第 十 章   聖 と 邪

 

      聖邪の行進

 

御筆様: ここでは聖なるものを邪なるものの対立関係にあるものと定義しておきます。

 邪なるものとは心(幻)から生まれています。心には欲と怒りと無智があるのですが、邪は怒りの変質体です。怒りは破壊活動を撒き散らす行いですが。邪は意識的に怒りを増大させて破壊活動を進めるものの事です。

アッシ: 正義の怒りなんてありえないわけだな。笑う門には福がくるけど、怒る門には悪がくるだけ。いつでもニコニコ時々ワッハッハ。生き方の基本。二人の師匠の教えです。

 するとアッシには二人も師匠がいるのか。いやいやもっといらっしゃるぞ。アッシが勝手に師匠に決めちゃっているんだから。ワッハッハ。

師匠は弟子を選べないけど、弟子は師匠を選べるのだ。ワッハッハ。

おまけに、弟子は絶対に師匠より出来が悪い。ワッハッハ。

向こうはメイワクだろうけど、アッシはちっともメイワクじゃない。ワッハッハ。

  やっかいな弟子ほど、私には大きな先生となるのです(師匠、談)。 

アッシ: さすがだねえ。

 

御筆様: 聖なるものとは意志をもって邪の(破壊)波動を浄化(中和)するものです。もちろん聖、邪とも人間に限りません。

 つまり邪が先に生まれています。ここで考え違いをしやすいのですが、魂の進化と聖なるものは直接結びつかないのです。それぞれの魂のレベルに応じた聖、邪があるのです。

この次元内での役割の一つです。それぞれの役目です。

アッシ: 要するに聖邪でワンセット。仲が悪そうでも、お互いに必要なんだね。仲は良くても悪くてもどっちでもいいんだってさ。「必要」を知るのが大切な事だって。夫婦も同じらしいよ。ね。ね。

  アンタはいらない(妻、談)。 

アッシ: そ、そんな殺生な。

 

御筆様: 結果の形から聖、邪を判断すると、陰陽論の誤りやすいところと似てしまいます。それぞれの内に働く調和の姿勢を見抜けなくなります。おまけに邪は悪いもので聖は正しいものという狭い判断力がつい働いて、聖の部分のバランスが崩れ易いのです。

アッシ: 邪はろくなことをしないから悪く思われても仕方ないか。だけど聖は正しいとか素晴らしいとかの対象外なんだってさ。聖という字のイメージが先行しちゃうんだ。

御筆様: 邪は魂にとって必要なのです。心を放っておくとどのように変質するかという、一つのモデルとして必要なのです。だから必ずしもすべての魂に起こるわけでもありません。

しかし破壊は調和を乱すものですからどこかで中和をします。その役目が聖なるものであり、魂の進化のためというよりも邪を浄化するためにあるのです。

アッシ: アッシはロクデナシって好きなほうだけどなあ。なんか親近感があるし。言われ慣れているせいかなあ。アナタは言われません?

 うちのカアチャンだけかなあ。そんなふうに言うのは。

「ロクデナシは愛の花言葉」って言わなかったっけ?(どうやらクチナシと勘違いしているみたい)

 


      光と闇

 

御筆様: もう一つの混乱の要素に「光と闇」があります。「光」はよく聖なるものの働きをしますし、「闇」はよく邪なるものの働きをするのですが、それぞれ同一体ではありません。

 「光と闇」は人間段階では扱い切れない範囲の出来事なのです。かかわりがあっても、積極的な接触をしなければ、たいして影響はありません。しかし、たとえ「光」であっても接触するほどに悪影響となってしまいます。

アッシ: 光体に出会って、偉大なるものは「光」だと勘違いするからなんだけどね。ま、普通の人間じゃ無理ないけど、光体の大きい魂と「光」は別なんだって。

 「光と闇」は高次元の争いというよりも、他次元の争いなんだって。単純に人間レベルではエネルギー流動量が桁違いに大きいから、触ると悪影響になっちまうんだ。

 「光の軍団」も「聖なるもの」も調子にのって名のらないほうがいいぜ。その前に自分の心に遊ばされている事実を観てみろよ。

  闇の存在があるのではなく、光が無いだけである(ミカエル、談)。

 個があるから闇がある(ルシファル、談)。 

アッシ: 立場の違いでケンカになるのは、何処でも同じだね。

 

御筆様: 欲の増大による破壊と無智ゆえの破壊行為もありますが、欲による破壊とは自分のものにするための行為結果で、破壊を目的にしたわけではありません。無智による破壊とは破壊波動を意識的に発せずに行っているものです。

 怒りの増大による破壊だけが破壊を目的にしているので、ここでは特に邪と定義をしているわけです。

アッシ: 自分の思いどおりにならないだけで「怒り」が生まれるんだってさ。だからといって思いどおりになる人生に変えていたんじゃ「思い」にこだわってしまい、なかなか「思い」から解放されないままなんだ。

 思いどおりにならないものも、すべて受け入れちゃうほうが、魂は和(柔)らぎやすいってことらしいよ。

すべてこの世はノープロブレム。アトランティス語ではポレンタイン。ブラジル語のアスタマーニャもケセラセラも似たようなもんだね。

  何だっていいんだ(作者、談)。 

アッシ: いい言葉だなあ。

 

御筆様: 邪は増大する時に、同時に邪の中で聖なる部分が自動的に広がる傾向があります。これはすべてが調和の力の内にあるので邪といえども当然なのですが。

アッシ: 邪もけっこう大変なんだね。ま、心はみんな大変なんだけど。大きくすればもっと大変。だから心を無くすのがラクにする方法だってば。

御筆様: 邪の本心は調和(やすらぎ)に向かいたいのです。ややこしいのですが、邪の中の聖なる部分が自動的に広がるのに対して、聖は意志的に聖なる部分を広げようとします。そして聖の意識の中に自分は正しいのだという「こだわり」が生まれやすく、本来の調和に向かう事を忘れてしまうのです。

アッシ: ややこしい説明はウソが多いんだ。だいたい解説とか評論とか講釈とかは無意味かデタラメだと思った方がいいよ。だからこれも本当は無用なものだし、デタラメも混じっているはずだよ。デタラメがあるくらいで怒っちゃだめだよ。些細な事なんだから。

 正しいとか誤りとかはどっちだっていいんだ。何かに接した時、そのことによって魂が和(柔)らいだり広がったりするのが目的だから。

  デタラメは歩いちゃ来ない、だから歩いて行くんだね(作者、談)。 

アッシ: 積極的な生き方ですねえ。感心するわ。

 


     聖邪の役割

 

御筆様: 魂は聖なるものを目指しているのではなく、調和なるものを目指しているのです。仏教的に表現すれば「空」なるものを目指しているのです。

 邪人としての役目の魂があるように聖人としての役目の魂もあるだけです。すべての魂の役目ではありません。ここを考え違いしてしまうと不調和な聖人に向かってしまい、不調和な邪人がたどる自滅への道と同じになってしまいます。

アッシ: 何でこんなに聖、邪の説明をしているのかというと、今の地球の時代の大きな変化が、大きな邪(特に魔という)の邪魔(ダジャレになるのかなあ)なんだってさ。

 すると一部の人間が聖なる意識に過敏に反応してしまい、かえって混乱するんだってさ。本当は真面目な人は聖人に向いてないらしいよ。

ああ、こんな事をバラしちゃって魔に怒られないかなぁ。オシャベリなスズメは舌を抜かれるからなぁ。

  蚊の呟きを聞くほどヒマじゃない(幻魔、談)。

 

御筆様: 安易に聖なるものを追求する魂が増えると、ちょっとした歪みで済むはずの魂までが(バランスをとろうとして)邪に変質しやすくなるのです。

日常生活を逸脱する魂の修行法にこだわると、こうした誤りが起こりやすくなるのです。今のそのままの日常生活がその魂にとって何一つ過不足ない、最良最高の勉強法なのです。あとは気づくか気づかないかを本人が選択するのです。

  気づくフリをするか、気づかないフリをするか、それがモンダイだ(ハムレット、談。私、迷訳)。 

アッシ: あなたはどっちだ?

 アッシはトーゼン、知ったかぶり。この世の疑問、何でも答えるよ。いらっしゃい、いらっしゃい。

 

御筆様: 表現の仕方ではありますが、素晴らしいものを目指すのではなく、透明なものに進んでいるのです。

アッシ: みんなが聖者になったらイビツな世の中。政治屋増えれば腐った世の中。正者ばかりじゃ息が苦しい。生者も死者もマヌケがかわいい。

  かわいいだけじゃ飽きるぜ(八頭大、談)。 

アッシ: 平穏無事が飽きちゃうタイプはトレジャーハンター向きなんだ。

 


   まとめ

 @ 邪は怒りの変質体であり、聖は邪を浄化(中和)するものである。

 A 魂の進化と聖なるものは結びつかない。

 B 聖に「正しい」というこだわりが生まれると、聖邪のバランスがくずれる。

 C 「光と闇」には近づくな。

 D 魂は聖なるものを目指しているのではなく、透明に向かって進んでいる。

 

    無責任な注釈

  [ミカエル]

 七大天使の長。美形らしいが男女不明。ニューハーフみたいなのかなぁ。

  [ルシファル]

 かつては八大天使の一人だったらしい。堕天使と言われている。サタンの別名との説あり。でも、マジメタイプだよねえ。根性もあるし。だから道を踏み外すんだ。

  [幻魔]

 平井和正氏の作品に登場。でも実在するよ。作者は初期のアダルトウルフの犬神明が好きだった。だって、後期ではマジメになっちゃうんだもん。狼男はヤケクソで暴れてるのがいい。

  [ハムレット]

 登場人物がバッタバッタと死んでいく凄まじい物語。ハムの入ったオムレツを想像するのは作者だけか?

  [八頭大]

 やがしら・だい、と読む。菊地秀行氏の創作人物。危険付きの秘宝を盗むのが仕事。緻密な計算といいかげんな性格が必要。

 

第十章は終りです。ご苦労様でした
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