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15年目・26
6/01 (日)


心は適当に相手をすればいい。
すると、力を抜いた状態になる。
心に固執しないからだ。
その状態になると、心以外のモノを感じる。

心が邪魔して観えなかったモノ。
心が邪魔して感じなかったモノ。
どうやら、それらが大切な宝のようだ。
しかも、使える・・・。

その一部を使わせていただいている。
他から流れ込んできている。
あるいは、常に包まれていた。
その一部の「氣」の更に一部分。
今のワシの現状だ。

  15年目・27
6/02 (月)

自分の心は邪魔しない。
しないが・・・
器が小さい。
器に流れる量がある。
故御師匠様との違いだ。

器は変化する。
変化できる。
それは理解している。
変化できるが、簡単ではない。
変化する時は、簡単なのだが・・・。

心はどうでもいい。
自動的に使わないでいられる。
だが・・・器なのだ。
生れ付き大きい人もいる。
前世の質と量の違いかもしれない。
ワシは・・・大きくない。

  15年目・28
6/03 (火)

ワシの心は歪だ。
だが、そんなのどうでもいい。
どうせ、大して使わない。
器を柔らかくしたいのだ。

ワシの心はロクデナシで良かった。
多少でも立派だったら未練がある。
こだわりがある。
もっと磨いちゃおうかな・・・。
そうして、人は穴に落ちていく・・・。

自分の心も他のモノも入る器。
器が柔らかくなれば、愉しくなる。
立派になるのじゃない。
正しくなるわけじゃない。
愉しく、楽しくなるのだ。

  15年目・29
6/04 (水)

天職だと感じている。
しかも、仕事を進めると自由になる。
ワシは自由に生きたい。
だから、天職は適職だし幸運職でもある。

ワシのロクデナシの心を鍛えなくていい。
立派に精進なんてしなくていい。
器が自由になればいいのだ。
それが、ワシの能力を進めることでもある。
それが、より自由に生きられることでもある。

この氣功を始めると自動的に楽になる。
辛い事や厳しい事は平行してある。
楽である事と辛い事は同時にある。
真剣勝負で崖っぷちを歩く事と楽は同時にある。
この氣功は、ワシの好みだ。
まだ、まだ、まだだ。
やっと15年目に突入した。
この仕事に出会っては幸せだ。

  差・1
6/05 (木)

運命に差が出る。
健康に差が出る。
生き方に差が出る。
品性に差が出る。

生れ付きの違いはある。
男かオナゴか。
どの国に生まれたか。
どの時代に生まれたか。
どんな境遇にうまれたか。

だが、そこから先に差が出る。
良い、悪いという差ではない。
正誤という差でもない。
あえていうなら・・・
幸か不幸かの差が出る。

  差・2
6/06 (金)

変化はある。
森羅万象にある。
常にある。
物質界(色界)は流転が条件なのだ。

変化も種類がある。
急変も穏変もある。
大変も微変もある。
多変も単変もある。

時間というヤツがセットだ。
時間は変化を創る元なのだ。
時間の無い界なら、変化も無い。
時があるなら、変化する。
時も同じ速度ではないが、変化は必ずある。

  差・3
6/07 (土)

変化は必ずある。
だが、どう変化するかは決まっていない。
同一人物でも、どう変化するのかは未決だ。
過去の事実は変わらない。
だが、その先は決まっていないのだ。

これが科学とは違うところだ。
過去の事実から未来は決まる。
決まるが、計算通りにならない。
法則通りにもならない。
まるっきり、正反対にもなるのだ。

決定の条件は過去にはない。
今だ。
常に今、現在にある。
変化の種類や質は、現在で決まる。

  差・4
6/08 (日)

差がでる。
変化の速度に差がでる。
質に差が出る。
それは他へと影響する。

今の何で差が出るのか?
それは、方向だ。
見る方向だ。
どんな状況でも、方向は自由に決められる。

戦火の中でも、八方塞がりの中でも。
苦しくても、悲しくても。
辛くても、痛くても。
向くのは自由だ。
現実味や計算など関係ない。
360度、あるいは全方向、自由に向ける。

  差・5
6/09 (月)

心の中は多種多様な塊がある。
嬉しい事も不思議な事も楽しい事もある。
だが、心は悲しみや苦しみに向かいたがる。
悲しみだけじゃないのに。
苦しみだけじゃないのに。

明るい方向。
温かい方向。
ワクワクする方向。
くつろげる方向。
いつでも選択できるのだ。

そこに差がでる基点がある。
ほんの僅かな違いなのだ。
大きな努力じゃなないのだ。
継続する精進でもないのだ。
誰でも出来る選択。
難しいのじゃない。
気づけないだけなのだ。

  差・6
6/10 (火)

悲しみ、苦しみ、辛さ、時には憎しみ。
そればかりが浮かんでいる時、
心の中の大部分を占めているように思ってしまう。
無理もないかもしれない。
だが、事実は違うのだ。

心の仕組みはズームアップ機能だ。
一つに焦点を当てると、自動的に大きくなってしまう。
大部分を占めてしまう。
星をみる望遠鏡みたいなものだ。

いろいろな星がある。
それは事実だ。
だが、一つに焦点を当てる。
見えるのは、その星だけ。
焦点を当てた時、他の星は見えない。

  差・7
6/11 (水)

望遠鏡を意識しなければ、見えるのは一つの星。
意識しなければ、それしか見えない。
見えるものだけが全てだと思い込む癖。
星は沢山、沢山あるのが事実なのに。

焦点を当てない意識の使い方もある。
仏教的には「無」とか「静」とかいうかもしれない。
この使い方は通常は難しいだろう。
訓練のようなものが必要だろう。
あるいは、向き不向きがあるだろう。

心は、何かに焦点を当ててしまう。
自動ズームアップだ。
それなら、その活かし方がある。
嫌なモノをズームアップすることはない。
好きなモノをズームアップすればいい。

  差・8
6/12 (木)

心は悲しみに引きずられる。
苦しみにとらわれる。
ネガティヴな方へと流される。
そういう癖を持っている。

嫌なモノより好きなモノ。
意思の力で思う事は出来る。
だが、一時的なのだ。
フッ、と油断するとネガティヴになる。
ネガティブな星をズームしている。

それでもいいのだ。
一時的でもいい。
ここは、意思の力でポジティブに。
続かなくていいのだ。
無理しなくてもいい。
何度も何度も挑戦すればいい。

  差・9
6/13 (金)

心の特徴はまだある。
心は軟弱なのだ。
何度も同じ事を繰り返す。
すると、癖を作ってくれる。

意思を使わなければネガティヴに流される。
つまり、ネガティヴ側の癖がついているのだ。
だからポジティヴの癖もつけられる。
誰でも明るく生きられるのだ。

ネガティヴに流されてもいいのだ。
そういう癖がついているのだ。
何度もポジティヴに向かえばいい。
次第にポジティヴの割合が多くなる。
次第にポジティヴに変わりやすくなる。
あきらめることはない。

  差・10
6/14 (土)

心は軟弱にして、アイマイだ。
勘違いも間違いも多い。
というか・・・
勘違いと間違いだらけだ。
とてもアテにならない。

人間は肉体がある。
肉体は正直だ。
嘘はつかない。
表面は心で左右できるが、奥は誤魔化せない。
心は嘘つきだが、肉体(生命)は正直なのだ。

嘘つきと正直。
どちらが主となる?
正直や素直に勝てるモノなど無いのだよ。
自然は嘘などつかないから。
ならば、肉体側からリードできる。

  差・11
6/15 (日)

心と肉体は影響し合っている。
だが主従はある。
肉体が主で、心は従だ。
精神世界を学ぶと、ここで間違う。
この世を仮の世界だとするからだ。

この世にいる時は、この世が主だ。
舞台の上で本名を名乗るのは、オッチョコチョイだ。
肉体から学ぶ為に、この世にいるのに。
肉体が師で、心はアホな弟子なんだぜ。

心が軟弱でも、肉体でリードできる。
肉体には言葉がある。
行いがある。
「思い」よりも行いが主となる。

  差・12
6/16 (月)

変える事が出来る。
それが「差」となる。
変わってしまう。
それも「差」となる。

流されて変わってしまうか。
自分でリードして変わるか。
時は常に流れている。
方向が違えば、大きな「差」となる。

心で変えるのは強い意志が必要だ。
例えばワシのような軟弱者には難しい。
だが、身体からなら、何とかなる。
言葉なら言える。
心は伴わなくていいのだ。

  差・13
6/17 (火)

心は名人だ。
勘違いをさせる天才だ。
だから、心で判断すると間違う。
思った事が事実だと判断する。
時には、真実だと判断する。

身体の声がある。
聞き取るのは難しくない。
心の声を聞かなければいい。
心を静めれば、自然に聞こえる。

身体からの声は間違いが少ない。
無い、わけじゃない。
だが、心よりも信用できる。
身体は偉大な存在から預かったモノだから。

  差・14
6/18 (水)

身体からの声。
聞こえればいい。
例え聞こえなくても方法がある。
身体は動かす事ができる。

心はどうでもいい。
心と裏腹の行動はできる。
行いが主となるのだ。
明るい行いにすればいい。
心は暗くてもいいのだ。

例えば、声。
声は言葉を出す。
心が暗くてもいい。
心に反して、明るい言葉は出せるのだ。
言葉は、状況を変える。
心も変える。

  差・15
6/19 (木)

良寛禅師。
というより、山寺の和尚さんの言葉。
「明るい言葉で生きようぜ」
この意味は大きい。
理屈じゃなく、生きていく深い指導だ。

辛い、悲しい、苦しい事は多い。
日常茶飯事だ。
心はそのままだと、暗い方向に流される。
といって、心をコントロールするのは難しい。

日常は毎日だ。
だから、少しの癖で大きく変わる。
方向が違えば、大きく変わる。
大きな差となる。
その癖付けに、明るい言葉はとても有効だ。

  差・16
6/20 (金)

明るいモノなら沢山ある。
最高に明るいモノ。
それは、太陽だ。
明るすぎて直視できない。

太陽の光を浴びる。
何時間も、何十分も浴びなくていい。
一瞬でもいいのだ。
光を感じる事ができればいい。

心が暗くても出来るはず。
光を浴び、感じる事は出来るはず。
そんなことぐらいで・・・
そんなことぐらいで、差が出るのだ。

  差・17
6/21 (土)

理屈を考えると暗くなる。
バカを言ってれば明るくなる。
社会的な評価など幸せの足しにならない。
言い過ぎた・・・
少しは幸せの足しになる。
多くは、その足を引っ張る・・・。

社会的評価は下がるが、バカを言う方が幸せに向かえる。
ノーテンキな(明るい)言行は一見役立たず。
役立たずも、全体から見れば役に立つ。
まぁ、明るけりゃ、何とかなる。
真実の言葉より、明るい言葉だ。

ポイントは「明るさ」だ。
明るけりゃ、何でもいい。
日と月で明るいなら、月もいい。
赤ちゃんは、明ちゃんだ。
明日は、明るいに決まっているんだぜ。

  差・18
6/22 (日)

「神を信じ、人を愛す」
故御師匠様の言葉だ。
神は宗教組織の唱えるモノとは違う。
「宗教(組織)は信じないが、神は信じる」
同じく故御師匠様の言葉だ。
宗教組織は人だからだ。

人は間違う。
嘘をつく。
迷う。
当たり前だ、人だもの。
至らない存在だ。
だから、信じる対象じゃない。
愛する対象だ。

神は完璧だ。
異を唱えられない。
だから、信じる以外に方法がない。
神とは、自然とかこの世の仕組みとか、そういうモノだ。
信じるモノがまだある。
明日(未来)だ。
明日も神の一部かもしれないが、ようわからん。
だが、明日を信じると、方向が定まる。
そこに差の分かれ道ができる。

  差・19
6/23 (月)

明日を信じる。
明るい日だと信じる。
信じる事に力を入れる必要はない。
信じ込む必要もない。

不安はある。
悩みもある。
悲しみも苦しさもある。
あるけど、明日もある。

明日は今日と違う。
意識出来なくても、違っている。
必ず変わっている。
明日を信じれば、明るい日の方向。
信じられなくても、明るいんだけどなぁ・・・。

  差・20
6/24 (火)

順風満帆な道のり。
そういう時期もあるだろう。
深く観れば、生きていれば全て順風満帆だ。
だが、心はそう思えない。

波が高いし、多い。
風が強いし、多い。
雨が激しいし、多い。
時には嵐や竜巻もある。

明るい方に向かっていても同じだ。
同じじゃないけど、同じに感じる。
差があっても、現象は似ている。
ここで、つい、迷ってしまう。
方向が違うのか。
あるいは、方向なんて最初から無いのか。

  差・21
6/25 (水)

明るい方向でもデコボコ道だ。
坂もあるし、イバラだってある。
雨も風も雪もある。
本当に、この道でいいのか?

いいのだ。
心が迷っても、する事は同じ。
明るい言葉、明るいモノ、明日。
心は迷うのが癖なんだ。
心をアテにしては、本当に迷うのだ。

道は最初からデコボコに創られている。
どんな方向の道もデコボコに創られている。
その体験を味わうように創られている。
どうせなら、明るい道のデコボコの方が面白いぞ。
その後の体験の深さが違うからだ。

  差・22
6/26 (木)

仮に「本当の道」があるとする。
そして、その道を歩いたとする。
それでも道は順風満帆に進めない。
いつでも、嬉しいばかりじゃない。
楽しいばかりじゃない。

明るい方向の道。
それでも辛い出来事はある。
悲しい出来事もある。
苦しい出来事もある。
だが、大きな差があるのだ。

乗り越える生命力の差がある。
喜べる深さの差がある。
愉しめる余裕の差がある。
信じる強さの差があるのだ。

明るい方向には、光がある。

  書けない話・1
6/27 (金)

雑記を毎日少しづつ書いている。
題さえ書けば、内容は勝手に出てくる。
自分で書いていても、なるほど、と思う事もある。
それは、それでいいのだが・・・

今までの経験や気づきがある。
その中で、書きたい事もある。
伝えたい事もある。
だが、それは書けない内容が多い。

伝えるのが難しいのだ。
一人一人の理解度が違いすぎる。
常識という認識とかけ離れている。
見えない世界の部分は誤解も多い。
少人数での直接話なら、何とかなる。

  書けない話・2
6/28 (土)

病の原因は様々だ。
単一の場合もあるが、複雑が多い。
単一だったのが、複雑に増える。
ほとんどの治療は原因を見つけて治療する。
だが、この方法だと困難になる。

しかも原因に対応できる治療ばかりではない。
例えば、霊障。
例えば、遺伝。
例えば、過去や未来の縁。

霊も遺伝も多種多様。
その性質も現れ方も多種多様。
霊は○○だ、と決め付けられない。
まして、そんなのウソだ、という人達も多いのだ。
ウソかホントか、なんてレベルの話などしたくない。

  書けない話・3
6/29 (日)

霊障の話は簡単に書けない。
実感した人の割合は結構多い。
ウソだと思っている人の方が少ないかもしれない。
だが、霊障を認めない人は攻撃的なのだ。

認めなくてもいいけど、何故か攻撃的になる。
様々な認識があるんだ。
他人の認識を攻撃しなくてもいいと思うけどなぁ。
科学教の信者に多いが、知識は決して多くない。
この世の大部分は不思議で成り立っているのだ。

霊障にも関係するが、「あの世」の話も書けない。
実証できなくても、ある程度はわかる。
わかる部分もあるのだ。
だが、中々書けないんだなぁ・・・
説明が多種になり、メンドウという事もあるけど。

  書けない話・4
6/30 (月)

いつか書かなければ、という気持ちもある。
ワシは義務感で何かをしたくない。
それでも書こうという理由もある。
だが、今はまだ書けない。

ワシの仕事は病気治しではない。
浅い意味の健康指導でもない。
故御師匠様の言葉を借りるなら
「人間、100年もすれば皆死ぬ」
治しても若返りをしても同じだ。

だが、
生きている間の質が変わるなら、
それは、とても、意味のある事になる。
何故生きているか、の意味になる。
深い意味の健康こそが、指標になるのだ。
その一部に病からの解放がある。

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