第 二 十 章 病 気
病はヤバイ?
御筆様: 病気を病の元と定義します。しかし、病状はノーマル状態への回復作用です。健康はさらに積極的な意志行動となります。
それぞれの区別を認識しないと、病状が見えなければ健康であるとしたり、病状を抑えれば病気も抑えられると考え違えをしてしまいます。
病気が進むから病状が現れるのではなくて、病気が続くから病状というメッセージを含んだ回復作用が行われているのです。
アッシ: 一番、見た目が悪い「病状」を悪者にするクセが人間にはあるよね。見た目の良さや悪さは全くあてにならないぜ。根性悪の美人なんてゴロゴロいるし、美味しいものには醜い形が多いんだ。よく観れば、物質には両方が必ず含まれているけどね。
美醜や善悪など無い。心がそう感じるだけだ。その心も又無い(趙州和尚、談)。
御筆様: 病気の段階では、ほとんどど知覚も自覚もできません。でも、そのうちの大部分は勝手に消えてしまいます。残って続くのは、本人のこだわり(心)が強かったり、未来において必要な伏線として用意されたものの場合です。
因が果より発する場合です。
続けば必ず病状として現れます。肉体(神)はひたすら調和に向かいますので、肉体を一定時間存続させるつもりがあるならば、不調和の自動修正が行われるのです。
アッシ: 死ぬために病気になった場合は、回復作用というより緩衝作用として病状が現れるんだってさ。下手に手だしをしなければ、穏やかに死ねるらしいよ。よけいな治療をすると、その分苦しむ事になるみたい。
死んだ事がないから、ホントかウソか解らないけど。
御筆様: 病状は回復作用ですがサポートを必要とします。回復力より崩壊力がやや強いのです。そのため何らかのサポートが無いと、じわじわと後退するのです。
単純な刺激(物理、化学、各種医療方法)も一時的なサポートになりますが、日常生活、生き方が変わらなければ根本の解決にはなりません。
アッシ: 肉体の修正というよりも、心を消すために病状が現れるといってもいいみたい。この次元はいつでも同じなんだ。心を味わってから消すために用意されているんだ。
肉体なんて、どうせ無くなるんだぜ。「神」はバカじゃないもん。体を治すためだけに働かないってば。ここを理解してないと、体が治らないからって「神」にモンクをいう筋違いな事をしちゃうんだよなあ。
「神さま(魂)」に間違いがあっても、「神」に間違いがあるわけないじゃん。
御筆様: 心は病の元となりますが、病そのものではありません。心は歪んではいますが、物質(肉体)を生み出す側の力です。
しかし、歪んで固まる波動を出し続けると「我氣」を病にしてしまうのです。「我氣」はその肉体固有の波動を発する役目があるのですが、自然の流れに反したり、溜まり過ぎたり、枯れたりすると病気になってしまうのです。
しかし、病気も病状も悪者にだけはしないで下さい。病む事は悪い事では無いのです。もう一歩で魂が広がれるチャンスが来た、というサインなのです。
アッシ: メンドウくさい話になってきたなあ。もっとも、ペンさんの書く事は全部メンドウなんだけど。ウソっぽいといえばウソっぽいし。いい詐欺師になれそうだなあ。
この物質界でマトモに勉強する内容なんて幾つも無いんだけど、生老病死苦のシステムこそ、学校や家庭や社会でずっ〜と研鑽していくといいんだけどなあ、と呟いております。
御筆様: 肉体は心がどうであっても、必要ならば正常に戻ろうとします。しかし、この次元は肉体よりも心の方が優先するのです。
肉体は治ろうとしているのに、修正すべき心が居座っているのが「病気」であるという表現も出来ます。
病気は「我氣」の病なのです。「我氣」が病になると、調整力でもある「真氣」の流れが止まってしまうのです。
アッシ: ポイントは心(こだわり)の強さと長さだね。根性のある人は病気になりやすいけど、気まぐれの人やいいかげんの人は、病気になりにくいという事だね。デタラメの人はなりやすいから、いいかげんと区別してね。
心の無い人間はいないから、誰でも例外なく病気になりうるけど、いつも同じ心ばかり使わない方がいいんだ。
病気はメッセージ
御筆様: 確かに「病は気から」起こるのですが、気を病にした「心」に目を向けるために病気があるのです。
病気は必ずメッセージを含んでいるのです。しかし、実生活においては、病状の段階になってメッセージに気がつくのが普通です。
いつでも自分の心、「我氣」、体を深く観ている人の場合は病気の段階で修正することも出来ます。
人間には多くの心が含まれています。その中で、今、超える(消す)べき心を教えてくれるのが病気なのです。
アッシ: 「心」と「我氣」の区別をしておかないと、解ったような解らんような説明になっちまうぜ。
「我氣」は複合とはいえ一つの肉体に一つ。それに対して「心」は一つの肉体に多種多様なままでバラバラにあるんだ。
「心」は消していくのが今生の役割だけど、「我氣」はその結果として変わっていくんだ。ここは復習ね。
病気に限らず、あらゆる現象からメッセージは出続けているんだって。受け取り(気づき)を学ぶ事が、魂の進化のスピードに大きく関係しているわけなんだ。
如来はいかなる時でも、あなただけへの光を照らしています(ミロク、談)。
真理は求める者に扉を開くでしょう。そして感謝する者に与えられるでしょう(マリア、談)。
アッシ: いいねえ。書いていて、ホレボレするねえ。
御筆様: 意志で心を完全にコントロールするのは基本的に出来ません。表面上は誘導できますが、意志は心の一種だから、無くす事は絶対に出来ないのです。
魂で心を修正する(消す)ことは普通の人間では大変難しいのです。普通の人間は魂がまどろんでいるからです。
アッシ: 魂は一生まどろんでいるままじゃないよ。どんな人間だって、時々目が覚めるんだ。普通でない(高級?)人といわれるのは、目の覚めている時が長いんだってさ。
だけど人間だから、基本的にはおばかさんだと思うよ。
無知を知れ、といっても無理か(アガスティア、談)。
アッシ: おばかさんとおばけさん、波動が似てるもんね。一緒にいたがるわけだ。
御筆様: 意志で「我氣」をコントロールする事は出来るのです。「心」の気づきがあったなら、病気は自然と消えてしまうのですが、意志で「我氣」を落ちつかす事で「真氣」の流れをスムーズにできるのです。
しかし、「心」の気づきを伴わないままで、病状まですすんだ病気を強制的に修正してしまうと、他の「苦しみ」がもう一度起こり直します。
意識の広がりから、自然に心が消えていくのが理想的なのですが、病気を治す事にこだわると、意識は柔(和)らぎません。
アッシ: 言葉で心や肉体をコントロールすることは出来るんだけどね。コントロール出来ても気づきが無くっちゃ「心」は消えないんだ。
でも、病状を楽にすることは出来るよ。
病気にしても病状にしても、そんなに特殊な事じゃあないんだ。日常生活の中で起こり日常生活の中で消してゆく(消えてゆく)ものなんだ。
病気は治す対象ではない。治す対象は別にある。病気は条件がそろうと勝手に消えてしまうものだ(ヒポクラテス、談)。
御筆様: 苦しみから逃れたいという思いは、人間である限り湧き起こってきます。ところが、すぐ逃れようとするので、現象自体を対象にしてしまいます。本質体(魂)は今生だけでない事を忘れて、慌ててしまうのです。
苦しみを理解する事が、苦しみが顕れた意味であり、苦しみを無くす事でもあるのです。時間は関係ありません。苦しみの顕れが病状ならば、病状を消す前に今生が終わってもいいのです。
苦しみを理解する姿勢が道(タオ)なのですから。
アッシ: そんなの病状が無いから言えるんだ。実際に痛くて苦しんでいたら、それどころじゃない。何でもいいから痛みを取って欲しいんだ。ペンさんは中身がインクだけだから痛みを知らないんだ。
痛みは肉体だが、痛いのが苦しいと思うのは心なのだ(快川国師、談)。
理屈はいいから、早く何とかしてくれ(衆生、談)。
御筆様: 肉体に働きかけなくていいのではありません。この次元で影響するのは心が優先なのですが、この物質界では心が物質(肉体)にすがっているので、直接肉体に働きかける方法も有効なのです。
ただし、その場合でも、魂の進化を中心において、対象を「心の理解」としたうえでの一方法なのです。
アッシ: この世では苦しみも痛みも快も歓びも肉体を通ってくるんだ。まだまだ未熟な魂では、進化の方向が判断出来ないから、肉体が感覚として教えてくれるんだってさ。
だけど、心が静まっていないと、肉体からの感覚がストレートに伝わらないんだ。どんな時でも心を静めるのが最優先ポイントになるんだってさ。
教師(肉体)に向かって命令したんじゃ変だろ。絶対に間違わない教師なのに、教師を直そうとするのは己の行為がズレてる証拠だろ。その事から修正しようぜ。
病気と自然
御筆様: 病状が回復していく過程での自然治癒力に誤解があります。自然はいつでも同じ働きなのです。「調和」こそすべてを解くカギなのです。
例えば、異物が外からのものであれ、体内から発生したものであれ、自然治癒力は排除しないのです。力に力で対抗しないのです。「調和」で優しく包み込むだけなのです.
アッシ: キラー細胞(名前の付け方がヒドイぜ)がガン細胞を優しく愛撫していると、ガン細胞はいじけ過ぎた心の固まりだから溶(解)けてしまうんだ。それを顕微鏡で覗いていたオッチョコチョイの研究者が、食べていると勘違いしちゃったんだってさ。
誰だって、不味いものなんか好んで食べないって。これが常識。
どんな心だって、優しさで消える。太陽と氷みたいなものなんだ。できれば、水になっても更に暖めてやれば、完全に消えちゃうぜ。水は冷えればまた氷になる。ガン細胞さんも同じ。溶(解)かしたままだと、またガン細胞さんに変身するかも。
御筆様: 自然は常に循環しています。阻害するものが無くなれば、不要物は速やかに流れていきます。特別な力で排除する必要など、この次元には何一つ無いのです。
自然治癒力という力が特別にあるわけではないのです。自然になれば、治癒力として働きだすのです。強いていうなら「真氣」がスムーズに流れている状態なのです。
アッシ: こういう言い方をされると、病気を治すなんて簡単だろ。そのとおり。現実は簡単なんだ。難しくしているのは本人の心。
霊障が関係している場合も同じだってさ。霊は心だし、専用の体が無いから、同周波の心に辛うじてしがみついているだけなんだ。本人の心が変わってしまえば、離れてしまうのさ。
だけど、縁があって来た霊だから、一緒に溶かして(解放して)あげようよ。
御筆様: 個の心によって「我氣」が病むのが原因なのですが、現代では歪んだ科学の発達から、個の心の影響力が多大なものになってしまいました。
心の影響力に気づくために「科学」が発達したとも表現できますが、病気に対して「環境」という面の大切さにも気づかさせるのがもう一つの目的でもあったようです。
「環境」は正に個の「心」の現れであり創造なのです。
アッシ: 昔の環境は「我氣」を修正する「真氣」に覆われていたのにねえ。科学が発達するって事は、「心」を増大させて外に広げた実績なんだ。
科学は悪くないけど、発達させる必要はもう無いんだってさ。科学者も必要無いけどね。
あっ、また言っちゃった。尊敬する科学者もいるんだけど、科学者意識をやめればもっといいな。
御筆様: 今の地球人が新段階に入ったというのは、個人の「心」の修正と同時に、自分を含めた環境の修正への積極参加だからなのです。しかも、地球生物としては後が無い状況なのです。
人類はステップアップしてしまったのです。昔の個だけを相手にしていた魂から、多種多様な地球上の魂達に直接影響を与える大きさになってしまったのです。
それでも、永遠の魂としては自由な選択が出来ます。誰からも強制される事なく、各個が未来を選べるのです。
アッシ: 「病気」って自分の事だけかと思っていたら、とてつもなくでっかい問題だったんだね。体を治す、心を癒すなんて卒業なんだ。
まいったなぁ。解らなければ落第させてくれると期待してたのに。
(一番言いたい事を、最後にちょっとだけサラリと書く、この謙虚さ。これぞ日本の美。わび、さび、ワサビのこころ。にくいね)
この世に個人の出来事なんて何も無い。独立した存在があると勘違いしているだけだ。それは体でも、心でも、魂であってもだ(白隠禅師、談)。
まとめ
@ 病気は病の元であり、病状は回復作用であり、健康はさらに積極的な意志行動である。
A 病気が進むから病状が現れるのではなく、病気が続くから病状が現れるのである。
B 病状は回復力より崩壊力の方が強い。そのためにサポートが必要である。
C 肉体の修正ではなく、心(固まり)を消すための病気である。
D 病気は「我氣」の病である。
E 病気は必ずメッセージを含んでいる。それに気づくことが重要である。
F 原因を探すより、意識の広がりの方が魂は柔(和)らぐ。
G 調和こそすべてを解くカギである。
H 自然の状態に(必要ならば)治癒力が現れる。
I 病気は自分のことだけでなく、環境修正への積極参加が不可欠の時代になった。
無責任な注釈
[趙州和尚]
天寿(百二十歳)をまっとうした禅師。
[ミロク]
出るわ、出るわ、ニセモノがいっぱい。本物は誰だ?
[マリア]
ニセモノじゃないけど、マリアさんていっぱいいたんだね。
[アガスティア]
過去から未来までの記録係さん。
[ヒポクラテス]
医聖といわれている。始祖が特別にすごいと、後に続く者たちは・・・。あれぇ、いつでも同じパターンだね。
[快川国師]
心頭滅却すれば火自ずから涼し。でも、滅却できなければ、やっぱり熱い。実用的ではないと思うよ。
[衆生]
人間は皆、衆生だってば。
[白隠禅師]
燈下に爪を切らず。昔は薄暗い燈かりだったけど、今は明るいから大丈夫さ、なんていう半端な知識を振り回して恥をかく作者を戒める言葉らしい。でも、作者は恥を知らないから無駄だと思う。