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祝年
01/01 (木)

新年を迎え
おめでとう
ありがとう

祝の年
祝の日々
祝の時

いつでも
どこでも
どんな状況でも
祝を
心の真ん中に

生きているんだから

つらくても祝
悲しくても祝
嬉しくて祝
気持ち良くて祝
ぼや〜としてて祝
あせっても祝
寂しくても祝
ラッキーは祝
怒っても祝

欲望も祝
清浄も祝
煩悩も祝
共鳴も祝

出会いに祝
別れに祝
貧窮に祝
富裕に祝

貴方を祝い
そして
私を祝う

祝の象徴は
温かい
合掌にしよう

心の中に
いつも
合掌がある

いつも
祝がある
幸せ

  正月
01/02 (金)

我家は毎年元旦に
一家四人で写真を撮る
治療室前のカーテンをバックに
同じポーズで撮る

我家が撮る写真には
「氣」が写る事が多い
特にこの正月中は例外無く写る
デジカメは「氣」が写りにくいが
それでも写るものだ

今年もやはり写った
丸い「氣」が多いが
時には菱形もある
集まって白い煙状になる時もある

「どんど焼き」も必ず「氣」が写る
大小幾つも、雪のように写る
クリスマスも写りやすい

「氣」は意識に寄ってくるから
正月などは浄化の「氣」が
特に集まりやすいようだ
だから、写りやすいと思う

普段もワシを写すと
丸い「氣」は時々写ってしまう
ワシの扱う「氣」は
正月の「氣」と似ているようだ

そういえば・・・
結婚式の時にも
同じ丸く白い「氣」が写りやすい
身内の時はもちろんだが
(ワシが出席しているから)
ワシに関係ない結婚式でも写るようだ
知り合いではあるが
写真だけ送られてきたのに写っていた

嬉しい時や
おめでたい時は
浄化の「氣」が集まるんだなぁ
ワシの氣功療法と同じ「氣」だ

だから
病気や不都合を治すには
嬉しい意識を増やす事が
大きなコツなんだ

いつもワシはいう
嬉しい
愉しい
気持ちいい

単なる建前じゃないぜ
実際に効果がある
「氣」の活用法なんだ

  初夢
01/03 (土)

能力は意識の解放なんだ

ある意味、ちょっと特殊な
ワシ流の氣功療法能力
もっと深く
もっと濃く
もっと広く
もっと柔らかく
もっと気持ち良く
我欲かもしれないが
更に進みたい

自分でも気づいている
能力を発揮するのに遠慮している
心のどこかでリミッターが働く
意識の解放を止める
「何か」がある

今年は更に
このリミッターを弛め
「氣」の解放を進めたい

ワシでは完全解放は出来ない
それも解っている
だって・・・
人間でいる事に未練がある
それでも
限界方向に進みたい
怖いモノ見たさ、かな?
興味、好奇心かも?

とはいえ
マジメ求道者にはならないし
なりたいとも思わない
ワシは「いいかげん」歩行法を
道の進み方にしている

時には「氣」マグレ
時には「氣」ママ
時には「氣」オヤジ・・・

解放と自由といいかげんは
やすらぎと笑いと優しさを呼ぶ

その中で
ワシ流の氣功療法を
更に進めたい
今までの100倍を目指して・・・

ガンなどはもちろん簡単に
心の病は一度目から変化を
奇病・難病に出口を
若返りは20年から
「縁」さえ、つながれば
運命が好転する
そういうワシに階段を上る

ワシの能力を
遠慮しないで表に出す
今年は
「飛躍する時」になったと思う

「解決したければ、来ればいいよ」
ワシの内で
そう言えるワシに変身したい
ある意味傲慢な部分が目覚めているが
言ってもいい時が来た、と
「感」が囁く

(こうなると普通は邪気・悪気に犯され
エラクなる換わりに滅亡しやすいんだ
でも、ワシは大丈夫だと思うよ
エラクなるのは好みじゃないし
なにより、いいかげん、だから)

いいかげんは・・・身を守る

初夢であって、夢じゃない
夢は現実の第一歩から
現実になるんだ

  睦月(むつき)
01/04 (日)

始まりの月
とてもいい名前だと思う

人と人
人と他の生物
人とモノ
モノとモノ
国と国
思想と主義
「思い」と「思い」
誰と誰でも
何と何とでも
睦まじくなることで
地球は生きる

愛しいと思える間柄
嬉しさと愉しさがそこにある
睦まじい時が「生きる」力を呼ぶ
睦まじくなる事に
理屈も遠慮もいらない

「氣」の観方からは
「天の氣」と「地の氣」
「天の氣」と「人(個)の氣」
「地の氣」と「人の氣」
これらが調和する月でもある
「祓い」「祝」「浄化」によって

同じ意味のくり返しだが
「睦まじい」と「和合」からは
「生命が繁栄する」から祝
「おめでとう」は
お「愛(め)でたい」であり
「睦まじ」と「和合」の意味でもある

男(♂)と女(♀)の「愛でたい」は
浄化でもあり
その先の「聖」にも続く

「愛(め)」でないで
欲望だけだと・・・
破滅にも続く

行為は似ていても
「愛でる」か
「愛」でない、かで
方向は正反対になるんだ

男とオナゴの事だけじゃないぜ
家庭・会社・地域・国・世界
「征服(凌辱)」か「和合」か
行為は似ていても
未来があるのは・・・

正月を睦月とよぶ日本は
「和」の国としての素質は
とても優れていたのになぁ・・・
どうしちゃったのかなぁ・・・

  はじめ
01/05 (月)

日本語というのは奥深い
「はじめ」という和言葉に
「一」「始」「元」「創」「基」
「初」「本」「源」「祝」「哉」
さらには
「春」や「東」まで「はじめ」と読んだ

「はじめ」は単なる始まりじゃない
「はじめ」は単なる初めてじゃない
始めから終りまでが「はじめ」であり
基から完成までが「はじめ」なんだ

螺旋状に巡る「時」や「空間」なら
春から春まで
東から東まで
元始から未来まで
原子から大宇宙まで
そして
「氣」から「氣」まで

「はじめ」は全てを含んでいる
だから
「一」であり
「.」(天)でもある

「はじめ」れば
全てが含まれている
だから
一歩を踏み出すと
「夢は現実になる」
というより
夢は最初から現実でもあるんだ

踏み出す前を「夢」といい
踏み出した所からは「現実」という

ただし・・・
「現実」と「実現」は違う
現実は「はじめ」だから
誰でも必ずある
一人一人の個の内にある
現実に含まれる「実現」なら
夢は・・・叶う

「思えば夢は(何でも)実現する」か?
これは後でゆっくり説明するが
米が米式世界を
中華(世界は中国が主権)思想を
ロシア式社会を
北朝式世界を
○○式世界を
それぞれが夢みて思想統一しているし
現実に歩みだしている

でも
そんな夢
そんな実現なんて
マッピラゴメンだね

「夢が思えば叶うモノなら
世界はすでに滅亡しているさ」
(水上陽平独善辞典)

  蓬莱@
01/06 (火)

新しき年にあたり
氣マグレではあるが
当分の間は
御めでたき言葉で続けてみよう

今日は「蓬莱(ほうらい)」
めでたい言葉の一つなんだ

普通の解説では
「 中国伝説で、東方の海中に霊山(島)があり
不老不死の仙人が住む理想郷である」
となっている
これは道教系だが、仏教系なら須弥山とダブる

ワシの観方はちょっと違う
まず、伝説じゃない
「伝説」と「この世にあてはまらない話」が
現代では一緒にされているが
この世は「目に見える世界」だけじゃない
多重世界なんだなぁ・・・

その中には、精神世界もあるけど
妖怪が住む亞空間もあるし
「神話」に引き継がれた別世界もあるんだ
共通するのは、どの世界も
かなり「意識」が大きく影響する世界だ
闇の世界もあるようだし・・・

蓬莱は別世界ではあるが、存在するだろう
そして、この世界とも何処かで繋がっている
不老不死を求め、蓬莱を求めた始皇帝は
決してバカじゃない
アホかもしれないけど・・・

この世界で理想郷と思える世界に行きたいのなら
この世界とオサラバする事でもある
行けるかどうかは不確定だが
「パラダイスに行ける」と
無責任な保証をする宗教組織は多い
まず・・・そういう組織からでは
無理だろうなぁ・・・
(理由はあるが、メンドウだから解説しない)

それにね
「不老不死」は「幸せ」にならないように
この世界は創られている
だって、諸行無常に創られているんだぜ
ちゃんと、意味があるんだぜ
諸行無常だから「幸せ」に気づくように
この世界は創られているんだ
「不老不死」じゃ無理が出てしまうんだ

ただし・・・
本来の「老い・死」はもっと緩やかなんだ
みんなは急ぎすぎている
老い急ぎ
死に急いで
社会生活を送っている

そんな時
「蓬莱」にあこがれ
「蓬莱」を考え
「蓬莱」に近づこうとするのは
新しく生き直す出会いになる
だから「蓬莱」は御めでたい言葉なんだ

  蓬莱A
01/07 (水)

「不老不死」が何故「幸せ」にならないか?
これは手塚治虫師が「火の鳥」の中で
テーマの一つとして表現している
高橋留美子という漫画家も
「人魚の森」などで描いている

それでも求める
人は老いからも死からも逃れられなく
それは原点の怖れだからだ
四苦である「生老病死」
どれからも逃れられない

だが逃れられないモノの中に
「幸せ」があるのも事実だ
この世に生まれたモノ達は
例外なく「幸せ」も併せ持っている
ただ
「気づく」か「気づかぬ」か

蓬莱の字は
草冠(地・場所)に
逢う・來(来る)と書く
「逢」は「愛」「会」と同じだと
以前説明しただろう

「愛が来る場所」
「誰かと、何かと出会う場所」
それは今いる場所のことだ
地球のことだ

蓬莱は
地球そのものだと気づくのは
その人の「生き方」次第

御めでたい事は
誰にとってもあてはまる事
だから蓬莱は
今アナタのいる場所でもある

  瑞氣集門@
01/08 (木)

「ずいきしゅうもん」と読む
「瑞氣」は御めでたいというより
高貴、ハイレベル、神氣のような「氣」だ
色でいうなら金色

そういえば・・・
金色は色じゃないと教わった

この世にはあらゆる色がある
色は物質であり個性である
緑一つとっても無限段階の「緑」があり
他の色と無限段階に混ざっている
アナタの事だよ
人間でも他の生物でも植物でも鉱物でも
色(個)と色(個)の交じり合いなんだ

ところが、どんな色でも共通する事がある
輝く事と
くすむ事

輝きがある段階を超えると
「金色」に光りだす
どんな色も金色になるんだ

反対にどんな色(個性)も
くすむ事がある
ワシから観ると
「病はくすみ」の表れだと思う

金色の「氣」
外から寄ってくる事もあるが
(高貴なモノはきまぐれだからなぁ)
本来の瑞氣は
自分が輝き
金色になる事だろうなぁ

オトコには金色の玉があるが
あれは・・・
金色じゃないと思ってくれ
(「いのち」が輝くという意味では
金色の象徴ではあるが・・・
この話はメンドウだから・・・パス!)

  瑞氣集門A
01/09 (金)

瑞氣は高レベルの氣だと解説した
では「集門」は?

普通は「門」は「家」の象徴だ
だからそのまま約せば
「瑞氣が集まる家」となり
御めでたい言葉としているわけだ

ワシはヒネクレているから
「門」は「同波動体」と約す
(○○一門などと同じ意味)
しかももう一つの意味
「開」も備わるんだ
今の○○一門は閉鎖的だが
本来は解放する門だったはず・・・

「集」は「集まる」ではなく
「集う」(この違いに気づいてね)

ワシ流に約すと
「瑞氣は同波動が集うと
世界に解放される」
だから、いつも言ってるじゃない
ジョン・レノンも言ってるじゃない
「あたたかい波動が集えば
金色の力となって
世界に輝く未来となる」

あたたかい氣は
集う(受身じゃないぜ)と
瑞氣に変わるんだ

一人一人の個性も大切だけど
底(性)を共通させると
「聖」(金色)になる

今のヤバイ人間世界
勝負・正邪の競争意識から
テロ(恐怖)世界に進んでいる
テロ組織がテロじゃない
戦うからテロなんだ

そこからの方向転換は
共生・共栄・共存意識だ
個人においては共通感性だ
すると
瑞氣となり
未来は輝く

どうする?
未来はアナタ次第でもあるんだけど

  瑞雲@
01/10 (土)

瑞氣集門で思い出した
空を見上げていると
時々ヘンなモノが見える
UFOなど珍しくも無い
人類の半分くらいは見た事があるだろう
いや・・・もっと多いかもしれない
しかし、人間ってヘンなモノの代表だから
自分で見ても認識できないものは
目の錯覚だ、と穏やかに忘れるようだ

UFOならまだいい
空を飛ぶモノという概念がある
ところが島が飛んでいたらどうだろう?
ラピュタのように・・・
多分・・・雲の見間違いだと
自分の意識に納得させるだろうね
クラゲだったら?
これも目撃例が多いんだけどね
象だったら?
クジラだったら?
人間だったら?

ところで話は横道だけど
ワシは色弱だ
イロ気のあるオナゴに弱い
そしてワシ自身は
イロ事に弱い・・・
恋愛関係はメンドウだ・・・
いや、そういう事はどうでもいい

実際に色の区別が苦手なのだ
赤緑系色弱なのだが
黄色が混じると特に判らなくなる
「この色、赤系?緑系?茶系?」
娘もワシほどじゃないが
少しこの傾向がある

そんなワシでも
綺麗な色は綺麗と感じる
むしろ敏感なようだ
「綺麗」は色の区別じゃなくて
波動の感受性のようだ

そうそう瑞雲の話だよね
「瑞雲」という言葉は
瑞雲を見た後で知った
あまりに綺麗な雲を見たので
誰かに言ったら
「それ、瑞雲だよ」と教えられた

辞書を調べた
「五色の雲・虹色の雲・金色の雲」
う〜ん、そうなんだけど・・・
もっと綺麗かなぁ

一度経験すれば
機会は何度も訪れるものだ
これはどんな経験でも
どんな体験でも同じ傾向がある
「大丈夫、驚くのは最初だけ
あとはどんどん慣れるから」

その後も瑞雲は何度も見る
瑞雲とはいえ所詮雲だもの
アイマイなんだな
スゴイ綺麗な時も
マァマァ綺麗な時もある
チョットダケヨ、なんて時もある

吉兆だといわれていたから
宝くじやヒマ付きな美女にでも当るかと
期待して数日を過ごすが・・・
特別な出来事は何も無かった
ワシの心掛けが悪いんだろうが
そんなの今更問題にされても・・・ねぇ

瑞雲もそれほど珍しい事じゃないと思う
吉兆は「見た事が吉兆」だろうし・・・
だって・・・綺麗だぜ
綺麗なモノは出会っただけで充分だね

  瑞雲A
01/11 (日)

そういえば・・・
雲と人間の魂の周波数はほぼ同じだそうだ
だから生まれ変わる時
雲でも人間でも選択できるらしいよ
ワシもその時の事を覚えてないから
ホントウかどうか判らんけどね

でも、そうだとしたら・・・
瑞雲は徳の高い「雲様」という事になる
・・・ありうるなぁ・・・

ワシ、来世はオナゴに生まれ変わる予定だが
(もちろん美女だぜ。しかも悪女・・・(^_^; )
雲もいいなぁ・・・と思い直している

ワシが雲なら
あんなに高い所ばかり流れてないな
気まぐれに超低空飛行もするだろうな
忍び逢う二人を包むかもしれんな
(そ、それって・・・覗きじゃん!)

ワシが雲なら
瑞雲には成れないかもしれんが
いろいろに変形して
見ている人間や動物を楽しませたい
驚かせたい

毎日の雲さん達も
結構オチャメで形を変えている
いろんな形に見えるだろ
動物たちも時々空を見上げて
愉しんでいるんだ
みんな不思議に思わなかった?
あれって・・・
雲に意思がある証拠だぜ

ということは・・・
人や動物を愉しませる雲は
全部
瑞雲かもしれないな

  鶴亀
01/12 (月)

鶴は千年
亀は万年
人間の約百年の寿命からみると
長寿だから御めでたい・・・
これは後からの理屈なんだ

何度も書いているように
「長生き」と「幸せ」は結びつかない
強いていうなら
「生きている間は全て幸せ」なんだ
そして、他と自を比べる事も出来ないが
自と自は比べる事が出来る
「生きる質で幸せの濃度は変わる」
無人島でたった一人で一生を過ごす場合でも
「幸せ」であり
その生き方次第で
「さらに幸せ」であり
「とっても幸せ」にもなる

この世に生まれている
その事だけで
基礎は「幸せ」なんだ
更に生き方次第で
「幸せがプラスされていくだけ」
結構、この世はパラダイスに創られているんだぜ

この特殊な空間は「結界」されている
そして結界の境目で守る役目が
東西南北の守護神たち
その南に朱雀
(これが日本では鶴に象徴される)
北に玄武
(亀というかガメラというか・・・)
これが鶴亀を崇める理由なんだ

毎日・毎分・毎秒・毎刹那
結界を張り続けるのはシンドイ
だから崇められれば
鶴亀(のように見える守護神)も
チョット嬉しい
ヒイキというわけじゃないけど
崇めてくれるモノに
チョット手を振り返すのは
神様も同じ

どうする?
御めでたい言葉って意味があり
言葉にすれば、大きな働きをするぜ

  羽衣@
01/13 (火)

羽衣が何故、御めでたいか?

羽衣は天女の衣(服)だ
天女は神様族だから気まぐれだ
時たま世界各地に舞い降りて
大抵は水浴などをする
人間なら温泉の方が気持ちいいと思うが
天界は大気が温泉のようなので
火照った体を冷やす目的もあるようだ
(天族とはいえ、オトナのオナゴだから
イロイロあるんだ。詮索するなよ)

そこで通りかかった純朴な若者に
ヌードなどを見せちゃうから問題が起きる
(日本神話・ギリシャ神話・インド神話・その他)
世界各地で同じような出来事があるから
多分・・・天女はワザとしていると思う
天女でもオナゴだから小悪魔な部分はある

自分で誘っておいて
羽衣を盗ませておいて
「いや〜ん。返して〜」などと言う
本気で取り返すなら簡単なのだが
さも困った振りをして、条件を言わせる

純朴な若者を手玉にとるのは
一度やったらクセになるもんだ
(いや、ワシはそういう趣味は無いぞ)
「羽衣」という舞はそうして出来たんだ
可哀想に・・・その若者は一生独身だな・・・

別のパターンもある
雪女などと同じだ
綺麗なね〜ちゃんが訪ねてきて
どういうわけか、そのまま居着いて
可愛い子供も2人くらい産んで
ある時・・・羽衣の話を聞きだす
「秘密にしておけ」と言われていたのに
恋女房におねだりされたら・・・言うわな
すると・・・
「秘密にして!って言ったのに〜」と
羽衣を着て天に帰ってしまう
子供はどうすんだぁ〜
根性悪いなぁ・・・天女は・・・

ここまで書いていて
「羽衣」はちっとも御めでたくない
嬉しさちょっぴり、迷惑一生だな
ん? まてよ・・・
迷惑なのは天女の御根性
「羽衣」は何もしてないぞ

明日に続く・・・

  羽衣A
01/14 (水)

「羽衣」は御めでたい言葉だが
身につける「天女」は御めでたい言葉じゃない
あんなに根性が悪ければしょうがないわな
美人は根性悪に染まりやすいので
皆さんも注意しましょうね

「羽衣」が象徴するもの
自由・柔らかさ・温かさ・気持ちの良さ
風通しの良さ・融通が利く・綺麗・etc・・・
だから「羽衣」は御めでたいのだ
「愛でたい」モノなのだ

もしかしたら・・・
オトコ共は「羽衣を愛でたくて言い寄る」
と天女は嫉妬して
ますます根性悪になったのかも・・・
ありうるなぁ
嫉妬と怒りは心を壊すからなぁ

やはり御めでたい言葉に
「五劫の擦り切れ」がある
天女が水浴する時に
この「羽衣」を岩に置くのだ
その僅かの摩擦で
岩が擦り切れて無くなるまでを「一劫」
五劫となると
気の遠くなるような時間だ

これは長い時間だから
御めでたいのじゃないぜ
長けりゃいいってもんじゃない!
(何をワシは力んでいるんだ?)

「気が遠くなる」
「意識できない」
「ワタシ、バカよねぇ〜♪」
となるから御めでたいのだ
「幸せ」ってのは
「意識できない時」に寄ってくるんだ

頭の良い人(考えるクセのある人)は
「幸せ」から離れやすいんだ

ノーテンキは御めでたいのだ

  日出乾坤輝
01/15 (木)

ひいでて、けんこん、かがやく

禅語かもしれないが
光が射せば、心の闇(病み)が消える
すると生命力(乾坤)は共鳴して輝く
これも正月にふさわしい
御めでたい言葉なんだ

ようするに・・・
病は闇の解放からでも
他からの光の注入でも
(ワシ流の氣功療法などだね
本来は「氣光」療法)だから)
生命力は増して
生き方は輝くというわけさ

生命力が輝く
生き方が輝く事は
御めでたい事なんだ

だからワシは
治療としても指導としても
御めでたいコトを薦めているんだ
だから
今年のテーマは「祝」

「御めでたい」
御は強調語
「めでたい」は「目出度い」でもあり
芽が出る
日が出る
も同じ意味なんだ
もちろん
「愛でたい」でもある

愛でると
乾坤(生命)は輝く
オナゴは特に顔色が輝く

  金玉満堂
01/16 (金)

御めでたい言葉だけど
ワシだからオヤジ系の言葉だと
思われているんだろうなぁ・・・
きっと「きんたま まんどう」なんて
読む人が沢山いるんだろうなぁ・・・

これは中国(中華)言葉なんだ
「きんぎょく まんどう」と読み
家の中が黄金や宝石にあふれている意味だ
唯物拝金主義になった現在の中国では
(日本だって同じだけどねぇ・・・)
「お金が仰山儲かるように」という意味になった

「大切なモノは、見えないモノ」だと
昔は世界中が知っていた
中国も日本も御めでたい言葉は
「見えないけれど、ありがたいモノ」だった
「ありがたい」は「有り難い」で
貴重な出来事やモノを感謝する言葉だった

だから「金玉」の「金」は
金色に輝く、高貴な波動を意味し
「玉」は宝石を意味する
純粋な質の塊(永劫の思い)なんだ
現金と高価な宝石に囲まれた
成金家庭を目指す言葉じゃない
(ワシは高貴な波動と
純粋な思いが満ちあふれる家庭は
ちょっと・・・苦手かも
それより成金家庭にあこがれる・・・)

それにしても・・・
金玉満堂の像はなぁ・・・
大阪商売人が喜びそうだ

  宝船
01/17 (土)

七福神が乗っている黄金の船だ
特に正月に吉夢を乗せて来る
初夢の前の夜に枕の下にこの絵を敷くのだ
ん? 17日じゃ、もう遅いか・・・

そんな事はないぞ
本来は「祓い船」で
新年を迎える前の「大晦日」に
「厄」を乗せて出航する船だったのだ
だから七福神は乗っていなかった
代わりに「悪夢を食べる獏」が乗っていた
そして
帰って来る時は「福」を乗せて来る

厄は祓う
福は呼ぶ
この二つの役目が「宝船」
いつでも同じだ
「厄祓い」と「福来」はセットなんだ

ワシの氣功療法なども同じだ
闇(病み)を掃う事は
健康を呼ぶ事でもある
病をやっつけなくてもいい
病魔と戦わなくてもいい
浄化すれば(消せば)いいんだなぁ

だからいつでも宝船は来ている
暗くて見えないようでも
闇が消えれば
そこに来ている事がわかる

とはいうものの・・・
闇は消えても
ワシの眼が濁っているせいか
船は見えても、七神見えない
弁才天が見当たらない・・・
寿老人はいるんだがなぁ・・・

  福禄寿
01/18 (日)

昨日の七福神の寿老人と福禄寿は
同じ南極老人星(そんな星もあるのか?)
の生まれらしいんだ
だから姿も能力も似ている

幸福(いつも愉しい心)と
財力(安心した暮らし)と
健康(元気で長生き)を司り
これらを人に与える(ここがポイント)

故お師匠様は夢に出てくる老人がいた
その白髭の老人により氣功師になったらしい
その後も解らない事を何かと導かれた
その姿は福禄寿(寿老人?)そっくりだった

説明に、こうも書かれていた
「福禄寿は白髪童顔(美髭)の温和な容姿で(略)
三徳を人に与える神であり(略)」
これは故お師匠様の姿そっくりでもある

人がこの世に生まれると肉体がある
だから「生きる意味」は
「生きる事」そのものに含まれる
そして方向としては
愉しく生きる事であり
安心して生きる事であり
元気で(死ぬまで)長生きする事なのだ

単純であり難しい
どこまでも奥が深くて広い
誰にでも出来る条件ではあるが
千差万別の不公平でもある
(この公平じゃないところが
この世の仕組みの中核なんだ)

だから誰でも求めるモノが
福(幸)であり
禄(財)であり
寿(健康)なんだ

言葉は波動に対応する
それで全てが決るわけじゃないが
言霊は決して無力ではない
「福禄寿」は
現実的な利益でもある

ワシも言おう・・・

  鳳凰(ほうおう)
01/19 (月)

御めでたい言葉としての鳳凰だが
ワシは手塚治虫師がダイナミックに描いた
「火の鳥」を思い浮かべる

鳳(ほう)は火の鳥の雄
凰(おう)は火の鳥の雌だ
だから鳳凰としての言葉は
「陰陽一体」であり
「調和の形」であり
「生命の形」であり
「宇宙の形」でもある

手塚師がどのように意図したか解らぬが
「宇宙」と「過去・現在・未来」を
「火の鳥」に描いている
そして「いのち」を描いている

中国はもちろん
鳳凰は世界中に描かれている
ファイアーバード・フェニックス等だ
日本でも平等院や金閣寺
貨幣や御めでたい模様に描かれる

人の歴史の中であらためて鳳凰を観ると
「生命」は「御めでたい」事が解る
そして「生命」は
「輝く」「燃える」「調和」して
更に貴重(御めでたい)となる

象徴として鳳凰を架空のモノとしているが
以前にも書いたように
「この次元のモノでない」が
この世には時々出現するモノなど
幾らでもあるんだぜ
だから鳳凰も人間の空想じゃない
現実にあの姿でいる

もしラッキーな事にその姿と出会っても
ほとんどの人は
「見間違い」だと納得するんだろうなぁ・・・

  飛龍
01/20 (火)

鳳凰が空を飛ぶのなら
龍だって空を飛ぶ

ネバーエンディング・ストーリィの
「ファルコン」
千と千尋の神隠しの「ハク」など
物語の中だけじゃない
飛龍を祭る日本の神社も幾つかあるし
世界に飛龍物語は多々ある
ハンガリーには「飛龍週間」だってある

中国では鯉が数千年かかって霊力を持ち
滝から空へ飛び立つという
その時に体は龍になる
これは「魂の進化」を示唆している

龍は人を含めた魂達の
最終段階の形かもしれない

飛び立つ龍
とても
御めでたい言葉だ

(ワシのヨガの師は
龍村師匠になる
ワシが通っていた龍村道場には
龍敬子画伯の描いた
青龍の絵が飾られている)

ちなみにワシは龍年だ
(あまり関係ないか・・・)

  観音様@
01/21 (水)

御めでたい言葉でもあり
ありがたい言葉でもある
般若(心)経では「観自在菩薩」ともいう
観世音菩薩の略である

観音経では
「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」
つまり
「観音さま〜♪何とかして〜!」と
強く思い、名前を唱えると・・・
それがどんな事であっても
たちどころに何とかしてくれるという
現世利益の強力呪文でもある

じゃあ普段は何処にいるかというと
この世だけじゃなく亞空間も含め
三十三(無限)化身している
あらゆるモノに潜んでいるのだ
女性の一部だけじゃないんだぜ

「観」は見えないモノを見抜く能力
「音」は波動や「氣」の事
「菩薩」はあるレベルに達した本質体(魂)
これらは御めでたい事でもあるんだなぁ

観音様はオトコとかオナゴとかじゃないけど
どうしてもイメージ的にはオナゴになる
たぶん・・・自在になるほど
物事は柔らかい曲線になるからだろう

自由な考え
自由な生き方
「いのち」の自由さは
自然体であるが故に
観音様の影響を受けて
優しく、温かく、柔らかい
そして
美しい

どんなに身勝手な願いでも
観音様だけは聞き届ける
だから観音様を強く思えば
身勝手は消えていくんだなぁ

  観音様A
01/22 (木)

社会的、人間的、倫理的、人道的などで偉い人は
「菩薩」にはなれないと気づいているだろうか?
菩薩様は人間的じゃないんだ
もちろん社会的であろうはずがない
倫理も人道も人間主体の立場だし・・・

ホントウの優しさ
ホントウの温かさ
ホントウの柔らかさは
人間を含めるがあらゆるモノに対してなんだ
だから人間的、人道的、社会的にコダワル人は
「菩薩行」から外れて歩く
菩薩行って、人間的にマジメだと向いてないんだ

その菩薩様(魂のレベル)の最高峰に
「観音様」がいる
だから、現世利益だろうと身勝手だろうと
優しく対応してくれるんだ
単純に願いを叶えるという意味じゃないけどね

劣っているモノ
欠陥のあるモノ
悪意に踊らされているモノほど
慈悲をかける
ワシでは絶対無理だな
だって、ワシは政治家やその同類には
結構非情な対応をするもんね
あんな最低な連中に情けはかけられない
ところが観音様はスゴイんだぜ
多分・・・政治家にだって優しくする

観音様の名を呼び
観音様の姿を思い浮かべれば
観音様の波動に同調していき
やがて・・・問題は融けてしまう
災難な事が解決するわけじゃなく
その事が災難と認識しなくなり
更には「転じて福」と気づく

「念彼観音力」とはそういう事なんだ
観音経はダテなお経じゃないんだ

ワシ流に別な「観音様」解説もあるが
ちょっと妖しい方向にも行きそうなので
聞きたい人は座談会に呼んでくれ

  明王@
01/23 (金)

観音菩薩様が御めでたいのなら
明王だって仲間に入れてくれんかなぁ・・・

というのは
普通はどんな魂も「菩薩」を目指す
どんな人間も菩薩を目指しているんだ
だからあらゆる魂は「菩薩様」でもある
アナタも菩薩様なんだ

だけど・・・
何処にもヒネクれた魂はいるもんだ
そいつ等は素直に菩薩行をしない
危ない橋は渡りたがる連中だ
そいつ等は
明王系となるんだ

ワシが明王系を自覚したのは
かなり昔からみたいだ
やがて今の仕事(ライフワーク)に出会い
龍村師匠に出会って
よりハッキリと立場が解った
龍村師匠なども明王系だったからだ

つまりどんな人も生き物も
「菩薩系」か「明王系」に分かれる
どちらもさらに輝くと「如来」になる
(かもしれないが、そんな先は想像できない)

多くの人は「観音(菩薩)様」の名前を唱え
その姿を強く思い浮かべればいいけど
ワシ等のように明王系だと
ピンチの時は明王を唱え
波動を合わせるほうがいいみたいだ

多くの個性あふれる明王がいるが
代表は不動明王になるなぁ
その正体は「大日如来様」だからなぁ
不マジメなワシでも平伏だぁ

ワシの個人的な波動の相性は
明王の部下?の「摩利支天」らしい
ワシ、足は速くないけどなぁ
戦いも好きじゃないけどなぁ・・・
時々オナゴになるところは似ているなぁ

  明王A
01/24 (土)

昨日の雑記帳の最後に書いた、ワシに関係する
「摩利支天」を調べると面白い事が解った
でも、また後で書くね
今日は明王の続きだ

ワシが注目する明王に「愛染明王」がいる
単純に男女の愛を結ぶ神様じゃないぜ
仏(ブッダ・進化した魂)と人(進化してない魂)の
間(愛だ)を結ぶ明王系の存在なんだ

最近は拝金主義仏教により
「縁結びの神様ですよ〜♪賽銭お願いね」
などと商売熱心な寺院が多いけどねぇ
愛染明王もいい迷惑だよなぁ
アホ息子に寺を継がせるからだ

深く観れば「男女の愛」から
(愛欲・愛情・愛癖・愛力など)
宇宙の姿・仏の形まで道はあるから
男女の仲を大切にする事に
愛染明王を使うのはいいんだけどねぇ

御めでたい言葉の最高峰として
「愛」がある
それを道(タオ)として導く方便に
「愛染明王」がいる

どうしても優しい菩薩様に比べ
取っ付き難いと思われている明王も
なかなか洒落ていいもんだろ?

  高砂
01/25 (日)

結婚式などで御めでたい言葉として
「高砂」はいろいろ使われている
席名・舞・能・謡・形
象徴が翁夫婦だからだが
高砂に囲まれた結婚式から数年で別れるなんて
ちっとも珍しくないなぁ

本来は「元に戻る」事を意味している
「元」は御めでたい場所だ
「始め」でもある

生きてりゃ、いろいろあるけど
最終的には仏の掌の内
あるいは神の懐
出発の場所でもあるし
目的地でもある

高砂の形は
「円」だと思う
メビュウスのように
ヒネているかもしれないが
それでも元に繋がっている

「円」は「和」でもある
調和が「御めでたい」のは
この次元の本質だからだろうな
だから「調和」には祝福があり
「争い」には苦しみがあるんだ

大丈夫
どんな生き方をしても
最終的には戻れるから

そう知れば
自然体の生き方は
「和」に戻る
戻る言葉が
「高砂」なんだ

  万事如意
01/26 (月)

中国などで正月に使われる御めでたい言葉だ
だがチャイナドリーム思想がはびこっている昨今は
「全て思うように事がすすむ」とか
「思えば全て叶う」とかいう意味で使われだした
当然、これらの意味では
「御めでたい」言葉ではなくなる
アメリカンドリーム思想と同じなんだ
「自分の思うまま世界を変える」という
思い上がった、そして、迷惑な考え方だ

本来の御めでたい言葉としての意味は
「なるようになるさぁ〜」なんだなぁ
アシタマニア〜ナとか
ケセラセラとか
アッシラームとか
世界中にある言葉と同じ意味だ
「物事は神さま次第だぁ〜」

神様に任せりゃいい
ジタバタとアホな頭で考えない
この境地は「御めでたい」んだ
自分を含め
全てのモノと調和する言葉だもんね

元はといえば
神様(創造主?)がワシ等のような
出来損ないの生物(人間)を創ったのだから
責任も行動も結果も全て
神様にとってもらおうじゃないか
モンクは神様に言ってくれ!
そう開き直った自然体な生き方は
結構、自分も周りも楽にする

人間には欲があるから
いつもこの境地でいられないが
欲が苦しみを生むモノなら
たまには「なるようになるさぁ」と
幸せを呼ぶ言葉も使おうぜ

注:ヤケで使う言葉じゃない
してみりゃわかるけど
ホントは最も積極的な生き方なんだ

  吉祥
01/27 (火)

「きっしょう」「きちじょう」と読み
「御めでたい・うれしい」意味と印でもある

これが吉祥天になると
繁栄・幸運・幸福・美・富を象徴する神であり
功徳天とも呼ばれる美女の代表
つまり・・・アゲマン女神
(こういう表現でいいのだろうか?
でも、ホンモノは心は広く優しいから
面白がって、遊びに来てくれるかも)

吉祥天はホンモノだからお茶目でもある
普段から飾りたててなんかいない
ホンモノは飾る必要がないんだ
美女は綺麗に見せる必要もないし・・・

だけど深い優しさはお茶目でもある
ホントウの幸せの「気づき」を導くために
わざとみすぼらしい姿をする事がある
病気や災いを持ち込む事さえあるんだ

ホンモノは・・・深い愛情があるんだ
病気も災いも苦しいけれど
「繁栄・幸運・幸福・美・富」も
同じモノに隠れている
その事に「気づく」と
「永遠の幸福の鍵」が得られるんだ
病気や災いは辛くても不幸じゃない
むしろ、幸福とセットかもしれない

吉祥天はホンモノのいいオナゴだから
時々、そういうお茶目な現れ方をするらしい

病気を嘆く事はないんだぜ
案外、側に吉祥天がいるかもしれない

あっ、ワシのところには
現金を抱えた美女のまま来てくれぇ〜

  自然体
01/28 (水)

今月のように御めでたい言葉を集めて
その意を深く観ると
キーワードに「自然体」がある
そこで、禅話でこんなのがあった

ある人が偉い禅師に
「何か御めでたい言葉を書いて下さい」
すると、禅師は筆をとり
「祖死父死子死孫死」と書いた
頼んだ人
「なんだこりゃあ!ひでぇじゃねえか!」
禅師曰く
「物事は順序正しく無くなるのが、めでたい事じゃ」

禅話は一見ヒネクレているけど
ヒネクレているモノは結構深い
逆順に死んでいたら、とても不幸なんだ
そして、この世は諸行無常に出来ていて
永遠を求める心は不満と不安で不幸だが
自然体に生盛老死するなら
そこに「幸せ」がセットで付いている
誰でも対象となる
何気ない自然体に
「御めでたい」事は付いているもんだ
と、こういう意味まで込められているんだなぁ

本来はそうだとワシも思うが
社会生活(ルールや倫理など)だと
自然体が奇異に見られる事がある
せっかく「幸せ」が付いているっちゅうに
ホントに人の世は住み難いし
「正しさ」を大義名文にする人達は
・・・・救い難い

「至極あたりまえ」の出来事が
「あたりまえ」の感覚が
「あたりまえ」の現象が
受け入れられない世界を創ろうとしている

「御めでたい」は特殊じゃない
「御めでたい」は自然体
「めでたい」は「しぜんたい」
ということで
世界中の人々が
お互いを「愛であう」ようになれば
争いからの苦しみは消えるのになぁ
平和な世界なんて
ちっとも難しくないのに・・・

  開運
01/29 (木)

新年第一声の御めでたい言葉は
「あけましておめでとうございます」
「あけまして」は
「明けまして」と
「開けまして」を兼ねている

「明るい・輝く・光る」は自分の側の言葉だ
受身じゃなく、能動的な生き方を顕す
もちろん「開ける・広げる・現す」も同じだ
ある時期が来れば自動的に
御めでたい事が来るわけじゃない

「開運」も同じなんだ
幸運が開く事なんだが
開運グッズを買えば幸運が舞い込むわけじゃない
それをキッカケにして
(心やその他の)扉を開くから
(最初から持っていた)幸運も現れるんだ

「開く」事の逆が「こだわる」事なんだ
「こだわり」は見える形を作りやすいが
「幸運」は隠れやすくなる

「開く」事は「融(解)ける」事
だから「幸運」な出来事が起こるのではなく
「闇・病」が融け
「幸運」に「気づく」事が
「開運」

ん? それじゃツマランか?
そうねぇ・・・タマには刺激も欲しいよね
当選!宝くじ!
仕事が順風満帆
念願成就
子宝豊富

自分だけの世界ならいいけど
いろいろな人が念願成就だとなぁ・・・
衝突があるし、競争があるし・・・
人の思いは百鬼夜行でもあるし・・・
これじゃあ幸運は開けないよねぇ

やはり
開運は「融ける事」
「和(柔)らぐ事」だと
納得してくれたかなぁ

ワシ、幸運じゃなくてもいいから
念彼!宝くじ当選! 

 
01/30 (金)

「心」が御めでたい言葉と解説するのは
ちょっとシンドイかもしれない
ワシは通常「心」はグレたモノと解説する
「実にイイカゲンなヤツ」と思っている

だが、ワシ流のこの世の観方では
「この世はヒネクレて出来ている」から
「ウソ付き・アホ・不安定・アイマイ・混沌」
などの属性を持つ「心」は
その「実にイイカゲンなヤツ」故に
「最高の御めでたい」のだともいえる

例えば「羊」という字がある
これは「心」の意味だ
「心」もイロイロあるが
種類じゃなく性質だと思う
あるいは使い方だと思う
ワシ流の解説では
「柔(和)らかい心」をさすんだ

「柔らかい心」が「大」きいと
「美しい」という意味になる
「和の心」で言葉を言うと
「善」になる
「我(自分勝手)」より「和の心」を上にすると
「義」という意味になるんだ

「良い心」じゃなくて
星の数ほどの種類がある心を
全て含めての性質だ
だから嘘付きの心でも
スケベな心でも
聖なる心でも
「柔(和)らかく使う」なら
どんな心でも
「御めでたい」

心の無い人はいないし
心の無いモノは無い
だからこの世は
「御めでたいモノ」が主体の世界なんだなぁ
だからこの世は
「心」の使い方次第なんだなぁ

柔らかく
優しく使えば
ロクデナシの心も
御めでたい

  御めでたい
01/31 (土)

何とか今月全部を
「御めでたい言葉」で飾ってみた
ワシにとっても「御めでたい」事は
多くの気づきや見直しがあった

ここには書かなかったが
ワシ流の治療のコツでもある「目」
「目出たい」・・・「目が出る」
やはり、イイセンだったね
目(その奥)は
「いのち(体と心)」の回復に深い関係がある

「愛でたい」
愛撫・セックス・コミュニケーションなどは
「いのち(体と心)」の回復に深い関係がある

そしてキーワードは
「自然体」
自然と「いのち」は同じ意味になる

それらが「幸運」「開運」などの
「縁」と「氣光(温かい波動)」を呼び寄せる

言霊としても
「御めでたい言葉」は
ただの言葉以上に強力な呪力を持つ
念じなくてもいい
ただ、言えばいい
御めでたい言葉は
気前よく
大声で
明るく
いつでも
誰にでも
自分にも
何度でも
言うほどに
輝く

おめでとう!

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