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  July
07/01 (木)

データ消失・思い出して書きますね

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07/21 (水)

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  携帯遠隔氣功C
07/22 (木)

「氣」をデジタル(情報が独立)で使えると
空間だけでなく、時間も超えて使える。
これは遠隔氣功をする側からは画期的なんだ。
アナログ(継続情報)での遠隔氣功だと
お互いが時間を合わせなくてはならなかったのが、
その日の一番集中(と解放)できる機会を活かせるのだ。
一番都合のいい時間を活かす事ができるのだ。

受ける側もデジタルという事を
充分理解できれば・・・
一番受けやすい機会に受ける事ができるのになぁ。
これは、なかなか理解し難いかもしれない。

で、とりあえず、こちら側だけでも楽をする。
「楽をする」という意味は
「より有効」「より活かせる」という事なのだよ。

例えれば・・・メールを発信する。
好きな時間に発信する。心を込めて発信する。
メールはメールセンターで一時預かりになる。
受信側は、好きな時間にセンターから受信する。
落ち着いた時間に心を込めて読める。
デジタルな遠隔氣功は、こういう仕組みなんだ。
氣功を受けたい時に受けられるのだ。

そして発振、受振の意識の切り替えとして、
携帯の写真を使うのだ。
発振側は相手の写真を。
受振側はワシの「手」の写真を。
(氣功だから「振」の文字を使いました)

こうして最適な時間と状態で発振・受振ができると、
今までより(質の)効率が良くなるので、
今までより短い時間を一単位にできる。
有料の正式依頼の場合、
期間を10日から1週間に縮めて、
料金も半分にした。(一日30分)
今までの遠隔と併用すると、更に相乗効果がある。

携帯はいつでも身近に持つ時代になった。
つまり、いつでも氣功を受ける事ができるのだ。
便利な機能は新しい可能性を秘めている。
どうだぁ?
携帯遠隔氣功はスグレモノだと思わないか?

  生命の弱化@
07/23 (金)

日本の自殺者が過去最多となった。
交通事故死の3倍以上だ。
そして、専門家やマスコミは相変わらず
「原因・動機」の面から分析している。
そんなことをしても減少しないのは実証済みだろうに。

肝心なのは分析じゃない。
原因探しじゃない。
動機探しじゃない。
「絶望する生き方」からの
方向転換を実行する事なんだ。

何度もいってきた。
「闇・病み」を見つめても
「希望・光」は見えない。
だから、光に包まれない。

現代の「専門家」と称する人たちは
「分析家」であっても、実践者じゃない。
「希望に生きる道」を理屈で示せても、
絶望者を希望者に変える事は出来ていない。

「専門家」は「分析の専門家」であり、
「解決の専門家」じゃない。
それは
観ている方向が違うからだ。
示す方向も違うからだ。
「絶望は心の問題」だと勘違いしているからだ。

光の方向を示す言葉として「希望」がある。
光とは「いのち」の一面だ。
肉体的な「いのち」として「生命」がある。
この世では「いのち」は「生命」として存在している。

「望が絶たれる・絶望」
つまり
この世では「生命」が消える言葉として「絶望」がある。
だから最優先して主題にするのは「生命」だ。
「生命」を如何に活性化するか?
これが原因・動機追及よりも優先する事なんだ

  生命の弱化A
07/24 (土)

心と肉体の関係を誤解したまま
「生命」を分析しようとする。
「生命」を観ずに心と体を分析する。
「生命」の先の「いのち」を感じようとしない。

この世は物質界だという事実を
素直に観るだけで解る。
心は肉体に付随している。
肉体の無い存在では、
「生命」を問題視しなくてもいいのだ。
当たり前だよね。

肉体の「生命」の量
肉体の「生命」の強さ
肉体の「生命」の質
これが弱化すると
「心」の影響が強くなってしまう。

心は元々不安定なモノなんだ。
肉体は「生命」を維持する働きで存在するが、
心は肉体が無いから(当たり前だよねぇ)
「生命」を維持する働きが少ない(無いわけじゃない)

「生命」が弱化すると
心のキマグレに左右されちまう。
「生命」がしっかりしていれば
心が挫けていても、
肉体を壊す行為はできないものなのだ。

そして「生命」が活性化していれば、
心がどんなに挫けていても、
やがて新たな道を見つけるものなんだ。
心をいじらなくても、
心は変わる。

「生命」の活性化には
幾つも方法がある。
確かに、心からでもできる。
心からでも幾つも方法がある。

体からでも出来る。
体からでも幾つも方法がある。
(魂からもあるが、難しい話になるからパス!)
でも優先順位があるんだ。

  生命の弱化B
07/25 (日)

心より肉体を優先する。
こんな当たり前の事を忘れるほど
この国の社会常識は狂っているんだ。

人類に限らず、全ての生物は、
生命維持の為に多くの時間を使った。
そして種族を存続させる為に生きてきた。
具体的には「食べる事」だ。
食事にありつく事だ。
そして、子孫を残す事だ。

その時にも「心」はあった。
もちろん傷つく事もあった。
挫ける事もあった。
悩みながら生きていた。
でも、心で死ぬ事は無かったのだ。

「生きる事」とは「いのち」を燃え上がらせる事。
「いのち」は「光」であり「元氣」でもある。

楽に食べられる社会は
「生きる事」を「肉体」(食べる事)に費やさなくなり
「生きる事」を「心」(悩む事)に費やす。
肉体に「いのち」を使えば「生命」は増大し、
(悩みの)心に「いのち」を使えば、
悩みは増大する。

腹が減っている状態では
悩みは引っ込むものなのだ。
色気(心)より食い気(肉体)が優るのは
当たり前の事なんだ。

何も食事を抜け、といっているのじゃない。
先に肉体を動かせば、心の闇は薄まるのだ。
歩く事。肉体労働をする事。汗を出す事。
クタクタになるまで、動き続ける事。
そうして「生命」は増大する。

基本が出来てからならともかく
心の原因を分析して、
気持ちの持ちようを説いて、
「生命」が増大するわけがないのだ。

基本は肉体。
この世では(あの世の事はわからない)
心は肉体に従って来る。

  生命の弱化C
07/26 (月)

「生命」を個体のモノと観るか、
生きとし生けるモノ全体の一部と観るかで、
弱化となるか、増大となるか分かれる。

近代になり「科学」という学問が歪んだ。
「科学」が間違っているのではない。
「科学」の定義が狂ってしまったのだ。
「科学」を狭い学問に閉じ込め、
科学至上主義の権威を与えたのが間違いだ。
数学が数学的観方の学問であるように、
科学は化学的観方の学問であり、
あくまで「一つの観方」でしかない。

証明し難いモノ、再現できないモノは、
確かに「科学的でない」が、
「科学的でない」モノを「真実でない」と決めつけた事は
多くの物事から目を閉じてしまった原因なのだ。

特に「生命」のような根源的モノは
今の「科学的」な対象には相応しくないのだ。
科学より生命の方が大きいのだ。
小学生が大学生を分析するのは適してない。
(出来ないとは思わないが、適役じゃない)

科学を盲信した科学教信者が増えたため、
「生命は個体に限定する」
と本気で思い込んでしまった。
「生命」って不思議なヤツ。
「意識」に律儀に対応して、
どんどん弱化していった・・・。

地球上が多種多様な生物に溢れているのは、
皆で「生命」を支え合い、
皆で「生命」を増大し合っているという、
単純で当たり前の事実を感じなくなった。

「生命の弱化」は「感性の弱化」なんだ。

  生命の弱化D
07/27 (火)

多種多様なモノとの遭遇
異なモノとの交流
そして循環(認め・受け入れ)
「生命」はこうして発生し増大する。

意識の部分で指摘するなら、
固定概念は「生命」を弱化させ、
意識転換・未知との遭遇は、
「生命」を活性化するのだ。
ここに「病・闇」からの脱出のヒントがある。

いろいろ手を尽くしても回復できない病がある。
体も心も手を尽くした範囲が
「固定概念」の中だけな場合が多いのだ。
今までと違った世界がある事を
想像もしなかった・・・。

でも、受け入れると、
体も心も速やかに変わる。
「生命」が発生し、活性化する。
当然、回復力・免疫力は増大する。
心に対する回復力・免疫力も増大する。

自殺の原因・動機にこだわらなくても、
原因・動機を変えなくても、
有効で根源的な乗り切り方だと思わんか?

生きていれば、いろいろあるさ。
辛い事。悲しい・哀しい事。
苦しい事。淋しい事。痛い事。
何度も何度も失敗だってするさ。
弱い癖はそう簡単に治せない。
そんな事をあれこれ悔やむより、
体の「生命」を増大する方がいい。
心は「生命」の増大に正比例する。
悔やむより・・・楽だし・・・。

体や心はマジメに鍛えるより、
柔(和)らげる方が強くなる。
反省するより、可愛がろうぜ。
可愛がられた体や心は柔らかくなるんだ。

「やわらぎ」は固定概念からの脱却でもある。

  オレオレ詐欺@
07/28 (水)

プロローグ
我家の豚児・豚子が夏休みになった。
豚児は新中学生でクラブ活動に毎日行っている。
好奇心旺盛な妹の豚子は小学生だが、
「青少年リーダーシップ・トレーニング」
という大層な名前の合宿に申し込んで行った。
一つの学校から2名くらいらしい・・・。
3日目には帰ってくる予定だ。

第一章
出発は昨日だった。
もう一人の子の親が車で現地まで送ってくれた。
赤城山の「赤城少年自然の家」で総数80名ほど。
車酔いをする性質の豚子だったが、
「大丈夫だった」と送ってくれた親から連絡があった。

第二章
2日目の今日の11時。
本妻の実家の祖母から電話。
「今、高崎の病院から、豚子が入院していると連絡があった
電話口で泣いていたけど、どうしたことか?」
連絡してきたのは看護婦さんだという。
何故、ワシの家、ワシの携帯、本妻の携帯じゃないんだ?
その後もワシの家にも携帯にも連絡は入らない。

第三章
こちらから合宿所に連絡する。
担当の係り「えぇ?変ですねぇ?今朝は元気でしたよ。
今、フィールドワーク中ですが病気・事故の連絡はありません。
携帯でもう一度確認してみます。」
すぐ連絡あり。
「第三チェックポイントを目の前で元気に通過しました」
・・・やはり・・・オレオレ詐欺かもしれない・・・

  オレオレ詐欺A
07/29 (木)

第四章
「暫定オレオレ詐欺」として対応することにした。
もしも今回の合宿参加者名簿が流出していたら、
家族はとても「ひっかかりやすい」状態だ。
子供や孫は離れた場所にいるから
「ケガです」と電話があれば信じやすい。
だから一緒に行った親に注意の連絡をした。
同時にワシの方の実家にも連絡をした。
「オレオレ詐欺の電話があるかも・・・」

第五章
本妻の実家の祖母には本妻が直接行った。
無事を確認した事を伝え
「お金を要求する次の電話があるかもしれない」
とオレオレ詐欺の電話だったと話した。
どうやら上手く誘導尋問され、
豚子だと思わされたようだ。
参加者名簿の流出ではなさそうだな。
「泣いてた声がそっくりだった・・・」
誰でも似ていると思うよ。

第六章
合宿所の係りの先生から電話が入る。
フィールドワークから帰って来た豚子が電話口に出る。
「もしもし。どうしたん?」
「何でもないさ。」
あれこれ説明してもしょうがない。
係りの先生に「オレオレ詐欺」の可能性を話す。
今後の計画に対応策を練りこんでいただければいい。

第七章
それにしても・・・詐欺は心理作戦だ。
電話口に祖母あるいは祖父らしき人が出れば
「お宅のお孫さんが・・・」と言えば
「えっ! と、豚子が!」
「そうです。豚子さんが・・・」と続ける。
誰が泣いても泣き声は同じく聞こえるし・・・
孫の事になると動転しやすいし・・・

第八章
今回相手(詐欺さん)にとって誤算だったのは
祖母に行動力が無かった・・・。
ワシという冷静沈着な婿にすぐ連絡した・・・。
その後も詐欺さんからの連絡は無い。
楽しみに待っているのにぃ〜

  半裸
7/30 (金)

山の中のワシの治療院でも暑い時がある。
今年は暑いのにどうしたことか、蝉の声が少ない。
それでも猛暑が続く最近では
出遅れていたミンミン蝉もアブラ蝉も競って鳴いている。
鳴いているのだか、叫んでいるのだか、歌っているのだか、
その他の声だか音だか、ワシは虫に詳しくないので判らない。
とにかく、そのくらい暑い・・・。

自慢じゃないけど治療院はクーラーが無い。
正確にいうと、昔のクーラーはあるが動かない。
カーテンを引いたまま窓を開け、玄関を開けてある。
扇風機も回っている。それでも暑い。

氣功療法時は風が邪魔になる。
体から吹いてくる風(みたいなモノ)を
掌で読み取るのに邪魔になる。
その風(みたいなモノ)がいろいろ情報を載せている。
まぁ、読まなくても氣功は出来るからいいんだけど・・・。
むしろ、情報なんか無い方がいいのかもしれない。
でも、その情報はクライアントが納得しやすいのだ。
「そ、そうです。何故わかるんですか?」
いや、カンみたいなモンなんですがね・・・。

ワシは誤解も六階も十戒も気にしないから、
説明無しでやる事だけやる時もある。
「要は変わればいい」
そういう不親切の時だってある。
やたらと説明指導する時もある。
決ったパターンはないなぁ・・・
基本は・・・いいかげん!

で、暑い時にはノースリーブに半パン。
もちろん裸足。時々シャワーを浴びる。
半裸状態だな。
ワシは小柄だし、毛深くないから、
それほどムサクルシイとも思えないが、
一般的な治療者の格好じゃないなぁ・・・。

ワシはいいけど・・・
クライアントは暑いだろうなぁ。
そう思っていたら、
そうでもないらしい・・・。
暑くても、我が治療院はすごしやすいらしい。

  小暑・大暑
07/31 (土)

7月の24節気は小暑・大暑だった。
この節気というのは陰暦を元にして、
ある地域の暮らしの指標としたものだ。
日本で云われているのは中国揚子江中間地域のものだ。
だから太陽暦だと1月以上ズレることがある。
だが今年の7月の節気は適合したようだ。

そして全体的に雨量が少なく、
局地的に記録的大量の雨量となった。
台風の通り道がズレて、予測が不安定になった。
天候の不順は自然調和の不順でもある。
自然の中にしか暮らせない地球上の生物。
(この当たり前の認識は人間に欠落ぎみだ)
自然の不順は暮らしの不順でもある。
多くの人が困惑し、苦しんだ。
多くの生物が困惑し、苦しんだ。

ワシの仕事は
原因探しをして治すよりも、
「いのち」の活性化を優先する。
いろいろなモノの観方も同じだ。

自然界の不順の原因探しより、
自然の「いのち」の活性化と
生物としての「いのち」の活性化が優先する。
原因探しと修正する時間も無い。
もう、そんな余裕がほとんど無いのだ。
地球と地球上の生物との調和は
簡単に修復できる時期を過ぎてしまった。

選択肢は極端に少ない。
個々の肉体の健康を正面から修正し、
本来の「いのち」の輝きを取り戻す。
「いのち」の仕組みを理解し、
「いのち」の一部の行動をする。

自然を守る
同時に推し進める事柄でもあるが、
優先するのは個々の健康なんだ。

「地球のいのち」は壊れない。
壊れるのは「地球上の生物のいのち」なんだ。
自然は壊れない。
壊れるのは「今の生物」なんだ。

この事が理解できないと、
生物は激減し、
人間は脆くなる。
そして・・・

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