まえがき

かねてよりの約束。
ワシは中途半端に書き出す。
いつでも中途の人生だ。
書くのは恥をかくと同じ意味だ。
格好付けても、付けなくても同じだ。
恥を晒さず生きる事は出来ない。

「迷」のままだ。
それでも、ワシなりの表現を使う。
それだから、ワシなりの解説をする。
独善、独解、独訳なんて「迷」のままだ。
読む人の気持ちなんて、全く無視・・・。
ワシが満足なら、充分だ。
(満足は難しいだろうなぁ・・・)

もちろん、他の人の解説も応用する。
ワシは他の褌で相撲をとるのが仕事だ。
ワシが扱う「氣」は自分のではない。
自分の能力なんて、極微だと知っている。
だから、優れていれば、他の褌を応用する。
使うには、綺麗な褌に限るが・・・
この世は、お互いの褌を使い合っているのだぜ。

 

 

 

プロローグ

その昔、玄奘三蔵法師が猿と豚と河童を連れて天竺に行った。
(玄奘が名前だ。三蔵はまぁ役職名だと思ってくれぇ)
通常は天竺をインドだと訳すようだ。
だが、ワシは独善迷訳だから違う。

西遊記は孫悟空物語(ファンタジー)だ。
だからこそ、そこに多くのヒントがある。
ファンタジーでなければ伝えられない。
事実の本質を伝えるには、童話が適している。
孫悟空物語と玄奘三蔵の旅は切り離さない方がいい。

般若心経の元「大般若波羅蜜多経」を何処から持って来たか?
これは般若心経の根幹に関わるのだ。
それによって、意味の深さが違ってしまう。
何故、心経は多くの訳が生まれてしまうのか?
何故、多くの訳を内臓しているのか?
「大般若波羅蜜多経」はインドから持って来たのか?

この世界は二つ(以上)の次元が重なっている。
簡単にいえば、見える世界と見えない世界。
モノに縛られる世界と、モノに縛られない世界。
だが、双方は影響し合っている。
例えば、身体と心。

ほとんどの教典はその事を示しているわけだ。
般若心経も二つ(以上)の次元の話だ。
上記の四行で解説は終わってもいい。
まぁ、真髄なんて簡単なのだ。

簡単は、深い。
簡単は、広い。
簡単だからこそ、受け手に応じる。
誰でも、受ける事ができる。
だが、その深さ、広さは様々になる。
心経とは、そういうモノだ。

二つ(以上)の世界が重なっている。
玄奘達が行った天竺も同じだ。
通常なら、見える世界で行動する。
だが、通常では特別な教典は得られない。
だから西遊記として、その過程が描かれた。

一向は天竺に向かった。
様々な困難を乗り越えた。
そして、辿り着いた。
もう一つの天竺へ。

重なっている世界だ。
現実の世界でもある。
もう一つの世界でもある。
その間(はざま)。
そうでないと、特別なモノは得られない。

人智を超えた教典。
人智を超えたモノなら、何処からだ?
神から直接教わった。
神からの声。
そういう伝わり方が多い。

だが、人は神と直接会えない。
神と偽る存在とは会える。
少し冷静になれば、当たり前なのだ。
階段を想像してくれ。

上位から、下位の階段は見える。
だが、下位から上位は見えないのだ。
それに・・・
上位にいても、それは神じゃない。
神は階段などに座ってないのだ。

人は階段を上がると、人以上の存在になる。
それを仏教的には「菩薩」といった。
更に上ると「如来」といった。
だが、人ではいられなくなる。

階段は自力で「気づき」自力で上がるモノ。
だから、上から手助けをしない。
手助けは、手助けにならないのだ。
上には簡単に行けない。
何度も生まれ変わって上れるようになる。
それを「輪廻」という言葉で示した。

上には簡単に行けないが、下には行ける。
下には落ちる事が出来る。
下は、下種だから下にいる。
騙すのは得意なのだ。
そして、言う。
「ワシは神だ」
騙されるのは、自分で下を向いたからだ。
上だと勘違いして。

人のまま、上には行けない。
(何にでも例外はあるが・・・)
上になれば、下の手助けはしない。
(手助けは妨害になるから)

それでも、上の独り言や雰囲気を知る事がある。
通路(空気)に触れる事がある。
それを知る方法がある。
「冥想」というヤツだ。
(冥想の一方法に「瞑想」がある)
これは世界共通。
生物皆共通で出来る方法だ。

自分の中の底の底。
それは上の扉に繋がっている。
最初から、扉は誰にでもある。
生物はどんなモノでも扉を持っていた。
それが、生物の生物である印。
だが、使うモノ達は少ない・・・。

「冥想」
心経のもう一つの意味と目的。
方法は幾つかある。
「瞑想」も「呪」も一方法だ。
心経の最後の部分は「呪」だ。

プロローグで終わってしまった・・・。
迷解説だが、終わってしまった・・・。
まぁ、いいかぁ。
ほとんどのモノは蛇足なのだ。
蛇足を使って、少し進める。

足を使わないで進めるのは蛇。
だから蛇は「智」の象徴。
人は蛇じゃない。
だから、足を使って前に進む。

というわけで、
まだまだ蛇足を書いていこう。

まえがきは終りです。ご苦労様でした
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