06年12月のコラム           コラム4目次に戻る
  放下・5
12/01 (金)

ワシは放下を理解した(つもり・・・)。
するとブッちゃんやキリちゃんが魅力的なオッサンだと知った。
現代の二人のイメージは間違っていると解ってしまった。
もっと、もっとヒョウキンで楽しいオヤジだった。
いつも笑い顔で話していたと確信できた。

だって守るモノなんて無い。
持つモノなんて無い。
何も無くても大丈夫。
持たざる者はラッキーだぜ。
神に抱かれるだけで生きていける。
キリちゃん(キリスト)はそう表現したのだ。

大元(キリちゃん)が自由でも弟子達は相変らずだ。
今では教会や派閥や教えを守る為にマジメ一本になっている。
キリちゃんも苦笑するほかない・・・。
教え方が下手だったということで・・・。
でも、まぁ、いいかぁ。
苦しむのは本人達(信者)だしぃ。

  放下・6
12/02 (土)

「放下」にもこだわらない。
「放下」も放下する。
荷物は持ってもいい。
持たなくてもいい。
手枷足枷が好きな人もいる。
自由とはそういう事なのだ。

偉人は何も持たない。
信者も持たないのだ。
宗教組織も持たないのだ。
その身の生き方だけで示した。
学びたいヤツぁ、勝手に学べばいいさ。
ブッちゃんもキリちゃんも同じく言った。
弟子達は・・・学んでいなかった・・・。

ワシは手枷足枷は苦手だ。
SでもMでもない。
荷物はあってもいいけど重いのはなぁ・・・。
元々忘れ坊だ。
荷物があっても置き忘れるタイプだ。
「放下」しなくても忘れてしまう・・・。

  放下・7
12/03 (日)

「忘れる」という能力をグレちゃん(創造主)は授けた。
人間への優しさで授けてくれたのだ。
「放下」は確かに幸せへの方法の一つだ。
だが執着心という厄介な癖も心にはある。
そこで「忘れる」という能力を付加してくれたのだ。

それなのに最近の人社会は歪んでいる。
忘れない事に価値を置いている。
不幸になりたいんだぁ・・・。
忘れないように必死に脳を働かす。
不幸になりたいのかぁ・・・。

ワシは神様に逆らわない。
「忘れる」事を喜んでいる。
だから祝福される。
ラッキーだぜぃ!

  放下・8
12/04 (月)

放下の放下は「こだわらない」という事だ。
だが「こだわっている事」を「放下」するのは結構難しい。
こだわってない事は最初からどうでもいいのだが・・・。
それに、何かに執着するのは生きる力にもなる。
執着しすぎると、生命を削る事にもなるが・・・。
あぁ、やっかいですなぁ・・・。

心や精神を鍛えるのは難しい。
「清浄に静寂に」なんてのは理屈だけだ。
実践的ではない。
そんな事を言う人は、実際は無理だと知っているはずだ。
心はとても複雑に歪んでいるんだぜ。
精神なんて、一生で少し和らげれば上等だと思うぞ。
この世は修行だぁ、なんて無理すると無駄になる。

ところが「忘れる」事は無理しなくてもいい。
自然に忘れてしまう。
自然の摂理(神の意志)に添っている。
すると神様も褒めてくれる。
褒めていただけても、忘れているから解らないけど・・・。
それがいいんだよなぁ。

  放下・9
12/05 (火)

計算して独善解釈しているわけじゃない。
この雑記はその場しのぎで書いている。
やっつけ仕事というか、手から出任せというか・・・。
そして結果は自分に都合の良いように書かれている。
なんてワシは素晴らしいのだろう・・・。

ワシの「忘れる」能力の高さ。
誰も褒めてくれないけど、ワシが褒めてくれる。
独善、万歳だぜ。
ブッちゃんが示した「放下」の大切さだ。
その深い位置から実践できるのが「忘れる」事だ。
ワシは深い、深すぎる能力を持っていたのかぁ・・・。
ワシはタダモノではなかったのね・・・。

「放下」の奥境地に「忘れる」がある。
ワシのボンヤリも達人の特徴かもしれない。
道(タオ)の達人・・・。
そうだったのかぁ・・・。

精神世界スキスキ人間は勘違いをしていたのだ。
道の達人は導師と呼ばれるマスターだと勘違いしていた。
本当の達人は他人を導いたりしないのだ。
導けないのだ。
他人に対しては・・・役立たずなのだ。
タダのボンヤリ人間だったのだ。
ワシは達人クラスにいたのかも・・・。

  楽園・3・1
12/06 (水)

ゲシュナム・リンチェンは突然疑問が湧いた。
美味しいイタ飯を食べたのだ。
普通なら、それで良しとしようぜ。
だが高僧になるまでマジメに修行した。
深く考える癖が残っていたのだ。

ゲ「ハイ!質問で〜す」
ゲシュナムは元気よく右手を上げた。
偏袒右肩だ。
(注:右肩を露出している)
腋毛は薄い。
ちなみに、キリストが一番毛深い。

ブ「何だえ?ゲシュはん」
ゲ「我々は、死んでいるんですよね?」
キ「う〜mmm・・・そうとも言うだっちゃ」
  相変らず、キリストはラムちゃん言葉が気に入ってる。
ブ「そうかぁ、仏教は死を境に考えるもんな」
ゲ「祖はアンタ(ブッちゃん)なんだけど・・・」
  と小声でブツブツ言う・・・。

ブ「そもそも死なんてあるのかぁ?」
ゲ「肉体的には有りで、魂的には無しでしょ」
キ「ゲシュはん、そんなにキチンとしてないっちゃ」
ブ「そう。肉体も魂も境なんて無えぜ」
キ「あの世もこの世も境は無かったぴ〜」
  相変らず、メチャクチャな言葉使いだ・・・。

  楽園・3・2
12/07 (木)

(天国・彼岸はアンタ達二人の超偉人が解説したのに・・・)
とゲシュナムは心で思ったが、口には出さなかった。
超偉人に会えるのは奇跡みたいなものだ。
しかも見える世界と見えない世界を解説していただけるのだ。
ゲシュナムはここに来られた事を感謝した。

それにしても、この二人の偉人は伝えられているのと違う。
ホンモノは会ってみなけりゃ解らない。
出来れば触ってみた方がいい。
伝えられたイメージなんて当てにならない。
この超偉人達は明るく素敵なオッサン達だ。

伝法な口調のブッダ。
ダメオヤジのキリスト。
側にいるだけで温かくなる。
とても気楽になれる。
ホンモノは優しいのだ。

偉大なのは真理を悟ったからじゃない。
偉大に優しいからだ。
優れているのは能力じゃない。
とても大きな優しさだ。
優しさは気楽なのだ。

  楽園・3・3
12/08 (金)

ゲ「我々仏教徒は肉体的な死にこだわらないと教わりました」
キ「キリシタンも同じだっちゃ」
ゲ「でも、この世とあの世という概念も持ちました」
ブ「ゲシュはん。理解は段階があるぜ」
ゲ「解っております。理解度によって正反対の例えも当然のこと」
ブ「理解の段階によって、いろいろな世界を創っちまうんだ」
キ「どれもが真実になるから、この世はやっかいだっぴ」

ゲ「真実は一つじゃないのですか?」
ブ「それが勘違いの大元だぁ」
キ「ゲシュはん、関西弁じゃなくなってるっぴ」
ゲ「おぉ、ホンマでんなぁ」
ブ「真摯な仏教徒と関西漫才のゲシュはん。どっちも一人だぜ」
ゲ「真実は全部。全部は一つ・・・」

ブ「マジメだけの弟子達に言っても解らねぇさ」
キ「不マジメなゲシュはんなら、違う話が出来るっちゃ」
ブ「マジメと不マジメを自由に行き来する事も言ったんだけどなぁ。
あいつら、俺の不マジメを無視しやがった・・・」
ゲ「何でもいいけど・・・有り難いことで・・・おますなぁ」
ブ「そうこなくちゃ。まぁ、一杯やろうぜ」

何処からか純米吟醸酒の一升瓶が出てきた。
素焼きのぐい飲みも三個テーブルに乗っている。
此処(楽園)って・・・便利!

  楽園・3・4
12/09 (土)

キ「肴は焙ったイカでいい〜♪
オンナは太めの人がいい〜♪」
キリストは酷い音痴で歌いだした。
キ「・・・八代亜紀は・・・泣ける・・・」
ブッダもゲシュナムも大笑いだ。

ブ「生死なんてマジメな話は不マジメに聞く。
不マジメな話はマジメに聞いて深さを知るのさ」
ゲ「いやね、フッと疑問が湧いてしもうて・・・。
死んでいるはずの我々が何でイタリア料理を食べるのか」
ブ「楽しいからさ」
ブッダはあっさり言った。

キ「歌うのも、料理するのも、食べるのも愉しい〜♪」
ブ「生きる事は愉しい事さ」
ゲ「我々は・・・生きてると?」
ブ「まぁ、そういうこった」
キ「生死の境なんて、有るような無いような」

  楽園・3・5
12/10 (日)

聖書にある「死んでも生きる」の意味。
要は・・・いいかげん、という事かぁ。
ただし・・・達人用の言葉だ。
深さの理解段階がある。
理解は心の柔らかさで進めるのだ。
いいかげん、は心の柔らかさだ。

ブ「肉体が有るのは有り難ぇんだぜ」
キ「そ。理解できなくても変化するだっちゃ」
ブ「だから、簡単に死んじゃならねぇんだ」
キ「ボクぁ、死ぬ事、殺す事を禁じたんだ」
ゲ「死んでも生きる為に・・・」
ブ・キ「そういうこと」

肉体界は精一杯生き続ける事だけに価値がある。
難しい勉強や修行はいらない。
ひたすら生き続ける事。
二人の超偉人のメッセージは簡潔だった。
それが、生死を超える扉に繋がるのだ。

  楽園・3・6
12/11 (月)

ゲ「御二方も精一杯、生きたんやねぇ」
キ「ゲシュはん、言葉使いが違うだっちゃ」
(キリストのメチャクチャ言葉使いに言われたくねぇ・・・)
ブ「ず〜と生き続けているままだぜ」
キ「時々、世界中の色々な国に遊びに行ってるっちゃ」
ブ「2000年間、めまぐるしい変化の人間社会だぜ」

生死を超える、というのは物質、非物質も自由らしい。
肉体を持った人間にもなれるようだ。
人間界に飽きると、この楽園に戻っている。
ここ楽園では、半物質(肉体)で過ごしているようだ。

ゲ「納得しました。半分だけ・・・」
ブ「それでいいのさ」
キ「歌も歌える。メシも食える。笑って過ごせるっちゃ」
ゲ「大分、教わった楽園と違うから・・・」
ブ「意識で彼岸も此岸も世界を創っちまうんだ」
キ「肉体が無い世界だと思っている人は、そういう世界にいるっぴ〜」
ブ「あの世もこの世も天国も地獄も一つじゃねぇのさ」

  楽園・3・7
12/12 (火)

ブ「真実が一つ、なんて石頭の思い込みしているから争うのさ」
ゲ「各宗教はそう言ってますよ〜。御二方が作ったヤツも・・・」
キ「ヤツ、だって。ゲシュはんも砕けたっぴ〜」
ブ「俺は真実なんて追うな、って言ったのになぁ〜」
キ「弟子達は真実を追え、って聞いちゃったのねぇ」
ゲ「キリちゃんの宗教も同じやで」
キ「どうして、こんなに誤解されるのかなぁ?」

ブ「真実が一つだと価値があるからさ」
ゲ「真実だらけなら価値がない・・・。
各宗教のウリが無くなるわけ・・・。」
キ「ウリなんて無くていいだっちゃ。」
ブ「気づく事は皆同じなんだからよ。
宗教心は大切でも、宗教組織はいらねぇんだよ」

ゲ「真実を掴んだ、なんて言う人に騙されなくなりまんな」
ブ「サトリはヤキトリより役に立たねぇんだぜ」
キ「しかも一つしか掴んでないし・・・」
話の内容はイマイチだったが、純米吟醸酒は美味しかった。

  楽園・3・8
12/13 (水)

ブ「理解は理の解放さ」
キ「解放できなければ、大切にするだっちゃ」
ブ「優しくすれば、何とかなるぜ」
超二大偉人は「肉体の意味」を話している。
ゲ「いずれにしても、優しく大切にするんやねぇ」
キ「だからボクは、愛、だけと言ったっぴ〜」

ゲ「肉体の破滅が唯一最大のタブーでんな」
ブ「酷使するのも同じさ」
キ「自他あらゆるモノに対しても、だっちゃ」
ゲ「生きるのは・・・たった一つだけ守ればいい・・・」
ブ「正義や真実なんて振りかざすモノじゃねぇ」
キ「生命は愛そのものだっちゃ」

どうやら2000年の間の人類の生き方に溜息している。
い、いや、少しだけ、溜息している。
最近の生命の軽視に、少し溜息している。
珍しく、陽気な御二方が少し嘆いた気がした。

人類が自らの愚により絶滅するとは思わない。
が・・・・
その大部分が亡ぼうとしているのは間違いないだろう。
亡びには苦しさが必ずつきまとう。
亡んでも苦しさは続く。
解放されるまで、苦しさだけは続くのだ。
まぁ、しょうがないかぁ・・・。
(肉体)生命の意味に気づかないなら・・・。

  楽園・3・9
12/14 (木)

未だに多くの人達が勘違いしている。
肉体が死ねば「苦しみ」は終わると思っている。
逆だ、と超二大偉人は言うのだ。
生きていれば「苦しみ」は消える。
死んでしまえば消すチャンスを失うのだ。

長い時は少しづつ「苦しみ」をも解放する。
が、その時間は肉体がある時間と比べものにならない。
肉体が無いと解放には何百年もかかってしまうのだ。
肉体は、とても稀有で有り難い存在なのだ。

超二大偉人は人々の「苦しみ」を引き受けてしまう。
同調してしまう。
とてつもない大きな優しさ故に。
だから、生き続ける大切さを論じたのだ。
肉体(物質)への優しさを説いたのだ。
それは、この世にある全ての存在への愛だった。
全ての存在への慈悲だった。

  楽園・3・10
12/15 (金)

死んだら、全てが消えると思っている。
苦しみが消えると思っている。
死ねば楽になれると思っている。
本気で思っている・・・らしい。

人間の考えなど間違えだらけだ。
歴史が証明している。
本人の過去だって証明している。
間違えなかった人は誰一人いない。
むしろ、間違えだらけに近いはずだ。

だが、意識の深い底は知っている。
だから葬式を行う。
命日に手を合わせる。
幽霊を心の底で怖がる。
死者を物体として扱わない。

なのに・・・死んだら消えると思っている。
死後を科学的に証明できないという理由で。
自分は超二大偉人より賢いと思っているらしい・・・。
科学が間違いだらけなのは歴史が証明している。
日進月歩なのは、修正の連続だからだ。
修正があるのは、間違いの連続だからだ。

人間は・・・愚かだから人間として生まれている。
愚かだから、愛する対象として存在している。
愚かだから、愛される対象として生きている。
生きているのは、愛し愛される為なのだ。
と、超二大偉人は話したのに・・・。

  ウィルス・1
12/16 (土)

ワシの書く事だ。
信用してはならない。
独善と偏見と当てずっぽうで書いている。
正確に知りたかったら、自分で調べてくれぇ。

細菌は自分で増殖できる。
細菌は自立心がある。
条件さえそろえば、自力で増える。
最近の日本人のアンチャンより自立心がある。
親にすがっている日本人のアンチャンは細菌以下なのだ。
他人に迷惑をかけるところは似ている・・・。

ウィルス・・・愛称はウィ。
ウィは細菌のような根性がない。
ウィは自立心がない。
自分一人では生きて(増殖)いけない。
他の生きている生物(細胞)に寄生しないと増殖できない。
ウィは日本人のアンチャンに似ている。

  ウィルス・2
12/17 (日)

ウィは細菌と比べられない。
元々別の生き物?だ。
地球生物と宇宙生物くらいの違いがある。
人には困ったモノ達だが、一緒に考えてはならない。

大きさがまるで違う。
構成が違う。
性格が違う。
生き方が違う。

細菌がヤクザなら、ウィは詐欺師だ。
ヤクザは勢力(仲間)を自分で広げる。
ウィはこっそり騙して、他人に(自分の)子供を産ませる。
ウィは他人がいないと、閉じこもりで何年も過ごすのだ。
細菌は勢力が無くなると死んでしまう。

ヤクザ(細菌)は威勢がいいと強い。
一人だと弱い・・・死んでしまう。
ウィは一人でも、こっそり生きる。
ウィは根性無しだが、生き延びる。

  ウィルス・3
12/18 (月)

細菌は最近では正体がつかめる。
だがウィはまだまだ未知の生物?だ。
遺伝子を簡単に操作してしまう。
遺伝子操作はウィの得意技術だ。
人間の遺伝子学者なんてウィ以下なのだ。

ウィに対してちょっかいを出す。
すると、すぐに耐性用に改造してしまう。
人間がウィを研究する時間より対応が早いのだ。
そういう方法では圧倒的に人間の不利。

遥か昔からウィはいたのだ。
だが猛威をふるうことはマレだった。
何故か?
人間を含めた地球上の生物達の生命力が強かったからだ。
ウィは強い相手には弱いのだ。
強いというのは生命力の強さだ。

  ウィルス・4
12/19 (火)

ウィは長い間、ずっ〜と潜んでいたのだ。
ウィの仲間は多種多様にいる。
それぞれの宿主に潜んでいた。
人間用のウィは人間の発生からずっ〜と潜んでいた。
相思はしないから相棒でも友達でもない。
相愛もないから夫婦でも恋人でも愛人でもない。
ウィの一方的な、こっそりした、長い付き合いなのだ。

だが人間は自ら崩れてくれた。
ウィにとってはラッキーだぜ。
これからは俺達(ウィ)の天下だぜ。
俺達が強いんじゃない。
人間が弱くなってくれたのだ。

生命力の強さは遺伝子を安定させる。
生命力の弱化は遺伝子を狂わせる。
ウィは遺伝子操作で増えるのだ。
だからウィを問題にしている人間界は本末転倒。
問題は人間側なのに・・・。

  ウィルス・5
12/20 (水)

無から有が生じる。
この世は全て無から生じた有なのだ。
宗教の世界観はあなどれない。
最近になって、量子物理学が少しだけ証明できるようになった。
ある線を超えた小さいモノは、物理法則を無視している。
やっと科学は古の宗教観に追いつきだした・・・。

遥か古
「氣」という概念で説明した。
古代インドや古代中国や古代日本だ。
「氣は万物の根元である」
ワシの創作言葉ではない。
広辞苑か何かに書いてあるぞ。

生物は無から生じる。
これも証明した科学者がいる。
だが最先端の学問は一般には受けない。
理解を超えたら、拒否されてしまうのだ。
それも知識者といわれる人ほど拒否反応が強い。
人間の度量は、とらわれているモノの多寡で決る。
頭のいい人達は既成学問にとらわれているのだ。
あ〜、心の小っせえ連中だ・・・。

  ウィルス・6
12/21 (木)

無から生じる仕組みの細かい説明は省く。
メンドウだからだ。
とにかく、無と有の間に半物質がある。
無から半物質になるには「意思」がある。
半物質から物質になるには「意思」の集合がある。

ウィの大きさだ。
ナノメートル単位だ。
1mmの100万分の1単位だ。
だが、その前段階がある。
もっと、もっと小さい・・・。
だが、今の人間テクノロジーでは量れない。

人間にはテクノロジーより優れた判断力がある。
感性というヤツだ。
科学の分野ではない。
だが優れているのは事実だ。
当たり前なんだが、有識者では理解できない。
まぁ、仕方ない。
理解する柔らかさは「頭」ではないからなぁ。

ウィは・・・半物質の機能を少し持っている。
だから厄介なのだ。
自由に変化できるのだ。
それは、人の意識で変化するという意味になる。

  ウィルス・7
12/22 (金)

思い出した。
誰が言い出したか知らない。
癌ウィルス説というのがあった。
詳細は知らない。
ワシ的には納得できる部分がある。

ワシは癌のクライアントが多い。
そこで気づいた事が沢山ある。
癌は他の病気を違う点が幾つかある。
あるいは病気の象徴的特徴かもしれない。
その一つに「意識影響」がある。

一般的なウィルスの概念と違うかもしれない。
ワシ的にいう、ウィルスの前段階だと思う。
意識で発生し成長する。
という事は・・・
意識で発生を止め、成長を縮小もできるのだ。
だが、癌は今回のテーマではない。
一言・・・
癌は怖くない。

  ウィルス・8
12/23 (土)

ウィルスは宿主が決っていた。
だが最近は変種が出てきた。
鳥ウィルスが人に感染した。
これは、とても大きな出来事なのだ。

国連で問題にしたのも当然なのだ。
人類全体が大打撃を受ける可能性が高い。
人と人との戦争準備をしている場合じゃない。
戦争を利用し利権や理想を描いている場合じゃない。

美しい国は言葉じゃなく、政治家の後姿で見せてみろ。
醜い陰謀を秘めても言葉は美しく飾れるものだ。
法律で統制し美しい心や国が出来るはずが無ぇだろ。
首相大臣等が美しい中年、老年男の顔になってみろ。
出来ねぇだろ・・・。
この国の国会議員は皆ヒトラーに似てきている・・・。
しかも・・・薄汚い卑怯者の器のまま・・・。

と、今日は話が脱線だぁ・・・
(ワシも国家反逆者としてイジメられるのかなぁ・・・
この国の政治や行政はイジメが得意だからなぁ・・・
それでいて、イジメはいかん!などと言うんだぁ・・・
言葉じゃなく、態度で示してくれよなぁ・・・)

  ウィルス・9
12/24 (日)

半物質のウィは「意識」で物質化する。
地球上では人間の意識が最も強力なのだ。
これが人間が他の生物との違いだ。
人間だけ「意識の力」が強力なのだ。
それが「文明」とやらを創った元だ。

ウィにとっては人間の意識は脅威でもある。
使い方を間違えなければ・・・・。
だが、人間は使い方の間違いが得意なのだ。
ウィにとってはラッキーだぜ。
勝手にウィを繁殖する手伝いをしてくれる。
人間って・・・優しい・・・。

具体的に意識する。
最近ではTVなどで形を見せる。
ウィの写真を発表する。
あんなの見せても研究者以外は役に立たない。
人間はウィの姿を想像する。
意識して、実体化の手伝いをする。

恐れというのは意識の力が強い。
マスメディアは報道、情報の名で繁殖の手伝いをしている。
恐れの波動は実体化の手伝いなのだ。
各自がウィをイメージすればするほど、ウィは増える。
別のイメージを使えば、ウィは実体化できない。
さあ、どうする?

  ウィルス・10
12/25 (月)

ウィはその性質でいろいろなヒントをくれる。
「意識と物質界」の関係を象徴的に教えてくれる。
「病気と意識」の関係を教えてくれる。
「生命力の重要性」を教えてくれる。
ウィは優れた先生なのだ。

ナノメートル(mmの100万分の1)の小ささだ。
とても弱っちいヤツなのだ。
それが生き延びるには宿主の手助けが必要だ。
幸いにして人間は優しい・・・。
ウィを応援してくれている。

ウィルスの猛威、なんてありえない。
人間が育ててくれたのだ。
自然界はバランスがある。
人間が壊してくれたのだ。
自然界は免疫力がある。
人間が低く下げてくれたのだ。

今、ウィは調子に乗っている。
が、ウィは単独で生きられない。
宿主がこれ以上生命力を下げると・・・。
ウィの死活問題にもつながる。
ウィは今、悩んでいるのかもしれない。
人間達よ、
もう少し、目を覚ましてもいいんじゃないか?

  06年末・1
12/26 (火)

ワシは振り返って反省などしない。
そんな事してたらキリがない。
幸運ならキリがなくてもいいが、反省は遠慮する。
反省はしないが、振り返る事はする。

好みのオナゴが通ったら振り返るのは当然だ。
(これは例え話です。ワシはオナゴを振り返る事は無い)
振り返るのは、嬉しい事と波動合わせする為だ。
アーユルヴェーダでも同じ方法をとっている。
悪しき原因を探るより、良好の原因や状態を再現するのが大切なのだ。
アーユルヴェーダとは(幸せの)寿命科学だ。
ワシがクリシュナ先生から学んだ一つだ。
(今、日本でアーユルヴェーダスクールの校長をされている)

至らない事、恥、失敗等を振り返る趣味は無い。
ワシはボケの平和主義者のMではあるが、自虐のMではない。
反省もタマにはするが、5分も続かない。
嬉しい、愉しい、気持ちいい事なら、幾らでも出来る。
そうかぁ・・・
ワシの根性無しは「嫌な事」に対してだけなんだ。
「好きな事」には根性有り、だったんだぁ。
もうこれからは自分を根性無しとは思わないぞ。

今年も振り返ればラッキーの連続だった。
特に前半は依頼が多く、張り切って飛んでいた。
いい人達にも多く出会えた。
ワシの内の何かが拡がった。
何かが(少し)解けた。
何かが(一段と)柔らかくなった。
(注:不埒なモノを想像してはいけない・・・)

  06年末・2
12/27 (水)

笑顔・合掌・ありがとうございますの言葉。
他人に言う以上は自分で実践。
そうして10年以上が過ぎた。
10年も同じ事をしていれば日常になる。
日常になれば、何かが自然に変わる。
何かは、ワシには「ラッキー」に思える。

不自然(強く)に求めない。
ワシにもいろいろな欲がある。
欲は自然(力を抜いて)に求める。
これがワシ流の欲との付き合い方だ。
欲の中には向上心とか探究心も含まれる。
何でも求めりゃ「欲」だと思う。
だから「欲」を問題視にするのではなく、
「求め方」を工夫すればいい。

50歳を過ぎ、少しづつ歩き方が出来てきた。
歩き方が身に付けば、歩くのは愉しい。
ワシは今年を振り返ると、愉しい事が多い。
愉しい事が深くなっていると気づく。
広く応用できると気づく。

歳は経るほど愉しみも増える。
アレもやりたい。
コレもやりたい。
夢は更に多く広がる。
ワシはラッキーだと思う。

  06年末・3
12/28 (木)

やりたい事の一つが決った。
来年4月から学生になるのだ。
この12月に入学が決った。
メディカルスクールだ。
科目は鍼灸。

もちろん仕事をしながらだから夜間クラスだ。
60キロほど離れている学校だ。
通学時間を考えると仕事も制限される。
アレコレと厳しい事はある。
だが、それを上回るワクワクがある。

ワクワクがあれば、ワクワクの勝ちだ。
アレコレの問題は何とかなるだろう。
ほとんどの事は何とかなると知っている。
健康さえ維持していけば、だ。

この世を(愉しく)生きるのは難しくない。
そしてツマラン人生にするのも難しくない。
不出来な人間だもの。
難しい事は誰も出来ないさぁ。
愉しくするのも、つまらなくするのも難しくないぞ。

  06年末・4
12/29 (金)

ワシに苦労は少ない。
ワシは自分のやりたい事をするから幸せなのだ。
まぁまぁ苦労するのは本妻や子供達ですむ。
苦労はしても家族の一人が幸せなら家族全体も幸せなのだ。
家族って、そういうものだと思う。
家族が大切なら、自分が幸せになればいい。

ワシは本妻が幸せなら、ワシも幸せだ。
子供が幸せなら、ワシも幸せだ。
だから、ワシが幸せなら、家族も幸せなのだ。
苦労しても幸せの方が幸せだ(日本語になってねぇ)
苦労を逃れても不幸せなら、ツマラン人生だと思う。
結構、ここを勘違いしているようだ。

(将来)楽な生活になる為と称し、幸せをガマンするのはなぁ・・・。
家族の為と言いながら幸せを犠牲にする親もなぁ・・・。
優秀な学校に行く為に無理やり心を犠牲にする子供もなぁ・・・。
まぁ、それぞれの家庭の生き方だからモンクはないけど・・・
勘違いはあると思うぞ。
幸せになるのは、そんなに難しくない。

  06年末・5
12/30 (土)

今年一年を振り返って改めて思う。
ワシはラッキーだ。
ラッキーだという事に気づいたから超ラッキーだ。
そして知った。
誰でもラッキーだという事を。

どんな状況でもラッキーだ。
ラッキーは常にあり、常である。
ただし・・・活かさないと使えない。
ラッキーは「難」の衣を纏う事が多い。
表面で判るラッキーは少ないかもしれない。
でもラッキーに変わりない。

この世を創った偉大なモノは超優しい。
ラッキーの種をふんだんにばら蒔いたのだ。
だが、この種は半透明だ。
気づかなければ見えない。
偉大なモノは・・・少しオチャメなのだ。

だから、安心して歩ける。
どう歩いても大丈夫だ。
人社会の固定概念より遥かに道は広い。
それぞれが、思うように歩いても大丈夫だ。
コツは・・・感謝だと思う。
すると、半透明のラッキーが少し見える。

  06年末・6
12/31 (日)

ワシは見えない「氣」を扱う仕事だ。
「調和の氣」を治療と健康に使っている。
プロとして12年目になった。
まだまだ未熟なままだ。
だからこそ、未来がある。
使い方に工夫や研究が続くのだ。
その事は個人的な愉しみでもある。

見えないモノは「氣」だけじゃない。
運命の中の「幸運」も個人的に研究していた。
ワシは「幸運」が好きなのだ。
好きな相手を研究する。
相手(幸運)だって悪い気はしない・・・。
少しづつ「氣」を許す。
姿がチラっと見えたりする。

人の「幸運」は人との出会いに大きく左右する。
出会いが幸運にも凶運にも影響する。
特に男と女の間に何かがある。
そんな事を意識しないで生きてきた。

ワシは色事は苦手だ。
だが、色事という言葉にヒントがあった。
この世は色(物質)界なのだ。
陰陽という視点から「幸運」を観る。
「幸運」は陰陽が一体に解けた状態でもある。

男女の恋愛感情や行為だけが色事じゃない。
男とオナゴの特殊な関係は陰陽の影響がある。
やっと、この歳になり気がついた。
「幸運」のヒントと入り口の一つがあった。
今年知った大きな一つだ。
でも詳しくは書かない・・・。

兎にも角にも
今年も
ありがとうございました。
嬉しいです。

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