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夢見月
03/01 (月)

3月弥生の別名だ
啓蟄(虫達が活動を始める)と共に
植物達も動き出す
「いのち」の「氣」が充満し
生き物達の目(芽)が開く

「いのち」が動く出す時は
回復も同時に起こる
病気回復も同じだ
しっかり眠れるから回復できる
だから活動したくなる
昼の活動と夜の睡眠はセットなんだ

だから・・・
春眠暁を覚えず
そして・・・夢見月となる
春が眠い感覚は正常なんだ

「個」ではなく「場」として
「いのち」が最も多い時間帯がある
「地氣」の大きい時でもある
それは太陽が出る直前なんだ
鳥達が朝騒ぐ時は
生命エネルギーが大気中に
一番大きく放出されているからだ
だから、思わず体が騒いでしまう

元気を大気から取り込みたかったら
太陽の昇る前から曙光時までだ
春はそれも最も強い
だから
春は曙

  1995年5月@
03/02 (火)

オウム真理教裁判判決が
長すぎる時をかけてやっと出た
1995年は激震の年だった
1月の阪神大震災
3月の地下鉄サリン事件
オウム真理教狂徒達の逮捕
しかし狂祖の麻原は中々見つからなかった

同じく3月に
(故)お師匠様が倒れる(一度目)
それでも生駒の研修所は開催した
苦しむ人が待っていたからだ
ワシはお師匠様が不在のままの
5月の研修講座に
ボランティアスタッフとして参加した
「こんな時だから恩返しを」
そんな思い上がりがあった・・・

事実は
「受け取る気づき」ばかりだった・・・
恩返しは未だに済んでいない

ワシは重病患者の階を受け持ち
夜は廊下で寝ていた
夜、唸り声や苦しみの声が聞こえると
すぐ部屋まで行く
中に入らないで扉から様子を伺う
大丈夫か手当てが必要かを
そこで判断するのだ
「簡単に手を貸さない」
治そうとする患者に対する心構えだ
ワシはとても重要な教えを受けた
でも、とても難しい判断力だった
怖かった
自分の判断が「命」を左右するかと思うと
(これは思い上がりというものだが
その時は解らなかった)
ドキドキしながら必死に観た
今でも怖さを感じるが
冷静さは増している
治療はいつだって真剣勝負だ
(これは思い上がりではなく本当の事だ)

一緒にコンビを組ませていただいた先輩がいる
ワシはその先輩の仕草から学ぶしかなかった
寝ている時
イキナリ、パッと飛び起きる
その気配でワシも飛び起きるが
ワシは何だか判らない
部屋からもれる声を
その先輩は聞き逃さなかった
ワシは判らなかった

そして様子を観て
また戻って毛布に包まる
この間中、先輩は
何も言葉を言わなかった
真剣でのボランティアだった
ワシはその先輩の後を付いていくのが
精一杯だった

「いのち」を扱う厳しさは
その先輩からが最初かもしれない
阪神大震災で実家も被害を受けていた
それでもボランティアに参加していた
その先輩ももうこの世にはいない

ありがとうございました

  1995年5月A
03/03 (水)

初めて生駒で故お師匠様と出会い
氣功師にさせていただいてから一年
この時はワシは未だ
「氣功療法院」を立ち上げてない
だが、そのつもりで一つのケジメとして
この研修講座のスタッフとして参加した

ここには新聞もTVも受講生には無い
毎日ニュースはオウム真理教関係で騒いでいた
お師匠様の代理代表者が
ある日、麻原が逮捕された事を知らせた

講座の生活指導は龍村先生だ
ホンモノのヨガの応用なのだが
ちょうど世間はオウム真理教の影響で
ヨガというだけで拒否反応があった

だが、この生駒に来た受講生は理解する
ホンモノの一端でも触れた者は
ニセモノが瞬時に区別できるのだ
オウム真理教の「ヨガ」が
「修行」と称する事が
稚拙なニセモノとハッキリ判る

「ヨガ」も「修行」も
「普通の生活」から切り離して存在しない
「暮らし」で活かせて一段落なんだ
いつまでも特殊な場所で
特殊な方法でしか出来ないのなら
歪んでいるか
最初から仕組まれた詐欺なんだ

生活を超えた方法もあるが
それなら指導者のスタイルと顔で判断できる
「観る」までもないほどダラケた姿を見て
信者という狂徒は判断力さえ無かったようだ
「頭の良い者はアホだし迷惑だ」というのは
あの狂徒達が証明してくれている
あまり・・・勉強すんなよなぁ
替わりに「気づき」「学び」なよ

ワシはそれどころじゃなかった
受講生として参加していた時と
スタッフとして参加しているのでは
観方や感じ方、気づき方が違うのだ
プロ側の観方、感じ方、気づき方なんだ

後ろ姿を見守る役は
重度の病人をかかえた家族から
多くの学びをさせていただいた

  1995年5月B
03/04 (木)

3度目の生駒山
マスコミはオウム真理教事件で騒いでいたが
こちらでは阪神大震災の後遺症が大きな問題だった
毎日の生活も重大だが
心理的な後遺症が大きな傷になっていた

難度の病気のまま
あるいは
家族に病人をかかえて
震災の被害にあった人の心は
不安で限度になっていた

心も体も3ヶ月をメドに
変わりやすい
ガマンも3ヶ月で限度がくる
ちょうどそんな月だった

家族内での支えは基本だが
もっと多くの心の支えが必要だった
「場」の雰囲気
いるだけで安心できる「場」
治療回復には「場」の「氣」が
どれほど大きいかも学ばさせていただいた

雲っていた人の顔が晴れる瞬間
動き方が日々軽くなる変化
声が明るく出るようになる
「感謝」を思い出す
変わる瞬間に立ち会える
幸せ

人は
簡単に変われるのだ
もっと
もっと立ち会いたい
変わる事に係わりたい

ワシは心に決めた
やはりこれから先は
「治療の道」を歩こう

この講座の最終日に
ボランティアスタッフも挨拶した
その時にワシは宣言した
「治療師の道に入ります」

(故)お師匠様は病院ではなく
遠く離れた、ある施設から
この講座の指示を出していた
何故受講生の名前や写真だけで
現在の変化の様子まで解るのか
不思議といえば不思議だったが
(故)お師匠様なら
当たり前といえば当たり前だった

この前年の5月
1994年氣功師になってから10年目
今のワシなら(少しは)その感覚がある
写真だけでも変化は読み取れるもんだ
振り返れば・・・何とか歩いていた

  1995年5月C
03/05 (金)

(故)お師匠様が不在のままの
異例の研修講座ではあったが
参加受講者は心身の病気の変化と
もっと大きな「気づき・学び」を得て
それぞれの生活場に戻って行った

ワシはさらに留まり生駒山を探索した
頂上は天文台付きの遊園地になっていた
これを作る時も多くの反対があったが
行政は「聖地」を理解出来なかった

生駒山は聖地であるが故に
古の頃から「お滝場」などの霊場が
山のいたるところに跡を残していた
本来は人が住んではいけない場所だろう
生きていく為に
時々乾坤の浄化に訪れる場所だったのだ
今では別荘地として高名になっている

いくつかの「霊場」跡で瞑目するが
古の「氣」を浴びる事は出来なかった
場の乱れもあるだろうが
ワシも「共鳴したい」と思えなかった
多分・・・かつてのこの「氣」は
熊野連峰に移っているのではないかな
それでも足の踏み込めない場所では
生駒のホンモノの霊場があるだろう
宝山寺の奥は入れないし
役の行者
空海
という人の能力を超えた存在達が修行したのは
日本でも特別な「場」だったからだろう
それを思うと・・・
生駒山の頂上を削るなんて
何て馬鹿なんだろう
国宝・国光が解らない役人なんて
迷惑以外の何者でもない

  1995年5月D
03/06 (土)

翌日は奈良に出かけた
その昔、高校の修学旅行で行ったが
その年頃で京都奈良の良さが解るわけない
今のワシでもあの建造物を
何割「観る」事が出来ているやら・・・

ボランティアスタッフで一緒だった人が
この奈良の近くに住んでいて
招待して下さったのだが
どうせなら奈良を見てこようと
ビジネスホテルを予約して
レンタルサイクルで巡る事にした

フッと目に付いた看板があった
「奈良国立博物館100年」
惹かれるように入った
ワシは何てラッキーなんだろう
開館100周年記念
特別展示開催中!
普段なら絶対見る事ができない
超重要文化財が集められていたのだ

一つだけ何時間見ても
見切る事も出来ないモノが
幾つも集まっているのだ
こういうのって嬉しいようで
返ってじっくり味わえない・・・

それでも生駒で意識が澄んでいる直後だ
空海(弘法大師)の書
最澄の書
聖徳太子の書(日本最古)
これらから感じる「氣」は
めったに味わえないチャンスだったと
今になって解る
(今後もほとんど見る事は出来ないだろう)

その他にも
十二神将像などは
かなり圧力を感じたのを覚えている

東大寺などもついでに巡り
汗をかきながら
奈良公園を駆け巡り
ちっとも優雅じゃないなぁ
また後でゆっくり来よう
などと言い訳し
少しは家族を思い出し
奈良漬などを宅配便で送った
(その後九年たっても行けないでいる)

夕方から知人宅にて
嬉しいご馳走をいただき
泊っていけ、というのを振り切り
夜、何とかホテルまで帰った

  1995年5月E
03/07 (日)

次の日も奈良の寺をもう少し散策した
大震災で不通になっていた中国高速道路が
やっと通れるようになったというので
夕方から兵庫県の山崎という所に向かった
姫路の近くだ

ここには(故)お師匠様が造った施設がある
重度の難病から回復するには多くの時間がかかる
それだけじゃない
重度の病人を抱えた家庭には
研修講座などではお金がかかりすぎるのだ

治す意思がある病人の為なら
お金の心配りまでして
「治療者」といえる
ワシはそう学んだ

だから(故)お師匠様の夢の一つに
日本全国に長期滞在型で低料金の
「良質氣場施設」を造る事があった
日本のどの宿泊施設より安くすむ
「いるだけで回復する氣場施設」

その第一号が山崎に出来ていた
温泉とピラミッドハウス
ビデオで自主的に講座を学べる施設だ
食事付きで一泊3000円くらいだったと思う

ヒノキで造られたピラミッドハウスは
地下に数トンの「氣入れ」した水晶と
その頃は珍しかった木炭が敷き詰められていて
あらゆるところに「氣」の仕掛けがあった
敷地全てに「氣入れ」の結界がされていた
更に足立郁朗氏という特殊な人が
地場を調和させるオブジェを設置した

こんな夢のような建物が開放されて
日本全国にあったなら
どれほど多くの難病の人と
その家族達が喜ぶだろう
(マトモな国家なら
国民の幸せに尽くす為に
本来なら国として造るべき施設だろう)

残念ながら資金のほとんどを
故中川雅仁というカリスマ性のある
個人に頼って造られていたため
今現在は維持できなくなった
日本全国に、という大きな愛情を実現する人も
今のところ出ていない・・・
超高所得者は幾人もいるだろうに・・・
使い方を知らない金持ちは多いのになぁ

(試しにワシに3千万ほど下さいな
健康・若返り・夢・利益など
その何十倍の見返りがあると思うよ)

  1995年5月F
03/08 (月)

兵庫県山崎の施設はピラミッドハウスがあった
「氣場」がより増幅される仕組みだ
何十人も入れる大きさだった
この中に座っているだけで調和される

ここで「氣」の写真を撮ろうと思った
一年前に氣功師にさせていただいてから
ワシが撮った写真に「氣」が写っていた
でも、意識して写したわけじゃない
(故)お師匠様と一緒に行った中国で
偶然のように風景に2枚写っていただけだ

この頃はデジカメなんてもちろん無い
コンパクトフィルムカメラだから
写っているかどうかなんて
現像してみなければ分からない

まして「意識して写す」事が出来るとは
無理だと思われていた
当時「氣」の写真は写る事があっても
あくまで「偶然」でしかなかった
これは今でも大多数の氣功師が同じだと思う
写る事はあっても、撮る事はできないだろう
意識して撮れるのは・・・
ワシの知っている限りでは
ワシ以外にいない
(多分いるだろうが、ワシは知らない)

ワシとしてはこの時の写真が
意識して撮る第一号になった
(この時は撮っていただいた)

座禅し両手を両膝に上向きに乗せ
両手から「氣」を出した
きっと写るだろう、と思った
結果は家に帰って写真屋さんに出し
戻ってきた1ヶ月後だったが
この時の写真を含め
生駒で私を入れて撮ってもらった数枚にも
丸い「氣」が写っていた
龍村先生との写真
故お師匠様の父上様(当時86歳)との写真
生駒研修所管理人さんの
藤解さんとの写真にも写っていた
(今年、帰天しました
ありがとうございました)

今は毎日撮る事が出来る
デジカメだからその場で確められる
ほとんど削除しているが
集めるつもりなら
何万枚も集められる
この事に関してなら
ワシは氣功師としても特殊かもしれない

  1995年5月G
03/09 (火)

兵庫県山崎の施設から東京に戻り
この前月4月から
ワシの二人目の師匠となった
龍村修先生による東京道場で
(スペースガイアシンフォニーともいう)
「ホリスティックヘルス・コンサルタント養成講座」
を第一期生として受講する(以後三年間)
(この経緯については
また、あらたに書こうと思っている)

当時、ワシは42歳
まったく新たな職業として
新たな生き方として
ライフワークとして
「治療者の道」に踏み出した

この歳からの出発であり
職を持たない妻がいて
下の子は1才前だった
だから覚える事など緊急に山ほどある
だから十倍の速さと量と理解を自分に課した
いくらのんびり屋のワシでも
真剣にならざるをえなかった
(現在はその反動なのね・・・^_^; )
結果は龍村塾に三年通って
三十年分の感覚磨きと
気づきと学びをしたと思っている
(いや〜、ホントはどうだか判らんわなぁ)

同時にそれまで「おみやげ屋」をしていた店を
「氣功療法院」に改築作業してもらっていた
ワシの性格だ
兎に角踏み出してしまえ!
そうして、この1995年5月
ワシは一つの区切をして
新たな道を歩き出した

  ふきのとう
03/10 (水)

ワシは山菜、野草類が好きだ
氣功師になってから
より好きになったみたい
共通する「ほろ苦さ」に
何とも言えぬ味わいがある

今の時期は「ふきのとう」
雪の消えたばかりの黒い土から
薄黄色の蕾を見つけると嬉しくなる

刻んで生を何にでもまぶす
これが一番
油味噌(もちろん手作り地味噌)
他の家でよくするテンプラは
ワシが揚げ物が少し苦手なのでしない

本妻は油味噌サンドイッチを作った
これが中々美味しい
ワシは「サンドイッチには味噌汁」派だが
(そんな派があるんか?)
その味噌汁にも生ふきのとうをまぶす

我家は諸事情により
野生するモノが食べられる時は
それを食事とする
それらを好きになれば
こんな幸せな食事は無いだろう

「ふきのとう」だらけの食事は
ワシにとって春先の究極豪華料理なのだ

・・・本妻は、そうでもないようだ・・・

  ウィルス@
03/11 (木)

今、鳥インフルエンザウィルスが
日本と世界を拡散しつつある
消毒・遮蔽・ワクチンなどを対応策としているが
ワシの観方は最初から違う

ウィルスに対して世界の常識は間違いだと思う
大きな病原菌などは今までの法則でもいい
だが、ウィルスのような微細なモノは
「法則を外れてしまう」のだ

「意識により無から有が発生する」
この事を受け入れられなければ
対応策は半分しか効かないだろう
(ウィルスの半分は法則内だから)

あらゆるウィルスはこの法則外の働きが出来る
「そんな馬鹿な!」という意識の影響もあり
今までの対応策もそれなりの成果があったが
今、地球自体の波動は
微細なモノに共鳴しやすくなっている
もう、常識や科学の柱を変えなければ
「現実」とズレが大きくなりすぎているのだ

これは一つの個体の内部でも同じだ
一つの体は宇宙でもあり、地球でもある
決して比喩ではなく
「事実」なんだ
だから、病気に対する認識も
今までの固定概念の科学から離れないと
治る事も治す事も半分しか出来ない
(病気も半分は法則内)

ワシが去年から警告している
世界中での戦争意識の問題
これがSARSや
風邪インフルエンザ
鳥インフルエンザ
BSE(狂牛病)
ガンなどを発生させている

物質が発生する仕組み
非物質から物質になる過程
そこに「氣」が関係する事は
量子物理学の世界では「常識」だ
だが、量子物理学の最先端常識は
世界の科学の非常識でもある

「氣」が「意識」によって集まり
森羅万象を創った事も
太古、あるいは聖なる伝え
神話、その他人智を超えたモノから
幾度も各地からも指摘されていた

今、最先端科学は古に迫ろうとしている
しかし・・・
勉強してきた人間達は
理解力を弱化させたために
教わった常識内でしか理解しない
そのために
ウィルスは拡散する・・・

  ウィルスA
03/12 (金)

この地球上には多くの生物がいるが
「意識の力」を自由に扱っているのは
「人間」だけだ
ある意味では「万物の霊長」でもある
しかし発展途中の霊長だから
とても危険でもあるし、愚かでもある

60億人いる一人一人に
小型原子炉を持たせているようなものだ
中には制御できる人もいるだろうが
アブナイ連中が圧倒的に多いだろうな
だから今の「事実」として
「場の破壊」を意識して行なう
戦争は人間だけしか行なっていない
優秀な(あ、もちろん皮肉です)
政治家や有識者が進める未来は
「破壊の未来」でもある

意識はそれと同じ「氣・波動」を共鳴させ
集積持続させる事によって
「物質化」する
「破壊の氣」から出来る
最初の物質に近いモノとして
「ウィルス」がある

ウィルスはウィルス自体が意識を持つ
神が人を創ったように
人はウィルスを創る
そして全てに意識がある
日々、変化成長するのは
人類もウィルスも同じだ

人がウィルスに対する対応策が
基本的に間違っているのは
変えるべき元が人間の意識だという事に
気づいていない点だ

戦争を支持した人は
その意識がウィルスを生む事を
理解してほしい・・・

  ウィルスB
03/13 (土)

ウィルスは悪者じゃない
ガンは悪者じゃない
病気は悪者じゃない
悪者じゃないけど・・・苦しみを生む
そのかわりに、理解すれば・・・
未来は一層明るく開ける

「意識」は使い方で危険でもある
人類だけじゃなく
生きとし生けるものと
存在するモノ全てに
破壊滅亡の危険が起こる
だから「意識」の使い方を誤ると
「苦しみ」で警告してくれる

こんなシステムを創ったモノは
とても偉大で慈悲深い
グレートサムシング
グレちゃん以外にいない

ウィルスが広がるのは
優しい(厳しい)「教え」だ
理解しなけりゃ、なお広がる
そのかわりに
反対の意識を使うようになれば
嬉しいウィルスのようなモノも広がり
この世界は理想郷に近づく

人間達よ
どうする?
地球上の(地球のではない)未来は
人間に委ねられているんだ

ウィルスが広がる時は
恐れたり慌てる時じゃない
学ぶチャンスなんだ
個々の意識によっては
ウィルスは感染しない
(半分は無理矢理感染するが)

  いのち応援隊@
03/14 (日)

ワシの仕事は「氣功療法院」
怪しげな名前だが、メインは治療だ
だが、本来は指導とワンセットだ
龍村塾生として
「ホリスティックヘルスコンサルタント」の
学びと資格をとった
総合健康の指導者だ

今の社会を観ていて
体や心だけじゃないが
いろいろな問題点の中心に
「いのち」の弱体化があると思う

閉じこもり
自殺

もちろん癌を筆頭に
様々な肉体の病気
そして
家庭の崩壊
企業の衰退
地域社会の退縮
国全体の弱化
世界全体の滅亡

これら全てに
「いのち」の弱体が観られる
一つ一つの問題点もあろうが
そういう点を突っついても
解決できなかったのは
ここ10年以上の歴史が証明している

例えば「閉じこもり」
「ある出来事が心に傷を負わせた」
その出来事を家庭や学校に原因探ししても
ほとんど解決出来ない
それらは誘因なのだ
ホントの原因は
「いのちの弱化」なんだ

「いのち」が回復すれば
生きていくのに
「問題があるのは当たり前」と知る
問題に立ち向かうか
無視するか
逃げるかは個々の生き方でどうでもいい
(克服しなければならない、という考えは
全員にあてはまらない
嫌なら逃げりゃいいんだぜ)
だが「いのち」が回復すれば
問題があろうが、未解決だろうが
「閉じこもり」はない
「自殺」はなくなる

この点をしっかり指摘する人が
ほとんどいない
そこでワシは思ったのだ
「いのち応援隊」として
指導活動をしよう

  いのち応援隊A
03/15 (月)

「いのち」のシステムに自他は無い
個々の問題が「いのち」の弱体に影響するが
回復するシステムは全てに共通するんだ
今までは、ここが間違っていたんだ

「問題が心身を弱らせたのなら
問題を解決しなければ回復しない」
この固定概念に縛られ
問題解決に時間と「いのち」を使う
そして・・・ほとんど疲れてしまう

「いのち」は常に
明るい方向からの光で
回復するもんだぜ

「問題」は暗い「闇・病み」方向だ
解決したけりゃ、すればいいけど
そんなの趣味の段階にしておけばいい
「いのち」回復とは別な事柄だ

「問題」と「いのち」は
比べようが無いほど「いのち」が重いんだ
「問題」と「いのち」の交換なんて
とても割に合わない取引だぜ

「問題」を抱えていても
「いのち」の応援はしよう
そのうち何とかなるって
「いのち」さえ元気なら

「いのち」が更に喜べば
「何とかならなくてもいいかぁ」と
思えるもんだぜ

ほとんどの悩む人は
間違いを犯している
「肉体」に無理させて
「悩み解決」をしようとする
それじゃあ、本末転倒だ

本当に解決したいのなら
解決する力は何処から出るか
冷静に観つめてみよう
それは本人の「いのち」以外に無い
その「いのち」を弱くして
解決するわけ無いじゃないかぁ

闇を見つめても
光は見えない

  いのち応援隊B
03/16 (火)

「いのち」が回復すれば
「いのち」が輝けば
病気だけじゃなく
あらゆる事が解決に向かう

今までは
「いのち」が大切と言いながら
別のモノを優先させた
病気になっても、苦しんでも
「いのち」より別なモノを選んだ

「夢」「○○の為」「欲」
それらは「生きる目的」かもしれないが
「いのち」より優先するモノじゃない
「目的」と「本質」は比べられない

「夢」であれ「○○の為」であれ
それは本人のモノなんだ
ところが「いのち」は
自分一人のモノじゃない
(自分のモノでも無いけど
説明がメンドウだから含めておこう)

「生きる目的」を重要視しても
「生きる事」が「生きる目的」の
最優先であり、基礎なんだ

「目的が解らない」
そんな事で悩むなよ
「目的」なんて山ほどある
その中でも基礎は共通なんだ
「生き続ける事」
「愉しく、明るく生き続ける事」
その為の生き方が
「智慧」である

「智慧」の手伝いとして
人間には「五感」がある
どんな人でも判断できる感覚だ
「気持ち良い」か「不快」か
気持ち良ければ「いのち」の応援
だから「智慧」は難しくない

  いのち応援隊C
03/17 (水)

「いのち」の応援なんて難しくない
誰でも共通で
誰でも知っているはず
「嬉しい」「愉しい」「気持ちいい」
この状態になると
「いのち」は輝きだす

「いのち」はこの世の仕組みの中心だ
以前(03年9月)のコラムで
「生命即神」について書いたが
ここでもその証拠が観える

「いのち」を弱化するのは
個々の問題からだが
「いのち」を回復・元気にするには
共通の意識である
お互いの「嬉しさ・愉しさ・気持ちよさ」

自分の問題で「いのち」は弱まる
問題解決や問題克服を
「いのち」の回復・元気だと勘違いすると
一時的に闇が晴れても
輝くわけじゃない
それに、闇・病みを相手にしていると
次の闇・病みに悩むクセがつく

とはいえ
自分を離れた行動では
(普通の人では)不自然になり
やはり無理が出る
無理は闇を誘い込むんだ
(正しさを求める道徳家や
奉仕を勘違いする善人達だ)

自分を元気にする事と
他を元気にする事は一致している
だから感覚で判断できる
「嬉しい・愉しい・気持ちいい」

これって、難しくないだろ

  いのち応援隊D
03/18 (木)

ワシはアピールがヘタだが
「健康指導のプロフェッショナル」だ
そんなの巷にあふれている?
そうなんだよねぇ・・・
「健康」の概念がアイマイなままで
世間は許しちゃっているから
「健康の専門家」と自称しても
内容がどんなデタラメであっても
ほとんど判断できないでいる
おまけにマスコミは相変わらずの勉強不足
話題か権威で取り上げちゃう
これって・・・国民だけじゃなく
地球規模の問題じゃないのか?

「健康」は根元に係わるから
そこには「哲学」があるんだ
(根元と哲学は同意味だから)
「いのち」は自由であるが
デタラメじゃない

ほとんどは
健康関係商売の専門家と
健康の専門家を取り違えている
どこに違いがあるかというと
商売を離れて指導できるかという点だ

でもなぁ・・・
どんな場合も当てはまるんだけど
ニセモノの方がインパクトがある
(当たり前だよねぇ
ニセモノは常にホンモノより
ホンモノに見せようとする努力家だ)
インパクトがある方がマスコミは都合がいい
商売になりやすい
だからニセモノは横行する

ニセモノでもホンモノでも同じ人類
人類皆兄弟姉妹
(じゃあ人類皆近親相姦だぁ)
たいていの事であれば
ホンモノ・ニセモノなんてどうでもいいけど
「いのち」の弱化か
「いのち」の回復応援かは
地球上の生きとし生けるモノ達全体の
未来存続に係わる
そして正しく今
地球上生物の「いのち」弱化がある
「いのち」の弱化が多くの問題や
苦しみを生み出している

やはりヘタでも
健康指導のプロとして
アピールするっきゃないかぁ

  いのち応援隊E
03/19 (金)

今、突然思いついた!
ワシは雑記に限らず
文章を書くときはブッツケ本番
頭で書くのではなく
手で書く(当たり前かぁ)

考えて書くのではなく
手が滑って書くタイプだ
(口も滑るのでお世辞が出来ねぇ)
だから、このキーボードに手を出せば
勝手に文章になってくれる
(文章になってない?・・・)

で、後で書いたモノを読んで
「う〜m、中々いいこと言うじゃないかぁ」
などと自画自賛しているのだ
おっと、いらぬことばかり書いているから
思いついた事を忘れそうだ

・・・っていうか・・・
忘れてしまった・・・
何か光るモノだったのに・・・

アイデアは星のように押し寄せる
でもマメじゃないので
その都度、書き止めておかない
「私の事、興味ないのね。さよなら・・・」
アイデアは、すぐ何処かに行ってしまう
社会の役にたつアイデアだったろうに・・・
ワシ・・・社会人として欠陥品だなぁ

まぁ、いいかぁ
欠陥品も使い方で「場」が柔らぐしなぁ
グレちゃん(グレートサムシング)からみたら
マトモ品も欠陥品もたいした違いはないし
み〜んな可愛いもんだ

「いのち」の応援は
「可愛い」と思えれば誰でも出来る
グレちゃんが手本を見せてくれている

医師といわれる人も
ピンからゴミまでいるけど
患者さんの「いのち」を
「可愛い」と思って接するお医者さんが
今の日本にどれだけいるだろうかなぁ

「健康」に携わる人達も
「いのち」を「可愛い」と思って
日々学んでいる人が増えるといいなぁ

  いのち応援隊F
03/20 (土)

やはり以前に書いた事があったが
生きとし生けるモノ達は
異な相手と交流循環すると
「いのち」が活性化するように創られている
だから「地球が生きていく」には
多種多様な生き物があふれている必要がある
一つの種族にしても同じだ
単独種では生き続けられないのだ
他を滅する方法では
自も衰退していくのだ

一つの個体にとっても同じだ
「いのち」の衰退・弱化は
「自分のみ」という意識がもたらす

「いのち」の回復・増進には
他との交流・循環がカギとなる

「体」と「意識」は影響し合っている
「いのち」の回復・増進に変わる為には
「意識」が切り替わる必要がある
しかし、意識を意識で動かすのは難しい
普通は無理だと思ってくれ

ところが「行い」は誰でも出来る
ウソでも「行い」は出来るのだ
すると「行い」が意識のスイッチを切り替える
つまり
「思う」のでは変わらないが
「行なう」と変わってしまうのだ

動物が何故「動物」なのか
ここに答えがあった
「動くモノ」には意味があり
意味は「いのち」に根ざす事なのだ
グレちゃんは
とても深く、そして単純にこの世を創った

  一年前
03/21 (日)

この雑記帳でイラク虐殺侵略戦争について書いた
ノーテンキで無責任なこの国は
横暴でならず者のアメリカの下男として参加した
その事がどんなに世界中と
参加する国と侵略される国に
「苦しみ」と「憎しみ」を増大させるか
何故観えないのか不思議だった

1年後の今
世界中は遅まきながら
あの侵略戦争の間違いに反対を唱え始めた
ホントに遅い・・・
不幸を増やす前に反対するべきだろう
泣き叫ぶ
あるいは
物言わぬ死体となった
子供達を増やす前に反対しろよなぁ

それでも未だこの国の代表者と
それらを支援する国民は
さらにこの国の未来を潰そうとしている
現実を見ようとしないのだ

トップが卑怯なら
それを真似る人も卑怯者だ
それを指示する人は同罪だ
アメリカと日本は
世界から孤立するだろう
軽蔑の対象となるだろう
憎しみの対象ともなるだろう

この状況は、ある意味注目されている
だからこそ
世界の平和に貢献できるチャンスでもある
この国は「和の国」としての素質はあるのだ
それにはマスコミ関係者の
意識の切り替えと学びが必要だ
政治家や官僚では
もう・・・無理だと思う
そしてなにより
国民の自覚が必要だと思う

今、この瞬間も苦しんでいるし
恐怖で暮らしている
アフガン・イラクの生活者は
この国の行動次第では
この国の未来の姿でもあるんだ

この国の行動次第では
やすらぎの未来だって創れる
さあ、アナタは
どんな未来にする?

  悩み@
03/22 (月)

クライアントは体や心の病と
「悩み」を同時に持つ
「悩み」は「奈・病み」でもある
「奈」というのは「深い」という意味だ
更に詳しくいえば
「深いと勘違いする」という意味でもある
(ホントかどうか解らんよ。ワシ流の解説だから)

ちなみに地獄の事を「奈落」というのは
「深い落ち込み」にハマる事だと思う
だから現実の「地獄」は
それほど酷い状態じゃない
酷いと思い込んでいる部分が大部分なんだ
目を覚ませば
気付けば
それほど絶望じゃないと解る
何とかなる余地は充分ある

このように、ほとんどの人が
「病が悩み」だと勘違いをするが
「病」と「悩み」は別モノなんだ
「病」は現実にある「困った事実」だが
それは「悩みの種」になっても
「悩み」とは違うモノなんだ
「病み」が無くても「悩み」は創れるし
「病み」が有っても「悩み」は無い事もある

例えば・・・
癌という状態がある
これは現実だ
ところが
癌という状態以上に
「癌の悩み」で苦しむ
癌であっても悩まぬ人も
沢山いるのに・・・
同じ癌でも
倍以上苦しむ人と
半分以下の苦しみの人がいる

ワシはプロの治療家だ
体と心を回復させるプロの応援者だ
だから「現実に気付く」お手伝いをする
「現実」を観れば
もっと癌なども回復しやすいのだ

「悩み」が病気回復の手足を縛る
「悩み」という「幻」に踊らさせる
「幻」は気付けば消えるモノなんだ
そうなれば回復はずっと早まる

第一段階として
「病」と「悩み」は別モノだと認識してくれ

  悩みA
03/23 (火)

「種」は現実だ
でも本当は何の種か判らない
花が開けば「幸せの種」だったりする
一見悪そうなのが「イイヤツ」なのは
この浮世ではよくある事なんだ

もちろん、その逆もよくある
純情可憐そうなオナゴが
とんでもない性悪なんてのは珍しくない
顔と性格が一致している
醜い政治家のオッサンなど正直なもんだ
無論ハンサムな男はヨダレを垂らした狂犬だ
ハンサムは人類の敵だ! ハァハァ・・・
(少し感情的でした・・・)

「病気」もこの要素が多分にある
病気を「悩みの種」として扱うか
「新たな世界への種」として扱うかで
回復できたり重くなったりするんだ

たとえ「悩みの種」と思っても
「悩み」の花が咲いているわけじゃない
人間だもの間違いが圧倒的に多い
「悩みの種」は勘違いかもしれない

病気が取り持つ「縁」だってある
金持ちドクターとの出会い
優しいナースとの出会い
患者同士が一生の親友となる場合もある

病気の仕事は「苦しみ」じゃなく
「気づき」を運ぶのが本業だぜ
ならば
「幸せの種」かもしれない

「悩み」は
不安や恐怖や憂鬱を
「未来」に想像する事であり
「現実」には「種」しかない
その種も上手に花を咲かせりゃ
ほとんどが綺麗なもんだし
ラッキーな実を結ぶもんだ

こうしてみると
「悩み」が有るのではなく
「悩みたい」だけかもしれないね
どんな「思い」も自由だから
「悩み」も悪くはないけれど
ならば
「悩みは趣味だ」といえるだろ

  悩みB
03/24 (水)

いつも
いつまでも
「悩み」ばかり抱えている人
本人は真剣に抱える
本人は真剣に苦しむ
だけど・・・
「抱えているのは本人」と指摘しても
その意味が判らないみたいだ
「趣味で悩んでいる」なんて言えば
本気で逆ギレする
「あ、アナタって冷たい人ね!」
ワシの氣功療法を体験したら解る
ワシって・・・かなり温かい
熱いに近いかもしれない
だから、ワシが冷たいというのは間違いだ
言葉は(つい、正直にストレートだから)
キツく思うかもしれないが
最短な解決方法を示しているんだけどなぁ

抱えているのは本人なら
放せるのも本人だろ
せっかく抱えているモノを
無理やり他人が取るわけにいかない
抱えるのも放すのも本人の自由だ
その人が抱いているモノまで
アレコレ言う筋合いでもない

それなのに「悩む」人は
解決出来ない他人に話したがる
「本人専用の悩み」を見せたがる
苦悩する姿をさらす
「解決したい」という
「解放されたい」という

ワシはプロだから
ワシに依頼すれば何とかするけど
普通は他人に話しても
一時的に楽になったような気分だけで
「悩み」が解決したわけじゃない
もともと「悩み」は幻なんだし・・・

「悩み」は趣味でもあるけど
(この言い方は評判が悪いと思う)
もう一つ特徴がある

  悩みC
03/25 (木)

「悩み」は中毒になりやすい
一度経験したら、もう一度
何度か経験したら、癖になる
一つの「悩み」が無くなれば
何とか次を探し出す
無くても・・・無理やり創り出す

人って・・・変な動物なんだ
愉しみの癖をつけるより
苦しみの癖に惹かれてしまう
「こうなったら、どうしよう?」
「ああなったら、困るわ、不安だわ」
と言いながら、苦しみの方向しか歩かない

山を登る愉しさを知る前に
山を登るのは苦しさだと思ってしまう
坂を下る怖さを知る前に
坂を転がるのが楽だと勘違いしてしまう
やがて転がるのが苦しさだと知っても
「もう私には不幸の道しかないのね」
などと、方向転換しようとしない

これって・・・癖だし趣味だろ?
癖や趣味というのは
個人的に愉しむ為のものなんだぜ
「痛い・苦しいのが快楽」だという人もいるから
「悩み」だって持っていてもいいけど
病の回復の足を引っ張るのは筋違いだ
「いのち」を弱化するのは筋違いだ

本気で「悩み」から解放されたいのなら
「自分が解放されたい」のではなく
「悩み」を解放してやりなよ
つかんでいるのは「悩み側」じゃなく
「自分側」なんだぜ

見る方向も
悩みは「奈・闇」
つまり、下の闇じゃなく
上の光を観るだけでいい

この世には「闇」も「光」もある
「下」も「上」もある
心なんてどうでもいいから
体の姿勢だけ修正しよう
うつむくより
胸を広げて
見上げてみよう

  悩みD
03/26 (金)

以前にも「鬱」や「閉じこもり」などは
原因をいじっても解決し難いと書いた
「いのち」の弱化で現れたからだ
ならば
「いのち」の回復・強化で消える
原因など解決しなくても
愉しく生きられればいいだろ?
誰だって、いろいろな出来事を持っている
心に痛い事も辛い事も悲しい事も持っている
持っている事は例外無く当たり前なんだ
それが障害になるのは
「いのち」が弱化しているからだ

「悩み」も同じ現れ方をする
「種」なんて探せば幾らでもある
でも、それを「悩み」にするのは
「いのち」が弱化しているからだ
「いのち」が元気なら
「種」が幾つあっても平気だ

だから「悩み」の消し方は
原因を解決する事じゃない
「種」を消す事じゃない
「いのち」を回復・強化する事だ
そうすれば自然に「悩み」は消える
原因はあっても「悩み」ではなくなる

「いのち」の回復・強化は
「嬉しい・愉しい・気持ちいい」がコツだ
他人に手伝ってもらう場合でも
判断は同じ基準で本人なんだ

特殊な方法として
ワシのような氣功療法もある
直接「いのち」の元を振るわせる
なにも聞かないのに
「悩み」だけが消える

「悩み」を消すなんて
ワシにとっては難しくない
闇は光で消えるのは当たり前だし
不思議じゃないんだけどねぇ
ただし「悩み」は本人が創り出すモノだ
消しても消しても創る事も出来る

ワシは「悩み」だって刺激にもなるから
無くすばかりがいいとも思えない
自由に創ったり、気ままに消したり出来る
「やわらぎ」が最高だと思っている

  目覚めの仕組み@
03/27 (土)

昨夜はワシの近くの沼田市で
DNA研究者の村上和雄教授の講演だった
ワシは数年前のフナイオープンワールドでも聞いた
エライ人の講演者は大勢いるが
自然体の講演者は聞いていて気持ちがいい

ワシ的に刺激された部分がある
幾つかある
「表の科学」と「裏の科学」との橋渡し
去年はダライ・ラマ法王との対談講演をされた
(世界のトップは意識と科学が手を結び始めてる)

ほとんどの生き物は似ている
まして、人間はほとんど同じだ
0.0001の違い程度しかない
つまり・・・エライ人とワシの違いは
万に一つくらいの差しかないのだ

その差も
DNAはスイッチオンとオフで働くので
基本的には同じなんだ
ある箇所がオンになれば
ワシも天才画家
ワシも天才音楽家
ワシも経営の神様

そこでワシは考えた(閃いた)
表の科学のDNAがあるなら
裏科学のDNAだってあるだろう
裏のDNAのオンのスイッチは
例えば「運」「縁」「未知能力」

眠っている遺伝子達の
目覚めの仕組み
村上先生はその一つに「場」を上げた
「場」が変わると
凡庸な学生が天才的な仕事をすると
スタッフを長年使った先生は見てきた

先生自身もある人との出会いで
何かのスイッチがオンになり
そこから奇跡の連続で
レニン(高血圧酵素)の遺伝子解読を
世界で最初に成功したのだ

講演というのは「いい話だったね」
で終わらすのではもったいない
どれだけ「いい話」を活用するかだ
どれだけ自分に活かせるか、なんだ

ワシはスイッチオンの仕組みの
ヒントをもらった

  目覚めの仕組みA
03/28 (日)

深くか
不覚か
兎も角
(こういう文章の遊びは井上ひさし氏の影響だ
だが、ごく一部でしかウケないんだなぁ・・・)
ワシは短い時間で冥想す
・・・目覚めの仕組みを知りた〜い・・・

あっ!
話がいい所で横道になるけど・・・
氣功師になってから
冥想界にコンタクトできるまでの時間は
とても短くなった
どうやらワシの氣功周波数は
冥想界と同調しやすいようだ
だから冥想は氣功と併用して入る
結界を張る意味でも適しているしね
(魔界との勘違いは無いと思うが
冥想界もレベルがある
もちろん「いいかげん層」だと思う)

何らかの好転
何らかの能力
変身・変化・変態(H系のヘンタイじゃない)
これらに共通する仕組みがある

「DNAは全てを持っているが、
オフとオンとで機能する」
「あるキッカケでオフだったものがオンになる」
村上先生の言葉だ

つまり新たに付け加えるわけじゃない
新たに開発するわけじゃない
他から教えられる事でもない
全て能力は眠っているだけなんだ

オフからオンに切り替わるのは
一瞬!
だから、努力で少しづつ変えるのでもない
切り替わると「変わる」のだ
「替える」と「変わる」の違いがあるのだ

ただし・・・人間だもの
固定概念で生活している
固定概念で考え、行動している
それを切り替えるまで
もがく
苦しむ
それが「努力」にもみえる

そしてある時
努力の反動が来る
反動は性格により
早い人と遅い人がいる

「努力の反動」
これがカギの一つでもある

  目覚めの仕組みB
03/29 (月)

ワシは自分で書いていて(書かされて)
一人でウケる
「努力の反動」!
ワシ流のいい言葉だと思う
今まで誰も使っていなかったのかな?
これからも随時使おう

多くの人の勘違いに「努力」がある
「努力」は今までのモノを
徐々に力を増やす時には有効だが
新たなモノを生み出すわけじゃない
すべて「努力」で解決するわけじゃない

努力しても、努力しても、しても・・・
新たな展開ができない
もう一段登れない
扉が開かない

そこで・・・
ヤケになるのだ!
ここにコツのポイントがあった!
ヤケになるために「努力」があった!

エジソンが
アリストテレスが
ニュートンが
そんな有名じゃなくても
一代である分野、組織、企業を立ち上げた人達
そのキッカケは
努力の果ての「ひらきなおり」の瞬間だった

「エエィ! もういいや!」
「寝てしまえぇ!」
「風呂にでも入るか」
そこで、ピカッ! と閃く

「努力」が実を結んだんじゃない
切り替わるまで時間がかかっただけだ
マジメな人ほど時間がかかる
固定概念にしがみつくほど時間がかかる
つまり
新しい道・扉を開くのは努力じゃないのだ
ある意味
無駄なあがきを「努力」というのだ
(誤解しないでくれ
継続による力のアップには努力が不可欠だ)

だからワシは「性格」の力が大きいという
「開き直り」の早いタイプ
ノウテンキのタイプ
楽天志向のタイプ
目覚めの仕組みは
前向き・上向きに用意されている

  目覚めの仕組みC
03/30 (火)

村上先生はドイツで落ち込んでいた
今までの研究が世界の他の研究所で先を越された
ヤケでビールも飲んでいた
たまたま偶然に京大の先輩教授出合った
愚痴を言い、更にビールを飲んだ
そして開き直った
勢いがついた
勢いで先輩教授もバックアップするといった
・・・スイッチがオンに切り替わった!

ワシに欠けているモノ
文章ではエラソウに書くが
実際はヤケになりきれない
開き直りがキチンと出来ない
未熟者め!
目覚めの仕組みが見えても
もう一歩が足りないのだ

特にワシのような能力は
新たな扉を開けると広がり強まる力だ
努力して伸ばすタイプじゃない
(中国気功などは努力が必要だ)

もっと広げたい
もっと強力(質の純化)になりたい
もっと自由に使いたい
ワシの目指す先は果てし無くあるんだ

それには
もっと「いいかげん」が
もっと「開き直り」が
もっと「ノーテンキ」に変わる事だ

「変わる」が「替える」を呼び
そして別の「変わる」を呼び込む

性格の固定概念が性癖となり
切り替えの足を引っ張るが
「力を抜いたヤケな行動」が
性癖の呪詛から抜け出る
コツのような気がするなぁ

  10年
03/31 (水)

昨年も雑記帳に書いたが
今日が父親の命日だ
ちょうど10年目になる
(良く言えば)ユニークだった父の特徴の一つに
「九死に一生」を何度もする運があった

冷静に考えると・・・
「九死」が何度もあるのは
決して幸運とはいえないだろうが
「そのままならば間違いなく死ぬ」
はずなのに・・・「運」が変わる

フッと気まぐれに立ち止まった瞬間
目の前で起こる災難に遭わない
といって、その先も好転しているわけじゃない
相変わらずの貧乏暮らしで一生を終えた

戦時中、軍属として南方にいた
(ニューギニアだかサイパンだか)
何気なく足を止めた直後
爆弾が破裂したそうだ
一緒に歩いていた仲間のゲートル(足に巻くモノ)が
空からヒラヒラ落ちてきた

敗戦につぐ敗戦の頃
退却すべく乗るはずだった船に乗り遅れた
(いつ乗れるか判らない船に乗り遅れたのだ)
通常はドジというか、不運というか・・・
その船は港を出て間もなく、撃沈された・・・

こんな事もあった・・・トンネル工事中
身分が低いのか年が若いのか
追いまわしのような役でトンネルに入っていた
昼前に皆の弁当を取りに使いに出された
トンネルを出ると・・・落盤があった

高い屋根から落ちた
自動車にはねられた
夜の増水している川に流された
医者が絶望と言った
など、など、など・・・いくつもある

80歳近くになって
胃癌の手術で入院した
枕元に父の名前と血液型が書いてある
姉が血液型を見て首をひねった
ワシに聞いた
「とうさん、A型なの?」
「そんなバカな!典型的なB型タイプだぜ」
何よりも、A型の母とA型の父から
B型のワシやAB型の兄は生まれない
看護婦さんに聞いた
「ええ、A型ですね」
納得できない姉は再度調べてくれと言った
輸血の直前だった
うるさい家族の訴えに再検査した
・・・・「あれ?」
(あれ?じゃねぇだろ!)
「両方(AもBも)出ますね」
(そんなはずねぇだろ!誤魔化すな!)
「あっ!・・・Bですね!」

きっとこんな間違いは結構あるに違いない
そう思える普通の雰囲気だった
もちろん、病院側から間違いを謝るなんてしない
この病院は信用できない
命を「かけがえのない命」と認識していない

兎も角
危機一髪で輸血ミスは起こらなかった

普通ならこれだけ神様に救われたら
心を入れ替えて生き方を変えるものだ
ところがマイペースの親父だったから
最後まで運命の好転は無かった
(楽な暮らしが出来るという意味では)

あるいは
最後まで
ナニモノかに守られた
「いい運命」だった

合掌

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