05年11月のコラム         コラム3目次に戻る
いち・1
11/01 (火)

一の1で11月だ。
「いい月」だし「いいツキ」だ。
特に・・・5日がいいぞ。
い、いや、何となくだけど・・・。

一は「はじめ」。
そして「すべて」。
いつでも「始まり」。
いつまでも「初めて」。

以前、書道家の莫山先生の随筆を読んだ。
「一」を何枚も何年も書き続けている。
(確か・・・「女」も・・・)
今になって「一」「女」を書き続ける事。
少しだけ、解る気がする。
(書くというより、描く、なのかもしれない)

「一」を書くのは難しいのだ。
(そして「女」を書くのも)
「一」や「女」は深いモノなのだ。
(ちなみに男は浅く軽い出来損ないだぜ)

深さに気づいた者達。
畏れに気づいた者達。
それらの一部を表現しようとした者達。
彼等は「(ホンモノの)芸術家」とよばれる。

「深さ」には「光」が観えるものだ。
だから「光」無き「芸術」はありえない。
どんなに優れた表現であっても。
それらは「浅い」芸術モドキなのだ。
「浅い」ものは「闇・暗」がある。

この世の仕組みはヒネクレているのだ。
「光」は深いところにある。
「闇」は浅いところにある。
だから、人生は面白い。
愉しみは「深い」ところにある。

なかなか治らぬ病。
深い病。
それらには「光」が必ずあるものだ。
「光」は幸せを連れてくる。

浅い病は「闇」となる。
深い病は「光」となる。
この世の仕組みを創ったグレちゃん。
本当に優しいと思うぜ。

  いち・2
11/02 (水)

位置・ポジション。
多くが勘違いしている。
位置は自分が自分を知る為にある。
他からの評価や他との比較は関係ないのだ。

オトコは感覚で知っているはず・・・。
い、位置が悪い・・・。
位置がズレている・・・。
これは他人には関係ない・・・。
オナゴにもあるのだろうか?

ワシは組織に勤めた経験が無い。
ワシは嫌っていないのだが・・・。
組織はワシタイプは使い難いようだ。
ワシ・・・役立たずではないのになぁ・・・。
ちょっと、口が滑るだけなのになぁ・・・。
ちょっと、上に逆らうだけなのになぁ・・・。
組織って、ケツの穴が小せぇ・・・。

仕方が無いので、ワシはマンガやTVなどで勉強した。
「組織における位置に関する考察」
サラリーマン金太郎。
「位置がナンボのもんじゃぁ〜!」
金太郎は、少し特殊なようだ・・・。

課長 島耕作。
そうかぁ・・・
会社に入るとオフィスラブが待っているのかぁ。
出向すると、現地妻が待っているのかぁ・・・。
今から入社させてくれんかのぉ・・・。

組織における位置の意味はワシには理解でけん。
オトコは、もっと大きな場所に出なければ・・・。
と、いうわけで海に出航。
早速・・・迷う・・・。

大海原における位置の確認。
そう、これが位置の意味だ。
自分が自分の場所を知る。
サカナも他の船も関係ない。

位置は自分を知る事。
そこから、何処を目指すのか知る事。
真っ暗闇の中で位置を知る。
とても大切な事だと思うぞ。
位置を知れば、目指す方向がわかる。

  いち・3
11/03 (木)

市。
多くの人が集まる所。
人は群れる。
群れたがる。

一の人。
一人。
一人では位置が判らない。
不安になる。
そして群れる。
市となる。

守る人がいる。
守ってくれる人がいる。
支える人がいる。
支えてくれる人がいる。
それらが集まって市となる。

心は不安なのだ。
誰でも心は不安なのだ。
不安で創られているからだ。
何故なら・・・心は幻だから。

心があるなら
不安がある。
だから
愛もある。
その不安は優しいぜ。

大丈夫。
不安でも大丈夫。
不安だから大丈夫。
何処かで守ってくれる。
お互い様だもの。

市の中には、不安が沢山。
市の中には、優しさが沢山。
だから、人は、群れる。
群れは、村を創る。

強い人はいない。
強がる人はいる。
それだけだ。
みんな
不安で
優しいぜ。

  盛岡・1
11/04 (金)

盛岡第一日目。
ワシの住む所から600キロ以上離れている。
だが、新幹線乗り継ぎ含め3時間で着いた。
いいのか? そんなに急いで・・・。 
午前中から治療が始められた。

岩手に来た事は何度かある。 
最初は高校三年生の夏だ。
最初の一人旅となった東北一周。
小さなオートバイで周った。
 
紅顔の美少年。
日本海側を北上。
松林の海岸道路。
風を切って走るバイク。
(い、いや、実際とかなり違う・・・)

二輪免許をとって初めての遠出だ。
緊張はあるが、余裕はない。
金はないが、時間はあった。
シェラフ(寝袋)を積んだ旅だった。
おおよそ、一週間。
初めての一人旅。

当時はトラック・ダンプが強かった。
交通規制なんぞ知ったことかぁ!
スピード違反なんて常識・・・。
フラフラ走るバイクは脅されっぱなし・・・。
あおられて、怖かったなぁ・・・。

バス停で一夜を過ごす。
結構そういう仲間がいたものだ。
だから、空いているバス停を探すのだ。
夜中も多くの車は走っている。
特にトラックが多い。
その車の騒音の中で眠るのだ。

そうして新潟から山形。
そして秋田。
(・・・青森の記憶が無い・・・)
そして、岩手。
が・・・盛岡に来た事は無かった。

  盛岡・2
11/05 (土)

岩手は平泉に記憶がある。
中尊寺で撮った写真がある。
金色堂という名前だけ憶えている。
アホだけが取り柄の高三だ。
寺院に興味があるわけがない。

今なら観る事がある程度できるだろう。
今回は観光の余裕はない。
だが、また来る時はある。
その時が愉しみだ。
毎年愉しみが増える・・・。

この雑記は基本的に日常ネタや時事ネタを書かない。
だが「固い決心」というモノはワシの辞書には無い。
何よりも・・・辞書が無い・・・。
辞書は無いが、例外は有る。
例外なんて、幾つも有るぜ。
(そ、それって、威張れねぇと思う・・・)

実は・・・今日はワシの誕生日だ。
かろうじて、本妻は憶えていてくれた。
バースディ・メールが届いた。
だが多くの愛人達からは誰もくれない・・・。
日頃のワシの行いの賜物だ。
(賜物の使い方が間違っている・・・)

だが偶然なラッキーは常にある。
というか・・・
ワシの場合は偶然やマグレしかない。
ここ盛岡で御馳走を受けた。
初めての盛岡冷麺。
知る人ぞ知る美味しい店らしい。

ハッピーバースディ・ツゥー・ミー。
心の中で、冷麺をケーキに見立てた。
今まで、ありがとう。
我が肉体。
ロクデナシの心に付き合ってくれて・・・。

ありがとう。
多くの知人や友人や愛人。
縁のあったクライアント。
そして本妻と子供達と親兄弟達。
ロクデナシのワシに付き合ってくれて・・・。

ありがとう。
目に見える全てのもの。
目に見えない、全てのモノ。
今日は嬉しい日だ。

これからもロクデナシを修正する気は無い。
それでも、よろしくお願いしますね。

  盛岡・3
11/06 (日)

高三のバイク一人旅。
国道四号線、太平洋側を南下。
相変わらず、トラックにあおられる。
こ、怖いよう・・・。
そして岩手から宮城に入った。

仙台市に入って、びびった。
片道4車線もあるのだ。
ド田舎から出てきたのだ。
ボ、ボク、何処を通ればいい?

きっと、見ていられなかったのだろう。
白バイが並走してくれた。
あの時のおまわりさん、ありがとう。
ワシは警官だからといって差別はしない。

あれから幾星霜・・・。
輝く美少年はスケベなオッサンになった・・・。
荒んだ人生があったのだろう・・・。
例えば・・・イキナリ氣功師になったとか・・・。

次ぐ年も東北に入った。
十八の夏、初めて北海道に渡った。
厚岸郡浜中町嶮暮帰島に住む変人に会いに・・・。
そして大館・・・。
その後の記憶が無い。

更に二年後。
秋田、男鹿半島に行った。
これも一人旅。
民宿で地元の青年団と一緒に酒を飲んだ。
だが、その後の記憶が無い・・・。

翌年は友人とドライブした。
南部鉄のお土産を買った記憶がある。
だが盛岡市ではなかった。
こうして盛岡は一度も訪れる事が無かった。

  盛岡・4
11/07 (月)

今回、ワシを依頼してくれたのは、
リサイクルSのSさん。
お蔭様で久しぶりの知人達に会えるのだ。
一度も盛岡に来てないが、知人はいる。

生駒で一緒だった、S庵のSさん。
11年ぶりに会えるだろう。
6年ぶりで会えたのはYさん。
2年ぶりに会う予定のUさん。
8年ぶりのN屋敷のKさんの事は忘れてた。
インドで一緒だったが・・・今回は無理だな。

ワシは社交的ではないが、何となく知人が多い。
メンドウクサガリ屋のワシをフォローしてくれる。
来る者拒まず、去る者追わず。
これって、メンドウクサガリ屋の特徴かもしれない。

だから昼間の依頼が終わった後のフリー時間。
全て埋まった。
ありがたいし、嬉しい。
こういう仕事だ。
厳しい出来事も多いが、嬉しい事も多い。

今回も以前から関わっていた人から連絡があった。
ワシは観たくない先が観えてしまう事がある。
だが無能力者のワシの事だ。
間違いだらけのワシの事だ。
自分の感覚なんて信用できない。
間違いだと願っていた・・・。
だが・・・残念な結果の報告だった。

引きずって仕事は出来ない。
背負ってプロの仕事は出来ない。
切り替えだけはプロの能力として合格している。
いつでも目の前のクライアントだけが相手だ。

ワシはノーテンキだから続けられる。
ノーテンキだから知人が続く。
ノーテンキだからラッキーに出会う。
ノーテンキだけど、少しはシンドイ時もある。

  盛岡・5
11/08 (火)

岩手山。
クライアントの家の近くから仰いだ。
裾野が美しいと思った。
どこか浅間山に似ていると感じた。

あの稜線を歩いてみたい。
己が肉体の能力を省みず思った。
ハァハァ言いながら登る。
一歩一歩が確実なのだ。
山登りは確実な上昇が体験できる。

ワシはバカだ。
高いところに登りたがる。
高いところが好きだからではない。
バカだから好奇心があるのだ。

自分が底にいるから周りが観えない。
高いところに登れば観えるかもしれない。
アホだから、高いところに登りたい。
高い地位なんぞ、欲しくない。
そこからの景色が観たいのだ。

好奇心。
生命力から生まれる心だ。
生命力が高いほど、好奇心も高い。
ワシは生命力が旺盛なんだぁ・・・。
バイタリティには見えんがなぁ・・・。

解らないモノに惹かれる。
解らないモノは解らないのに・・・。
本気で解った!というほど高慢じゃない。
解った!というウソは平気でつけるが・・・。
ワシは・・・無駄が好きなのだ。

だから登る。
だから潜る。
だから飛ぶ。
だから歩くのだ。

そして・・出会う。
何かに出会う。
誰かに出会う。
何時かは出会う。

だから歩く。
だから登る。
だから味わう。
だから触るのだ。

  盛岡・6
11/09 (水)

今日の正午までで、メイン依頼は終了した。
午後は11年ぶりに会うSさん御夫婦。
YさんがSさんの店まで連れて行ってくれた。
このYさんも6年ぶりに会った(2度目)知人だ。

Sさんは盛岡でも知る人は多いS庵の御主人。
石臼挽き、自家製粉、契約農家の玄蕎麦。
もちろん手打ちなのは、いうまでもない。
決して大きくない店だが知名度は高い。

水は分子量の小さいパイウォーター。
EM・Xを使っているのも大きな特徴だ。
玄米ご飯など健康を積極的に意識している
当然、心を込める事を最優先している。
美味しいだけじゃない蕎麦処なのだ。

ワシはせいろと白雪の二色蕎麦をいただいた。
手打ちでこれほど細い蕎麦は初めてだ。
ワシの三兄は蕎麦食いマニアだ。
ついに自分で打ち始めた。
実に・・・蕎麦に関してはうるさい・・・。
その兄に紹介したら喜ぶだろう。

お互いその後の事をお話した。
まるで11年前に戻ったようだ。
そう喜んでいただいた。
ワシも念願が叶って嬉しいぜ。

メイン依頼主のSさんもこの店の常連さんだった。
人と人の縁は意外と狭い。
範囲は意外と広いのだ。
何処かで繋がる事が多いのだ。

ましてワシのように「縁」のみで繋がっている場合は、
必ずというほど、共通の知り合いがいるものだ。
不思議といえば、不思議。
でも、これは当たり前の法則かもしれんぞ。

「縁」は「円」となる。
そうワシは書かされた事がある。
もう・・・8年前にだ。
その時は、本気でそう思っていなかった。

でも手は勝手に書いている・・・。
ワシよりワシの手が賢い。
つくづく、そう思う。
仕事も手が勝手にしてくれるし・・・。

  盛岡・7
11/10 (木)

盛岡最終日。
午前中はフリー時間となった。
宅配便店に、衣類・その他を発送。
昨夜遅く(12時頃)洗濯乾燥した衣類だ。
帰ってから本妻の手間が軽減できるだろう。

ああ、何て優しい亭主だ・・・。
(いつもじゃない。単なる気まぐれだし・・・)
だが、ワシがオナゴなら、ワシとは結婚しない。
一生付き合ってもいいが、家庭向ではないなぁ・・・。

結婚は社会の現実の生活だ。
ワシタイプは社会的から外れている。
この点で本妻は見誤っている・・・。
(仮に)観る目があったとしても、選択は間違いだ。
イイオトコやイイオナゴと結婚は別モノだぜ。
(もちろんワシはイイオトコからも外れている)

まぁ間違いは誰にでもある。
そして何時もある。
何処でもある。
間違いくらいでコダワル必要はない。
そんなのにコダワルと疲れるぞ。

間違いが嫌だったら、やり直せばいい。
嫌でなかったら、先に進めばいい。
やり直せなかったら、諦めればいい。
時間は取り戻せないが、やり直しはできる。
全てでなくても、やり直せる部分は必ずある。

ワシはこの仕事を通して気づく事が多い。
目覚める事も多い。
観える事も多い。
だからといって、レベルなんて上がらないが・・・。

病が間違いだと仮定して・・・。
間違いがあるから、その先に未来がある。
間違いに出会って、夢に更に近づける。
(この見解に賛成する人はいるはずだ)
だから、間違いくらいで落ち込む必要はない。

一度沈むと、飛び上がれる。
沈まないと、背伸びで終わるかもしれない。
どちらも好みの問題かもしれん。
だが、ワシなら間違いが面白いと思う。

  東北
11/11 (金)

東北新幹線・はやて。
盛岡から2時間で大宮に着く。
トンネルが多いので景色は・・・。
それにしても速い。

ワシは何処にいっても違和感をあまり覚えない。
九州など最初から馴染んでいる。
前世があるなら、住んでいたのだろう。
来世があるなら、住んでいるのだろう。
そこで出会った人達とも相性がいい。

今回の東北。
といっても盛岡だけだ。
住んだ記憶が無い(当たり前か・・・)
だが相性のいい人達は同じくいる。
だから知人が幾人かいるのだろう。

「縁」はやがて(未来)「円」になる。
だが「縁」は更に以前に「縁」が有った。
だから再び「縁」を結んだ。
ならば以前の「縁」は更にその前に因がある。
いったい、どこまで遡ればいいのだ。

「縁」は「縁」が無くても「縁」となる。
「縁」が合った場合だ。
波動の接近。
そこに引力が働く。
そして接触(縁)。

6年前に本屋で見つけたワシの本。
出版直後は一応全国に発売された。
売れないから、たちまち撤収された。
その僅かな期間に接触した人がいた。

そして感応した。
600キロ離れたワシの治療院まで来た。
う〜m・・・。
変った人だ・・・。

その後の6年は一度も会っていない。
電話や手紙もほとんど無い。
(年賀状はあった・・・)
その「縁」が活きる。
ワシが手伝える事があるようだ。
今回の為に6年前が有った。

「時」は関係ないのかもしれない。
「縁」に「時」は関係しない。
人が「時」と共に変化するだけだ。

「時期が来れば」必要な事が起こる。
そう思っていたが・・・違うようだ。
「時」ではなく、「縁」が呼ぶ。
そして「縁」が働く。
それだけの事だった。

  愛人・1
11/12 (土)

絶対この題名でアクセスする人がいるよなぁ。
ゴメンネ。期待はずれです。
ここで戻って下さいね。
最後まで読んでから怒らないで・・・。

ワシは誤解されるのが平気だ。
だから誤解される表現も平気で使う。
そもそも誤解は固定概念から生まれる。
誤解する方がオッチョコチョイなのだ。
(これは天上天下唯我独善雑記だぜ・・・)

雑記の中で「愛人」が登場する。
それだけで読者の中には妄想が働く・・・。
勝手に関係を作ってくれる。
きっと、アレやコレをしているのだろう・・・。
(もてない)ワシとしては、ありがたい。

雑記を読んでいるクライアントからも質問される。
みんな、愛人に興味があるのね・・・。
その度、アレコレ説明する。
もう・・・メンドウになった。
だから、ここで説明しておこう。

ワシの可愛い愛人達。
クライアントやそれ以外の縁のある人達。
その中で、選りすぐりの美女達。
というのは冗談なのだ。
(い、いや、愛人達が美女でないというわけじゃない。
と、何故アセッて言い訳せにゃならんのだ・・・)

ワシはビジンとドビンを混同するタイプだ。
美女に価値があるとは思っていない。
冷たくしないが、贔屓もしない。
まぁ、美女でも許してあげよう・・・。
明るいタイプに、やや贔屓するかも・・・。

スタイルもどうでもいい。
い、いや・・・どうでもいいことはないな。
差別はしないが、注意はする。
それがワシの仕事だからだ。
「叶さん、そのオッパイ、不自然!」

クライアントを含めて縁のある人達。
その中でオナゴに限定。
しかも年齢制限も設定。
人間換算年齢30歳以上、上限無し。
つまり犬猫妖怪、全てオッケー。
こうして条件がついているのだ。

  愛人・2
11/13 (日)

オナゴである事。
ワシはホヤとホモが苦手だ。
差別はしないが、区別はする。
愛人にオトコは入れてあげない。

人間(換算)年齢30歳以上、上限無し。
ワシは若ぇネ〜チャンが苦手だ。
何故か「氣」が疲れる・・・。
犬猫は一年で二十歳になる。
後はニャンワン・イヤーを加えてくれ。

妖怪、宇宙人は大抵ン百歳だろう。
それならオッケーだ。
もちろん人妻は大歓迎だ。
孫は可愛い、メンドウになったら親に戻せばいい。
それと同じ心理かもしれない・・・。

ワシの方の条件はそれだけだ。
あとは相手次第。
入会金、年会費無料。
脱退自由。
義務無し。

特典は・・・。
ワシは来るもの拒まず、去るもの追わず。
こちらから連絡する事は基本的にしない。
例え、気になったとしても黙っている。
それが愛人に限り例外がある。

メンドクサガリ屋のワシだ。
普段は何もしない。
連絡があれば返事はする。
それは愛人と愛人以外でも差が無い。
だが、気まぐれが起こる。
その対象者だ。
(つ、つまらねぇ特典だなぁ・・・)

では、どうやったら「愛人」になれるか。
(ワシもここまで書いていて、アホらしくなった。
だがアホは可愛いと、愛人の一人が褒めた・・・。
律義なワシはアホを続ける・・・)

愛人宣言制をとっている。
宣言すれば成立だ。
だが、一応、誰だが連絡してくれ。
ワシは忘れっぽいのだ・・・。

  愛人・3
11/14 (月)

人類皆平等。
本妻愛人変人を差別しない。
平和は人類以外を大切に。
自由は縛らない事だ。

そういう珠玉の言葉を実践する。
ワシの愛人観はこうして出来た。
ワシが唯一誇れるものだ。
とても尊いものである。

愛人達に上下はない。
順位もない。
ただし何か印がないと混同する。
そこでアルファベットを使用した。
愛人A、愛人B、愛人Cなどだ。

ただしあくまで平等だ。
ABDDは入れ替え制だ。
ワシがその時の独断と偏見で決める。
(そ、それって、平等じゃないじゃん・・・)
会う頻度だけではないが、双方の思いの混同率による。
(尚更、わけがわかんねぇ・・・)

例えば・・・
現在急浮上したのが愛人C。
イキナリ、ワシの唇を奪ったオナゴだ。
しかも何度も何度も・・・。
ワシは相手がオナゴなら基本的に嫌がらない。
挙句にワシに勝手に乗ってくる。
(ワシから勝手に乗っかる事はないぞ)

「この娘、ここまで思っているのだから、
水上さんの愛人に加えて」
年齢は30歳との事。
ワシに異存は無い。
こうして愛人Cは堂々と愛人の振る舞いをする。

愛人皆平等。
だから競争も比較も無い・・・はずだ。
だが心は例外だらけで創られている。
愛人Dや愛人Eは少し複雑な心境らしい。
「なんで私より前なのよ・・・」

う〜m・・・。
でもね、ワシはケモノも妖怪も差別しないのだ。
姿形で判断しないでくれ、愛しい人達よ。
愛人Cがダックスフンドというだけで・・・。

  愛人・4
11/15 (火)

愛人フォー!(HG:談)
という時事ネタをしても、後で読んだら意味が通じないだろ?
だからワシは出来るだけ時事社会ネタを避けて書く。
それにしても・・・愛人に反応するオナゴは多い・・・。

オナゴの心の中や底にはあるのだろうね。
愛人願望と愛人羨望。
でもね、残念ながらワシの愛人観は違うぞ。
世間常識的愛人とは、かなり違うと思うよ。
何よりも、愛人になってもイイコトが何も無い。
(強いてあげれば・・・愛人という名前だけかなぁ)

特典は前回書いたように、気まぐれで連絡するくらいだな。
通常のクライアントより若干優しいかもしれない。
それくらいで、ポイントカードも無い。
ワシと会えば普通の氣功料金がかかる。
(ワシは何をしても氣功になってしまうから)
愛人だからといって割増や割引にはならない。

「愛人になってあげようか?」
これも勘違いしている。
ワシは愛人を求めてない。
来れば拒まないだけだ。
ワシは全てが仕事なのだ。

ワシにもプライベートはある。
だが遊びや休みや息抜きは必要無い。
この仕事(氣功)が最高な、ひと時なのだ。
ワシは相手が誰であれ、ナンであれ幸せだ。
そんなワシに共鳴したオナゴ。
だから宣言すれば「愛人」だ。

病み人でなくても愛人にはなれる。
友人にならなくても愛人になれる。
人妻であっても愛人になれる。
おばあちゃんになっても大丈夫。
人間でなくてもいい・・・。

ただし・・・規定料金は支払ってね。
愛人認定料としてなら安いもんだ。
(そ、そうかなぁ・・・。
ワシがオナゴならバカらしいと思う・・・)

ワシは愛人とクライアントを差別しない。
皆、ワシにとっては愛しい相手だ。
縁があるなら、愛しい相手だ。
ワシを必要としてくれる愛しい人達だ。

  愛人・5
11/16 (水)

愛人に義務はないがマナーはある。
もちろんワシにも本妻にもマナーはある。
強制する規則や規制は無くてもいいと思う。
だがマナーはこの世に存在するモノ、全てにある。
マナーだけあれば、規則はいらないと思うよ。

本妻は結構マナーが出来ている。
愛人へのツッコミをやたら入れない。
元々、嫉妬と底意地の悪さは少ないタイプだ。
他の自由を認めている。
ワシには何を言っても無駄と諦めたのかも・・・。

愛人達は本妻やワシの子供達に一定の気遣いをする。
本妻が承知の上とはいえ、マナーだろう。
マナーとは思いやりの事だ。
お互いが思い合って関係は楽になる。
ワシは楽になる生き方を仕事としているのだ。

愛人同士の気遣いもマナーであり学びだろう。
苦しい、悲しい、淋しい時は辛い。
だから、辛さをやわらげる温かさはありがたい。
その両方を知っているから、同志なのだ。
愛人同士は姉妹でもある。

そうねぇ・・・書いてて思った。
特典が無いといったけど・・・。
人と人との繋がりの「やわらかさ」と「優しさ」。
これが自然と身に付くかも・・・。

ワシが普段から書いている「この世の仕組み」。
ヒネクレているんだなぁ。
「受けようとすると、得られない」
「放せば、包まれる」
ヒネクレているけど、単純なんだ。

ワシの愛人観。
ワシ抜きでもいいような気がする。
愛人同士が仲良くなれたらいい。
それが広がれば、生きやすい世の中だ。
嬉しい、愉しい事が沢山増える。

そうかぁ・・・。
そういう展開になっていくのかぁ。
これがオチじゃないだろうけど・・・。
書いているワシが感心してどうするのだ。
久々に御筆先様が手伝っているのかなぁ。

  愛人・6
11/17 (木)

人や人以外やモノ達。
所有は出来ない。
縛る事も出来ない。
縛ったと勘違いする事は出来る。

他を縛る事は出来ないが、
自分を縛る事は出来る。
「こだわり」という縄だ。
だが、この縄は幻で作られている。

自と他。
いつでも自由になれる。
誰も縛る事が出来ない。
誰からも縛られることはない。

人と人。
人と人以外。
縛り、縛られる事はない。
だけど、仲良くする事は出来る。

(例外は必ずある。
縛り、縛られながら、仲良くなる趣味の人達もいる。
もちろん、ワシの事ではない・・・。
少し勉強しようかと思ったが、生理的に縛られるのは苦手だ。)

ワシの愛人観。
愛人ワールド。
解放し、解放される事を知る。
自由になる事を知る。
決して縛り、縛られる関係ではないぞ。

この世は「仲良くする事だけを学ぶ」為にあるのかも。
ワシはそう思っているのだ。
だから愛人達の関係も同じだ。
本妻と愛人達の関係も同じだ。
しかも、ワシがいなくても同じだ。

本妻はデキている。
愛人達もデキている。
ワシは自慢じゃないが、デキてない。
だが幸せ者だ。
きっと祖先が陰徳を積んでくれたのだろう。

  愛人・7
11/18 (金)

ワシは例外が好きだ。
何でも例外を認める。
いろいろ目が覚める事がある。
これが宇宙法則だぁ!と一瞬思う事だってある。
ワシはまだまだ未熟だから・・・。

そんな時でも別のワシがボソッと言う。
「でもなぁ・・・例外があると思うよ」
じ、じゃ、絶対法則じゃないじゃん・・・。
そうして、再び目が覚める。
(目覚めは最低二度無いと勘違いするぜ)

ワシは愛人を求めない。
これにも例外がある。
いいかげんなワシだ。
当然、平然、前言をひっくり返す・・・。

求める愛人がいる。
多分、誰も愛人にした事が無いだろう。
フッフッフ。
だからワシがエラソウに言ってやる。
「ワシの愛人(神)にしてあげるぞ」

相手は・・・
幸運の女神だ。
ツキの女神だ。
誰でも平伏して来てもらいたがる。
ワシはそんなのメンドウだ。
(ワシもそうしたが・・・来てくれなかった)

今まで崇め立てられた女神だ。
愛人の立場になった事はないだろう。
イケメンやら立派な人間にコト欠かない女神だ。
だからサエナイおっさんの愛人は新鮮だ。
そこが狙い目だ。

言ってみる価値は充分ある。
幸運の女神は冗談好きだ。
腹を立てるほど小さな神様じゃない。
多分・・・物好きだと思う。

大物の神様は気まぐれだ。
案外、スンナリ受け入れるかもしれない。
ワシは女神相手もネコ相手も適当にする。
だがネコよりも見返りは多い・・・。
(ワシは結構、ズルイと自分でも思う・・・)

  愛人・8
11/19 (土)

オナゴであるなら年齢の上限はない。
それぞれにダンナや彼氏がいるだろう。
だがオトコは欠陥品だ。
生命力が少ない。
生命力を活性化させる工夫も少ない。

世にある健康系教室を覗くがいい。
そのほとんどはオナゴだ。
50・60・70歳のオナゴは元気だぜ。
最後の瞬間まで現役のオナゴで生きられる。

その相棒のオトコは萎縮する。
オトコは定年を過ぎると余生だと思っている。
余生に生命力が生まれるはずがない。
そうして・・・オナゴ達だけが残る・・・。

オナゴ達だけでも元気だ。
だが・・・たまにはオトコに優しくされたい。
優しくしてくれた相手は・・・もういない。
そこでワシの愛人制度がある。

80・90・100〜歳のオナゴ達。
もうイケメンだのスマートだのとは言わない。
いまさら結婚相手もいらない。
たま〜にナデナデしてくれればいい。
オナゴはたまにのナデナデで数年は元気だ。

そこにうってつけのワシがいる。
ワシは80歳を過ぎるとモテモテになる。
モテモテは望んでいないが、しょうがない。
北海道から沖縄まで。
時には海外まで依頼がかかる。
毎日が仕事だ。

ワシは遠大な計画をするタイプではない。
だが・・・遥か未来は明るい事だらけだ。
いいかげんな愛人制度は未来を創る。
双方、そして、多くが幸せになる制度だ。
誰も困らない。
誰でも喜ぶ。

現実を見つめると、ワシの書いている事が理解できる。
ワシはウソを平気で書くが、デタラメではない。
いいかげんだが、現実はいいかげん側に近づく。
ワシ流の愛人制度。
「未来」と「あたたかさ」は備わっている。

  愛人・9
11/20 (日)

「老後に備えて愛人宣言しよう」
ワシはそんな事は薦めない。
第一、ワシは愛人を募集してない。
第二、老後なんて意識しない方がいい。
第三、増えたら対応できない・・・。

愉しく生きるにはどうするか?
ワシはそれを示し、その手伝いが仕事だ。
生命力の活性化だけが興味ある。
副効果として病からの回復がある。

つまらぬ固定概念は生命力を活かさない。
社会的倫理観といわれるものは時代で変化する。
つまり本来の生命力側に沿ってないのだ。
社会常識や社会法律も為政者に都合よく変化する。
安易な道徳を声高に叫ぶ人は信用ならない。
(本来の道徳はもっと深く優しく万物に共通だ)

「愛人」は特定の二人のだけの関係ではない。
「愛しい人」は多くの人達に共通する。
ある層なら全員同じ立場になれる。
愉しく、嬉しく生きる共通認識だ。

嫌なら仲間にならなければいい。
人の生き方はそれぞれだ。
たかが「愛人」に過剰反応するのは異常だぜ。
正義や道徳を振り回す人達は苦しみを増やしている。
自分の心の底を誤魔化すから、他に凶暴になる。
そのままでは可哀想だが、幸せになるのは難しくないぜ。

「愛人」の一人になればいい。
「愛人」の仲間になればいい。
他を愛おしく思える人になればいい。
簡単な事だ。
キリちゃん(イエス)もそう言ってただろ。

ここまで書いて妄想は更に膨らむ・・・。
ワシの器がある。
とても小さな器だ。
だから愛人人数制限を設ける。

オナゴ、人間換算30歳以上なら誰でもいい。
ケモノ、妖怪、宇宙人、幽霊、神様でも可だ。
だがワシは数が多くなるとメンドウになる。
だから、アルファベットの26文字までだ。
(来るもの拒まずだから、一応の制限だなぁ・・・)

愛人宣言は勝手だが、依頼すれば規定料金はかかる。
(ケモノや幽霊は料金は払わないかなぁ・・・。
妖怪や宇宙人や神様は何かしてくれそうだなぁ)
ワシは生き方も仕事も区別できない・・・。
ワシは自他が幸せになる事が仕事であり、生き方だ。

  琥珀・1
11/21 (月)

今月は盛岡に氣功治療で出張していた。
帰りに駅ビル内で御土産を買った。
岩手限定カトちゃんの冷麺根付。
メダマオヤジのわんこそばバージョン・・・。

ちなみに岩手限定冷麺キティちゃんは不評だった・・・。
これは豚子(小6)は女の子っぽいのが苦手だからだ。
スカートなんて嫌いらしい・・・。
フリフリやピンク系統は絶対身に着けない。
野球帽をナナメにかぶり、ジーンズに手を突っ込んで歩く。
靴や衣服は青や黒。
だからキティちゃんは友達にくれたようだ・・・。

その土産横丁内に「久慈琥珀」があった。
琥珀は石ではないが、石状ではある。
似ていれば、細かい事は言わない。
大雑把やいいかげんが、愉しく生きるコツだ。
ワシは何故か石類が好きなのだ。

ワシの石好きな心を分析してみる。
これはワシがフニャフニャしているからだろう。
(フニャフニャしているのは性格である。
決して身体の一部を想像してはいけない。
指摘されれば、ワシだって落ち込むのだ・・・)
人は逆タイプにアコガレる。

石は意志が固い。
体も硬く剛健である・・・。
ワシとは正反対だ・・・。
ある意味「こだわる」と純粋になる。
純粋は固くなり、そして硬くなる。
最終的には鉱物となる。

だから人の生き方としては、純粋は間違いだ。
人は「やわらかく」生きるのが自然体だ。
純粋に「こだわる」のは鉱物の生き方だ。
人は動物であり、鉱物は静物である。

それぞれが、自然体であり双方必要でもある。
だが、混同混乱混交すると不幸になる。
自然体から外れる事を不幸という・・・。
人は「いいかげん」で自然体なのだ・・・。

硬いのは時に応じる一部分でいい・・・。
人の純粋は「いいかげん」でいい。
しかも一部分だけでいいのだ。
時々ならば魅力あるが、年中なら疲れるだろ?

  琥珀・2
11/22 (火)

日本原産の琥珀は岩手県久慈市しかない。
流通のほとんどは外国産だ。
日本産は1%以下といわれている。
古さも色の種類も外国産より飛び抜けている。
日本産は結構貴重なのだ・・・。

鉱物は「氣」の塊。
その中でも「純粋な氣の塊」を宝石とよぶ。
「純粋な氣」は一つの方向を持つ。
だから宝石は貴重で使い方があるのだ。
単なる見栄の飾り物じゃないんだぜ。

宝石の使い方を知らない成金の人間達。
ネコに小判、ブタに真珠、アホに宝石なのだ。
宝石は使い方で「氣」を呼ぶのだ。
その「氣」を活かすと、いろいろが出来るのだ。
でも・・・まぁ、飾り物でもいいかぁ・・・。
下手に使い方を憶えて迷惑になるよりも・・・。

鉱物や石化した宝石は原産地と深く係わる。
「時」の意味を知れば、当たり前だ。
その土地に存在する、あらゆるモノ達を楽にするグッズだ。
地球(ガイア)と「時」がプレゼントしてくれたものだ。
原産地と現地に存在するモノ(人を含む)は深い関係がある。

有機物の宝石(石化)も同じだ。
真珠や珊瑚や琥珀などだ。
仏法で七つの宝と指定されているのにも意味がある。
仏法は人(だけじゃないけど)の幸せを説(解)いた。
それらを応援するグッズとして七宝を紹介したのだ。

ワシは偶然で生きている。
成り行きのラッキーで生きられる。
今回、偶然に日本原産の琥珀に出会った。
金の無いワシが、つい、買ってしまった。
もちろん、超安物ではある。
だが、価値は値段じゃないのだよ・・・。

目に見えるモノにも価値はある。
だが圧倒的に目に見えないトコロに価値はある。
そして現代人は目に見えないモノを観る力が低下している。
だから判断力が低下しているのだ。

その為、他が付けた価値を気にする。
価値として値段で判断する。
値段が高ければ、価値があると思ってしまう。
値段=価値の固定概念が出来上がる・・・。

  琥珀・3
11/23 (水)

日本で商業採掘し製品にしているのは一社のみ。
その店が盛岡駅ビル内の土産横丁にあった。
琥珀は宝石として値段の高い方ではない。
それでも世間から3段階下層で暮らすワシだ。
きちんとしたペンダントやネックレスなどは無理。
一番安いのが根付け(ストラップ)だった。

御土産は買った行為が喜ばれる。
買ったモノではないのだ。
その心配りを喜ぶものなんだ。
モノによってモンクを言うような相手もいる。
そういう相手とは縁を切ればいい。

ワシと付き合う本妻や愛人は理解している。
その喜ぶ笑顔を見たくて、安物買いをする。
本妻に一つ。愛人に一つ。ワシに一つ。
(愛人達は平等だが、代表として身近な一人に・・・)
本妻と愛人は同等だが、ワシはワシに贔屓する。

ワシも他のモノ達も平等だが、贔屓はする。
贔屓は個人的趣味の問題だ。
メンドウクサガリ屋のワシは身近に贔屓する。
身近なら、ワシ本人だろうが他人だろうが関係ない。
だから一番身近にいるワシ自身に贔屓する。
モンクあるか?

そういうわけで、ワシの根付けだけ少し大きい。
大きいといっても、その店ではオマケのような製品だ。
「琥珀は中に虫が入っているのが高くなります」
そうだろうなぁ・・・
8500万年前の姿を止めているのは琥珀以外に無い。
(久慈琥珀は外国琥珀よりかなり古いものなのだ)

命懸けの代償として治療費をいただく。
「氣」の力はワシの力ではない。
だが交換交流するダメージはワシの命だ。
氣功料金というが「氣」の値段ではない。
「氣」はタダなのだ。
ワシの身体と命と生活に料金が必要なのだ。

ここが他の施術師とワシの違いだ。
技術や経験や知識の施術はその人のモノだ。
その人の力と技の代償が料金だろう。
通常の施術師の料金は力と技の料金だ。

ワシは力も技も無い。
(蛇足だがイロオトコでも無く金も無い・・・)
あるのは交換交流するワシの身体と命だ。
もう一つ・・・いいかげんな性格だ。
見ず知らず相手に命を投げ出せる性格だ。
(う〜m・・・単なるアホではある・・・)

ワシの命の代償だから安い・・・。
安いけれど、貴重な金だ。
クライアントにとっても貴重な金だ。
簡単にン万円やン十万円のアクセサリーに使えない。

  琥珀・4
11/24 (木)

ワシは買い物が大雑把だ。
「あ、コレとソレでいいやぁ・・・」
吟味して買うタイプではない。
丹精込めて作ってくれた人に申し訳ない。
普段エラソウに言ってる事と矛盾している。
まぁ、しょうがないかぁ・・・
ワシなんて矛盾から生まれたような人間だし・・・。

小さな琥珀の根付け(ストラップ)。
色弱のワシは色の区別が苦手だ。
細かい色事に向いてない・・・。
一つ一つが天然の違う色の琥珀だ。
本妻も愛人もそれぞれ勝手に選んでくれ。

成り行きで買ったようなものだ。
店から出にくいので買ったようなものだ。
本妻と愛人の二つ買えばいいと思っていた。
ところが、つい、ハズミでワシ用まで買った。
特に欲しいと思わなかったのに・・・。

帰ってきて携帯に取り付けた。
数日たって、覗いて見た。
あれぇ?・・・虫が入っている。
しかも綺麗に触覚と羽を広げている。
何かの破片と重なっているので、
角度によって見つけにくかったのだろう。

妖精だ。
ワシはそう思った。
ワシは独善家だ。
勝手に好い様に解釈する。
他の人の意見は関係ない。
ワシがそう思ったのだ。
モンクあるか?

ラッキーだぜ。
これで、更に幸運が訪れる。
8500万年前から待っていたのだ。
ワシを待っていたのだ。

早速「氣入れ」をする。
ワシと8500年前からの妖精との交流だ。
「氣」は「時」を超えて作用する。
そこで双方に「氣」が通うのだ。

今回の盛岡出張にも多重の意味があった。
直接の依頼主との縁だけではない。
旧知の人達との再びの交流だけではない。
ワシの「運命」が呼んだ。
今後の為に・・・。
それが何であるかは、ワシは未だ知らない。

  珊瑚・1
11/25 (金)

現実の出来事の「琥珀」を書いた。
ならば「珊瑚」も書こう。
珊瑚といえば・・・犬夜叉だ。
知る人ぞ知る、るーみっくワールド。

犬夜叉世界では「琥珀」は「珊瑚」の弟だ。
しかも死人(しびと)だが生きている・・・。
四魂のカケラによって生かされている。
幼いくせにシビアな役割だ・・・。
元々は妖怪退治部族頭領の息子だ。

珊瑚もシビアな役割だ。
るーみっくワールドはシビアな世界を描いている。
脚色としてギャグを使っているが、本質は悲哀だ。
悲哀と同時に人の弱さの温かさを描いている。
「弱さのあたたかさ」
それをブッちゃん(ブッダ)は「慈悲」と表現した。

珊瑚が好きになってしまった坊さんがいる。
弥勒というスケベ丸出しの青年だ。
風穴という致命的な運命を背負っている法師だ。
弥勒もまたシビアな運命と共に歩いている。

だが弥勒はとても「いいかげん」だ。
法師の姿をしてウソも平気で言う。
法師の姿をして、平気でスケベ丸出しをする。
だから、心底信頼できる仲間だ。
綺麗事だけしか言わない人は信頼出来ない。

「いいかげん」な性格はシビアな人達を救う。
「いいかげん」は深刻を救済する仏の法なのだ・・・。
生真面目な珊瑚が弥勒を好きになったのは理屈じゃない。
弥勒の自然体は魂を癒す作用がある。

珊瑚は真っ直ぐなオナゴだ。
だから苦しむ。
人は真っ直ぐでは苦しむのだ。
人の自然体は真っ直ぐではない。
「苦」は自然体から外れると警告として起こる現象だ。

珊瑚は弥勒と出会い「やわらかさ」を学ぶ。
人は「やわらかく」て「幸」を感じる。
「あたたかく」て「幸」を感じる。
悲しみや哀しみがあっても「幸」は得られる。
弥勒は生き方で、それを示している。

(参考: 高橋留美子「犬夜叉」小学館
少年サンデーにて連載中である。)

  珊瑚・2
11/26 (土)

珊瑚は腔腸動物という動物である。
植物ではないのだ。
クラゲやイソギンチャクなどの仲間でである。
腔腸動物でも石灰質の硬い骨格をつくるものを珊瑚という。

彼女や妻がイソギンチャクな場合もある。
確かに、石灰質の骨格もある。
しかし、彼女や妻は珊瑚の仲間ではない・・・。
入試試験で引っ掛け問題として出るから注意しよう。
(そんな学校があったら、日本はもっとマシになるだろう)

珊瑚は小さな小さな虫が集まって出来ている。
群体というが、軍隊ではない。
平和的な生き物だ。
軍隊は平和を維持出来ない。
当たり前だろ・・・。

珊瑚は小さな個虫が集まり、樹木状になる。
虫の命は儚い。
しかし石灰質の硬い骨格が残る。
それが装飾用として使われる珊瑚だ。
珊瑚の骸骨なのだ。

死んでから役に立つという点。
人間より珊瑚が上、ともいえる。
人間の骸骨はほとんど役にたたない。
まして、装飾にはならない。
人間が虫よりエライ、などと驕ってはいけない。
アナタは虫より役に立たないかもしれないのだ。

珊瑚にはもっと大きな役に立つ特徴がある。
珊瑚は環境ストレスに弱いのだ・・・。
その為、珊瑚は地球環境の悪化を警告してくれる。
珊瑚が綺麗に育たない海は危ないのだ。
海の環境悪化が進めば、生物のほとんどは危ない。
もちろん人間も苦しみの挙句、滅亡に向かう。

しかしアホな政治家達は「命」が理解できていない。
優秀大学を優秀成績で卒業し、優秀な世渡りで政治家になれる。
優秀な人達は劣悪非道な人間に育つ事を知ってくれ。
人間社会の優秀は「命」次元からはアホ製造システムなのだ。

生きとし、生けるモノ全ての幸せ。
それは地球生物としての自覚だ。
自覚をマヒさせる事が優秀と評価される人間社会。
決して優秀な人間に育ててはいけない・・・。
自他にとって、苦しみを増やすだけだ。

珊瑚を見て、珊瑚を観る。
珊瑚から地球が観える。
珊瑚から人の生き方を学ぶ。
イソギンチャク(の仲間)は大切に扱おう・・・。

  弥勒・1
11/27 (日)

珊瑚を書いていたら「弥勒」が出てきた。
ワシが目指す一人でもある。
勘違いしないでくれ。
56億7千万年後に現れる弥勒菩薩じゃないぞ。
犬夜叉一行の弥勒法師だ。

ワシは節操が無い。
更に節操無く生きようとしている。
目指す方向の人物像も沢山いる。
遥か彼方に光るのはダライ・ラマ法王。
そしてマザー・テレサ聖女。

少し身近で二人の御師匠様。
故関英夫先生。
他にもいたなぁ・・・
え〜と・・・誰だっけ?
このように実に無責任の無節操だ。

ここまで無節操なら何人増えても構わない。
素敵な人は多いほどいいだろう。
目指す人達は多いほどいいだろう。
下手な鉄砲も数打てば当る・・・かもしれない。
ワシはそう思った。

そこで犬夜叉に出てくる弥勒法師だ。
一番好きなキャラクターかもしれない。
モンク無く、目指す人物像になった。
だが知らない人が多いだろう。
だから紹介とワシ流の解説を加える。
もちろん独善なのはいうまでもない。

「私の子供を産んでくれませんか?」
初対面のオナゴの手を握り、マジメ顔で言う。
二度目であっても、前回は忘れている・・・。
逆にオナゴから「昔、弥勒様に抱いていただきました。」
と言われても、本当かどうか憶えてない・・・。
理想的な無節操と無責任なスケベオトコだ。

仏の道を生きる証の法師姿だ。
困っているオナゴがいたら手を出さずにいられない。
例え、それが妖怪のワナだとしても・・・。
ここに注目してくれ。

弥勒は相手が妖怪だとしても手を出すのだ。
なんて優しいのだ・・・。
これが仏道を歩くホンモノの坊さんなのだ。
ワシはどうせ歩くならホンモノの道を歩きたい。
オナゴであるなら、妖怪でも幽霊でも相手をする。
ワシの治療方針はこうして出来上がった・・・。

  弥勒・2
11/28 (月)

寺で修行をした。
掌に風穴という異次元空間を持つ。
特殊能力ではなく呪の力だ。
いずれ風穴が広がり死を迎える。

奈落という魔と立ち向かう犬夜叉達。
弥勒は犬夜叉達と同行している。
世界の平和の為でもあり、呪を解く為でもある。
祖父と父の仇でもある。
そんなシビアな運命を歩いている。

シビアだからこそ洒落る。
厳しいからこそ微笑む。
死と隣り合わせだからこそ生を尊ぶ。
生を尊ぶとは愉しむ事だ。
生を尊ぶから自然体になる。

自然体だから不マジメだ。
生真面目は自然体でない。
不マジメだがデタラメではない。
自然体は「いいかげん」だ。
その時、その場で変化する。

弥勒は我を忘れる事が少ない。
犬夜叉は感情に流されて行動する。
弥勒は感情を愉しんで行動する。
我(が)が感情を使いこなしているのだ。
心のバランスがとれたホンモノの坊さんだ。

我を無くすことは出来ない。
肉体は我が維持をしているからだ。
無くしたら・・・死んじゃう・・・。
無くそうと修行するのは時間の無駄使いだ。
人生は大切に使おうぜ。

無くす事は出来ないが使いこなすことは出来る。
完全でなくても、ある程度は使える。
我に使われるだけの人生はツマランぞ。
我なんて小さく可愛いヤツだ。
本気で相手をするほどの大きさじゃない。
適当に愉しむ為にも我を可愛がろうぜ。

我を無くせ、という指導者はニセモノだ。
いいかげんなワシより未熟者だ。
アホなワシより無知だ。
さっさと見切りをつけようぜ。

精神世界に係わるつもりなら、
犬夜叉のマンガを読みなよ。
そして弥勒法師から学ぼう。
学べないようなら、係わらない方がいいぞ。

  弥勒・3
11/29 (火)

弥勒は女好きと誤解される。
すぐ手を握る。
すぐ尻を撫でる。
「私の子を産んで・・・」と口説く。
こんな程度で女好きと決めつけてはいけない。

弥勒は優しいだけだ。
弥勒は「いいかげん」なだけだ。
実はそれほどオナゴに固執してない。
サービス精神が素直に行動に出るだけだ。

本当に好きなオナゴには遠慮する。
結構シャイなのだ。
尻を撫でるのは本心を誤魔化している。
その場面がある。

「珊瑚、お前は特別なオナゴだ。
だから、オナゴとして好きになるまいと思っている。」
「はぁ〜?」
「お前は一緒に戦う仲間だ。」
珊瑚の気持ちを知っている一行から非難されるが、
珍しく弥勒の誠実な本心が観える。

だが、もう逃げられない。
言葉は続く・・・。
「奈落との戦いが終わり、そして私が呪から解放されたら、
珊瑚の故郷で一緒に暮らそう。
そして・・・私の子供を生んでくれ」
ロマンチックな場面だ。

だがそれだけでは浅いオトコだ。
「じゃあ、もう浮気はしないよね」
「うっ・・・そ、それは・・・」
「しないよね!」
「・・・・・」
「するんだな・・・」

これでこそ、誠実な自然体な姿だ。
どんなに大切な場面であっても、
出来ない約束をするオトコではない。
仏の道を歩く身だ。
弥勒は信頼できるヤツなのだ。

上記の場合、珊瑚が幼いだけだ。
今後、弥勒が少しづつ育てるだろう。
心は「いいかげん」で大きく育つ。
心は育てないと幸せから外れやすいのだ。

  弥勒・4
11/30 (水)

珊瑚と弥勒のカップルは一応成立している。
だが真っ直ぐな珊瑚は弥勒を理解できない。
珊瑚を特別なオナゴと言った事を理解できてない。
他のオナゴの尻を撫でる事を理解できない。
弥勒はとても誠実なんだけどなぁ。

真っ直ぐな心は狭くなる。
真っ直ぐは他を理解できなくなる。
真っ直ぐは自分だけしか守らない。
真っ直ぐは自分だけが誠実なんだ。
珊瑚は可愛いオナゴだが、幼すぎる。

この世は自と他で成り立っている。
タイプの違う相手も多々いるのだ。
思い通りにならない相手も多々いるのだ。
真っ直ぐでは衝突してしまうのだ。
真っ直ぐから平和は生まれない。

悲しみ、苦しみ、淋しさ。
真っ直ぐだけでは癒されない。
珊瑚が弥勒に惹かれた理由。
弥勒の「やわらかさ」なのだ。
弥勒だから珊瑚を癒せるのだ。

一人の人間だけを一生愛する。
そういうタイプもいる。
一人の人間だけに一生愛される。
それで幸せなタイプもいるだろう。
だが・・・とても特殊な条件付きだ。

人の心、人の世。
そんなに単純に創られていないぞ。
複雑で矛盾したモノが集まった心だ。
複雑で多種多様なモノが集まった世だ。
「やわらかさ」が無ければ救いにならない。

弥勒は・・・仏の道を歩く者。
そして自他の幸せの求道者だ。
真っ直ぐでは歩けない。
生真面目では歩けない。
歩いたら、偽(善)者になると知っている。
仏の道は「やわらかい」。

正しい道を示すのではない。
間違いを認める道だ。
罰なんて無い、と安心させる道だ。
黙って「あたためる」道だ。
弥勒は、故に、一見、スケベに見える。
(それほどではないが、スケベではある・・・)

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