06年9月のコラム         コラム4目次に戻る
M嬢・7
9/01 (金)

空しい言葉の中に漂うと人は哲学する。
そういう仕組みで創られたらしい。
グレちゃん(創造主)はオチャメなのだ。
妻に虐められてソクラテスは大哲人になった。

悩んで大きくなるとは限らない。
が、誰でも悩んで哲学するようだ。
もちろん正しさなんて無い。
アホな仮の結論しか掴めない。
悩みは萎縮し歪むだけだ。
だが、悩みを解放すると、成長する。

我々MMコンビは空しさから哲学へとシフトした。
ボケも果てしなく続けば空しさを脱却する。
明けない闇(病)は無い。
飽きないボケはある。
したがって・・・ボケの勝ち!

アホは得意技だ。
アホな結論は得意なのだ。
病(闇)はボケに負ける・・・。
ワシは・・・
名医かもしれない。

  M嬢・8
9/02 (土)

「先生ってモテるでしょう」
(生まれて初めて聞いた言葉だ・・・)
「Mさんこそモテるだろ」
「先生、今まで会った中で一番ステキ」
「Mさん、京都で一番だよ」
「先生こそ関西で最高」
「Mさん、日本一!」
「先生、アジア最高峰」
「Mさん、世界一!」
「先生、地球で最強!(なんで最強?)」
「Mさん、太陽系で一番美人!」
「先生こそ、銀河系で最高よ」
「Mさん、宇宙一!」
「先生、え〜と・・・え〜と・・・」
(フッ、勝ったぜ・・・)

誰も止めてくれなくても、自動的に止まる事もある。
宇宙より大きいのは何か?
空しいボケは宇宙哲学を招いたのだ。

「Mさん、宇宙より大きいのは、心だよ」

心の仕組みは宇宙と同じだ。
多くの様々な大きさと質の星がある。
多くの様々な大きさの感情や記憶や思いがある。
それらは互いに複雑に干渉影響しあっている。
どれか一つが心じゃないぜ。
心は(複雑すぎて)マトモに相手にできない。

  M嬢・9
9/03 (日)

少し褒められるのは心地よい。
ある程度なら褒められて嬉しい。
褒められれば誰でも伸びる。
だが・・・程度がある。
人によって程度にも差がある。

その程度を超すと・・・
褒められると図に乗る。
伸びるのを止める。
傲慢になり、転がってしまう。

褒め殺しという言葉があるのだ。
ダメにする事を意識して使う。
意識しなくて使ってしまう。
結果として褒め殺しにはなる。
限度、程度、適量というのは何にでもあるのだ。

Mの特性・・・
止めないと、簡単に限度を超す。
ツッコミ役(S)がいて、Mは活きる。
M嬢は(意識しない)褒め殺しが得意だったのだ・・・。

  M嬢・10
9/04 (月)

Mは平和的だ。
虐げられるのが好きなわけじゃない。
争いが苦手なのだ。
その代表にキリちゃんがいる。
イエス・キリストというオッサンだ。

「右の頬を打たれたら、左の頬を出す」
キリちゃんはMなのだ。
打たれるのが好きなわけじゃない。
打つのが苦手なのだ。
相手を侵す(犯す)生き方はマッピラゴメンだぁ。
キリちゃんはそう言ったのだ。

SはMの暴走を止める時のみ存在を許される。
それ以外はいらないのだ。
Sの国、某アメリカや某中国は生き方を変更しよう。
敬虔なクリスチャンが戦争の応援をする某アメリカ。
信者はキリちゃんの生き方、もう一度学びなよ。

  M嬢・11
9/05 (火)

マハトマ・ガンディーというジイチャンがいた。
争いをしない生き方を実践した偉人だ。
もちろんMの一族だ。
(ワシの師匠の師匠の師匠にあたる人だ)
Mは「いいところ探し」の特性もある。
ガンディーは長所や明点を出し続けたのだ。
それがインドを独立自立させた勇気となった。

褒め続ける。
疲弊の人々。
闇(病)を見つめる人々。
奴隷の国民を自立させたのは明るさだ。
敵を攻める勇気ではない。

今、かなり(戦争に)危ない状況の世界。
(軍国化に)危ない雰囲気の日本。
蛮勇は双方酷い結果しか残さない。
必要なのは、明るさなのだ。

褒める目線。
ボケの明るさ。
M嬢はやっぱりイイオナゴだった。
Mの大切さを改めて気づいたワシだった。 

  出会いと別れ・1
9/06 (水)

流されて歩いていると、疑問に思わなかった。
だが、アホは時々口を開けて空を見上げる。
その時は足も止まる。
アホだから一度に二つの事が出来ないのだ。
空を見上げていると、いろいろな何故?が浮かぶ。
子供の頃に帰れるのだ。

何故「出会い」があるのか?
何故「別れ」があるのか?

人生は「出会いと別れ」の繰り返し。
「出会い」があるから「別れ」がある。
などと、何の疑問も思わずに受け入れていた。
疑問を持たない人は頭が良い人だ。
疑問を持つと、テストで良い点が取れないのだ。

今の日本は頭の良い人ばかり製造している。
頭の良い人は・・・利用しやすい。
疑問を持たぬ人達は管理しやすい。
(誰がそういう世の中に変えたのだろうね?)

何故、戦争を認めているの?
近い未来、疑問を持つアホは狙われるかも・・・。
非国民とされるかもしれない・・・。

  出会いと別れ・2
9/07 (木)

この世は
何故
存在するのか?

アホでなければ疑問にしない。
疑問を持っても、持たなくても変わりない。
毎日生きていくのに変わりない。
でも・・・何故、存在しているのだろう?

ワシは思った。
この世は「出会い」の為の場。
グレちゃん(創造主)は優しい仕組みを創った。
グレちゃんは・・・出会い系サイト経営者。
あの世は「出会い系」の世界ではないらしい。
たぶん・・・あの世は「自己内部」の世界だろう。

問い・・・何故「出会い」があるのか?
答え・・・グレちゃんがその目的でこの世を創ったから。

  出会いと別れ・3
9/08 (金)

生きているのは「出会う」為。
ならば「出会う」事を意識して生きるのが自然体。
自然体に沿っているなら現象が起きる。
それが自然体なんだと判るようにサインが出る。
グレちゃんは(ヒネクレていても)優しいのだ。

嬉しさ・愉しさ・気持ちよさ。
そして、生命力は活性する。
自然体は超積極的な生き方だと思う。
無理せず、無駄せず、ひょうきんに。

「出会い」は人だけではない。
むしろ、人との出会いは限られている。
「出会い」は「新たな世界」だ。
体験であり、体感であり、気づきだ。
それは自然体であるほど多く出会う出来事となる。
理屈や理論や計算での出会いではない。

  出会いと別れ・4
9/09 (土)

キーワードの「自然体」
諸行無常。
万物流転。
常に自分が変化している事実。
常に全てが変化している事実。

波動帯が重なると「出会い」となる。
波動帯は常に変化している。
だから常に「出会い」があるのが事実。
それを知覚するか、活かすかは生き方だ。

変化を無視する。
出会いを無いものと思い込むのは「無理」という。
「理(法則)」を無視すれば「苦しみ」を生む。
(心の)閉じこもりは「苦しみ」を生む行為だ。
出会いは内(家)にはない。
出会いは外に溢れている。

  出会いと別れ・5
9/10 (日)

波動帯の重なりは共鳴する。
だから「出会い」が起こる。
ところが、この世の特徴がもう一つある。
波動帯が違う相手との「出会い」がある。

違うといっても、近い状態だ。
一つ先、二つ先の波動帯だ。
あるいは、一つ前、二つ前だった波動帯だ。
それらとの「出会い」を「縁」という。

少し先の先導役となる相手との出会い。
自分が(意識せず)先導役となる相手との出会い。
お互い様というやつだ。
この世は、とても親切に創られていた。

肉体を持って生まれて来たのだ。
否応無しに歩くように出来ている。
自然体で歩けば、喜びと出会うように創られている。
この世に存在できるのは
とても
ラッキーだと思う。

  出会いと別れ・6
9/11 (月)

「今」は過去と未来に変化する。
「出会い」は「未来の今」に影響する。
自分が変化すれば「出会い」が訪れる。
未来の変化に必要な「出会い」が訪れる。

ならば・・・
「過去の今」との「別れ」も必然となる。
未来に向かうには過去が必要だ。
「過去の今」が「過去」になる必要がある。
「別れ」は未来に必要な出来事なんだ。

感情がある。
(メンドウだと思うが)ワシにも感情がある。
感情は「こだわり」から起こる。
そして「こだわり」は解放すると「幸せ」に変わる。
感情は解放した時に「幸せ」になる。

  出会いと別れ・7
9/12 (火)

過去になりきれない「過去の今」がある。
感情が解放されてないからだ。
もし「苦しい過去」があるなら、解放されてないからだ。
解放されれば、過去は幸せに変わる。

感情の解放。
感情が無くなるわけじゃない。
「こだわり」が無くなるだけだ。
純粋な悲しさがある。
素直な淋しさがある。
それらは、苦しさではない。

悲しさは哀しさになる。
淋しさは寂しさになる。
それらは、ほろ苦くても、苦しさではない。
辛い過去は、辛かった過去に変わる。
今と未来は過去に引きずられる事はない。

  出会いと別れ・8
9/13 (水)

「別れ」は解放。
そう思えない出来事でも事実なんだ。
「別れ」が苦しさなら、解放されてないだけだ。
形だけの別れは「こだわり」で繋がっている。
本来の別れは「こだわり」からの解放なんだ。

「別れ」は未来を開く扉。
決して悲しいだけの出来事ではない。
感情があるから「悲しみ」は起こる。
だが未来の「出会い」を受け入れた時、
「別れ」も必然の出来事だと受け入れられる。

「時」がある。
過去・今・未来に関係する「時」がある。
「時」は「調和氣」を内蔵している。
「別れの苦しさ」は「時」が解放する場合もある。

「時」は常に進んでいる。
「別れ」と「苦しさ」は離れるのが自然だ。
「別れ」は必然の事実。
「苦しさ」は自分で離さなかった「こだわり」と知る。

  出会いと別れ・9
9/14 (木)

「別れ」は無くす事ではない。
無くなるわけでもない。
忘れる事でもない。
融ける事・加わる事・広がる事。

栄養になる。
自分の一部になる。
ただし条件がある。
「活かす事」によってだ。
「別れ」の対象相手は有り難いのだ。

「別れ」は双方にとっての「別れ」だ。
自分も相手の栄養になる。
お互い様というヤツだ。
この世は「お互い様」で創られている。
そして
次の「出会い」がある。

  まいかー・1
9/15 (金)

ワシは知恵も力も能力も無い。
もちろん、イロオトコでもない。
だが、金だけは呆れるほど持っている。
だから無駄使いしなければならない。
超金持ちの義務である。

以前も書いたが、ワシのマイカーはポルシェだった。
だがそのまま使っては生意気だ。
怪しい氣功師が乗る車ではない。
ワインレッドのポルシェでは世間体が悪い。
ワシは世間体をとても気にしている・・・。

そこでポルシェのスタッフを雇った。
カスタムカーにするためだ。
モデルは国産軽四輪中古車仕上げだ。
超一流のスタッフ達だ。
カスタムカーは完成した。

全長は1000mm以上短くした。
全幅も400mm近く絞った。
外観は完璧だ。
誰もこれがポルシェとは判らんだろう。
お釈迦様でも、気がつくめぇ。
どこから見ても、某国産社の軽四輪だ。

  まいかー・2
9/16 (土)

ワシは中身が無い。
だから外観を気にする。
政治家だって官僚だって経営者だって同じだ。
中身(実力)が無ければ外見を作る。
外観に金をかけ、態度もでかくなる。
外観も金をかければ誤魔化せると思っている。

ワシだって、中身の無さでは負けられない。
金で外観を作れるのならチョロイものだ。
せっかく某国産軽四輪に特注加工偽装したのだ。
ピカピカでいいはずがない。
スタッフには中古車仕上げを命令した。

塗装やタイヤもそれらしく加工した。
経年数にふさわしい凹みやキズを加えた。
タイヤはミシェランのスタッフを雇った。
4シーズン使用風の特注タイヤだ。
当然ミシェランのマークは使えない。
国産某タイヤメーカーに偽装した。

ワシは中身が無いだけではない。
とても臆病なのだ。
これも中身の無い連中の共通項だ。
性能がポルシェのままではバレるかもしれない。
だからエンジンやスペックも変えた。

3600ccを660ccに作り変えた。
スタッフは苦労したらしい。
480馬力を何とか48馬力に抑えた。
性能を上げるのはさして難しくない。
同じエンジンを小さくするのはとても難しいのだ。
だがポルシェスタッフは優秀だった。

これでどんな専門家でも誰一人気づかれない。
まさかポルシェとは判らない。
事情を知るスタッフや関係者は金で忘れていただいた。
札束を積めば誰でも秘密にするさ。
例えバラしても、誰も信じまい。

  まいかー・3
9/17 (日)

そのカスタム仕上げのポルシェに飽きた。
金持ちは・・・何にでも飽きるのだ。
金で、ほとんどの事は出来る。
だから、生きる意欲が薄れ、飽きるのだ。
ましてワシは超金持ちだぜ。

だが表向きは極貧の売れない氣功師だ。
いきなり車を替えては怪しまれる。
ドロボーの疑いがかかるかもしれない。
本妻を売り飛ばしたとウワサされる・・・
・・・されることはないな・・・。
(深く追求する事は、固く禁ずる)

と、とにかく、目立たぬように行動しなければ・・・。
日本を動かすほどの超金持ちと知られてはならない。
だって、うっとうしいじゃないか。
金持ちは、つまらん。
だが、金持ちに群がる人達も、つまらん。
そこで、再び超一流スタッフを雇った。

細工は流々。
ワシのマイカーは何度か故障するようになった。
マフラーから白煙を上げるようになった。
距離数も17万キロを超えるように偽装した。
クラッチもアマくした。

「もう・・・替えたほうがいいですよ」
クライアントも見かねて、控えめに言う。
誰もが同情混じりワシを見るようになった。
作戦は成功だ。
これで、ポルシェからフェラーリに替えられる。
「今、安い中古車を探しているのですよ」

  まいかー・4
9/18 (月)

今度もフェラーリと気づかれてはならぬ。
日本経済も応援しなければならぬ。
口止め料含めフェラーリを100台分買える金を使った。
そして、1台の傑作車が完成したのだ。

外見はもちろん国産某社のコンパクトカー。
残念だが軽四輪への縮小に失敗したのだ。
フェラーリ・スパイダーはポルシェよりも大型だった。
だが、何とかコンパクトカーには偽装できた。

仕上げは当然中古車風。
エンジンやスペックも完璧に真似た。
ボディーには細かなキズを。
使い古し風のタイヤも備えた。

フッ・・・。
今回も決ったぜ。
日本国中、誰一人気づかないだろう。
ワインレッドのポルシェから
ライトブルーのフェラーリに。

  理性・1
9/19 (火)

ワシはずぅ〜と勘違いしていた。
勘違いというより、無知だった。
せっかく漢字で表されていたのに気づかなかった。
社会通念という固定概念で観ようとしなかった。
「理性」というヤツだ。

冷静な考え。
なんとなく、そんなイメージでとらえていた。
感情と理性。
単純に対比していた。
浅はかは得意だが、気づいてしまったら使えない。

ワシの仕事は「生命力の応援」だ。
その為に「生命・生命力」についても冥想する。
冥想。
計り知れない世界(冥)を想う。
生命は冥の世界だ。

  理性・2
9/20 (水)

理性と感情が対立したら、感情が優位になる。
表面的に感情を抑えても、感情は消えない。
やがて、感情の影響で不都合が起きる。
理性は感情に勝てない。

ずぅ〜と、そう思っていたのだ。
ワシの浅はかな思い込み。
「理性」が何か解ってなかったからだ。
狭い常識や浅い考えを理性だと思っていたのだ。
そんなもの、「愚性」だ。
人間の理性が「理性」だと勘違いしていたからだ。

(人間を含め)あらゆるモノと共通。
「理」は自然法則。
「性」は底にあるモノ。
だから、理性は自然体から生まれるモノだ。
頭で考えたモノではない。

  理性・3
9/21 (木)

ワシは何度も目が覚める。
ということは・・・
何度も、また眠ってしまうという事だ。
下手な考えや概念は目を塞いでしまう。

頭のいい人は(心の)目が見えぬ。
心の目が見えぬ人をアホという。
頭のいい人は・・・アホなのだ。
一流大学出身者は・・・アホなのだ。
高級官僚や政治家が証明してくれている。

ワシも普段からアホを自認している。
ワシは・・・頭がいいのかもしれない。
だが高級官僚や政治家ほど卑怯ではないぞ。
一緒にされるのはハッキリ拒否するぞ。

理性の目。
開く時は条件がある。
自然体の時だ。
自然に融けた時だ。
頭を使わない時だ。

目は
体と一体で観るものだ。

  理性・4
9/22 (金)

「生命力」が活性している時。
「生命力」が弱化している時。
いろいろな違いがある。
その中の一つに感情があった。

感情は大きく分けて二つの側がある。
ポジティブとネガティブだ。
明るく愉しいか、暗く苦しいかの側だ。
その感情が「生命力」の活性と弱化に反応する。
しかも、大きく反応する。

生命力の活性時。
ポジティブな感情は純化する。
心の底から明るく愉しくなれるのだ。
嬉しい、愉しい、気持ちいい、が大きく広く深くなる。

ネガティブな感情も純化する。
必要な分の悲しさや淋しさや怒りはある。
だが、必要以上に苦しむ事はない。
感情に翻弄される事もない。

  理性・5
9/23 (土)

生命力の弱化時。
ポジティブな感情は途切れる。
嬉しい、愉しい、気持ちいい状態なのに疑う。
こ、こんなのが続くはずが無い・・・
自らポジティブを放棄する。

ネガティブな感情は増幅させる。
必要無いのに長く続ける。
そしてコントロールできない。
感情が勝手に自走する。
それは苦しみに変わる。
ネガティブの闇を彷徨う。

心は生命力で左右させられる。
感情は生命力の差で増減する。
生命力の活性時は好転している。
生命力の弱化時は暗転し、暴走する。
ネガティブな感情にこだわってしまう。

  理性・6
9/24 (日)

苦しみの正体は「こだわり」だ。
生命力の弱化は感情に「こだわり」を持たせる。
心が感情にしがみついてしまう。
生命力の弱化は心の苦しみを引き出すのだ。

感情にしがみついた心。
感情を愉しめる心。
違いは「理性」の目覚めだ。
理性で感情を抑えるのではない。
理性は感情を愉しむ(活かす)のだ。

「理性」の目覚め。
それが自然体というヤツだ。
肩の力を抜くというのは、頭の力を抜くことだ。
自然体は(「氣」が)落ち着くのだ。
落ち着く先は、丹田。

  理性・7
9/25 (月)

自然は神。
自然は生命。
自然は法則(理)。
神は生命。
神は法則。
生命は法則。

自然体は法則に同調する事だ。
すると生命は活性する。
自然(法則)から外れると生命は弱化する。
当たり前だ。
だが、人間は当たり前(理)から外れやすい。

「理性」は自然法則との同調の事だったのだ。
頭で考える法則ではない。
人間の判断力でもない。
(深い意味の)素直な体に共鳴するものだ。

  理性・8
9/26 (火)

「性」は「底にあるもの」という意味だ。
「底にあるもの」は同調共鳴している。
例えば「仏性」という言葉。
底にある仏の精神。
仏と同調共鳴している事という意味になる。
「神性」も同じだ。

「男性」は底は男。
「性交」は底の交わり。
あるいは、交わって同調共鳴するという意味だ。
「性」は「深い」という事を示しているんだ。

「理」はもちろん自然法則。
「理性」は自然法則との同調共鳴だ。
こんなに素直な言葉だった。
社会通念の「理性」は誤訳もはなはだしいぜ。

  理性・9
9/27 (水)

同調共鳴は調和への扉だ。
扉は「結び」でもある。
「ヨガ」は「結び」という意味である。
「自然(神・生命)との結び」の実践哲学だ。

ワシは本質を見失わぬ「ヨガ」に出会えた。
マハトマ・ガンディー・故沖先生・龍村師匠の本流に出会えた。
ワシは努力無しのラッキーで生きている。
ヨガの強調する一つに「理性開発」がある。
ジャニアーナ・ヨガという。

「理性」の意味を知らなかった頃。
ワシは「理性開発」を誤解していた。
重要視していなかった。
浅はかはワシの得意技だ。
だが、知ってしまうとヨガの深さに畏れる。
ヨガは「理性」を示してくれていた。

  理性・10
9/28 (木)

長い間「理性」を誤解していた。
だから、ワシが「理性」を語るなんて無謀だと思っていた。
だけど「理性は自然体」だと知ったら大丈夫だ。
どんな人でも動物でもモノでも「自然体」は語れる。
「性」に自然が無いモノはこの世に存在しない。
ワシは堂々と「理性」を語れるのだ。

ワシ流の自然(理)は「いいかげん」だ。
時々「ヒネクレ」を混ぜる方がいいようだ。
明るく、愉しく、気持ちよく、が指標となる。
そんなのが・・・「理性」というものだ。
冷静な頭脳判断とは違う。

「理性」は誰でもある。
だが・・・人の「理性」は眠っていがちだ。
人間はどんどん自然(理)から離れる方向に進みたがる。
社会通念や社会常識、個人内の固定概念で縛ってしまう。
自分の底(性)にある「自然(理)」を無視している。
無視、無理、無駄は「理性」の逆側にある。

  理性・11
9/29 (金)

「理性」と「感性」は対比されやすい。
これも「理性」の誤解からだった。
理性も感性も同根の「性」だ。
「理性」が大きく広いほど「感性」も大きく広い。
どちらも自然体の割合と比例しているからだ。

ワシは今まで判断力は「感性」次第だと思っていた。
だが同じ意味で「理性」次第なのだ。
「感性の時代」というのは「理性の時代」なのだ。
それは「自然体の時代」ということなのだ。
これからの(明るい)時代(未来)の必需品だ。
あらゆる分野で必要であり、リードする能力でもある。

気張って身に付ける能力ではない。
放せば目を覚ます能力だ。
捨てれば得られる能力だ。
別れれば、気づく能力だ。

この世のシステムはヒネクレているのだ。
ブッちゃん(仏陀)は、それを(断)捨離という言葉で示した。
捨離すれば、自然に帰れる。
自然(理)と同調すれば、何とかなるさ。
そう教えてくれたのだ。

  理性・12
9/30 (土)

感情をコントロールするのは「理性」だ。
だが、今までは勘違いして理解していた。
そこに、生命の力を抜かしていた。
生命は自然だと見抜いてなかった。

生命力は理性力。
こんな、当たり前が解けてなかった。
真の理性は生命を活性する。
当然、感情をコントロールする。
抑える為ではない。
自由に愉しめる為にコントロールする。

理性は自然体。
素直に観れば解るはずだ。
言葉は、そのまま、を表していた。
ワシは・・・
理性あふれるオッサンを目指している。

    翌月コラムへ     コラム4目次に戻る