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  名・5
7/01 (金)

「名」は範囲を限定する。
性質や能力を限定する。
逆にいうと、範囲を守る。
性質や能力を守っている。
「名」が無いと「個」が守れないのだ。

「名」を変えれば性質や能力が変わる。
あるいは、能力が変われば「名」が変わる。
「名」を変える必要がある。
伝統芸能の伝え手が「名」を変えるのは、
とても大きな意味があったのだ。

心に「名」は無い。
魂に「名」は無い。
神に(本来)「名」は無い。
未来に「名」は無い。
過去に「名」が有る。

固定された「名」に未来は無い。
「名」は結界を縛るものだ。
この世(物質界)は「名」の集まりだ。
固定しては未来が創れない。
つまり、未来を創るには、
「名」を変えればいい。

嬢ちゃん、から、ね〜ちゃん。
ね〜ちゃん、から、おばちゃん。
おばちゃん、から、おばあちゃん。
人は「名」を変えて未来に移る。
変わる時、変える時を「節目」という。

「林真理子」から「高橋真理子」に変わる。
「鈴木一郎」から「イチロー」に変わる。
「東西商事の斉藤さん」から「阪神商事の斉藤さん」
「生真面目の角田さん」から「不真面目の角田さん」
人はいつでも変われる。

「名」という結界があるから、変われるのだ。
「名」で縛るか、
「名」で変えるか、
生き方は自由だが、未来は変わる方に有る。
どうする?

物質界(肉体界)だから限度はある。
だが、限度内で変える事は出来る。
不自由(限度)は「変化」で愉しむものだ。
不自由を固定する必要はない。

「名」はモノを縛り、守る。
だから「名」を変え、愉しむ使い方もある。
肩書き、枕言葉も「名」だ。
幾らも変える事は出来る。

  名・6
7/02 (土)

「最初に言葉があった」
これは誰かが間違って訳したものだ。
そして間違って伝わったものだ。
ワードは最初から無い。
(エクセルも無い・・・す、すんまへん・・・
注:ワードやエクセルはソフトの商品名です・・・)

「いいかげん」なワシのことだ。
聖書にいいがかりをつけるつもりは無い。
聖書を尊敬してる。ホントだってば・・・。
だからこそ、キチンと伝えて欲しいと思っている。
ホントだってばぁ〜・・・・

最初の書き出しならば・・・
「最初に法則があった」となるだろうね。
(この方がその後の展開に沿っているだろ?)

創世記はこの世(物質界)の説明だ。
ならば最初に「名」を付けなければならなかった。
例えば・・・「天」や「地」
「天」という結界と「地」という結界を個別にする。
それには「名」が必要だった。
言葉ではなく「名」の概念が必要だったのだ。

この物質界(肉体界)は多種多様の個別で成り立っている。
一つ一つを区別する結界が必要なのだ。
それを「名」で縛り、守った。
「名」を解いてしまうと、この世のモノでなくなるのだ。

霊はこの世のモノではない。
「名」の有る霊はありえない。
「名」を言ったら、嘘なのだ。
霊は「名」が欲しいのだと思う・・・。
淋しがり屋だからなぁ・・・。

死んだらつける「名」がある。
戒名というヤツだ。
生身の時の「名」は使えない。
「名」が無くなっているのに「名」をつける。
矛盾しているよね。

実は・・・(書くと異論がありそうだなぁ・・・)
葬式仏教の強引な青田刈りなのだ。
「名」を付けると縛ることになる。
その宗派に強制的信者(霊)とされるのだ。
ちょっと・・・酷いような気がする・・・。
自由にさせてあげたいのは、ワシだけだろうか?

ワシは根性無しのいいかげんオヤジだ。
キリスト教に続き、仏教までケンカを売る気は無い。
大、大既存宗教相手に口を滑らすのはアホです。
アホのたわごとです。
権威は怖い〜・・・見逃して下さいね・・・。

  名・7
7/03 (日)

「名」が結界(範囲)を縛ると書いた。
そうなんだけど・・・ちょっと違う。
(なんだぁ〜?この書き方は?)
「名」は概念を縛るのだ。
そして、概念が結界を縛る。

縛りの連鎖・・・縛りの美学・・・団鬼六。
縛ってぇ、お願いぃぃぃ〜
そ、そうじゃないだろ・・・
(す、すんません・・・少し壊れてます・・・)

概念は固定しやすいのだ。
我々は、頭がワンパターンなんだ。
子供の頃はもっと柔らかかった。
「名」に縛られることが少なかった。
「名」の範囲はもっと広かったのだ。

常識を増やす事で大人に近づく。
「常識」という凝固剤が多くなると、
「名」を固定するようになる。
「名」で判断するようになった。
物事を判断しないと不安になるのだ。

「肩書き」や「資格」や「価格」で判断する。
固定された「名」でしか判断できない。
だから自分も「名」を欲しがる。
不安と不満で漂う霊と似ている・・・。

「名」を持っていても、こだわらぬ人もいる。
いつでも「名」を捨てられる人達だ。
結界(範囲)が柔らかい。
限度を決めなくて、歩ける人達だ。
節操が無い・・・とも言えるかなぁ・・・
でも自由と幸せは味わいやすいぜ。

「名」は縛り、守る。
だが概念が柔らかければ解くこともできる。
縛るのも、解くのも自由。
ワシは縛られるだけじゃイヤだ!
解く愉しみを知っている・・・フッ。
(文章がアブナくて、中々いいぞ!)

「名」の魔法はある。
「名」で運命を左右する事もある。
だが、ワシには効き目が薄いだろう。
姓名判断は、縛られる人にしか通用しない。

不思議が当たり前。
何があっても、アリ、だと思う。
いつでも、可能性がある。
未来は、柔軟性があると思っている。
(オトナになりきれないオッサンだ・・・)
だから、大丈夫だ。

  零脳者・1
7/04 (月)

ワシの氣功時の脳は零だ。
零といっても、全てパーじゃない。
それほど人間が出来ていない。
憧れるが、まだ遠く遥か彼方の境地だ。
いつか、いつでもパーになりたい・・・。

零の幅が「氣」の通り道になる。
ワシの下品な思いは、隅っこに追いやられる。
無くなりはしないが、働かない・・・。
通る「氣」はワシよりもマトモだからだ。
それならもっと立派な人の脳を通ればいいのに・・・。
ワシはマトモや立派に成りたくないのだ。
(成れないから、成りたくないのじゃないぞ)

どうやら、この氣功は人を差別しないようだ。
上品だろうが、下品だろうが、同じに扱う。
上品の人にだけ使えるわけでもない。
修行を積んで徳を上げても関係ない。
(まぁ修行で徳が上がると思う人は無理かも・・・)
要は、脳が零になればいいようだ。

ワシがこの「氣」を扱うのに適しているのは、
元々脳の能力が少ないせいかもしれない。
少ないのだから、0になるのに苦労しない。
性格かもしれない。
自分の思いなど元々下品だから、いつでも捨てられる。
どうでもいいやぁ・・・。

根性も無いから力を使おうともしない。
だから「氣」が勝手に流れる。
流れるのを邪魔しない。
それが効を増しているようだ。
世の中・・・ヒネクレているなぁ・・・。

能力比べなんてしないが、
この世界にいると相手の範囲が判ってしまう。
判ってしまうことがある。
申し訳ないと(何となく、少し)思う。
マジメに努力している人に顔向け出来ない。
(と言いながら、不遜な発言を繰り返す・・・)

氣功が出来る、という人と出会ってしまう。
すいません・・・ワシは無能力者です。
これはワシの力じゃない。
差があるのは、仕組みがヒネクレているからだ。
無能力に贔屓するのは、ワシのせいじゃない。

キリちゃん(イエス)が言った。
「無い者が得るだろう」
ワシが言ったわけじゃないぞ。
キリちゃんが言ったのだ・・・。

人間社会は努力が報われる(傾向にある)。
だから精進した方がいい。
人の社会は、マジメが一番だ。
ワシもそう思う。
ホントだってばぁ〜・・・。

  零脳者・2
7/05 (火)

何かにこだわると、塊になる。
それが形になる。
そして成果になる。
それは、人の為にもなる。
(為にならないモノも多い・・・)

人社会はそうして発展してきた。
仕事とはそういうものだ。
こだわり、努力して、成果が出る。
成果の報償として給料や儲けがでる。
そして家族や愛人を喜ばす事が出来る。

脳を使い、能力も使う。
知識を増やし、能力も増やす。
経験を積み、研鑽もする。
精神も鍛え、肉体も鍛える。

それらを仕事に活用して、
社会に還元しつつ、本人も精進する。
ナマケモノにはナマケモノの報いがあり、
勤勉には勤勉の報いがあるものだ。
(ま、実際はそんなに単純じゃないけど・・・)

人の社会には法則がある。
それらの法則に沿って仕事をすると、
いわゆる「成功者」に成れる。
成れる傾向にある。
成れると思うよ。
一応、建前上は・・・成れる。
成れる、としておこうね・・・。
(あまり、本気に入れ込まないでね)

ワシも異論は無い。
一応、無い。
大体は、賛成している。
ベクトルは合っていると思う・・・。
結果(未来)は、不明だけど・・・。
異論は無いけど「成功者」の価値が判らない・・・。
「幸せ」と直結していないのは確かだ・・・。

この世が人の社会だけならねぇ。
人の社会だけに生きるのならねぇ。
その法則とやらでいいと思う。
普通はそれで充分だと思う。
(成功しなくても充分だと思うけど・・・)

だけど・・・
人には「落ちこぼれ者」がいる。
人の社会から「落ちて」しまう癖がある者がいる。
ナマケモノ、根性無し、イイカゲン者等・・・。
こういう「落ちこぼれ者」も生きている。

存在を許す神様は優しい。
そんな「落ちこぼれ」用に社会を用意してくれた。
それが「もう一つの社会」だ。
「もう一つの社会」は、一つだけじゃないようだ。
存在、全ての社会が用意されていたようだ

  零脳者・3
7/06 (水)

約2500年前だった。
一人の落ちこぼれ者がいた。
釈迦族の王子という立場に厭きた。
本妻も愛人A・B・C・Dも捨てた。
それぞれの子供も捨てた。
ロクなヤツじゃないなぁ・・・。

名前をシッタルーダという。
通常の社会に役に立たない事が気になり出した。
「人は何故、死ぬのか?」
「何故、病気になるのか?」
「何故、老いるのか?」
「何故、苦しむのか?」

落ちこぼれ者だよねぇ〜
こんな事考える為に家出しちゃったんだ。
しかも金も持たずに、行き先も決めないでだ。
無謀というか、坊ちゃんというか・・・。

ワシなら愛人Aは連れて行く。
ついでにキャッシュカードも持っていく。
行き先は、やはり温泉地でしょう。
(水上温泉は避けよう・・・)
とりあえず、芸者を上げて騒ぐのだ。

落ちこぼれ者は現実社会の常識を知らない。
世間知らずなのだ。
社会に適応する努力が出来ないタイプだ。
アホだと思うよ。

元々努力型じゃないのに、無理をした。
苦行をしたみた。
苦行からも、落ちこぼれた。
だから、諦めた。
「悟りなんて、もういいやぁ」
根性無し・・・。

そして菩提樹の下でボンヤリしてた。
脳が空になっていた。
その空になった脳に何かが通った。
そして・・・落ちこぼれ者は・・・
ブッダ(開かれた人)となった。

ブッダとなったシッタルーダは、
森のタヌキやウサギやトリ相手に話をした。
かなり・・・跳んでるなぁ・・・
ブッダになっても、マトモな社会人じゃないなぁ。

どうしたら、幸せに生きられるか?
嬉しく、愉しく毎日を過ごそうよ、と話した。
難しい真理を話したわけじゃない。
難しい話など、ウサギじゃなくても聞く気にならない。
タヌキやウサギは真理を求めていないしね。

落ちこぼれ者には落ちこぼれ用の世界がある。
誰が創ったか知らないが、
この世の仕組みはかなりヒネクレている。
そう思わんか?

  零脳者・4
7/07 (木)

多種多様な生き物がいる。
多種多様な人がいる。
多種多様な生き方がある。
それぞれに法則があるようだ。
法則は一つじゃない・・・。

偉いも下種も立場からの見方だ。
実際は単なる違いがあるだけだ。
価値が違うわけじゃない。
ブッダとなったシッタルーダも、
捨てられた本妻、愛人達もそれぞれの人生だ。
全て必要で、全て大切なピースだ。

ワシとブッダが同じ落ちこぼれ者というのは、
とても、とっても、とてつもなく、異論があるだろう。
ワシだって私事とはいえ、異論がある。
それは・・・あんまりだぁ!
だから「同じ」ではない(当たり前だ!)
だけど「落ちこぼれ者」の類には違いない。

ウワサで聞く、街のヤンキー兄ちゃん。
チンピラあんちゃん、ホームレスおじさん。
閉じこもりネ〜ちゃん、アル中主婦。
ブッちゃん(ブッダ)と同じ類の仲間だ。
偉くはないけど、悲観するほどじゃない。

ブッちゃんは「落ちこぼれ」用の法則に乗った。
それも・・・偶然だと思う。
努力を放棄したから乗れたのだ。
我々はまだ乗ってない。
「落ちこぼれ」なのに未練があるからだ。
こだわりがあるからだ。

それでも、道は用意されている。
いつでも、道は乗れる準備が出来ている。
いつか、乗れるかもしれないぜ。
「落ちこぼれ専用道路」

ワシはどうでもいいと思っている。
道路じゃなくてもいいや。
崖っぷちばかりいたら、馴れた・・・。
綱の上でもいいかぁ、と思えた。
生きてりゃ、それで充分だな。

  零脳者・5
7/08 (金)

氣功時に零になる脳。
零になるのもワシの力じゃない。
零の通路を流れるモノも
ワシの力じゃない。
ワシは無能力者なのだ。

零脳者としては半人前だ。
最後まで半人前だ。
それでも零脳者の素質はあったようだ。
子供の頃からボケ〜としていた。
今もボケ〜は得意だ。
ワシにも得意技はあるもんだ。

零時に流れるモノは優しい。
ワシのような者を通る。
高徳も下品も金持ちも貧乏人も区別しない。
鼻持ちならない嫌なヤツも区別しない。
節操が無いのと、とても優しいのは似ているなぁ。

「波動は同波動に共鳴する」(これはまぁ、いい)
ハイレベルでなければハイレベルの「氣」は扱えない。
だから「ハイレベルの氣」を扱う人はハイレベルだ。
これは、生半かの机上論だ。
それを本人が言ったら・・・アホの上塗り・・・

周波数が細かい(優しい)と範囲は広がる。
もし「ハイレベルの氣」なら、周波数を超えて作用する。
事実は理屈より優先するんだぜ。
(「ハイレベル」というのがワシには違和感がある。
ハイやローというより、荒い細かいだろうね)

周波数を超えて作用するのなら、
ワシのような下品でも扱えるだろう。
事実、扱っている。
事実は理屈より奇なり・・・。
「こだわっている氣」はレベルによって違うのだろうが、
「この氣」はレベルなどとツマラン事にこだわってないぞ。

「同周波か近周波は無条件で影響する」
類は類を呼び、影響し合う。
だけど、この世は、それだけじゃないのだよ。
異周波も影響するから「物質界」なのだ。
そして無節操に影響する波動(氣)もある。

故マザーテレサが手を差し伸べた人は誰でも影響された。
誰でも、とてつもなく優しい人の思いを受け取れる。
レベルがどうの、こうの言うのは戯言だ。
神様(?)は徳の高い人だけを優遇しない。
当たり前だよねぇ・・・

畏れ多いけど・・・
ワシとマザーテレサに流れるモノは同じかもしれない。
マザーは素晴らしい人格を持って流れる。
ワシはナマケモノのまま、流れてくれている。
だから、ワシの力じゃないのだ。
その中間の皆さんにも、当然流れているはずだ。

  零脳者・6
7/09 (土)

脳が働かない時、
心も静かになっている。
零の部分が広い時、
体も自然に動いてる。

零の脳は自然体と連動している。
動かないから、開く通路がある。
零だから、流れてくれるモノがある。
努力精進すると、塞き止められてしまう。
もう一つの世界の仕組みは、
とても、とてもヒネクレているのだ。

脳が零になるのは能力じゃない。
誰でも零になる時がある。
しょっちゅう零になるのは性格だ。
ナマケモノでいいかげんな性格だ。
通常、褒められない性格だ・・・。

その人の能力による特殊な力なら、
超能力や異能力と表現してもいいだろう。
「素晴らしい力をお持ちですね」
勘違いもはなはだしい・・・。
穴があったら覗いてみたい・・・。
(好奇心は人並み以上かもしれない・・・)

性格と「運」だけで歩いている。
二人の御師匠様との「縁」も「運」だ。
培った能力じゃない。
「素晴らしい縁」は「気まぐれの運」だと思う。
徳の覚えが無いのだから、御褒美はありえない。
謙遜ではなく、本気でラッキーだと思う。

「全ては必然。偶然は無い」とかいうが、
この世は間違いだってあるのだ。
ワシが創造主なら、アチコチに冗談を創る。
創造主なんてそんなモノだろう。
生真面目な創造主なら、世界を創るはずがない。
(ここが理解できない学者が多い・・・)

「落ちこぼれ者」にも法則(道)を創ってくれた。
とりあえず「感謝」だけはしておこう。
ワシは不遜の独善家だが「感謝」は得意な方だ。
見境無く感謝する事が出来る。
無能力者や零脳者にとって自分以外は全てマトモなのだ。
不遜でも、結構己を知っている・・・。

努力が適さないタイプもいる。
社会に馴染めないタイプもいる。
遠慮せず、落ち込んでみよう。
捨てて、脱いで、放してみよう。
そこに道(法則)が見えるかもしれないぞ。

  零脳者・7
7/10 (日)

ワシは零脳者だが、霊能者ではない。
霊能者ではないが、感じる事は出来る。
これでもプロの氣功師だからだ。
霊が障りの病も結構あるからだ。
だが病に関係ない霊はワシの範囲ではない。

ほとんどは、たいした事が無い。
当たり前だが、生きている人間より強い霊はない。
生身の本人の方が優れているのだ。
それなのに、心を縮めて霊を受け入れる。

霊が勝手に憑くことは出来ない。
霊は力の無い孤独なヤツなんだ。
生身の人間の方が霊を捕まえているんだ。
心が縮むか歪まないと霊も近寄れないのだ。
その事に、気づかないだけだ。

ワシは霊能者でも退霊屋でもない。
霊をどうのこうのするつもりもない。
彼等だって、それぞれ都合があるだろう。
力でも理屈でも直接アレコレされるのは嫌だろうね。
ワシも相手が霊とはいえ、嫌な事はしたくない。
霊も妖怪も人間もそれほど違いは無い。

それでもクライアントから依頼されれば解決する。
ワシ流の解決はできるのだ。
ワシは医療氣功師だからだ。
霊が居座れる部分を修復すればいい。
修復(波動の変化)で、霊は憑いていられない。

ワシが扱う「氣」は相手を区別しない。
どんな人間も異細胞も霊も区別しない。
「調和・浄化」の「氣」だ。
霊が側にいるなら、霊も修復してしまう。
側にいるから影響してしまう。

霊は、たいてい歪んだ波動だ。
生身の人間と同じだ。
アナタやワシと同じだ。
人間は生きているからイロイロある。
イロイロあると「氣」も心も変わる。
歪んだ波動も変わってしまうのだ。

ところが霊は死んでいる。
イロイロが・・・出来ない。
イロイロの相手と接触出来ない。
同じ歪んだ相手だけが接触できる。
つまり心が変わるチャンスが少ないのだ。

生身は歪んだ波動が消えても残る。
それを回復・修正という。
だが霊は生身が無いから・・・消えてしまう。
それを成仏というようだ。

  零脳者・8
7/11 (月)

全て霊という表現もある。
肉体が無い霊が「オバケさん」
肉体が有る霊が「人間」
怖いのは人間の方だ。
イキナリ他人を殺傷するのは人間だ。

「オバケさん」は怖くない。
怖い力が持てない存在だ。
小さな事にクヨクヨこだわっている存在だ。
可哀想だが、ツマラン生き方(?)だ。
大らかになると、この世にはいられないが、
もっと素敵な所には行けるかもしれない。

あの世の事は、死んでからで間に合う。
生きている人間がアレコレ思い煩う事ではない。
生きている人間は「生きる事」。
それで精一杯のはずだ。
余計な事を考えるのは「活きてない」証拠だ。

霊障は「人間とオバケさん」の交流(?)。
それに係わると「気づき」もある。
「オバケさん」から教わる事も多い。
なるほどなぁ・・・(一人納得!)
だけど、そんなに勉強熱心(霊障)になる必要はない。
生きている相手だけで、充分だと思うぞ。

生きているのは、肉体が主役だなぁ。
肉体があるから、イロイロが変わる。
変わる事が出来る。
森羅万象は無常だから意味があるのだ。

イロイロと出会う。
人やモノや風景や機会や感情や思想。
イロイロと出会えるのは、生きている時だけだ。
イロイロと経験、体験できるのも特徴だ。
死んでからでは・・・遅いのだ。

霊能者ではなく、零脳者の観方がある。
霊も人間も本質は同じだ。
(霊に脳が有るか、無いかというのは、
とても面白いテーマだが、ここでは書かないぞ)
生身(肉体・物質)の有無だけだ。
それが・・・大きな意味を持つ。

霊は怖がる相手ではない。
付き合う相手でもない。
だが、とても大切な事を教えてくれる。
追い払う相手でもない。
こちら側(人間)を見直す相手では、あるなぁ・・・。

  作陶展・1
7/12 (火)

昨日から実姉の作陶展が催されている。
場所は、嘗てワシの実家だった古い家だ。
約140年前の家だ。
今は改造して「風香窯」の工房になっている。

実姉は(売れてない)陶芸家だ。
陶芸教室や手びねり体験講師もしている。
いろいろ「作る事」が好きだった。
最後に見つけた道が陶芸だったようだ。

陶芸の中には、何でもある。
土いじり。
創造、造形。
絵画、模様、色付け。
それらが熱で変化する。
最後の段階で、ある意味偶然に任せてしまう面白さ。

果ての無い道は面白い。
行き着く事を目的としない道だ。
歩き方を愉しむ道だ。
歩き方に苦労する道だ。
姉はそんな道を選んだようだ。

「風香窯」と名づけたアトリエは
ワシが育った古い家だった。
この地域でも珍しくなった昔の家だ。
嘗ては萱葺きの屋根だったが、
萱葺き屋根を維持するのは難しい。
17年前に、トタンで覆った屋根にした。

7年前になるだろうか。
仲間や知り合いの手を借りて改造した。
半分を作業場。
半分を展示場とした。
古い材料は出来るだけ活かした。

実家の庭は、雑木が多い。
この古い家と同じ歴史を持つ木もある。
櫟(イチイ・一位)の巨木だ。
桜も楓も山法師も沙羅双樹もある。
庭で花見も紅葉狩りもできる。

一部は竹林になっている。
孟宗竹だが、タケノコに不自由しない。
竹林を通る風は、清浄に変わってしまう。
判る人には、敏感に判る。
老母(89歳)にはありがたい風だ。

こう文章に書くと、とても裕福な家のようだ。
自慢じゃないが、我家ほど貧乏も珍しかったのに・・・。
今では、この家、庭を羨ましがる人が多い。
貧乏だったから、残ったのに・・・。
日本は裕福と引き換えに消えたモノも多い。

  作陶展・2
7/13 (水)

作陶展に来て、褒めるモノ・・・。
作品より、古い家と庭・・・。
それでいいのか!アネゴよ!
まだまだ、家や庭に負けている・・・。

11年前に亡くなった父親は職人だった。
昔の職人だった。
昔の職人は商人の才能が無い人が多い。
ワシの父親も、その点だけは一流だった。
技術を金に変える事など、とても苦手だった。

それだけじゃないぞ。
家を作るのは仕事だったが、家庭を作るのはなぁ・・・。
父親として生活費を稼ぐという自覚は少なかった。
妻や子供を守るという自覚は少なかった・・・。
今、ワシにその血が受け継がれている・・・。
ワシは特に無愛想とも思わないが(ん?無愛想だ?)
人に媚びるのが苦手なのは職人の血だろうなぁ・・・。

父親の職人の血は姉御に受け継がれている。
モノを作るのは好きだし、得意のようだ。
ワシは母系統の祖母や曾祖母の血が濃いようだ。
見えない世界で仕事が出来るのは、その御蔭がある。
霊能者の祖母と浄化のプロの曾祖母の家系だ。
ワシの努力は・・・無いに等しい・・・。

今回は間にあわなかったが、考えていた事がある。
「氣入れ」の陶製グッズだ。
水類や他のモノを入れる陶器。
持ち歩く、身に付ける陶製品。
浄化や結界用としての陶製品。
そのうち作る予定でいる。

職人の大工の家はボロボロなものだ。
棚や引き戸も直さない。
ワシの知り合いの宮大工の親父さんもそうだった。
おかみさんが笑いながら言った。
「親子二人も大工がいて、家の棚は私が作る・・・」
職人が幾人もご機嫌で酒を飲んでいるが、
棟梁の家を直そうともしなかった。

ワシの実家もそうだった。
近所がどんどん綺麗に建替えていくのに、
我家だけは、取り残されて古いままだった。
子供の時は引け目もあった。

何が幸いするかわからない。
親父が貧乏だったから、家が残った。
古いまま、家が残れた。
家が自分で守ったのかもしれない。
今は周辺でも貴重な家となった。

  作陶展・3
7/14 (木)

チョウナ削りの一本通しの梁。
囲炉裏で染められた煤の天井。
黒光りの板戸。
太い欅や樫の材料。

肝心の作陶展より工房となった家を見る。
そして感心する。
古いモノ達は「やすらぎ」を醸し出す。
そして表情がやわらぐ。
いいねぇ〜・・・ウン、確かに・・・

建て直せない根性無しの成果だった。
努力や根性で成果があると、人は褒める。
だが、努力や根性が無い自然体は、
どうやら人が羨むようだ。
どちらを進んでもいい。
どちらの道にも未来はあるようだ。

努力や精進でこだわると作品が出来る。
姉はそういう道を選んだ。
性分だろう。
ワシは「こだわらない」道を選んだ。
作品は出来ない。
その代わり、笑顔に変わる瞬間に立ち会える。

努力や精進という「力み」を解放する。
すると流れるモノがある。
そのモノを活用して医療氣功をしている。
同じ兄弟姉妹でも性格が違う。
それぞれ、勝手に歩くのは・・・似ているのかも。

細い筆で細かい線を引き続ける。
そして茶碗に模様をつける。
ワシにはそんな根気のいる作業は出来ない。
する気にならない。
だが、姉は出来る。
作家とはそういうものかもしれない。

ワシは文を書くのは続けられる。
好きだからだ。
そうかぁ・・・
好きなら
続けるんだなぁ・・・。
根性が無くても、好きなら続くんだ。

治療の道。
今回から本格的に始めた指導の道。
ワシは・・・好きなんだなぁ。
どんどん、先に歩きたいと思う。
姉の陶芸もそんなものかもしれない。

  作陶展・4
7/15 (金)

陶芸が他の芸術と違うところ。
陶器は芸術と生活用品が密着している。
「芸術」なんて威張らなくてもいい。
日常で使う茶碗や花瓶でもある。
生活から離れた芸術作品ではないのだ。

最後の熱がどんでん返しをする。
仕上げを「天」だか「運」だかに任せる。
これも他の創作活動と違うだろう。
どんなに努力し腕を磨いても、
作品の最後は離れなくてはならない。

思うように色が出ない。
思うような仕上がりにならない。
思いもよらない素敵な仕上がりになる。
予想を超えた作品が出来る。
窯から出して、初めて完成するのだ。
どんなに経験しても釉薬の変化は読みきれない。
だから、面白い。

藁を散らす。
灰を散らす。
ガラスを散らす。
いろいろを散らす。
それらが、窯の中で、とても不思議な変化をする。

自分の力量で作った作品が、
自分の力量を離れたところで仕上げられる。
自分と天。
その二つが合う。
そして融け合う。
調和すれば・・・傑作。

土をいじる事。
遥か太古の感覚が震える。
地球(ガイア)とつながる。
意識できない底の底。
生命が伝わる。
歴史が伝わる。
そんな気がする。

ワシもそのうち始めるだろう。
したいとは思っているのだ。
もう少しで、時期が来るだろう。
キチンとした作品は出来ないが、
面白いモノは出来るかもしれないぞ。

  眠れぬ森のB女・1
7/16 (土)

始めに・・・おことわり・・・

明日から集中治療の出張です。
最短でも25日まで帰れません。
ホテルのロビーにパソコンがありますが、
ゆっくり書く時間がありません。

そこで、1998年頃の未完成の創作ですが小分けで載せます。
25日までなら、第一章分くらいでしょうかね。
これならコピーペーストで何とかなるでしょう。
しかし、添削も無しの書きなぐりのままです。
文体も表現も酷いものです(あっ、いつもと同じか・・・)
期待する人はマレだと思いますが、マレも無くなるかも・・・。
そ、そして・・・誰も・・・来なくなった・・・。
まぁ・・・いいか。しょうがないもんねぇ・・・。

では、始まりです・・・

      「眠れぬ森のB女」
    (もう一度)はじめに

はじめにオコトワリしておきますね。これを書いているのはオトコですけど、書かせているアタシは女です。しかも美女ですわ。これについてはイロイロイロンもありますので、徐々に明らかにしたいと思っています。
 したがって作者名がオトコなのに、いわゆる女言葉で文章が進んでいきますけど、気持ち悪いとか、ボクと同趣味の方ね、ス、テ、キ、なんて早とちりしないで下さいね。筆者の言葉は()内で時々ありますけど、ロクデナシの意見ですから無視して結構ですわ。
 もうひとつオコトワリしておきますね。実はアタシ、魔女なんです。バカバカしいと思うのは貴方の勝手ですけど、この世はバカバカしいコトだらけで成り立っているとご存じかしら? 
 魔女から観ると、人間界はあまりに不思議なコトが多いので、グ〜タラしているうちの宿六に文章を書かせたってわけ。
あら、アタシが結婚しているってバレちゃったわ。しかも、ダンナがこのロクデナシの筆者ってことも。
 まあいいわ。この世は調和を学ぶために存在しているって、アタシのお師匠様がおっしゃっていました。先ほどの言葉と合わせると、この世のバカバカしいコトを受け入れることで調和を学べるようにあるらしいわ。
 アタシ達も美女とロクデナシのカップルだから、調和を学ぶいい機会なのかもしれないわね。なんたってアタシはスコブル付きの美女なんだから、そのくらいのハンディは背負わなくちゃね。
 そんなわけで、少々読みづらいのは気にしないでね。その分、内容のおもしろさでカバーさせますから。ただ、ノーナシの筆者に内容が表せるかしら? 内容は無いよう、というのが口癖だから心配だわ。
 ああ、これで今夜もアタシは眠れそうもないわ。


(25日まで千葉県に出張中です。体験その他連絡を取りたい方は・・・
何とかメールをしてみて下さい。対応できるかもしれません・・・)

  眠れぬ森のB女・2
7/17 (日)

第 一 章   眠 れ ぬ B 女

     美女? B女?  

『眠れぬ森のB女』。なんで、こんな題名なのよ?
 ある日、アタシは愛用のマホウの鏡に向かって、
 「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰? 割られたくなかったら、よぉ〜く気を付けてお返事なさいね」と、優しく尋ねたのです。
 「それは白雪姫みたいに、ごっつうキレイなアンさんでんがな。天上天下ユーアー独走(天井天下唯我独尊)」
 「おもしろいダジャレだこと。座布団を一枚」
 座布団が十枚たまると、鏡の願いを叶えてあげる約束なのです。だから懸命にアタシを楽しませようとします。
 「毎度おおきに。ついでに七輪の恋人(七人の小人)はどうや? 熱く燃えまっせ」
 「あれはね、ナナニンのコビトと読むのよ。座布団没収」
 鏡はアタシから離れるのが夢らしいので、簡単に座布団は与えません。離れたがる相手は離したくないものよ。まだまだ鏡も心の機微が解ってないわね。
 ともかく、こういう経過から『眠れる森の美女』みたいな題名にしてと言ったのに。ダンナはアタシの言うことをちゃんと聞いてないんだから。貴女も注意しなさい。世のダンナ族は、うわのそらで「ウンウン」なんて返事をするドーブツなのよ。
 『眠れぬ』は、いいわよ。アタシは深遠な真理に思いを寄せて、眠れぬ夜がたくさんあるの。ダンナは昼寝が過ぎるからだって言うけど、食べてすぐ動くのは美容によくないわ。いつまでも美しくいたいオンナゴコロが解らないのかしらね。
 『森の』も、いいわよ。アタシの住んでいる所は、前に山、横に山、後ろに山だし、山には木がいっぱいだから字にかけば森になるわね。結構気に入っているわ。澄んだ空気と清らかな川。純緑に囲まれ変化する自然は、アタシの美しさと対応して違和感がないの。
 どんなモノでも包み込むフトコロの深さが自然というものだ、というお師匠様の言葉を思い出しますわ。最初は自然に学び、やがて己の自然に気づき、ついには自然に融けていくものだ。その融(解)け方、解放の仕方が個性というものだ、とおっしゃっていましたが、アタシの個性はまだツボミですわ。
 えっ、じゅうぶん個性的? 恥ずかしいわ、そんなに褒めないで。
 (褒められていると受け取る自信がコワイし恥ずかしい)
 美女、ビジョって言ったのに何で『B女』になるのよ。美人でも美嬢でも美婦人でも許してあげたのに。自分の妻を褒めるのはテレるものだと解るけど、B女はないんじゃない。だいいち何の略かしらね。
 これで今夜も眠れないわ。

 (といいながら、妻はぐっすり寝ています。いまのうちにB女の訳をこっそりバラしましょう。私はウソを書くことには抵抗がありませんが、詐欺はいけないと思っています。本人が何と言おうと、私の良心は美女と記すのを許可しません。
 正解はBESTの略です。わるくないでしょう。世界中の評価がどうであろうとも、パートナーであるかぎり、私にとってはBESTな女です。これはどんな夫婦にも当てはまるのです。例え憎しみあっていても、BESTな相手なのです。
 決して、BUT〇女とかBAK〇女の略だと誤解しないで下さい。ジョークとしても書く勇気がありませんし、シャレにならない可能性があります。自分のパートナーの悪口は天に向かってツバを吐くようなものです)

  眠れぬ森のB女・3
7/18 (月)

奥様は魔女?

アタシは何年か前にインドを旅したことがあります。バンガロール空港に降り立つと、ラッキーなことにサティア・サイババさまが、すぐ近くのホワイトフィールドという所に来ているというではありませんか。
 サイババさまの事は本がたくさん出版されているので、ぜひ読んでみて下さいね。読んでも理解は無理ですけど、大切なことに触れるキッカケにはなるわ。とても深いレベルでの大切なことよ。
 この時はラッキー続きで、アタシはサイババさまのお御足に触れさせていただきました。そのときの人間年齢では六十七歳だったらしいのですけど、一七・八の少女の足のようでしたわ。とってもキレイでした。体温は予想に反して冷たくて、触覚的にも人間とは別な感じだったわ。
 サイババさまは、このようにおっしゃいました。
 「私は神です。しかし、あなた達も神なのです。私はそのことを自覚していますが、あなた達は目覚めていないだけです」
 アタシは自分が神とは思えないけど、魔女だと自覚しているわ。魔女って特別じゃないのよ。自覚していても、していなくても、サイババさまが私達全員を神と断定したように、女はみんな魔女なのよ。あるいは魔女になれるのよ。
 近頃は自分が魔女だと自覚する、イイオンナが増えてきているわね。うれしいわ。
 その反対を愚女といって、魔女の誇りを忘れているコも多いわよ。コのまま年をとると恥を知らないオバサンになって、やはりコ(ガキ)のまま年をとった恥を知らないオジサンと一緒に、迷惑をふりまくようになるから注意しなさい。
 子からオンナやオトコにきちんと変身するのよ。オバサンやオジサンからだって、オンナとオトコに変身してね。
 人間は変身できるし、変身をするためにこの世にいるのよ。ただし変身後は何に変わってしまうのかは、本人の意識と行動次第なのよ。私は魔女に変身したわ。
 ところで、女はマジョだけれども、男は何て云うか知ってる?
 男は最初からマオトコよ。マが抜けてるとイイオトコになるの。これがわかるようになれば、貴女も魔女の自覚ありよ。イイオンナの仲間だわ。
 男と女の間には、マは一つだけがちょうどいいのよ。マジョとオトコの組み合わせね。でも、位置関係はオトコが前か上が道理よ。男、間(魔)、女の関係ね。何故って、間(愛)は真ん中にあるものなの。
 ついでにマの話もしておくわね。
 漢字で書くと解りやすいわ。実は、魔も間も真も変わらないのよ。すべて愛の変形なの。人によって魔のイメージが悪と重なるようだけど、愛や真に悪も良も関係ないわ。魔と表現しようが真と表現しようが、間には愛しかないのよ。だから魔女は真女でもあるのよ。
 愛の話もしようと思ったけど、ダンナが眠そうにしているので明日にするわ。アタシは結構ダンナ思いなのよ。優しくなければ魔女じゃない。優しいばかりじゃつまらない。
 でも眠れないから鏡と遊ぼうかな。
 「鏡よ鏡。世界で一番優しいのは誰?」
 「ダンナはん思いの、アンさんでんがな。ダンナはんは近頃アンさんが重いと言うてたで〜」
 「一言よけいだったわね。座布団は全部没収!」

  眠れぬ森のB女・4
7/19 (火)

アタシは愛の伝道師?

 今日は愛の話だったわね。
 アタシの話って、あっちこっちにすぐ飛ぶし脱線するけど、はやく慣れてね。アタシはこういう性格に慣れているから平気だわ。
 相手に慣れようとする姿勢を「愛」と呼ぶのよ。相手がどんなモノであってもね。
 表現の方法は違うけれども、実はあの時、サイババさまから「愛を伝えるように」とメッセージを受け取ったのよ。最初はメッセージを受けたことは感じたけれど、内容がわからなかったわ。いったいコレは何? という感覚だったわ。
 だんだん「愛」のことだとわかってきたけど、そのメッセージを自分の中で融(解)かすのに二年もかかったわ。アタシって鈍いのかしら。
 融かしすぎて無くなっちゃったかもしれないけれど、気は楽になったわ。それを何とか文章にするのには、さらに3年もかかってしまったわ。別に誰かが待っているわけでもないから、いいけどさ。
 サイババさまがアタシに期待してメッセージを送ったのなら、あきらかにサイババさまのミステイクだけれど、そうじゃないみたい。サイババさまのような存在は、相手がどんなレベルであっても変わらない光を与えているだけ。それをどう活かすのかは、こちら側の問題みたいだわ。
 サイババさまに会いに行った人は、全員同じメッセージを受け取っていると思うわよ。全員が同じように感じてないと思うけど。
 感じることは自主的な行為なのよ。でも「光」などを受ける事は、もっと深いレベルに届いてしまうの。でもね、感じなくても全員が「光」を受け取っているのよ。
 その光も「愛」なんですけどね。光のことは後で話すわ。
 そうなのよ。今、思い出したというか、思いついたというか、大義名分も付いたというか。
 この本は愛を伝えるためだったのよ。それに決めたわ。
ダンナがヒマなのも、これを書かせるためだったのね。一昔前の少女マンガなら、今のアタシの瞳はお星様がキラキラ、ウヨウヨよ。
 ダンナがアタシとパートナーを組んだのも、意味のあることだったのよ。そう思わなくては、やっていられないけれど。
 パートナーとの和合から世界がマトモに変わるのよ。ここでいうパートナーは人間やモノに限らないわよ。
 なぜか今日のアタシはマトモだわ。サイババさまが応援して下さっているみたい。サイババさまを想えばサイババさまが、お師匠様を想えばお師匠様が応援して下さる。ブッダさんもキリストさんも想えば応援して下さる。誰でも同じ仕組みになっているみたいね。
 逆にネガティブな相手を想えば、ネガティブな方向に応援して下さるみたいよ。これって足を引っ張るってことかしら。いずれにしてもアタシ達って、一人ぼっちじゃないわ。どんな相手とでもつながることが出来るし、その相手との間には愛があるものよ。
 愛って自分から発するモノでも、相手からいただくモノでもなくて、間にあったのね。そのことに気づくだけでいいみたいよ。あとの行いは好きにして。憎しみも慈しみも愛の一つのパターンなのよ。
 つい愛の反対が憎しみのように表現しちゃうけれど、愛ってスベテなのよね。
だからスケベも愛なのよね。とてつもなく大きいものなのよ。どんな思いであっても対応してくれる、仕組み自体が「愛」なのよ。憎しみや怒りまで包んでくれているのが「愛」だったのね。太っ腹だわ。ステキ。
 アタシも近頃ちょっと太っ腹なんだけど、ステキには見えないかなあ。夜も眠らずにステキなことに想いをよせているのに。
 「鏡よ鏡。この世で一番ステキなことは何?」
 「笑顔に優るステキはあらへんで。人はパンのみで生きてるのとちゃうでえ。笑顔があるから生きられるんや。笑顔があれば未来は続くもんや」
 「あら、今夜はマトモねえ。はい、座布団一枚」

  眠れぬ森のB女・5
7/20 (水)

ダンナはナンダ?

 上から読んでも下から読んでも、ダンナがダメだが何だ。つまらない廻文ねえ。
 世にはイロイロな病名があって、マジメ人間に罹る率が高いのが、平等過敏症症候群なのよ。すぐ、「差別だ、差別だ」と言うのが特徴よ。未熟な法律や制度を変えるのも大切かもしれないけれど、自分からもっと和(柔)らぐ必要がありそうよね。
 「旦那というのは男尊女卑思想の現れであって、平等社会にあってはならない言葉です。差別用語を無くし、明るい社会を創りましょう」なんて本気で言うんだもん。
 その旦那が怪しい所でムチに叩かれ、「女王さま〜、私は奴隷です」なんて喜んでいる場合はどうするのかしらね。
 差別用語を無くせば、「〇〇というのは〇〇〇〇思想の現れであって、〇〇〇〇にあってはならない〇〇です」とか、〇〇がムチで叩かれ、「〇〇〇〇〜、私は○○です」なんて喜んでいます。となるのだけれど、これで明るい社会になったかしら?
 言葉を規制するより、笑顔がこぼれる工夫のほうが明るい社会になるんじゃない?
 アタシがパートナーのことを、ダンナと呼ぼうが宿六と呼ぼうが大きなお世話よ。これでも愛し合っているし、ダンナはどう思うとアタシのほうは満足なのよ。
 そのダンナのことを少し紹介しますわ。
 氣功で治療をするのを仕事としている、つもり、らしいのだけれど、こんな山の中に来る人は滅多にいません。考えないのが氣功師であり人間の生き方だ、というのがダンナの言い分です。だから毎日ボ〜としているわ。
 時々、文章を書くのだけれど、それがヒドイのよ。例えば、

     我輩は考えぬアッシである

 我輩はネコではない
 我輩はトンビやタカでもない
 我輩はワシである。私である。あたしである
 我輩はアッシである。間違いない
 間違いないが、考えてはいない
 我輩は考えぬアッシである
 (アッシとは私、わし、あたしの訛った言葉)
 
 ね〜。アタシはこれを読んだら溜息が出たわ。結婚して十年よ、十年。十年経ってこれじゃあね〜。アタシは魔女だから年齢は気にしないけれど、ダンナは四十五歳よ。それでこの文章よ。まあシアワセといえば、シアワセかもしれないわね。
 ダンナが考えない人だから、アタシが考える魔女で調和がとれているのかしら。魔女といってもマホウの鏡と遊ぶくらいで、特別なことは何もしないし、する気もないわ。結構お似合いかもね。
 これってオノロケだから素直に聞くのよ。他人のシアワセを素直に喜べる人に、幸運は訪れるものよ。オノロケに出会ったらチャンスなのよ。
 ところで明日のオカズ、何にしようかしら。考えると今夜も眠れないわ。
 「鏡よ鏡。アタシとダンナとどっちが好き?」
 「アンさんの前でダンナはんの方が好き、なんてよう言われへんで。ワイ、こう見えても心臓小さいんや。正直者は長生き出来んと言うやないか」
 「あんたね〜」

  眠れぬ森のB女・6
7/21 (木)

妻はツマらない?

 アタシは魔女でも、世間的にみれば人妻ね。人妻はすべて魔女でもあるのよね。魔女に毒はつきものよ。だから妻と毒の字は似ているわけね。稲妻が凄いというのもうなずけるわ。でも、妻はツマらないわ。どうしてかしら?
 実態はほとんど女王様や女暴君でも、妻って自主性が無い気がしない? いまいち積極性に欠けるのよねえ。もちろん人様々だから、十分満足している魔女だっていると思うけれど、アタシには物足りない立場なのよ。
 アキラメは積極的な生き方だ、とダンナは言うけれど、簡単にアキラメない根性が世間では美徳とされているわ。アタシに根性があるとは思えないけれど、美という字がついているモノに弱いのよ。同じ波動は共鳴するっていうじゃない。美人のアタシの宿命なのかしらね。
 じゃあ何をしたいのか、というと困るのよねえ。努力も苦労もしたくないし、多くの人に会うのはうっとうしいし、テキパキ動くのは苦手だし。何よりも、食事時間はたっぷり必要だわ。えっ、今の立場が最高なの? そうかなあ。
 そういえばお師匠様の言葉を思いだすわ。
 「不満があるのではなく、感謝を忘れているだけだ」
 感謝というと、現状に満足しきって動かない姿勢にみえるけれど、実際は感謝から新たなコトが始まるみたいね。不思議なんだけど、不満より感謝のほうが何かを変える原動力なのよ。ツマらない、って言っていたのでは何も変わらないわ。
 ダンナがいなければ妻になれないわ。だからダンナに感謝なのね。それがどんなダンナであってもね。アタシもダンナに感謝してなかったと気づいたわ。
 この時に反省をする人がいるのだけれど、必要ないみたいよ。それどころか下手な反省は、いじけた心を創りやすいそうよ。ただ、気づくだけでいいの。ただ、感謝するだけでいいの。何事も「ただ」がいいのよ。この奥ゆかしさが美しいのよ。
 感謝っていっても力まないでね。心から感謝するものだ、なんてウソよ。心なんてフラフラと頼りないものよ。あまり相手にならないでね。心がどう思っていてもいいの。感謝の行いをすれば、感謝したことになるのよ。心より感謝の行いのほうが優先するのよ。
 注意してね。心で思っているだけでは感謝にならないわ。
感謝は「行い」があって感謝の形となるのよ。
 感謝の行いも簡単よ。言葉で「ありがとう」と言うか、文字で書くか、体で表現するかだけよ。体の表現も合掌したり、頭を下げることぐらいよ。しかも、必ずしも相手に見せなくてもいいのよ。相手に気づかれなくてもいいの。
 それからね、これが大切な特徴なんだけど、対象が当の相手でなくてもいいのよ。
このことが理解できると真の感謝を行なえるわ。
 どう、これならアタシにも出来るわね。貴女にも出来るわね。
 あらっ、何だか妻もわるくないわね。ダンナもわるくないわ。人間も地球もこの世もわるくないわね。アタシは初めからイイオンナだし。
 何だか嬉しくなって、今夜も眠れそうもないわ。
 「鏡よ鏡。いつも美しいアタシを映してくれて、ありがとう」
 「ありがとうは最高最強の呪文でんがな。この言葉だけで世界は変わるんや」
 「今日は気分がいいから、座布団二枚」

  眠れぬ森のB女・7
7/22 (金)

     お師匠様って?

 アタシにはお師匠様がいます。アタシだけではなくて、貴方にもいるはずですわ。お師匠様に気づくか気づかないかの違いはありますけれど、どんな人にもお師匠様はいらっしゃいます。そして、必ず貴方と接触しているはずですわ。
 気づきにくいのは、お師匠様のイメージが固定化されているからよ。イメージは自分の中にあるアコガレが顕すものなのよ。
 地位や名誉や有名な人を求めたり、その逆に仙人のような人を求めたりするわね。みんな貴方自身の願望よ。
 何かの達人や特殊能力人にアコガレたり、父性の強い鬼コーチタイプにアコガレる人も多いわね。そういうお師匠様もわるくないけれど、貴方に必要なお師匠様はもっと身近にいることが多いものよ。
 年上とは限らないわよ。身内の可能性もあるのよ。夫や妻かもしれなくてよ。子供がお師匠様の場合があるのよ。しかも多いの。部下や従業員かもしれないのよ。こうなると簡単にイバれないわよ。大切なことを指導してくれるのは、人間だけじゃないこともあるし。
 お師匠様を意識しだすと、けっこう謙虚になるものよ。とくにアタシのように図に乗るタイプには有り難い存在だわ。
 えっ、ちっとも謙虚に見えない? 
や〜ね〜。細かいことを気にするものじゃないわ。もっと大きな人になってよね。
 幸いにして、アタシは納得できるお師匠様に巡り会えたわ。巡り会えてわかったけれど、求めたものは必ず用意されているわ。
 いいえ、求めたものより一歩先のものが用意されているわ。それを示してくださるのがお師匠様。
 そんなわけで、時々エラソウなことを言うのはお師匠様の影響よ。アタシの言葉じゃなくて、受け売りなんだから本気にしてね。異論やモンクがあったらお師匠様にどうぞ。アタシは言ったそばから忘れちゃうから。
 不出来で無責任な弟子を持つと、お師匠様も苦労するわねえ。まあ、しょうがないわよ。アタシが苦労するわけじゃないし。
 苦労をするためにこの世に来たのではなく、苦労を超えるためにこの世に来た、とおっしゃったのはお師匠様自身なんだし。
 そういえばダンナにもお師匠様がいるみたいよ。しかも二人も。でも、どんなにお師匠様が素晴らしい人で幾人いても、学ぶのは本人次第よね。ダンナをみてると、つくづくそう思うわ。だからダンナは先生でもあるのよね。反面教師だけれど。
 この世界には自分以外に、お師匠様が必ずいらっしゃって、残りのスベテは先生なのね。そして、一番出来が悪いのが自分なのかもしれないわ。
 あら、今日のアタシはずいぶん謙虚だわ。美しさに謙虚を兼ね備えたら完璧ね。どうしよう。自分がステキすぎて怖いわ。これでは今夜も眠れそうもない。
 「鏡よ鏡。この世で一番のお師匠様は誰?」
 「鏡に映る自分自身が最高のお師匠はんや」
 「冴えているわねえ」
 「そう思ったら、たまには心と一緒に鏡も磨いてや」
 「その一言が座布団をフイにするのよ」

  眠れぬ森のB女・8
7/23 (土)

夜のB女?

アタシが夜、眠れないのは知っているわよね。でも、不眠症じゃないわ。ドラキュラでもないわよ。夜は魔の時間なの。前にも言ったけれど、魔も真も間も変わりゃしないわ。愛の変形よ。変体よ。変態よ。この文章など、変大よ。
 夜っていうのは、昼よりも見えない力が濃く感じられるのよ。けっして昼よりも邪悪なわけではないわ。夜のほうがホントの姿を観る機会が多いのよ。
いいえ、ホントもウソもないのだけれど、隠れているモノや抑えていたモノが現れやすいの。
 邪悪なモノが本当に存在するか、という議論は後回しにして、邪悪っぽいモノは昼間は隠れてしまうの。何故って、昼は浄化力が強いのよ。邪悪っぽいモノの一部は溶(解)けてしまうのも事実よ。
 でも、自分で邪悪だと決めつけている感情が一番大きいかしらね。これは心の底に抑えてしまって、昼間はなかなか出てこないわ。
 実はこの底にあるモノが大切なのよ。大切な気づきを教えてくれるのよ。まあ心に限らず、ほとんどの事は、底のほうがおもしろいものよ。
 心は基本的に曖昧なんだけれど、理性で操れる部分はまったく信用できないの。つまり、マジメな人は信用できないってことよ。本人も気づいていないんだから、コマッタちゃんなの。といって、デタラメな人は初めから論外よ。
 ホントの理性は無理強いをしないものよ。人間には未だ操れる段階じゃないわ。だから理性ではなくて我性なのよ。我性の強い弱いはあるけれど、強いのはホメられたものではないわ。我も我慢も同じなのよ。人間社会では我慢を理性的なんて褒めるけれど、都合がいいからよ、誰かさんにとっては。
 人間としては「いいかげん」が最適かな。この件に関しては、ダンナと同じ認識だわ。実際に魔女として夜に人間を観ると、「いいかげん」な人は黒い固まりが出てこないわ。抑えたモノもあるのだけれど、固まりになる前に動かしてしまうみたい。自分で抑えたくせに、抑え続ける根性が無いみたい。ホントにいいかげんなんだから。
 ところで夜の力は複雑よ。成長や再生も夜の分野よ。変化も夜に起こるのよ。昼は体験をして、夜に消化、吸収、変換が行われるのよ。でも、これらは我性が休んでいるから出来ることなのよ。だから人間にとっては夜は眠るのが自然なの。
 我性を休ませるって、とても大切なのよ。我性が続くと破滅するだけなのよ。
 アタシは昼間、トド妻の真似をしているけれど、夜に魅力が全開する魔女よ。ダンナは眠っているから、いまだにアタシの魅力を知らないんだわ。魅力は隠している間が華よ。だから世のオトコたちはパートナーの魅力を知らない。でも、知らせれば魅力で無くなるから、ちょっとムナシイわねえ。
 そういえば猫たちも同じようなことをしているわね。昼間は眠って、夜になると秘密の行動をしているわよ。気まぐれだし、魅力はあるし。魔力も使えるけれど、役に立てないのも似ているわね。
 これも力の正しい扱い方よね。自分たちのためだけに力を役立たせるなんて、地球さんからみればメイワクだわ。
 使わないことを学ぶために授かった力もあるのよ。イイオンナはナンでもカンでも見せびらかさないものよ。
 そんなわけで、特に何もしないけれど、今夜も眠れないわ。
 「鏡よ鏡。お前にとって夜とは何?」
 「ライバルでんがな。夜は己を映す鏡なんや」
 「じゃあ鏡なんていらないわね」
 「そのとおりや。今すぐクビにしてや」
 「ご希望にそえないわ。アタシは役立たたずを集めるのが趣味なのよ」

  眠れぬ森のB女・9
7/24 (日)

魔法は愛情?

 夜はともかく、アタシの昼間はほとんどゴロゴロしているわ。そんなアタシが唯一ダンナに褒められるのが料理なのよ。料理っていっても、難しいことはしないわ。いつでも同じようなものよ。家のまわりに生えているのを使うだけよ。
 「世界一美味い」とダンナは言ってくれるわ。世界はおろか、お隣さんの料理さえ知らないのに。でも、こう言われると嬉しいものよ。自分でもおいしいと思うし、おいしく変わってきたと思うわよ。
 ダンナはそれが「氣の活用法」だと信じているみたい。実はアタシが魔法を使っているのを知らないのね。魔法はあまり使わないのだけれど、料理には使いやすいし、使うほうが食べ物さんが喜ぶのよね。ダンナも喜ぶけれど。
 マトモなオンナなら魔女だといったでしょう。特別じゃないのよ。だから魔法も特別なことではないわ。不思議なことは当たり前にあるのよ。こう受け止められる心の広さと柔らかさがイイオンナに変えるし、魔女の条件でもあるのよ。
 魔法って愛情のことなのよ。愛と愛情の違いはそのうちお話しするけれど、地球は愛情が満ちあふれている星だわ。大宇宙はスベテ愛に包まれているけれど、愛情だらけの星って珍しいのよ。
 勘違いしないでね。褒めているわけじゃないのよ。だから地球というのは魔法がいっぱいの星でもあるし、この星の中では魔法は特別じゃないの。
 「魔」つまり「愛」の表現方法が魔法なのよ。だけど表現方法は理解度によって変わるし、変わるモノは未熟な証拠でもあるのよ。
 愛情は愛の未熟な姿なの。魔法は未熟なのよ。
でもね、この世は諸行無常というじゃない。アタシたちは未熟な世界を選んで生まれてきたのよ。そのことは基本として忘れちゃいけないわ。
 最近はその愛情が涸れてきているわねえ。魔法が涸れてきているのよ。未熟ならいいんだけど、腐り始めたらヤバいわよ。
 未熟は未来に向かって熟す動きがあるけれど、魂の進化が止まると腐ってくるの。見えるモノだけの進化を求めると、魂は止まってしまうのよ。見えるモノと見えないモノのつなぎ役が愛情であるし、魔法でもあるのよ。
 愛情や魔法は段階があるわ。我の解放度によってだから、かなりメイワクな愛情や魔法だらけなんだけど、それでもいいの。
 見えないモノに重点をおいていれば、「気づき」が起こるから。それも自動的に起こるものなのよ。だから愛情は大切なのよ。未熟なモノは大切なのよ。そうよ、そうよ、ダンナも大切なのよ。
 ああ、今夜のアタシは愛情があふれて眠れそうにないわ。
 「鏡よ鏡、アタシの愛情を分けてあげるわね」
 「押し付けるのが愛情。受取る行為が愛。ワイ、まだ魂が未熟なんや。遠慮しときまっせ」
 「なによ〜」

  眠れぬ森のB女・10
7/25 (月)

嘘つきB女

 いきなり告白しますけど、アタシは嘘付きだわ。でも、嘘付きが悪いなんて思わないでね。本当のコトが解らないからこの世にいるのに、嘘付きで無いなんてアタシには言えませんわ。
 えっ、自分で自分の事を正直者というヒトがいるの? 強い性格ねえ。
 強い事はいい事ではないわ。といって、弱い事も同じよ。やわらかい事が大切だし、それを学ぶために存在しているのよ。
 無知と強さは紙一重。覚えておいてね。
 とにかく、そんなアタシの云うことだから本気にならないでね。本気ってウットウシイだけなのよ。嘘でもナンでも適当に受け入れることを活用というのよ。適当というよりテキトーって感じかな。
 でも、いくら嘘だからといっても無視してはいけないわ。出会ったモノが何であれ、無視だけはこの世のルール違反になってしまうわ。
 私達って、出会うためにこの世に生まれたのよ。何かを学ぶために出会いがあるのだから、良い出会いとか悪い出会いとか関係ないわ。謙虚になれるかどうかがポイントよね。
 えっ、アタシがえらそうに云うべき言葉じゃない? ほら、その態度が謙虚じゃないのよ。相手のことを気にするよりも、自分の内面に注意をはらってね。
 この章では「愛」についてお話しするわね。
こういう大きなテーマは嘘(方便)で顕すほうが都合いいのよ。最初から嘘だと断っておけば、アタシにとっても、書いているダンナにとっても、受け取る貴方にとっても気が楽だわ。
 気が楽になれば真実に触れやすくなる、とお師匠様もおっしゃっていたわ。
 そもそも本当に大切なモノとは、「いいかげん」に接するのが基本姿勢なのよ。大切なモノは柔らかである、という共通した質があるのよ。
 マジメな態度で柔らかを理解するのは無理があるわ。マジメ自体が硬いのよ。その点、「いいかげん」ならば何とかなるものよ。何とかならなくても、どうってこともないし。
 「鏡よ鏡、今までご苦労様。今日であなたを解放してあげるわ」
 「そんなストレートな嘘、ワイ寝ぼけてても引っかかりませんがな。」
 「あなたの心をそんな風に捻じ曲げてしまったなんて、アタシって悪い女ね」
 「決まってまんがな。アンさんが悪くなければ世の中に悪人なんておらん」
 「ちょっと〜。ずいぶんな言い方じゃない。鏡の表面をキズ付けてやろうかしら」
 「ま、まて!落ち着いて考えてみようやないか。美人ならば何をしても許されると思わんか? 嘘ぐらい何でもあらへん」 
 「そ、そうよね〜。今夜は座布団一枚あげるわ」
 (「嘘は使い方で活きるもんや」)

  眠れぬ森のB女・11
7/26 (火)

愛と愛情

 これからが本番よ。まず愛と愛情の違いからよ。これは基本的な事だけど、ほとんど理解されていないのよ。まぁ仕方ないけど。
 愛はこの次元に限らず最も大切なことなのだけど、今までの人間の段階では言葉が先行していただけで、なかなか本質にせまる表現が出来なかったのよ。愛ってめちゃくちゃ大きな相手なのよ。
 普通は「愛」というと、優しいイメージや、神聖なイメージを抱くものだけど、そんな単純な範囲じゃないわ。
 この世の仕組み、いいえ、この次元の仕組み、いいえ、次元を超えた仕組みの質自体を「愛」というのよ。
 どう? 想像できるかしら? 無理でしょう。
えっ、無理なのは文章表現が稚拙だから? 解ってないわね。
 リードするものが精密正確なほど、想像レベルは貧しくなるの。表現の稚拙はアタシの思いやり。
 とにかく、「愛」をストレートに学べないのだから、人間のレベルでは「愛」より「愛情」を学ぶことが優先するのよ。そのためにこの「愛情」あふれる地球に生まれたのよ。
 貴方が人間を超えたレベルならば「愛」を語ってもいいけど、シッタルーダやイエスクラスはめったにいないわよ。
 その彼らさえ、つい「愛」を人々に語っちゃったけど、ごらんのとおり今の人間には無理解だったでしょ。宗教関係者は「そんな事は無い」って言いたいでしょうけど、これは単なる事実よ。
 釈迦さんもキリストさんも、人間には無理だと「解っちゃいるけど、止められねえ」というわけだったのよねぇ〜。ホントに優しいんだ。
 えっ、アタシ? だから普通の人間じゃないわよ、って断っていたじゃない。だから当然エラソウに「愛」についても書くわよ。解ってもらおうなんて、最初から思っていないわ。
 アタシは和(柔)らいでほしいだけ。もちろん人間の意識のことよ。考えて理解なんてしないでね。無理は無駄になりやすいのよ。
 愛も愛情も「考える」相手ではないわ。難しくいうと「智と行」なのよ。 
ほとんどの人間は「智と行」を「痴と業」にしているから大変なのよ。「痴と業」にすると、愛や愛情がねじれて見えてしまうから、「苦」の原因になってしまうのよ。
 愛や愛情の本当の姿が「苦」のはずが無いでしょ。嬉しい、楽しい、愉しい、気持ち良い、安心、和(柔)らぎなどの幸せを知るためにあるのだから。
 ねえ、人間って不思議よね。素直に「愛と愛情」を学んで幸せになればいいのに、ワザワザ「愛と愛情」をひねくれさせて、苦しく生きる方を選ぶのだから。
 素直が一番なのよ。字のとおり、なんでも理解には素直が一番早いし速いのよ。
 「鏡よ鏡、今日は素直に言ってね。この世で一番綺麗な女性はだ〜れだ?」
 「どこの綺麗や? 顔か? 心か? 体か? 魂か?」
 「う〜ん・・・。顔の綺麗な女性」
 「歳によって違うねん。何歳くらいや?」
 「う〜ん・・・。30代でいいわ」
 「国によって基準が違うねん。何処の国や?」
 「う〜ん・・・。日本では?」
 「時代によっても違うねん。何時の時代や?」
 「現代よ」
 「一人の人間でも体や心の状態で顔も変わるんやけど、どんな状態の時や?」
 「もういいわ。なんだかバカバカしくなってきたわ」
 「大切なのはそれや。素直の前では利害や感情なんてツマランもんや」
 「それって、アタシの質問が素直でなかったという意味ね」
 「いいや。アンさん自身や」
 「ムッ! これ、針の座布団です。どうぞ」

  眠れぬ森のB女・12
7/27 (水)

親子の愛
    
 愛、といっても愛情の事よ。
 前項で書いたように、「愛」そのものの解説なんてしても理解できないでしょ。でもここでは「愛」と表現したほうがイメージしやすいのよ。
 イメージは理解を先導したり、扇動したり、何かの船頭になったりするものなの。
 理解は「愛」への入り口なんだけど、イメージが先導役だと知るとイメージの重要性が解るかしら?
 ツマラナイ学習より、想像やその先にある創造の癖をつけるほうが、ずっと物事の理解に近づくわ。
 勉強をさせるのは何のため? 何かを理解するためでしょ。それなら頭は遊ばせなくっちゃ。
 遊びからイメージやもっと直接的に理解や発見が起こるものよ。直感ってヤツかな。
 あら?また話しが横にずれていたわ。そうそう親子の愛だったわね。
 人間にとって親子の愛は基本形なのよ。だから人間には例外なく親がいるのよ。人間以外では親がいなくて生まれるモノって多いわ。いきなり発生するモノや、分裂するモノなどさまざまよ。
 ここでいう親は肉体的遺伝的な存在のことよ。すべては「神」という親から生まれた、だから我ら動物みな兄弟、という表現の仕方もあるけれどねぇ。
 いきなり本質的なことを言ったって、それぞれが勝手に受け取ってケンカするのがオチよ。各宗教間の争いを見て。神様がいたら嘆く・・・わけないか。嘆くのは悲観的な人間のほうだったわね。神様はそんな事ぐらい、お見通しのはずよ。そうじゃなければ、神様なんてやってられないわよねぇ。
 神様って超ポジティブよ。悲観的な神様なんてニセモノに決まっているじゃない。まして怒る事は絶対しないわ。神様モドキは人間の創りものよ。よく観てね。
 親子の愛の特徴は「最初から備わっている」事よ。
 通常、愛情は育てたり変化させたりする「行い」が伴うものなんだけど、愛情が最初からあるから親子としてこの世に存在しているの。
 ところで覚えているかしら?きっと忘れていると思うけど、以前に
 「行い」が伴って感謝の形になる、って言ったのよ。この世で学ぶ大切な事はすべて「行い」を通して理解できるような仕組みなのよ。
 これも大切。感謝と愛情は同じモノを違う側面から表現したのよね。感謝って結構「大物」なのよ。つまり親子間では最初から感謝も備わっているのよ。
 それにしても「行い」なしで愛情も感謝も最初からあるんだから、親子ってすごいわねぇ。しかも人間なら例外無しに与えられているのよ。この世のこんな仕組みを考えると、こんなアタシだって神様の仕業と思うわよ。
 あら?アンダーラインばかり。ここのお話は重要なのかなぁ。
 「鏡よ鏡、お前にも親はいるの?」
 「ワイらは己を映すことによって、神、つまり大親を観るために創られたんや」
 「へ〜、そう。で、アンタに親はいるの?」
 「ウッ! ワイ、人間やない!」
 「知っているわ。で、アンタに親はいるの?」
 「ワ、ワイかて人間が羨ましいことだってあるんや」
 「つまり、アンタに親はいないのね。フフフ、案外アンタが可愛くないので捨てられたのかもよ」
 「そ、そ、そうやろか?」
 「あ〜。何故か今夜は気分良く眠れそう」
 (魔女に限らず、オナゴは底意地が悪いものです・・・)

  プラス志向・1
7/28 (木)

プラス思考じゃない。
実際に行動として向かうから志向となる。
生き方として歩くから「意志」
「プラス」していく方法を「プラス志向」とする。

ワシは「プラス思考」に疑問をもっている。
ちょっと批判的でさえある。
「プラス思考」は勘違いか間違いか無知か無理だと思うよ。
少なくても机上論であり、実践的ではないなぁ・・・。
プラス思考は性格の適・不適があるのだ。
相手を観る事なしに薦める方法じゃないぞ。

何かを薦める人の陥りやすい点がある。
「相手を観る」姿勢が抜けやすいのだ。
自分の主張を押すことに偏りすぎだ。
「強さ・正しさ」にこだわりすぎだ。

一見親切は、一見優しさのように見える。
ところが相手の立場より「正しさ」を押す。
それは・・・薄情という・・・。
相手の情を認めてないからだ。

「プラス志向」は「強さ・正しさ」を求めない。
そう、ロクデナシの味方なのだ。
(ワシがロクデナシだからだけど・・・)
心の(ロクデナシの)味方が出来ないのは薄情という。
自分の味方が出来ないのは薄情というのだ。
(ふ、深い言葉だけど・・・賛同者は少ないだろうなぁ)

ロクデナシの味方は正義の味方じゃない。
体や心や精神の弱い者の味方だ。
正義の味方は強い者の味方なんだぜ。
御旗をたてて、反論できないように進めるのが正義だ。
異論や反論を認めない、薄情な方法だ。
ワシは正義を振りかざすのが好きではない・・・。

正義を進めると「争い」になる。
だからワシは「正しさ」を求めない。
ワシは「平和」が好きなのだ。
ナマケモノだから・・・。
ナマケモノは争わない・・・。
木(氣)にすがっているだけだし・・・。

そのナマケモノ道として「プラス志向」がある。
「プラス志向」は平和を求める道だ。
ハッタリもここまで書けば、そういう気がしてくる・・・。
ワシはハッタリ道の師範免状も持っているのだ。
(でも競争個人主義の国民にはかなわない・・・)

マイナスの逆側ではない「プラス」
「加える」という意味の「プラス」
何でもいいよ、という「プラス」
プラスしかない世界の「プラス」
そんな「プラス志向」を書いてみますね。

  プラス志向・2
7/29 (金)

「マイナス思考」と言われる閉じこもり系の考えがある。
「プラス思考」は「マイナス思考」を否定する。
そして「プラス思考」に変えようとする。
こっちの水は甘いぞ・・・。

それでも動かないと・・・
「人間はプラス思考でなくてはダメ!」
お、脅かす・・・そ、そうなのかぁ?
ダメって言われてもなぁ・・・
言われて変わるようなら、世界はとっくに理想郷だ。
あるいは、世界はとっくに滅亡している。

「プラス」は「明るい」という意味を内蔵する。
ワシもそう思う。
だが「プラス思考」は片方を否定し片方を薦める。
「マイナス思考」とレッテルを貼る行為が、
ワシには「明るい」とは思えないぞ。

プラス思考は(賛同者にだけ)明るい・・・。

「明るい」から「正しい」という主張もある。
「正しい」から「明るい」という主張もある。
ならば・・・ラテン系は、皆、正しい・・・。
ワシもラテン系な性格だ。
(い、いや、単なる、いいかげん・・・)
ワシは正しかったのだぁ〜・・・。

血液型だけで性格や性向が決るとは思わないが、
話の流れ上、そういうことにしておこう・・・。
キマジメなA型は明るさに欠ける。
三段論法とシャンツァイロンポウから、
マジメなA型は、皆、正しくない・・・。
いいのか? それで?

片方だけが「正しい」「明るい」というのは、
とても幼稚なワガママに観えるけどなぁ・・・。
ワシは「プラス思考」が幼稚だと思っている。
(プラス思考支持者から抗議がありそうだなぁ・・・)

ワシは、ケンカを売るつもりも買うつもりもない。
ワシは根性無しなのだ。言い訳をするぞ。
幼稚は・・・可愛いじゃないか!
幼稚園児を可愛いと思えないなら、アナタはアクマよ。
(今日も雑記が壊れているなぁ・・・)

口が滑るのは先祖からのDNAのせいだと思う・・・。
先祖がオッチョコチョイだからだ。
そうだ、そうだ、悪いのは先祖だ。
要領よく振舞えば、もう少し社会から認められたのに・・・。

黙って目を瞑ることはワシも知っているし、行う。
無知や無理にも目は瞑るけど・・・口は滑る。
「プラス思考」では(全部は)輝かない・・・。
(今日は暑いんだもんなぁ・・・クーラーは無いし・・・
尻滅裂、い、痛くないのか? ハチャメチャ雑記でしたぁ)

  プラス志向・3
7/30 (土)

ワシは節操の無いヤツが好きだ。
尻軽なオナゴも支持する。
ラテン系やイタリア人が仲間だと思っている。
人を差別しないで好む連中だからだ。
(本当はどうだか知らないけど・・・)

他を節操なく認めてしまう「プラス志向」
何でもプラスしていく生き方。
異なモノでも、まぁ、いいかぁ、と許しちゃう。
なるようにしかならない、と開き直る性格。
どうなっても、とりあえずは生きていける。

陰気なヤツもインキンなヤツもゲンキンなヤツもいる。
ワシも陽気な時ばかりじゃない。
元気も病気も食い気も色気もある(と思う)。
だから全部がプラスされて、ワシがいる。
それはアナタも同じなんだ。

一部だけ愛するのは・・・フェチという。
変態の仲間だ。
明るいモノだけ愛する「プラス思考」は変態だぜ。
「プラス志向」なら、フェチにならない。
明・暗・グレー・オレンジ・ブルー・ゴールド
出会うモノ、全てプラスしていくからだ。

もちろん節操のない「プラス志向」だ。
変態の「プラス思考」も認めている。
変態は少しなら・・・面白いと思う・・・。
心の底で興味ある人は多いはずだ・・・。
過ぎると害になるから、少しにしておけよ。
と、いうわけで、
たまには「プラス思考」もわるくない。

マイナスとレッテルを貼られた思考も仲間だ。
この思考は奥ゆかしいというか、意気地は少ない。
だから「プラス思考」の強さに必ず押される。
変態の「プラス思考」に押し倒されるのだ・・・。
そして・・・後で一人泣く・・・。

人生の侘寂は「プラス思考」では理解できないが、
「マイナス思考?」は理解しやすい位置にいる。
侘び寂びは、味わい深い世界だぜ。
深みの味が解ってこそ、優しくなれる。
どうだ?マイナスラベルの暗さもわるくないだろ。

能天気で変態の「プラス思考」
意気地無しだが、深みを味わう「マイナス思考」
どちらも自由に引き出せる「プラス志向」
ワシは「プラス志向」で生きるを愉しむ。

  プラス志向・4
7/31 (日)

何度も何度も何度も何度も書いている。
この世の仕組みはヒネクレている、と。
この世の仕組みは素直と表現してもいい。
素直とヒネクレは同一体だ。
だが、その説明をするとメンドウだ。
ワシ流ではヒネクレを少し贔屓している・・・。

「離捨別」は楽になる方法だ。
嬉しい・愉しい・気持ち良い方向だ。
放すと幸せを得てしまう・・・。
この世はヒネクレているのだ。
その「離捨別」と「プラス志向」は同一体だ。

何でも節操無く「プラス」していく。
何でも認めてしまう。
何でも放すと、何でも認められるからだ。
放す事と加える事は同じなんだ。

難しい話をしているわけじゃない。
ヒントは「こだわり」・・・。
表現の違いは個性の違い。
行いに大した違いは無い。
「プラス」も「解放」も同一体だ。

ワシは通常モードは能天気だ。
出来るだけクダラナイオヤジを目指している。
三流のダジャレを心掛ける。
スケベなオッサンになるように精進している。

ダメな父親像を多く見せるように意図してる。
本妻には甲斐性なし亭主を進んでアピールする。
(実際、嘘を言う甲斐性も無い・・・)
愛人にも魅力で縛らないように注意している。
(魅力は無いから心配ないって・・・)

基本は全てオープンだ。
聞かれりゃ何でも答える。
スパイにゃ向いてない性格だ。
幸せで、楽に生きたいからだ。
(結構・・・努力家じゃん・・・)

普段が能天気だと、反動もある。
それが治療モードだ。
アホでダメでナマケモノだから、
治療時だけは、マトモになれる。

ワシは四六時中、マトモな人を信用しない。
マジメな話ばかりする人に偽善の臭いを感じる。
心はそういう仕組みではないからだ。
心の仕組みは、この世の仕組みと同じだ。
ヒネクレて成り立っている。

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