あとがき

以前より書いてみたかったテーマだった。
だが、下書きがあるわけではない。
最期までの訳があるわけではない。
書き始めれば、何とか続いて書ける。
そんな気がする・・・

その書き始めの覚悟が無かった。
マトモな知識も智恵も無いのだ。
覚悟などと格好つけても意味がない。
それも解っていたが、手付かずだった。

ある時、急に思い立った。
260日前の事だった。
一歩踏み出してしまえば、後悔しても仕方が無い。
毎日少しづつ書き綴った。
インターネットブログに載せた。

書くのは自動だ。
考えなくても言葉が出る。
(す、少しは考える・・・・)
手が勝手にキーボードを打ってくれる。
それでも表現部分はワシが意識している。
できるだけ、個性溢れる表現にしたい・・・。
だが、内容はワシの意識から外れる。
だから、出来上がって読んで、自分でも感心する。

毎日書く時間は5分くらいだろう。
当然、日によってテンションが違う。
その為、文体も違う。
そんなことは、どうでもいいと思っている。
(一まとめする時があれば、少しは統一しよう)

書いてくれるのは手だ。
勝手に動いてくれる。
だが、手はワシの一部でもある。
方向は意識で動かす事ができる。

内容はワシにはわからない。
だが方向は、ある程度決められる。
ワシは思った。
今まで無かった訳にしたい。
(どんな内容かはわからないが・・・)
という事は・・・正統派ではない訳だ。

正統派の訳本など本屋に山とある。
正統派と争っても無駄だ。
向こうの方が遥かにマトモだ。
ワシとは知識が違いすぎる。
というか
ワシの知識など無いに等しい。
間違っている事も多々多々多々あるだろう。

般若心経は広く深い。
ならば訳も正統派で無くても含まれる。
だが、般若心経を訳すほとんどの人はマトモだ。
不マジメで落ちこぼれのワシは少数派だ。

その落ちこぼれさえ救うのが心経だ。
ならば、ヒネクレた訳もアリだと思う。
ヒネクレ者は正統派では救えない。
ワシは意識してヒネクレた訳をしてみた。

ところが・・・ど真ん中だったかもしれない。
今、書き終わって読み返してみると、そう思える。
もちろん、自画自賛、我田引水だ。
なんだっていい。
もし、この訳で素直に響く人やケモノや妖怪がいたら、
それは、ワシの幸せになる。

題字を抜かして二百六十六文字の経。
偶然にも、書き始めて二百六十六日目だ。
今日で経の迷説を終りにする。

迷訳でも般若心経は最後まで訳しきれない。
チャレンジしてみればいい。
それが、何とか訳しきった。
突っ込み所は多々あるだろう。
だが、訳しきった事には変わりない。

多分、何かが応援してくれた。
イイカゲンの神様かもしれない。
読んでくれた人達かもしれない。
先祖の徳かもしれない。
少なくても、ワシの徳や実力ではあるまい。

ならば、
ありがとうの言葉しかない。

ありがとうごさいました。

合掌

水上陽平

 

あとがきは終りです。ここまで読んで下さり、ありがとうございました

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