明るい性格」から成ると指摘した
そして「性格」の本体は「明るい」から
誰でも「幸せ」に成る基礎があると書いた

フッと目に付いた言葉に
「運命は性格で決る!」とあった
ワシは納得できるなぁ・・・
多分にそうだと思うよ
努力や根性は好みの問題だけど
「縁」や「運命」などの
「氣」あるいは「波動」で影響するモノは
「性格」による

しかもほとんどの「性格」は
その人の意識で変わる
「意識」は環境や習慣でも変わる
底にあるモノは共通して「明るい」が
表面にあるモノは「作られた」性格だ
その表面の方が「運命」には
多大な影響を及ぼす
ならば・・・
「都合のいい様に、作りゃいいじゃん!」
どうせ作りモノなんだから

そうだったのかぁ・・・
ワシはいいかげんだから
底に「明るさ」があるのだから
「幸せの運命」だと単純に期待していた
そうじゃなかったのか・・・
道理で窮屈な生活をしていると思った・・・

手抜きの人生じゃダメかぁ
「中途半端な観」だと
こういう間違いがよく起こる
そうなんだよねぇ
この世は「本質論の場」じゃない
作られた舞台の上だもの・・・

性格ももう一度作らなくちゃ
といってもメンドウが嫌いなワシだもの
底が「明るい」のなら
表面も「明るく作っちゃえ!」

ワシは更にラテン系になります

  真実は一つ@
02/17 (火)

昨日の雑記帳を書いて、読んで気づいた
そうだったのかぁ・・・
ワシの固定概念だったんだなぁ
「真実は一つ!」
こんな言葉にとらわれていたなぁ
真実と「神」とが同意味で一つなら
尚更、表裏にこだわる事なくていい
どうせ一つなんだから・・・
真の性格にこだわりすぎだったんだ
表側なんて作りモノでもよかったんだなぁ

「真実は一つであるが故に自由」
(水上陽平独善格言・・・)

何故、人は一人一人違う?
何故、同じモノは二つとして無いのか?
「真実は一つ」だから
「何でもアリ」なんだ
それも一つの真実の顕れなんだ

つまり・・・
「真実は自由なんだ」
と、一つ開眼した・・・つもり

いや、まてまて!
「自由だからホントの姿を出す」
こんなコダワリがあったと思う
ホントもウソも
都合のいいように
その時の気まぐれに
適当に
いいかげんに出せばよかったのに・・・

ワシの中にコダワリがあった
「素直はウソをつかない事」だと
思い込んでいたみたい・・・
ウソぐらい、どうだっていいのに・・・
飾る事ぐらい、どうだっていいのに・・・
そこが自由になって
真実は一つの実感がある

今日からワシは性格を作る
「性格は正確に」などと
つまらん事はやめた!

ワクワクしながら
ウソもホントも織り交ぜて
(というより
ウソもホントも区別できない)
気まぐれで変わる
性格作りを愉しもう

  真実は一つA
02/18 (水)

少し精神世界の話が続くよ

「真実」と「神」とが同意語なら
「一つ」は「全て」とも同意語だ
以前にも書いたが
「一」は「はじめ」であり「オール」でもある

「神」ってエライ存在だろ
「エライ」という意味は
「他を幸せ」にする事だろ
「真実」や「神」に接すると
「幸せ」や「自由」になれるはずなのに
「正しさ」とか「唯一」とか勘違いすると
とても窮屈だったり、不自由だったりする
緩やかで、柔らかで、温かい雰囲気じゃない
決して「幸せ」とは思えないよねぇ
「真実」や「神」の前だと緊張するのなら
それはニセモノだなぁ

「真実」も「神」も大らかなモノなんだ
「ウソ」や「間違い」なんて気にしない
そんなの気にするのは
「意識の狭く固いツマラン人間」だと思うよ

ダライ・ラマ法王やマザー・テレサ聖女が
個人的な、そんな事を気にすると思うかい?
気にする出来事は
「他を滅する行為」だけだと思う
だから、マハトマ・ガンジーだって
「争い」を消滅する方法を示したんだ

「真実は一つ」
安心して
自由に生きよう
芝居だと認識できれば
もっと上手に役もできる
相手の芝居も認める事ができる
ウソ(芝居)を糾弾することなく
優しく合わせる事もできる

そのうちに
最も自由な演技は「自然体」だと
最も愉しい演技は「奉仕」だと
気づく事になるだろうなぁ・・・

  奉仕@
02/19 (木)

昨日の雑記帳のラスト
「最も愉しい演技(生き方)は奉仕」
という言葉を読んで思い出した
(って、アレもワシが書いたんだけど・・・)

1997年インド・ダラムサラ
ダライ・ラマ法王との謁見の後
お師匠様の姉上様でもある龍村和子先生は
インド国内の○○瞑想法を学ぶ予定だった
ところが
「あのね、毎晩マザーテレサが夢に出てくるのよ
呼ばれているような気がするから
マザーテレサアシュラムに行って
奉仕活動をしてくる事にしたわ」
いくら英語が堪能とはいえ
(和子先生は米国籍・ヒリヤー・和子)
オナゴ一人でインドを自由に行動するのは
なかなか普通じゃない・・・
アシュラム(修行所)の住所も知らないのに
ワシ達とは次の日に別れた
以下、龍村師匠や和子先生から話や記述から

和子先生は超行動派
ダラムサラから(おそらく)デリー空港
そこからマザーテレサが拠点としている
カルカッタ(今はコルカッタ)まで空路だ
すでに空港到着時は夜になっていた
フッと機内の隣の男性に話かけた
「マザーテレサの所に行きたいけど
夜でもタクシーがつかまるかしら?」
「アブナイネ。イッショニ、キナサイ」
普通はこの方が危ない・・・
外国で、いきなり見知らぬ男の車に乗るのは
無謀と無知と無理がワンセットだ

ところが素直に付いて行く和子先生・・・
外国暮らしが長いから危機管理に関して
通常、この行動はありえないのだが
偉大なナニモノかに守られている
普通じゃない和子先生は理屈じゃなく動く

そのインド人の男性は迎えの人に指図し
マザーテレサハウスまで案内させ
さらに泊れなかった時のために
近くのホテルまで予約しておいたのだ
案の定、夜中の2時ではマザーハウスも泊れない
(普通は夜中の2時に訪ねたりしない
このへんも和子先生の普通じゃないところだなぁ)
ありがたくホテルに泊る事にして
案内のインド人に聞いた
「ありがとうございました
ところで、あの空港での紳士は誰ですか?」
「この国の大蔵大臣でございます」
(和子先生はこういう出会いが山盛りだ)

これは「インドエッセイ」に書く内容だったなぁ
まだ法王との謁見場面が完成してないから・・・
どうしよう・・・
ダブルけど、謁見後の出来事として書くね

  奉仕A
02/20 (金)

和子先生はこれより以前に
マザーテレサとはニューヨークで会っていた
小さな(マザーテレサはとても小柄だ)手で
握っていただいた時のエネルギーは
とてつもなく大きく温かかったと記述している

2時間ほど仮眠し朝5時にマザーハウスに向かう
一日目に洗濯の奉仕活動
汚物を払い、消毒釜で煮る
別の釜に移し再度煮る
水槽で冷やし川に運ぶ
ゴシゴシ手で洗う
再再度、釜で煮る
冷やし、絞る
屋上に運び、天日で干す

以上を一日中40度以上の炎天下で行なうのだ
ここで行なう奉仕活動は
余裕でするボランティアとは違う
とても、とても過酷で命懸けだからこそ
「他人の為に行なう」などど
綺麗事な行為じゃないんだ
自分と他人の区別なんてつかない
「誰の為」もへったくれもない
「ひたすら出来る事を行なう」
理屈も学びも無い
行為だけがある

「どうして、こんな非能率的な洗濯をする?
洗濯機ですれば、もっと速く沢山できるのに」

マザーテレサの答えはこうだ
「人の心がこもってこそ奉仕になる
そのエネルギーが心身に伝わる」

ここに「氣」の使い方の本質がある
現代の便利優先世界への警告と
「いのち」「関わり」の哲学がある
グーの音も出ない
厳しさがある

ワシのような傲慢な独善タイプでも
絶対服従以外に何も出来ない相手がいる
マザーテレサ聖女はワシにとっては
優しさが大きすぎるから
光が強すぎるから
畏れる
こういう書き物にする事でさえ
怖いと思う

  奉仕B
02/21 (土)

2日目の奉仕活動は孤児院だった
インドは特にストリートピープルが多い
道路で生まれ
道路で育ち
道路で一生を終える
必然的に孤児も増える

その孤児院にも何百人いるかわからない
和子先生が訪れると子供達は
何十人もが足にしがみつく
「抱っこ」をして欲しいのだ

ここで思い出す
ワシはその前年(1996)も
南インドに行った(これが初インド)
本場のアーユルヴェーダに接し
サイババや聖地を感じるツアーだった
そこでの移動中の一コマだ

ある町でレストランに入った
その入り口でストリートチャイルドが4、5人いた
この国は職業として「乞食」がある
(だから日本でいう侮蔑的な感覚は少ない
堂々とした(?)職業なのだ
決して卑屈ではない)
だが、とても厳しい身分でもある
生まれた時から仕事(乞食)をしないと
この国では生きていけないのだ
子供だから養われると思ったら大間違い
自分の食いぶちは自分で稼ぐのが基本だ
ワシ等のような外国人は特にねだりやすい

小さな子供は言葉で物乞いを言えず
ツアーの女の人の足にしがみつく
しがみつかれた事
引き剥がした事(他の人が)
いずれにしてもショックである
日本の感覚では、とても心が痛いのだ
その同行の女の人は
レストランで食事も食べられなくて
泣いていた・・・
何を感じるか
何を観るか、それぞれだろうが
インドは「人間」を考えずにいられない国だ
ワシは考える
あのストリートチャイルドは
「物乞い」の為だけでしがみついたのか?
ワシは感じる
「人間の温かさ」の大切さを・・・


和子先生は書いていた
こんなに沢山の子供を
抱っこした事は無かった
こんなに沢山の子供の口に
スプーンを運んだ事も無かった
そして
2日目もクタクタになりながら
充実な奉仕を感じていた・・・

  奉仕C
02/22 (日)

和子先生の3日目は
一番重病のホスピスでの奉仕活動だった
昼夜問わずカルカッタ中を走り
道路で死にかけている人達を連れてくる場所だ

和子先生はここで
大きな学びをする
ここに呼び寄せられた理由かもしれない

イキナリ外から担ぎ込まれてきた女の人を担当する
女性は骨と皮のみのガリガリで
衣服はボロボロドロドロ
右胸が破裂していて
生の癌がドンと出ていた・・・

体を洗い
髪を洗い
衣を着させ
ベッドに寝かす
その間もずっと痛み苦しみで
とても恐ろしい顔になっていた
すでに食物は受け付けず
僅かに水を飲んでくれた

和子先生はその女性に一晩中付き添う

痛さのあまりの大きな唸り声が
背中をさすっていると静かになる
そのうち女性は手を差し伸べ
和子先生の手を握った
そして何かを言うが言葉が判らなかった
判らなくても「解る」
「ありがとう」以外にないのだ
「ありがとう」しかないのだ

この女性が和子先生に
何度も何度も同じ言葉を繰り返すうちに
とても不思議な現象がおきてきたのだ

末期の痛みと苦しみで
恐ろしいほどに歪んでいた顔が
徐々に変わり始めた
静かで平和な表情に変わり始めた
そして・・・
幸せの顔に変わった

  奉仕D
02/23 (月)

「幸せって・・・何だろう?」
目の前の女性の「幸せ顔」を見て
和子先生は改めて考えずにはいられなかった

幸せの条件として
健康
家族
愛する人がいる事
愛してくれる人がいる事
衣食住の充実
お金
心の平和
などなど・・・

ところが目の前の女性には
この中で当てはまる事は
たったの一つも無いのだ
でも・・・
幸せになっているのだ

今のこの女性にあるモノ
それは・・・
「感謝」だけだった
和子先生は気づいた
幸せの条件の最優先のモノ
「感謝心」

そして体験した
「感謝」は
する方もされる方も
「感謝」になる
和子先生はこの女性からの
「感謝」に感謝する
和子先生も「幸せ」に涙が止まらない
一生で最高の「幸せ」の二人だった

本当の「幸せ」は
同時に相手も「幸せ」になる
命を懸けてこの事を教えてくれた
名も判らぬ女性と
ここまで呼び寄せた
マザーテレサ

「奉仕」の底の深さは
ワシでは語れない
和子先生の記述を借りて
一端を書かせていただいた

この2ヶ月後
マザーテレサは帰天する
マザーテレサは聖人・聖女となった

和子先生はマザーテレサの教えを
生前に受けられた「幸せ」に
感謝する

  な、なんなんだ!@
02/24 (火)

昨日までのマザーテレサに関係した
「奉仕」「感謝」「幸せ」から一転するのだ
心洗われるような雑記を期待しないで下さい
ワシは期待を裏切るのが趣味なのです
そうでないと、バ、バランスがとれない・・・

昨夜の夢の話だ

ワシはトイレに入っていた
トイレといっても広い
20畳くらいある
ドアがナナメ後ろと前方にある
「大」の方を心静かにたしなんでいた

この時間は哲学者・・・
広大なる宇宙の神秘
深遠なる命の仕組み
人は何処から来て
何処に向かうのか・・・
ワシは(パンツを下ろした)
「考える人」であった

イキナリ、後方のドアが開く!
「え〜、こちらが○○でございます」
スッチーさんのような制服の妙齢の美女が
透き通る声で話しながら入ってきた
片手にノボリ
片手に拡声器・・・
その後に何故か女の人ばかりが続く
年齢は40歳前後だろうか・・・
ビ、ビミョウな団体だ・・・

添乗員がツアー客に説明している
そんな感じだが
女性客の服装が・・・バラバラだ
洋服も和服もお姫様のような人もいる
時代考証もデタラメだ
古代から現代まで・・・
でも、コスプレじゃない
板についているのだ
だから、ホンモノだ

な、なんなんだ!
ワシの最も無防備な姿の横で
(といっても、少し遠慮して
5メートルくらい離れて歩いている)
あきらかにワシを見ないようにしながら
それでいて、普通に堂々と通った・・・

2、3人が手で顔を覆いながら歩いた
古い時代の人達だった
堂々とワシを見て
明るい笑顔で挨拶する美女もいた
(と、いってもなぁ・・・
こちら○ンコの最中だし・・・)

この(トイレ)部屋の説明だけじゃなさそうだ
ワシのこんな姿とセットになっている説明のようだ
(無防備というか、ウソが付けないというか
格好が付かないというか、裸というか・・・)
これは・・・なんなんだ?

  な、なんなんだ!A
02/25 (水)

ワシは開き直りが早いと思う
ジタバタしても仕方の無いのなら
サッサとあきらめちゃう・・・
えぇい! 見るなら見ろ!
そんなに珍しいモノでもねぇだろ!

夢の中でも恥ずかしい事はあるが
何故か、それほど恥ずかしくなかった
すぐに覚悟が決ってしまった
多分必要なんだろうな
何もかも、さらけ出す事が・・・

ワシを見ていく女性達も
ワシの(この)姿を受け入れている
嫌がってはいないし
むしろ好意的に思っていると
何故だか判るのだ
調子に乗り、サービスで
足を広げる事は出来なかったが・・・

また、次の見物客達(?)も来るなぁ
まぁ、いいかぁ・・・
そんな気分だった

これが男の団体客だったら・・・
ワシは嫌だったと思う

何かを示唆した夢なのか
何の意味も無いアホな夢なのか
ワシには判らない
でも、少し特殊な夢ではあったな

  バージョンアップ@
02/26 (木)

ワシの能力の事だ
ある意味、能力が高まったわけじゃない
努力や練習などで高まる能力じゃないからだ
「意識の切り替え」
これに尽きる

意識が切り替わるキッカケの一つが
「気づき」というヤツだ
「気づき」自体が大切というより
その後の意識が大切なんだなぁ

今回「氣」に関して
今までと違った観方が加わった
「氣」はどれが「正しい」なんて無い
観方、理解の仕方、使い方、触れ方など
広がるほど
深まるほど
活用法が自由になる

だからバージョンアップしたのだ
今までが間違いじゃない
更に加わっただけだ
「氣」とこの世の仕組みは一致している
この世は「プラス・+」しかない
プラスするほど自由になる

固定概念や我欲やゴミ意識なら
薄れるほど
落とすほど
自由になる
無くなると増える自由なんて
この世はヒネクレているねぇ

「氣」の写真を何枚も撮り
何枚も見つめて
気づいた事があった

コイツ(氣)等は
法則と法則外を自由にしている
気まぐれというか
いいかげんというか・・・

エネルギーとしてとらえると
エネルギーとしての部分しか観えない
別次元として観ると
別次元が何であるか解らなくても
この次元より上の次元だとは解る

いつだって
未だ登ってない階段の上は
観えないし歩けないが
登った所までなら自由に行き来できる
そして
いつだって
未だ上の階段が有る事を意識すると
階段は現れ
高さは低くなってくれるもんだ

  バージョンアップA
02/27 (金)

歩けば、道は続く
踏み出せば、道は創られる
歩かなければ、道は無い
思いだけでは、道は無い

ところが
歩いても歩いても歩いても
上に登れぬ場所がある
坂なら少しづつ登れるのに
「階段」「段階」という箇所だ

努力しても
継続は力だぁ、なんて言っても
根性出しても
どんなに頑張っても
階段は上れない
この階段は
ヒネクレている・・・

根性だすほど
努力するほど
頑張るほど
高くなる・・・
イジワルだよなぁ

普通の道と
階段とでは
歩き方(生き方)が違うんだなぁ

人は無理して階段を上らなければ
いけないわけじゃない
「階段」も「怪談」も趣味だと思う
ワシはバカだから
高い所に上りたがる
興味があるからだ

「氣の活用」の能力は
階段系の道だった
趣味だし、興味だし、仕事だし

ワシは「いいかげん」を指標として
道(道の歩き方じゃないけど)や
階段を上る
それでも
ワシでも
常識や固定概念の足枷がある
沢山・・・有る
足枷を外すと
階段は思ったより低いものだ

外す作業は
結構愉しい

  バージョンアップB
02/28 (土)

バージョンアップすると・・・
アップした証拠を
結果の違いから確認するより
最初からの感覚が違うのだ
結果なんてどうでもいいとは言わないが
そんなの違うに決っている
気にしなくてもいいのだ

最初から「ここまで出来る」自信がある
もちろんワシの自信だから信用おけない
それでも確信のような意識は
ワシのような能力では
能力そのもののレベルのようなものだ
とても重要な意識でもある

ワシは言葉や説明では
「曖昧」にする
他に対しては自分を離れて説明したい
そうなれば「曖昧」がマトを得ている
これを限定語にすると
自分で自分のチェックが甘くなる
(いや〜、甘いのも好きだけどね
自分に優しくする事と
自分に甘くする事は逆方向だからねぇ)

他への説明は曖昧だが
自分の感覚はしっかりつかむ
これでもプロだから当たり前だ
見えないモノを扱う仕事だ
感覚の判断は大切なんだ

でも、感覚に深入りする事じゃない
感覚磨きに意識を持っていくと
やはり「勘違いの道」に迷い込む
感覚を瞬間的にどう判断するか
それには磨くよりも
「意識のやわらぎ」が優先する
「カン」みたいなもんだ
だから他への解説は
とても「曖昧」になる
ワシって・・・正直だなぁ
これじゃあ・・・売れない

バージョンアップするほど
説明は難しい
説明がメンドウだから
曖昧も増す・・・
これじゃあなぁ・・・

  氣更来最終日
02/29 (日)

あれ? 今月は29日だね
4年に一度のうるう年
誕生日なら・・・ワシは13歳だな
フッ、未だ未だ青いぜ!
息子と同い年だぜ
息子といってもアレじゃなくて
ホンモノの豚児の事だ

少々特殊な仕事をしていて
本人も少々変わっている男を父親にもった少年は
歪んだ人生観になるのか
反動でマトモになるのか
いずれにしても息子の人生は
ワシの人生じゃないから
いいかぁ・・・

今のところ
貧乏だし、暮らしも窮屈だし
苦労もあるかもしれないけど
不幸じゃないから
合格!

目の前の山は
未だ多くの雪だが
春の気配は漂っているんだ
どんな状況でも
どんな人にでも
春は来る

朝のまどろみの中で
ワシがしていたある回復法が
理に叶っている方法だと
イキナリ教えられた
(時々、こういう事があるんだ)

免疫系・ホルモン系・神経系は
双方向で影響し合い
「命」を存続・回復・復元する

今まではなんとなく
ホルモン系から神経系に
作用する方法だと思っていたが
免疫系を含め同時だと教えられた

詳しく書けない事がもどかしいが
ワシって・・・スゴイ!
誰も褒めてくれないから
自分で褒めとこう
天上天下自画自賛!

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