第 十 九 章 家 族 ・ 先 祖
家族は幻?
御筆様: 家族を魂の進化のためのサポートシステムの一つと定義します。
その特徴は波動的に近い肉体がお互いを干渉しあい、深い意味での理解を、生活をするだけで自動的にできるようになっています。頭での理解ではなく、魂レベルで融合とか和合などがおこなわれる調整力です。
アッシ: なんかこういう言い方ってわびしいねえ。家族が進化のためのサポートシステムだなんて。もっと、ほのぼのとした表現はできないのかねえ。所詮ペンさんなんかに家族の味を求めるのは無理か。
御筆様: 家族は魂が今回の物質界への転生目的としたメイン部分への大きなサポートになっています。血縁的な家族に恵まれない場合は、その事が大きなサポートとなります。そして家族の意味をより深く学べます。
しかし、あくまでもサポートでしかありません。そのために一つの家族は絶対ではなく、次々に新たなる家族が誕生するのです。あるいは、家族が消滅するのです。
アッシ: だんだん展開が読めてきたぞ。家族も「幻」って話になるわけだな。もう、ワンパターンなんだから。
この世は相似象で成り立っている(楢崎皐月、談)。
神は休みなくワンパターンに向かって働いている(聖ラーン神官、談)。
御筆様: 家族は血族と非血族とに分ける事ができます。血族家族は親子と兄弟姉妹に分ける事ができます。
血族としての波動は母子が一番似ています。次ぎに父子になります。つまり、遺伝子に関係して正比例するのが一般的です。
しかし、物質と物質の波動は空間が近く時間が長いと影響しあいます。そして、それぞれが中和点へと歩み寄ります。
そのために、現状では必ずしも遺伝的に近いものの方が、干渉の度合いが強いとは限りません。養子でも単なる同居人でも、長く一緒に暮らしていると、波動的に近くなります。家族は血族でも非血族でも同じなのです。
アッシ: 血族が家族だとこだわる人間がほとんどだけれどね。一緒にいれば、犬も猫も家族って事かな。ゴキブリもシロアリも家族だったりして。同じ家族でも、猫とネズミの仲は良くない。
食べてしまいたいくらい可愛い(猫、談)。
君のためなら死ねる(ネズミ、談)。
アッシ: そうだったのか。美しい愛なのね。
御筆様: 家族は魂を中心にして観ていかないと、生物社会としての形態や制度という、うわべだけのとらえかたになってしまいます。
一緒にいるから家族になるのではなく、家族になるために一緒にいるのです。それぞれの必要があって血族になったり非血族になったりするし、人間以外の時でも関係してくるのです。魂の交流があるものたちを家族と言うのです。魂の交流を学ぶために一緒にいるのです。
アッシ: ということは、魂の交流さえあれば、時間や空間にしばられなくても家族になりうるってわけだね。
逆に、家族であったものたちが魂の交流が切れて、家族では無くなってしまう事もありうるのかなぁ。
御筆様: 一度つながった魂は二度と切れる事はありません。物質界で交流がなくなっても、非物質界や未来においてかかわるのです。
縁(円)は切れる事がないのです。この次元は縁をつないでいくのが目的でもあるのです。大円を目指しているのです。縁を脱する時は、この次元を超える時なのです。
家族は物質界のみにおけるものです。家族は無くなりますが、魂のつながりは無くならないのです。魂のつなげ役として、この世にあるのです。家族は幻なのです。
アッシ: やっぱり幻にしたね。でもアッシの「幻」の概念が変わってきて、この世ではとても重要な役目があるものたちが幻になって、この世の存在理由の根幹まで高めているって事は理解できてきたからいいけどさ。ああ、長ったらしい文章になってしまった。
長いものには巻かれろ(保守派、談)。
長いものに巻かれるとこんがらがる(現実派、談)。
御筆様: 夫婦は家族の中でも基本になります。親子や兄弟姉妹は事象関係の家族ですが、夫婦は遺伝的なつながりはなく、人間社会の一形態制度でもありません。
夫婦はお互いに積極的に融合しあう生き方において夫婦となりえます。その姿勢を維持し続ける意志への誓いの言葉なのです。これは一夫一婦に限らず、一夫多婦、一婦多夫も同じです。
アッシ: 家族は幻なんだけど、夫婦はさらにあやふやな関係なんだ。幻の中の幻だから最重要な基本になるわけだね。魂の目指す方向のモデルシステムの最小単位とでもいうのかなあ。
夫婦には性との深い係わりがあって、それにもゴチャゴチャした、でも大きな意味が含まれているけど、ここでは省く事にしたからね。
それは何故かって? 説明がメンドウなんだよ。性に関しては奥が深くて複雑で大変だからヤ〜メタ。
御筆様: 家族は一つの出来事に対して、その波動を必ず分かち合うようになっています。現れ方が別でも、意識が出来なくても、心には同時に影響しているのです。
ここには個体での単純な因果が当てはまりません。別個体への波動を共有して味わうシステムになっているのです。
アッシ: この影響は想像するよりずっと強いものなんだ。特に病気という形で現れた時には、家族がバラバラだと治りにくいし、一丸となってその意味を解こうとすると消えるのも早いんだぜ。核家族ほど病気になるのはあたりまえ。
家族を観つめ直すという大きなメッセージが、病気には含まれているんだってさ。
先祖は他人?
御筆様: 先祖、子孫は形としては親子のつながりです。遺伝的に肉体が受け継がれたものなのですが、魂のつながりはあまりありません。基本的には別なのです。
表現をきつくすると、先祖も子孫も他人なのです。別々の魂が悠久の時を経て、やがて一体になるために、縁という「神」の妙法に従って家族という「特殊場」を一時的に経験しているのですから。
次ぎは別の家族になる方が多いのです。だから、先祖、子孫は他人なのです。
アッシ: あ〜あ。そんな事言っちゃって。葬式仏教のボーサンからモンクが出そうだな。
だけど、身内だから先祖を大切にするのと、他人だから先祖を大切にするのでは、後者の方がおシャカさんの意向に添っているけどね。まあ、大切に想うのは変わりないけど。
先祖を奉るのが仏教ではない。子孫に教わる生き方が仏教である(龍樹、談)。
俺達は未来に向かっているんだぜ。安心しろや。じいさんの血は受け継いだから(リョウ、談)。
御筆様: 肉体的には先祖を溯るほど全ての人、動物、生物、物質と同一体になっていきます。物質はもともと一体の性質から成り立っています。「縁」「流れ」という観点からならば、すべてにつながりがあり、家族となります。
われら動物みな兄弟。われら生物みな家族(畑正憲、談)。
アッシ: 一九才の時、嶮暮帰島に押しかけようとしたのはアッシです。大変ご迷惑をかけました。ごめんなさい。あの時があったから、今はこんなにマトモ(?)になりました。ありがとうございました。
御筆様: しかし、魂はもともと別体です。そして一体に融けるように進んでいるのです。その進化のサポートとして家族が必要な場合があるのです。
特に、心の影響が大きい段階の人間では重要な役割をするのです。大家族制でも民族一体制でも意識に囲いが有る限りにおいて、そこから解放に向かうには、一度味わうための幻は必要なのです。
アッシ: 正しい先祖供養を学ぶとは、末端の知識を得る事でもなければ、テクニックを身につける事でもないそうですよ。この次元のシステムを理解する事なんだって。
義理で供養はしねえでくれ(祖父の遺言より)
そうだよね。やめよう(その子孫、談)。
遺言を守るようじゃ見込みが無え(祖父の遺言より)。
見込みなんか最初から無え。先祖の顔が見たいか(その子孫、談)。
御筆様: 魂に兄弟はいても親子はいません。師匠はいても年長ではないのです。そして、兄弟も師匠も必ずすぐ近くにいるのです。例外はありません。
人類においては家族意識の広さと魂の広さは比例します。しかし、その質の深さは心の固さに作用してしまいます。家族意識が強いのは我の強さと比例するのです。
アッシ: 家族愛にこだわる善男善女の皆様から、またまた非難の声が上がりそう。まったく、ペンさんはトラブルメーカーなんだから。
母性愛と家族愛は方向性が違うんだってさ。父性愛はもっと違うらしいぜ。慈が母性で悲が父性ということなんだけど、これ以上の説明は土産持参の人だけね。
いつでも、美味しいもので扉は開くものさ。待っているからね〜。
御筆様: 地球が誕生してから滅亡までの間に限るわけではなく、祖先から子孫までの縦の生命のつらなり(神)と、地球上だけの空間に限るわけではない、魂の横のつながりの象形が十字形なのです。
この次元は「神」と「魂」だけで成り立っています。縦のつらなりへの感謝と、横のつながりへの参加(平和)が道標でもあるのです。十字形は「智」と「行」の統一象徴でもあり、「愛」の形でもあるのです。
アッシ: 家族は魂のつながりへの最初の一歩。先祖子孫はこの世の仕組みへの感謝の一歩。どちらも今生の縁の妙から与えられたものなんだってさ。
まとめ
@ 家族は魂の進化へのサポートシステムである。
A 家族は幻。血族に左右されない。
B 魂の交流を学ぶために一緒にいる。
C 家族の中でも、積極的に交流する生き方の夫婦が基本である。
D 先祖、子孫は魂の他人である。
E 肉体的にはすべてが家族である。
F 家族意識の広さは魂の大きさに比例するが、家族意識の強さは魂の大きさと反比例する。
無責任な注釈
[楢崎皐月]
天才科学者らしい。だから変人らしい。
[聖ラーン神官]
ムー文明、中期の神官。実在かどうか不明。
[龍樹]
経の解説(論)者の一人。実在かどうか不明。同級生にタツキというのがいたけど大違いだなあ。
[リョウ]
近未来物語の主人公。リュウというのもいたっけなあ。
[畑正憲]
燃えて輝く生命かな。