05年10月のコラム           コラム3目次に戻る
  月餅・4
10/01 (土)

「氣入れ」は一応どんな対象にも出来る。
出来るが「し易いモノ」と「し難いモノ」がある。
入れても「抜け易いモノ」と「抜け難いモノ」がある。
例えば、水系のモノは易い。
入れる「氣」の反対波動が強ければ、難い。
難い中に「鉛」があるようだ。

ん?
御師匠様は少し首を傾げた。
水晶球を渡して次の品に「氣入れ」した。
「ヘンなモノが混じっているなぁ・・・」
後で感想を言った。

せっかく購入した品だ。
良いモノ、悪いモノと決め付ける事はない。
害をなす波動があるなら、修正すればいい。
その為の氣功だ。
最初から良質ばかり求めるのは身勝手だ。

「場」についても同じだった。
東京センターの場所。
いわゆる「場の悪い所」に構えた。
その理由を話してくれた事がある。
御師匠様らしいユニークな考えだった。

「場が悪いと、いいぞぉ」
借り賃が安い。
場を良くすれば大家が喜ぶ。
付近が綺麗に変っていく。
住民が仲良くなっていく。

  月餅・5
10/02 (日)

ワシは20歳前から精神世界に係わった。
妖しく、怪しい、胡散臭い事柄がウヨウヨしていた。
見えない世界はウソと勘違いで満ちている。
だが、僅かに素晴らしいモノが隠れている。
光も輝きも清浄も見えない世界にあった。

「場」という概念ももちろん知っていた。
見えない世界を多少判断できるようになる。
すると、ほとんどの人が「良い場」を求める。
「良い場」を求める事に何の疑問も持たなかった。
それは、それでいいだろうと思う。

だが「場の浄化」が出来る側になったら違う。
「ケガレの場」を「清めの場」に変えるのが使命だ。
ワシ等はケガレ(氣枯れ)に「氣」を込める者。
「氣枯れ」の体や心が「闇・病」という状態だ。
氣功師は伊達じゃない。
(注:といっても氣功師が清いわけじゃないぜ。
ここを勘違いするとロクな事にならない・・・)

ワシはそれまで中途半端な浄化者しか知らなかった。
「良い場」を選ぶような人しか知らなかった。
「良い場」を優先して独占しかねる者たちだった。
その正反対の方法を示した御師匠様。
その言葉と行為は自然体であり、当たり前だった。

ドブに手を入れて浄化する役目。
そういう道を選ぶのか?
結構・・・キツイぞ。
それでもいいのか?

運命などというほどのモノじゃない。
ハズミというモノだろう。
「この道を歩きたいのですが・・・いいですか?」
この中国同行時にワシは故御師匠様に許可をもらう。

「当分、メシが食えねぇぞ」
ワシの不器用さを見抜いて(誰でも判るか・・・)、
故御師匠様は(優しく?)言った。
それは・・・事実だった。
見当違いであって欲しかったが・・・。

  月餅・6
10/03 (月)

林厚省先生の指導を受けたのもこの時だ。
国連で招かれ、講演を行った中国の氣功師だ。
何を基準に世界一をするのか諸論があるが、
世界が公式に認めたという意味では世界一の氣功師だろう。
その後アメリカの客員教授と中国の大学教授となった。

世界初の公開氣功麻酔をした医師でもある。
「太極氣功十八式」創始祖でもある。
中国・日本・アメリカ・東南アジア諸国で、
愛好者1千万人ともいわれる保健気功法だ。
林厚省教授については、多くの人が書いている。

故御師匠様は人を惹きつける魅力がある。
あのチャーミング?な小太りのボディ。
ニコニコマークのカーネルサンダーおじさん顔。
北海道弁丸出しの飾らない言葉。
ユニークを通り越す言行。
数桁外れの氣功(本人の容量だろう)。
数桁外れの深い優しさ・・・。

林厚省教授も魅せられたようだ。
多くの団体や個人が十八式指導許可を願っていた。
それがあまり興味も示さない故御師匠様に依頼した。
医療氣功専門だから保健氣功は特に必要ない。
だが来るものは拒まぬ御師匠様だ。
見えない世界ではお互いを認め合う達人同士だ。

ワシは御師匠様と係わって超幸運が連続している。
すると幸運が日常だと思ってしまう。
幸運は当たり前だと思っていた。
御師匠様と係わっているんだ。
いろいろラッキーが起こって当たり前だろう。
ワシは恵まれている事にマヒしていた・・・。

  月餅・7
10/04 (火)

林厚省先生からの直接指導に恵まれた事。
今になって、そのラッキーさが判る。
ワシはその後、龍村道場でも直接指導を受けた。
日本・中国で計4回も直接教わっているのだ。
ワシ、アホだから当時は価値が判らんままだ。

日本にいる時に指導員から教わっている。
一応は一通り出来る。
ところが林厚省先生の動きを見て愕然とした。
同じ型で、まったく次元が違う。
林先生の周辺は別な「場」だった。
(注: りん・こうしょう、と読んでね)

人の大きさ。
動きの大きさ。
目に見える大きさ。
それらが見かけだけだと判る。
それまでの保健気功法の概念が崩れる。
概念は垢だな・・・ボロボロ剥ける。

ワシが知っていた(保健)気功法。
太極拳や幾つかの保健気功法。
体の動きと体内の「氣」の動き、巡り。
もちろん小周天から大周天へ。
大宇宙と自分との交流が可能なのも判る。

だが・・・そんなモノじゃない。
理屈や感覚の世界じゃない。
やはり、ホンモノを観るのは大切だなぁ。
一遍で新たな世界に出会ってしまう。
ワシは(保健)気功法を観直した。
ワシの理解は狭かったです・・・ハイ。

  月餅・8
10/05 (水)

猫に小判。
豚に真珠(注:本妻ではない)
ワシは林厚省先生から証書をいただいた。
「太極氣功十八式」第一套
更に上級の第二套も・・・。

健康氣功には医療と保健がある。
ワシは医療を専門とした。
人が変る瞬間が見たかった。
人が明るく変る瞬間が好きだった。
闇に手を入れるのが苦手ではなかった。

保健氣功の指導者は大勢いる。
太極拳や気功法を教える人達だ。
だが専門の医療氣功師は少ない。
指導の道を歩こうとは思わなかった。
「太極氣功」を教えようとは思わなかった。

せっかく教えていただいたのに・・・。
猫や豚に宝を授ける林先生が理解できなかった。
今は理解できる。
猫や豚にさえ宝を授ける優しさ。
氣功の達人は桁外れの優しさの器なのだ。

先はわからん。
未来は未確定だ。
ましてワシは尚更だ。
教えを活用する事もあるかもしれん。
多分・・・あるだろう。
最近は、そんな気がする。

  月餅・9
10/06 (木)

月餅は何処へ行った♪
ツバメよ、探しておくれ♪
地上の餅を♪
・・・御筆先様も何処かに行った♪
探さないと駄文が続かない・・・

「太極氣功十八式」の証書。
ついでにいただいた証書もある。
「氣功医師」
いいのか? いいのだ!
無謀な氣功の達人が二人で授けてくれた。
ワシの責任じゃあるまいし。

ワシがどうなるか?
当時は未確定の時だ。
無謀だと思うが・・・
ワシはどうにかなった。
プロの医療氣功師にどうにかなれた。
振り返ると・・・無謀だったと思うがなぁ・・・

まぁ氣功医師といっても民間資格だ(と思う)。
北京現代管理学院・国際信息研究所の印がある。
ワシは今でも何だかわからない。
どうでもいいと思っている。

故御師匠様の言葉がある。
「資格証書なんて屁みたいなものだ。
明日も同じ資格があるか誰にも判らない。
特に氣功師は意識によって変わってしまう。
おごれば、すぐ消える資格だ」

ワシが使っているが、ワシの能力じゃない。
明日には消えているかもしれん。
ワシの能力じゃないからこそ、心配する必要もない。
力を自分のモノにしようとは思わない。
使えるならば、使えばいい。
役が終わったら、消えるだろう。

ワシはズルイのかもしれない。
心底、ワシの能力でないと認めると、
能力の幅が広がる事を・・・知っている。
ワシが手放すと、大きくなる事を知っている。
この世の仕組みがヒネクレていると知っている。

  月餅・10
10/07 (金)

当時の写真がある。
ワシを挟んで、向かって左側が林厚省先生。
右側に故御師匠様。
今はわかる。
とても貴重で大切な写真だ。

ワシは小柄だ。
写真ではワシと二人の巨匠も変わらない。
ところが実物は違う。
通常の何百倍か何万倍か計り知れない。
見えない世界は・・・面白い。

当時は判らない。
判らないまま歩いていた。
頭で判断する気が起きなかった。
何かが足を進ませた。
勝手に物事が進んでいると思った。

そして・・・
御師匠様が逝ってから判る。
急に逝くんだもんなぁ・・・。
何とか間にあうようにしてくれていた。
そういう事なら、ワシだってもう少し・・・。
有り難かったから、感謝のみ・・・。

今も後悔はない。
御師匠様が逝っても、悲しく無い。
ワシとしては出来すぎの出来事だ。
ラッキーが続きすぎた。
そして、多分、今も続いている。
そして、多分、未来も続く。

この「氣」はラッキーと友達だ。
ワシもラッキーの仲間になる。
ラッキーの僕(しもべ)でいい。
名犬?迷犬?珍犬?駄犬?奇犬?氣犬?
ワシは猫や豚から犬になる。
それで、充分だぜ。

  月餅・11
10/08 (土)

思い出した事がある。
例の外国人向け(ワシ等)の特設土産会場だ。
ワシはウロウロと見ていた。
中国独自の手の込んだイイモノもある。
イイモノはあるが、ワシに金が無い。

おや?
何故かホコリだらけの黒い板が呼んでいる。
ホコリ板に知り合いは無いのだが・・・。
フッ!ホコリを少し払った。
見ると黒檀板に象嵌された「般若心経」。

他の商品には必ず値札が付いていた。
なのにホコリ板には何も付いてない。
これは・・・ラッキーかも。
ワシは腹の中で密かに微笑んだ。

ワシの特徴かもしれない。
地域が変ると人格が変るのだ。
別のワシが表側に出てくる。
中国なら中国に溶け込める人格。
インドならインドに溶け込める人格。
九州なら九州にいて違和感ない人格。

普段のワシとは違う人格であり感覚だ。
結構・・・したたかになれる。
普段は控えめな無特徴のオッサンだ。
目立たぬように生きている・・・。

特に北関東の上州生まれだ。
値段の交渉など、苦手中の苦手だ。
値段の事でアレコレ言うなどメンドウだ。
江戸っ子の見栄っ張りとは違うが、アホさは同じだ。
払えるなら相手の言うなりでいい。

ところが外国では違う。
10倍は最初から吹っ掛けてある。
普段ならそれでもいい。
10倍くらいでガタガタ言うな。
そういう(アホな)自分が奥に引っ込むのだ。

係員を呼んだ。
ニコニコ揉み手で飛んでくる。
カモが葱とナベとガスコンロを背負って来た。
ニホンジン、何ていい人♪。

  月餅・12
10/09 (日)

売りたい値段の10倍〜20倍。
それが値札だと思っている。
交渉で半分まで下げると、ニホンジンは喜ぶ。
売り手も大変喜ぶ。
双方喜ぶから、ハッピーね。

係員は心の中で獲らぬ狸の皮算用。
シメシメ、マヌケ顔のニホンジンだ。
どれを買いたいの?
ん?

係員の顔が一瞬曇った。
値札が付いてない・・・。
対応のマニュアルにない。
官僚国家の中国だ。
自分の権限外をヘタに出来ない。

チョット、マッテ、クダサイ。
現場責任者を呼んだ。
責任者が来た。
シメシメ、マヌケ顔のニホンジン♪
何を求めているのか?
ん?

何かの混乱で紛れ込んでしまったのだろう。
ホコリにまみれた小さな衝立だ。
古いモノかもしれない。
もちろん、売れるなら売ってしまう。
値段は・・・

「う〜m・・・これは5万円ね」
この頃の中国は混乱期だ。
どうやら外国人は骨董品が好きみたい。
だが、骨董品の値段はあってないようなもの。
目の無い者が値段を付けるのだ。
付ける値段に自信は無い。

新しく作る骨董品のマガイモノは値段が決っている。
だが、ホンモノの骨董品の値段は暗中模索で決まる。
だが・・・実はワシは多少の目利きが出来るのだ。
フッフッフ・・・職人の倅を舐めんなよ。

(な、何でこんなモノがあるんだ?)
「・・・5万円ね」
不審な目と迷った目と躊躇の目。
少し自信無さそうな目を見逃さなかった。
(フッフッフ・・・やったね)
ワシは余裕で交渉に入った。

  月餅・13
10/10 (月)

50×70cmの黒檀板。
その下を支える透かし彫りの台。
螺鈿の象嵌で265文字の「般若心経」。
一文字一文字が彫ってあり、埋めてある。
裏には幾つかの絵模様。
(多分チベットの縁起絵だと思う)

その文字の素晴らしさ。
ワシは字が下手だが素晴らしさは判る。
こ、これは、タダモノではない!
何よりも全体から溢れる「浄化の氣」がある。
ホコリで隠れているが、とんでもないシロモノだ。

(以下はワシの勝手な想像という事にしておこう)

1960年代。
中国は文化大革命と称し寺院の打ちこわしをした。
その時、多くの仏品が壊され焼かれた。
だが隠されて難を逃れた仏具や仏品も多かった。
混乱に乗じ、盗まれたかもしれないが残れたのだ。

1980年代。
民家に隠されていた仏具や仏像や仏品類。
自由経済化への政策の転換により表に出た。
もちろん、非公式だ。
屋台などの土産類に混じって売られた。
国宝級の品が暗い夜店に混じる。

多くは国外に出ただろう。
この時にもまだ残っていた品が時々売られた。
元々盗まれた品だ。
持ち主が名乗れない事情がある。

意図して政府公認の品に混ぜる。
あるいは、間違って混ざる。
いずれにしても、闇で売ってしまう。
闇で売ってしまわなければ、ならない。

ワシは細かい事情を知っていたわけではない。
だが(普段眠っている)勘が働いた。
ラッキー時は判るものだ。
これはワシ用に幸運が舞い込んでいる。

フッフッフ・・・。
悪代官とコンビの「越後屋」が降りてきた。
ワシはマヌケ顔から、したたかな越後屋に変身した。
フッフッフ・・・コッパ役人など簡単に出し抜けるぜ。

  月餅・14
10/11 (火)

5万円。
中国と日本の価値差を10倍としてみる。
中国の価値で50万円くらいだろう。
だが最初から10倍を掛けているとみる。
中国の価値でも5万なら充分と踏んだ。
いや、幾らでもいいと思ったのだろう。

ワシの目は日本の価値で200〜300万と観た。
役人が20万と言ったらワシは諦めた。
だが唯物論の国に成り下がった中国の役人だ。
目に見えない価値を見抜く目は閉じていた。

「ノウ!1万がいいところだ」
ワシは自信たっぷりに言った。
ワシは鬼のようだ・・・。
いつからこんなにズルくなったのか・・・。

役人「そ、それは、安すぎる。せめて3万」
ワシ「オマケでも1万5千円だね」
役人「そ、そんな事言わないで下さいよ。」
ワシ「フッフッフ、ほれ、部下が見てるぞ、どうする?」
役人「2万でお願いしますよ。お願い・・・」

もう少しイビってもよかったが、他の人が来た。
この衝立の価値に気づくだろう。
ここらでマヌケなニホンジン役をするか・・・。
ワシは嫌な越後屋タイプだなぁ・・・。

「わかった。その代わり、丁寧に包装してくれ」
「謝謝!」
こうしてワシは2万で買った。
2万なら相手も充分喜んだろう。
ワシも充分喜んだ。
双方、異論はないだろう。

螺鈿の象嵌の黒檀の透かし彫り台つき衝立。
しかも名人の「般若心経」
一文字一文字が「氣入り」で彫ってある。
ホコリにまみれていたが、欠けた箇所はない。
もちろん、剥がれた螺鈿もない。
完璧な仏品だ。

  月餅・15
10/12 (水)

この象嵌の「般若心経」衝立の仏品。
実は前兆があったのだ。
それは約1年前の1993年。
ワシには何度目かの異現象があった。
(03年9月のコラム「異現象」参照)

イキナリ般若心経や観音経を覚えさせられた。
そして半年後に亡くなった父親に唱える事ができた。
49日法要の日、ワシは生駒で氣功師となった。
般若心経の浄化力については理解していた。

家庭不適合の父親だった。
家庭より自分の道を歩く事を優先する。
困った性格だが、ワシはその血を受け継いでいる。
だから氣功師という怪しい立場になれた。
家庭優先なら崖っぷちは歩けない。
その父親の仏壇に供えるつもりだった。

20代に後輩の親と何故か親しかった。
コケシ職人だった。
銘木・奇木を教えていただいた。
黒檀、紫檀、鉄刀木(タガヤサン)。
花梨などの玉目の魅力を知った。
だから、一目で価値が判ったのだ。

自分で黒檀を削って茶杓を作ったりした。
(歯科技工士だからカービング道具あり)
煤竹風に節などを彫刻したのだ。
だから、その削る大変さを知っている。
(20代は何故か茶道を習っいたのだ・・・
膝を壊して途中で挫折。登山も・・・)

黒檀に螺鈿の象嵌。
しかも般若心経。
しかも、しかも、字が名人級。
裏面の絵も見事な象嵌。
足台の透かし彫りも見事。

わざわざホコリにまみれて・・・。
さも厄介モノの振りをして・・・。
金の無いワシ用に用意されていたとしか思えない。
これを買わなきゃバチが当たったろう・・・。

だから人生は面白い。
何が起こるか分からない。
アナタ用にラッキーは転がっている。
愉しいイタズラが用意されている。
ワシはそんな気がするけどなぁ・・・。

  変態・1
10/13 (木)

絶対勘違いするよね。
題名に期待して訪れた人、ゴメン。
ワシはそっちの変態を書けるほど人生を知らない。
(正常でない趣味、という意味の変態)
マトモ(正常)も半人前だ。
一人前の変態なんて、当分先だぜ。

ワシが書ける人生。
マトモでもなく、変態でもない。
奇妙、微妙、玄妙な世界の一部。
ここでも半人前だ・・・。
それでもプロ側の世界にいる。

その世界は変身と変心と変魂がある。
意識や生き方や感覚まで変わる世界だ。
それを・・・「変態」と名づけた。
態が変わるからだ。
虫の変態と同じだ。

幼虫が羽化する。
身体が変わるだけじゃない。
地上しか知らない人生(虫生?)が、
空を飛ぶ生き方に変わるのだ。
モノの観方も変わる。
感覚も変わる。

人の人生(変な言葉使いだなぁ・・・)も変わる。
時に、変態する事がある。
変態しようと、もがく事がある。
イキナリ、変態してしまう事だってある。
変態しない人生もある。

病からの回復を観る。
病には「浅い病」と「深い病」がある。
病名の違いではなく、進行度の違いでもない。
どんなに重病でも「浅い病」もある。
軽病でも「深い病」もある。

浅い病は原因や回復条件が単一か単二。
深い病は幾つモノ条件や治療法が必要となる。
そして、深い病は絶対条件がある。
それが・・・変態だ。
(ふざけていません・・・本気です)

  変態・2
10/14 (金)

モノを買う。
金が余って余って仕方が無い。
そういう人以外は安い方がいい。
ワシなら無料もありがたい。
苦労して作った人の事を思わなければ・・・。

何かを身に付ける。
教えてもらう。
合理的に時間を節約する。
同じ憶えるなら早い方がいい。
知識でも技術でもだ。
ワシはメンドウ臭がり屋。

そのモノグサなワシがヨガと出会った。
龍村先生という素晴らしい行者と出会った。
ヨガは身に付けるモノじゃない。
ヨガは自分が変わる実践哲学だ。
技術や知識ではない。

変わるモノと買えるモノは違う。
変わるモノと憶えるモノは違う。
とても、とても大切な事だ。
これを知っただけで人生が変わる。
人間が変われる。

だから先生でなく御師匠様となった。
先生と御師匠様との違いだ。
教えてくれる人ではない。
変わる事ができた恩人だ。
そして変わり続ける事ができる道標の人だ。

人が変わる。
人が幸せに変わる。
人が笑顔に変わる。
そこに係わる道を選んだワシだ。
計算してヨガを学ぼうとしたわけではない。

ところが「変わる」根本がヨガにあった。
身をもって指導する師匠と出会った。
ワシは何てツイているのだろう。
ワシは何てラッキーなんだろう。

先祖の陰徳があったのかもしれない。
運命の女神が粗忽者だったのかもしれない。
メガネが曇っていたのかもしれない。
それでもラッキーは変わらない。
変わるのは自分の方だ。

  変態・3
10/15 (土)

変態するのに合理的は無い。
使った時間。
使ったお金。
使った意思と力。
それらが全て必要なのだ。

モノを買う。
技術や知識を身に付ける。
そんなつもりだと失敗する。
適した変態が出来ない。
せっかく「縁」が繋がっても変態が上手く出来ない。

時間やお金や力は「通常社会」の次元。
変態は「別の世界」に係わる次元の扉だ。
時間やお金を節約すると扉は閉まりだす。
とても大切な理だ。

ワシは極低収入の時期だった。
(働いてないようなものだ・・・)
それでも憑かれたように通った。
二人の御師匠様を追いかけた。
(途中で一人は逝ってしまわれたが・・・)

後で理解できる。
ワシの歩き方が最適だった。
だから変態できた。
ワシは変態オヤジになれた・・・。
(こ、この言葉でいいのか?ん?)

時期が適合すれば変態できる。
条件が揃えば変態できる。
本人の「気づき・覚醒」で左右する。
正面から真ん中を歩く。
変態時には必要な事だ。

普段の生き方なら、千鳥足を薦める。
回り道や遊び道を薦める。
真っ直ぐ歩くと間違いやすい。
ゆっくり息を吐きながら歩いてくれ。

だが変態時は非常時でもある。
ここだけは・・・正面を真っ直ぐ歩いてくれ。
変態時の一つに
深い病からの回復が含まれる。

それまでの身体や心や生き方を変える。
深い病の原因の幾つかが、そこにある。
変わるから病は消えざるをえない。
当たり前の理だ。

  変態・4
10/16 (日)

変態は壁を乗り越える事じゃない。
頑張っても変態できない。
諦めたら、変態しない。
頑張らない、諦めない変態・・・。

認め難い事を認める。
意識をやわらげる。
時期が訪れた事を認める。
変態の時期が来た事を認める。

時期は場合により、壁に見える。
それまでの生き方が出来なくなる。
それまでの生き方だと苦しむ。
逆に考えれば・・・
壁や苦しみがあれば、変態の時期がきたのかも・・・

病は何かのメッセージを含む。
何かが解る場合もある。
何かが解らない場合もある。
解らなくてもいい。
「変わって下さい」という意味だ。
変態の時期は間違いない。

ワシは上手く変態できる言葉を作った。
それは治療院の天井に貼った。

「病は気づきのメッセージ
気づく前も気づいた後も
いつもニコニコ、これが大切」

笑えるようになれば、何とかなる。
笑えれば身体も心も、やわらぐ。
「場」もやわらぐ。
時期が来ていれば、変態できる。

ニコニコ。
それは自然体でもある。
頑張らない。
諦めない。
変態は自然体で起こる。

  変態・5
10/17 (月)

ヘンシーン!
仮面ライダー、ゴレンジャー達。
彼らは変態じゃない・・・。
彼らは変身しかできない連中だ・・・。
女装するようなものだな・・・。
(せ、正義の味方に、何という事を・・・、
女装趣味とは、違うと思うぞ・・・たぶん・・・)

変身だけでは浅いのだ。
心が変わらない。
生き方も変わらない。
簡単に元に戻ってしまう。
正義の味方は浅く軽い・・・。
(注:ワシはショッカーの仲間じゃないぞ)

本物の変態は元にもどらないのだ。
羽化した蝶は毛虫にもどらない。
変態は深く重い・・・。
(注:ワシはヘンタイの応援団じゃないぞ)

変態後は違う人生が待っている。
もう一つ広がった世界が待っている。
もう一つ「やわらか」な世界が待っている。
変態は幸せのための仕掛けなのだ。

人は幾度も変態できる。
その事に気づく為の苦しみがある。
その事に気づく為の病がある。
幾度も新たな喜びが用意されている。

病は気落ちする出来事ではない。
新たな喜びを得るチャンスなのだ。
だがこのチャンスは油断できない。
病は通常時の出来事ではない。
油断している時間がないのだ。

人生が変わるのだ。
変態は本気でする。
肩の力を抜いて本気になる。
一部分だけの変身では時間の無駄になる。
全てを変えてしまおうぜ。

  変態・6
10/18 (火)

せっかく変態したのに元に戻る場合がある。
変態し直してしまうのだ。
元の癖に引きずられて変態し直す・・・。
すると・・・消えた病も元に戻る。
霧が晴れたと思った「気づき」も隠れる。

せっかく病になったのに無駄時間にする。
せっかくチャンスが訪れたのにフイにする。
せっかく「気づき」を得ても捨ててしまう。
せっかく変態したのに、変態し直してしまう。

故御師匠様は注意してくれた。
「病になった。病が治った。それぞれに意味がある。
自分一人で嘆くな。喜ぶな。
多くの人やモノに支えられているんだ。
感謝が無ければ、元に戻るぞ」

病になっても感謝。
治っても感謝。

ワシは最初「病への感謝」が理解できなかった。
今は解る。
病だって変態だ。
変態と感謝はセットだ。

人は変態する為に「この世」に来た。
だから、どんな変態だろうが感謝だ。
変態よ、ありがとう・・・。
(どう書いても、何か変?)

戻らない呪文の一つに「ありがとう」がある。
「ありがとうございます」がある。
これは行い(言葉を言う・書く)だ。
「感謝」は心で思う事ではない。
(もちろん、心で思ってもいいけど・・・)

心だけで感謝しようとしても、心はヒネクレている。
心は矛盾する多種多様の塊で創られているのだ。
だから、心は放っておくのだ。
変態に大切なのは「行い」なのだ。

「ありがとう」を言えば(書けば)
病は元に戻らない。
何度も言えば、心は追ってくる。
心と行いが一つになると、大きな力となる。
心の感謝は「行い」で決まる。

  変態・7
10/19 (水)

変態のマントラ(呪言)は「ありがとう」。
マントラがあるならポーズもある。
ヘンシーン!にもポーズがあるのだ。
負けちゃ〜いられねぇ。
(勝負してんのかよ・・・)

マントラとポーズはコンビで売っている。
「マントラで〜す。ポーズで〜す。
二人合わせて、変態ブラザーズ!!」
最近のお笑いは何でもアリなのだ。

ポーズは手印(ムドラー)でいい。
手印の種類はとても多い。
各国の仏像をみてもわかる。
指が絡まっているような印もある。
指が柔らかくなければ・・・折れるかも。
(そ、それは、無いと思う・・・)

だからワシは最高の手印を薦める。
(メンドクサガリ屋だからだ。
これ一つで全部代用しちまえ!)
金剛印、つまり合掌だ。

変態するにはマントラと手印。
「ありがとうございます」と合掌。
変態したらマントラと手印。
「ありがとうございます」と合掌。
元に戻らず、先に進める。

変態は・・・難しくない。

この世を創ったグレちゃん(グレート・サムシング)
イタズラ好きでヒネクレている。
だけど、とてもとても優しい。
誰でも、時期がくれば変態できる。
自然に変態できるように仕組んである。

自然体なら適した変態が出来る。
変態したがると・・・変身しか出来ない。
これがグレちゃんの優しさだ。
これがグレちゃんのヒネクレだ。

変態は、
力み(欲)を静めれば難しくないぞ。

  みる・1
10/20 (木)

「コーヒー豆を挽く器具」
っていう話じゃなくて・・・。
見えないモノを観る話だ。
(しょうも無いマエフリ・・・
お笑い芸人は諦めよう・・・・)

久しぶりに美術館に行った。
そして・・・みた!
部屋の隅にひっそりと座る学芸員のおねえさん。
ひっそりとしているが・・・
見物人が悪さをしないように見張っている。
という話じゃないくて・・・。

絵を観た。
ワシが19歳だったと思う。
絵を観る事を教わった。
絵は見るのではなく、観るものだと教わった。
教えてくれた先生の名前は・・・忘れた・・・。
当時フランスから帰国し家政女子大の美術講師だったと思う。

そして初めて観た絵。
ルノアール。
その頃、同じ名前の喫茶店がアチコチにあった。
今は何処に行ったのか?
厚い野暮ったいコーヒーカップ。
ステンレスのお皿のスパゲッテイナポリタン。
「何もかも、みな・・・懐かしい」(沖田艦長 談)

池袋の西武デパート内だったと思う。
ルノアール展があったのだ。
ワシは初めて観た絵に感激した。
絵から「何か」が流れてくるのだ。
初めての感覚だった。
それから展覧会中に幾度も通った。

このルノアールのお蔭だった。
その後の芸術品の観方が出来た。
それまでは解らなかった。
「見る」だけでは解らなかった。
何が素晴らしいのか解らなかった。

そうかぁ・・・
見るのではなく、観るのかぁ・・・。
観る、とは「感じる」事なのかぁ・・・。
目が覚めた。
ワシはラッキーだった。
「観る」事を十代で知る事が出来た。

  みる・2
10/21 (金)

そうか!
感性で観ればいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価と同じでなくていいのだ。

そうか!
感性で描けばいいのか。
他人と同じでなくていいのだ。
他人の評価はどうでもいいのだ。

「観る」事から世界が広がった。
描く事も書く事も自由になった。
感じる事も自由になれた。
たった一枚の絵。
解放された出来事は多い。

観るには「見ない」事。
「見える」事にとらわれない事。
今、気づいた。
この後に精神世界への扉と出会う。
そうかぁ、すでに準備があったのかぁ・・・。

さらに今回気づいた事がある。
ルノアールと同時代同印象派のモネ。
自然の一瞬を描いた画家だ。
同じ部屋に「睡蓮」があった。
でもルノアールに惹かれる。

ワシは最初がルノアールだから、
「刷り込み」があるのかと思った。
ルノアール贔屓なのかと思った。
だが今のワシに関係する理由があったのだ。

「光を当てる」
印象派といわれる画家達。
モネは自然の風景に光を当てた。
一瞬ではなく、一瞬の変化を描いた。

ルノアールは人物に光を当てた。
普通の人達に光を当てた。
特別な存在だけに光を当てたわけではない。
生きている人に共通するモノに光を当てた。

生きとし生けるモノに共通する。
それは「生命」だ。
ワシのライフワークの中心だ。
「輝く生命」に反応するのは宿命だ。

  みる・3
10/22 (土)

そうなのだろうか?
何も知らない19才。
未だ歩く道も決ってない。
その頃にすでに示唆する出来事があったのか?
その頃に少しづつ準備はあったのか?

歩く道を見つけたのは40歳過ぎだ。
そして「生命」がライフワークになる。
「生命」に惹かれる。
やっと、それまでの出来事が繋がる。
ワシは・・・鈍かったのかぁ・・・。

19才の「観る」。
「観る」だけで精一杯だった。
それだけで感激していた。
見えない世界の扉へたどり着いたと思った。
もっと先まで用意されていたと気づかなかった。

その時に「生命を観る」まで用意されていた。
だがアホでドジでマヌケなカメは回り道に進んだ。
回り道と本道の区別なんか付くはずが無い。
今でも・・・区別は判らないかもしれない。
ワシは今でもアホでマヌケなカメだ。
これには自信があるぜ。

病の回復への方法はいろいろある。
医学に基づいた方法。
健康に基づいた方法。
自然(体)に基づいた方法。

ワシにはワシの基準がある。
「生命」が輝く(喜ぶ)かどうか?
主とした手段として「氣」を扱う。
意識変化の手段として「言葉」を扱う。
いずれにしても「生命の活性」だ。

ルノアールの絵。
そこには「生命の輝き」が描かれていた。
「生命の輝き」を観た。
ワシが魅かれるのも当たり前だ。

輝き(喜び)は温かい波動となっている。
ルノアールの絵に初めて出会った時、流れてきたモノ。
それは「温かい氣」だった。
それを感じる事が出来た。
感じる事が「観る」事だった。

  みる・4
10/23 (日)

少しマニアックな話だ。
「見ない」で「観る」。
「観ない」で「観る」。
見ようとしない。
更に、観ようとしない。

ワシのズボラな方法。
それは「見る事」も「観る事」もしない。
そんなメンドウな事はしない。
ワシはナマケモノの生き方をする。

結果として観えてしまう。
だが・・・それもどうでもいい。
観ても、観なくても、する事は同じだ。
ワシは原因を求めない。
診断、判断を求めない。
する事は同じだからだ。

生命力の活性化。
ワシはアホの一つ覚えなのだ。
原因の違いで手法を違えない。
診断の違いで方法を違えない。
大元だけを相手にしているのだ。

「見る」から「観る」
「観る」から「みる」
そして・・・「みない」

「みない」と「みらい」は似ている。
似ていれば・・・何とかなるだろう。
未来が輝けば、歩いていける。
闇(病)に方向が示されるのだ。
何とか歩けるはずだ。

つまらん原因探しはしない。
間違いやすい診断もしない。
しなくても、する事がある。
する事は同じだ。

過去も現状も「みなくていい」。
する事だけすれば、何とかなる。

  みる・5
10/24 (月)

ナマケモノは更に図に乗る。
「みない」で済むなら・・・
「治さない」治療もあるだろう。
「治す」「治さない」はどうでもいい。
(い、いや・・・本人はよくないと思うぞ・・・)

この世の仕組みはヒネクレている。
「捨てる」と広がる。
「みる」「みない」にこだわらないと・・・
勝手に「観えて」しまう。
ワシはズルイと思う・・・。

「治す」「治さない」にこだわらない。
勝手に「治る」方法を求めている。
ナマケモノの治療師を目指している。
ワシもクライアントも楽な方法。
それが最速、最適だと知ってしまったからだ。

「治す」「治さない」にこだわらない。
だが・・・それが結構難しい・・・。
ワシはナマケモノを目指しているが、
ナマケモノに成り切れないでいる。
ナサケナイなぁ・・・。

「治したい」にこだわっている。
力が入っている。
未熟者だなぁ・・・。
もっと「いいかげん」になりたい・・・。

「治す」
「治す手伝い(応援)」
「治さない」
「治せない」
ここから次の世界に行きたい。
境までは来ているのに・・・。

まぁいいか。
次の世界がある。
そして、更に次の世界もあるだろう。
ワシにも成りたい(変りたい)自分がいる。

ただ、いるだけ。
そういう自分に成りたい。
究極のナマケモノ・・・。
ナマケモノのヒーラー。
それが太陽だ。

  あき・1
10/25 (火)

「もうあきた、となりはいわてか、やまがたか」

う〜m・・・我ながら秀逸である・・・。
ワシの庭にある谷川岳が初冠雪。
谷を降りる風が、イキナリ秋を連れて来た。
ワシ的には幸運の女神でも連れて来て欲しかった。

「肥ゆるアキ、春夏冬も、肥ゆる妻・・・。」

う〜m・・・句としては写実的すぎる・・・。
ワシが壊れた句を詠む時は「反動」がある。
身体にダメージを受ける。
ワシはプロだからセルフヒーリングをする。

意識して、心をハチャメチャにするのだ。
これはある程度のヒーラーなら頷くはずだ。
心をある程度操れるなら、この方が速い。
身体の回復に心は邪魔をしがちなのだ。

身体のダメージは即座に回復しておくに限る。
そうでないと、後がメンドウだ。
ワシはナマケモノのヒーラーだ。
だから、ワシの心は常にハチャメチャ・・・。

「アキ付加し、隣のトトロは、メイ付加し・・・。」

う〜m・・・こねくりまわしすぎだ・・・。
映画を知らないと、わからない・・・。

「水沢アキ、八代アキとは、別人だ・・・。」

う〜m・・・深い真理が見え隠れする句だ。
名は同じでも苗字が違うと別人になる・・・。
名とは何か? 苗字とは何か? ふ、深い・・・。
春野アキとか秋野アキとかもいいかも・・・。
いずれにしても、アキで季語になるから楽だ。

「アキたのね、私の身体に、アキたのね・・・。」

な、なんだ! この句は・・・。
身体には春も夏も冬も秋も来るものだ。
だが、キミの存在は光だけなんだよ・・・。
アキはない!
た、ただ、ボクには眩し過ぎるから・・・。
さ、さようなら〜。

  あき・2
10/26 (水)

喧騒の電車に乗り、
喧騒の駅で降りる。
そこも喧騒の街。
ふと見上げて気づく。
俺が動いているのは、谷の底。
ビルの谷間で毎日蠢く。

季節の無い街だと思っていた。
谷間から仰ぎ見る狭い空。
空は秋に変っていた。
「変れるんだぁ・・・」

辞める時は上司を殴る。
そう思っていたのに・・・。
笑顔で挨拶できるとはなぁ・・・。
ハッハッハ。
俺も変れるんだなぁ。

空は、理屈で変ったわけじゃない。
力で変ったわけじゃない。
夢で変ったわけじゃない。
時期が来たら、変っていた。

力を入れてた時は変れない。
理屈では変れない。
想像では変れない。
思っただけでは変れない。
笑顔で、変れる。

なんだ。
簡単だった。
時間がかかったけど、簡単だった。
全て必要だっただけだ。
そして、何も必要ではなかった。

気づいたら変った。
変ったら、気づいた。
空が秋だけじゃない。
風も秋に変っていた。
海も秋に変っていた。
コンクリートの下の土も秋だった。

なんだ。
みんな、一緒じゃないか。
気づかなかっただけだった。
いつでも、
変っていたんだなぁ・・・。

  あき・3
10/27 (木)

「そこ、空いてますか?」
上越新幹線Maxとき304号東京行き。
声をかけてきたのは30代後半体育系イケメン。
ラッキー♪
好みのタイプだわ。

「どうぞ」
私は座席に置いていたバッグを膝上に移動した。
「どうも」
低く響く声も好みだわ。
ラフな格好をしているけれど・・・。
「あの〜」私は思い切って話しかけた。

「はい」(う〜ん、いい声♪)
「イキナリこんな事聞いてゴメンナサイ」
「なんですか?」
「どうして朝からここへ?」
「・・・・・」

男は一時黙って私を覗き込んだ。
そして爽やかな笑顔で言った。
「貴女と同じですね」
「そうなんだぁ〜。じゃ、途中まで御一緒できますね」
「どうやら、もっと多くの仲間が集まるようですよ」

なるほど・・・
この車両だけ特に混みだしたようだ。
「でも、この座席が特等席です」
「私達、とてもラッキーですね」

とき304号は上毛高原駅に着いた。
そして数人の人達が乗った。
その中の一人が車両に入った瞬間!
声無き声がアチコチで上がった。

いかにも能天気そうな男だ。
もちろん、何も気づいていない。
小柄な能天気男は席に座った。
コンビニオニギリを一つ出した。
デイパックからお茶水筒を出した。
少しづつ、口に入れる。

「あぁ・・・溶けるようだわ」
「暖かい・・・」
能天気男は最初に座った男女の席に重なった。
そして、ゆっくりオニギリを食べている。
集まった存在達が消えていくのもわからないまま。

能天気男は知らない。
何の能力も無い。
だが、能天気故に「空き」があった。
額の真ん中と頭頂部に「空き」があった。
そこから光と響く声が流れていた。

ガーティガーティパラガーティ
パラサンガーティボディスヴァーハ

  あき・4
10/28 (金)

亜紀は憂鬱。
だって1キロ太ったんだ。
ダイエットしなくちゃ・・・。
メンドウだなぁ・・・。

亜紀は憂鬱。
元彼から頻繁にメールが来る。
ウゼェんだよぉ・・・。
アキラメの悪いヤツ、サイテー!

亜紀は憂鬱。
彼氏いない暦、1ヶ月。
アタシだって、時々は抱かれたい。
できれば・・・小遣いも欲しい・・・。
(お、おい!・・・)

亜紀は憂鬱。
週休4日の会社がいいなぁ・・・。
毎朝起きるのって、だるくない?
夜は遅くても平気なのになぁ・・・。

亜紀は退屈。
ヨガでもしようかなぁ・・・。
最近流行っているし・・・。
それっぽいって、いいよね〜。

亜紀は窮屈。
パンツもブーツもピチピチ。
締めた姿を見せるのって、好き。
脱ぐと痕がつくけど・・・。

亜紀は偏屈。
AB型の人しか合わないの。
次男しか合わないの。
ワガママを聞いてくれる人しかダメなの。
お金持ちじゃなくちゃ・・・。

この世はヒネクレている。
「飽き」足らない生き方は、
「飽き」られてしまう・・・。
自分が飽きてるようで、
実は、飽きられているのだ。
まぁ・・・それでも、いいけどさ。

  あき・5
10/29 (土)

アキラメ。
明きら目。
目が「開き(あき)」
心が「明き(あき)」

素直。
自然の理に素直。
(他)人に素直は素直じゃない。
それは「言いなり」

アキラメ(明ら目)は素直になる。
無理しない。
自然に逆らわない。
余計な努力はしないが、
努力出来ないわけじゃない。

我の無い人が聖人ならば、
聖人は素直じゃない。
自然体の人間は聖人じゃないのだ。
人間はワガママなのだ。
素直は自分と他人のワガママを受け入れる。
地球は多種多様なモノ達で成り立っている。

意志の強い人は素直じゃない。
社会的に評価される傾向があるが、
圧倒的に迷惑な存在なんだ。
アキラメが足りないからだ。
アキラメは「調和」を築く。

「空き」や「開き」や「明き」
ひらたく言えば・・・
ノーテンキのラテン系。
すぐ開くオナゴは素直・・・。
(そ、それでいいのか?・・・)

まぁ、何でもいいけど・・・
秋は、もう一つの世界を想う季節だ。
もう一つの世界を想う事。
それを冥想という。
(注:瞑想と混同しないでね)

今回は少々疲れていました。
「あき」からの連想もイマイチ。
愛人とゆっくり昼寝でもしたい・・・。
(しかも温泉付きなんて、どうかなぁ?
ん? 勝手に言ってろ! てか?)

  寒露
10/30 (日)

旧暦の九月・節
太陽黄経 195度。
(春分の日を0度として一日1度。
15度・15日で節と中気の名がある。
故に24節気という・・・)

寒い露が降りる頃。
初秋・中秋の名月、十五夜も過ぎた。
晩秋である。
秋も終盤に入ったわけだ。

ワシは暑さ寒さに鈍感だ。
いつまでも半袖Tシャツでいる。
しかもバカだから風邪もひかない。
それでも、晩秋になると寒いと感じる。

最近は歳をとったと思う。
雪が降るまで半袖でいた頃もあったのに。
半袖から長袖を着るようになった。
寒さでムスコも縮んでいる・・・。
(ソ、ソレ、寒さのせいじゃないと思うぞ・・・)

菊の花が咲く。
十三夜(後の月)。
紅葉になる。
初冠雪。

群馬最北山岳地帯。
この時期からの山も綺麗だ。
紅葉の山もいいが、谷川岳がある。
途中で森林限界線を超えた山である。
木が生きられない山だ。

岩肌に雪。
晩秋の陽は陰影を濃くする。
厳しい自然を描く山だ。
荒々しい自然を魅せる山だ。

寒露は、甘露とは違う・・・。
自然は優しくもあり、厳しくもある。
いいかげんなヤツだ。

  霜降
10/31 (月)

旧暦九月・中気 10/23頃
太陽黄経 210 度 。
(北国では)寒露が霜となって降りてくる頃。
紅葉が盛りになる。
アワテモノの葉は落ちる・・・。

時雨(しぐれ)る。
晩秋から初冬に降るにわか雨。
ワシの住む山岳地帯は北に谷川岳がある。
谷川連峰は分水嶺でもある。
県境連峰でもある。

ここでは「シグレる」と言う。
時雨は谷川岳から降る。
冷たい雨だ。
手前の山を越して降るから「吹越」とも言う。

ところで「しぐれ」さんは好きなキャラだ。
史上最強の弟子・ケンイチに出演している。
本名は「香坂しぐれ」。
あらゆる武器の申し子。
意識に色気が無い「色気」がある。

岬越寺 秋雨も好きだなぁ・・・。
哲学する柔術家。
馬 剣星もいい。
達人としての中国拳法家としてより、
スケベなオッサンとして好きだ。
(という一部にしかウケない話は置いておこう)

霜降(そうこう)を「しもふり」と読むと別な意味になる。
脂肪が網目状にある肉になる。
ギクリ!とするオナゴは数知れず・・・。
ま、まぁ、美味しそうという褒め言葉にもなるし・・・。

兎も角、今日で10月も終わる。
神無月も終わる。
集団で無礼講騒ぎ旅行の神様達も帰ってくる。
(公式発表では出雲へ会議と称した。
一ヶ月も会議はしないってば)

今回は海外に視察旅行だったらしい・・・。
それはそれでいいと思う。
神様だってアホな人間相手は疲れるだろう。
でも、お土産を持ってきてもいいのでは?
幸運の女神様をさらって来てくれんかのぉ。

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