「迷説恋愛論」    HPトップに戻る

 

これは2009年5月12日から同年8月30日まで、毎日ブログに書いたものです。

自分のホームページ、楽天、ヤフー、goo,mixi,アメーバ等複数のブログです。

それをまとめて、適当に16の項にしてみました。

著作権は私、水上陽平にあり、転載、引用する場合は連絡下さい。(iiki8@ybb.ne.jp


「とりあえず・1の項」  「適当に・2の項」  「3の項・心?」  「4の項・恋愛?」

「5の項・恋愛??」  「6の項・自然?」  「7の項・変?」  「8の項・性?」

「9の項・活性?」  「10の項・アホ?」  「11の項・哲学者?」  「12の項・奇妙?」

「13の項・この世?」  「14の項・狂い?」  「15の項・生命?」  「16の項・アッパレ?」

 

 

「エピローグ・・・というほどではない」

 

ワシの苦手。
毛虫、芋虫のような虫。
何故かゴキブリも苦手。
ホモとホヤ。

 

ワシの怖いモノ。
片手に札束、片手にヒマのオナゴ。
ウソだと思ったら連れてきてみろ。
怖さのあまり、錯乱して抱きつくかも・・・
中でも、一番怖いのは札束かなぁ・・・
ウソだと思ったら送ってみなさい。

 

毛虫ほどじゃないけど苦手がある。
恋愛ってヤツだ。
青い春の頃は自分を知らない。
い、いや、今でも、大して知らない。
だが、苦手なモノは幾つか知っている。
思っているより、自分がずっとアホというのも。

 

青い頃、自分の苦手がわからない。
自分の位置がわからない。
アホだという事実がわからない。
勘違いしないでくれ。
可能性(未来)は生きている限り同じくある。
青くても熟しても枯れはじめても同じだ。

 

青い頃、他人と同じに何でも出来ると思っていた。
他人と自分は違うという事実が観えないでいた。
誰だって何でも出来るわけじゃない。
出来る事、出来ない事がある。
得意な事、不得意な事がある。
それが、よくわからない頃だ。

 

その頃でも、好き、嫌いは判る。
だが、嫌いと苦手の区別がつかない。
今は、その区別がつくようになった。
年を重ねるのは、結構わるくない。

 

好き嫌いは、どんなに幼くてもわかる。
だが、苦手は年を重ねて気づく。
苦手と嫌いは別物だ。
混同する人は多いようだね。

 

ワシは毛虫芋虫が苦手だ。
生理的に苦手だ。
だが、アイツ等が嫌いじゃない。
ホモもホヤも苦手だが嫌いじゃない。
嫌いな理由が無い。

 

節操の無さを目指しているワシだ。
毛虫だろうがホヤだろうがホモだろうが仕事なら請ける。
依頼してくれるなら、誰でも、ナンでも請ける。
嫌いな政治家のオッサンだって請ける。
氣功時は嫌いも苦手も薄くなるのだ。

 

毛虫やゴキブリや政治家だけじゃない。
依頼があれば宇宙人だろうが海底人だろうが請ける。
幽霊だろうが妖怪だろうが請ける。
請けるけど・・・治療費、払ってくるるかなぁ・・・
まぁいいか、依頼が主で治療費は付属だ。

 

こういった節操の無さが自慢のワシだが・・・
恋愛は苦手なのだ。
節操無しで恋愛はしない。
節操が有っても恋愛は避ける。

 

当然恋愛経験が少ない。
恋愛は心の感情のやり取りだ。
感情の駆け引きは苦手なのだ。
オナゴが苦手じゃないぜ。
ワシは、オナゴ大好きなのだ。

 

う〜m・・・・少し訂正・・・
オナゴ大好きというのはリップサービスだ。
オナゴは宝だと思っている。
それは本当だ。
生命に関わる仕事なら当然だ。

 

オトコだからオナゴが好きというのと違う。
オナゴは理屈や理由無しで誰もが好きなのだ。
人間だけじゃない。
全てのメスは、好かれるように創られている。
そうでないと、生命は継がれない。

 

オナゴという性で生まれただけで恵まれている。
好かれるように創られている。
大切にされるように創られている。
最初から宝として創られているのだ。

 

 

「とりあえず・1の項」

 

この世の創造主。
生物の創造主。
グレートサムシング(超偉大なナニモノ)。
通称、グレちゃん。

 

オスとメス。
オトコとオナゴ。
平等になど創らなかった。
グレちゃんにとって、平等という概念はない。
当たり前だ。
全てがグレちゃんの創造物だ。
平等も不平等もあるわけがない。

 

だが、それぞれ違いはある。
だから多種多様な生物で溢れている。
クマとタヌキとスズメと人間と毛虫。
平等とか不平等とかいう概念は無い。
オトコとオナゴとオカマに違いはある。
違いも区別もあるが、皆同じだ。
存在していれば同じだ。

 

平等と不平等。
ある条件に価値を付けた場合に発生。
例えば日本人の大半に共通する美意識。
それで美女や美男とランク付ける。
ランクが上に価値があるとする。

 

価値を認めなければ平等、不平等はない。
つまり・・・
アリにとって人間の美女や美男に価値はない。
価値がないから、意味も無い。
人間にとってアリの美蟻顔が判らないと同じだ。

 

グレちゃんからすれば、生物に平等不平等はない。
まして同じ種族の人類など、そんな細けぇ事まで意識しない。
それでいながら、一人一人違うように創った。
古今東西、誰一人同じ人はいなかった。
これって、凄い事だと思わんかぁ?

 

個々に違いはある。
ある条件で差もある。
例えば背の高さ。
運動能力。
計算能力、等々。

 

だが平等、不平等は無い。
無いが・・・幻は創れる。
無いモノも有る様に創れる。
それによって差別も生まれる。
単なる差や区別が差別として扱うのだ。

 

美女、美男にはチヤホヤ。
金持ちにはへつらう。
有名人は特別扱い。
政治家や官僚には特別手当・・・。

 

平等も不平等も無い。
だが平等感や不平等感はある。
そして、人間は感で幻を創る。
幻は人間社会では大きな力を持つ。

 

幻に左右して物事を決める。
価値観も決める。
社会常識も決める。
社会規則もルールも決める。

 

平等・不平等は本来無い。
だが人間社会にはある。
単純な益・不利益以上の差別がある。
大本のグレちゃんが創らなかったのに・・・
人間は平等・不平等を創り、差別を創った。

 

人間社会は幻が大きく影響する。
恋愛においても同じだ。
勘違いや幻(社会常識)が大きく影響する。
感情も理性も幻に影響されている。


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「適当に・2の項」

 

好きになる基準。
理屈じゃない部分もある。
本能的な部分もある。
だが、幻が圧倒的に多いだろう。

 

理由の証明は簡単だ。
別れる方が多いからだ。
運命なら別れない。
運命と思い込むのは多い・・・

 

感情は、その時代の常(識)識に左右する。
好きになる基準が社会意識に影響される。
その国、その地方の文化に左右される。
マスコミなどで作られる。

 

自分の感情は自分のオリジナルじゃないぜ。
オリジナルの部分はある。
だが、オリジナルはどんな事でも少ないのだ。
理性(と思っている部分)も感情も他からの影響だ。

 

更に、恋愛ってヤツは病の一つでもある。
そこにはグレちゃんの意図がある。
イタズラ好きのグレちゃんだ。
お茶目な仕掛けまで付いている。
まぁ、ハチャメチャに近い出来事だな。

 

通常時でも冷静な判断は少ない。
出来ていると思い込んでいるだけだ。
自分を離れる事が少ないからだ。
理性で判断するのが冷静だと勘違いしているし・・・

 

理性など、間違いだらけだぜ。
そんな事にも気づかない。
冷静な判断が出来る場合。
自分を離れる事が出来る場合だけだ。

 

つまり、人は不本意でも「デタラメ」に生きている。
これは、誰でも当てはまる。
認めない人は多いかもしれない。
認めなくても、単なる事実だ。

 

通常時でもデタラメな判断が多い。
更に恋愛というのは熱病の一種だ。
熱病だから冷静な判断は出来ない。
恋愛というのは二重の判断の誤りから成り立っている。

 

アバタだってエクボ。
単なる乱暴も、男らしい・・・
優柔不断は、優しい・・・
もちろん、カマトトなんて見破れっこない。

 

つまり、恋愛に侵されれば何だって好くみえる。
心の仕組みを恋愛は極端に表している。
心なんて、そんなものだ。
どうにでも思えるように出来ている。
恋愛の勘違いは、心の上手な使い方の見本だ。


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3の項・心?」

 

心はロクデナシだ。
ここを勘違いする人が多い。
精神世界を語る人は特に多い。
心の仕組みを理解していない。

 

心が何の属性か勘違いしている。
魂とか精神とかの属性だと思っているようだ。
あるいは、その代弁者。
基本が勘違いだから、いつまでたっても楽になれない。

 

心を弄って楽になる事はない。
一時的に楽になったと勘違いする。
その方法などを商品や商売にする。
立派な言葉は商人が扱うモノなのだ。
政治家とか成功者といわれる人達とか・・・

 

立派な言葉はある。
沢山ある。
山ほどある。
だが、立派な人は少ない。
マレだ。

 

立派な行為はある。
誰だってある。
だが、立派な行為だけの人はいない。
言葉や行為を売り物にする人で立派な人はいない。
だから宗教者は・・・

 

心を立派にしよう・・・
はっきり言う。
そんなのインチキだ。
心の仕組みを知ったら無理だとわかる。
判っていながら言うなら詐欺。
判っていないなら無知。

 

心は基本的には判断能力は無い。
立派も愚劣も無い。
様々なモノがあるだけだ。
多種多様なモノがあるだけだ。

 

いろいろな記憶がある。
しかも、間違った記憶もある。
いろいろな感情がある。
しかも、正反対の感情が必ずある。

 

いろいろな意識がある。
混在している。
混同もしている。
勘違いもしている。

 

心は多種多様なモノが点在している。
宇宙の星のようなモノだ。
意思は望遠鏡のようなモノだ。
一つの星に注視する。
視界は一つの星だけになる。

 

心に正誤は無い。
正解も不正解も無い。
意思によって、勝手に決めつけているだけだ。
心を使えば、判断はデタラメになる。

 

冷静な判断。
それは、心から離れる事で成り立つ。
本当の意味の「理性」だ。
自分を離れて「理性」は目覚める。

 

意思も心の一部。
ならば、意思も自分の意思じゃない。
社会的な既成概念。
固定概念。
経験体験からの思い込み。

 

心の一部をズームする意思も同類なのだ。
正しさは期待できない。
自分で判断しているような気になる。
だが、意思の大部分は作られたものだ。
常識や偏った経験。

 

自分の経験や体験が元になる。
極、多くの生物の中の一部の人間。
その60億分の一の体験で判断する。
偏っているのが、当たり前だ。
だから、通常は冷静な判断は出来ない。

 

判断力というのは、とても頼りない。
かなりデタラメで判断している。
勘違いと固定概念と思い込み。
それが集まって人間社会を作っている。
だから、人間って可愛いのだ。


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4の項・恋愛?」

 

恋愛は熱病。
熱でうなされ、通常の判断力が更に落ちる。
もうメチャクチャに近いかも。
でも、本人は本気。
自分の判断、自分の思いが一番正しいと信じている。

 

だから、面白い。
ここに、人類が存続できる仕組みがある。
恋愛は、とてもデタラメではあるが、
恋愛は、人類を救っているのだ。

 

仮に冷静な判断力が出来るとしよう。
身体、能力、容姿、財産、その他。
男女共に、全て高い相手を選ぶ。
イイオトコとイイオンナ。

 

何組が結ばれる?
アナタが結ばれる可能性は?
アナタがこの世に生まれる可能性は?
人類が増える可能性は?
人類の未来の可能性は?

 

お分かりだろう。
判断力の無さが人類を存続させている。
勘違いがあるから、アタナにも相手が出来る。
間違いがあるから、アナタもこの世に生まれた。

 

恋愛の延長が結婚ではない。
恋愛は恋愛。
結婚は結婚。
だが、恋愛は狂いを増強させる。
恋愛という熱病のまま、結婚に進む人が多い。

 

結婚しなくても子供は出来る。
いろいろな状況で出来る。
だが、ここでは恋愛の範囲で書く。
恋愛という熱病がアレコレする。
その結果として子供が出来る。

 

恋愛は結婚、家庭と進む。
子供が出来る。
結婚に進まなくても、子供が出来やすい。
その子供がアナタというわけだ。
恋愛という病に感謝しようね。

 

熱病は身体全体に熱を帯びる。
熱は無理やり身体を活発にする。
生命力が上がる。
ただし・・・一時的だ。

 

熱は上部へ上がりたがる。
全体が熱だが、特に頭に強く出る。
そうでなくてもアホな頭だ。
更に思い込みが激しくなる。

 

もはや感覚も狂ってしまう。
五感の判断は脳でする。
その脳が勘違いする。
五感を歪めて感じてしまう。

 

感覚器官は事実を伝える。
だが、脳は正しい判断などしない。
脳は思考や嗜好や志向を混ぜるのだ。
感情や嘗ての狭い体験も混ぜる。

 

見たいように判断する。      
あるいは、見たくないように判断する。
聞きたいように判断する。
聞きたくないような判断をする。
それを、事実だと思い込む。

 

美人なんて人はいない。
それぞれの個性があるだけだ。
それなのに、好みだと思い込む。
「美人」という判断をする。
まぁ、酷くフラレたら違ってみえる。
「よく見りゃ、嫌なオンナじゃん・・・」

 

価値は一方向の見方だ。
色白だから美人。
色白で病弱そう・・・。
のろま。
癒し系・・・。

 

頑固。
自分を持っている・・・。
誰にも優しい。
優柔不断・・・。

 

だから長所も短所もない。
一方向の尺度からの見方だ。
判断というのは、とてもアイマイなものだ。
まして、狂った状態(恋愛中)ではメチャクチャになる。
熱が冷めると、少しはマトモになる。

 

恋愛が病気なのは事実だ。
だが認めたくない人々もいる。
恋愛って最高よ。
恋愛って素敵。
そういう評価に異存はない。

 

でも病気には違いない。
熱病なのは間違いない。
病気が悪いわけじゃないし。
病気は悪とか間違いとか思わない。
だけど、諸々が狂っているのは確かだぜ。

 

ここにグレちゃんの仕掛けがある。
不調和(変化)が無いと未来が続かないのだ。
恋愛が無いと人類に未来は無い。
マトモだけなら、生命は先細りになるのだ。


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5の項・恋愛??」

 

恋愛は病。
病は忌み嫌うモノじゃない。
病は活用で未来を生む。
勘違いから未来が続く。

 

勘違いでも育てればいい。
未熟同士でも助け合えばいい。
欠陥なら補えばいい。
補えなくても、認めりゃいい。
そうすれば、未来が続く。

 

思い込みから道が伸びる。
勇み足から子孫が続く。
最初から冷静なら、誰も動けない。
恋愛って、神様からの贈り物だ。

 

恋愛は素晴らしい・・・
なんて冗談だ。
恋愛は狂った状態だ。
かなりダメな状態だ。
だから、面白いのだ。

 

心は通常でも偏っている。
平常心でも欠陥品だ。
恋愛中の心は、僅かなマトモ部分さえ狂う。
もう・・・こうなりゃ、アッパレ!

 

人生アッパレなら、価値がある。
せっかく生まれたのだ。
アッパレな体験してこそ価値がある。
だから、誰でも恋愛できる。
恋愛は神様からの贈り物。

 

神様ってのはイタズラ好きだ。
マジメじゃないぜ。
マジメなら世界など創らない。
そんなツマランモノなど創らない。

 

面白いモノは、イタズラな仕掛けがある。
優しさがある。
神様は、欠陥品を贔屓する。
至らないモノを可愛いと思う(らしい)。
我々、地球上のモノ達は、全て至らないモノだ。

 

だから、人間だって存在できる。
だから、アナタもワシも存在できる。
欠陥を可愛がるし、そこに活用の仕掛けをする。
神様って、とても、オチャメだ。

 

神性。
どんなモノの内にも神の性質がある。
当たり前だ。
神が創ったのだ。
かなり、いいかげんではありが・・・

 

当然、欠陥品のワシやアナタにもある。
神性は誰にでもある。
量の多寡はない。
質も同じだ。

 

神性の一部に慈悲がある。
欠陥を可愛がる意識だ。
そういうことだ。
恋愛とは。

 

恋愛は神性の現れ。
すげぇなぁ・・・
恋愛は熱病ではあるが、神性でもある。
神っていうのは、とてもヒネクレている。

 

未熟で欠陥品でナサケナイ者達。
そういう連中も愛される。
そういう連中も恋をする。
一時的ではあるが、幸せ感を味わえる。

 

欠陥品に救いの機会を与えた。
欠陥品でも幸せ感にひたれる。
まぁ、地球上の人類は欠陥品だらけだ。
極、一部に完成品に近づく人もいる。
まぁ、めったにいない。
ブッちゃん(仏陀)やキリちゃん(キリスト)は特別なのだ。

 

恋愛という救済手段。
これがあるから人類は存在できる。
ワシもアナタも生まれてきた。
当然ワシやアナタも欠陥品。
だが、何とかなっている。

 

恋愛という病気が無ければ・・・
冷静な判断の交流。
冷静な社会。
速やかに、滅亡するだろう。

 

冷静なら結婚などしない。
子供も作らない。
社会もつまらない。
生きる意欲も湧かない。
マジメで冷静は滅亡に向かっているのだ。


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6の項・自然?」

 

自然。
調和から変化。
変化から調和。
この二つが常に巡っている。

 

万物流転。
それはスパイラル状に進む。
ベクトルは常に調和に働く。
だが断続的に変化(狂い)が生ず。
それが自然の姿だ。

 

狂い(変化)が無いと朽ちてしまう。
枯れてしまう。
完成したら滅するしかないのだ。
狂い(変化)があるから未来が続く。
それが、恋愛ってヤツだ。

 

ワシは恋愛っていうのが苦手だ。
経験が無いわけじゃない。
だが、平気で熱病にかかるほど素直じゃない。
普段はメチャクチャだが、恋愛は気が乗らない。

 

ワシが書くモノは、ワシの意思じゃない。
手が勝手に書いてくれる。
そして、書いた後で読む。
そして、そして、結構感心したりする。

 

恋愛を少々バカにしていた。
こんなに生命に必要だと思わなかった。
恋愛って、スゴイヤツだったのだ。
神様のヒネクレは知っていたつもりだったが・・・
恋愛が、そんな役目だとは・・・

 

自然は変化(狂い)で先に進む。
自然とは生命でもある。
生命は変化(狂い)があるから活性する。
なるほどなぁ・・・

 

 

ワシの仕事は回復であり、更なる健康だ。
生命の回復には「やすらぎ・やわらぎ」が向いている。
だが更なる健康には、狂い(変化)が必要でもある。
その他にも、書けない気づきがある。

 

自分で書いて(書かされて)いるとはいえ・・・
いろいろ、気づかせてくれるよなぁ。
狂いと生命力の仕組みは、応用の仕方がある。
なかなか、面白い。
と、一人納得した雑記なのだ。


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「7の項・変?」

 

変化は「狂い」の一面がある。
そして「刺激」の別名でもある。
生命は、ある一定線から刺激で活性する。
自然は、ある条件から刺激で活性する。

 

常に刺激があれば、生命は壊れる。
常に(大きな)変化ばかりなら、自然は壊れる。
小さな小さな変化は、当たり前だ。
諸行は無常なのだ。
肉体は常に(小さな)変化を続けている。

 

一定以上の大きな変化を「狂い」という。
例えば、春。
春は狂いの時期なのだ。
刺激の時期なのだ。
そして、生命の活性の時期なのだ。

 

例えば台風。
大きな変化だ。
人間にとっては被害かもしれない。
だが、台風によって自然界は活性する。
諸々が浄化(整理)される。

 

例えば風邪。
咳、熱、その他。
日常の身体と比べ、大きな変化だ。
だが、風邪によって浄化される部分も多い。
単純に身体を病んでいるだけじゃないのだ。

 

例えば雨であり、雪。
例えば、人生上のアクシデント。
例えば、恋愛。
自然や生命は、変化で活性する。

 

人間は行動が素直じゃない。
恋愛も人それぞれでパターンが違う。
狂っている状態は共通だ。
意思や感情ってヤツは真っ直ぐにならない。

 

生物は何らかの刺激物質で狂う。
性的興奮物質ではある。
人間も同じだ。
だが、素直じゃないから認めない人が多い。

 

恋愛って、もっと純粋だもの・・・
そう思いたい気持ちはわかる。
でも、残念でした。
純粋も不純も関係ない。
何らかの刺激物質で狂うだけだ。

 

恋愛を精神世界の事だと勘違いする。
そうじゃない。
恋愛は動物的な衝動行為なのだ。
生物の本能反射の一つなのだ。

 

その時に心の揺れが起こる。
その部分だけ大きく取り上げてしまう。
その部分だけが、恋愛だと思ってしまう。
恋愛は純粋な精神世界だと勘違いする。

 

ただし・・・ここからが説明し難い。
心は身体に引きずられる。
だが、心だけ暴走する事もある。
身体が付いて行けないのに暴走する。
本来は身体の行為の為だったのに・・・

 

身体が動かなくても心は動く。
これがグレちゃん(創造主)の仕掛けだ。
身体が動く状況なら、身体から心。
身体が動けない状況なら、心だけでも動く。

 

何故だ?
何故、心だけでも動くように創られた?
この世は物質(肉体)界なのに。
この世では生命は肉体に宿るのに。

 

これが、グレちゃんの仕掛け。
仕掛けは生命活性の為にある。
心だけでも生命は活性できる。
本当に、お茶目な創造主だぜ。

 

恋愛という熱病は二重の役目をしている。
生命を繋ぐ役目と生命を活性する役目だ。
一つは種族という縦の生命。
一つは個人の生命の活性。

 

ある意味、かなり、マトモな役目だ。
とても重要な役目だ。
なのに・・・
とてもアホらしい病状である。
ここがグレちゃんのオチャメさだ。

 

恋愛がアホなのは、間違いない。
関係者以外の目で見れば納得するだろう。
恋愛中は変人に変態中なのだ。
洞察力も判断力も行動も変なのは間違いない。

 

マトモじゃない事。
マトモじゃないモノ。
変な人。
それが、何故か役に立つ。
しかも、とても大事な役目・・・

 

恋愛というヘンテコなモノ。
それによって、狂う感情。
それによって、間違う行動。
それによって、人類が存続できる。

 

個々の生命の底の部分。
ある意味、動力源。
そこに、ヘンテコな恋愛がある。
動力源の一つの燃料となっている。


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8の項・性?」

 

納得しない人が多いだろうけど・・・
人が生きていく生命力の底に性の力が大きい。
まぁ、底を観る人は少ないから無理ないけど・・・
表面の理屈や理想や哲学などもある。
だが、底は肉体生物の生命力だ。

 

表面も大切だ。
浅い部分も大切だ。
底のドロドロを観たくない気持ちもわかる。
だが、底の生命力は、理屈じゃない。

 

底から表面に上がるにつれ、変化する。
変化は種によるし、個による。
人間は表面を綺麗事にしたがる。
恋愛は精神的世界だと分類したがる。
底を観なければ、心の世界だけどねぇ・・・

 

恋愛は心の世界。
まぁ、そういう言い方もある。
心だから、デタラメだし・・・。
心だから、間違いばかりだし・・・。

 

でも、その心の動きが何処から湧いた?
心は原動力がなければ、ただの断片の集まり。
多種多様な断片が心だ。
それが意思を持つのは、動かす力が働くからだ。
動かす力は、底から湧くのだよ。

 

底には何がある?
生命がある。
この世では、肉体に宿る。
肉体は、性から生まれる。
生死がある肉体は、必ず性から生まれる。
性を持たないアメーバには生死がない。

 

性と生(命)は同根。
単純な力じゃないけど、力が湧く所。
そいつ等が動く。
脈々と続ける生命の川。
種の存続。

 

その方法の一つに恋愛がある。
一石幾鳥もの仕組みだ。
グレちゃんはメンドクサガリ屋だ。
だから、一つの方法で効果効能は複数になる。

 

マルチの仕組みだ。
だから、ヒネクレている。
生命の現れ方は、ほとんどヒネクレている。
お茶目という言い方でもいいかな。
深く観れば、素直という言い方にもなる。

 

恋愛は性(生命)から生まれる。
ということは・・・
極端に言えば、赤ちゃんも恋愛できる。
生きているモノ全て恋愛しているのだ。

 

アメーバはダメだぞ。
あいつ等は生死と別な存在だ。
だから恋愛を知らない。
なにしろ、自己増殖だし・・・


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9の項・活性?」

 

恋愛というと思春期。
そういう固定概念では生命は観れない。
思春期は性が変態する時期だから、わかりやすいだけだ。
幼稚園児でも恋愛する。
表現が出来にくいが、赤ちゃんもしているのだ。

 

ゴキブリだって政治家だって恋愛する。
猿だって、聖者だって恋愛する。
1
歳でも100歳でも恋愛する。
自覚しているか、どうかは別だ。
行動に表すか、表せるかも別だ。
生きているモノなら恋愛する。

 

何度も引き合いに出すが、
アメーバのように性が無いモノは恋愛しない。
恋愛の必要もない。
性の無いモノは生死が無いのだ。
生まれるわけじゃない。
死ぬわけじゃない。
だから「生きている」とはいえないのだ。

 

生きている間(肉体がある間)なら恋愛できる。
恋愛はヘンテコリンな熱病の一種だ。
間違いや偏った思いと行動をする。
だが効果として、生命力は増すのだ。

 

恋愛の病は細胞を活性する。
オナゴの肌はイキイキする。
オトコは、いいところを見せようとする。
基本的に若返る。

 

少々ボケが始まっても大丈夫。
恋愛すると、ボケが治る。
身体も動くようになる。
ボケたくなけりゃ、恋愛すればいい。

 

ただし、恋愛には失恋が付いてくる。
ほとんどセットで付いてくる。
失恋にどう対処するかで、恋愛の活用ができる。
失恋で落ち込むのは、恋愛の利点が半減する。
まぁ、半減しても恋愛する方が生命力の増進になるけど。

 

恋愛中は夢の中だ。
フワフワ浮かんでいる。
だが失恋が待っている。
重力が二倍になる。

 

困ったことに生命力が弱化する。
マトモに失恋を受け取ればだが・・・
だから、失恋の対処法を知っていればいい。
恋愛自体がアホな病だと知っていればいい。

 

失恋は夢が破れたわけじゃないのだ。
目が覚めただけなのだ。
それを知っていれば、恋愛は使える。
恋愛は活かせる。
恋愛のイイトコ取りが出来る。

 

ワシ個人は氣功が使える。
この氣功は生命力を直接応援する。
だから恋愛を使わなくてもいい。
個人的には恋愛はメンドウなのだ。

 

だが、通常は氣功を使えない。
本当は誰でも使えるが、使い方がわからない。
わかっても使い続ける事が難しい。
力を抜く事はスイッチの切り替え。
そのスイッチが見つからないんだよね。
誰でもあるけど、見つからない。
誰でも使えるけど、使えない・・・。

 

ならば恋愛という方法がある。
要は生命力が活性すればいい。
方法はその他も幾つもある。
生命力の活性法は、多くはないけど幾つもある。


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「10の項・アホ?」

 

元々人間の冷静は評価できない。
冷静であっても、基本が間違っている。
冷静の意味がない・・・
もちろん、個々の質による。
冷静と霊性は比例する・・・

 

冷静でも大した判断も行動もとれない。
判断や行動は、生命への貢献が基準なのだ。
生命に迷惑な判断や行動なら、無い方がいい。
今の地球上の人間種の判断や行動は迷惑となる。

 

生命(あらゆる)の邪魔になる文明や文化も迷惑だ。
生命に貢献しない発展は、進化といえない。
どんなに冷静な判断や行動でも方向が違えば迷惑。
だが、狂っていても恋愛は生命に貢献している。
冷静でない(アホな)恋愛は、冷静な人達よりマトモなのだ。

 

アホな思いと行動。
それが冷静な努力の社会貢献よりマトモ・・・
ここにグレちゃん(創造主)のオチャメがある。
グレちゃんは超優秀だ。
つまり、超優しい存在だ。

 

未発達で未熟で不出来な人間。
その誰でもが行える事。
能力があろうが、あるまいが同じ。
恋愛は人を差別しない。

 

恋愛は人の上に人を作らず・・・
人だけじゃない。
生物は恋愛によって存続する。
アホな思いと行動が生命を繋ぐ。

 

通常の立派な行為。
利他行。
他の為に生きる。
キ、キミの為なら、し、死ねる・・・

 

ところが恋愛は自己中心。
相手(他)の事を思っていると勘違い。
ものすごく、自分勝手な感情なのだ。
その気でない相手は、とても迷惑・・・

 

その自己中の恋愛が相手を変える。
相手も少々変になる。
いわゆる、相思相愛ってヤツだ。
双方が変になると生命に貢献する。
変人同士は愛人同士になる。

 

立派な利他行が、変人に負ける・・・
社会貢献より生命貢献がマトモだからだ。
生命即神。
社会は人間だけだもの。

 

こうして変人や変態のカップルは生命を繋ぐ。
神(生命)に貢献してしまう。
恋愛という不条理で不安定な感情。
それが、一番マトモになってしまう。

 

嘗てキリちゃん(キリスト)は言った。
「一番アホが、一番マトモになる」
これが恋愛を指した言葉だった。
見抜いたのはワシだけだろう・・・
(良い子の皆さんは信用しないで下さい)

 

どんな立派な人もアホになる。
どんな徳の高い人でもアホになる。
どんな修行を重ねた人でもアホになる。
恋愛はダメ人間と立派人間を差別しない。

 

所詮恋愛の前では、人間の容量など同じだ。
全てドングリの背比べ。
人間の思考や行動など、大したモノじゃない。
恋愛は、人間の思い上がりを諭してくれている。
(い、いや、諭しているとも思えない・・・)

 

まぁ、偉そうにしても、そんなもんだよ。
だから、人間は可愛い。
アホだから、可愛い。
皆、アホだから、生きている価値がある。
立派なら、人間でいる必要がないものねぇ。

 

社会的に偉い人。
人間界で偉い人。
社会的にダメな人。
人間的にもダメな人。

 

恋愛すると同じなんだなぁ。
自分は誠実と思い込む。
本当の心と思い込む。
自分を客観視できない。
アホだと自覚できない。
(時々は自覚する・・・)

 

面白い仕組みを創ったものだ。
生命を繋げるという最重要事項。
それをアホな思いと行動に託す。
な、なんて、オチャメな創造主だ。

 

勝手に思いを寄せる。
あ、愛してる・・・
「愛」とは何か、なんて考えない。
愛が解らないけど、愛してる。
無茶苦茶だけど、それが恋愛だ。

 

相手の事を思っている。
そう勘違いしたまま、突っ走る。
あ、愛して、何が悪い!
無茶苦茶だけど、それが恋愛だ。

 

少しでも近づきたい。
更に近づきたい。
できれば、触れたい。
ぜひとも、一体になりたい。
無茶苦茶だけど、それが恋愛だ。


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「11の項・哲学者?」

 

哲学者という立場の人がいる。
当然、職業じゃない。
だが、職業として成り立っている時代がある。
本当の哲学者なら厚顔無恥という言葉を出すが・・・

 

現代も哲学者という職業がある。
哲学で商売している。
嘗て、古代ギリシャ時代もいた。
まぁ、奴隷が貴族を支えていたのだ。
哲学者が商人の現代とは違う。
趣味の延長みたいな立場だ。

 

その一人にプラトンという人がいた。
通称、プラちゃん。
哲学者だから、当然、厚顔無恥だ。
よせばいいのに、恋愛を哲学した。

 

何も生産しない。
生活に役立たない。
お互いの支え合いが出来ない。
哲学者とはそういう存在だ。

 

現代なら評論家とかコメンテイターとか。
自分が役立たずという負い目がある。
心の底は知っている。
だから、エラソウにする。
威張るのは劣等感か虚栄心だ。

 

当然、働かない哲学者のプラちゃん。
アレコレ自説を声高に言う。
どうでもいい事をエラソウに言う。
プラトンの恋愛論・・・。

 

プラちゃんは毎日プラプラしていた。
何しろ働かなくても生活できる。
その分、誰かが一生懸命働いている。
この時代は働く身分と遊ぶ身分があったのだ。

 

働かない人間のする事。
酒池肉林。
非生産的な思考、空想、妄想。
酒池肉林を除けば、ワシも当てはまるかぁ・・・
そう、ワシは漫画評論家になりたかった・・・

 

ロクデナシの思考は虚栄で成り立つ。
エラソウな言葉。
つまり、一見正しい言葉だ。
一見、マトモな思想だ。
プラトニックラブ(プラトン的恋愛)はこうして生まれた。

 

プラちゃんは哲学者だ。
有識者というヤツだ。
だから厚顔無恥だ。
傲慢無知ともいう・・・

 

政治家達の集まりで「賢人会」というのがある。
自分で言って恥ずかしくない人達の集まりだ。
有識者と紹介されて、恥ずかしくない人達。
だから厚顔無恥や傲慢無知と同意語になる。

 

特徴がある。
立派な言葉を言いたがる。
声が大きくなる。
出来るだけ、多くの人に知らせたい。
成功者といわれる商人もこのタイプだ。

 

成功の法則。
幸せの法則。
他の為に尽くす。
すると、自然にお金持ちになる・・・
願えば叶う・・・

 

故マザーテレサが一生かけて尽くした。
だが、お金持ちにはならなかった。
お金持ちになろうとも思わなかったけど・・・
目指す方向が最初から違う。
商人は儲けるのが仕事。
エラソウな嘘は仕事じゃないぜ。

 

ワシも自然にお金持ちになりたい・・・
だが、残念なことに商才がない。
努力する根性もない。
人にはタイプがあることを知った・・・
ワシはワシの道を歩くのが適しているようだ・・・
酒池肉林とは縁がないのだ・・・残念。

 

プラちゃんは恋愛に理屈を付けた。
何しろ哲学者だ。
理屈が商売道具だ。
言葉が商売道具だ。

 

愛も恋愛も理屈で動かない。
どんな分析も役に立たない。
いきなり異次元に入り込むのだ。
考えて恋愛するわけじゃない。

 

だが、哲学者だ。
傲岸無知を振りまかなければ・・・
う、美しい愛を説かなければ・・・
精神的な美の愛・・・

 

プラちゃんはヒマだった。
哲学者はヒマでないとなれない。
しょうもない事を突き詰めて考える。
物事の本質・・・
それをイデアと名づけた。

 

最初の間違い・・・
プラちゃんは人間だ。
しかも奴隷に働かせて、自分は遊んでいる。
だから、頭だけで考える。
そんな人間が「本質」を見極める、と前提している。

 

哲学者だから、傲慢無知だ。
自分は賢く素晴らしいから「本質」を見抜ける。
そう自惚れて、考えを進めた。
だから、出発点から間違っている。

 

物事を哲学する。
それは好奇心の根源かもしれない。
わからないモノ、わからない事、知りたい。
だが、哲学する事は過程であり、生き方だ。
本質が解明されるわけじゃない。

 

哲学者の致命的欠点。
本質に迫る、解明できると勘違いする。
哲学するのは自由だ。
どんな風に思おうと自由だ。
それは愉しい事でもあるだろう。

 

だが、基本的に人間だ。
個の能力で判断する。
どんなに自を離れても、別にはなれない。
まだ、人間だもの。

 

考える、哲学する。
それは人間の能力の一つだ。
生きる事を応援するグッズでもある。
愉しみの一つでもある。

 

だが、結論はその先に無い。
解明は別の次元だ。
悟りとか真実とかは、別次元だ。
考えの先にあるモノじゃない。

 

仮に、もしも、という前提で・・・
解明、悟り、真実が人間に解るとしたら・・・
何も考えない、哲学しない状況ならありうるかもしれない。
自然と一体の状態なら、もしかしたら・・・
いずれにしろ、考えから真実には到達しない。

 

哲学者が勘違いしてもいい。
間違えるのは、当たり前だ。
プラちゃんが本質論(イデア)を説くのも自由だ。
自由だけど・・・説得力はないぜ。

 

精神的な愛。
真実の愛。
恋愛は精神的な真善美。
少年同性愛をしながら説いてもなぁ・・・

 

少年同性愛だから、プラトニックだ・・・
酒を飲みながら「酒に飲まれるな」と説教する。
金儲けの果てに「奉仕の心」と法則を説く。
偉い人達って、自分を見失うようだなぁ・・・

 

ワシは他人の趣味まで口を挟まない。
プラちゃんの同性愛や少年愛。
決して少なくない偉人達のソッチ系の趣味。
同意の上なら、勝手にしてくれ。

 

だけど、哲学者として大声で言うのは間違いだろう。
同性愛こそが至上の愛・・・
その少年達だけの軍隊が最高・・・
古代ギリシャでは少年愛が普通であっても間違いは間違いだ。

 

愛に上下はない。
愛に種族もない。
愛に男女もない。
そうかもしれない。
だが、少年愛こそ至上の愛は言いすぎ。
同性少年愛は、プラちゃんのこだわりだ。
こだわりは、間違いを生む種だぜ。

 

愛というと範囲が広すぎる。
何でも「愛」に含まれる。
もっと狭いモノ。
もっと偏ったモノ。
恋愛は、愛と付くけど別物だ。

 

愛のベクトルは広がる。
恋愛のベクトルは個に収縮する。
愛は自を超える。
恋愛は自に固執する。

 

だから恋愛は生命を紡ぐ。
個と個だから、生命を繋げる。
愛では、生命が昇華してしまう。
この世(肉体界)では昇華したら存在できない。
精神世界では生命を維持できないのだ。

 

恋愛というと心の(見えない)世界だと思ってしまう。
心の世界なら、崇高なモノにした方が箔が付く。
というわけで、最高の恋愛は真・善・美・・・
何しろ哲学者とか学識者は箔が命・・・
中身は人類皆一緒だもの・・・

 

箔ばかり気にして理屈付ける。
だから、中身の一番大切な生命を忘れる。
この世にあるモノは、生命の為に存在するのになぁ。
個人の精神の向上に存在するわけじゃない。

 

特に恋愛は種の生命存続の鍵だ。
種は個々から成り立つ。
個々の雌雄の結びの鍵だ。
だから、勘違いが必要なのだ。
アバタはエクボに見える必要があるのだ。

 

人間の中身。
大した事ねぇぞ。
恋愛すると、それが解る。
解るのは、終わってからだが・・・
それと、周りの人達は解る。

 

恋愛中の本人は狂っているからわからない。
恋愛中は、わけがわからない思考と行動する。
冷静になると、恋愛は終わる。
失恋しても、終わらない恋愛もある。
ストーカーとかになる。
恋愛は終わらないと迷惑なのだ。

 

恋人同士と変人同士は兄弟姉妹と解る。
普段、どんな肩書きがあっても同じだと解る。
老若男女、皆同じだと解る。
人種も時代も関係なく、中身は愚かだと解る。
そして、人間って、結構、可愛い生き物だと解る。

 

正常な恋愛はない。
恋愛は全て狂いがあるのだ。
そして・・・勢いで結婚する。
しなくても、子孫を残す。
生物は、皆、同じ、轍を踏む。

 

同じ間違いを繰り返すから、生物は続く。
間違いは、単純に修正すればいいわけじゃない。
同じ轍を踏むから、生命は存続できる。
冷静だったら、一組の雌雄しか残らない。
その場合は、蜂社会のような仕組みとなる。

 

人類は幸いに恋愛で狂う仕組みだ。
だから、ワシもアナタも存在できる。
欠点だらけでも存在できる。
しかも、子孫まで残せる。
恋愛はラッキーな神からの贈り物。

 

プラちゃんが恋愛を哲学した。
精神的な昇華させた恋愛・・・
それは根本的な間違い。
それは致命的な間違い。

 

恋愛は昇華したら恋愛でなくなるのだ。
しかも・・・
下品な表現するなら・・・
美少年の御尻を撫でながら言ったのだ。
せ、説得力、ゼロより悪いマイナス。

 

恋愛を美しいモノにするのはなぁ・・・
少女マンガの世界ならいい。
それは、それで、面白いかも。
面白ければ許されるのだ。
マジメに語ったのでは、害になる。

 

ここで言い訳をする。
哲学者、評論家、学識者等を揶揄っている・・・
と思われたなら、ご、誤解だぁ。
ワシは人間のフリをしているが、ナマケモノだ。

 

人間として生きていくなら、哲学者がいい。
評論家になりたかった。
学識者とかで、話をして暮らしたかった。
もちろん、教祖様など理想だ。
これは揶揄ではない。
本心だ。

 

本心だが、間違いは間違い。
人間だから、間違いは当たり前だが・・・
恋愛を精神的に昇華してもなぁ・・・
きっと、誰も実行できない。
どこかの宗教の教えにしかならない。
当然、教えを実行できる人間はいない。


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「12の項・奇妙?」

 

恋愛に綺麗事は無い。
滑稽な恋愛はある。
だが、美しい恋愛は無い。
映画や小説やマンガの世界なら有る。

 

恋愛は真善美とは関係ない。
振り返ってみればいい。
現実世界では恋愛は奇妙なモノだ。
綺麗事や理屈の世界じゃない。

 

奇妙。
これがヒントになる。
生命は奇妙なモノだ。
恋愛は生命に直接関係している出来事だ。
生命は社会的な真善美とは別次元だぜ。

 

自分の恥は誤魔化したい。
だが、ほとんど恋愛をしてしまう。
恋愛は降りかかってくる災難なのだ。
そして、振り返ると・・・恥ずかしい。

 

人の心は素直じゃない。
恥ずかしい思い出は、美しく誤魔化す。
意思の底から誤魔化す。
だから本当に美しい思い出にすりかえる。
自分では、美しいと信じている。

 

キミとの思い出は素敵だった・・・
あの時の気持ちに嘘はない・・・
二人は純粋だった・・・

心は・・・とても・・・嘘が上手なのだ。
心の底まで覗ける人は、ほとんどいない。

 

熱で浮ついた感情が無ければ楽だ。
気に入った人と人の付き合いは愉しい。
同性同士でも愉しいが、異性との付き合いはまた別だ。
陰陽の力が働くのだろう。

恋愛感情が無ければ、いい関係でいられる。
多く、広く、時には深く付き合える。
そして、時には、高く付き合える。
だが、恋愛感情が入ると狭くなってしまう。

恋愛は、極めて狭い関係に有効なのだ。
ツガイとなって、家庭をつくる。
子孫をつなぐ。
特殊な関係にのみ、有効なのだ。

 

人と人を結ぶ。
縁を創る。
生命をつなぐ。
恋愛は、それが出来る稀有の出来事。

 

通常では異波動は同調しない。
物質は固有の波動で成り立っている。
物質(肉体)は広域波動帯だ。
それでも、通常では異波動は同調できない。

 

この世(物質・肉体界)が存在しても交流できない。
せっかくの物質(肉体)を預かっても機能しない。
他と交流するために、この世の存在があるのだ。
異と交流するために、この世は創られたのだ。

 

あの世は物質(肉体)がない。
だから波動だけになる。
同波動帯の世界だ。
つまり、波動帯が無数存在する。

 

他の波動帯に自由に行く事はできない。
例えれば・・・
天国の波動帯と地獄の波動帯は別だ。
だから、地獄から天国には行けない。
地獄に住むAと天国のBは交流できない。

 

それが無数にある。
「あの世でも一緒にいようね・・・」
その約束は、ほぼ、無理なのだ。
あの世の仕組みを知ったら、心中はなくなる。

 

あの世は肉体が無い。
したがって、雌雄も無い。
もちろん、年齢も無い。
容姿も無い。

 

容姿じゃない。
心を好きになった。
それは・・・半分以上の勘違い。
純粋に波動だけを好きになるのは無理。
好き、嫌いは、この世だからあるのだ。

 

同波動帯では、好きも嫌いも無い。
同調する波動しか交流できない。
好き、嫌いの概念が存在できない。
同調できない相手(波動)は認識できない。

 

あの世は時間・空間が無い。
だから親子は成り立たない。
先輩後輩も成り立たない。
社長もパートもありえない。

 

あの世では、恋愛はできないのだ。
あの世で説明すれば理解できるだろう。
恋愛は精神的なモノではないのだよ。
目の前の肉体が存在して、恋愛が成り立つ。

 

当たり前なのだ。
肉体の存続の為に恋愛がある。
他の波動と交流する為に恋愛がある。
だから、トンデモナイ相手に惚れたりする。
恋愛は、無謀で滑稽な奇妙なモノなのだ。


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「13の項・この世?」

 

恋愛は、この世の花。
あの世には花もないけど・・・
花は雌雄が交わる為にある。
それが生命の花でもある。

 

花の寿命は短い。
生命だって短いぞ。
命短し恋せよ乙女。
この世に存在できた特権だ。

 

恋愛は特権。
これを体験しないのはボウトク。
創造主に対するボウトク。
恋愛は特別素晴らしいモノじゃない。
だが、生きている証ではあるぜ。

 

それほど素敵じゃない。
綺麗でもない。
純粋でもない。
真実などあるわけがない。

だが、当事者はそう思わない。
生物全員が当事者になる。
だから、生物全員が勘違いする。
そして、冷静になって気づく。
恋愛は・・・病だなぁ・・・

病には違いない。
狂いも違いない。
勘違いも必ず含む。
意識、無意識に関わらず、嘘もある。

 

だから、いい。
それが、いい。
人間らしい。
生物らしい。

 

生きている証拠。
間違い、狂い、勘違い。
良いとこ見せようと背伸びする。
生きているって、そういうことだ。

 

清く正しく美しく・・・
それでは生命は活性しない。
それに・・・子孫は残せない。
少し卑猥淫猥で不純だから生命が繋ぐ。

 

恋愛って、かなり不思議だ。
実に奇妙だ。
神妙といってもいいだろう。
不思議なバランスがある。

 

真実じゃない。
善でもない。
純でもない。
当然、冷静でもない。

 

熱に浮かれる。
狂いがある。
嘘もある。
何よりも自分勝手だ。
だが、枠内なのだ。

 

間違いがある。
狂いがある。
だが、枠内なら許せる。
枠内なら、自然の範囲。

 

間違いは間違い。
狂いは不自然。
不純より純が進歩している。
ずう〜と、そう思っていた。

 

生命に関わって、いろいろ気づく。
生命の活性を求めると、勘違いが見える。
間違いは間違いじゃない。
狂いは必要な時期がある。
例えば、春のように・・・

 

物質界(色界)は物質(肉体)が集まっている。
物質は広域波動体(帯)だ。
この世では生命は肉体に宿る。
生命の活性は波動帯の揺らぎなのだ。

 

揺らぎは他の物質体との接触で起こる。
肉体も精神(心)も同じだ。
(心と魂と精神の違いは、ここでは無視するぜ)
他と関わって、生命は活性する。
他との刺激によって、生命は活性する。

 

何故活性するか?
それは、違う波動と接触するからだ。
異波動との接触には、間違いが必要になる。
狂いが必要になる。
純では接触できない。
当たり前なのだ。

 

何故この世が創られたのか?
ワシは創造主じゃない。
だが、解る。
当然、ワシの独善だ。

 

何度も書いている。
他との接触が出来るようにだ。
物質体でなければ接触できない。
純な波動体では、異波動と接触できない。

 

あの世だったら・・・
ワシは高尚な人の話も聞けないのだ。
同じ低俗な波動体としか話はできない。
まぁ、それは、それでいいかも・・・

 

異波動との接触。
異波動との摩擦。
それで双方が進化する。
進化とは柔らかく(自由に)なる事だ。
決して高尚になるわけじゃない。

 

創造主はメンドクサガリ屋だ。
一石幾鳥もの仕掛けをする。
この世の創造という根源の仕掛け。
生命の存続と活性も合わせた。

 

何という仕掛けだ!
進化(自由)と生命をセットにした。
生命は存続と活性をセットにしてある。
全て、物質界でしか起こりえない。
この世は、とても特殊な場だ。


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14の項・狂い?」

 

この世の根源事。
誰でも、どんな存在でも根源がある。
だから、全ての存在に共通する。
異波動との交流。

 

これが無ければ存在できない。
この世は、そういう「場」だ。
異波動との交流の方法は幾つかある。
だが、そう多くは無い。
その一つが恋愛という病だ。

 

狂い。
ある程度の狂い。
仏教的に表現するなら「六根」と「六識」の狂い。
「六境」に対する狂い。

 

面倒だけど説明する。
「六根」は五感覚器官+心の感覚。
「六境」は「六根」の対象相手。
「六識」は「六境」の個人的な感想。

 

例えば「六根」の一つの目。
見た対象物として雲という「六境」。
そして「六識」という感想がある。
「何て気持ち良さそうに浮かんでいるのだ」
あるいは「フワフワと頼りない」

 

この「六根」の感覚器官が狂う。
というよりも、認識する脳が狂う。
六感覚器官(心も入れる・第六感)も狂う。
両方狂う。

 

ここの説明は面倒だ。
通常、感覚器官は狂わない、としている。
認識する脳が勘違いする、としている。
感覚器官は正確な情報を脳に送る、としている。

 

心は脳にある。
脳にしかない。
これが現代医学の欠点だ。
科学医学の欠陥だ。

 

幽霊に脳があるか?
幽霊は考えないか?
幽霊に感情はないか?
だから、科学は、幽霊が存在しないことにした。
臭いものには、蓋・・・。

 

科学的でないものは信じない。
そういう人が多い。
科学的は、とてもたよりないのになぁ。
科学は常に訂正して成り立っている。
つまり、常に、信用できないのが科学というものだ。

 

だが、他に頼れるものがない。
他に信じるものがない。
今の宗教は科学以上に胡散臭い。
言葉だけで信じさせようとしている。

 

まぁ、いいや。
兎に角、古の智恵は半端じゃないぜ。
中途半端な科学より遥かにすごい。
ブッちゃんが言った十八界の分析の仕方。
とても、今の科学では太刀打ちできないだろう。
(注:仏陀の智恵は宗教の元になっているが、
智恵は宗教じゃないぜ。区別してね)

 

意識が何処にあるか、という話だ。
脳だけにある、という科学。
全てにある、という古の智恵。
勝負は決まっている。
(って、勝負してたのか!)

 

細胞に一つ一つに意識がある。
これが「六根」が狂う前提だ。
「六識」だけじゃないのだ。
これは、優れた人達なら常識だ。
故手塚治虫師も「火の鳥」などで書いていた。

 

アバタもエクボ。
恋愛すると、どうして、そう見えるのか?
この説明をしている。
アバタ心もエクボ心に感じるのだ。

 

「六根」と「六識」が狂うのだ。
感覚器官からのニューロンは狂って中枢に伝える。
中枢(六識)も負けてはいない。
私だって狂って判断してやる〜

 

冷静に判断すれば、大したことがない人間だ。
ロクデモナイ人間も多い。
ワシもロクデナシ族の一人だ。
だから、狂う必要がある。


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15の項・生命?」

 

欠陥を長所と勘違いする。
欠点を魅力だと思い込む。
究極のプラス思考・・・・
恋愛って、慈愛に満ちている・・・
一時的で終わるけど・・・

 

恋愛はこの世の生き方を教えてくれる。
正しさを追いかけるなよ。
そんなものは、あの世で追いかければいい。
あの世なら、どうせ時間はたっぷりある。
(というか、時が流れてないかも・・・)

 

この世で真実など追いかけるなよ。
そんなもの、この世では無理だ。
時間が足りない。
この世は、もっと違うモノを追いかけるのだ。

 

命短し(この世の時間は限られている)
恋せよ(間違えて、少し狂って、他と交流せよ)
乙女(生命はオナゴが主、オトコは副)
この世に生まれたっていうのは、こういう事だったのね・・・

 

人間が成した事。
特にオトコが成した事。
発明、発見、文化、文明・・・
オナゴが成した事と比べようもない。

 

子孫を妊娠、育てる。
生命を繋ぐ。
生物では、オトコが脇役なのだ。
オトコの仕事など、生命からはチンケなものだ。

 

この世で成す事。
オトコは大層な理屈を言う。
だが、どんな仕事も恋愛に劣る。
恋愛というマトモじゃない病に劣るのだ。
オトコ共よ、事実を素直に認めようぜ。

 

未だに戦争がある。
毎日殺し合いが続いている。
殺しの道具が工夫される。
相手を確実に殺す。
多く大きく破壊する。

 

地球上の人類を幾度も全滅できる。
便利と効率のよいモノが文明だ。
今の文明の力は急激に発達した。
だが、これが高度なモノとは言えないだろう。

 

オナゴが毎日生む生命。
文明とは関係ない。
学問や文化とも関係ない。
だが、これこそが高度な仕組みだろう。

 

最も大切なモノ。
それは生命。
最も大切な行い。
生命を育て、繋ぐ事。

 

それ以外の事などオマケだ。
どんな大層な理屈を付けてもオマケだ。
生命を殺す。
生命を繋げられないモノ。
それは本末転倒の愚文明文化だ。


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「16の項・アッパレ?」

 

冷静に見れば、アホな行いと考えの恋愛。
だが、人類の文明文化よりは高度だ。
正しさ、正義を求めた争い、戦争よりマトモだ。
アバタがエクボに見えるのは、崇高な勘違いなのだ。

 

アバタがエクボに見える。
更に深く観ればいい。
アバタもエクボも大した違いは無い。
どちらも顔の凹みだ。

 

タヌキに聞いてみればいい。
鳥に聞いてみればいい。
虫達に聞いてみればいい。
アバタとエクボに違いがあるか?

 

恋愛における勘違い。
実は勘違いではないのかもしれない。
人間の社会的な価値観では違いがある。
だが、人間の価値観など、どうでもいい尺度だ。

 

生命を中心に観る。
すると、アバタもエクボも関係ない。
美人もソレナリも関係ない。
金持ち貧乏関係ない。

 

恋愛すると判断が狂う。
だが、元々偏った人間の尺度だ。
狂うのがバランスになる。
間違いが、間違いでなくなる。

 

アホな思いと行動の恋愛。
それは人間社会の尺度だ。
生命の尺度では適正かもしれない。
好きになれば、それが正解。

 

人間界の尺度。
自然界の尺度から外れている。
生命の尺度から外れている。
他の生物の尺度から外れている。

 

ところが恋愛すると・・・
自然界、生命、他の生物と同調する。
仲間になれるのだ。
人間は仲間外れの不出来な種だったのに・・・

 

恋愛は極めて個人的な世界。
それが、全ての世界に通じてしまう。
この世の仕組みはヒネクレているのだ。
社会的な行動や考えは、逆に他から外れることが多い。
社会とか公とかは、人間中心のモノだからだ。

 

個と全体。
対極にあるわけじゃないようだ。
個になると、全と共通する。
だが、個の集まりの集団は全と対立する。

 

例えば人間種という集団。
例えば国という集団。
例えば同じ考えの集団。
例えば組織という集団。

 

それらは他の生物と対立する。
他の存在と対立する。
その結果が今の地球の状態だ。
全て人間の集団の行いだ。

 

個と集団と全体。
個と我は別だ。
個は個。
我という観念は無い。
だから全体に通じる。

 

集団になると、我という観念が生まれる。
我は偏った観念から生まれる。
個は個故に偏りも調和も無い。
つい、個と我を混同しがちだが、別次元のものだ。

 

恋愛は個。
だから、他のモノ達とも通じる。
我は所属する集団にしか通じない観念だ。
我欲と個欲は別な次元だ。

 

生きる。
生命が続く。
生命ある間は個として生きる。
個がある間は、恋愛が出来る。

 

恋愛の主作用は子作りだ。
肉体的には期間と限度がある。
だが、子作り不可でも恋愛できる。
相手が同性でも恋愛できる。

 

子作りは生命の新生と継続だ。
生命の活性系に属す。
だから子作り以外でも生命の活性となる。
生命がある間は、恋愛が出来る。

 

高齢者施設などでの話だ。
それまで痴呆気味、気力なし。
ところが気に入る異性ができると・・・
痴呆も改善、身の回りもキチンとする。

 

生命力が活性したのだ。
恋愛には生命活性の扉がある。
オナゴは特にわかりやすい。
元々生命の本筋の性だ。

 

肌に張りが出る。
表情が明るくなる。
動作が軽くなる。
心が優しくなる。

 

恋愛論を書き始めの頃。
ワシは恋愛を軽く観ていた。
ワシ自身は、恋愛感情が苦手なせいもある。
変な感情の病だなぁ、と思っていた。

 

書き続けている間にワシの観方も変わった。
恋愛が美しいとは思わない。
マトモとも思わない。
だが、重要な要素を秘めている。

 

それは創造主のヒネクレた仕掛け。
生命に関する仕掛けの一つ。
生命の存続の引き金。
大きな流れの仕掛け。

 

恋愛は生命存続の契機。
これは、当たり前だ。
キッカケがないと新たな出来事は起これない。
キッカケは間違いから生まれるものだ。

 

恋愛が冷静に観ると間違いだらけなのは意味がある。
狂ってこその役割だ。
生命を繋ぐというのは、冷静では無理なのだ。
そもそも、生命は狂ってこそ活性する癖がある。
狂い過ぎると滅亡する運命もある。

 

種の存続の不可欠要素。
だが、それだけじゃなかった。
種の生命ではなく、個の生命も活性する。
グレちゃん(創造主)はサービス精神満載なのだ。

 

恋愛は生命を活性する。
結果が失恋で終わっても活性する。
ほとんどが失恋につながる。
それは、それで意味がある。

 

失恋しないと、次の相手との縁が出来にくい。
人生は残念ながら限りがある。
だから失恋しないと他の人とめぐり合えない。
人生は成就する事に意味がない。
経験する事だけに意味がある。

 

恋愛は少し狂い、偏り、間違う。
だから大抵は上手くいかない。
だから意味がある。
だから大切なモノを含んでいる。
上手くいかない事は、とても大切なモノを含んでいる。

 

少し狂う事。
偏る事。
これは陰陽理論でも同じだ。
バランスがとれてしまうと動けない。
何も生まれない。

 

陽が偏り(狂い)、何かが生まれる。
陰が対応して、陰陽は回る。
生命が続く、というのは動き続ける事だ。
回り続ける事だ。

 

この世の人生は回る為に存在する。
成就する為じゃないぞ。
上手くいかないから、回る。
心理的に不満があるかもしれないが、それでいいのだ。

 

失恋は恋愛の効能の一つ。
恋愛に失敗したのではない。
元々、成就するのが例外なのだ。
恋愛は失恋が王道なのだ。

 

上手くいかない。
だから先がある。
成就しない。
だから人生が続く。

 

悲しみや苦しさを知る。
個々の勝手。
悲しみや苦しさの正体がみえる。
個々の勝手な出来事がほとんどなのだ。
もちろん例外はある。
いつでも、例外は付きモノなのだ。

 

失恋は多くを教えてくれる。
だから恋愛は凄い。
間違って成就しても効能がある。
大抵は家庭をつくるからだ。
そこで生命は繋がる。

 

ワシは恋愛を見直した。
オヌシは偉い!
一見アホは、実はデキルのだ。
狂い、偏り、みっともない恋愛だが、
多くの効用効能実用多用が備わっている。

 

この世の今の人生は一度だ。
(生まれ変わりは、今ではない)
しかも限られた時間だ。
しかも、時間と共に肉体が衰える。


命、短し、恋せよ、生きるモノ達。


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