第六章
  舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

また「舎利子」と呼びかけている。
さっき言ったばかりなのにね。
だから同じく「シャリープトラよ」と訳したら変だろ。
ブッちゃんはボケちゃったのか、と心配になる。
書いたゲンちゃん(玄奘)もボケたのかと・・・。

これが区切りの呼びかけの言葉なら
後半の「是大神呪・・・」の前にもあっていいはずだ。
これは心経だぜ。
単純に二度目も直訳していいわけないだろ。
心経はブッちゃんの伝法の場に同調しながら訳そうぜ。

最初は「お前ぇよ〜」と話し言葉に切り替えた。
ここから更に細かい説明を話していくのだ。
特に「いいかげん(空)」がイマイチ解り難い。
聴衆(ケモノ、妖怪含む)に少し集中してもらいたい。
だから二度目の「舎利子」は注意事項の言葉なのだ。
「よ〜く耳かっぽじいて、聞けよな〜」となる。

現代では
「携帯をマナーモードに」
「お隣とのお喋りはご遠慮を」
「バリバリとセンベイ食うな」
みたいなものかなぁ・・・

「是諸法空相」も直訳すると、
「全部の法則は空の相をなしている」となる。
五蘊皆空・色即是空・受想行識亦復如是って言ったじゃないかぁ。
・・・しつこい・・・
だから当然直訳はしないのだ。

「この世の仕組み(是諸法)が、どのくらいイイカゲン(空)か、
これから説明すっからよ(相)」

ここから、しばらくは「空」というイイカゲンなヤツの話が続く。
あまりにイイカゲンなので、
「不」とか「無」とかの否定語やアイマイ語で話すのだ。
ずぅ〜と「不」なんて言われていると、
「あ〜、もういい、わかったよ。
ようするに、イイカゲンなんだろ」
と衆生は理解してくれるのだ。
これはブッちゃんの話のテクニックだ。

ここから「不」と「無」の連続攻撃・・・。
最初に登場するのが「不生不滅」。
何度も言うが、これはブッちゃんが衆生に話しているのだ。
エネルギー不変の法則について、なんて勘違いしないでくれ。
そんな事ぁ、ケモノ達(普通の人達も)は聞きたくもねぇ。

そもそも「不」を「〜にあらず」と訳すから真意とズレる。
字面で訳しても表面しか見えない。
伝えたいのは内の部分だ。
字面を追うから、いろいろナゾや矛盾が出てしまう。
字面を追うから「空」を限定してしまう。
限定した「空」の説明訳にしてしまう。

頭で考えると常識が威張る。
だが常識は多くの場合、生きる勇気の邪魔をする。
ブッちゃんは衆生に生きる勇気を話しているのだ。
常識で経を説いたのでは、正しいかもしれないが、ツマラン。
ツマランものは勇気にならねぇ。

「不」は、続いて出てくる「無」の前振り言葉だ。
「無」の訳が出来れば「不」も訳せる。
すると常識と逆の意味になる。
「不」は「〜にあらず」ではないのだ。
「〜もあるさ」と肯定の意味になるのだ。
すると、これらの言葉が全て生きてくる。

「不生」だけなら「〜にあらず」でもいいだろう。
だが「生と滅」「垢と浄」「増と減」と反対語に付いている。
反対語にも「〜あらず」では混乱するだろ。
聞いているのは、いろいろなモノ達だぜ。
心(経)を素直に訳せば「〜もあるさぁ」となるのだ。
訳は字の常識にこだわるなよ。

それにしても心経は面白い。
玄奘訳は高僧の特徴がよく出ていると思う。
高僧は・・・イタズラ坊主なのだ。
素直と(明るい)ヒネクレが同居している。
意表をつく話であり、当たり前の話でもある。

「不生不滅」の通常訳がある。
この世の全ての法則は空(相)である、という訳の続きだ。
「新たに発生もせず、滅することもない」
つまり「空は絶対」としている。
「絶対」は誰にも確かめられないのに。

この世のモノは生物も非生物も「絶対」じゃない。
新たに生まれ、必ず滅亡するのだ。
魂や法則を「絶対」と言われても確かめられない。
認識では色も受相行識も「絶対」ではない。
言うのは自由だけど、言っても意味がないのだ。
聞いていても、納得できないのだ。

「生まれる事もあるし、滅亡する事もあるさぁ」
これなら、誰でも納得して聞いていられる。
色も受相行識も変化する事を毎日確かめている。
話というのは、納得できて次の話が聞けるのだ。
意味がわからなければ、話など聞かない。
「食い物でも探しに行くかぁ〜」となる。

話し言葉の「不生不滅」。
「(様々なモノは)生まれる事もあるし、滅亡する事もあるよなぁ」
直訳と正反対になるのだ。
身体だけでなく、思いや考えや感情。
生物だけじゃなく、部族や自然や星。
あらゆるモノが生まれ、やがて滅亡する。

法則だって同じだぜ。
絶対なんて無い。
ある条件があれば生まれる。
条件が無くなれば、消えるさ。
条件を超える想像ができないと「絶対」と思い込む。
「絶対」は「限界」の別名だぜ。

それ(無常)を含めて「空」と名づけたなら・・・
「空」=「絶対」=「真理(神)」でもいいだろう。
だが、残念ながら誰も確かめられない。
言っても意味がない。
生活に役立たないのだ。
聞いているのは、日々の暮らしで悩むモノ達なのだぜ。

「不垢不浄」の直訳。
「汚れない、浄化もない」
正しく「空」しい説明だ・・・。
多少色気を付けても
「空という法則は穢れなく、したがって清める必要もない」
こんな説明をブッちゃんが衆生相手にするかぁ?

「俺ぁよぉ、まわりくでぇ説明が嫌ぇなんだよ」

「人も場所も決まり事も仕事も地位も何もかも、
汚たねぇコトがいっぱいあるよなぁ。
この世は垢だらけだぜ。
そう思うだろ。
だけど、そういうコトを綺麗にする時もあらぁな。
綺麗にする人もタマにはいるさ。
心だって、時々は綺麗になるんだぜ。
結構、この世はわるくねぇぜ」

「汚れと清浄」の例えは他を含む。
「正と誤」「光と闇」「真と偽」などだ。
どれも勝手に主張するモノだ。
自分は正義(そっちは間違いだ)
私は光(相手は闇)
俺こそ、本物(あとは偽物)

「生と滅」「増と減」は客観的に認められる。
「正誤」や「真偽」などは主張方向の違いだ。
自分(達)の主張を相手に押し付ける。
それが・・・争いの元となる。
個人的には言い争いになる。

組織や国家的になると、争いは大規模になる。
戦争はいつでも、双方が「正義の戦い」をする。
だから戦争を肯定する。
しかも、生真面目だと攻撃も過激になる。
正しいのは自分だから、相手に容赦しない。
今も世界中で戦争がある・・・酷ぇなぁ・・・

だから宗教組織もゴマンと出来る・・・。
「我が宗教こそ、唯一、真なり〜」
真が、ゴマンと増える。
宗教組織は独善組織なんだぜ。
(ワシの独善なんて可愛いもんだ)

「不生不滅」と「不増不減」は法則の説明としていい。
だが「不垢不浄」は違和感がある。
法則と垢や浄は元々関係ない。
あるいは、全てを含んでいるのだ。
第五章で受相行識(心)を含めて「空」としたのだぜ。

今までの訳者達は、この違和感を感じていたはずだ。
だが、説明はしてくれない。
そのまま、訳している。
直訳としては正しいかもしれないが、不親切だ。
優れた訳者は・・・マジメすぎるのだ。
そして、マジメは時に薄情となる。

ブッちゃんは特に「不垢不浄」を言いたかったようだ。
あるいは・・・
ゲンちゃんが特に強調したかったのかもしれない。
これを入れなければ、訳をツマランものにする。
ここにもポイントがあったのだ。
ゲンちゃんが愉しく心経を書いたのがわかるぜ。
心経にポイント(宝物)をちりばめる事を愉しんでいる。

ブッちゃんは真理(正しさ)を追って修行に明け暮れた。
だが、何が真理だか、わからなかった。
知れば知るほど、わからなくなってきた。
ヤケになって、菩提樹の下でボケ〜(冥想)とした。

「真偽なんて、イイカゲン(空)だぁ」
そして仏陀(目覚めた、という意味)となった。

真理というこだわり。
そこには真偽や正誤の概念が常にある。
真偽や正誤などから解放されると観えるモノがある。
解放されると「楽」になる。

何の為に修行していたのか。
四苦からの解放を求めていたはずだ。
それを多くの人に気づいてもらいたい。
真理を知れば、それが得られると勘違いしていたのだ。
真偽や正誤から解放されたら、正気に戻った。

だからブッちゃんは、特に強調したかった。
「垢浄」という言葉で象徴したのだ。
ここに、楽になる為の、一つのポイントがある。

「真理なんかに、こだわるなよなぁ」

「不増不減」の直訳。
「決して増える事も減る事もない」
こ、これは、エネルギー不変の法則だぁ!
などと、おっちょこちょいの人達が言う・・・。
エネルギーが不変かどうかは判らんでしょう。

どんなにエライ学者様が言っても、人間だもの。
(相田みつを氏も言ってたなぁ・・・)
少なくても、地球上にいる人間の分際では判断できねぇ。
(この意味さえ判らない人達もいる・・・)
勝手に法則を作って、勝手に信じている・・・。

ブッちゃんは真理を話したのじゃないぜ。
経は真実を書いたモノじゃないぜ。
人々の苦しみを解放したり軽減したりするのが目的だ。
楽(幸せ)になるのが、生きている目的だ。
その為には仮の法則を話す事もある。
だが、法則が真実か嘘かなんてどうでもいい。
法則を知るのが目的じゃないのだ。

世界の何処か、あるいは宇宙の何処か。
全体的には何事も「不増不減」なのかもしれない。
だが、それは一つの推測にすぎない。
人間が宇宙全体を計ることはできないのだ。

絶対法則だぁ、と言われてもなぁ・・・
現実は、様々なモノは増えるし、減るし・・・。
ブッちゃんの周りに集まった衆生達(ケモノ・妖怪含む)。
増えない、減らないには納得できねぇ。
「バカ言ってんじゃねぇ。メシを食わなきゃ腹は減る」
「うちのかぁちゃんの腹は増える一方だぁ」
「金は減りすぎて、無くなったぁ」

だからブッちゃんもそんな事ぁ言わねぇ。
現実から離れた話は趣味だ。
趣味は興味が無い人達には無いに等しい。
ブッちゃんは役に立つ伝法をしているのだ。
趣味を話しているのじゃない。
経は趣味を書いたモノじゃない。

ブッちゃんは言った。
「いろいろ増える事もあるよなぁ。
悩みもそうだろ。増えるんだよなぁ。
だけど、減ることもあるよなぁ。
苦労も減るんだぜ。心配すんなよ」

小難しい事など言わない。
宇宙の法則がアアタラ、ウンタラなんて言わない。
日常で解りやすい例で言ったのだ。
優しく、解りやすく。
そんなこたぁ、当たり前なのだ。
当たり前が解らなければ、何も意味がない。

話を文字に短くまとめれば、
「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」になる。
深い意味では「あらず」も「それもあり」も同じだ。
だが、話し言葉では「〜もあるさぁ」になる。
否定語では、話にならねぇだろ。

ワシ的訳。
「お前ぇ等、よ〜く聞けよぉ。
これから、この世のイイカゲンさを説明すっからよ。
まず、いろいろなモノは生まれるよな。
命だけじゃなく、悩みも病も楽しさも地位も財産も。
それらは、いつかなくなる。
いろいろなモノは汚れたり間違ったりする。
だけど、綺麗になる事も修正される事もある。
いろいろなモノは増えることもあるけど、減ることもある」

誰でも普通に聞いていられる。
普通の言葉だが、何か惹きこまれている。
普通の言葉だが、とても大切な事だと思える。
伝法な口調だが、とても優しく受け止められる。

「空という法則は、生じる事なく滅することもない・・・」
などという説明より、ず〜と解りやすいだろ。
そして、そんな言葉では心に響かない。
優しいとも思えない。
優しさが伴って、経は活きるんだぜ。

第六章は終りです。ご苦労様でした
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