第二十二章 再 び 、心 か ら 健 康 ま で

 

アッシ: 今までペンさんと私の掛け合いで、なんとか表現をしてきたけど、どうしても表現しきれなかった文章が残ってしまった。

最初からいいかげんに書いてきたのだから、最後までいいかげんにするのが責任ある作者の態度というものでしょう。

アッシは時々、責任感の強いリッパな人間になるのです。

 責任感が強ければ、デタラメになってしまうのも当然です。責任感は我の強調だから。

(なんと鋭い意見だろう。そして、なんとヒドイ文体だろう。このアンバランスは、ス、ステキだ。ホレちゃうかもしれない。)

 そんなわけで支離滅裂だけれど、バラバラにもう一度おまけとして記す事に決めたからね。各章に書かれている内容と違った表現の仕方になっていても、こだわらないでちょうだいね。

 山の登り口も登り方も今いる位置もそれぞれ違うけど、いつでも、どのようにでも一瞬のうちにワープできるのです。できるはずです。できると思うよ。するのはアナタだから、どうにでもして。

アッシ: はここで、さよならだよ。おつきあい、ありがとう。アッシは楽しかったよ。

 


「心」について

 

 心を定義するなんて無理だ。一つ一つが別々の固まりで、幻の中でも多種多様すぎる。おまけに一刹那一刹那で入れ替わっているんだから。

 幻は使い方(受け方)で、まったく反対の力となる。

 波動を中心にすると、物質界のすべては消えるものだが、歪み波動を「幻」、調和波動を「存在」という。

 心の底にあるものを性(仏性)という。性を知るのは仏性を知ることだ。


「体」について

 

 物質(体)が物質を食べるのは理解するためである。その物質の中にいる魂と調和するためでもある。この物質界は、普通に生きることだけでも、積極的に他を理解するように創られている。

 眼と意識、耳と元氣、鼻と肉体、舌と感情、皮膚と愛情が対応する。


                            「魂」について

 

 魂に完熟も未熟もない。初めからすべてが含まれている。しかし、今生では未熟な生き方があり、個性を育てる手伝いになる。さらに大きな魂に向かうために。

 悟りは目的ではない。「行」のための手段の一つであり、悟りを得なくても、魂の目的に向かう事ができるのはいうまでもない。悟りにこだわった魂はつまずいている。


                            「神」について 

 

 肉体の正体とは何か、をつきつめれば「神」に行き着く。

 魂は何処から来るか、何処へ行くか、を追うと「神」に行き着く。

 心がどんな働きをするこの世の仕組みなのか、を理解すると「神」に行き着く。


                            「いのち」について

 

 この世における「死」の現象は物質が分解する事である。

分解とは、多くの魂が一つ一つに分かれて、集まっていた「場」から解放されることで、その結果として物質が無くなるのである。

生きている時は魂より物質がリードしてくれるが、「死」は物質より魂が先に動く。

エネルギーが切れた時が「死」ではなく、魂が抜け出る時から順次「死」が始まり、分解が終わって完了するのである。


                            「人間」について

 

 仮に肉体だけのものが人間ならば、生物体は親からすべての情報を受け継いで子に渡すという事実から、子をもてない人間や子を生んでしまった人間は存在の意味がなくなる。また、心の必要性もなくなる。

ところが現実は多種多様な人間が存在しているし、心も大きな働きをする。このことからも、人間は肉体と心と魂から成り立っていて、主体は魂であることがわかる。


「この次元」について

 

 物質は苦しみ(歪み)から生まれたので、現象(結果)としての、この世は苦しみの世界である。

しかし、物質を創った仕組みの本質は幸せである。だから、この世を幸せに変えようとすると無理になる。

また、この世の本質を苦しみだと誤解すると無明になる。

苦しみ(歪み)を理解(調和、解放)すると、本質の幸せに気づく。

この世は気づくことと、気づきのお手伝い(行)をするためだけの世界であり、世界自体を変えなくてもいい。

変わるのは魂であり、その魂には別の世界が待っている。

 物質界にいるのに非物質界を意識する必要はない。「ある」ことだけ知っていれば十分だ。

今いる物質界を理解するために物質界にいる、という「あたりまえ」に気づけ。理解は生活の中でこそ出来る。


                            「氣」について

 

 正体の説明不可能。無限の種類と無限の量。時間、空間を問わず共通。他次元でも共通。

地球の人類という小さな範囲を設定しないと、性質の説明さえ不可能。


                            「陰陽」について

 

 陰と陽のバランスは必ず崩れている。それが物質界の掟である。だから「調和」への行いのために陰陽があり、観方ではない。

 陰から出たほんの一部が陽である。物質界は陽という「固まり」で成り立っている。

 陰性、陽性と分けるから無明になる。陰陽は一体という姿を観るのが目的である。


                            「聖と邪」について

 

 聖邪の区別は人間では無理。

 地球人の意識波動が「光と闇」の亜空間(別次元)を呼び、共鳴はしないが干渉がある。

地球上の多くの生物にその「光と闇」の影響がある。人間以外の生物の対立は本来のものではない。人間の心が解放されれば、あらゆる対立は消える。


                            「脳」について

 

 「考えるな」はヒントである。「考える」は不必要でも必要悪でもない。

 ゾウやクジラの力は使わない事を学ぶためだが、その問題をクリアーしたわけではない。

  一つの細胞の中に使わない全情報があるのは(DNA?)、使う個性の後押しなのだ。

個性は調和のためにあり、そのために個性の内側に全情報が用意されている。

その全情報は同波動の共鳴により、刻々とその変化を伝えている。結局、全情報は何一つ余さずに使っているのである。


「現実と実現」について

 

 実現しているものを消す(解放)のが自己実現である。

 現実は感謝に始まり、感謝に終わる。


「過去、現在、未来」について

 

 過去に経験した時間波動を共鳴させると、過去は現在として甦る。

過去に経験した記憶を甦らせると、過去は未来に向かってしまう。

 未来には経験がない。よって、未来は無い。

 この次元で現在といわれているのは、少し先の未来のことである。

必ず未来しか行えないし、未来の反応しか起こらない。よって、現在は無い。


「科学と宗教」について

 

 神に近づき、融けることが、人類に限らずあらゆる魂の目的である。

例外なく、正しい宗教心を持つことがこの次元における魂の生き方になる。


「自由、平等、平和」について

 

 自由と平等は感謝する(受ける)もの。

平和は行う(出す)もの。常に一体である。


「因果」について

 

 この次元に因果はない。シンクロニシティーだけがある。

そして、時間についての誤解があり、気づきがない。時間波動は神の優しさだ。

 因果は「すべてが一体であり、すべてがひとつらなりである」というこの次元の姿を説明しただけである。それ以外の教えはない。

 すべての因は神から始まった。因から果が現れるのは、因にすべてが含まれているから。だから、因果はいじれない。縁を選べるだけ。

 タオは結果に至るものではなく、因(神)に戻る道をいう。

 因は必ず変形、変質する。果は進むべき未来を必ず含んでいる。


「言葉」について

 

 智なくして方便の意味はないが、智はあくまでも受け手側にある。方便は常に無責任である。

 言葉の波動は力があっても意味はなく、言葉に乗せる波動に意味がある。双方の波動が同方向ならば、大きな具現力となる。

 話せば分か(れ)る。しかし、話して解るはずがない。放して解らぬはずがない。


「行」について

 

 生老病死の中で、病と老(育)は物質界における行のサポートシステムである。

 自己完成のための行ではなく、他の完成を手伝うのが行の真髄だ。


「家族」について

 

 基本的に「こだわり」なので、広がる方向で消える概念。


「病気」について

 

 医者でも患者でも病状の無い人でも、病気に対すれば病気だ。

 原因に気づくことで治癒する時代は終わった。意識の拡大の時代が始まったからだ。

 病気のメッセージは過去の過ちを指摘するものではなく、未来への指導である。


「健康」について

 

 自分が健康になるのが健康ではなく、他の健康を望む(祈り)のが健康である。


「その他」

 

 動けない植物や鉱物などは、他の生物に集まってもらう波動を出し続けている。

例えば、植物の根はその波動によって微生物が他の物質(栄養)を運んでくれるのだ。

 受精における精子は最初から代表が決まっている。受精までにパワーも情報もその代表に写される。そして、すべて代表のための手伝いが始まる。競争ではない。

 捕まえた青い鳥は放してこそ役に立つ。

 心の楽しみは満足すると消える。魂の楽しみは他へと広がる。体の楽しみは道標。

 生命体では、食べることは生きること。生きることは理解する行いのこと。

 

第二十二章は終りです。ご苦労様でした
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