第二十一章
  合掌

最初からの迷訳を再び書いてみる。
(迷訳は・・・迷惑に近い・・・)

摩訶般若波羅蜜多心経
(超スゲェ楽になれる方法を簡単にまとめたぜ)

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

(力を抜いて楽になろうぜ。
もっと力を抜けば、超楽な状態(時)になるぜ。
すると、この世は全部イイカゲンだぁ〜、と解るぜ。
苦しさや辛さは、皆幻みたいなもんだ。
だから、どうにかなるから安心しなよ)

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

(お前ぇよ〜、この世は空しいよなぁ〜。
だけどよ、空しいって事はさぁ、
苦しさだってイイカゲンってことだろ。
ならば、空しさが救いになるじゃねぇか。

この世ってのはよ〜、常に変わっているんだぜ。
何とかなる、と思えば、それっぽく変わるのさ。
お前ぇ次第で、身体や心の苦しみだって無くなるんだぜ。
大丈夫だぁ)

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

(お前ぇ等、よ〜く聞けよぉ。
これから、この世のイイカゲンさを説明すっからよ。
まず、いろいろなモノは生まれるよな。
命だけじゃなく、悩みも病も楽しさも地位も財産も。
それらは、いつかなくなる。
いろいろなモノは汚れたり間違ったりする。
だけど、綺麗になる事も修正される事もある。
いろいろなモノは増えることもあるけど、減ることもある)

是故空中無色 無受想行識

(このように仕組みはイイカゲンだからよ、
この世の出来事に、こだわる事ぁねぇぜ。
自分の心や行いだって、イイカゲンなんだぜ。
失敗や間違いなんて当たり前なんだ。
そんな事にも、こだわらなくて大丈夫だぁ。
苦しみや病だって、こだわるなよ。
大丈夫。何とかなるぜ)

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

(自分の眼にこだわるなよ。
正確に見えているわけじゃねぇ。
だから、眼が悪くても大丈夫だ。
例え、見えなくても大丈夫だぜ。
耳だって同じだ。
鼻なんて犬の方がすげぇ。
自分の鼻にこだわる程じゃねぇんだ。
舌にも、こだわるなよ。
皮膚の感覚もアテにならねぇんだ。
そして、最もアテにならねぇのが心だ。
コイツはいつも揺らいでいる。
まぁな、こだわらなけりゃ、使えるぜ

見えるモノも確かじゃねぇんだ。
声も条件で変わる。
香なんて、変わりながら漂っているんだ。
味は受ける人によって大きく違う。
触覚や圧覚もそれぞれなんだ。
それらの思い込みは、仮だと思ってくれ。
共通しているのは、こだわらない、って事だ。
それを『無』っていうんだぜ。
こだわらなけりゃ、愉しめるし、楽しめるぜ)

無眼界乃至無意識界

(毎日の暮らしがあるだろ。
見たり、聞いたり、感じたりしているだろ。
嬉しかったり、辛かったりするだろ。
まぁ、辛い方が多く感じるかな。
苦しむ事が多いかなぁ。
嫌なモノは見るな、っていっても無理だよなぁ。
辛い事を感じるな、っていっても感じるよなぁ。
毎日、実際に苦しいもんなぁ。
だけどな、
見た事を引きずる事ぁ、無ぇんだよ。
辛い事を思い出して、苦しみ続けるのは余分だぜ。
つまりな、
見た事や聞いた事や感じた事は無くせねぇけど、
いつまでも、こだわる事は無くせるんだぜ。
苦しむ元ってのは、見た事や感じた事じゃねぇんだ。
いつまでも、こだわった事なんだぜ。
嫌な事があっても、苦しみは無くせるんだぜ)


別訳
(生きているってのはよ、
いろいろ見て、聞いて、味わって、感じて、思ってるんだ。
実際は、心がどう思うかで、見方や感じ方が違う。
つい、受身で生きているけどな、変える事が出来るんだぜ。
なにも苦しむ為に生きてるわけじゃねぇんだ。
楽になるには『コツ』ってのがあるんだ。
苦しみを無くすだけじゃねぇ。
更に愉しめるんだぜ。
見る、聞くなどは受身だけど、
思う、は自分で自由に出来るんだ。
その『コツ』が、こだわらない事だ。
こだわらなけりゃ、いろいろな出来事は面白れぇぜ。
生きている時間は限られているんだ。
いろいろな体験は貴重なんだ。
同じような出来事でも、一つ一つは違う。
少しづつでいいからよ、変えてみようじゃねぇか。
大丈夫だ。
心はイイカゲンだから、変える事が出来るんだぜ)

無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

(先の事は分からねぇだろ。
それを無明っていうんだ。
いろいろ迷ったり苦しんだりするだろ。
それらには原因があるんだ。
とりあえず、十二個の影響があると思ってくれ。
一応、まとめて十二因縁っていうんだ。
おっと、そんな事ぁ覚えなくていいぜ。

無明から始まって最後は老死になるけどな、
老死から、また無明につながるんだ。
そうして、何度も生まれ変わって人生を体験するんだ。
先が分からねぇ人生だから、いろいろ体験できる。
何でも分かって、何でも見切っていたら人生しなくてもいい。

つまりな、
生きているって事は、無明の闇だから意味があるんだ。
迷って、苦しむ事ぐらいで人生を嫌になるんじゃねぇぜ。
無明だからこそ、嬉しさも愉しさも気持ちよさも味わえる。
無明や老死から離れたら、生きている実感も無ぇのさ)

無苦集滅道

(皆、苦労してるかぁ?
まぁ、苦しい事は多いわなぁ。
だからって、人生は苦だ、なんて思うなよ。
ん?ワシがそう言った? そりゃ誤解だ。
四諦? そりゃ、若気の至りってやつだ。
つまらねぇ事なんざ、忘れろよなぁ・・・

四苦八苦という苦しみがあるよな。
あるけど、苦しみだけでも無ぇだろ。
苦しみだけだと思い込むと、苦しみしか感じられ無ぇのさ。
苦しみにこだわるなよ。
こだわり、ってヤツが、更に苦しみを産んでいるのさ。

こだわりを無くせば、苦しみは小さくなる。
無くなるわけじゃ無ぇけど、楽になる。
無くすには、コツがあるんだ。
こだわりを無くす、って事にも、こだわらねぇのさ。
キマジメに執着を無くそう、なんて思うなよ

苦を無くす事にこだわらなくていいけど、より楽に生きてぇだろ。
苦ってのは暗ぇんだぜ。
ならば、明るく生きればいいじゃねぇか。
正しく生きるのは難しいけどよ、明るく生きるのは出来るぜ。

誰だって赤ん坊だったろ。
暗い赤ん坊なんて居ねぇんだ。
誰だって、明るかったんだよ。
ならば、誰だって、出来るんだよ。
昔、自分でしていた生き方だ。
それが、八正道って言葉なんだぜ。

人生、明るく生きようぜ。
それが、人生を愉しく生きる事になる。
苦を含めて、いろいろ体験する。
全て含めて、明るく愉しむ。
それが、この世に生まれてきた理由だ)

無智亦無得 以無所得故

(欲しがる心から自由になれよ。
それは僧達も同じだぜ。
物欲や肉欲だけが対象じゃ無ぇぞ。
欲しがる心が、大切なモノを観えなくしているんだ。

欲しがる心に、こだわらなくなる。
欲しがっても、いつでも放せる。
するとな、サトリからも自由になれるんだぜ。
サトリを得る事なんざ、どうでもよくなる。
サトリを追いかけるのは、趣味の一つだ。

サトリがどうでもいいなら、
その為の修行や智恵の追及もどうでもいい。
智恵からも放れる、放せる。
それで、やっと、大切なモノが観える。
大切なのは、毎日の暮らしだ。
(サトリを)欲しがる心にこだわらなくなると、
当たり前に気づくようになる)

菩提薩多 依般若波羅蜜多故

(お前ぇ等は皆菩薩なんだぜ。
生き物ってのはよ、その立場立場で生き方が違う。
それでも方向は同じなんだぜ。
気づいても気づかなくても同じ方向に歩いている。

この世界に生まれて、死ぬまで生きる。
一人一人の個性で生きる。
個性は共生を活かす為のもんだ。
この世ってのはよ、多種多様なモノが合わさって出来ている。
どんな立場でも、他の役に立っているんだ。
だから、気づいても気づかなくても菩薩だ。

もちろん一度の人生で完成するわけが無ぇ。
何度も生まれ変わるのさ。
いろいろな立場を経験するのさ。
そして、少しづつ進むんだ。
幸せ、そのものの境地に向かっているんだ。
生きているってのは、幸せに向かう事なんだぜ

誰でも菩薩なんだけどよ、
菩薩として生きるコツがあるんだ。
そのコツを知って実行すると、楽に生きられる。
苦しむと、生きるのが大変に思えるだろ。
苦しむ菩薩より、愉しめる菩薩になりなよ。

そのコツが般若ってヤツだ。
何も難しい事じゃ無ぇ。
何度も言っているだろ。
この世の仕組みはイイカゲンだ。
だから、イイカゲンに心を合わせるのさ。

万物が流転しているし、諸行は無常だろ。
心を固定したら苦しくなるのは当たり前だ。
毎日身体だって変化しているんだ。
心だけこだわるのは不自然だろ。
それに気づく事が、般若ってことさ)

心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

(心の悩みや迷い、心のダメージが有っても大丈夫だ。
その事に固定しなければ、勝手に変わる。
いろいろが有って当たり前だ。
だが、心は変化しやすいんだぜ。
一々思い出して、こだわらなけりゃ変わるぜ。

身体の病や怪我も有る。
必ずといっていいほど、降りかかる。
だが、それでも大丈夫だ。
回復したり、軽減したりするコツがある。
身体も常に変わっているのが事実だぜ。
しかも回復方向に変わっているんだぜ。

生きているってのは、必ず回復に向かっているんだ。
回復を邪魔しているのは、自分の固定概念なんだよ。
変化している事を認めろよなぁ。
不都合があるのを認める。
同じく、回復している事も認める。
要は、常の変化を認めるって事だ。
それが、こだわらない、イイカゲンって事だ。
それが、般若って事だ。

心や身体の不都合にとらわれるなよ。
といって、無視していいわけ無ぇだろ。
それぞれ可愛がれよな。
それが養生ってことだ。

養生を意識し行うと、楽になるぜ。
不都合が有っても治せばいいんだ。
すると、恐怖が必要以上にならない。
恐怖が有っても、大丈夫になるのさ。

まぁ、適当な大きさで恐怖を感じられる。
これは、結構大切なんだぜ。
恐れも知らないと、ロクなモノになれ無ぇ。
人間もケモノも妖怪も、適当に恐怖が必要さ。
必要以上は、いら無ぇけどな。
まぁ、般若ってのは、暮らすのが楽になるコツだ)

遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

(生きる、暮らすってのは毎日の事だ。
楽に生きる、元気に暮らすにはコツがあるぜ。
嬉しい事もあるけど、辛い苦しい事もあるよな。
そんな事ばかりだと滅入るよなぁ。
毎日の現実ばかり見ると、未来を暗くしちまうのさ。

だから夢があり、空想があるのさ。
夢や空想は現実からの逃避でも空しいモノでも無ぇぞ。
使い方さ。
毎日を明るく生きる為に使えばいいのさ。
時には夢や空想が現実にだってなる。

夢や空想を捨ててしまうなよ。
正しさや真実を追いかけると夢を失うぞ。
夢から遠く離れると、全てパァになるぜ。
生きているって事の意味が無くなるんだ。

正しさや真実だけ追いかける心から離れようぜ。
夢やアイマイなモノを大切にしろよな。
夢を持つから明るくなれる。
想いがあるから、温かくなる。

慈悲というのは、アイマイを大切にする心から生まれるのさ。
未熟な心を、そっと抱いてあげるのが慈悲ってもんだ。
未熟なのは、お互い様だぜ。
真実追求の心からは慈悲は生まれない。
それは非情ってヤツだ。

夢や想いや慈悲を持てば、そこが涅槃だ。
お互いに慈悲があれば、そこは極楽だ。
なにも遥か彼方にあるわけじゃ無ぇ。
毎日の生活の中に涅槃があるのさ。
・・・あまり真実追求にこだわるなよ、弟子達・・・)

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提

(過去、現在、未来のブッダといわれる人達。
人だけじゃ無ぇぞ。
ケモノだって妖怪だってブッダはいるんだぜ。
お前ぇらも、一応候補生だ。

皆、般若っていう楽に生きられる方法を使ったんだなぁ。
今まで言ってきた方法だ。
難しくは無ぇぞ。
こだわっているモノがあれば、それを放す。
時々、息をゆっくり吐いて、ボヤ〜としてみる。
この世の仕組みはイイカゲンだから、こだわっても無駄だ。
まぁ、なるようになるから心配するな。

そうするとな。
生きている事が愉しくなる。
苦しみも辛い事もあるが、そのまま受け取れる。
毎日、いろいろが変化しているんだ。
苦しみも辛さも、同じ姿じゃいられ無ぇのさ。

普段の暮らしが全く変わるわけじゃ無ぇ。
だけどな、こだわりが薄まると受け止め方が変わる。
苦しみや辛さは、それまで思っていたよりも小さいと判る。
何でもないような出来事が、とても嬉しいものだと判る。

苦しみや悲しみが小さくなって、嬉しさが増える。
すると、他のモノに優しくなれる。
自他の不出来や欠陥が可愛いと思える。
心の余裕ってやつかな。
それがブッダといわれるモノ達だぜ。

だからブッダは特別なモノ達じゃ無ぇ。
皆同じく、生きとし生くるモノ達だ。
こだわりから抜け出ただけだ。
誰でもなれるんだぜ。
だからお前ぇ等に伝えているんだ)

(この般若を知っていた方がいいぜ。
短いお呪い(おまじない)だ。
だけどよ、何しろ凄ぇんだぜ。
俺も修行僧もお前ぇ達も同じものだ。
共通なお呪いだ。

意味なんて知らなくていい。
知っても何もプラスにゃならねえ。
幸せになるのに、意味なんて考えるなよ。
苦しみが小さくなったり、
時には無くなったりすれば上等だろ。

それが出来るんだなぁ。
何とかなるんだよ。
心配するな。
仕組みの理屈は考えるなよ)

真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

(この世の出来事は全部真実だと認めてくれよ。
嘘もデタラメも真実だぜ。
だから、お前ぇ等も真実の人間だ。
真実のケモノだし、真実の妖怪だぜ。

真実から外れた嘘なんて無ぇ。
大丈夫だ、この世にいるモノは皆同じだ。
全てを認めると、苦しみは取り除かれるように出来ている。
この呪を唱えると、全てを認められるようになる。
つまり、苦しみが無くなるってことだ。
それが、この般若の呪だ。

自分だけじゃ無ぇぞ。
誰かが唱えりゃいい。
心の中で唱えてもいい。
行いで示してもいい。
全てを認めるってことをよ。

今までアレコレ話してきたけど、忘れてもいいぜ。
空とか無とかの説明なんか、知りたいヤツだけでいい。
覚えるのは呪の部分だけだ。
短けぇから覚えられるはずだ。

実際に役に立つ経は少ねぇんだ。
ほとんどが理屈だからよ。
理屈は屁みたいなもんだ。
マトモに受ければ臭ぇ・・・。

だけど、この般若心経は役に立つぜ。
最後の呪の部分だけだけどな。
これからそれを教えるよ。
期待してもいいぜ)

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶

(ガティー ガティー パーラガティー
パーラサンガティー ボォディ スヴァーハ

唱えれば、心が消えて、行く、行く。
唱えれば、魂鎮まり、来る、来る。
何かを超えて、何処かに行く。
何かを超えて、何処からか来る。

唱えれば、全てを超えて行く事が出来る。
唱えれば、全てを超えて、やって来る。
サトリは、その時叶うだろう。
全ては、その時に成就する。

般若の心経は、この呪に集約される。
何も心配はいらない。
何も苦労はいらない。
修行も精進も関係無しに
誰でも成就を成す事ができる)

般若心経

(何が無くても、大丈夫。
般若心経は、誰でも、どんなモノでも大丈夫。
呪が唱えられなくても、大丈夫。
何も解らなくても大丈夫。

生きる心があれば大丈夫。
幸せになりたければ大丈夫。
愉しく生きたければ大丈夫。
皆で楽しくなりたければ大丈夫。

身体も心も何とかなる。
壁があっても何とかなる。
苦しくても何とかなる。
未来も何とかなる。
般若心経に関われば、何とかなるぜ)

第二十一章は終りです。ご苦労様でした
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