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「H・不1・1」
3/01 (水)

「分かち合い」

ヒーリングは「パワー」ではありません。
ここを理解できないヒーラーは素人です。
もちろん素人でも生き方は自由です。
プロと勘違いするのも自由です。
でも、プロと素人は次元が違います。

ヒーリングは施術ではないのです。
能力でもないのです。
「器の大きさ」あるいは「器の柔らかさ」です。
そこを理解しないとヒーリングが行えても素人のままです。
その先は、双方の迷惑と苦しみに出会ってしまいます。

セルフヒーリングも同じです。
「パワー」だと思っていると浄化できません。
「パワー」で浄化できるはずがないでしょう。
基本的な認識です。

  「H・不1・2」
3/02 (木)

病は不安定です。
数値で表せる対象ではありません。
常に変動しています。
生きている、と表現してもいいでしょう。
でも、説明するには数値を用いた方が理解しやすいのです。
数値を例え話として応用している事を前提とします。

ある人の病の数がマイナス100。
その人にヒーリングします。
ヒーリングは、する側の器の大きさで変ります。
「分かち合い」の数値に大きな差がでます。
でも無視して話を進めましょう。

「分かち合い」は必ずしも半分づつの交換ではありません。
時間やその他の条件で様々な「分かち合い」になります。
仮にマイナス100の病が20動いたとしましょう。
病み人の数値は80に減少しました。
ヒーラー側は20を受け持ったでしょうか?

  「H・不1・3」
3/03 (金)

ヒーラー側は病み人から20を受け取るわけではありません。
ヒーラーと病み人との間で浄化されてしまう部分があるのです。

ヒーラーに対して、病み人側をヒーリーとも言う場合もあります。
波動の送り側としてヒーラー。
癒される側としてヒーリー。
私は分かち合いだから、送り側、受け側という区別をしません。
だから受け側という意味でのヒーリーという言葉は使いません。

病み人が身内の場合と他人の場合で違いがでます。
病み人からは同じ20の数値が減った場合を想定します。

病み人が他人の場合。
ヒーラーが受け取る(マイナス)数値は10とします。
20動いてもヒーラーは10だけ受け取ってしまいます。
病み人からヒーラーに病が動く事で浄化が起こっているからです。
10が浄化され、消えてしまいます。

病は移動すると消えるようです。

  「H・不1・4」
3/04 (土)

病(闇)が消える仕組みがあります。
単純に移動しただけでは消えません。
「分かち合い」で移動すると消えるようです。
消える割合はヒーラー側の意識によるようです。

動く割合はヒーラー側の器の大きさです。
大きさというより「やわらかさ」です。
「やわらかい」ほど多く受け入れられるのです。
器はどこまでも広がるように出来ています。
そして、この器は誰でも持っています。

でも動いた病(闇)の浄化の割合とは別です。
器が大きく(やわらか)ても浄化の割合は正比例しません。
ここがヒーリングの複雑な要素です。
複雑であり、シンプルです。
そして、この要素も誰でも持っています。

  「H・不1・5」
3/05 (日)

他人と家族との違いは何でしょう?
血のつながった親子はDNAに共通するものがあります。
でも血のつながらない親子も家族です。
夫婦は基本的に血がつながらない間柄です。
他人と、どう違うのでしょう?

ヒーリングは「分かち合い」です。
そして「分かち合い」の間で浄化される割合があります。
この割合が他人と家族では大きく差がでてきます。
そこに他人と家族の違いのヒントがあります。
科学的差異では他人と変らない家族でも違いがあります。

言葉では「愛」と呼ぶのでしょうか。
「慈しみ」と呼ぶのでしょうか。
「情」と呼ぶのでしょうか。
深い意味を込め「慈悲」と呼ぶのでしょうか。
どの言葉も少しの違和感があります。
でも、これらの違いが他人と家族の違いでしょう。

  家族と家庭・1
3/06 (月)

人物がカブるので混同しやすいですね。
でも「家族」と「家庭」は次元が違います。
「家族」は見えない世界に属しています。
「家庭」は現実社会の暮らしに属しています。
「恋愛」と「結婚」の混同と似ていますね。

「家族」は肉体が無くなっても家族です。
家族から欠けるわけではありません。
「家庭」では一人の肉体が無くなると、
一人欠けた家庭になります。

「家族」の無い人はいません。
私達は例外なく、親があり、先祖があるのです。
時には兄弟姉妹がいます。
生存していなくても、家族なのです。

「家庭」の無い人はいます。
成人という意味は「家庭」を築けるという状態です。
築く、築かないは自由です。
築きたいけど、築けないのもあります。
相手の同意があり「家庭」は築くものです。
同意の前に「縁」があり、出会いがあります。

  家族と家庭・2
3/07 (火)

家族の最初は男とオナゴのツガイです。
例外はありません。
新たな家族も男とオナゴのツガイからです。
しかも他人同士が最初なのです。

家族と他人の違い。
大きな違いでもあり、僅かな違いでもあります。
見えない世界は大きな違いと僅かな違いが同一なのです。
こちら側の理解度で違う面を受け取るのです。
やわらか度で多面を選ぶ事もできるのです。

家庭は社会生活上の生活共同体です。
生活共同体には家族が一番適しているのです。
それは家族の属性であり本質の「愛」があるからです。
逆の言い方をすると「愛」が薄くなると、
家庭は上手くまわらなくなります。

柱である男女は他人同士です。
属性が薄くなる事も当然あるでしょう。
お互いの意志(意思ではない)で繋がった家族です。
最強でもあり、脆弱でもあります。

  「H・不1・6」
3/08 (水)

ヒーリングの二つの柱があります。
「器のやわらかさ(大きさ)」
そしてもう一つの柱があります。
「愛」

誰でもが持っている要素です。
でも誰もが安定して維持するのが難しい要素です。
ほとんどの人が「心」の一部だと勘違いしているからです。
「心」が上辺に覆いかぶさるのは事実です。
その為に「愛」は活用され難いのです。

心は元々曖昧な幻です。
不安定が性質なのです。
だから心と愛を混同すると使えないのです。
心を動かさない。
心を「空っぽ」に切り替える。
これが「愛」を活用するコツだと思います。

  「H・不1・7」
3/09 (木)

「愛」は存在そのものです。
だから生物にも物質にも備わっています。
最も普遍的なものです。
だからヒーリングは誰にでも出来ます。
そしてどんな物でも出来ます。

ヒーリングは能力ではありません。
ある方法でもありません。
技ではありません。
もちろん、パワーでもありません。
レベルなんて関係ありません。

誰でも出来ますし、どんな物質も一端を担っています。
しかし、自由に意識して出来るわけではありません。
安定して出来るわけでもありません。
「絵を描ける事」は誰でも出来ます。
しかし誰でも「画家」ではないのです。

  「H・不1・8」
3/10 (金)

心と「愛」を混同しない。
それがヒーリングのコツです。
でも例外的に、心のほとんどを「愛」で満たす人がいます。
聖人、聖女、深い意味で高貴な人達です。
故マザー・テレサやダライ・ラマ法王などです。

感染者を抱きしめても感染しない。
重病人を抱きしめて回復させる。
ヒーリングは「分かち合い」です。
しかし「愛」の深さ、大きさで浄化されます。
病を分かち合っても、受け取る前に浄化されてしまいます。

何もこだわらない。
何も考えない。
目の前の苦しむ人を抱きしめるだけ。
究極のヒーリングの姿がそこにあります。

  夢と欲・1
3/11 (土)

「夢」は見るモノ。
「夢」は持つモノ。
「夢」は現実世界ではない。
だから追いかけるのは趣味だ。
だから実現するのも趣味だ。
趣味なら、勝手にしてくれ。

「欲」は見るモノではない。
「欲」は持つモノでもない。
持ってしまう。
追いかけてしまう。
「欲」は現実世界だからだ。
フッ!
哀しい人間の性(さが)ってヤツさ。

「欲」も実現させるのは趣味だ。
趣味だから、他人がどうこう言う問題じゃない。
勝手にしてくれ。
だが「夢」と「欲」は混同できないぜ。

  夢と欲・2
3/12 (日)

「あの世」と「この世」
混同させると・・・混乱する。
混乱に乗じてナニかをするのは愉しい。
だが自分が混乱しては愉しくない。

混乱とか淫乱とか応仁の乱とかは、
自覚した上で愉しんでする事なんだぜ。
本当に乱れていたら余裕がない。
余裕がなければ愉しめない。
当たり前なんだけどなぁ・・・。

「夢」と「欲」
それぞれ愉しめなくてはツマらない。
ツマは(ちなみに本来は夫がツマ)少しでいい。
一人で充分だろう。
(文章が混乱している・・・)

  夢と欲・3
3/13 (月)

「夢」を実現させる。
思うのは勝手とはいえ、本来は無茶だ。
「夢」は見えない世界。
実現は見える世界(現実)だぜ。
「夢」そのものを実現する事は出来ない。
「夢に近い現実」までなら実現できる。

混同すると「夢」は無くなる。
「それは現実的でない夢だ」
こんなメチャクチャな言葉さえある。
「夢」は現実的でないから「夢」なのに・・・。
現実的なのは「欲」の方だ。

両方とも生きるのに必要だ。
「生きる」ということ。
「現実」と「見えない世界」が重なっている。
混同すると「生きる力」は減少する。

  夢と欲・4
3/14 (火)

憧れのベンツに乗るのが夢です。
プール付きの豪邸が夢です。
会社を大きくしたい。
学年で一番になりたい。
思うのも目指すのもは勝手だ。
だが、それらは「夢」じゃない。

「夢」は自他が幸せに感じるモノだ。
幸せに近づくモノだ。
アナタがベンツに乗っても隣家は幸せを感じない。
会社を大きくしても、隣の会社は喜ばない。
学年で一番になっても、家族以外は興味ない。

「欲」のイメージを悪くとらえている人達。
「欲」を誤魔化して「夢」にすりかえる。
「欲」は生きるモノに必要不可欠な要素なんだ。
「欲」の根元は肉体生命を守る意識から出ている。
「夢」と混同する必要はないし、混同できない。

  夢と欲・5
3/15 (水)

「夢」に向かう。
それは可能だ。
「夢」は見るモノ。
そして持つモノ。
そして向かうモノなんだ。

「夢」は生命の活性になる。
「実現」にこだわらなければ・・・。
「夢」に向かうということ。
それは、自分を変えるということ。
輝く自分に変えるということだ。

「夢」と「欲」とは次元が違う。
「欲」は向かうだけでは不満足だ。
「欲」は結果(実現)を求める。
「欲」を実現しても自分は輝かない。

輝くというのは生命の喜びだ。
「欲」は心が(一時的に)満足するが、
生命が喜ぶわけではない。

  夢と欲・6
3/16 (木)

「夢」は他の中の自分。
他の一部としての自分。
全体の一部としての自分。
自他が混在している。

「欲」は自分のみ。
自分の一部としての自分。
(自分の関係者・・・例えば子供も自分の一部)
全体を意識したら欲でなくなる。
自己中が「欲」の性質だ。

自己中だから生活できる。
自己中だから暮らしていける。
自己中だから生きていられる。
「欲」は生命を守っている。
守っているが、輝いてはいない。

  夢と欲・7
3/17 (金)

「欲」が無ければ生きられない。
例として、食欲を考えればいい。
だが「欲」を追いかけたら生命は壊れる。
例として、美食や偏食を考えればいい。

オマケに「欲」は自然に深みに引きずり込む。
チラっと胸の谷間を見せて微笑む美女のようなもんかな。
(注:ワシはビジンでもドビンでも追いかけたりしない。
といって、美男やブ男が好きなわけじゃないぞ。
追うのは、メンドウなのだ・・・)
「欲」は「逃げ水」の性質がある。

「欲」を捕まえようとするとワナに落ちる。
いつの間にか「欲」の奴隷に成り下がる。
「欲」なんざ、好きなように利用するモノだ。
それにはコツがある。
そのコツは生きる(生命の)コツとなる。

  夢と欲・8
3/18 (土)

「欲」は性悪オンナのようなモノ。
興味を示せばズに乗る。
だから、少しだけにするのがコツなのだ。
少しを愉しめるのが
「豊か」ということなのだ。

「大きな夢」と言いながら、
「大きな欲」を追いかける。
「次から次に夢を実現」と言いながら、
「豊か」から離れていく貧しい意識。
「欲」を追いかければ魂は貧しくなるのは当たり前。
魂は生命を大切にすると、膨らむモノだぜ。

「欲」を追いかければ、いつでも「不満」
「欲」を愉しめれば、いつでも「満足」
「欲」は無くすモノでも追いかけるモノでもない。
「ある分」だけ愉しむモノだ。

  夢と欲・9
3/19 (日)

有れば、有ったでよし。
無ければ、無くてもよし。
「欲」なんて、そんな程度のモノだ。
この世の人生は有限だ。
そんなモノを追いかけているヒマはない。

代わりに向かうモノがある。
それが「夢」というヤツだ。
オトコには必要なモノだ。
オナゴは生きているだけで価値がある。
オトコは存在にオナゴほどの価値がない。

それでもオトコも生きている。
死ぬまでは生きている。
生きていくことが生きている意味だ。
だから価値の無いオトコには「夢」が必要だ。
オナゴは時々「恋」があれば充分だ。

  夢と欲・10
3/20 (月)

欲しいモノは「欲」
自分が変るモノは「夢」

ロールスは金さえあれば手に入る。
物も地位も名声も金で何とかなる。
ある程度の人も手に入る。
金で転ぶオナゴやオトコは多いのだ。
美人の嫁さんもイケメンのダンナも手に入る。

ワシなど、とても安く転ぶ。
ウソだと思うなら現金書留で送ってみなよ。
自説などすぐ変える。
アナタの奴隷になるなど、朝飯前だぜ。
心など、金で簡単に変るもんだ。
(心の仕組みが判らない人は異論を唱えるがなぁ・・・)

  夢と欲・11
3/21 (火)

人は「欲」があるから生きている。
そして「欲」を追い求めて自滅する。
この世の仕組みと心の仕組みは同じだ。
どちらもヒネクレている・・・。

「欲」は突っつくと膨れる。
〇〇〇と同じだ・・・。
そっとしておけば、悪さはしない・・・。
タマに愉しむ程度が丁度いい・・・。
(そういう年齢なのかなぁ・・・)

そして「欲」のほとんどは金で買える。
だから「心」は金で動くのだ。
こんなの、当たり前だ。
心の仕組みがそうなっているんだ。

いい、悪い、の問題じゃない。
味気ない、淋しい、というのは間違いだ。
金で動くのは事実だが、認めたくない人が多いのも事実だ。
心は間違いなく、金で動く。
もちろん意気でも動く。
当然、情けでも動く。
心は節操のないのが特徴なんだぜ。

  夢と欲・12
3/22 (水)

心は金で動くが、心が少ない人もいる。
心が少なければ、金では動かない。
「満足」すると心は少なくなるのだ。
「幸せ」だと心は小さくなるのだ。

心は不満と不安から作られている。
だから何かを「欲しがる」
欲しがる心を「欲」という。
心は小さい方が調和している。

聖者や優しい人は心が少ない。
心が少ないから、誰にでも優しくなれるのだ。
そういう人や赤ちゃんなどは金で動かない。
「愛」で動く。

アラブの王様は金で動く。
無一文になるだけで、心を動かすだろう。
ワシは金が無いだけでは、心は動かない。
(それが普通で当たり前だからだが)
ワシはアラブの王様より人間が出来ている。
出来ていなくてもいいと思っているのに・・・。

  夢と欲・13
3/23 (木)

オトコは元々生命力が弱い。
だから「欲」は少ないのだ。
ム!・・・ウ、ウソだって?
残念ながら、ホントだ。
オナゴよりは「欲」は少ない。

だが最近は替わりに持てる「夢」も少ない。
「夢」と「欲」の混同によるものだ。
オトコは生命力が少ない。
だから「欲」をかいても無駄なのだ。
すぐ「欲」に潰されてしまう。
アホなんだなぁ・・・。

生命力が少ないアホなオトコだ。
「欲」を求めている生き方では救いようが無い。
金を追い求めているようでは救いようが無い。
株で儲けるのが「夢の実現」などと言うようでは・・・。
オトコは「夢」を追って価値がある。
「夢」の無いオトコはクズだ。

  夢と欲・14
3/24 (金)

クズでも生き方は勝手だ。
魅力は無いけど・・・。
でもなぁ・・・アホでクズでは救われない。
神様はオトコには薄情なんだぜ。

オナゴはいい。
何をしても許される。
最初から存在を許されている。
「欲」をかいてもいいらしい・・・。
「夢」が無くてもいいらしい・・・。
神様はオナゴ好き・・・。

それでも「欲」だけのオナゴに魅力は無いなぁ。
せめて「恋」でアホなオナゴになりなよ。
アホなオトコは可愛くないが、
アホなオナゴは可愛いもんだ。
命短し、恋せよ、オナゴ。
(これに反発するオナゴは可愛くない・・・)

  夢と欲・15
3/25 (土)

まさか、こんな結論になるとは・・・。
書いているワシも知らなんだ。

「夢」はオトコ。
「欲」はオナゴ。

「夢」は夢物語。
「欲」は現実。

「夢」は温かく、
「欲」は冷たい。

オナゴ(欲)はオトコ(夢)に抱かれる。
オトコ(夢)はオナゴ(欲・生活)に包まれる。

「夢」と「欲」
混じる事無く、
交じる事有る。
(上手く)交じて、この世は可。

オトコとオナゴの間には、
深くて暗い川がある。
それでも会い(交じり)たくて、
エンヤコラ今夜も舟を出す。

  「B・2・7」
3/26 (日)

夫婦愛・1

さて、厄介な愛について話そうかな?
そうよ。夫婦愛は厄介な愛なのよ。
危なっかしい愛なのよ。
危なっかしいモノはハラハラ、ドキドキして生命力を刺激するのよ。
刺激して、刺激して子孫を創るのよ。

ここでいう夫婦は人間が作った法律上の夫婦の意味ではないわ。
人間の法律は権力者が都合の良いように作ったものよ。
無視するとメンドウが起きるけれど、正しいわけではないのよ。
法律とは適当に付き合ってね。

夫婦はオトコとオンナが一定時期を共に過ごす意思の形なのよ。
一定期間は様々よ。
一日から一生の間よ。
一日でも夫婦。
二人以外に誰にも認められなくても夫婦。

もちろん重複している場合もあるわ。
一夫一婦だけが夫婦じゃないわよ。
一夫多妻も一妻多夫も夫婦よ。
ツマラナイ倫理観に惑わされないでね。

  「B・2・8」
3/27 (月)

夫婦愛・2

恋人も意思で融け合いたい間柄なんだけど、
夫婦は生活を基盤に置いているの。
よく「恋愛と結婚は違う」なんていうけど、
当たり前すぎてアホらしいわ。

恋愛については、また話すわ。
恋人同士から夫婦になる人が多いから、
そこでも厄介な種を一つ増やしているわけね。
まぁアタシが厄介に巻き込まれるわけじゃないからいいけど・・・。

生物は孤独で生きられないのよ。
孤独では種を続けられないのよ。
これは子供を産めるかどうか、なんて意味じゃないわよ。
メスの妊娠の有無やオスの生殖の有無に関わらず、共通の生きる基盤なのよ。

  「B・2・9」
3/28 (火)

夫婦愛・3

何度もいうけど、形にとらわれないでね。
大切なモノは見えないところにあるモノなのよ。
まして社会的や常識的な形は本筋から外れているわ。
夫婦の本筋は生物の基盤なのよ。
社会的な夫婦は一つの時代の仮の姿だけなの。

「鏡よ鏡、夫婦愛を簡単に説明しておくれ」
「アンさん夫婦を映してやるわい」
「あら、私達って夫婦愛のモデル?」
「そうや。夫婦愛が凝縮されてんで」

「やっぱりアタシが愛情溢れる美しい妻なのね」
「ダンナはんのギリギリの忍耐で繋がれた愛や」
「あの人の忍耐は趣味なのよ」
「いつ切れるか、ハラハラドキドキの関係や」

「刺激的な関係が長持ちのひ、け、つ、なのよ」
「う、うぅ・・・ま、また、負けた・・・」
「そういえば・・・鏡は独り者よね」
「合わせ鏡だったのに、アンさんが割ったんやないかぁ」
「そ、そうだったかしら?」

  「R・2・3」
3/29 (水)

ブ、キ、ゲ:「いただきま〜す」
超二大偉人と人間界代表役との会食が始まった。
料理はイタリアンだが、ナイフやフォークや箸は無い。
全て、素手で食べるのだ。

仏陀もキリストも素手で食べるのが自然体になっている。
ゲシュナムはもとより、それが自然だ。
だから、誰もその事に違和感を唱えない。

キ:「ブッちゃん、今日もグッド!」
ゲ:「ホンマに美味いでんなぁ」
キリストは頬張ったまま、仏陀に向かって大声を上げた。
キ:「ヨ!料理の天才!」

その途端、口からパスタが飛び出た。
どうやらキリストはかなりダメオッサンのタイプらしい・・・。

  「R・2・4」
3/30 (木)

番外説明・1

キャラクター性格が決らないままスタートしたが、
少しづつだが勝手にキャラクターが動き出したようだ。
書き出しの頃とは違った性格だが仕方ない。
登場人物、全て「いいかげん」なのだ。
ワシだって負けてないぞ。

ブッちゃん(仏陀)もキリちゃん(イエス)も明るい。
そして「こだわらない」
超二大偉人に対する人間代表のゲシュはんも明るい。
そして「こだわらない」
ここまでは全員同じタイプだ。
そうでないと、ここ「楽園」には居られない。

  「R・2・5」
3/31 (金)

番外説明・2

ブッちゃん(仏陀)が料理好きとは知らなかった。
しかも即席の歌を歌いながら作る。
平野〇ミみたい・・・。
この中では、少し年上の役割をしているようだ。

キリちゃん(イエス)は予想外だった。
ダメオッサンのタイプだったんだぁ・・・。
ドジな行動力。
ダジャレ才能無し。
音痴で声悪し。
もちろん、メゲるという事を知らない。

ゲシュはんが前世で関西人だったのも意表をつかれた。
少しは超二大偉人に気を使うが、ずうずうしい。
キリちゃんに平気でダメ出しをする・・・。
それでも人間社会の常識が少し残っているようだ。

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