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氣更来・1
02/01 (木)

今日から如月だ。
別名「氣更来」でもある。
「氣」は多種多様な氣がある。
だが、通常「氣」と言った場合は「陽氣」を示す。
「陰氣」や「病気」や「殺気」ではないのだよ。

「氣」が扱える。
「氣」が出る。
これらは本来は「陽氣」の事だったのだ。
ところが・・・世の中は混迷期だ。
気難しい顔をした人が「氣」を語る。
陰気なタイプの気功師が紹介されている。
・・・・まぁ、いいけど・・・。

ワシは混乱期なら好きだ。
近代では明治維新の頃が好きだ。
生命力がある。
だが混迷期はなぁ・・・。
生命力が低下してデタラメになってしまった。
イイカゲンは推奨するがデタラメはいただけない。
この二つは正反対に位置するのだぜ。

  氣更来・2
02/02 (金)

生命力が充分だとイイカゲンになる。
まぁ、何でもいいよ。
物事が鷹揚になる。
こだわらない。
一歩でも二歩でも譲れる。

生命力が不足するとマジメになる。
こだわる。
言い訳として「正しさ」を使う。
物事や人事が厳しくなる。
心の在り方などにうるさくなる。
イイカゲンは許さない・・・。

「正しさ」という大義名分が無い場合・・・。
デタラメになる。
マジメだからデタラメになるのだ。
ヤクザなどはマジメ人間の部類なのだ。
デタラメにマジメなのだ。
イイカゲンではやってられない。

  氣更来・3
02/03 (土)

マジメで正しさや正義を振り回す。
某アメリカが得意とする。
平気で戦争を仕掛ける。
赤ちゃん、病人、お年寄りの上から爆撃する。
正しさ、正義はデタラメなんだ。
ヤクザやならず者と変わらないのだ。
(その腰ぎんちゃくが某日本という国の政治家だ)

「陽氣」は生命力を増大させる。
生命力が充分なら鷹揚になる。
争いなどするわけがない。
正しさや間違いなんて、どうでもいい。
皆が楽しく平和に暮らせれば充分だ。
生命力(陽氣)と平和は正比例するのだ。

生命力が低下する。
すると、より弱い者を虐める。
某アメリカの戦争もそうだ。
学校や会社の「イジメ」もそうだ。
問題とするのは道徳観念ではない。
生命力の低下なのだ。

  氣更来・4
02/04 (日)

生命力に余裕がない。
「イジメ」の解決に「正しさ」を持ち出す。
それで解決するなら何千年前から無いだろう。
道徳を上から押し付け解決するという発想。
心に対し、あまりに無知すぎる。
ワシよりも無知すぎる・・・。
政治家が言い出すと、無知よりも陰謀かも・・・。

陽の氣。
食べ物からも摂れる。
食べ方でも得られる。
人から分けてもらえる。
場所もある。
そして・・・季節もある。
その始まりが「如月」であり「氣更来」だ。
日本は、とても便利な場所だ。

ただし、どんなに「陽氣」があっても本人次第だ。
必要な事であっても無理やりは出来ない。
この世は個体に自主制をもたせている。
歩くのは本人なのだ。
目の前の宝(陽氣)を素通りする人は多い。

  氣更来・5
02/05 (月)

陽氣を上手く取り入れた人もいる。
例えば野球の有名人では長嶋氏、新庄氏。
周りを幸せにする事を生き甲斐としている。
自分がたっぷり幸せだからだ。
生命力が充分だからだ。
だから、他を幸せにする事が好きなのだ。

病気からの脱却のヒントもここにある。
病(闇)は暗く冷たく淋しい。
自分の事(病)だけを考えている。
そこで、陽氣としての生命力を意識する。
すると、他を幸せ(陽氣)にする意識が生まれる。
こうなれば、しめたものだ。
病(闇)からの脱却は、もうすぐだぜ。

「氣」は意識で呼び込める。
というか、共鳴するのだ。
陽氣に意識を向ける。
陽氣な人と接触する。
陽氣な季節に身を任す。
始まりは「氣更来」からだ。

  暖冬・1
02/06 (火)

時事ネタは基本的には書かない。
故星新一氏がショートショートの心構えで記していた。
時事は過ぎてしまえばピントボケ。
プロの物書きは手を出さない。
な、なるほど・・・。
ワシが高校三年生の時だった。

ワシはプロの物書きに(ほのかに)憧れていた。
ナマケモノのワシは妄想や空想を食べている。
そうかぁ・・・
プロの作家は「インゼイ」というパトロンがいるのかぁ。
コタツでゴロゴロしていても食べていけるのかぁ。
いいなぁ。
ナマケモノにはナマケモノの職業があるんだぁ。
そして、プロの作家のエッセイなどを読んでいた。

まだアホの純情の頃だ。
今でも純情のままだ。
多少の違いはあるが、アホも付いている。
今はオッサンの開き直りの純情だ。

その頃、ワシには彼女がいた。
彼女に読んでもらうために作品を書いた。
ジャンルがバラバラだった。
小説から詩からシュールなものまで。
そして、行き着いたのが童話だった。

  暖冬・2
02/07 (水)

純情は誤解されやすい。
イメージ的に清楚と思われやすい。
それは・・・誤解。
純情の「純」は、単純の「純」だ。
「情」は感情だ。

ストーカーをイメージしてくれ。
その方が理解しやすい。
あれが「純情」の形だ。
心は多種多様。
情も多種多様なのに、他を思いやれない。
自分の中のたった一つの感情に支配される。
とても未熟な感情が「純情」というヤツだ。

他との交わりが少ない頃。
心情の複雑さに出会ってない頃。
自分を含め、心は複雑だというのが理解出来てない。
純情ではマトモな作品は出来ない・・・。

  暖冬・3
02/08 (木)

人生の辛苦や歓喜を深く愛した宮沢賢治。
法華経の深遠さに触れてから書いた。
だからこそ、童話が書けるのだ。
ワシは童話を書くには未熟過ぎた。
それくらいは解った。

いろいろ経験したい。
いろいろ体験したい。
喜びや嬉しさや悲しみや淋しさ。
生きていく事が愉しみだった。
そして、それは今も続いている。
結局・・・童話は未だ書けない。

どうやら
タダのナマケモノではプロの作家になれないらしい。
「インゼイ」というパトロンはタダのアホには付かない。
やっと、その事が解ってきた。
ならば、どうする?
と悩むほどワシはマメじゃない。
所詮、悩み続ける根性は無いのだ。

  暖冬・4
02/09 (金)

閑話休題。
昨年の豪雪は気象庁も驚いた。
だから「平成18年豪雪」と命名した。
気象庁が命名した豪雪名は二度目らしい。
そのくらい、豪雪だったのだ。
当然、ワシは除雪作業でへばっていた。

どんなにナマケモノでもしなくてはならない事がある。
大小便・・・しないと大変だぁ・・・。
特に大の時、パンツを下ろす。
メンドウでも、キチンとしている・・・。
パンツを下ろさないでスルと返ってメンドウなのだ。
息・・・これも、するのだ。
運転時のメガネ・・・これもしている。
こう書いていると・・・
ワシはナマケモノではないかも・・・。

豪雪の除雪もその一つだ。
しないと家が壊れる。
車が出入り出来ない。
人も出入り出来ない。
命と生活に関わる。
除雪はマメにする以外にない。
ナマケモノの天敵だぁ。

  暖冬・5
02/10 (土)

毎日除雪。
仕事でしている人はそれで給料が貰える。
除雪車や除雪機とかかる経費も心配ない。
だが一般は大変なのだ。
自分の仕事以外の時間とお金と労力を注ぐ。

除雪は過酷な労力だが、機械にとっても過酷だ。
(ちなみにワシはディーゼルの雪を飛ばすタイプの除雪機。
ワシの乗る、乗用車より値段は高いのだ・・・)
当然のように壊れる箇所が出てくる。
修理も当然多くなる・・・。

ワシは出張で何日か帰らなかった。
本妻や子供が手作業で除雪した。
だが機械を使わずに出来る規模じゃない。
ワシの車は・・・埋もれていた・・・。
愚痴を言ってる暇もない。
とにかく、掘り出す・・・。
昨年は、そんな豪雪でした。

  暖冬・6
02/11 (日)

昨年の記録的豪雪と一転。
今年は記録的暖冬となった。
大寒から二月上旬が一番寒い・・・はず。
大雪も一番降りやすい・・・はず。
それが、雪長靴を履かないですむ。

スキー場は一応全面滑降可能だ。
どうやら毎日のように降雪機を使っているようだ。
その降雪機も気温0度以下じゃないと難しい。
だから使えない日も多い。
真冬のスキー場で0度以上あるのだ。
当然道路に雪は無い。
楽だ・・・。

ワシの除雪機も今まで3回くらいしか使ってない。
それも少しの雪(30センチくらい)で使った。
除雪機も淋しいだろう。
生き甲斐の一つに「頼られる」というのがある。
人も動物も機械も同じだ。

意識(氣)は機械も物も鉱物もある。
表現の仕方や仕組みが違うだけだ。
この世に存在するものは、全て意識がある。
あの世に存在するモノだって意識がある。

  暖冬・7
02/12 (月)

除雪機の生き甲斐は除雪だろう。
夏の日向ぼっこではない。
除雪機と生まれてきたのだ。
除雪しないで生きる(存在する)なんて耐えられない。
大雪を除雪する事が生き甲斐だ。
「おぉ、やはり除雪機はすげぇ!」
そう言われると、生命力が湧いてくる(らしい)。

ワシは除雪しないから嬉しい。
除雪機は除雪しないと淋しい。
ワシと除雪機は恋人にはなれない。
だが敵対したら、お互いが不便だ。
友達や恋人や夫婦の関係ではないが、
いざという時、頼り頼られる関係だ。
オトコとオトコの関係。
(ハードボイルドの方だぜ。
ハードゲイの方じゃないぜ)

生き甲斐は生命力を活性する。
生き甲斐を失うと生命力は縮小する。
脳軟化、痴呆、鬱、老化の促進。
生き甲斐は、生きている根本に影響する。
頼られる事と安心して頼れる相手。

  暖冬・8
02/13 (火)

個人的な感想だ。
暖冬は楽だ。
行動が楽だ。
雪は見るだけで充分だ。

ワシの地域は雪で仕事をしている人達がいる。
雪があって生活が成り立つのだ。
除雪を請け負う土建関係。
スキー場とその関係業界。
スキー場に付随する民宿を含めた宿泊施設。
それらに影響する業種。
例えばクリーニング屋さんや食品卸関係者。

雪が少なくていいねぇ。
なんて誰彼かまわず言えないのだ。
雪の多寡で生活がかかっているのだ。
でも・・・行動的には楽には違いない。
生活の収入と日常の行動の間で揺れる心・・・。
暖冬は複雑な心境なのだ。

  暖冬・9
02/14 (水)

お天道様にモンクは言わない。
ワシが守る生き方の一つだ。
これでも自分なりの歩き方がある。
イイカゲンはデタラメとは違うのだ。
神様、仏様にもモンクは言わない。
言えないし・・・。

暖冬だろうが豪雪だろうが受け入れるのだ。
愚痴は自分に向けて言う言葉だ。
お天道様にモンクは言わない。
それによって、人間を含む生物が苦しんでも。
お天道様は生物だけの味方じゃない。
まして、人間の都合に合わせる理由がない。
もっと大きな存在ごと愛している。

地球の温暖化。
人間の環境に対する無知の度が過ぎた。
これは、お天道様のせいじゃない。
お天道様は、通常は変化を受け入れる。
大きな時の中で調和する。
何千年か何億年で元に戻る。
その時、人間が絶滅していても大丈夫だ。
地球はやり直せる。
やり直せないのは、人間の方だ。
で・・・
人間は、どうする?

  逆転・1
02/15 (木)

体操の話ではない。
が・・・体操の話から入ろうか。
ワシは結構体育系が得意なようだ。
運動神経は悪くない。
運動は好きだ。

中学1、2年の頃だと思う。
バック転が出来るようになった。
高校生の頃。
連続バック転からバック宙返りも何とか。

50歳の頃。
長年してないが・・・してみた。
綺麗な連続は無理だった。
それでも50過ぎのオッサンのバック転だ。
たいしたもんだろう。
自画自賛も得意だ。
中三の愚息は出来ない。
フッ・・・まだワシを超えるのは早いわ。

  逆転・2
02/16 (金)

まだ自画自賛があるぞ。
一年に3回くらい一家でボーリングにいく。
そこでワシは200アップした。
200点を超えるのは20年ぶりくらいだ。
(ちなみに過去最高は268だったぜ)
豚児と豚子には負けられない・・・。

負ける事は幾らでもある。
走る事は豚児が小学高学年時でギブアップ。
スタミナでは・・・負ける。
スキーなども、多分追い抜かれたなぁ。
二人共、小学校のアルペンクラブで指導を受けた。

TVゲームも絶対勝てない。
(マージャンや将棋はまだ勝てるぜ)
学校の勉強も、もうワシが解らない。
習字や絵もワシより遥かにマトモだ。
だからこそ、勝てる事は貴重になってしまった。

  逆転・3
02/17 (土)

バレンタインのチョコレート。
豚児に負けた。
豚児は豚子に負けた。
最近は「友チョコ」が一番流通しているのだ。
だから女の子が一番チョコが多い・・・。

この氣功は自分を使わない。
だから御飯も少なくてすむ。
多分・・・息も少ない。
睡眠時間も少なくてすむようだ。
時間を止めて仕事する。
当然、御飯の量は家族で一番少ない。
負ける、という表現は違うかもしれないが。

勝ち負けにこだわっているのではない。
表現方法として使っている。
この世に存在するものは個々だ。
他と比較など基本的には出来ない。
出来ない比較をすると・・・苦しみを呼ぶ。
それを知った上での表現だ。
勝ち負けは・・・お遊びの表現だ。
本気でこだわったら、時間の無駄だ。

  逆転・4
02/18 (日)

もともと多欲ではない。
(マメじゃないのだ)
欲深でもない。
(根性もないのだ)
だが、使い方があるが欲は必要だ。
ワシも少ないけど欲はある。
(その代り、何でも興味はある方だ)
少ないから、人並み以下の生活をしている。

生活より自分の興味が優先する。
興味はあるが、自分のモノにしようとは思わない。
モノにならないから、生活の足しにもならない。
そんな事ぁ自慢にならない・・・。
可愛いかどうかは別として・・・
ワシには本妻や子供達がいる。
生活が苦しいのはアレコレ窮屈だ。

そこで一発逆転を妄想する。
九回裏、逆転満塁ホームラン・・・。
そういう展開は大好きだ。
窮屈からの脱出方法。
コツコツ努力もあるけれど・・・
ワシは逆転が好きなのだ。

  逆転・5
02/19 (月)

オセロゲーム。
積み重ねたモノが全て逆転する。
(一見)黒の連続が全て白に変わる。
様々な出来事が全て活用される。
何一つ無駄なモノは無い。
(理屈はそうだけど・・・ありそう・・・)
そういう展開がいいなぁ。

思えば叶う、とは限らない。

想像すれば叶い易くはなる。
(都合のいい)逆転は想像する。
夢、じゃない。
逆転は日常茶飯の出来事だ。

想像だけでは弱い。
誘因があるのだ。
それによって逆転が起こりうる。
誘因(引き金・キッカケ)は小さな事だ。
誘因に努力はいらない。

  逆転・6
02/20 (火)

因果はすでにそろっている。
都合がいい、都合が悪いは同じ「果」だ。
コインの裏表なのだ。
どちらが出ても本体は同じなのだ。
その事がやっと解ってきた。

グレちゃん(創造主)はいつも同じだ。
この世の仕組みを幸せになる為に創った。
幾つも道が分かれているように見える。
だが、行き着く先は同じだ。
道の表現が違うだけだ。

病(闇)も健康(光)も同じだ。
幸せになる為に用意されている。
どちらを選ぶかは、本人が決める。
あるいは・・・本人に関わる魂が決める。
家族や先祖や前世や未来世の者達だ。
行き着く先は同じ境地だ。

  逆転・7
02/21 (水)

短いスパンで考える。
今生に限って考える。
すると「幸せに生きなければならない」となる。
(ま、まぁ、実際は幸せより満足感を追いかけるけど)
でも、グレちゃんは短くない・・・。
グレちゃんは小さくない・・・。

グレちゃんの優しさは今生に限らない。
だから「幸せに生きなければならない」と言わない。
「幸せになる方向しか創ってないから大丈夫だよ」
病になっても大丈夫。
苦しんでも大丈夫。
でも、嫌なら健康になる事も出来る。
嬉しく、愉しく、気持ちよくもなれる。

ワシは今生では根性無し・・・。
苦しみは遠慮しておきますわ。
それには「果」の表現が愉しみがいい。
「因」はいじれない。
同じ「因」でも「果」が嬉しければいい。

  逆転・8
02/22 (木)

精神世界の話は勘違いが多い。
「因果」の話もそうだった。
ワシが冥想で得た仕組みと違う。
偉い人達が解説しているから・・・
という理由は通らないのだ。
人間社会で偉くても関係無いのだ。

そんな、当たり前に気づいた。
仕組みを創った神様(グレちゃん)は特殊だ。
人の常識からは、はみ出しているのだ。
どんなに立派な偉い人でも神様の考えには届かない。
そんな、当たり前に気づいた。

でも難しくはない。
難しい話は、頭のいい「人」用なのだ。
グレちゃんは、誰(人間に限らず)に対しても優しい。
超優しい。
だから「因果」の仕組みも優しい。
超優しいのは、超易しいのだ。

  逆転・9
02/23 (金)

「因」は「果」を呼ぶ。
呼ぶが・・・決ったパターンじゃない。
「良い因は良い果となる」・・・
この世の仕組みはそんなに固くない。
法則は頭の固い(良い)人が唱えている。
だから・・・信用できないし間違いだ。

グレちゃんは優しい。
優しさは柔らかさだ。
法則なんて決めない。
法則は解放するところに自由と幸せがあるのだ。
だから、この世の法則を主張するのは人間の方だ。
グレちゃん(創造主)は主張しないのだ。

因は果を呼ぶ。
一見、繋がらない果だって呼ぶ。
直線の果だけじゃない。
何でもアリの果を呼ぶのだ。
だから、因にこだわる必要はない。
果も因となる。
果にこだわる必要もない。

大切なのは
笑顔と感謝くらいだろう。

  逆転・10
02/24 (土)

逆転の発想と仕組み。
無茶苦茶じゃないんだぜ。
デタラメじゃないんだぜ。
イイカゲンなのだ。

「因果」は「いんがげん」・・・。
ワシが何度も書いた。
単なるダジャレじゃない。
本当にイイカゲンなのだ。
だから・・・救いがあるのだ。
この世は救いだらけなのだ。

良い因しか良い果を作れない。
宗教関係者や偉い人の言う事は強い精神の味方だ。
ロクデナシを救う言葉じゃない。
ロクデナシに・・・優しくない。

でも安心していい。
立派な人は優しくなくても神様は優しい。
ロクデモナイ因でも都合のいい果を作れる。
神様にとって、そんな事ぁ、どっちでもいいのだ。
アナタが喜べば、神様は嬉しいのだ。
生命が喜べは、神様は嬉しいのだ。

  逆転・11
02/25 (日)

棚からボタ餅も同じだ。
努力した者だけが報われる・・・。
それは教育指導スキスキ人間の思い込み。
ワシもアナタも知っているはず。
一生懸命努力して、報われない人達を。
ロクデナシの政治家が金も名誉?も子孫繁栄もしている事を。

努力は結果を求める行為じゃないのだ。
努力が無駄という事をいってるのではないぞ。
結果の為の努力は違うといっているのだ。
あれは努力中に価値と報いがある行為なのだ。
努力している最中がイイのだ。
努力が好きなタイプもいるのだ。

結果の為に努力(因)しても、どんな果が出るか不明だ。
だから逆に、棚からボタ餅も往々にしてあるのだ。
イキナリ、ラッキーは起こり得る。
というか・・・この世に生まれているならラッキーだらけだ。
自分の努力でラッキーを得ようとするのが不遜だと思う。
努力は・・・趣味の次元だ。
それぞれの歩き方の話だ。
他人に強要する話じゃない。

  逆転・12
02/26 (月)

戦争中は相手を殺す、苦しめる為に努力した。
今でも殺人兵器の研究に努力している人がいる。
勢力争いで努力する政治家がいる。
勢力争いで努力するヤクザがいる。
出世に努力するサラリーマンがいる。
全員が報われる事はありえない。

特に争いは惨めな果が双方に待っている。
努力する事は、単純に尊いわけじゃないぞ。
自他共に苦しむモノ達が多く生まれる・・・。
努力は
他に影響しない程度の個人的な趣味にしてくれ。

因果はある。
だが人間の段階では理解出来ない。
因と果は人間が考える法則では納まらない。
因果は
神様の分野の話だ。
まして、知ったかぶりで話すのはなぁ・・・
因果にとらわれず、未来を創ろうぜ。
そうでないと、人間の未来は絶望しかない。
悪因が悪果を招くなら、もう絶望だぁ。

  逆転・13
02/27 (火)

とても不出来なワシだ。
不出来な子ほど可愛い・・・。
ワシはオッサンだが、自分が不出来故に愛おしい。
立派な人は強い精神だが、ワシは軟弱精神だ。
だから立派な因を創れない。
それでも(都合の)良い果になってほしい。

そこで想った。
神様を想った。
神様は不出来なモノに贔屓する。
超優しく、超素晴らしい存在だもの。
「バカな子ほど可愛い・・・」
神様から見れば、我々は愚かな存在だ。

立派な人は放っといてもいい。
だが軟弱なモノは放っとけない。
少し親切になる。
余計な親切にはならない・・・。

果だけ複数用意する。
不出来なモノほど、ラッキーな果が多い。
もちろん(一見)辛い果だって用意してある。
同じ因でも果は複数用意してくれているのだ。
どの果を選ぶのかは、本人の自由にしてくれている。
なんて、優しい仕組みだろう・・・。

  逆転・14
02/28 (水)

逆転の話は今日でお終いにする。
もちろん尻切れトンボだ。
逆転への引き鉄・鍵・キッカケ・条件がある。
沢山あると思う。
神様はケチじゃないからだ。
だが、ワシは幾つも知らない。

少しなら・・・多分・・・と見当はある。
検証してないので詳しく書けない。
検証しても詳しくは書けないだろう。
誤解やその他がウットウシイからだ。

「逆転がある」
それだけは間違い無い。
立派な生き方をしてなくても大丈夫。
安心し、期待して未来を生きよう。
ただし・・・逆転しなければ・・・。
ロクデナシの生き方はロクデナシの結果を生みやすい。

優しい生き方なら大丈夫だ。
ほとんどの果が良くなる。
逆転を期待しなくても大丈夫だ。
つまり・・・逆転を望むよりも
逆転を期待するような生き方を変える方が優先するなぁ。
う〜mmm
自分で書いていて、耳が痛い・・・。

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