第十一章
  無苦集滅道 

またまた仏教用語だ。
「苦集滅道」を「四諦」という。
四つを諦める、という意味じゃないぜ。
まぁ、それでも理屈は付けられるけどなぁ。
理屈なんて、どんな事でも付けられるもんだ。
何しろ、人に真理の判断能力は無い。
宗教は言いたい放題なのさ。

サンスクリット語の音読みを漢字に当てはめたのだ。
般若(パーニャ)とか波羅蜜多(パーラミタ)と同じだ。
だから漢字の意味は無い。
サティア(真実)を諦と当てはめた。
四つの真実(真理)という意味だ。
だが、真理ばかり多くてなぁ・・・
精神世界は真理や真実が好きだなぁ・・・。

まぁ、四諦にはいろいろな意味を込めてある。
真理を僅かな文字に託すんだもの、無理もあるさぁ。
というわけで、一応、無理を説明しないと先に進めない。
ゲンちゃんも多くの文字を書くのがメンドウだったのね。
つい、仏教用語を多用して心経を書き上げたのだ。

最初の「苦諦」。
人生は「苦」である、という後ろ向きの真実。
真実は何処にでもあるから、後ろ向きのもあるのだ。
決して、真実は一つでコレしか無い、などと思わないでね。
性格が暗い人が唱える・・・。
ラテン系は「苦」だなんて思わないぜ。

四苦プラス四苦で「四苦八苦」がある。
生・老・病・死が全て「苦」だとしていた。
ブッちゃん(仏陀)が出家する最初の疑問題だ。
そもそも、最初からブッちゃんは間違えていた。
この頃はブッちゃんではなく、シッちゃん(シッタルーダ)だった。

苦も楽も愉も嬉も快も、本人が選ぶ道だろ。
生老病死は避けられない人生ではあるけど、
そこに苦を最初から付けるのは・・・暗い性格だ。
やがて、シッちゃんはラテン系になる。
その時にブッちゃん(仏陀)となったのだ。
四苦八苦を強調するのは、出来損ないの弟子達だ。

生・老・病・死の四苦の他にも四つの苦があるとしていた。
「苦」ばかり観ていると、苦は増えるのだ。
この四つは、日常生活の身近な苦しみを集めた。
つまらないモノを集めたもんだなぁ・・・
一応説明しておこう(受け売りだけど・・・)

「愛別離苦」は愛する人との別離の苦しみ。
「怨憎会苦」は嫌いな人と一緒に生活や仕事をしなければならない苦しみ。
「求不得苦」は欲しいものが手に入らない苦しみ。
「五蘊盛苦」は色・受・想・行・識(五蘊)から生ずる身心の苦しみ。

そんな事ばかり言っているから、説法する人は陰気なのだ。
陰気は明るい未来を呼ばない。
嫌な事、脅かす事、不安にさせる事を広める人は信用おけない。
心を迷わせて、何かを勧める。
怖れを煽って、誘導する。

コレを買えば大丈夫!
コノ宗教に入れば大丈夫!
私にまかせなさい!
信じる者は救われる!
・・・・
自分の人生は、自分で歩こうね。

ある日、仏陀(悟った人)となったブッちゃん。
初期において、この四諦と八正道を説いたとされている。
そうかもしれないけど・・・
言わんとした事は、歪められて伝わった。
これは、キリちゃん(イエス)なども同じだと思う。
優秀な人は簡単に理解されない・・・。
言葉は組織を維持するのに都合よく解釈される。

更に二人とも、誤解を解く事などメンドウなのだ。
いいさ、誤解したけりゃ、しておきな。
解る人には解る。
解らん人には、何を言ってもわからんだろうな。

四苦八苦と言ったけど・・・
そりゃあ、方便だぜぃ。
言葉だけでとらえるなよなぁ。
お前ぇ等(弟子の僧達)、マジメすぎるぜ。
マジメじゃ優しくなれねぇぞ。

「集諦(じったい)」は「苦」の原因。
「苦」は執着で発生する、という真理(諦)。
真理は限りなく有るから、それも一つだと思う。
だけど・・・執着が無くても「苦」は有る。

ここからはワシの体験も含めてだ。
「苦」は「本人の苦」でなくても伝わる。
元は執着から生まれたモノかもしれない。
だが、「苦」という「氣」は独立する。
本人の執着でなくても「苦」は有る。
同じく本人の「快・喜・幸」でなくても伝わる。
この世は、他とつながりあっているのだ。

「生老病死」
誰も避けられない、この世の存在とセットだ。
ならば「苦諦」としたら矛盾するだろ。
存在が「集諦」なら、この世は地獄かぁ?
そこから抜き出るには「八正道」が必要?
(宗教組織としてはオイシイ解説だ)

そんな事ぁ、ブッちゃんは言わないだろ。
八正道を実行できる人がいるかぁ?
(八正道は四諦とセットで解説される)
無理を迷える衆生に押し付けるわけ無い。

苦の原因である「執着」は煩悩の大部分だ。
だから煩悩を無くせば、苦は消える。
それが「滅諦」という言葉になる。
(わざわざ真実(諦)などと付けなくてもいいと思うし、
ブッちゃんは「これが真実(諦)」などと力まないと思うよ)

まぁ、理屈はそうだけど・・・現実的じゃないな。
机上の論理という真実(諦)・・・
誰もできないような教えは・・・胡散臭い。
その陰に別な企みを感じるぜ。
ブッちゃんは優しいから、無理は言わないだろう。
やはり組織を維持したい、その後の僧達の解説だろうな。

「真実(諦)」ではなく、「事実」なら話として判りやすい。
「苦」がある事実。
それは「執着」から生まれる事実。
それを無くせば「苦」も楽になる事実。
ブッちゃんは、分かり易くこう話したのだろうな。
無くす方法の一つとして「八正道」というのも話した。
もちろん、今の仏教での解説とは少し違うだろうな。

八つの正しき道。
それが「道諦」というわけだ。
ここも「正道」の訳し方が間違っている。
正誤は人では判断できない、という真実(諦)・・・
当然、組織の僧や神父や牧師や○○先生には無理だろう。

正見(正しい見解)
正思惟(正しい決意)
正語(正しい言葉)
正業(正しい行為)
正命(正しい生活)
正精進(正しい努力)
正念(正しい思念)
正定(正しい瞑想)

何が正しいとするのか、人間では無理だろうな。
それぞれの宗教は、自分の宗教が正しいとする。
某アメリカは他国への軍事を正しいとする。
某日本政府はアメリカのする事は何でも正しいという。
それに報復する某複数の中東系国は、自分達が正しいという。
嫁は自分が、姑は自分の方が・・・
そして、お互いが争う・・・
争いは、正しさか?

最初から「正」の訳し方が間違っている。
「正」は「明るさ」の事なのだぜ。
これなら、誰でも判断できるのだ。
「正しい考え」は人によって違う。
だが「明るい考え」は一致する。
「正しい言葉」ではなく「明るい言葉」なのだ。
「正しい行い」ではなく「明るい行い」だぜ。

ブッちゃん(仏陀)は「苦」を軽くする、
あるいは無くすには「明るさ」がいいぜ、と言ったのだ。
それが「八正道」なのだ。
不出来な弟子達は、真意が解らなかった。
マジメな人達は「正しさ」に固執する。
マジメな人達は、結構争い好きなのだぜ。
戦争はキマジメな人達で行われているのだ。

「正しさなんて追求するなよ。
それは害になるだけだ。
それより、明るさが一番だぜ」
正しさを追求する修行を止めた。
そして菩提樹の下で閃いて仏陀(開けた人)になれた。
ラテン系のオッサンになって、解放されたのだ。

逆の言い方をしよう。
通常の解説版「八正道」
これが出来なければ「苦」は無くならない。
出来る人は、ほとんどいない。
(誰も、といいたいくらいだけど)

エラソウに解説する人達が、出来るはずが無い。
解放されたなら「何でもいいぞ」と言うはずだぜ。
つまり絶望を解説しているようなものだ。
出来もしない「正しい生き方」を唱える人達は信用できない。
誰も出来ないから、宗教組織は無くならない。
詐欺といっても(それほど)言い過ぎでもなかろう。

救いを求める人達に手助けするのが宗教だろ。
絶望を示して、どうするんだ?
「正しさ」を押し付けたら、絶望が膨らむだけだぜ。
そして、「明るさ」を示したら、希望が湧くのだぜ。
だからブッちゃんの言った「八正道」は「明るい道」だ。
正しい道じゃないぜ。

苦諦、集諦、滅諦、道諦の「四諦」に、
ブッちゃんは「無」を付けた。
「無」は「こだわるなよ」という意味だ。
更に「愉しめよ」という深いメッセージもある。

「四諦とは、人生の真実」と大見得を切った。
その人生そのものを「こだわるなよ」と言った。
そして、人生を愉しめよ、と言ったのだ。
優しい言葉だろ。

「悔い改めなさい。さもないと・・・」などと脅かさないぜ。
「正しい道を歩みなさい。そうでないと」などと言わないぜ。
もし、道を示すとしたら、安心させる言葉だろうな。
ブッちゃんは気張った道は説かない。
優しい道を教えてくれるが、歩くのは個人に任せている。

ワシ的訳。
「皆、苦労してるかぁ?
まぁ、苦しい事は多いわなぁ。
だからって、人生は苦だ、なんて思うなよ。
ん?ワシがそう言った? そりゃ誤解だ。
四諦? そりゃ、若気の至りってやつだ。
つまらねぇ事なんざ、忘れろよなぁ・・・

四苦八苦という苦しみがあるよな。
あるけど、苦しみだけでも無ぇだろ。
苦しみだけだと思い込むと、苦しみしか感じられ無ぇのさ。
苦しみにこだわるなよ。
こだわり、ってヤツが、更に苦しみを産んでいるのさ。

こだわりを無くせば、苦しみは小さくなる。
無くなるわけじゃ無ぇけど、楽になる。
無くすには、コツがあるんだ。
こだわりを無くす、って事にも、こだわらねぇのさ。
キマジメに執着を無くそう、なんて思うなよ。」

「苦を無くす事にこだわらなくていいけど、より楽に生きてぇだろ。
苦ってのは暗ぇんだぜ。
ならば、明るく生きればいいじゃねぇか。
正しく生きるのは難しいけどよ、明るく生きるのは出来るぜ。

誰だって赤ん坊だったろ。
暗い赤ん坊なんて居ねぇんだ。
誰だって、明るかったんだよ。
ならば、誰だって、出来るんだよ。
昔、自分でしていた生き方だ。
それが、八正道って言葉なんだぜ。

人生、明るく生きようぜ。
それが、人生を愉しく生きる事になる。
苦を含めて、いろいろ体験する。
全て含めて、明るく愉しむ。
それが、この世に生まれてきた理由だ。」

第十一章は終りです。ご苦労様でした
続いて第十二章に進む
また目次に戻って選ぶ