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「無と空」・37〜48
04/01〜04/12

調和は静的な状態ではない。
常に変化している。
あらゆる状態に対応している。
ミクロからマクロまで変化し続けている。

人間の尺度でとらえきれない。
言葉で書けば「調和」だ。
だが、その内容の大きさは表現できない。
一つが万物に対応する変化。
そんな複雑は、考えられない。

「調和」は超複雑な動きだ。
原子の先、クォーツの先から宇宙全体まで。
非物質から超大物質まで。
その全てが変化する様子が調和だ。

「愛(無)」は静的な状態だ。
何もこだわらない。
だが「調和(空)」は動的状態だ。
一瞬たりとも止まらない。
常に変化をし続けている状態だ。

静と動。
だから、この二つはお似合いの愛人同士。
お互いがピタリと合う。
アナタがいるから私がいる。
いいかげん、の空。
こだわらない、無。

常に変化してくれるから、
何事にもこだわらないで生きていける。
なんて、この世界は上手く創られているのだろう。
きっと、ブッちゃんは感激したに違いない。

この世の仕組みに感激したブッちゃん(仏陀)
。 感激は誰かに分けるモノ。
素敵は誰かに分けるモノ。
幸せは誰かに分けるモノ。

ブッちゃんはそれを伝えた。
それが仏法の始まりだ。
最初は鳥やケモノや妖怪だ。
それらに解るように話した。
だから優しく、易しい話だ。

そのうちに、人も聞くようになった。
だって、聞いていて気持ちいいもの。
そう、聞いて、気持ちよくなるのが基本だ。
理屈で謎だらけになる教えなどはニセモノなのだよ。
規律を押し付け、心を縛る宗教の教えはニセモノなのだよ。

各宗教組織が言う言葉。
真実の言葉・・・
マジメで正しくて聖なる魂で・・・
そんな話は一部のマニアしか受けないぜ。
懸命に暮らしているモノ達の手助けにはならない。

ワシは知っている。
綺麗事を声高に言う人の心。
正しさを主張する人の心。
自分で言うほど反比例するんだな。
綺麗事人のドロドロ心を知っている。

まぁ、それも趣味ならいい。
だけど万人に押し付けるのは迷惑だ。
綺麗事は、苦しみを軽くできない。
まして、無くす事などなど。
心の底で、苦しみを増やす事は出来る。

心は基本的にロクデナシなんだ。
それを認められない人が多い。
綺麗事で心を従わせようとしても無理。
苦しみが増してしまうのだ。
(こんな事実でさえ、認めようとしない人が多い)

だから、心は優しく扱うのだ。
ロクデナシだから可愛がるのだ。
だから、慈悲というのが必要なのだ。
立派な心なら、何も必要ないぜ。

自分の心は認める事が出来る。
簡単でなくても、出来る。
だが、他の心は認め難い。
理解出来ない事だらけだ。

この世は、一つの自と膨大な他との共存世界。
だから他の心との付き合い方が鍵となる。
そこを「無(愛)」という方法を示した。
「こだわらない」という方法を示した。

すると「空(調和)」も活きる。
「無」は「空」を活かす。
「愛」は「調和」を促すのだ。
無と空は、深く結ばれた愛人同士だろ。

「いいかげん(空)」だから「こだわらない(無)」
色界(この世)は「いいかげん(空)」に創られている。
この世(色)は調和(空)で創られている。
色即是空、とは、そういう意味だ。
だから、生き方と活かし方は「無(愛)」となる。

「空」は、この世の構成要素。
この世は見える世界と見えない世界が重なる。
物質的な構成要素だけではない。
構成する働きのことだ。
構成する法則というと、何か違和感がある。

法則は法則に縛られてしまう。
だが「空」は一切縛られない。
つまり法則という範囲を超えている。
実相界という表現も違和感がある。
全てが実相界なのだから。

大きな意味で「調和」ならピッタリする。
この世は「調和」で成り立つ。
あの世も「調和」で成り立つ。
「調和」以外で成り立つものは無い。
それは存在できないからだ。

調和出来ない。
すると壊れ、消える。
それは心でも物質(肉体)でも同じだ。
調和によって、存在できる。

調和が歪む。
すると、不調和になる。
苦しみ(心)や病(体)となる。
だが、修正すればいい。
調和すれば、回復する。

回復とは、調和を目指す事なのだ。
末端の心や体は、その結果として回復する。
調和を目指さないで回復はありえない。
調和の意識が、病からの回復の鍵となる。

調和(空)の意識が先。
だから「色即是空」が先。
意識があるから行いができる。
どう生きるかがわかる。

続いて「空即是色」の言葉となる。
同じ意味を続けたわけじゃないぜ。
生き方を説いたのだ。
「調和すれば、苦しみが減るさ」

苦しみからの脱却を説いたのだ。
これを言いたかったのだ。
心配するこたぁねぇ。
大丈夫だ。
方法はあるんだぜ。

色即是空
この世(色)は調和(空)が存在となる。
空即是色
上手く調和(空)すれば、現状(色)も上手く変わる。
その方法は無(愛)だ。

だから(是故)空中無色無受想行識だぜ。
この世(色)も心の中(受想行識)も愛(無)だ。
更にブッちゃん(仏陀)は、無の具体例を話した。
「こだわらない(愛)」という生き方を話した。

キリちゃん(キリスト)は、もっとメンドクサガリ屋だ。 あの格好を見ればわかる。
「全て愛!」
「全て、こだわりなさんな」
まぁ、シンプルって言い方もあるなぁ・・・

超偉大な人達はシンプルだ。
複雑な事は言わない。
難しい話はしない。
当たり前だ。

誰を想って話している?
弱い人、困っている人、苦しい人。
難しい言葉なんて縁が無い人達。
だから優しく、易しく。

いいかげんな世の中だぜ。
そして、多種多様なモノ達が同時に生きている。
いろいろな考え方があるんだ。
何かに、こだわっても無駄だ。
変わってしまうから。
だから、こだわらない、って生き方だ。
それが、無(愛)ってヤツだ。

超偉人達の言葉。
実際は、もっと易しかっただろう。
あまり話さないかもしれない。
笑顔でいただけかもしれない。
それで、内容は通じたろうなぁ。

文字にすると無と空。
愛と調和。
全てに通じる生き方。
全てに通じる仕組み。

経文ってのは、凄いものだ。
難しく探れば狭くなる。
易しく観れば、解ける。
超高僧達はイタズラ好きだぜ。

  たまには・1〜18
04/13〜4/30

ワシの独善雑記は基本的に日常を書かない。
時事も意識して触れない。
私的近況も書かない。
ワシなりの方針でもある。

だが「軟弱な心」擁護派の一人親方党首だ。
決意など、すぐ変わる。
心など、すぐ折れる。
へこたれるのは、趣味に近い・・・

たまには・・・
ワシの氣功師としての近況でも・・・
でもなぁ・・・書き難い面も点もあるんだ。
ワシはその他では我田引水大好きだ。
だが、本業の氣功療師としては腰が引ける。

書き難い点、その一。
雑記上では不マジメ、根性無し、スケベなオッサンだ。
理想のタイプに高田純二というタレントがいる・・・
目指すほどじゃないけど・・・

何度か書いているが、この氣功はワシ自身のモノじゃない。
氣功モードになると、ワシが隅っこに追いやられてしまう。
そして、空いたスペースに「(ある種の)氣」が勝手にのさばる。
ワシの不マジメや根性無しや愛しいスケベは小さくなってしまうのだ。
不本意だが自動で変わってしまうから、致し方無い。

ワシも様々な欲がある。
アレやソレやあんな事の欲だってあるのだ。
それなのに・・・あぁ、それなのに・・・
この「氣」は無情にも、欲を動けなくさせるのだ。

氣功モードはワシじゃない。
だが外見はワシだ。
心もある。
思うように動けないだけだ。

本来のワシとは違う。
マトモなのだ。
10時間でも同じ姿勢で氣功する。
本来のワシなら、そんな根性が無い。
だが他人は、そこまで見抜けない。
マトモだと思ってしまうだろう。
それが、不本意なのだ。
ワシは、不マジメないいかげん者だぁ〜!

もちろん矛盾した思いもある。
24時間の氣功。
寝ている時も無意識で。
目指すモノの一つだ。

そうなると24時間マトモになる。
24時間不マジメも目指したい。
心なんて、そんなものだ。
矛盾だらけで出来上がっているのだ。

ひょっとしたら・・・
矛盾した二つが合成できるかもしれない。
最近はそう期待している。
その仕組みはある。

相対するモノ達。
それらが一緒に生きる地球。
これは理屈でなく、事実だ。
ならば、何とかなるだろう。

ミクロに観れば、争いはある。
だが、マクロでは60億年も続いている星だ。
調和という力が働くからだ。
それが無ければ破滅消滅しているだろう。
この世は調和で成り立っている。

それは物質でも考えでも同じだ。
上手く調和できればいいことだ。
矛盾くらいで諦めるこたぁ無ぇ。
マトモとマジメ。
結構似ていると思わないかぁ?

調和の正体。
それは・・・いいかげんだ。
般若心経的な表現では「空」だ。
相対するモノ達の調和法。
いいかげんにやれば、何とかなるものだ。

いいかげんは不マジメだけじゃない。
マジメも内蔵しているのだ。
マジメと不マジメの同棲。
世間じゃ昔からよくある話じゃないか。

ならば、どちらのワシを紹介しても同じだ。
誤解など、最初から問題にしていない。
ワシはこの仕事に入ってから解った事がある。
誤解されても、言い訳はやめよう。
誤解を解くのは、とても厄介だ。
解る人には解るものだ。

そういう訳で(どんな訳だぁ?)たまには・・・
氣功時は冥想状態に近い。
普段では気づけない事が自然と解る。
解っても記憶できるわけじゃないけど・・・

それでも少しは残っているモノもある。
生命力に関して、気づく事が多い。
生命って・・・凄い・・・
説明は難しいけど・・・

ワシの「氣」じゃない。
思い通りにならない。
ある程度は思い通りにもなる。
どう説明しようかなぁ・・・

消防車がある。
ホースが付いている。
湖や海に繋がっている。
水は無限かどうかわからない。
だが、必要な量には充分ある。
無限といってもいいだろう。

必要な方向に水を出す。
出口のホースを持つのはワシだ。
水はワシの水じゃない。
ワシのホースでもない。
ワシの個人的ホースもあるが・・・
小っせぇ(小さくても使える・・・)

水が「氣」だ。
扱うのはワシだ。
方向を決めるのもワシだ。
だが、水は勝手に振りまかれる事もある。
完全にコントロールはできない。

水が必要な相手がいる。
消して欲しい火かもしれない。
潤いが欲しい木かもしれない。
咲きたい花かもしれない。

回復・健康・若返り。
目的は様々だろう。
水を必要としているのは一致している。
求められれば、その方向に水を出す。
だが、作用は水まかせだ。

ワシの水じゃない。
水の作用もワシが決められない。
自動的に必要な作用になるようだ。
水は変わらないが、作用は様々だ。

何故か水を扱える役目になった。
水は素晴らしいが、ワシは素晴らしくない。
これは自信がある。
扱うモノが上等でも、本人が上等とは限らない。
むしろ、負けているケースが多いかも・・・

例えば音楽。
誰もが認めるモーツァルト。
音楽は素晴らしい、が・・・
絵画も同じ。
演技も同じ。

心は勘違いが得意だ。
いわゆる「成功者」が偉そうな言葉を言う。
成功の法則・・・
幸せの法則・・・
諸行無常という言葉を忘れて・・・
謙虚とか無知とかいう言葉も・・・

同波動は共鳴する。
素晴らしいモノに縁がある。
だから、私も素晴らしい・・・
平気でそう言う人もいる。
まぁ、言うのは自由だ。

世のため人のために尽くす。
すると結果が付いてくる。
そうして私は巨万の富を築いた。
アナタ方も私のように努力しなさい。
すると成功しますよ・・・
まぁ、言うのは自由だ。

成功かどうか知らないが、う、羨ましい。
だが、そこまで厚顔になれない自分が残念・・・
つ、つい、口が滑ってしまう・・・
素晴らしいモノとロクデナシが同居する世界だ。
同棲し、時には夫婦や恋人にもなる。
なんて、素敵な世界だろう・・・

この世はロクデナシのワシでもラッキーがある。
ありうる。
低級なワシでも高級と巡り会う。
会うこともある。

波動の法則は本質論。
この世は物質(肉体)界だ。
物質は広範囲の波動に対応できる。
この世の存在理由だ。
多種多様なモノ達が共存する世界だ。
だから、本質論は机上論となる。

そもそも、人間の形で高級は無いでしょ。
高級もあるけど、同時に低級も内蔵しているでしょ。
心はこの世界に対応している。
多種多様なモノを同時に合わせ住んでいる。

この世は高級と低級の同棲の場。
ならば、ワシだって世界と同調している。
高級(かどうかは知らんが)な「氣」と低級なワシ。
お似合いのカップルじゃないかぁ。

「氣」がマトモだから、ワシだって意識する。
バランスをとるためにも、ワシは下品を心がける。
それでも勘違いする人がいる。
「先生が立派だから・・・」

違う!って言ってるのに。
ワシは謙遜も虚栄もメンドウだから・・・。
ワシはワシのワガママで仕事をしているのだ。
「氣」がマトモなのは否定しない。
だが、ワシがマトモというのは否定するぞ。

高級と低級だから「氣」が合う。
同波動にこだわっては解らない話だ。
ブッちゃん(仏陀)は誰も贔屓しない。
が・・・八っつぁんや熊さんは好みだと思う。
八っつぁんや熊さんもブッちゃんは好きだろう。
相思相愛ってヤツだ。

好きなら相手がナニモノだろうが関係ない。
平民が王女を好きになる。
王女が奴隷を好きになる。
別に問題無いし、よくある話だ。

神様に繋がったから、自分も高級・・・
それは、かなり勘違いだと思うぞ。
よくいる教祖や教祖になりたいタイプの人達。
そして、成功者といわれる商人タイプ(経営者)。
つ、つい、立派な言葉ばかり並べてしまうんだよねぇ・・・。

最近起きた氣功の話を書こうとしたのに・・・
前振りが長くて、もう、どうでもよくなった・・・

時々、不思議な事が起こる。
い、いや、特別不思議とも思わない。
でも他に表現がないから・・・不思議でいいや。
常識的からすれば、ワシの仕事は不思議だけで成り立つ。

TVとか映画のSF場面。
手から雷みたいなエネルギーが出る。
相手の物が壊れる。
人が倒れる。
基本的には破壊エネルギーが多い。

それに似ているモノが出る。
こ、これ、スゲェ!
もちろん破壊エネルギーじゃないぞ。
ワシは再生回復系しか扱えないのだ。

「氣」が出る感覚。
それを受ける感覚。
相手の「病の氣」の感覚。
もちろん、それぞれが違う。

感覚を伝える事は難しい。
15年間、そういう感覚と付き合ってきた。
毎日付き合ってきた。
決して飽きない。
ワシは人間よりも「氣」が好きなようだ。

本妻も愛人もいつか飽きるかもしれない。
だが「氣」は飽きない。
飽きるはずがない。
今でも、わけがわからない相手(「氣」)だ。
未知なる相手を毎日感じる事ができるんだぜ。
ワシは、とても、幸せ者なのだと思う。

故御師匠様が言った。
「「氣」の事はわかねぇなぁ・・・
ますます、わからなくなるなぁ・・・」
本当にそうなのだ。

少し解ったつもりになる事はある。
あぁ、この「氣」はこういう性質があるのだな。
だが、「氣」はその範囲を容易に超える。
それがわかるようになる。
わからないのが、わかるようになるのだ。

固定してしまえば、それもアリだと思う。
だが、固定すれば、それ以外の働きはしない。
自分の「氣」ではないから自由にさせる。
そして、傍で観る。
だから、範囲を超えるのがわかる。
自分の狭い考えを容易に超える。

TVや映画の超能力の場面。
まるで、マンガの世界。
起こるんだぁ・・・
ホントに・・・
この身に・・・

最初の感想だ。
元々自分の能力じゃない。
この「氣」を扱う時は、自分を離れている。
だから、もう一人の自分が自分を感じている。

こういう感覚なのかぁ・・・
スゴイなぁ・・・
これは・・・相手がビックリしてしまうなぁ・・・
いいのかな、こんなの使って・・・

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