06年4月のコラム         コラム4目次に戻る
「R・2・6」
4/01 (土)

口から飛び出たパスタは短い草の生えた土に転がった。
キ:「おっとっと。ゴメン、ゴメン」
キリストはパスタに謝ってからフッと息で土を弾き、愛しそうに口に入れた。
それを見ていたゲシュナムは少し真顔になった。
ゲ:「こうして食事をしているだけで、深い学びが出来ます」
キ:「ゲシュはん、学びなんてしなくていいんだぴょ〜ん」
ブ:「ゲシュはんは、まだ人間社会の癖が抜けてねぇから仕方ねぇよ」
ゲ:「はぁ・・・解ってまんが、一応、ワイの役目があるようやし・・・」

理解されきれなかった超二大偉人の引出し。
どうやらゲシュナムはその紹介役でもあるようだ。
そもそも偉人が簡単に理解されるはずもない。
偉人も異人も変人も似たようなものらしい。
偉人の理解は未来で開かれる。それは仕方が無いものだ。

ゲ:「料理する。いただく。生きていく。生き方。同じやなぁ・・・」
ブ:「何も難しい事ぁねぇぜ」
キ:「そうさ〜♪愛こそ全て〜♪」
ゲ:「キリちゃん、ずぅ〜と同じ言葉を言ってたんやねぇ」
キ:「それしか〜♪ないじゃん〜♪」
それにしても・・・酷い声と酷い音程と酷い歌詞だった。

  春の氣・1
4/02 (日)

何度か書いた事がある。
春は生命力を刺激する。
それは生物に限らない。
というか・・・通常の生物の概念は狭い。

生物は「存在」だ。
存在するモノ、全て生物。
だから春は全てに刺激する。
ただし、春のエリア内に限ってだ。

春の海は途中で変わる。
春の雲も途中で変わる。
春の空気も途中で変わる。
春は一定の空間なのだ。
それは一定の時間でもある。

  春の氣・2
4/03 (月)

春の氣。
一定の時間であり、一定の空間に限定される。
その時間内だけ刺激がある。
その空間内だけ刺激がある。
生命と存在に刺激をする。

物質を存在させるモノ。
それを「生命」という。
単純に生きているだけじゃない。
「生命」は「存在」である。
そして・・・「神」ともいう。

「生命即神」
浅い意味ではない。
全てが存在であり、
全てが神である。
そして、全てが「いのち」でもある。

  春の氣・3
4/04 (火)

全ては生命だが、活性は「波」である。
その波紋を作る一つに「春」がある。
春という時間と空間がある。
春という「氣」がある。
生命を刺激する波動となる。

刺激は反応を呼ぶ。
反応とは「狂い」の事だ。
「狂い」は「恒常」を呼ぶ。
「狂い」と「恒常」の動きが「やわらぎ」となる。
生命は「やわらぎ」で大きくなれるのだ。

生命は自然であり存在であり神である。
自然は変化と安定を常に繰り返す。
一時の休みもなしに・・・。
諸行無常とはそういうことだ。
万物流転とはそういうことだ。

それは生命の姿でもある。

  春の氣・4
4/05 (水)

変化と安定がスムーズに変換される時、
それを「調和」という。
安定だけだと「停滞」になる。
「濁り」は安定から生まれる。
安定だけの人生は濁るのだよ。

変化の連続は「狂い」となる。
狂いは「破滅」を生む。
刺激(変化)だけの人生は破滅する。
片寄った人生は苦労するぞ。
ブッちゃん(仏陀)は2500年前にそう言った。
中道という言葉で。

「調和」は安定でも変化でもない。
ゆらり、ゆらりと揺れ動く様だ。
「ゆらぎ」は自然(神・生命)の性質だ。
ワシはそれを「いいかげん」と名づけた。
賛同する人は・・・少数だ・・・。

  春の氣・5
4/06 (木)

「ゆらぎ」は多重構造になっている。
この世の仕組みも同じだ。
自然の仕組みも同じだ。
体(生命)の仕組みも同じだ。
だから神の仕組みも同じだ。

何も難しい事はない。
とても・・・ワンパターン。
グレちゃん(創造主)は何も考えてない。
とても・・・メンドウクサガリ屋だ。

自然は「ゆらぎ」だ。
だが「小さなゆらぎ」と「大きなゆらぎ」がある。
更に「もっと大きなゆらぎ」がある。
更に更に「もっともっと大きなゆらぎ」がある。
更に更に更に・・・あぁ、つ、疲れた・・・。

  春の氣・6
4/07 (金)

相似象の多重構造。
この世の仕組みだ。
自然の仕組みだ。
生命の仕組みでもある。
神の仕組みでもある。
だから、人の仕組みでもある。

「ゆらぎ」も相似象の多重構造だ。
「ゆらぎ」の内に「ゆらぎ」がある。
「ゆらぎ」の外に「ゆらぎ」がある。
更にその外側にも「ゆらぎ」がある。
更に更にその外側にも・・・・
(こ、これ・・・前の文章と同じだ・・・
あ、あぁ、ボケと疲れがらんでぶぅ・・・古っ!)

「春の氣」は変化度が強い。
「小さなゆらぎ」から外れている。
「大きなゆらぎ」の範囲ではある。
外れてしまった分が微妙な影響を与える。
ある人達には、影響が出てしまうのだ。

  春の氣・7
4/08 (土)

「春の氣」は生命力を活性する。
生命を刺激して活性する。
調和が追いつかないまま刺激する。
否応なしに活性する。
元気というよりも・・・少し狂うのだ。
狂いは生命の刺激でもある。

春は狂いの時と空間なのだ。

調和力が不足している人達がいる。
その人達に「春の氣」は刺激が強すぎる。
だから・・・少し辛いかもしれない。
生命の低下の辛さではない。
生命の刺激で活性するのだ。
だが、それは不調和をまねくのだ。

いいような、迷惑のような・・・。
色っぽさの微妙な人妻に惚れられるようなものかなぁ・・・。
(全く例えになってない・・・)

  春の氣・8
4/09 (日)

マトモに狂うと生命は破滅に向かう。
だが、少しの狂いは活性する。
少しはナニかに狂うのが、元気のコツでもある。
少し色香に狂うのは、若返りの秘訣でもある。

「狂い」は使い方で活用できるのだ。
昔から諺にもある。
バカと鋏は使い方・・・。
政治家だって役人だって、使い方で役にたつのだ。
ほとんどは正誤や善悪や優劣ではない。
使い方なのだよ。

コツは「少し」にある。
「足るを知る」というのは深い意味があるのだ。
小さく満足することではないぞ。
大きな満足に役にたつのだ。
それは、狂い、も同じだ。

  春の氣・9
4/10 (月)

マジメな人は狂いやすい。
この「少し」が出来ないのだ。
足るを知らないのだ。
「いいかげん」は、とても深い知恵なのだ。
(と、自画自賛、独善独尊)

病(闇)になりやすいタイプがいる。
マジメな人達だ。
何でもマトモに受ける。
「春の氣」もマトモに受ける。
心の病も同じだ。
不マジメは心の病にならない。
(体の病にはなるけど・・・)

桜の花には狂気が混じっている。
多くの先達が見抜いていた。
春の氣は、狂気を伴っている。
文学は物語ではない。
そこには深い観察がある。

  春の氣・10
4/11 (火)

桜を見ると人は狂う。
酒とゴザ(今はシート)を持ち出す。
歌う、踊る、笑う、騒ぐ。
そして、少し元気になる。

猫はフケる。
(発情期だぁ・・・何故、あんなに悪声なんだ?)
変質者もフケる。
(より発情する・・・困ったもんだぁ)
見境無しは狂った証拠だ。

大丈夫!
一般人も少しはフケているのだ。
目も耳も判断力も狂っているのだ。
ブサイクには恋のチャンスでもある。
ガンバレ!
(注: ワシは純粋に応援しています・・・
他意はありません・・・)

  春の氣・11
4/12 (水)

花見で浮かれる。
酒で酔う。
判断力は狂う。
生命力は刺激される。
・・・妊娠しやすいのだ。
ネコも犬も蛙も人も・・・。

地球の生きとし生けるモノ達。
春の氣で続くのだ。
綿々と生命が連なるのだ。
春の氣を受ける、浴びる。
「狂い」はガイア(地球生命)を悦ばす。

(少しの)狂いが生命をつなぐ。
人生も、また、然り、かな。
生命も、また、然り。
この世の仕組みはヒネクレているのさ。

  春の氣・12
4/13 (木)

「春の氣」で活性化された生命力。
コイツを活用しないテはないぜ。
生命力は回復力だ。
春は、上手く使えば、回復の季節だ。

刺激活性されるが、浮かれて(狂って)いる。
浮かれた氣は上部にあるのだ。
当たり前だ。
ならば、下げればいいではないか。
それができれば、春は回復の季節だ。

ワシはプロだ。
だから、優しいが、親切ではない。
だから、これ以上は教えない。
春は、回復のチャンスだぜ。

  好転・1
4/14 (金)

人は転がる。
二本の足しかないんだぜ。
安定が悪い。
オマケに立っているだけじゃない。
歩く、歩き続けるんだ。
だから・・・転がる。

転がる事を前提条件に歩く。
転がったくらいで、オタオタする必要は無い。
ガッカリしたり、悲しむ必要も無い。
転がるのは、赤ちゃんの頃からあった。
いいかげん、慣れてくれよ。

大人になるというのは固定概念が増えるという事だ。
「人は転がらないように歩くものだ」と思い込む。
だが、誰でも転がる。
そして、落ち込む。
自分で決めた概念が首を絞めるのだ。
概念なんて、仮の姿なんだぜ。
人はアホだから人として生まれている。

  好転・2
4/15 (土)

アホだから人間なのだが、アホのままというのも芸が無い。
芸は大切なのだ。
芸は人も自分も助ける。
最近では、ハードゲイで儲けているヤツもいる。

芸は他を喜ばせるモノだ。
他を喜ばせるのが、生まれてきた役割だ。
他というのは利害関係の無い相手だぜ。
だから芸の無いヤツは人間失格なのだ。
今からでも遅くない。
他が喜んでいただける何かをしようぜ。

アホ(人間)は歩くように出来ている。
その歩き方が「芸」というものだ。
芸の無い歩き方はクズという。
自分だけが楽(得)をする歩き方がクズだ。
最近の日本はクズだらけになった。
政治家先生が見本だ。

  好転・3
4/16 (日)

芸を意識しても転ぶ事はある。
転び方にも方法がある。
だが、それは人生の上級者用だ。
人生の達人など、それほどいない。
一般には参考にならないのだ。

転ぶのは仕方ない。
問題は転んだ後だ。
どう転ぶかは問題ではない。
転んだ後の歩き方が大切なのだ。

そこで「好転」と「落転」の違いになる。
転ばないように歩くのではない。
転んでから、どう歩くかだ。
難しい事ではない。
「好転」なんて、当たり前なんだぜ。

  好転・4
4/17 (月)

未来は判らない。
未来は不明なんだ。
これは人間なら誰でも同じだ。
どんなにエラソーにしている人も同じだ。
エラソーに占いや予言をする人も同じだ。
未来は不確定だからだ。

不明や不確定。
これは「ラッキー」という意味だぜ。
不明だから何とかなるかもしれん。
不確定なら、何とかなるだろう。
棚から和菓子と珈琲が・・・
棚から札束を抱えた美女(美男)が・・・

世の中、何が起こるかわからんぜ。
固定概念に縛られていてはツマラン。
ツマラン人生はツマラン(間違ってはないが、ヘン?)
不明や不確定や不正や不貞は面白いのだ。
(え〜・・・一部、不適当な表現があったかもしれません)

  好転・5
4/18 (火)

「未来は不確定故にラッキーである」
イイカゲン道、師範代見習い補佐の言葉である。
決ってないのなら、どうにかなるだろう。
嘗て、植木等という偉人がおっしゃった。
「そのうち、何とかな〜るだろう〜♪」
真実の言葉は、こういうところに落ちている。

落転が好きなら、落転すればいい。
だが好転が好きなら、好転にすればいい。
全てはアナタ次第なのだ。
「落転」「好転」という転び方があるのではない。

転ぶ時は(ほぼ)一瞬なのだ。
神様が決めているのではない。
転びは、単なる「転び」でしかない。
その後次第で「好転」となり「落転」となる。
その後次第は自分次第なのだ。
神様次第ではないのだぞ。

  好転・6
4/19 (水)

好転・落転を一つの事象で決める。
それが、間違いの第一歩だ。
間違いが何で起こるか?
それは・・・
正解を決めるからなのだ。

かの偉大なバカボンのパパも言った。
「それでいいのだぁ〜」
全てに同じ言葉を言ったのだ。
さすがだ・・・間違いは無い。
間違いの無い人生。
人生の達人とは、こういう人をいう。

バカボンのパパは転ぶ。
とてもよく転ぶ。
好転、好転、好転・・・。
コツは明るさにある。
明日という字は、明るい人(日と)同じだ。

  好転・7
4/20 (木)

ワシは今の仕事(ライフワーク)に出会った。
数年間は現実社会とのズレの調整に手間取った。
何しろそれまでの商売(店)をたたんだ。
本妻一人と子供二人がいた。
現実社会は収入が無いと暮らし難いのだ。

ワシは自分の道と出会ったから幸せだった。
だから商売は辞めた。
ボランティアも辞めた。
我がままの生き方を選んだのだ。
我がままの道は幸せなのだ。

だが現実社会は窮屈だった。
メシを食うには金が必要だった。
生活する為の仕事(商売)をせっかく辞めたのだ。
我がままの道が見つかったのだ。

もう、道を歩き始めてしまったのだ。
今更生活の為の仕事には戻れなかった。
知ってしまったら、戻れない。
ワシの生きる道(ライフワーク)しか歩きたくない。
我がままの道はワガママなのだ。

  好転・8
4/21 (金)

ならば・・・どうする?
幸いにして、ワシの道は非常識の道だった。
生活の為のモノは出現させればいい。
働かなくても、何とかなればいいのだろ?
それなら、方法はある。

「棚からボタ餅」
これだ!
努力無しで、食える方法だ。
それには少し研究が必要だ。
その研究もワシの道の範囲内だ。

ワシは「生命の活性」が仕事だ。
それには見えないモノ(氣)を扱う。
一応、プロフェッショナルだ。
そして、その応用範囲は広い。
とても、とても広い。
その一つに「幸運」がある。

  好転・9
4/22 (土)

幸運の仕組み。
幸運の連続。
それを他から見る。
それは「好転」に見える。

なるほど・・・。
鍵はそれぞれにある。
ワシはワシの好みで鍵を作った。
「幸運の女神様」
これだ!

ワシはナマケモノだ。
加えてノーテンキだ。
だから、物事をモノにするまで時間がかかる。
幸運の女神像を出現させるまで10年かかった。
そして、女神様の仕組みがおぼろげながら解った。

  好転・10
4/23 (日)

ワシのような根性無しでも続くモノがある。
根性無しだからこそ本質に迫れる事がある。
頑張るのが性に合わないから頑張らない。
頑張ろうとしても力が湧かない。
下手に続けなかったから時間の無駄をしなかった。

好きなら続く。
「未来は続くモノ」だ。
好きでないモノに未来は無い。
実に、単純な事だった。
無理したモノは必ず壊れるさ。

ワシは根性無しだった。
だから幸いにして、未来がある。
未来(明るい道)を自動的に選べた。
未来は一人一人に専用に用意されていた。
社会常識(固定概念)上に未来は無いぜ。
当たり前だけど、本人が歩く道だぜ。

  好転・11
4/24 (月)

好きだから続いた事がある。
それは今も続いている。
好きなモノは幾つもある。
年々、更に増えている。
好きなモノ、好きな事が増えている。
だから続くモノ、事も増えている。

例えば・・・生きる事。
例えば・・・愛する事。
例えば・・・嬉しい事。
例えば・・・愉しい事。
例えば・・・気持ちいい事。

好きなモノの一つに女神様がいる。
医師達は医神のアスクレピオスを敬い守護される。
だがワシ等ヒーラーは健康(女)神ヒュギエイアが守護神だ。
ワシは守り神だから敬うのではない。
好きだから敬うのだ。
輝くやすらぎが好きだから信奉している。

だから続いた。
10年以上続いた。
そして、今も続いている。

  好転・12
4/25 (火)

健康の女神様には平伏している。
これでも謙虚な時もあるのだ。
だがもう一人の女神様には平伏しない。
畏れを知らぬワシの傲慢がある。

もう一人(一神?)。
幸運の女神様だ。
こちらも好きだ、大好きだ。
だが・・・ワシの片思いだ。
どうせ片思いなら勝手にさせてもらうぞ。
「ワシの愛人になりなよ」

ワシの純愛(?)は続いた。
好きだから続いた。
こちらも10年以上続いた。
そして、今も続いている。
「ワシの愛人に・・・」

  好転・13
4/26 (水)

具体的な言葉がある。
女神様達に声を出して言う言葉がある。
「今日も、ありがとうございます」
これを10年以上も続ける。
すると・・・何かに伝わるようだ。

ワシは勝手に解釈している。
幸運の女神様が苦笑して答える。
「わかったわよ。愛人になってあげる」
10年以上も思われたら悪い気はしない。
それは人間も神様も同じだろう。

こうしてワシは楽な生き方が出来る。
根性無しでも幸せに暮らせる。
勝手に幸運が転がって来る。
いつでもツキが付いて来る。
女神様は、とても素敵だ。

  好転・14
4/27 (木)

実際はもっといろいろな言葉を使っている。
住居のあるスペースで朝一回。
治療院で(治療を)開ける時と閉める時。
空間を浄化するのはプロとしての基本だ。
その方法の一つに言葉があるだけだ。
一日三回の言葉を10年以上続けている。

ものはついでだ。
女神様に縋ってしまえ。
ワシは根性無しだと言っている。
決して謙遜ではない。
こういう時は正直だ。
ワシの能力や努力などチリのようだ。
この判断は自信があるぜ。

そうして、プロとしての言葉のついでに繋げていた。
いや〜・・・言ってみるもんだ。
勝手に運命が転がっている。
好転という形で転がっている。
さすが、女神様達は優しい。

  好転・15
4/28 (金)

好転の言葉は優しい。
優しいモノは深い。
深いモノはシンプルでもある。
難しくはなく、難しくもある。
どっちにもなるから面白い。
優しいモノは・・・面白いのだ。

好転(幸運の連続)は人智を外れている。
ワシは根性無し故に、ラッキーだった。
もしワシが「不可能は無い!」
などと本気で思うタイプだったらラッキーから外れていた。
ワシの出来る事など、たかが知れている。
根性無しだから、そのくらいの判断は見抜ける。

人智を外れているのなら、神様任せだ。
あとは神様に伝わればいい。
神様は超ラテン系(ネアカ)だ。
「光」だから明るい言葉で伝わる。
暖(温)かく、優しい言葉なら伝わる。

  好転・16
4/29 (土)

ノーテンキならワシの得意種目だ。
ワシは神様に近い・・・
(か、かなり、違うぞ・・・でも、まぁ、いいか)
最高神をグレちゃんと呼ぶ事にした。
言葉は親しくならないと通じない。

人間関係はメンドウな事がある。
建前(社会的)と本音(自己中)がある。
その他に真音(魂の思い)もある。
同じ人間に「〇〇様」などと言うのは冷たい情だ。
腹黒い人がよく使う。
一見丁寧や一見尊敬は偽善というのだ。

ワシは御師匠様は同じ人間だと思ってない。
だから「様」を使っている。
建前でも本音でもないのだ。
ワシはウソを言う事ぐらい平気だ。
建前や皮肉で「様」も使う(時もある)。
だが、真音で「様」を使う相手は少ない。
その一人が御師匠様だ。

  好転・17
4/30 (日)

「女神様」とは言う。
でも「め〜がみちゃん」という感じだ。
だって、親しくなりたいのだ。
ヒュギちゃん(健康神)と呼びたいくらいだ。

言葉と同時に合掌(金剛印)する。
言葉は自然に「様」になってしまう。
まだまだまだ、ワシは未熟だ。
合掌しながら「め〜がみちゃん」と言えずにいる。
もっと、精進しなければ・・・。

もう一人の「幸運(ツキ)の女神様」
ワシは節操が無いから、女神様は幾人いてもいい。
幾人もの女神様達と親しくなりたい。
神様はラテン系だから、節操無しは好きだろう。
そうねぇ・・・
高橋留美子「うる星やつら」の諸星あたるが理想だ。

    翌月コラムへ     コラム4目次に戻る