03/01 (日)
「こだわらない」とはどういうことだ?
執着しないから、苦しみが少なくなる。
苦しみは「こだわり」から生まれる。
苦しみを無くしたり、少なくする方法を示した。
経では「無」という字で表現した。
だが、そんな消極的な意味だけじゃなかった。
苦しみが無くなる目的だけじゃなかった。
ブッちゃんは、もっと明るい方法を示したのだ。
もっと楽になる方法として話したのだ。
こだわらない。
関心事が少ない。
あるいは無い。
そんな固定概念があった。
逆だ。
「こだわらない」と関心事が広がるのだ。
「無と空」・7 |
03/02 (月)
関心は「こだわる」と狭くなる。
「こだわらない」と広くなる。
「関心」を「愛」又は「博愛」と置き換える。
「知」=「愛」でもある。
「知りたい」は「愛したい」の一面だ。
優れた人達と会った。
共通点がある。
こだわらない。
優しさが広い。
当たり前だったのだ。
「こだわらない」から「広く優しい」のだ。
「こだわらない」から「深く優しい」のだ。
初めて会うモノにも深く愛せるのだ。
| |
「無と空」・8 |
03/03 (火)
「こだわるなよ」
ブッちゃん(仏陀)は言った。
苦しみを少なくするだけじゃない。
自然な博愛心は暮らしを楽にする。
超優れたオッサンだ。
一石で幾鳥も得る方法を伝えた。
「こだわらない」
すると馴染んでしまう。
違和感が無くなる。
自分と違う意識と対立しない。
自分が無くなるわけじゃない。
対立、そして争いが無くなるのだ。
違うモノと馴染む。
それは、とてつもなく凄い能力だ。
そして、それは、誰にでも可能だ。
新たな能力を身につけるわけじゃない。
持っている「こだわり」を放すだけだ。
| |
「無と空」・9 |
03/04 (水)
ワシは心経で「無」を「こだわらない」と訳した。
だが、その時点では「無」が「愛」とは気づかなかった。
ワシは「愛」を使うのに躊躇いがある。
テレかもしれない。
某宗教関係者が多用するから、抵抗があるかもしれない。
「愛」を強調すると胡散臭くなる・・・
「愛」の固定概念があった。
美しい、素晴らしい、魂の浄化、等々。
正面から言われると・・・胡散臭い・・・
キレイ事しか言わない人は信用おけない。
愛とは「こだわらない」事。
こういう視点に気づいた時。
又もや、目からウロコが剥がれ落ちた。
ワシ・・・ウロコだらけの半人間だぁ〜
| |
「無と空」・10 |
03/05 (木)
「神を信じ、人を愛す」
故御師匠様はそう言った。
宗教(組織)は信じないが、神は信じる。
そうも言った。
ワシもそう思う。
神という存在や認識は、信じる以外に選択肢が無い。
人間の段階で何も言えない。
だが、宗教組織は人間だ。
宗教関係者は人間だ。
普通と同じ・・・
間違いや勘違いや陰謀や欲望の塊だ。
だから「人を愛す」と続く。
人は不完全で未完成で欠陥品だから愛すのだ。
人を信じるのは無謀。
だが、人を愛せぬのは不幸だ。
| |
「無と空」・11 |
03/06 (金)
好きな相手なら愛せる。
嫌いな相手は愛せない。
好きな相手や好きな出来事だけなら問題ない。
苦しみや悩みは好きじゃないモノとの摩擦だ。
相手に合わす。
自分に合わす。
どちらも難しいのだ。
それぞれに心があり、都合がある。
といって、無関係にもなれない。
だから悩み苦しむ。
「こだわらない」は無関係ではない。
関係を続けるためのスーパーグッズだ。
特に合わさなくても摩擦はおきない。
お互いが違っても摩擦にならない。
| |
「無と空」・12 |
03/07 (土)
「こだわり」は他だけじゃない。
自分の内でも苦しみとなる。
自分で自分を絞めているのだ。
こうしなくてはならない。
こうであるべきだ。
自分の内の心。
正しい心を贔屓する。
清らかさを求める。
そこには強い「こだわり」がある。
「こだわり」は苦しみを生む。
内容が正しくても清くても関係ない。
こだわれば、苦しむのだ。
自分の心を観てごらんよ。
正誤や正邪だけじゃない。
多種多様で矛盾するモノが混同している。
雑居、混交、乱交状態だ。
それが、事実なのだ。
| |
「無と空」・13 |
03/08 (日)
心をコントロールする。
それは支配することじゃない。
強い意志を持つことじゃない。
そんなことをしたら、苦しむだけだ。
心は統制されるのが嫌いなんだぜ。
基本は「こだわらない」事だ。
ブッちゃんは心経でそれも示した。
「無」という字で表した。
「こだわらない」は自他に通用する。
ということは、全てに通用するウルトラグッズだ。
ある意思に心を動かせ、というのは難しい。
根性のある人は出来るかもしれない。
プラス思考に、正しく、勇気をもって・・・
理屈では、そうかもしれない。
だが、心は理屈や理論で動かないモノなのだ。
| |
「無と空」・14 |
03/09 (月)
理性で心をコンロロールしようとする。
心の中には理性もある。
だが、人間の理性は顕在意識にある。
(自然の理性と人間の理性は一致してない)
心の大部分、源は潜在意識にあるのだ。
理性で動けるのは一部だけだ。
生命が心の源だ。
生命は(人の)理性で動かない。
生命は自然の摂理で存在している。
コントロールという概念から外れているのだ。
生命が最も良い状態。
それは力を抜いた時。
理性や感情から離れた時。
それを「無」と表現した。
意味は「こだわらない」だろうな。
| |
「無と空」・15 |
03/10 (火)
ブッちゃん(仏陀)は心のコントロールを示したのじゃない。
もちろん理性を強調するはずもない。
勘違いされやすいが、悟りが目的でもない。
楽に生きて欲しいから伝法したのだ。
生きとし生けるモノ達、幸せに生きて欲しいのだ。
その為の最高最適のグッズ。
それが「無」というやつだ。
誰でも使えるグッズだ。
超優しい偉人だぜ。
差別などしないさぁ。
「得る」のなら条件がいる。
例えば理性とか、能力とか。
だが「手放す」には条件がない。
誰でも基本的には可能なのだ。
| |
「無と空」・16 |
03/11 (水)
何も無い状態にする。
そんな事は不可能だ。
ブッちゃんは無理を言わない。
だから「無になる」わけじゃない。
「無」ってのはよぉ
「こだわらねぇ」ってことさ。
多少はしょうがねぇ。
「強く、こだわらねぇ」
これなら、出来るだろ。
意見が違う。
思いと違う。
予想と違う。
まぁ、違うのは当たり前かぁ。
こだわらなけりゃ、何とか方法はあるさ。
| |
「無と空」・17 |
03/12 (木)
「こだわり」は幾つもある。
一つ一つを捨てていく。
時には、まとめて捨てることも出来る。
中々捨てられない「こだわり」も有る。
有っても当たり前。
捨てなけりゃいけないわけじゃない。
力を抜くと、こぼれ落ちる。
力や頭で捨てるわけじゃない。
楽に気楽に自然に、こぼれるのだ。
少しづつ「こだわらない」部分が増える。
その分、苦しみや悩みが少なく小さくなる。
苦しみや悩みは解決しなくてもいいのだ。
自然に小さくなり、自然に消えるのだ。
| |
「無と空」・18 |
03/13 (金)
ブッちゃんは正しい生き方を示したわけじゃない。
楽に生きられる方法を示したのだ。
それは個であり、自の範囲だった。
ところが、それだけじゃなかった。
ワシは個と自の範囲しか観ていなかった。
ブッちゃんは全体を観ている。
全体は個と自を含む。
そして、自と他を全体として話した。
自と他の関わり方。
ここに、もう一つの大きな意味があった。
「無」は個や自だけじゃない。
他との関係に大きな意味を持つ。
それが・・・いわば「愛」ってヤツだ。
「無」は「愛」の側面であり、方法でもある。
| |
「無と空」・19 |
03/14 (土)
ワシは「愛」ってヤツは個の内のモノだと思っていた。
社会通念や愛の説明も同じだ。
心の中、あるいは魂の土台。
だが、愛ってヤツは、そんな小さなモノじゃない。
個人の心や魂にある、というのは一面だ。
愛も持つ。
愛を育む。
愛が生まれる。
こういう表現で固定概念化していた。
自と他の間にあるもの。
そういえば、嘗てワシは独善辞書を書いた。
その中で「愛はアイダ」という迷言をいっていた。
ワシの書くものはワシの中に無いことが多い。
手が勝手に書いてしまうからだ。
愛はアイダ(間)・・・
何年も前に、指摘していたのに・・・
| |
|