トップ 氣功療法院トップ わーるどトップ 講座一句? 雑記 掲示板
このHPが良かったとの評価でしたら、トップ下部のランキングに投票願います
 
氣まぐれエッセイ
近況エッセイは別になりました


最新項目は 「インドにて・謁見 プルダウンメニュー

インドにて     近況エッセイのページ

1997年 インドにて(注釈付き)      2002.2/14〜更新日7/1
 ダライ・ラマ法王(注)との謁見の事を訊ねられるので、ツアー後、勝手に会報にした号外編から抜粋編集します。
龍村(注)塾生に配ったものですので個人名が出てきます)
 みなさ〜ん。元気でっか〜(当たり前やんけ)。今回は号外でっせ〜。
 案内役は関西のマンザイ親子の○井けい子はん、のりちゃんコンビと、にわか関西弁で書いとる群馬県の水上はんでんねん。
 今年の龍村インドツアーの報告をマンザイしながら進めていきまっせ〜。
 そない期待せんときや〜。てれるやんけ(誰もしてへんて)
 では始まり始まりでんがな(われ、関西弁なめとるんか?しばくぞ、コラ!)
 影の声はのりちゃんでっせ。可愛い顔してえろ〜ガラが悪いんや。
 (私の文章にときどき関西弁が出るのは、この時からの影響らしいで)
この文章には(少々の)フィクションが混ぜてあります。
事実や実名と異なる事をご了承下さい。

 
1997年、7月3日  出発

 成田空港12時20分発のエアー○ンディアナ機は、どないしはったんか定刻にその機体を動かしたやんけ。思えば奇跡の連続体の予兆は、この時からあったんでっせ。
 母「大阪では、そんな難しい単語、よう使わなへんで〜。」
 娘「どこが難しいんや。おかんの脳みそスカスカや。」
 おかん「スカスカは脳みそだけやないで〜」
 娘「そんなこと自慢してどないする気や。アブナイなぁ」

 ちなみに機内食はムツ丹波焼き(うまいやんけ)。五目御飯(うまい)。ストロベリーのマカロン添え(いまいち)。ブルガリアヨーグルト。ピクルス。伊藤園のティーバック(Tバックとちゃうで)。ドイツビール。
 (機内は無国籍って知っとるか?だから食事も無国籍料理なんや)
 そして○ンディアナ航空が始まって以来というトラブル無しで(もちろん、お決まりの雨漏りやテーブルが壊れるなんてのはトラブルに含まれへんで)7時間でデリーに着いてしまったんや。
 添乗員の橋本はん「そ、そんなアホな!」(すでに真っ青!)
 「ああ、何かが起こるで、このツアー」
のりちゃんはその時、この先の不安に、とっても、とっ〜ても小さな胸を痛めていたんでっせ。
 娘「何で、とっても、とっ〜ても小さな胸なんや〜」
 おかん「うちの娘、不安ちゅうの知らんで〜」
(この母娘のズレた会話はずっと続いた)
 この時インド時間17時10分。気温41度。   つづく (2/14)
上へ
 7月4日  ウン孝

 過酷な龍村合宿ツアーでは珍しく自由行動日。
(実は東京道場で、ツアーについて「いつも過酷すぎるので、たまにの外国なので観光もしたいで!」という50代主婦の塾生からの意見は、龍村先生といえど聞かざるをえなかったんや。
 軟弱な私は密かに「ラッキー」と思ったけど(師匠の前では)口には出せへん。 主婦に怖いモノ無しや。史上最強やね)

 オプショナルでアグラのタージマハール見物や。デリーから朝早く列車での移動でんがな。外は暑いが列車内は冷房の効きすぎでごっつう寒いで〜。
 おかん「冷蔵庫というより冷凍庫やなぁ。」
 線路の脇はちょうど朝のウンコ時間のインド人だらけや。ビール缶のような水入れを片手に、老若男女の群れが堂々と背筋を伸ばし、実に悠々と歩いてはる。
(日本人であのように綺麗に歩ける人はごく少ないで。)

 そして、ちょっとした草のスペースに各々が優雅に腰を落としていなはるんや。
急いだり、焦ったりしてはる人はおらへんなぁ。いわゆる先進国だか文明国だかを自称する人では、卑屈(エラソーでも同じ)な態度になってしまいそうや。
 この情景は「我々は人間という生物の一種」であり、生物としてはごく当たり前の事実を改めて気づかせてくれはる。
 「美しいアタシがウンコなど(人前で)せ〜へんて。」とか
 「ウンコのどこが悪いんや!(こんなこと言う人はいないか)」

などという不自然さはあらへんがな。
 誤解せ〜へんでおくんなはれ。インドにはトイレが無いわけではあらへんで。
たまたま家にトイレを作らない人や、家自体を持たへん人や、外が好きな人などが列をなすほどいらっしゃるだけやで。
 それに「トイレが無いのではなく、何処でもトイレがある」のが事実やで。
トイレという定まった場所が無いとオロオロするような不自由な考え方は、文明人
(自称してはるだけや)の欠点やで。
 固定概念ちゅうヤツとは、早く別居しておくんなはれ。いままでの文明社会の考え方は、今回の時代では通用しなくなりまっせ。( 龍村門下生としては、ハッタリでもええから、ウンコからこのくらいまで話を広げなあきまへんなぁ)
 水上「あの水だけで尻の後ろから肛門にうまく流すの、難しいで〜。わし、びしゃびしゃになってしもた。」   つづく  (2/17)  
上へ

 タージマハール(注)

 アグラの駅からバスでアグラ城観光。奇人変人時々偉人の龍村塾生一行も、こういう時は単なる観光客にしかみえへんがな。
 朝早くからほぼ全員でヨガアサナと瞑想、特に太陽礼拝ポーズなどをしていると、インドの人々は「あ、あやしい、あぶない人達」と遠巻きにしてはるのに、ただの観光客となったとたんに
 「これ100ルピー!これ1ダラー!あなたは私の友達ね」と、みやげ物片手にまとわりつくんや。
 タージマハール(注)いうんは早い話
 一人の美女(かどうか知らんで)「ねぇ〜、あんた〜。うちのために世界一大きな墓、作ってぇ〜な」
 ぞっこんの王様「まかしときや〜」(言うほうも受けるほうもマトモやないで)

 そして、ぎょうさんの年月と人と材料とお金を使って、アホらしいほど立派な大理石と宝石の墓宮殿が出来たんや。
 スキャナーがあればその写真を載せれたのになぁ。確かにキレイやで。
 女性陣「こんなに思われるなんて羨ましい。素敵な男性やわ〜」
 男性陣「こんなの作る男がいるから女はズに乗るんや。アホや、アホ」

 男と女の間には深くて奇妙な河があるんやねぇ〜。食欲と色事に関心が薄いワシには、よう解からんことだらけや。
 前年(1996年)の「聖地と聖者とアーユルヴェーダ・南インドツアー」と今回に参加しはったのは、龍村先生、○味はん、山○はん、○井親子、新婚聡子はん、内○はん、水上はん、大陸旅遊のハッシーはんや。
 ホテルに戻ってから初めて自己紹介や。龍村先生の縁とはいえ、あちこちの塾生やいろいろな人がいはるから初対面はんが多いんや。総勢41名。
 本で名前を知っていた西洋医師や住職はんもいたで。ここだけの話やけど、世間的に見ればヨガや氣功関係者はもちろん、意識の浄化を大切にする人々はみんな奇人変人の集まりやで。 一文の得にもならんこと、ようやるで。
 ここで初めて龍村師匠の姉、ヒリヤ―和子(注)先生がニューヨークから合流や。第一印象、迫力あるで。
 この夜、オールドデリーから夜行列車でパタンコットという駅まで出発したんや。
 ダライ・ラマ法王との謁見へ出発や。  つづく  (2/24)
上へ

 7月5日 ダラムサラ(注)

 座席の上に小さなスペース作られ、これがワシの寝床やった。このスペースは何や少年時代の秘密基地みたいで楽しかったわい。
 パタンコットで朝食後、軽四輪ワンボックスタクシー12台でダラムサラに出発や。
 途中、オイル漏れやパンクや追突があったくらいで、予定どうり問題無く3時間ちょっとでしばらく滞在するスーリアホテルに着いてしもうた。
 それにしてもインドの人は姿勢よく悠々と歩くのに、車となると目いっぱいアクセルを踏んですぐレースを始めるのは何故や?客の存在など頭から吹っ飛んでいるがな。(事故など当たり前やな)
 母「運転が乱暴やから、少し漏れてしもた」
 娘「ちゃう。スカスカやから」
 おかん「それが結婚前の娘の言うことか? アンタが結婚しはったら絶対付いていくさかい、よう覚悟しときや!」
 娘「ふっ。オカンも甘いな。結婚よりオカンをいびる方がオモロイで。」
 水上「これが噂のコミュニケーションバトルかいな。いい親子やねぇ」

 昨年の南インドの時はバス移動が多かったので、アチコチで横倒しになっているバスやトラックを見たで。町などで減速させる方法がすごいで。わざとデコボコの舗装にしてあるんや。そのままだと車が壊れるさかい、否応なしにスピードを落とすで。
 「人間は法を誤魔化す習性心理がある」事を素直に認めた合理的な方法やな。
 まぁ日本でも「車は安全に移動する空間」と知ってはる人は少ないけどな。ほとんどが速く走るのが役目だと思って、「車は便利でも危険な鉄箱」にしてはるみたいや。
 奇人でもワシは氣功師や。ダラムサラに入ってから、チベット人とすれ違うたびに暖かい笑顔波動に包まれている事にすぐ気づいたで。
 水上「ここはなんちゅうええとこや」
 この波動の原因はダラムサラにいる間で十分納得できたんや。これがダライ・ラマ法王とチベット仏教の凄さの一部やったんで。
 ハッシー「このツアーは不気味や。順調すぎるで〜」  つづく(2/28)
上へ

チベット子供村(TCV)(注)

 午後から訪れたチベット子供村では涙が止まらんかった。
 それはここの子供達が健気であるとか、(物質的に)貧しいとか、歴史や体験が悲惨だったとか(高山を越えての亡命では凍傷で指などが無くなる事もある)いうレベルではあらへん。
 直感的に自分より遥かに貴い魂(子供とそこにいる人達)と出合った時の感動感激感情からや。
 優しさの何十倍もの波動(氣)といったらいいかもしれん。
 責任者のダライ・ラマ法王の妹、ぺマ・ギャルポさんが案内してくれはったんやけど、この貴女がまたちょうど観音様のようやったで。
 (そういえば、法王はチベットでは観世音菩薩の生まれ変わりとも云われてはる。これも後に納得できたがな)
 夜は子供達から歌と民族踊りの歓迎会をしてもらったわ。
 ワシらは各々ノートや鉛筆やペンなどを日本から用意し、僅かなお金と一緒に寄付をさせていただいたが、この半日だけでその何百倍いや何万倍ものお返しを受けてしまったと皆で感じていたのや。ありがたいやら畏れ多いやら嬉しいやら。
 おかん「このチベット亡命政府になる経緯は、本が何冊も出てるから是非読んでほしいんや。うちの脳ミソ、95%の冗談で出来てはるけど、これ残りの5%で言うてるで〜」
 水上はん「おっ、珍しい!目がマジや。あ〜、ひょうきん目に戻ってしもうたわ。だいたいマジ時間5分やね」

 でも、これ本当でっせ。ワシらはあまりにもチベットの事、知らなすぎるで。基礎知識として本ぐらい読んどいてや。関心持ってほしいんや。後になった解かったんやけど、チベットの子供たちは地球人類の未来に関わっているんや。
 (決してオーバーやないで。信じなくてもいいけど、ワシ時々未来が観えるんや。安定してないけど)
 龍村先生は優しそうでも厳しいで。各自チベットに関しての勉強は常識としてツアー前にしとかな参加できへんがな。ワシ、十数冊だけの付け刃勉強やけど、ホンマにチベットに関して学ぶところや感じるところが多かったわ。
つづく(3/11)
上へ

貴人たち

 子供村は幾つもの宿舎からできていて、その中は「学び舎」でもあるんや。
 ワシらが訪れた時、おやつの時間になったんや。そこでは2・3歳〜6歳くらいの子供達が40数名おって、両壁にそって合い向かいに座っていたんや。
 ワシらはつけ刃の知識とインドなどの現状を目のあたりにしとるがな。「おやつ」がどんなに貴重なモノで、どんなにこの時間が楽しみなのかは自分の子供の頃を思い出しても十分想像できたで。
 言葉は解からなくても、感謝の言葉を幾つも唱えてから「いただきます」や。
 その時や。ワシらが視察させてもらった入り口に近い子供が、さりげなく、ごく自然に、その僅かの「おやつ」をワシらに分けようとするのや。
 それは誰かに言われたからではなく、普通に微笑んで差し出すんや。
 誰もがそのあまりの自然な行為に心を打たれて、一瞬立ちすくんでしまったんや。そして、その意味するところに氣づくと、感動が押し寄せてきたんや。
 涙が気持ち良くどんどん湧き出てきよったわい。皆泣いとるが、幸せの涙や。
 ワシらはとてつもなく貴い魂たちの中に招かれていたんや。ありがたい光景を目の前にできた幸運に感謝や。
 この子供村では第二公用語として英語がつかわれていなはる。世界にはばたく未来のためやで。やがて、ここからの貴い波動を漂わす貴人たちが世界中にはばたく準備ができているんや。
 ダライ・ラマ法王は「チベットをピースゾーンに。子供たちをピースエンジェル、ピースヒューマンに」という思いを目指してはる。
 ワシはある意味でホンマにショックやった。日本は何をしているんや。日本だけやない。どこの国が、世界の未来のため、人類の未来のための「氣」を高め、意識を浄化し、世界を救うために準備をしているんや。
 チベットという国のためやない。チベット仏教のためやない。それは未来のためや。真の平和のためや。
 これはこの日からダラムサラを去る日まで続けられた、「チベット仏教大学特別講座」(注)を受け、確信した事やで。
 そしてワシはこういう意識で人生を考えた事があるか ? それを毎日の暮らしとして自然に生活しとるか? 
 とんでもない。普段は何も感じんで生きているが、こういう貴人たちに触れると、ワシの意識の低さをつくづく実感するで。
 ワシの事やから落ち込みはせ〜へんけど、さすがにマトモに戻るで。
つづく(3/25)
上へ

セブン・イヤーズ・イン・チベット(注)

 子供村での歓談会席上で、和子先生(注)が一人の少年を連れてきたんや。
 和子先生「私の息子を紹介します」
 子供村では経済的に貧窮しているので、フォスターペアレント(遠距離里親制度)を募集しているんや。日本円にして約4万円で一人の子供の生活費が一年間何とかなるんや。
 和子先生は今までにも幾人もの親になり、現在も2人の里親になってはる。
 和子先生「この子は今回の映画で、子供時代のダライ・ラマ法王役やで」
 ここの子供達は皆、聡明で上品な貴人達やけど、この少年は更に人を惹きつける輝きがあったがな。
 ペマ・ギャルポ女史「ワテも法王の母親役やったで」
 水上はん「ふ〜ん。ダライ・ラマ・法王の伝記映画作ってはるのか。でも、日本では見られへんやろなぁ」
 話はイキナリ半年後にワープ。
 場所は日本、群馬県のチベットと私的に言われている水上はんのボロ住まい。
 TVでブラット・ピットが話してはる。
 本来は主演の映画の宣伝話なんやが、売り込みはそっちのけでチベットの現状や素晴らしさを熱っぽく話してはる。
 水上はん「このブラピいう役者はただのエエカッコシじゃないの〜。おぅ、この監督はんもタダモンじゃないわい。ようわかっとるやないか」
 水上はんの妻「アンタがエラソーに言うと反感買うけど、ブラピが言えば知的よね〜。素敵やわ〜」
 水上はん「どこが違うんや!同じ男やないか!向こうがちょっと顔が整っていて、スタイルが良くて、才能があるだけやないか。宇宙の大きさに比べたら大した事あらへんがな」

 その時画面では、ブラット・ピットと監督はダライ・ラマ法王役の少年の素晴らしさを話していたんや。そして映画のシーンでそのダライ・ラマ法王役の少年が映し出されると、さすがにボケていた水上はんも思い出したがな。
 それまで、この映画の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」と半年前のダラムサラ子供村での出来事が結びついてなかったんや。チベット政府製作の映画ではなく、米作品やないか。
 水上はん「こ、こ、この少年、和子先生の息子はんや!」
 事情を知らない水上はんの妻に説明し、あの少年が、まわりの人々まで惹きつける影響力の凄さに改めて想いを甦らせたんや。
 ダライ・ラマ法王やチベット仏教の高レベルの波動は、あの子供達からでも十分に世界の平和をリードできるんやで。レンタルでもええから、この映画を見てや。
 ちょっと裏話。
 チベットの素晴らしさの紹介にもなるこの映画の撮影には、当然中国当局はよう協力なんかせ〜へんがな。南米の似た所で撮影されたらしいで。
つづく(4/12)
上へ

7月6日 法王生誕祭

 なんとダライ・ラマ法王の誕生日や。
 これもラッキーのうちの一つや。おめでとうさん。
 法王はんは誕生日を挟んで10日間くらい一人で瞑想するらしいで。ダラムサラの町は聖誕祭で民族踊りや催し物で活気づいているんやけど、法王が姿を現すことはないらしいで。
 ところが7月10日までの瞑想中の予定を、ワシらに会うため(だけやないと思うで。そうならとんでもない事やから)に瞑想状態を解いてくれはるらしい、という噂やで。
 法王の行動は誰も確証が持てへんから、実際にはワシらも謁見が出来るかどうか判らんままやけどな。
 もし、ホンマにそうなったら、これはエライことや。とてつもなくありがたい事でっせ。(どうも大阪弁だとありがたみが薄いわ)
 水上はんはツアー内の具合の悪い人に氣功治療や。H医師が不調のまま、法王に会いたくて参加しはったのやけど、やはり体調がキツイらしいわ。参加者の中には西洋医師も鍼灸医もおったけど、こういう場所では氣功治療が有効のようや。H医師は水上はんの遠隔治療も体験して変化を確めていたで。
 祭りや催し物の中で、お寺の問答が外であったがな。
 日本禅宗の中にも問答の場があるようやが、ここでは身振り手振りを派手に混ぜて、答えを問い者に顕す修行のようやった。
 午後からは「チベット仏教大学特別講座」(注)や。
 チベット仏教の基礎とはいえ、仏教に興味のある人や、事前にかなり準備勉強して、ゲシューナム教授の言う事に集中していないと、すぐ解からなくなるような内容でっせ。内容は基礎でも濃いものや。
 通訳には現地に惚れ込んで住み着いた中原はん。もうかなり長いらしいで。チベット語を勉強し、さらに仏教語のサンスクリット語も学んでいる才女や。
 龍村塾生は世間的から見れば、10〜20才位若く見える人はゴロゴロしてはる(和子先生なんかズルイで。ワシとのツーショットなど30代に見えるで)が、この中原はんも20才は若く見えるで。やはり調和の心で活き活きと生きてはる人は若くなってしまうらしいで。
 水上はん「通訳の中原はん、ステキやなあ・・・」
 おかん「ウチよりも?」(マジで言う)
 水上はん「エッ!ん〜。まぁ〜、その〜、何ちゅうか。ワシ、頭が混乱してよう説明できへん」
 娘「何遠慮してるねん。バシッと言うたり。おかんのステキは25年前におとうと逃げたやないか〜」
 おかん「娘がそこまで言うか? アンタが生まれたさかい、あの人は逃げたんやで〜」

 せっかくの中原はんのステキ話が、ドロドロの内輪暴露話になってしもうた。
つづく(5/5)
上へ

7月7日 ナムギャル寺

 水上はん「7月7日は『たなぼた』ゆうてな、棚からボタ餅が落ちてくる日や」
 娘「何ボケかましとるんじゃ!はよ先進めんかい!」
 (きついなぁ)
 ホテルから歩いてナムギャル寺院へ。ここは薄雨がよう降るで。そのせいか、ホンマに大きなナメクジが道脇にいるで。
 「タシデレッ(ク)」「タシデレッ(ク)」「ナマステ」 
 道で会う人ごとに挨拶しながらの気持ちいい朝やで〜
 おかん「ナムギャル寺いうても、若いネェチャン僧がぎょうさんおる寺とちゃうでえ」
 娘「誰も思ってへんて」
 水上はん「えっ〜。ネェチャンおらんのか!」
 (ちょっとボケてみたわ)
 実は特別にナムギャル寺の朝行読経の中に入らせていただくことになったんや。ワシらは多くの僧に囲まれ、瞑想をさせていただいたんや。
 この時間は至福の時やったで。ワシは「至福」いうのを初めて体感したと思ったで。そのくらい気持ちがよかったわい。
 地の底から響くような独特の低い、澄んだ、そして見事に一体とした読経音。
 その読経音は寺を包み、地域を包み、国を包み、地球を包んでいったんや。
 あまりにも暖かくて気持ち良く心が落ち着くので、「幸せいうもんは、こういうことや〜」と思ったで。自分が今何処にいるのか判らんほどや。
 この味わいだけでも日本を離れ、ここまで来た価値が充分あったで。
 普段ボケとる水上はんは、瞑想の中だけはマトモになるようや(25年くらいしとるから)。瞑想中だけやさかい、何の役にもたてへんけどな。これじゃ奥さんが不満になるわけや。
 水上はん(言葉の意味は解からんでも、これは平和への祈り波動や。ん。病→治療→部分調和→全体調和→健康→個の調整(治療)→全体の調整(平和)
そうか!!!個への氣功も平和へ祈りも同じ調和波動やないか!
ワシの仕事は平和へのお手伝いや!)

 水上はんが一つ開眼した瞬間だった。瞑想を解けば元のボケに戻るけど。
 それでもカンが働き、一時無理やりに瞑想を解き、端で居心地悪そうな添乗はんを呼び、カメラを渡してこの場面を写すように指示したがな。
 結果は水上はんの思ったとおり、白い「癒しの氣」がバッチリ写ってたで。
 経は音(波動)だけでも浄化(調和)作用があるもんや。まして読経する本人の意識が経の方向と一致すれば大きな力やで。
 チベット仏教の特徴かダライ・ラマ法王の方針か知らんが、毎朝、地球すべてに向けられて調和波動を発している事実がある。平和への祈りを発している事実がある。ありがたい事やが、これは我々すべての人も参加できる事やで。
 それぞれの場所から、それぞれの方法で平和への調和を願うなら、人類の未来も続くかもしれんなぁ。  
つづく(5/21)
上へ

ノルブリンカ

 ナムギャル寺での朝行瞑想をすませ、ダウン・ダラムサラに下ったんや。
 ここではチベット文化センターの事なんやけど、ノルブリンカいうのは本当のチベット国の宮殿名の一つなんや。
 この名前をつけているところに、ワシは今の亡命政府の寂しさを感じるんや。
 中はチベットの織物や曼陀羅図(マンダラ)などを文化継承している研修所兼アトリエ兼博物館兼エトセトラ、エトセトラ。
 歴代のダライ・ラマ法王が入っている大曼陀羅図は素晴らしいものやったで。
 チベット仏教の本尊は宇宙交合神なんやけど、改めて交合神の複合深遠の意味に冥想したわ。ここはとても簡単に説明できへん。ワシがあと10年もたったら文章に書けるかもしれん。
 続いて尼僧院で尼僧さん達のチベット亡命の体験談。
 チベット国で中国がどういうことをチベット人、特に僧たちに行なったか。ワシは予備知識として本で読んでいたが、本人たちの口から実際に聞かされると厳しい感情が湧いてしまったわい。
 当然ここでは書けん。一緒に聞いていた女性達が辛くて泣き出した話や。
 人間いうのは民族の為とか国の為とかの名分で、どこまで残酷になるんやろうねぇ。ホンマに悲しいレベルの魂たちやで。
 昼はダライ・ラマ法王に次ぐ高僧との会食会。
 添乗はん「ありえん。あの方と一緒に昼食などと!」
 ところが、ノーテンキの龍村塾生たちは、どれほど例外的なのかちっともわかっていない。もちろん水上はんなども平気で写真など写しとるわ。
 無知に怖いもの無し。
 午後からは「チベット仏教講座」(注)。ゲシュナム・リンチェン高僧のお話や。
 おかん「うち、ゲシュはんを、何や、す、好きになってもうた」
 おかんは仏教講座の最終日まで、一番前でず〜とマジな目で聞いてはったで。結構難しい内容だからイネムリする人が続出する中、偉いなぁ〜。
 水上はん「大阪人は、わけわからんわ」
 娘「おかん、この頃マトモになったんや。だから、とっても心配やねん」
 水上はん「体の具合が悪いんやろうな。何ぞ拾って食べんかったか?」

 マンザイ親子は、集金やその他でも他人の面倒をよくみてくれはってるで。
 ありがとはんや。
つづく(6/2)
上へ

7月8日   ネチューン寺(注)

 朝は昨日と同じくナムギャル寺での読経空間瞑想や。気持ちいい〜。
 それからおかゆの朝食をいただき、ネチューン寺に向かったんや。
 チベット世界には生まれ変わりの活仏はんや化身はんが、今でも数百人いなはるけど、このネチューン・クテン師は特別なんや。
 チベット国そのものと歴代ダライ・ラマの守護神はんを降臨しはる、重大特殊責任付きの化身はんやで。
 活仏とか生まれ変わりとかいうと、無知な自称文明人は「科学的でない」などとアホなことを言うんや。科学的がどれほど間違っていたかは、一つの事柄の過去を調べてみれば、ほとんど実証されているのにねぇ。
 ここの真偽を問うノウハウやシステムは、自称文明国のような底の浅いレベルではあらへんで。古くからの研鑚を重ねた独自の厳しいモノや。そのシステムの一端でも知ったら、簡単に「ウソや〜」なんて言う己の無知さが恥ずかしいで。
 ネチューン・クテン師が一般の人が簡単に会える相手ではない重要人物だという事がわかったやろうか? そ、それなのに・・・・
 現クテン師が若く(活仏や化身に修行年数は関係無い)、ハンサムなので、
 龍村塾オバハン達(日本ではそれぞれ多くの生徒を持つ指導先生やのに)
「ええ男や〜。男前や〜。でへへ〜」(^^;;

 とアイドルに接するかのように、握手や体を触りまくっていたんや。
 寺院内案内につづき、ネチューン神官との質疑応答もさせてもろうたわ。
 とにかく寺院内に一歩入って、その「氣の濃さ」に驚かされる。
 中でも台座がある小部屋は、「ものすごい」レベルやったわ。
 これは水上はんのような氣功師や龍村先生だけでなく、普段は「氣」なんて感じない人でも充分感じられる濃さだったで。
 本国を追われ、亡命政府を立ち上げ、それこそ一念で、しかも仏教の本質である利他と慈悲の和(柔)らかさを失わず、毎日修行している人々や僧が一つづつ「氣」を込めて造り上げた寺院や。ホンマもんの「氣」や。
 チベット寺院や経典や置物はすべてホンマもんやから、どこでも素晴らしい「氣」に満ちているんやけど、このネチューン寺は別格やな。とにかく濃い。
 そういう気配に、あるいはすべてに鈍感な25歳独身ののりちゃんでさえ
 「あっ、感じる、感じるわぁ。うち、もう、初めてやぁ。あぁ・・」
 とイロっぽくなり、で、やはりネチューン神官はんの手を触らせてもらい、
 「どうぞ、あなたさまのようなハンサムであたたかく、でも霊性はうちに合う程度の人が早く現れますように」(そういう立場の化身はんじゃ無いってば!)
 その母の心「お願いします。うちもぜ〜ったいにお世話します。でへへ〜」
 ネチューン神の心「大阪気質とは合わない」
 ハラハラする添乗はんの心「そうだ、そうだ、ガサツすぎるぞ大阪人」
 母娘の心「なんでやねん!!」
(何で他人の心が読めるやろ?)
 クールな○山はん「神様ゆうのは、色男ごのみやねぇ」
つづく(7/1)
上へ

7月8日 午後の事 そして謁見前夜

 チベットメディカルセンターで講義でんがな。
 一昨年に南インドで受講したアーユルヴェーダの基礎があったので、チベット医学も違和感が無いわい。というより、共通なものを感じたわい。
 詳しい歴史の流れは知らへんけど、5つの基本要素と3つの生体要素の組み合わせを重視するところなど、アーユルヴェーダの5大元素と3つのドーシャ理論の分析の仕方と同じではないか、と思ったわい。これについては、ワシが知るところでは誰も指摘してなかったが、誰か解説しているのかもしれんわ。
 それにしてもチベット医学で一番スゴイと思ったのは、その診断法なんや。脈診と尿診で西洋医学検査器機よりも詳しく、的確な診断がなされてはる。
 医師の両手の人差し指、中指、薬指の3指で、患者の手首を触るだけやが、体のあらゆる臓器とその過去の変化まで読み取るんや。
 これは体を流れる「氣」の情報を読み取るとの事だが、水上はんのような氣功療法師でもここまで詳しくは無理やで。だからこそ、水上はんはビックリ感心してはったわ。
 続いて医薬工場や。
 原料となる生薬も、その収獲日、時間を最適に求め、マントラで清め、感謝してから集めはるとの事。ホンモノの生薬は「氣」の調整抜きには完成しないということや。生薬は成分分析学では未完成なんやで
 続いてチベット仏教大学や。忙しいでぇ。
 多くの学生(といっても僧侶達やで)と共に学長のお話を聞いたんや。目の前には伝統お菓子とバター茶や。
 ここは仏教を中心として、モノスゴイ量と質を毎日学ぶ厳しい修行の場やから、何処かの国の大学生ではまったく在学できへんで。
 そして、いつもの「チベット仏教講座」(注)
 フォスターペアレント希望者は再びチベット子供村(TCV)(注)へ。
 のりちゃんがエエ男(ネチューン師)に触ったので熱を出したんや。
 H医師にも頼まれ、水上はん、治療に大忙しや。
 のり「うち、口は悪いけど、エエ男の人苦手やねん」
 水上はん「ネチューンはん、人とちゃうでぇ。半分神さまや」
 のり「ホンマか!(何にも聞いとらへんな) ほな大丈夫やぁ」

 で、見事に復活や。
 水上はんは和子先生(注)と明日のダライ・ラマ法王(注)との謁見での質問に関してお話や。
 明日はついに、夢みたいな日が現実になるんやなぁ
つづく(7/23)
上へ

7月9日   謁見

 つ、ついに、ダライ・ラマ法王猊下との謁見が実現したんや!
 去年のサイババはんツアーの時もそうだったが、今回も幸運、異例、特別、
ラッキー、奇跡、夢みたい、ウソみたいが随時起こる龍村ツアー!
 約束とはいえ、冥想期間中に法王が人前に姿を現す事自体が異例なのに、
予定より早く謁見の間に来てくれはったんや。しかも!我々と1時間以上も一緒にいてくれなはったんやで!謁見体験者なら、我々がどんなに異例扱いされているか解るやろ!(謁見時間というのは、通常は、政府関係者などでも5分〜10分がイイとこらしいで)
 通常なら壇上の椅子に座る法王は、我々と同じ椅子を用意させ、我々と同じ床で、しかも目の前での質疑応答をしてくれたんやで!
(どういう意味か解るか? 法王は聖なる指導をする故に、多くの邪悪な国から暗殺者を常に送り込まれる。残念ながら、現時点までの人類は、マトモな指導者は暗殺されている歴史がある。ガンジー・キング・歴代法王達など多くが暗殺され、その都度、人類の魂の進化は戸惑ったんだ。
何故なら、聖なる言葉は人々の魂を解放する。国家権力者は国民の目を覆い、耳を覆い、魂を束縛することで権力を維持している。だから、聖なる人は権力者の恐れる対象なのだ。
ダライ・ラマ法王もローマ法王も常に暗殺の危険にさらされているのだ。もちろん、聖なる力も守っているが、 この世では粗い力が強いように出来上がっている。この謁見場に入るまでも 我々のボディチェックは当然行なわれている。門兵はフランス人の専門家だったが、決して厳重な警備ではない。あの緩やかな警備で、中国からの暗殺者から生き延びている事自体が、聖なる力に守られている証拠なんだ。)
つづく(7/23)
上へ