05年8月のコラム           コラム3目次に戻る
  プラス志向・5
8/01 (月)

ワシは根性無しだ。
だからエライモノに逆らわないで生きようと思った。
エライモノ・・・
ワシが考えられる限りで最高にエライモノ・・・
それは
「この世を存在させてくれるモノ」だった。

人間のエライのは・・・たいした事がないと思う。
エライ人はゴマンといるから迷うし・・・。
自分をエライと言ったり振舞う人はゴマン億人もいる。
ワシはエライ人を判断できないから・・・困るなぁ。
それに人間は意識、無意識に係わらず嘘つきだし・・・。

人間以外の最高にエライモノなら無条件で判る。
「エライモノ・偉大なナニモノ」それをグレちゃんと呼ぶ。
グレート・サムシングだから、グレちゃんだ。
でも、実は・・・
グレている(ヒネクレている)という意味も込めている。

超大物だから何を言っても平気だ。
内緒や秘密にする相手ではないので、遠慮なく呼ぶ。
グレちゃんに秘密は通じない・・・。
知っても知らなくても、気にしないだろう。
そんな些細な事にツッコミを入れない偉大なモノだ。

だからワシはグレちゃんに歩調を合わせようとする。
そのことを「自然体」ともいう。
ナマケモノで根性無しの生き方だ。
グレちゃんと合わせりゃ、大抵何とかなるだろう。
ならなきゃ、ならないだけの何かがあるのだろう。

そのグレちゃんは、この世にある全てを認めている。
ならばワシだって真似をする。
偉大なモノには・・・逆らわない・・・。
それが「プラス志向」だ。
異論があるなら、グレちゃんに言ってくれ。

この世は多種多様なモノ達から成り立っている。
森羅万象がある。
ウソもデタラメもある。
全てグレちゃんが認めたモノ達だ。

人間は心が狭いから、異なモノを認めるのが苦手だ。
「正しさ・正論」を軸にして生きる人は尚更だ。
マジメな人達は心が狭いからフェチになる。
挙句に・・・争う。
「プラス志向」に争いは無い・・・。
少しはグレちゃんを見習おうぜ。

  渦・1
8/02 (火)

スパイラルとした方が格好イイのに・・・。
ワシに格好良さは・・・似合わない・・・。
渦は回る力。
この世は時間が一方に動いているから渦は螺旋になる。
螺旋の説明は複雑になるから「渦」とした。

「時」は面白い題材だけど、理解し難い。
どうしても机上の理論になってしまう。
ワシの研究の一つに「若返り」があるが、
「時」の側面から扱うのはメンドウ・・・。
「渦」からなら、応用が効くようだ。

渦は動き。
そこに「生命」がある。
「生命」が発生する、活性する。
「若返り」なんて難しくない。
応用すればいいだけだ。

渦は曲線の動き。
真っ直ぐなモノは形になるが、
曲がったモノは生命になる。
心はどちらが喜ぶと思う?
体はどちらが喜ぶと思う?

渦は円の動き。
回るモノは常に新たな出会い。
円は・・・縁。
円は・・・炎。
火炎と水渦。

渦は浄化。
浄化は生命の動きでもある。
浄化も回復も活性も発生も同じだ。
闇(病)は生命の活性で消える。
生命は・・・光だから。

少し・・・マトモに書きすぎた。
ワシは口が滑る癖がある。
まだまだまだまだまだまだ、未熟だ。
熟女の相手には役不足・・・。

渦は・・・目が回る・・・。
目が回れば・・・心はアホになる。
心がアホになれば・・・生命は活性する。
渦は・・・荒れた心を鎮める。

  渦・2
8/03 (水)

渦から生命は活性、発生する。
生命が活性すると渦も発生する。
渦は生命の一つの形。
渦あるところに、生命あり。

宇宙空間の大星雲。
渦巻状の星雲なら、生命がある。
証拠は・・・渦。
解る人には判る。
解らん人には何を言っても判らん。

渦ある海は生きている。
渦ある雲は生きている。
渦ある風は生きている。
渦ある気持ちは生きている。
それでいい。

出会い。
すれ違い。
別れ。
巡り会い。
道も渦なら、それでいい。

何処かにたどり着くのが目的じゃない。
この世は「いきている」事が目的だ。
生きているだけでいい。
活きているだけで面白い。
生命は、それだけで喜んでいる。

目標。
結果。
それは・・・オマケだ。
生きている事が目的だ。
本末転倒が・・・多すぎる。

努力し精進し結果を残す。
それは・・・趣味だ。
生きる事、活かす事。
それは・・・感謝だ。

渦は自然に発生する。
自然に発生する渦があるなら、
それは・・・生きている。
渦があるなら・・・感謝もある。

渦があるなら、
グチャグチャもある。
一見グチャグチャだけど生命がある。
それでいい。
それは・・・生きている。

  渦・3
8/04 (木)

渦は疼き。
心の渦は心の疼き。
体の渦は体の疼き。
生命の動きは疼きとなる。

巡って広がる疼き。
巡って深まる疼き。
人の社会は渦と渦。
疼きと疼きの絡み合い。
唐草模様は生命模様。

見えない生命を観た人達がいる。
生命を蛇に例えた。
生命を龍に例えた。
渦が生きていたからだ。

ワシの仕事は生命力の活性化。
体や心は生命力の低下で闇(病)を呼ぶ。
あるいは・・・
生命力の活性化で闇を祓う事ができる。
方法さえ持てば難しい事じゃない。

その一つに渦がある。
渦を創り出す。
渦を応用する。
形からでも出来る。
「氣」の渦も出来る。

直線で発振するよりも、
渦で発振する方が変化が早い。
ワシはいつでも「氣」を渦にする。
回りながら、生命は活性する。

頭は渦でナデナデ。
体も渦でナデナデ。
心も渦でナデナデ。
優しい渦でナデナデする。
(「氣」でナデナデするのだぞ)

ワシ自身も時々渦になる。
しかし、回らない所もある。
借金で首が回らない・・・。
その代わりに目が回る。

首が回るようになれば、
経済的に活性化するのに・・・。
自分の事は上手く出来ない・・・。
誰か〜・・・

  余裕命・1
8/05 (金)

ちょうどいい名前が思いつかなかった。
「余命」じゃ違うし・・・
「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・
この部分の説明に出会った事がないし・・・
だから言葉が判らない・・・。

ワシの感覚だ。
クライアントに接して感じる「命」。
命の仮の境界線。
そこから下の部分の話だ。
普段は使わない命の部分だ。

生きている時は「命」を使う。
あらゆる事に使う。
何にもしなくても使う。
その「命」には量がある。

量はその個体の決定量じゃない。
「命の器」が一つ一つ違う。
しかも「器」は大きさが変化できる。
当たり前だが「やわらかい」ほど大きくなれる。

更に器にいつも満杯の量ではない。
「命の量」は個体のその時の状態で変化する。
つまり「命」は「器」と「量」の二段構えの仕組みだ。
人は意識で「器」と「量」を変化してしまう生物だ。
変えることがある程度可能な能力を持っている。

能力はあるが、活用しているわけじゃない。
特に近代以降、人類は見えないモノに鈍感になった。
大切だ、大事だ、と言いながら「命」を粗末にした。
戦争が途切れた事のない、特殊な生物だ。
かなり・・・愚かではある。

「命」の研究を進めているが、一方向からだけだ。
近代以降、見える分野でしか研究が出来なくなったからだ。
「観る能力」もあるのに使わなくなったからだ。
「器」だけじゃなく、頭も硬くなった・・・。
だから「命」は解る人にしか解らない。
まぁ、それでもいいけどさぁ・・・。

生きている限り「命」を使う。
生きている限り「命」を補充する。
「命」は使い合う。
「命」は補充し合う。
多種多様なモノ達と補充し合っている。

  余裕命・2
8/06 (土)

個体の「命の量」には限界がある。
限界は仮の限界と本当の限界がある。
「命」は保護システムがあるのだ。
それは幾重かになっている。

仮の限界膜も幾重かになっている。
体が一度限界を知らせても、まだ先に行ける。
心が限界膜を破るからだ。
それは仮の限界膜だから破る事ができる。
膜は再び塞がるが、破られる都度薄くなる。

ある状況下で意図して破る場合もある。
スポーツなどで一つの段階を越える場合だ。
何度も破り、通常能力を広げる場合だ。
だが、容器が広がったわけではない。
だから能力が広がっても命は短くなる。

真の一流は限界膜を破るより器を広げる。
「やわらかさ」で体と心を広げる。
一流以下は無理に限界を進める。
一流とそれ以下は別な次元となる。
努力や根性で入れる世界じゃないのだ。

能力は「命の量」と直結している。
能力を伸ばすには「命の量」を増やす。
そこに気づく者は多い。
しかし限界膜を破って広げる者がほとんどだ。
根性がある者ほど陥りやすい罠だ。

努力と根性の世界だけなら難しくはない。
力の世界なら狭い世界だからだ。
力の世界では限界に簡単にぶち当たる。
そして苦しむ。
力で押そうとするからだ。

一流は力を温存する方法を見出す。
次の世界は根性で乗り切れる次元ではない。
その事に気づいている。
別な要素を使う。
その「やわらかさ」が一流の素質なのかもしれない。

強くなる為に練習をする人がいる。
それはそれでいい。
だが「やわらかさ」を掴むために練習する者もいる。
それが一流といわれる人だと思う。

一瞬で変わる「やわらかさ」
それを掴むために多くの時間を費やす場合もある。
僅かの日時で掴む場合もある。
だから一流は年齢でも経験でもない。

  余裕命・3
8/07 (日)

限界点で勝負する者同士がいる。
だが一流とそれ以下は大きく違う。
限界点は仮限界点だ。
その下に眠っている能力がある。

眠っている能力を使おうとする。
限界膜を破って使う。
眠っている能力は「余裕命」
使えば使える力だ。
一流以下は使うモノだと思い込んでいる。

だが一流は残す。
温存する能力として認識する。
ここに大きな差が出てしまう。
眠っている力を使う者。
眠っている力を温存する者。
同じ限界点までいるのに、大きな差がでる。

限界点で余裕が大きいのが一流。
たった一度の勝負なら、誰が勝つか判らない。
シロウトだって勝つ事がある。
だが常に最終組まで残るのは一流だけだ。

使える力の温存ではない。
そんなに甘くはない。
誰でも限界点で勝負する。
それでも常に差が出る。
「使わない力」の量があるからだ。

「使わない力」が限界膜の下にある。
それを知ると「使わない力」を「使える力」にする。
通常、誰でもそう考えてしまう。
限界膜を破って「使える力」にする。
当然「使わない力」は少なくなる。
「力は使うモノ」という固定概念しかない。

気づいた者だけが入れる世界がある。
「気づき」は固定概念外にある。
「使わない事」に意味がある力。
そこに気づいた者は別な「気づき」も得る。

使える力を増やすのではなく「器」を広げる。
「器」を広げると能力は増えてしまう。
一流が練習するのは能力を増やしているわけじゃない。
「器」を大きくしているのだ。
「器」は「やわらかさ」で広がる。

  余裕命・4
8/08 (月)

使える「命の量」を大きくする。
これは病の回復にも応用できる。
回復するには「命」を使う。
病で少なくなった「命」を更に使う。
病でダメージを受けた「命」を更に使う。
回復に使う「命の量」で病は左右されるのだ。

ただし限界膜を破るのは非常時以外は適さない。
「余裕命」が少なくなるからだ。
「余裕命」は使わない事に役目がある。
とても重要な役目がある。
「使わない力」はとても重要なのだ。
この道に入り、ここに気づくまで数年を要した。

この世の仕組みはヒネクレている。
「使わない力」に最重要を持たせる。
「使わない事」が最大活用になる。
「使わない事」を学ぶ為に存在する。
温存する「命の量」が重要なのだ。

温存する命を「余裕命」と名づけた。
「余裕命」を使わずに「使う命」を増やす。
それは「器」を大きくする事だと気づいた。
(超)一流の選手と同じ方法だ。
「やわらかさ」で体と心の「器」を広げる。

ここからが選手とワシ等の違いとなる。
一流選手が大きくするのは自分の器だ
ワシ等はクライアントの器を大きくする。
その方法が「ヒーリング」というものだ。
「ヒーリング」は一方通行の能力じゃないぜ。

ワシは(ワシ流の)氣功で「やわらぐ」スイッチを押す。
体にも心にも(魂にも)影響する光だから可能だ。
ワシのいいかげんな言葉では無理だが氣功なら可能だ。
そして代わりに相手の病を受ける。
「ヒーリング」は一方通行じゃないのだ。

受ける病は浄化するが、一時的に受け取っている。
それを収めるのも「器」だ。
つまりワシ自身の「器」も大きくしておかないと、
ワシの生命が危機になる・・・。

ワシは自慢じゃないがナマケモノだ。
それでも、こればかりはしょうがない。
生命が無くなると、愉しめない。
ワシ自身に対しても、この分くらいは仕事する。
一応、プロだし・・・。
セルフヒーリングはプロとしての日常仕事だ。

  余裕命・5
8/09 (火)

器を大きくする。
ここで多くの人が勘違いする。
固定概念ってやつだ。
器が大きくなっても人間は立派にならない。
残念でした・・・。

ナマケモノでロクデナシには吉報だ。
立派にならなくても、器は大きくなれる。
ワシも安心して、遠慮なく大きくする。
立派にだけは・・・なりたくないから・・・。
(一部は立派にも大きくもならない・・・)

ワシでさえ器が大きくなれるのだ。
安心してくれ。
誰だって可能だ。
「やわらかくなる」事は誰でもなれる。
誰でも「やわらかかった」からだ。
誰でも赤ちゃんだった頃がある。

病からの回復に有効な「命の量」
基本的に誰でも増やすことができる。
安全に増やすことができる。
それなのに常識人は・・・変だ。

病から回復するのに危険な方向に行きたがる。
限界膜を根性で破る。
まるでエライかのように頑張る。
「余裕命」が少なくなるのを自慢する。
それって・・・変だぞ。

理屈で行動をすると「余裕」はなくなる。
人間の理屈は「無理」だからだ。
「理(自然法則)」と人の理屈は別な岸にいる。
理屈が消えると「理」が現われる。
そんな事も判断できないのかなぁ?

人間以外の生物は理屈を唱えない。
だから天寿をまっとうできる。
自然に解けて生きている。
だから「生命力」が活用できる。
人間は
人間以外から教わる事が多いし、大きい。

最後まで「余裕命」を残す。
最後の最後。
「余裕命」は「死」の為に使う。
「生命」を使わなくては「死」が自然でない。
(幾人もの死に係わり、やっと気づいた事だ)

  余裕命・6
8/10 (水)

ワシはアホだから、自力で気づかない。
厳しい状況のクライアントに接し、
クライアントから教えていただく。
大事な事、大切な事を教えていただく。
それは「生命」の事だ。

苦しい、辛い、痛い状態。
そして大切なモノを示してくれる。
ワシの苦しさ、痛さではない。
でもワシに苦しさ、痛さを分けてくれる。
多分、ホンモノの何分の一の量だと思う。
だから「気づき」が起こる。

身を挺して教えてくれる。
クライアントは偉いなぁ・・・。
しかもお金までくれる・・・。
ロクデナシのワシにだぜ・・・。
だからクライアントは徳が高い。

病になるのが偉いわけじゃない。
病になるのが徳の高さじゃない。
だが、そこから回復するなら偉いと思う。
回復の過程で徳は高まると思う。

浅薄な精神論では病を悪かのようにいう。
病になるのはレベルの低さだ、という。
心が浅いから病に落ちるという。
浅いのは、そう評価する方なのになぁ・・・。
人間、皆、浅いといえば浅い・・・。
自分の心は観えないのね・・・。

生きているモノ全てに共通する仕組み。
ブッちゃん(仏陀)はそれを四苦と言った。
まだ至らぬ頃だと思う・・・。
四苦の解放法に悩み、シクシクと泣いていた(ウソ)。

「生・老・病・死」
やがて、四苦と思ったのは間違いと気づく。
「生・老・病・死」は成長刺激の仕組みだと気づく。
病はチャンスでもある。
でも、辛いからお薦めできない・・・。

病にならなくても成長は出来る。
生きているだけで、いろいろあるから・・・。
(それに・・・
特に成長しなくてもいいと思うよ)
成長を意識すると、成長出来ない。
この世の仕組みはヒネクレているのだ。

  余裕命・7
8/11 (木)

神だか創造主だか醸造酒だか知らないが、
この世を創ったモノはオチャメだ。
偉大かもしれないが・・・ヒネクレている。
ヒネクレているモノは偉大なのかも知れない。
オチャメなのは・・・偉大なのかも知れない。

生きるに大切な「余裕命」の部分。
大切だからこそ使わない仕組み。
使わざるを得ない状況下で気づく仕組み。
生きる危機になり、生きる大切さを知る。
幾重にも張り巡らされた気づきの層。

死の手前になるほど「気づき」が濃くなる。
生きる意味の気づきが濃くなる。
それでもいいのだ。
どの段階でもいいのだ。
どの段階からも用意されている。

でも、そんなに苦しむ前で気づく方がいい。
普通の暮らしの中でも「気づき」はできる。
できれば「余裕命」を使う前がお薦めだ。
自分を捨てれば、自分が観える。
自分を捨てれば、気づきは拾える。

使った「余裕命」の量は中々回復しない。
生きる事が制限されるのだ。
仮の限界線前なら回復は早い。
回復を「余裕命」が支えるからだ。
「余裕命」は「命の土台」らしい。
土台は削るモノではない。

無理をしてもいいけど、
無理を続けると「余裕命」を使う事になる。
無理は少しにしておく方がいい。
少しなら何とか修復できる。

少しでは何かを得られないかもしれない。
続ければ何かを得られる。
この世は継続が形になりやすい。
「無理の継続」も何かを得られる。
だが最も大切な「命」を失う。

継続は力。
だが力は得るモノなのか?
命を削ってまで得るモノなのか?
ワシはこの言葉に企みを感じる。
誰かが誰かを利用していると感じる。
言葉に踊らされる人は多い・・・。

  余裕命・8
8/12 (金)

深い病になる方法がある。
病になりたくて、なったのではない。
だが、それは病になる方法なのだ。
それは「無理の継続」・・・。

「理」は自然法則。
自然は「生命」のことだ。
「理」は生命法則。
それを無視するのが「無理」。
生命法則を壊すのが「無理」なのだ。

生命は「やわらかい」。
少しの無理なら自動修復する。
復元力は最初から備わっている。
少しくらい法則に逆らっても大丈夫さぁ。
法をガチガチに守る方が生命弱化になる。

少しの無理。
たまに破る法則。
それならいい。
むしろ、こっそり奨励する・・・。
ちょっとだけよ、は愉しみでもある。
アハハ・・・。

だが継続はアカン!
それは必ず壊れる。
当たり前やんけ!
生命法則を無視し続けて、
生命が続くはずが無いよねぇ・・・。

継続は形になる、という。
だが、何を継続するか、が重要だ。
無理の継続は「病」という形になる。
それも深い病という形になる。
何事も継続すればいいわけじゃない。
何事も努力すればいいわけじゃない。

「いいかげん」なら継続しても大丈夫だ。
「やわらかさ」なら継続してみよう。
「生命」も継続するようにしようぜ。
「余裕命」もそのままで継続するものだ。

「優しさ」も継続していい。
「愉しさ」も継続していい。
「気持ちよさ」も継続していい。
形にならないモノなら継続していい。
大切なモノは形にならない。
この世は・・・ヒネクレているのだ。

  余裕命・9
8/13 (土)

仮の限界線の下にある「余裕命」
ここまで踏み込んでする治療がある。
例えば癌治療などだ。
「癌の命」と「患者の命」の競争。
どちらが先に倒れるか。
命を削って治療する。

治療法の是非は問えない。
医師法やら○○法などがある。
医師以外が言ってはいけないのだ。
言えるほどの知識も無い。

正誤はもちろん口出しできない。
ワシにも判らない。
ただ「余裕命」を削ると回復は遅れる。
仮限界線の上部の「命」とは違うのだ。
回復は「余裕命」の量で変わる。

医師は危険な療法を使える。
その為の免許だ。
ワシ等は危険な療法は使わない。
回復への手段が最初から別なのだ。
そこの分別は明確に持っている。
(持っていない治療者もいる・・・)

いろいろな治療者がいる。
いろいろな治療法がある。
いろいろな回復法がある。
いろいろな能力もある。
それぞれに適する場合がある。

ワシの場合、ある事に気づいた。
直接「余裕命」の応援が出来るようだ。
通常はこの部分は自然に任せるしか手が無い。
上部の「命」なら応援出来る手段は多い。
だが「余裕命」は他が手伝えない。

唯一手伝えるとしたら・・・
それは「余裕命」と同じモノ。
そこで気づいた。

ワシの扱う「氣」
「余裕命」と同じモノが混じっている。
(別なモノも混じっているなぁ・・・)

こんなの自分の力であるはずがない。
故御師匠様の言った事の意味の深さ。
改めて深く認識する。
これは、ワシの力じゃない。

自分の能力だと思ったら僅かなモノしか使えない。
放していれば、大きなモノが活用できる。
ここをキチンと認識している限り、
ワシは「余裕命」を応援できるかも。

  余裕命・10
8/14 (日)

こういった題材を書いていると時々起きる現象がある。
何故だか知らない。
夢で教えられるのだ。
強制的に夢で勉強させられるのだ。

現実では勉強から逃避するナマケモノだ。
ワシは何も知らなくてもいい。
ワシはアホでいい(アホだもん・・・)。
「学び」なんてしたくない。
そ、それなのに・・・

この世はヒネクレている。
神様はイジワルだ。
勉強好きな人に教えればいいのに。
夢で逃げ場が無いワシに教える。
神様はサドだ。

こうなったら、忘れてやる。
忘れるのは得意だ。
忘れ競争があったら県大会までいけるぞ。
多分・・・予選敗退だけど・・・
(中途半端な強さだなぁ・・・)

だけど・・・これが忘れない。
自分で学んだ事は忘れるのに・・・。
夢で無理やり教え込まれた事は忘れない。
忘れられないのだ。
か、神様はイジワルだ・・・。
(神様だけど冗談の神様だと思う・・・)

今回は「余裕命」に関してだ。
ワシは「命」をその個体のモノだと思っていた。
一定の器に流れる力だと思っていた。
元は違うだろうが、この世では個体に属するモノ。

「命」を分けていただく事。
「命」を活性化する事。
「命」を消耗する事。
そして「命」を失う事が出来る。
そう思っていた。

ところが「夢の授業」では違っていた。
「命」は「氣」の仕組みと同じ。
この世の仕組みと同じ。
自由自在だった・・・。

個体に属すると決めれば、その通りだ。
活性化できる、とすれば、出来る。
失ってしまう、とすれば、失う。
な、なんて、イイカゲンなヤツ・・・。

  余裕命・11
8/15 (月)

だからかぁ・・・
だから故御師匠様は桁外れに大きかったのか。
謎が解けた瞬間でもある。
「夢の授業」は同時に幾つも学べる。
便利ではあるが、ワシは学ばなくてもいいのに・・・。
もっとマジメな人に教えればいいのに・・・。

ワシ等の仕事。
仏教的に表現するなら明王系の仕事だ。
(普通の人は菩薩系だ。菩薩行をする)
病を引き受けて、自由になってしまう。
マゾみたいな仕事だなぁ・・・。
自由とは「やわらかさ」の範囲だ。

でも生きている時は「生命」の容量がある。
だから限度がある。
そう、思い込んでいた自分がいた。
器の大きさもある。
そう、思い込んでいた自分がいた。

菩薩系と明王系の違いが理解してなかった。
違いは同じ元を理解する為にあるのだ。
だから菩薩と明王は同じであり、違う。
菩薩が自力本願系で、明王は他力本願系だ。
どちらも同じ元だが、アプローチが違う。
そして、ワシは他力本願系の性質だ。

他力本願系には自分のモノが無い。
命も器も自分のモノではない。
だから限度が無い。
自由度によって、使える量や大きさが変わる。
節操なく、変わる・・・。
ワシにピッタリだ・・・。

「余裕命」の部分も同じだ。
仮限界線の上の命も同じだ。
能力も器も同じだ。
変わる時は
桁外れになるのが当たり前だ。

ナマケモノのワシ向きではある。
ありがたいような、
ありがた迷惑なような・・・
(ワシは多分、ばちあたりなヤツだと思うぞ)

  余裕命・12
8/16 (火)

この部分に関する話は説明し切れない。
まだこの10倍は書けるかもしれない。
だから、今回で無理やり終わる事にする。
ワシはイジワルなのだ。
神様からイジワルを教わったからだ。
モンクは神様に言ってくれ。

「余裕命」は使う命ではない。
使わない為に持っている命だ。
使ったら、回復に何十倍もかかる。
通常の回復方法では僅かしか戻らない。
だから、その大切さを書きたかった。

それは・・・その通りなんだ。
だけど・・・必ず別な道も用意されている。
ワシはプロだから、知る必要があったのかも。
特殊ではあるが、道はある。
絶望近く使ってしまっても、方法がある。

だが、これを伝えるのは難しい。
実行するのは、更に難しい。
実行させるのは、更に更に、超難しい。
難しくても、方法はある。
いつでも希望があるというわけだ。

「余裕命」を使う(主に西洋医学の)治療法。
「余裕命」の回復が出来るのなら有効だ。
病気の治療の役目は病院や医師にある。
だが「命」の回復はいつでも患者頼りだった。
「命の回復」は医師の役目ではない。
「治療しましたが、助かるかどうかは本人次第です」
う〜m・・・何となく・・・納得できねぇ・・・

ところが「余裕命」の部分にまで踏み込んで、
回復が手伝えるなら・・・有効だ。
その手伝いの役目としてワシ等(プロヒーラー)がいる。
(プロだから段階は限りなくある・・・)
医療は医師側だ。
健康はワシ等だ。

そろそろ、本気で手を組む時代だと思う。
権力は医師側にある。
そちらから近づいてきてくれ。
もう・・・いい頃だと思うぞ。
そちらも、手詰まりだろ?

中心になるのは患者だ。
最優先は患者の健康だ。

  刺激・1
8/17 (水)

ワシの仕事(ライフワーク)は生命の活性化。
健康を「生命の活性」としてコンサルタントする。
病に対しては治療的になる。
生命の活性による、回復の手伝いだ。
医師でないので、病をいじらない方法だ。

暮らしの中に健康を活かす指導もある。
ヨガの応用。
ヨガは形ではなく、実践応用哲学でもある。
氣功の応用もある。
どちらも優れた御師匠様に巡り会えた。

御師匠様が桁外れに優秀だから、
ワシのような半端者でも何とかなった。
優秀な弟子なら師匠が優秀でなくても何とかなる。
だが、落ちこぼれの弟子は通常は役に立たない。
桁外れに優秀な師匠だけが、ロクデナシの弟子を持てる。
ワシは超優秀な御師匠様達の縁をいただいたようだ。
ラッキー♪

健康へのアプローチは幾つもある。
どんな状況からでも何とかなる。
方法は一つや二つじゃない。
方法を限定すると、逆に健康から遠ざかる。
この世はヒネクレている仕組みだぜ。

「○○が最高の健康法」
何か一つ知ると周りが見えなくなる。
最初はいい。
ある程度はいい。
だが、続けると・・・闇(病)に近づく。
こだわりの継続は、不自然なのだ。
当たり前・・・。

この世は諸行無常なのだ。
万物は常に流転している。
変化し調和に力が働き安定に向かう。
しかし変化は常だ。
こんなの、当たり前だ。

同じ健康法を継続する事は不自然。
健康は自然体に沿っている。
不自然では健康が離れてしまうのだ。
常に変化に応用できる「やわらかさ」
それが健康への道となる。

いろいろな健康への道があるが、
刺激を使う方法と無刺激な方法に分ける事ができる。
ほとんどの道は刺激が伴う。
無刺激な方法はマレだ。

  刺激・2
8/18 (木)

気功にもいろいろある。
エネルギーとかパワーとかで表現する気功がある。
それらは「刺激」を扱うといってもいいだろう。
(エネルギーの定義によるけど・・・
その話をしたら、とてもメンドウ・・・)

ワシは「調和」を促す氣功師。
だから「刺激」を扱わない。
パワーで回復を促すのではない。
だから刺激はワシの氣功の話ではない。

生きている事は変化の連続。
だから生命はアナログだ。
肉体は生まれ、成長し、衰退する。
生活はアナログで成り立つ。

意識は変化が断続する。
だから意識の変化はデジタルだ。
魂は徐々に成長しない。
(徐々に変わると勘違いはする・・・)

魂はイキナリ別な大きさに変わるのだ。
努力で魂は成長できない仕組みだ。
捨てて得られる仕組み側だ。
ここを勘違いする人が多い・・・。
修行で魂は成長しないってばぁ。

アナログなモノは「刺激」で変化する。
生きているのは「刺激」の連続だ。
万物流転は「刺激の連続」でもある。
生命の本質は「刺激」と係わらないが、
「刺激」によって活性する癖がある。
生きている間は「刺激」は有効なのだ。

魂が永遠かどうかワシは知らないが、
魂は生死に係わらず存在する。
生きている間にこだわらず存在する。
だから魂は「刺激」を必要としない。
「調和」を必要として成長するようだ。

生命の本質と魂は兄弟姉妹だ。
同じではないが、似ている。
生命も「調和」で発生し活性する。
「調和」で回復、修正、成長する。

だが、この世は特殊な仕組みだ。
この世に限っての魂。
この世に限っての生命。
この場合は「刺激」の影響がある。

  刺激・3
8/19 (金)

この世では「刺激」が影響する。
(だから「調和」が鍵となる)
否応なく受ける「刺激」もある。
自分から求める「刺激」もある。
コントロールできる「刺激」もある。

この世は刺激の河で生きている。
刺激によって生かされている。
刺激によって、イカされる。
(そ、そういう話かぁ?
刺激によってタコされる、もアリかぁ?)

話は得意の枝道・・・
刺激だけしか知らないのは幼稚だぜ。
愛情でイケば、もっと深く広いのだ。
若ぇ時は刺激だけだと思ってしまうものさ、フッ。
(注:半元気なオッサンの言い訳・・・)

閑話休題・・・
「刺激」の使い方、活かし方がある。
「刺激」の性格がある・・・。
「刺激」はマジメなのだ。
真っ直ぐな方向の力なのだ。
常に働く癖がある。

いつも書いている。
マジメは少し、困ったチャン(子)だ。
周りの迷惑を想像しないで進む。
どんなに優秀でも幼稚な子だ。
だから、融通が利かないのは利用されるだけ。
戦争に利用されるのはマジメな人達だけだ。

「刺激」も利用する為にある。
この世はヒネクレているし、仕掛けがある。
「刺激」という道具をポンと置かれている。
それを、どう使うかは、人間の智慧に任されている。

アレと同じだ。
猿の檻に幾つかの道具が置かれている。
手の届かないところにバナナ。
道具をどう使うかで、バナナが得られる。
人間にとってのバナナは・・・
多分、健康とか幸せとかになるだろう。

グレちゃん(創造主)はオチャメだ。
人間に幾つもの道具を与えた。
道具は使い方、工夫次第だ。
それなのにアホの人間は勘違いする。

文明は人類の智慧だと勘違いする。
発明は人間の智慧だと勘違いする。
道具に智慧は含まれない。
使い方、活用の仕方に智慧がある。

  刺激・4
8/20 (土)

道はいろいろ用意されているものだ。
多種多様に対応して用意されている。
「刺激」もいろいろ用意されている。
強いばかりが「刺激」じゃないぜ。

一つの「刺激」は一つの方向だ。
だが逆に向かう「刺激」もある。
「熱い刺激」と「冷たい刺激」
温度という線上で逆方向だ。

「騒音刺激」と「静寂刺激」
「興奮刺激」と「冷静刺激」
「辛い刺激」と「甘い刺激」
「苦の刺激」と「快の刺激」

「刺激」はアナログ(同一線上)にしかない。
デジタル(断層)には「刺激」が存在しない。
相対性理論が通じる世界だけのモノだ。
相対性世界は相対性を活用する世界なのだ。
(それを正誤に分けるから歪むのだ・・・)

物質界は相対性の世界。
だから全部を活用する。
無駄なモノは(多分)無い。
全てが必要な世界だ。
多種多様は全てが必要だから存在する。

とはいえ・・・
ワシには疑問がある。
バカで愚かで厚顔無恥の政治家達が必要か?
カメムシやゴキブリや大統領や主席が必要か?
他の幸せに貢献できない存在も必要か?

でも、そんな事言ってたら矛先はワシにも向く。
「お前が必要か?」
う、・・・よ、よくわからんなぁ・・・
多分・・・ワシも大統領も必要なんだと思う。
ほら、よくあるじゃない?
は、反面教師ってヤツ。
反面教師だらけの社会も変だと思うけど・・・。

やはり疑問を持つとロクなことがない。
素直が一番。
そのままを受け入れようね。
あらゆる「刺激」は必要だということで・・・。

アナログな世界は全てを認める事を学ぶ世界だ。
全てを活用する。
全てを受け入れる。
それを「(大)愛」というようだなぁ。
ワシは心が狭いから、認めたくないモノもいる。
「愛」より「変」を好む・・・。
(暑くて、文体が、ますます、変!)

  刺激・5
8/21 (日)

刺激の有効利用。
それは逆刺激を使う事だ。
生物の反応は同一刺激に順応する。
刺激反応は耐性反応でもある。

耐性反応は生命力の活性でもある。
生命力への刺激でもあるのだ。
肉体界では「いのち」は「生命力」となる。
生命力は「刺激」に反応する事で動くのだ。

無刺激になると「死」が近づく。
あの世は「無刺激」の世界なのだ。
ウソだと思うなら、行ってみなさい。
異論があるなら、試してみなさい。

ストレスというモノがある。
ストレスは「刺激」の一形態だ。
だからストレスの無い世界で生物は生きられない。
ウソだと思うなら、あの世に行ってみなさい。
多分・・・ストレスは無いと思うよ・・・。

ストレスの無い事がストレスだという屁理屈がある。
それは肉体界に限った事なのだ。
肉体がストレスを恋しがるからだ。
肉体は刺激を求めて今夜も呻く・・・。
(そ、そうだったのかぁ・・・
その手の小説には深い意味があったのね・・・)

重力もストレスなのだ。
食べる事、息を吸う事もストレスなのだ。
生きている事はストレスなのだ。
ストレスが無ければ生物は生きていけない。
ストレス、万歳なのだぞ。
たまには感謝せいや!

刺激の有効利用があるなら、ストレスの活用もある。
嫌な上司もアナタのお酒のツマとなる・・・。
尻を叩かれなければ、売り上げも伸びない。
歩合制の給料は厳しいだろ?
ストレスと給料は比例する(場合もある)。

この暑さでは文章も乗らない。
「暑さ刺激」には「冷たい刺激」
水シャワーを浴びるから、生命は活性する。
温冷浴や金冷法というのがある。(オナゴは無視・・・)

伸びて、縮む刺激で自由さは増す。
硬軟刺激で固定度は減少する。
自由度と生命力は比例するし、
固定度と生命力は反比例するのだ。

  刺激・6
8/22 (月)

生命力は耐性力。
生命力は免疫力。
同一刺激に次第に慣れる。
同一刺激に馴染んでしまう。

生きている限り「刺激」に出会う。
そして一時的に生命は活性する。
しかし耐性力により馴染んでしまう。
「同一刺激」は「刺激」にならない。

ここからが分かれ道。
「刺激」は妖艶な美女。
つい、追いかけたくなる魅力がある。
生命の活性には魅力が付きものだ。
誘いながら逃げる美女。
追えば、結果はいつでも同じだ。
次第にボロボロとなる・・・。

「刺激」を追い求めると、滅亡がある。
「刺激」の先には衰弱がある。
この世の仕組みはヒネクレているんだぜ。
単純に美女を追いかけていいわけがない。
「刺激」は生命を活性させるが、
追い求めると、生命を滅亡させる。

ここにワナがある。
「同一刺激」は耐性ができる。
だから更に強い刺激を求める。
もっと先、もっと深く・・・。
蜜の道をたどって行くば、どうなる?

ねぇ
ふざけていると思わないか?
グレちゃん(創造主)のイタズラだ。
あるいは、グレちゃんの優しさだ。
智慧を使う場面を用意してくれている・・・。

浅薄な精神世界では「刺激」に乗るな、という。
魂が堕落するからだという。
堕落する魂なら、乗らなくても堕落すると思う・・・。
堕落するくらいで、ガタガタ騒ぐなよなぁ・・・。

ワシは堕落はいいけど、衰弱は嫌だね。
だから「刺激」には乗る。
乗るが、もっといい使い方がある。
先に引き寄せられなくても、愉しむ方法がある。
それが「刺激」の分かれ道だ。

せっかく美女が誘っているんだ。
一回くらい乗らなくてどうする?
問題はその後だろう。
追いかけるから問題が起こるのだ。

  刺激・7
8/23 (火)

「刺激」の目的を見抜く。
冷静に「刺激」を愉しむ。
愉しみが智慧を呼ぶ。
難しくはない。

「刺激」は生命を活性する。
その時に心も動かしてしまう。
愉しみは生命の活性で起こるのだ。
「心の揺らぎ」は幻だ。
ここが分かれ道のポイントとなる。

愉しみが心だと思ってしまう。
だから心を追いかけてしまう。
心は幻だから、追いつけない。
愉しみが・・・苦しみに変わってしまう。
その道を進む人がとても多い。

(仮に)体と心と分けるとする。
愉しみは体に付いているのだ。
生命は体に付いていつのだ。
心は体の影響に引きずられただけだ。
元々心はフラフラしている。
勘違いするのは心の得意技なのだ。

心はほっとけ!
そう看破したした人がいた。
ブッちゃん(シッタールダ・仏陀)だ。
ほっとけ、ほっとけ、ほっとけ・・・
だからブッちゃんはホトケ様と呼ばれた。

ここさえ見抜けば、後は簡単だ。
「刺激」の使い方。
「刺激」の愉しみ方。
活用や愉しみ方は生命力の活性化の事だ。
相手(刺激)と己(耐性の癖)を知れば、
愉しみ、悦び、笑いの道を進める。

妖艶な美女は一人じゃない。
ここに気づけば簡単だ。
一人にこだわり、追いかけなくていい。
違うタイプの美女がいる。

この世はヒネクレた仕組みだ。
妖艶な美女なんて山ほどいる。
追いかけなければ、寄ってくる。
グレちゃん(創造主)はオチャメなんだぜ。
「刺激(美女)」はこちらから利用する相手だ。
利用されるほどのモノじゃない。

  刺激・8
8/24 (水)

病に効く○○がある。
○○はほとんど「刺激」だ。
体を動かす○○法。
飲む、食べる○○。
「究極の○○!!」

薬も科学変化を促す「刺激」だ。
だが薬については語れない。
薬事法という法律で保護されている。
ワシも一応社会人だ。
建前では法律に従う・・・。
お上に逆らうなんて、とんでもござぁりぁせんぜ。

「刺激」があれば変化が起こる。
しかし同時に耐性も起こる。
同一刺激は同一の変化を起こし続けない。
だんだん反応は鈍くなる。

しかも同一方向の刺激は不自然でもある。
不自然を続けると、不都合が起こる。
こちらは、続けるほど深くなる。
つまり・・・
「刺激」は短いなら生命力を活性するが、
同一刺激を続けると、副作用が深くなる。

○○が有効だ。
そうかもしれない。ありうる。
しかし、一時的に有効でもなぁ・・・
継続すると「有効変化」は鈍くなる。
替わりに継続する程「副作用」は深くなる。
「刺激」は浅く付き合う相手だ。

この世は多種多様なモノがある。
そこには大きな意味がある。
生命力への意味がある。
多種多様との「刺激」で不都合は乗り越えられる。

たった一人の美女と付き合うから問題が起こるのだ。
多種多様の美女と付き合えばいいのだ。
縁があったら遠慮せず付き合おう。
しかし、深みにはまるのは止めようぜ。

「活き活きと生きる」
それは、浮気で生きる事だ。
マジメにこだわっては、不都合だらけだぜ。
真剣なお付き合いは不幸を招く・・・。
(そ、そういう結論なのか・・・)

  美女とスルメ・1
8/25 (木)

「刺激」を「妖艶な美女」に例えて書いた。
そうだ!美女について書こう。
ワシはテーマさえ思いつけば、あとは書ける。
キーボードに手を置くだけでいい。
御筆先様が何とかしてくれる。

オトコにとっては「美女」だが、
オナゴにとっては「イケメン」でもいいぞ。
いや、「イケメン」好きのオトコもいるなぁ・・・。
要は、見た目で好みのタイプの話だ。
太め好み、痩せ好み、金持ち好み、何でもいい。

「美女」は例えだ。
「美女」に価値があるわけじゃない。
そもそも美女の基準もアイマイだし・・・。
そう言ったら、アネゴが口を出した。
「オトコは顔よ〜。イケメンだけで価値があるわ」
そ、そうなのか・・・。

自慢じゃないが、ワシはイケメンではない。
これには自信がある。
更に金も力も無い。
これは、将来も変わらぬ自信がある。
オトコに二言は無い!

セックスをテクニックや体力に限定すると、
自慢じゃないが、ワシは謙虚だ。
これは、ますます謙虚になる自信がある。
もちろん、持ちモノも謙虚である・・・。
嘘だと思ったら試してみるがいい。
ワシは結構正直に生きている・・・。

自慢話は照れる。
(お、おい・・・じ、自慢なのか?・・・)
張る見栄もないと、観えるモノがある。
美男美女を求める心だ。
世間は・・・変わってる・・・。

看板ならいい。
だけど本気で美男美女を求めるのはなぁ・・・。
本気の意味がわからない。
それ・・・どうしたいわけ?
求められた美男美女も、それでいいのか?
世間は・・・とても変わっているなぁ・・・。

だって美女の方がいいだろ?
何で?
綺麗だもん。
ボケ〜と見るのなら、そうだよね。

特に見たい、見る必要があるのならね。
そうじゃなければ、別にどうでもいい。
美女という価値があるなら、見るだけだろ?
それ以上なら、美女という枠は関係ないし・・・。

  美女とスルメ・2
8/26 (金)

「美女と○○」のほとんどが「美女と野獣」だ。
固定概念、ワンパターン、思い込み・・・。
美女は組み合わせが何でもできるのに・・・。
例えば・・・「美女と月」「美女と焼酎」
「美女と電柱」「美女と台風」「美女と傘」

「美女と筆」「美女と筆おろし」・・・。
こうなりゃ、連想ゲームだぁ。
それなら「美女とちくわ」でどうだぁ。
ならば「美女とスルメ」だ。
サカナは焙ったイカでいい〜♪
オンナは太目の美女(ひと)がいい〜♪
八代亜紀さんも歌っている。

美女は「絵になる」。
中身はどうでもいい。
根性悪の美人も絵になる。
白痴美人はそれだけで絵になる。
もし貴女が美女なら、そっち方面がお薦めだ。

足が速いなら陸上選手が向いている。
背が高いならバスケットなど。
声がよければ、その方面が向いている。
向いているが、しなくてもいい。
才能や条件が最初から備わっているだけだ。

なのに、多くの人は勘違いをする。
付き合うなら美女。
出会うなら美女。
美女もたいへんだよねぇ・・・。
ウットウシイだろうに・・・。

ワシは仕事上、隠れた傷を見つけてしまう。
美女は人一倍淋しさのダメージを受けている。
取り巻きが多いほど、ダメージも多い傾向がある。
外見だけで付き合おうとする人が多いからだ。
可哀想だけど、それも仕方が無い。
美しく産んだ親を恨んではいけない。

見る人が多い中、観る人もいる。
観る人が見て「絵になる」美女もいる。
その人は美女でなくても「絵になる」人だ。
スルメが美女になる・・・。

人は毎年、毎月、毎日老いていく。
美女もシワシワになる。
それでも「絵になる」人もいる。
中身が濃い人だ。
中身から溢れる光や味がある人だ。
それは美女と関係ない中身だ。

  美女とスルメ・3
8/27 (土)

人と人は出会う。
出会いたい人と出会う事もある。
出会いたくない人と出会う事もある。
出会ったなら、交流が始まる。
社会はそうして成り立っている。

ワシは思った。
今まで50年生きてきた。
残り100年くらいだろう。
いや、ワシは正しい生き方を好んで外している。
減点されて、残り80年くらいかもしれん。

ならば、もう誰とでも交流するのは止めよう。
自分の好きな人とだけ交流しよう。
嫌な人と交流するなんて、まっぴらだ。
誰とでも交流するのが社会というものならば、
社会なんてクソくらえ!だ。

(え〜、ただ今、適切でない単語がありました。
失礼致しました。訂正しお詫び申し上げます)
社会なんて、ウンコ召し上がれだ!

交流したい人。
それは、交流すればするほど更に交流したい人だ。
それを「味がある」という。
噛めば噛むほど味が出るスルメみたいな人だ。
見た目は変でも、味が深い。

交流したくない人。
見た目は美女でも味のない人。
交流する時間の無駄だ。
美女と交流したがる社会風潮。
そんな風潮なんて、クソくらえ!
(え〜・・・まぁ、いいかぁ・・・)

美女は悪いわけじゃない。
美女がアホなわけじゃない。
美女が味無し、大味と言ってない。
大味な傾向があるが、美女でスルメもいる。
多いかどうか判らんが、まちがいなくいる。

ワシは社会風潮がアホだと書いている。
ワシの周りの美女達は味がある。
い、いや、まだ食べてないから想像だけだ。
向こうも食べられたいとは思わんだろうし・・・。

スルメ人間との交流。
だけど・・・相手もワシと同じなら・・・
ワシがスルメにならなけりゃ相手にしてもらえない。
ワシがスルメになれるか?
これは・・・かなり微妙だ・・・

  美女とスルメ・4
8/28 (日)

美女と美男は3日で飽きる。
ブ○とブサイクは3日で慣れる。
お互いが交流するのだ。
見た目の効力は3日天下だ。

見た目だけじゃないだろう。
能力も3日で飽きるし慣れる。
歌が上手くても、頭が良くても、
仕事が出来ても、魅力にならない。
3日天下の魅力にしかならない。

噛めば噛むほど味が出る。
知れば知るほど汁が出る・・・。
見た目や能力でないモノ。
底が掴みきれない面白さ。
味は人間の底から滲みだしている。

底は「性」という。
人間性。男性。女性。神性。仏性。
なんだか・・・えらい話になった・・・。
そんなつもりの話じゃないのに・・・。
まぁいいかぁ・・・
計画性の無さは年季が入っているぜ。

スルメはアナタに迫らない。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
いつも構えぬ自然体。
だから近寄る魅力がある。
齧ってみたい魅力がある。
焙ってみたい魅力がある。

味は相手にあるのではない。
味は自分が感じるモノだ。
感性が無ければ、味は無い。
スルメの魅力は知る人だけだ。
姿形は・・・魅力無いもの・・・。

味が判るオトコになるのが先。
味を感じるオナゴになるのが先だな。
体や心がコワバッて微妙な味は判らない。
体と心の解放が先かもしれないぞ。

スルメを愉しむ。
スルメと付き合う。
それは自分を愉しむ生き方のようだ。
自分と付き合う生き方のようだ。

  美女とスルメ・5
8/29 (月)

変だな・・・。
グレた雑文を書こうとしたのに、
なんか・・・マトモが出ているぞ。
これは・・・アブナイ・・・。
もう一度、グレた文章に戻さなくては・・・。

イケメンはイカの臭いがする・・・。
美女はスルメの味がする。
そ、そんなことはないなぁ・・・・。
だめだ・・・今日は不調だ、文章がノラない。
実は・・・ワシはイケメンや美女を意識できない。

美女とスルメの恋。
つ、つまらん・・・。
美女とユルメの一夜・・・。
な、なんだかなぁ・・・。
美女とヌルメの湯。
こんな程度じゃ、お笑い芸人も廃業だ。

要は、美女などと係わっているヒマはない。
それが書きたかったのだ。
見かけや能力で人と付き合いたくないのだ。
もっとわけのわからん理由ならいい。
「縁」とか・・・。

ワシには本妻がいる。
可愛い愛人もいる。
容量の少ないワシだ。
それで充分なのだ。
だが、スルメなら許す。

吉永小百合という人がいる。
正確な年齢は知らないが年上だ。
あの人を見ていると、
外見美女だが中身も美女だと思う。

多分、スルメは・・・
外見スルメで中身もスルメだ。
ワシは、いったい何を言いたいのか?

結論!
美女とはスルめぇ・・・。
(い、意味不明、オチ音痴だ・・・
筆が乗らない雑文だったなぁ・・・何でだろ?)

  不空・1
8/30 (火)

ワシはヒネクレたモノに魅かれる癖がある。
魅かれるモノは好きなモノ。
わけのわからんモノも魅かれる。
「判る」か「分る」か「解る」かもわからん。
どうやら、そういうモノも好きなようだ。

未来はわからん。
だから、未来も好きだ。
オナゴもわからん。
だから、オナゴも好きだ。

欲の塊や理屈は判りやすい。
だから、それほど好きじゃない。
そういうモノや人に魅かれない。
底が浅い相手とじゃれ合っているヒマがない。

この世はヒネクレている。
だから、この世が好きだ。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
だから、グレちゃんが好きだ。
ワシもヒネクレている。
だから、ワシも好きだ。
(こ、告白してしまった・・・)

生命もわけがわからん。
だから魅かれるし、プロでいられる。
わかったと思ったら、プロは失格だ。
理屈で語れる相手じゃない。
「一生、付き合って下さい」
(こ、これも、告白してしまった・・・)

この世の中はわけがわからんモノに溢れている。
ヒネクレたモノも溢れている。
とても素敵な世界にワシは生きている。
わけがわからん相手は輝きがある。
この世は希望に満ちている。

不安(定)は希望でもある。
思うようにならないから、未来が輝く。
いつでも希望はあるものなんだぜ。
目先の出来事は希望にならない。
当たり前だろ?

多くの人が勘違いする点だ。
不安を絶望にしようとする。
中々実現しない思いに元気を失くす。
そうじゃないぞ。

万物は流転している。
時間も流れているのだ。
不安や実現しない事と希望は別だぞ。
希望は、未確定の中にある。

  不空・2
8/31 (水)

わけがわからんモノが多い。
心がそうだ。
この世の仕組みから、心の在り方を説く。
それが「教え」になった。
やがて出世して「宗教」になる。

出世すると堕落する。
これもこの世の仕組みだ。
何しろヒネクレている。
グレちゃん(創造主)のイタズラだ。
だから宗教は堕落した・・・ハハハ。

出世しないで、ヒネクレたままの教えがある。
ヒネクレたままなので、素直といえば、素直。
素直とヒネクレは表現方法の違いだけだ。
日本では「禅語」が代表的だ。
ワシの書くモノも素直(ヒネクレ)だ。
禅語と混ぜれば、わからんだろう・・・。

前フリが長くなってしまった。
最近のお笑い芸人は前フリも短いのが主流だ。
いきなり本題しかしないのもいる。
前フリは本題以上に大切なんだが・・・まぁいいかぁ。

と、そういう理由で「不空」というテーマだ。
単なる借り物だから深い意味はない。
深い意味があっても、ワシには語れない。
深いモノは話せない(理屈じゃない)モノだ。

ワシは深いモノを覗きたくなるが、それは趣味だ。
ワシには自分の趣味を他人に押し付ける趣味はない。
こっそり、ニンマリ、ウヘヘヘ、と愉しむだけだ。
解明するのが目的じゃない(メンドウだもの)。
観たり接するのが好きなのだ。

一応社会人なので、誤魔化す為にエラソウにする。
エラソウに出会ったら「誤魔化し」だと思えばいい。
これも共通のこの世の仕組みだ。
仕組みが観えれば、応用すればいい。
嘘や誤魔化しくらいで、ガタガタ言うなよ。

「不空」は禅語の中の単語だ(と思う)。
「そりゃ、おめぇ、空じゃねぇぞ」
という意味だ。
空の定義がアイマイだから仕方ない。
空は一応「くう」と読んでくれ。

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