08年7月のコラム           コラム6目次に戻る
  書けない話・5
7/01 (火)

詳しくは書けない。
それでも伝えたい。

生きている間は、生き続ける事。
それが、どんなに苦しくてもだ。
自ら、
生をあきらめないで。

死んで楽になる、というのは勘違いだ。
とても大きな勘違いだ。
そんな事はない。
苦しみと悲しみが増すだけなのだ。

死んだら全てが消えるはずがない。
死んでしまったら、
苦しみから解放するチャンスが消えるのだ。
生きているから、解放のチャンスがある。

身体は、この世は、
理解、解放を学び、実践する場。
生きている限り、生きる。
生きとし、生きる。
生命の道は、それ以外に創られてない。

  書けない話・6
7/02 (水)

死に関しては、書けない。
いろいろあるが、書けない。
ワシは「生きる」事に関してが仕事だ。
だから、死に関して避けられない。
それでも、今は書けない。

ワシはノーテンキだと思っている。
そうでなくては、やってられない。
全て背負うほどの強さはない。
臆病なのだ。
それでも、ライフワークなのだ。

逃げる事などできない。
暗い方を向くわけにいかない。
辛くても、悲しくても、ノーテンキなのだ。
これでも、プロなのだ。

  書けない話・7
7/03 (木)

生命の活性化が仕事だ。
その方法は幾つもある。
方法には強弱がある。
相手により、向き、不向きもある。

ワシはナマケモノだ。
だから普遍的な方法を目指す。
一石十鳥、百鳥を目指す。
そういうのも、ある。

あるけど・・・
誰にでも使えるけど・・・
書けない。
言えない。

  書けない話・8
7/04 (金)

とても有効だが書けない話。
その一つに性関係がある。
当然、相手のとらえ方に違いがある。
それも、とても大きな違いがある。

性については無智が横行している。
だから誤解の程度も大きい。
誰でも興味があるけど誤解がある。
性は生と生命(精)と同じなのに。
更に聖に通じる通路なのに。

相手により話せるけど、書けない。
眠っているエネルギーもある。
書けば怪しい話になる。
常識や道徳を振り回す人は攻撃的になる。
何故、正しさを主張する人は乱暴者なんだろうねぇ。

  書けない話・9
7/05 (土)

回復しない病があるかどうか知らない。
だが、常識では回復しない病はある。
それが回復すると、奇跡だという。
科学的医学では不可能の部分。
そういう事実は幾つもある。

でも、それを書くわけにはいかない。
奇跡は日常で起こる。
だが、その仕組みは深く複雑だ。
簡単に結論に直結するのは誤解を招く。

奇跡を売り物にしたら怪しい商売になる。
幾つもの宗教組織も商売にするけど・・・。
そういう話は書けないのだ。
単純に期待されても困るし・・・。

  書けない話・10
7/06 (日)

不思議な話もやたらに書けない。
わけのわからん現象など幾つもある。
曖昧に濁して書くのがいいところだ。
マトモにとりあげたらメンドウだ。
突っ込み所が幾つもあるしなぁ・・・。

書けないが、話せる。
相手によるが・・・。
個人的や少人数なら話せる。
詳しくというわけにもいかないが。

氣功師などというのは、そうでなくても怪しいのだ。
故御師匠様は言った。
「出来るだけ普通にしろ。そうでなくても怪しいのだ」
目立たぬように振舞え。
どの道でも同じだろう。
目立たぬようにするのがプロだ。

  二つの世界・1
7/07 (月)

世界なんて二つきりじゃない。
無限かどうか知らないが、そのくらい多い。
だけど、幾つも書けばわけがわからん。
解りやすくするには、二つか三つがいいのだ。

人は社会的に生きている。
生活は社会の中で行われる。
例外は当然ある。
何にでも、例外はあるのだ。
例外をいつでも認めれば、余裕が出来る。

無人島か、極端に少ない人数での暮らしもある。
世界には、そういう一生を過ごす人達もいる。
だが、今の地球上の人類の大部分は社会的動物だ。
社会の中の個人として生活している。

  二つの世界・2
7/08 (火)

誰でも一つの世界は知っている。
毎日暮らしている世界だ。
それぞれが、それぞれの役目をしている。
それぞれの立場で暮らしている。

例えば、鈴木花子という名前。
鈴木家の嫁。
ダンナの一朗の妻。
二人の子供の母。
実家の両親は健在。
兄妹もいる。

近所の付き合い。
学校関係の付き合い。
昔の友達や知人との付き合い。
その他、諸々との関係。
社会の中の、鈴木花子さん。

  二つの世界・3
7/09 (水)

一日の大部分。
一年の大部分。
一生の大部分を過ごす社会。
社会の中で生活しているのは事実だ。
人類はほとんどが社会的動物なのだ。

その社会の中の鈴木花子さん。
生きていけるのは「はなこチャン」の生命。
鈴木花子さんの生命は社会の中にある。
「はなこチャン」の生命は「はなこチャン」の中にある。
つ、つい、忘れがち・・・
社会の中では、鈴木花子さんの生命は60億分の一なのだ。

大切な生命は「はなこチャン」の中にある。
その生命は、唯一だもの。
社会の中で暮らすには、生命が土台なのだ。
死んでしまったら、社会では暮らせない。
事実なのだが、忘れがち・・・

  二つの世界・4
7/10 (木)

社会という世界。
毎日のほとんど、この世界にいる。
行いのほとんど、この世界。
意識のほとんど、この世界にいる。

すると、この世界だけしか無いと思ってしまう。
自分の人生は社会の中にしか無いと思ってしまう。
ほとんど、では無く、全てだと思ってしまう。
この世界からの考え以外は出来なくなってしまう。

本来は社会から離れた夢の中。
その夢でさえ、社会を意識してしまう。
無意識界まで、社会意識が染みこんでしまう。
それは、良悪や正誤の対象じゃない。
だが、別の大切な世界を見落としてしまう。
世界は一つだけじゃない。

  二つの世界・5
7/11 (金)

自分が中心の世界。
エゴイスティックな世界と勘違いされそう・・・
エゴな世界は社会の中に自分を中心にした言動だ。
社会の中では、自分は60億分の1だ。
中心にはなれない。

自分が中心の世界。
それは、自分だけの世界のことだ。
社会という世界とは別な次元だ。
社会に持ち込んだら、エゴな関係になる。
そして・・・壊れる。

自分が中心の世界。
社会的感覚が無意識層まで染みこむと、
自分が中心の世界を持ってはいけないと思い込む。
生命は、自分の中にしかないのに・・・。

  二つの世界・6
7/12 (土)

自分だけの世界。
自分が世界の中心。
誰でも必ず持っている世界。
だが、誰でも意識しているわけではない。

自分中心の世界は持ってはいけない。
時には、そんな間違いさえおこす。
何よりも大切な世界なのだ。
社会と比べる事はできないが、
大切なのは、自分の世界だ。
社会は毎日暮らす世界だ。

しっかりと自分の世界を意識する。
そして活用する。
だが、社会の中に持ち込むのは間違いだ。
混合混同すると、不都合が生じる。

  二つの世界・7
7/13 (日)

生活は二つの世界にある。
一つは社会の中の生活。
毎日、アレコレ暮らす事だ。
様々な人やモノや機会に関わる。
様々と交流して暮らす事だ。

自分の世界の生活。
生命を活かす事だ。
これが、自分だけの世界の存在理由だ。
生命を活かす為にある世界。
それが、自分だけの世界だ。

他との交流もあるが、
それは、生命を活かす為の交流となる。
社会的な交流ではない。
自分の生命の為の交流だ。
自分だけの世界は、自分の生命の世界だ。

  二つの世界・8
7/14 (月)

社会的に暮らすのが生活。
生命を活かすのが生活。
どちらも大切な生活だ。
だが、ほとんど社会的生活しか意識していない。

時々、精神世界にも関わる人達がいる。
世界的には宗教に関わってない人の方が少ない。
宗教といっても、宗教組織がほとんどだ。
組織は人がしている、社会的な構造だ。
そこには、ドロドロした欲望がうずまいている。
一般社会と何ら変わり無い。

宗教心と宗教組織に関わる事を混同する。
善男善女は信者となる。
平たく言えば・・・騙される・・・。
組織側の人になる。
平たく言えば・・・騙す側になる・・・。
(言い過ぎですね、反省しています・・・)

  二つの世界・9
7/15 (火)

宗教に関わる。
それは社会生活だ。
関わる組織が利益を上げる。
時には選挙にも関係する。
法人という社会組織だ。

宗教組織に関わる事。
それが精神世界になるかどうかは疑問が多い。
精神世界を売り物にしてはいるが・・・。
精神世界とは縁遠い組織がゴマンといるだろうなぁ。

精神世界。
それは生活ではない。
日々暮らす世界はない。
また、生命を活かす世界でもない。
少々、ヤッカイな世界だ。
とりあえず・・・
二つの世界には入れてあげない。

  二つの世界・10
7/16 (水)

精神世界は「第三の世界」だ。
生活に関与しない。
生命に直接関与しない世界だ。
だから、あの世にいってから勉強してもいい。

この世にいる事。
それは精神世界より大切な世界だ。
ここを勘違いすると、人生を無駄にする。
この世の存在意味は精神世界ではない。

精神世界は大切だ。
本当の世界という言い方もある。
だが、この世は舞台世界だ。
舞台上は舞台用の世界なのだぜ。
精神世界はこの世では二の次なのだ。

  二つの世界・11
7/17 (木)

この世で大切なのは生命。
生命の深さ広さを知るのが、この世。
知るのは頭ではなく、体験だ。
その為の肉体だ。

精神や魂など、肉体外で勉強できる。
この世は肉体を通して体験する場だ。
生命を大切にすると、観えるモノがある。
生命を大切にするのは、行いだ。
知行一致とはいえ、行が主になる。

生命を活かす。
生活する。
それに関わる「二つの世界」
自の世界と他(社会)の世界。

  二つの世界・12
7/18 (金)

自の世界。
例えば「はなこチャンの世界」
はなこチャンの生命だけの世界。
他の生命は関係ない世界。

生命は意識されると活きる。
そういう風に創られている。
大切にされると活きる。
愛されると活きる。

生命の質は愛といってもいい。
生命即神。
そういう表現もある。
愛するも愛されるも同じだ。

  二つの世界・13
7/19 (土)

愛、などというと曖昧になる。
何よりも、少し胡散臭い・・・。
それでも、生命=愛=神という方式は成り立つと思う。
易(優)しい表現なら、大切に接する行為と思い。
少し深くするなら、敬虔な行為と想い。

自分の生命。
それは肉体にある。
魂も関係するが、脇役だ。
自分の肉体を大切にする。
難しい事は何もない。

自の世界は肉体を大切にする世界。
メンドウな規則も法則も無い。
気を使う相手も無い。
肉体を優しくするだけだ。
それが、自の中にいる神を敬う行為となる。

  二つの世界・14
7/20 (日)

自の世界。
自分の心の世界ではない。
ここは勘違いしやすい。
自分の生命の世界だ。

心は複雑で不安定で流動する。
そんなモノを中心にしたら困難だ。
それに、心はネガティブに傾く癖がある。
せっかくの自分だけの世界だ。
苦しみや悩みなど、持ち込む世界じゃないぜ。

生命が活性する場だ。
喜びや愉しみや気持ち良さの世界だ。
つまり、幸せの場だ。
社会的な幸せとは違う。
生命的な幸せさ。

  二つの世界・15
7/21 (月)

生命の幸せの世界。
生命が喜ぶ世界。
生命が活性する世界。
それが「自の世界」だ。

社会的な世界では生命は消耗する。
様々な人達や出来事に生命力を使う。
生命を使って暮らす。
他との係わりで生きるのは、そういう事だ。
喜びも楽しみも含まれるが、消耗もするのだ。

通常の人生は「社会的な世界」にある。
社会的な世界だけが、世界だと思ってしまう。
だから、人生も社会的な世界だけだと思ってしまう。
だが「自の世界」も人生の大切な部分だ。

  二つの世界・16
7/22 (火)

表の世界と裏の世界。
あるいは地上の建物と土台。
見える部分と見えない部分がある。
公の部分と非公表の部分がある。
(注:裏は闇ではない)

生きているモノは二つの世界がある。
表を支えるのは裏の部分だ。
見えるモノと見えないモノ。
意識を支える無意識の世界。

自の世界は裏の部分。
闇でも秘密でもないが裏の世界。
表の社会的世界を支える。
二つの世界は一つの世界。

  二つの世界・17
7/23 (水)

裏という意味。
秘密というのとは違う。
闇でも非合法とも違う。
表ではない、という意味だ。
裏の中に秘密や非合法も含まれるが、裏自体ではない。

自の世界は、裏の世界だ。
表の社会世界ではないからだ。
表に出す世界ではないからだ。
究極の個人的世界だからだ。
他の誰とも関わらない世界だ。

その裏の世界で生命は活性する。
表の社会世界では生命は消耗する。
程度の差はあるが、表では消耗するのだ。
裏で活性した生命を表で使う。
表で充分に使えるように裏がある。

  二つの世界・18
7/24 (木)

表の世界で自己主張する。
出世やら成り上がる方法かもしれない。
主張が歪むと、事件になる。
「注目されたかった・・・」

表の世界は社会の世界。
更に広げれば、多種多様のモノ達の混合世界。
主張して幸せにはなれない。
調和して幸せになる世界だ。
肩書きや目にみえる富は得られるかもしれない。
だが自己主張は、幸せになれない方法だ。

存在の認識が生命を活性する。
だが、それは表の世界ではない。
人間だけでも60億もいるのだ。
60億分の1の存在だ。

  二つの世界・19
7/25 (金)

究極の自分の存在の認識。
それは、自の世界だ。
何しろ、自分だけの世界だもの。
1分の1の存在だ。

自分が主役の世界だ。
生命は喜ぶさ。
肉体を大切に扱ってくれる。
生命は活性する。

二つの世界ではあるが、肉体は一つ。
生命は共通。
活性した生命を社会的世界で使う。
消耗した生命を自世界で甦らせる。
二つの世界は一つの世界となる。

  二つの世界・20
7/26 (土)

自の世界にいられる時間は少ない。
24時間の大部分は社会的世界で過ごすからだ。
だが主体が社会的世界にあるわけじゃない。
どちらの世界でも、主体は同じ生命だ。

少ない時間だからこそ、活かせる。
時間を活かせる。
行いを活かせる。
意識を活かせる。
自の世界は大切に生き、活かせる世界だ。

その時間で行う事。
肉体を喜ばす。
悦ばす。
慶ばす。
肉体は魂に直結しているのだ。
心は影響あるが、直結していない。

  二つの世界・21
7/27 (日)

愛する方法で、より深い(高い)生き方が出来る。
深い生き方とは、狭い生き方ではない。
生真面目な生き方でもない。
その逆だ。
ゆるやかで、愉しく、楽な生き方になる。

だが、他を愛するのは困難が多い。
多くの宗教が薦める方法は、困難なのだ。
だから、実行できる人は限られる。
(宗教は詐欺みたいだ、という理由の一つだ)
当然、不良のワシやアナタは無理だろうなぁ・・・。
(アタナ、そこかしこのウロウロする人達を愛せます?)

特定を愛するのは「愛」とは違うぜ。
それは、自分の好みだからだ。
それは「自分勝手」であり、愛じゃない。
我が子だけ愛する・・・
恋人を愛する・・・
ネコ、イヌを愛する・・・
それらは・・・自分の好みの事柄だ。

  二つの世界・22
7/28 (月)

社会には好きな相手も嫌いな相手もいる。
好みのモノも苦手なモノもいる。
子ネコは好きでも、蛇や毛虫は嫌い・・・。
愛するというのは、条件を付けない行為と思いだ。
だから、とても、難しいだろ。

自の世界は自分だけ。
愛する事が出来る世界だ。
他はいないのだ。
たった一つでいい。
それも肉体でいい。
心や魂などとアイマイな相手でなくていい。

社会的世界だろうが、自の世界だろうが愛せば同じだ。
細かい事、気にするな。
少なくても「社会的世界で愛せない」と落ち込む事はない。
自の世界で愛すればいいのだ。
二つの世界は、一つの世界の一部だぜ。

  二つの世界・23
7/29 (火)

自を愛する。
それは全てに繋がっている。
だが、社会的世界で自を愛するのは危険だ。
社会的世界は自他が同等なのだ。
自分だけ愛するなんてのは自分勝手なのだ。

社会的世界で全てを愛するのは困難。
ほぼ、不可能に近い。
例外的に可能の人もいる。
ブッちゃん(仏陀)やキリちゃん(キリスト)クラスだ。
ダライ・ラマ法王や故マザー・テレサのような人だ。

だから社会的世界では愛さなくていい。
調和さえ、心掛ければいい。
自他の調和だ。
適当に、愛したと勘違いしていればいい。
生真面目に愛するのは、無謀というものだ。
愛する世界は別にあるのだ。

  二つの世界・24
7/30 (水)

愛する、という意味を
「まぁ、いいかぁ」とする。
認める、許す、受け入れる、という意味だ。
これなら社会的世界で愛する事ができる。
当然、自分も含めて、人は愚かだもの。
まぁ、いいかぁ・・・

愛する、という意味を
「とても可愛い、愛おしい」とする。
これは好みの対象以外は無理だろう。
社会的世界では、可愛くないヤツが多すぎる。
これでは社会的な世界では愛する事はできない。

自の世界。
自分だけの世界なら
愛おしい、という意味でも出来る。
誰でも自分が愛おしいのは基本なのだ。
それに気づかない人もいるが、例外は無い。
自分が愛おしくなければ、この世に存在できない。
当たり前なんだなぁ。

  二つの世界・25
7/31 (木)

自の世界は生命を活性する世界。
肉体も心も魂も活性する。
だが、アプローチは肉体だ。
見えない精神を相手にすると迷う。
迷いは生命力を減少させてしまう。

精神世界は直接進む世界じゃない。
直接相手にすると、迷うのだ。
落とし穴に落ちるのだ。
幻を追いかけてしまう。
大抵は、誰かの言葉に踊らされる。

精神世界は自分の言葉じゃないもの。
いつでも、受け売りの世界だ。
そこで生命が活性するはずない。
生命の活性なくして、精神の浄化はない。
その為に、この世は肉体(物質・色)界なのだ。
こんな、当たり前にさえ、気づかずにいる。

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