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  進化考・14
7/01 (日)

進化を想う。
考えるのではない。
観に近づくのだ。
すると捨てる事と得る事に気づく。

進化の方向。
捨てる事。
当たり前になる。
得る事と勘違いしていた人類の文明。
見た目の進化を追い求めたからだ。

進化の行き着く地。
それに気づけば方向がわかる。
今までの方向違いに気づき始める。
それが底からの直観だ。

最近の(一部)に進化の方向の見直しがある。
環境破壊の深刻さから修正が起きている。
何とか、一部だけでも、
人間は進化、する、
かも、しれない。

  進化考・15
7/02 (月)

進化は自由になる事。
自由とは他を理解する事。
理解とは思いやる事。
他を思いやるとは、自を和(柔)らげる事。
結局、そこにいくのかぁ・・・。
行く所は同じなんだなぁ・・・。

さて・・・
人間は進化しているか?

相変らず、他の種族を滅亡させている。
同種族に対しても、空から爆弾を落としている。
非生物の破壊に熱心だ。
(金属、コンクリート、石油などの取り出し)
それらは、環境破壊に熱心という意味でもある。

さて・・・
人間は
進化できるのか?

鍵は一人一人の生き方にありそうだ。

  進化考・16
7/03 (火)

鳥は空を自由に飛んだ。
鳥の方が、ある意味進化している。
それには前提条件がある。
人間は空を飛べない、とした条件だ。

人間は空を飛べないのか?
ほとんどの人は飛べないと思っている。
それが常識だ。
だが・・・ワシは非常識だし無常識だ。
そして、非・無常識はワシだけじゃない。

空を飛ぶ人間もいる。
羽が、とか、力学がとかの常識は関係ない。
知っている人は知っている。
納得する人は納得している。
昔から、現代まで、事実としている。
詳しい話は、しないぞ。

  進化考・17
7/04 (水)

人間の中には、鳥と同じく進化した人もいるのだ。
有名どころでは・・・
役小角、空海、キリスト、ブッダなどだ。
もちろん無名どころでも幾人もいる。
特徴は、自由人。
常識外を知っていた先達だ。

羽とか力学的とかにとらわれない。
壁を超えた人達だ。
そのままで空を飛び、水上を歩いた。
何も不思議ではなかった。
自由だから使命感も持たなかった。
それなのに偉人だと誤解されている。
きっと・・・苦笑している。

進化は立派になる事じゃない。
解放する事だ。
解放は自立と共生の一体だ。
自然体の魂は知っている。
いつも求めている方向だから。

  七夕閑話・1
7/05 (木)

五節供の一つで七月七日。
五月五日の端午などもその一つだ。
重ねると縁起がいい、という思想もあった。
昔の思想というのは単なる迷信ではない。
多くの年を重ねて、検証した結果なのだ。
仕組みは解らなくても、縁起がいいから伝わった。

科学的根拠が無いから迷信だぁ、などというのはアホだ。
アナタの存在だって根拠など無い。
アナタの未来だって根拠無い。
生命の発生も根拠無い。
だけど、素敵な事には違いないのだ。
根拠の有無なんて、生きている事に関係ないのだ。

重なると何かイイコトが起きる。
そうして・・・生命が生まれている・・・。
手と手を重ねれば「幸せ」なのだ。
イイコトにイイコトを重ねれば、更に幸運を呼ぶのだ。
この世の仕組みは難しくない。

  七夕閑話・2
7/06 (金)

何故「たなばた」と無理やり読むのか?
棚機(たなばた)の行事と重なったからだ。
今で言うお盆の前行事だ。
先祖の霊が里帰りで来るので、着物を用意する行事だ。

それが中国から伝わった織女・牽牛の伝説と重なった。
ついでに日本の棚織津女(たなばたつめ)の話も合わせた。
年に一度近づく、こと座のベガと、わし座のアルタイルも合わせた。
似たようなものなら、何でも仲良くしようぜ・・・。

以前にも書いたが、日本は古来よりイイカゲンな国だ。
アッチとコッチを寄せ集めて、ゴッチャにしてしまう。
アレコレ重ねてしまう節操の無い国。
だから、日の本の国は縁起のいい国だった。
居心地がいいから、神様達が多く居ついた国だった。
八百万の神様達が毎日楽しく遊んでいた国だった。
(古の日本の事だ。今とは違うぞ・・・)

  七夕閑話・3
7/07 (土)

年に一度の逢瀬。
若い頃は分らなかった。
年に一度でいいのかぁ?
だが、ワシも年を重ねている。
重ねれば、何とかなるもんだ。
重ねれば、イイコトが解る。

年に一度でもいいのだ。
大人の恋心が解れば納得できる。

ワシは本妻は一人だが愛人が幾人もいる。
まだまだ目標には遠い。
都道府県全部に一人以上づつが目標だ。
そして、本妻と日本一周をする時に愛人と逢瀬をするのだ。
もちろん、本妻も愛人達も充分納得している。

ちなみに・・・
愛人と逢瀬をすると、ワシは治療代をいただく。
ワシと愛人達は、そういう関係なのだ。
人と人の関係は、いろいろな形態があるのだ。
三方が幸せなら、上出来だと思うぞ。

  七夕閑話・4
7/08 (日)

織姫も彦星もそれぞれに家庭を持っている。
当たり前だろう。
生木を引き裂かれたような二人ではない。
生きていれば、いろいろな事がある。
生涯この人だけ・・・と勘違いする事もある。
だが、生きていれば、心の器は大きいと気づく。

家庭は大切。
それも、当たり前。
心の一部にある、終わってない恋心。
それも、大切なのだ。
大切なモノを切り捨てる必要はない。
大切にすればいい。

生きていれば、お互いの思いやりも育つ。
年に一度の逢瀬なんて、かなりストイックだぜ。
そして、とても素敵な逢瀬にもなる。
人生の愉しみ方を知っている二人だと思う。
さすが、天上人だなぁ・・・

  七夕閑話・5
7/09 (月)

ワシは浮気のススメをしているわけじゃない。
純情のススメなど、更にしない。
心の仕組み、曖昧と混沌と頑迷を認めたい。
そして、現実に生きている事に活かしたい。

心を離れて生きる事は、かなり難しい。
不可能では無いかもしれないが、不可能に近い。
心の中にいろいろな部分があるのは事実だ。
矛盾する方向があるのも事実だ。
矛盾しようが、大切なモノは活かそうぜ。
「智恵」というヤツは、そういう時に使うものだ。

年一度の七夕の夜。
天の川を渡って逢瀬をする。
そこで何をするのかは余計なお世話だ。
素直に素敵な生き方だと認めよう。
素敵な生き方には笑顔と拍手だ。

  七夕閑話・6
7/10 (火)

棚機(たなばた)の機。
機械の元だ。
機織り機から始まっている。
世界のトヨタは機織り機が元だ。
多くの機械は機からヒントを得たのだ。

織姫は文明の象徴。
牛を引いていた彦星はスローライフの象徴。
二人が上手く合体すれば問題は無かった。
だが、機の作り出すモノには魅力があった。
更に文明を進めたがる。
スローライフ(自然)の彦星は織姫に夢中になる。
そしてスローライフを忘れてしまう。

天帝はそんな二人を別れさせた。
天の川を間に離れさせた。
天帝とは神(自然)の親分だ。
つまり大きな自然の(調和)力だ。
七夕の物語は深い意味が込められている。
しかも、現代に当てはまる意味が込められている。

  七夕閑話・7
7/11 (水)

機織りの、もう一つの話があった。
鶴の恩返しの話だ。
木下順二氏がそれを戯曲「夕鶴」とした。
木下氏は人間を超えた「愛情」と人間の「欲」を描いた。
人間って・・・しょうがねぇなぁ・・・

鶴は機を織る。
「見ないでね」と言いながら。
見ないで、と言われれば、見るだろうなぁ・・・
美人で気立てのいい女人に化けたのはいい。
しかし・・・人間の心を理解してなかった。
人間の心は複雑怪奇なのだ。

見てしまうには条件がある。
姿や性格に魅力がある場合だ。
上記の場合、見たい、という大前提がある。
アクシデント、という事で・・・
二人の間に隠し事はいけない、という事で・・・
一度だけなら・・・ちょっとだけなら・・・
人間の心は言い訳をしながら行動を起こす・・・。

  七夕閑話・8
7/12 (木)

「見ないで」で見させるテクニック。
人間のオナゴだったら、最初から計算づくだ。
隠すのは、興味をひかせるテクニックの一つだ。
条件はある。
見たい、と思う容姿や性格の魅力だ。
大した魅力が無くても、ある程度は効く。

だが・・・
見たくない容姿と性格の悪いオナゴだったら。
「見ちゃダメよぉ〜」
と障子の隙間を空け気味にしていても・・・。
「僕と僕の知る限りの人達は決して覗きません。
100万年は自信を持って保障します」
と、一生に一度しか使えない真摯な誓いをしてしまう。
(こんな場面で使うのかよ・・・)

「つう」は鶴だから理解できなかったのだ。
「よひょう」も(愚かで哀しい)人間の心を持っていることを。
人間の心は、愚かで哀しいからこそ、抱きしめるモノだ。
覗いたくらいで生真面目に出て行くこたぁなかったのになぁ。

「アタシ・・・鶴でもいい?」
とカミングアウトすればよかったのだ。
「もちろんいいさぁ、問題ないさぁ」
下手な人間のオナゴより「つう」の方がいいに決まっている。
人間は鶴(鳥)に負けるのだ。
当たり前だ。

  七夕閑話・9
7/13 (金)

純愛(鶴)と迷愛(人間)の物語。
だが別の観方、読み方がある。
機は文明の象徴でもある。
「つう」は、とても魅力ある織物を作った。
高いお金で交換できる織物(製品)だ。

周りの人間達は織物に魅かれる。
「つう」の心ではなく、織物に魅かれる。
人間は、文明の底にある素晴しさよりも、
出来上がった製品の魅力に魅かれてしまうのだ。
それは、お金で評価できるモノだ。
文明の底にある素晴しさはお金では評価できないのに。

「つう」は、人間の心が欲だけに傾くのが辛かったのだ。
だから去って行った。
織姫も天帝に引き裂かれたのではなかったのかもしれない。
織姫が彦星に別れ話をしたのかもしれない。
「このままでは、アタナはダメになる。別れましょ」

  七夕閑話・10
7/14 (土)

機ばかりが先行すると、自然環境がついていけない。
といって、スローライフのままでは人間の心が納得しない。
そこで「ロハス」と言い出した。
上手く二人を合体させた姿を「ロハス」という。

自分だけが納得していたシンプルライフ。
生活内の自然との調和がシンプルライフだ。
本来なら、それで充分だったと思う。
長い間、人類はそうやって生活してきた。
それで(自然とは)上手くいっていた。
ところが地球環境を破壊しすぎた。

他の生物が死に絶えても人間は残る。
一つ二つの国が滅びても、わが国は残る。
環境が多少悪くても、自分は大丈夫だぁ。
自と他は別物だと本気で信じていた近代現代現在。
人間の愚かさは、痛みが強くなって少し気づく・・・。
ひ、ひょっとして・・・ヤバイ?

  七夕閑話・11
7/15 (日)

環境破壊の大国、アメリカだ。
さすがにヤバイと思ってる人達がいる。
健康と環境に配慮し、持続可能な社会・・・。
個人的には健康第一。
社会的には環境第一。
そういう製品を作ろう、買おう。

このままでは持続は不可能。
アホでも、そのくらいは計算できる。
計算できても目を閉じるのが政治家と役人。
ならば、一般国民から主張しよう。
それが「ロハス」という言葉だ。

アメリカだからこそ、言い出した言葉だ。
ず〜と自然と共に暮らしている人達なら言わない。
そんな事は当たり前だからだ。
御蔭様で生きていける。
自他が共存する事、自然と共生する事。
そんな事は、当たり前だ。

  七夕閑話・12
7/16 (月)

「ロハス」を唱える人達は少しはマトモだ。
政治家や役人や多くの事業家よりはマトモだ。
だが、当たり前に気づかなかった人達でもある。
主張しなければ、生活を変えられなかった人達だ。
(まぁ、それでも現代ではマトモな人達ではある)

アメリカの従国日本だ。
日本の政治家はアメリカ忠誠を誓う。
アメリカの為なら、日本の民は犠牲になります。
ウソでも冗談でもない。
今の政府の態度だ。
もちろん、日本国民向けには言ってない。
時々、口が滑るだけだ。

政府側の政治家だけじゃない。
政治家を長くしていれば、同じムジナとなる。
どの党だって、政治家なら汚れている。
綺麗でマトモな政治がしたかったら、全員総入れ替えだぁ。

だから、政治家はまだロハスとは言わない。
それどころじゃないのだ。
選挙で受かるのが第一優先だ。
地球の未来など、知ったこっちゃない。
選挙には金がかかるのだ。
薄汚い工作資金だ。

(注:偏見で書いてますが、真実や事実かもしれない。
もちろん、一括りにはできない。
中には立派な政治家や役人だっている、に違いない。
いる、だろうと思う。いる、かもしれない・・・)

  七夕閑話・13
7/17 (火)

七夕に託けての話だ。
少しはロマンチックに書きたい。
政治家で話を終りにしたのでは不本意だ。
というわけで、もう少し閑話を続けよう。

天の川と名づけた銀河系の一部。
両端に琴座のベガと鷲座のアルタイルがある。
橋は七夕の夜に架けられる。
橋の真ん中で織姫と彦星は逢引をする。
橋の下は輝く雫の川。

だが・・・
織姫も彦星も年をとる。
体型も崩れる・・・
二人とも、メタボリックシンドローム・・・
設定がロマンチックでも本人達がなぁ・・・
というわけで、いつまでも若くいようぜ!

  お願い・1
7/18 (水)

自力本願と他力本願という言葉がある。
努力と根性がある人は自力本願。
ナマケモノは他力本願。
本当はそんな事ではない。
それぞれ深い意味もあるけど・・・
深遠な意味を解説するのはメンドウだ。

軽佻浮薄で「お願い」したい。
軽佻浮薄でないと、空は飛べないのだ。

だが、勘違いして「お願い」しても無駄だ。
イワシの頭に「商売繁盛のお願い」しても無駄なのだ。
イワシの頭だって困ってしまう。
軽い邪気なら、追い払えるんだけどなぁ・・・

ゴキブリや政治家だって生きる権利はあるのだ。
根性と強引さで、自分で道を切り開くモノ達だ。
だが他に迷惑をかける根性が無いモノ達もいる。
自分で道を切り開けないから「お願い」して生きている。
そういう根性無しも生きる権利がある。
(というか・・・こちらの方がマトモだと思えるけどなぁ)

  お願い・2
7/19 (木)

「お願い」がいいとか、悪いとかの話じゃない。
自力本願も他力本願も同じモノだ。
「お願い」無しでこの世のモノ達は存在できない。
「お願い」に「良し悪し」を持ち込む事は筋違いだ。

ただし、勘違いの「お願い」はある。
勘違いだらけの「お願い」ばかりかもしれない。
無理難題の「お願い」も多すぎるだろう。
「お願い」だからこそ、様々なルールがあるのだ。

根性無しは「お願い」がメインで生活する。
ナサケナイが、そんなものだ。
ナサケナイが、他にそれほど迷惑をかけない。
だから結果の出る「お願い」の仕方をみつける。
ナサケナイから「大それたお願い」はしない。

  お願い・3
7/20 (金)

マジメに生きている人からは疑問かもしれない。
「私は、お願いして生きてない!」
自力のある人は、個人的なお願いをあまりしない。
(と、思い込んでいる)
あまり口に出さない。
でも、心の中では必ずしている。
人間なら、当たり前なのだ。

「お願い」といっても多種多様な対象がある。
強さ、範囲、質、数等々、多種多様なのだ。
「欲」だけがお願いの対象じゃないぜ。
だが「欲」にしても同じく多種多様がある。
深く潜れば、心の弱さが判る。
そこに「お願い」がセットでついているのも判る。

「お願い」は「神」への賛歌の入り口となる。
お願いをしない、と思っている人は・・・
不遜という傲慢な人間でもある。
しない、と勘違いしている。
「お願い」が何であるか、理解していない。

  お願い・4
7/21 (土)

「いのち」は生きる願いをしている。
存在する限り、生きたいと願っている。
自分で生きること。
自分以外から生かされること。
この二つは同じだ。
自力本願と他力本願は同じだ。

他力とは自分以外の存在。
自分を含め、全ての存在。
同時にそれらを統括する存在。
創造主、大神、グレートサムシング。

特に他力本願を意識するのが大切だ。
「いのち」は傲慢な生き方を望んでない。
「いのち」は事実を知っている。
生きる事と生かされている事が同時だと。
お願い、が無ければ、生きていられない。

  お願い・5
7/22 (日)

お願いの正当性を書くつもりじゃなかったのに・・・。
選挙の候補者は「お願いします」ばかりだ。
本当の「お願い」じゃないからこそ、平気で言う。
口先だけの「お願い」で騙せると思っているらしい。
お願いは本来、当たり前の出来事だが、
「お願い」を口走る人達は信用おけない。
とても、とても、胡散臭い。

「お願い」は他人に「ねだる」事じゃないぜ。
充分持っている候補者が、持ってない者にねだるなよ。
「お願い」は自分の内側と、大いなる存在に願う事だ。
そこには、夢(欲)と希望と、感謝がセットになっている。
「お願い」は、他人に迷惑をかけないのだ。

というわけで・・・
遠慮せず「お願い」しよう。
相手は神様(?)だ。
見返りを求めたりしない。
小さな人間の小さな欲望くらい大目にみるさ。
人間の道徳論など言わないから安心して。

  お願い・6
7/23 (月)

骨董屋に古びたランプがあった。
ホコリが付いていたので、つ、つい、こすった。
ランプは大きくなった・・・。
そして、とうとう煙を吐き出した。

吉行淳之介氏のエッセイだったかなぁ・・・。
回数が決められてるらしい。
(詳細は割愛しています。読んだ事がある人は解る)
最後に煙と共に(赤いクス玉から)ハタが出る。
そこには・・・「お・わ・り」と書かれているらしい。
吉行氏の本からはイロイロ教わった・・・
モモヒザ三年シリ八年とか・・・ふ、深い・・・

ランプからは赤いクス玉は出なかった。
そしてムサクルシイ、毛深いオッサンが出てきた。
「ワシは魔神だぁ〜」
(小奇麗でイロッポイ魔女の方がよかったのに・・・)
「久しぶりにこの世に出られた。
お礼に、何でも望みを叶えてやろう。
だがワシも若くない。3回までだぞ」

  お願い・7
7/24 (火)

昔、同じような体験をした若者がいた。
アラジンという。
若かったから、つ、つい、こすった・・・
そして、望みを聞かれ、こう答えた。
「ん〜とねぇ・・・
大金持ち、美女、地位」
若いからなぁ・・・
ツマランものを望んだ。

皇帝の美人お姫様と結婚した。
地位、美女、お金がセットだ。
バカだなぁ・・・
まぁ、しょうがないか、若いから・・・。
年を重ねても自由や幸せが理解できないのはいるし。
せっかくの願いをツマラン事に使った・・・。

当然、その後はヤッカミや謀略の渦に巻き込まれた。
メンドウだろうなぁ・・・。
お姫様だから高慢のままだし・・・
魅力のない美人は3日で飽きるし・・・
贅沢三昧はアッというまに身体をダメにするし・・・

  お願い・8
7/25 (水)

「お願い」を一時的な欲望に使ったアラジン。
贅沢三昧でメタボリックになった。
嘗て美人だった姫も同じくデブの中年になった。
高血圧で高血脂症で糖尿病。
加えて、謀略対応などから鬱病にもなった。

持つモノが多く大きくなればトラブルも比例する。
悩みの種も多く大きくなる。
急な変化は調和を崩すから当然なのだ。
身体も心も生活環境も社会環境も摩擦する。

金も地位も美人(嘗て)も手に入れた。
だが、この世は流転している。
諸行は無常なのだ。
永遠の金や地位や美人は存在できない。
「どんな願いも叶えてくれる」
と言っても、無理なものは無理だ。

  お願い・9
7/26 (木)

ワシは考えた。
少ない脳ミソで考えた。
考えるスタミナが無いから、休み休み考えた。
「お願い」はすればいいってモンじゃないだろう。
節操無くお願いしても、メンドウが増えるだけだ。

幸せになる為の願い方がありそうだ。
お願いして苦しみを増やすのはアホだ。
一時的な目先の欲望は刹那しか喜びが無い。
地位、利権、権力を欲しがる政治家と同じだ。

税金で生活費から遊興費、貯金まで出させる。
ワシもナサケナイ生き方だが、そこまでアサマシイ事は出来ない。
選挙前は米搗きバッタになるが、当選すると反動して反り返る。
誰からも、心の中では軽蔑されるのも当然なのだ。
票は「お願い」するモノじゃないだろう・・・。

  お願い・10
7/27 (金)

ワシは時事ネタは書かないようにしている。
だが、毎日「名前だけ」の連呼の選挙カーが来る。
世界でも珍しい連中だ。
日本の政治家とそのとりまきは珍種なのだ。
日本の選挙はまだまだ原始レベル。
そして、その連中が政治家となる・・・
これが民主主義かぁ?
こんな国になるのは、当たり前なのだ。

自分の事は棚に上げて書いてしまった・・・
ワシも「お願い」で生かしていただいている。
だが「お願い」相手が違う。
人間ではなく「神様」が相手だ。
神様相手の時は、方法があるのだ。

神即自然
生命即神
自然は変化と調和のスパイラル。
生命は変化と調和の渦巻き。
「お願い」は変化に属す。
だが「調和」の範囲内での変化なのだ。

  お願い・11
7/28 (土)

「お願い」は叶う。
「お願い」は叶えてくれる。
だが、範囲がある。
他に(大きく)影響しない程度だ。

アラジンは必要以上のお願いをした。
冴えない男が皇帝の姫と結婚する。
それは・・・かなり無理があった。
次期皇帝の器じゃないのだ。
アホな統治者を持つ国民は大迷惑だ。
この国やあの国のように・・・

例えば某ビ○・ゲイツ氏が100億円を願っても叶う。
調和は少しも乱れない。
だが、いきなりワシが100億円手に入れたら・・・
・・・うれしいし、使い道もあるけど・・・
それは変だろう。
ワシの調和度から外れた金額だからだ。
今のワシなら・・・5億くらいかな?

  お願い・12
7/29 (日)

美味しいラーメンを腹一杯食べたい。
この願いは叶う。
アナタが腹一杯食べても、誰も困らない。
地球も社会も乱れない。
「お願い」はこういうレベルで願うモノなのだ。

願い方が理解できれば、解る事が幾つかある。
「願いは三つ!」
そう言った魔神はメンドウだったからだ。
三つどころか、百でも千でも万でも大丈夫だ。
「お願い」は幾つでも大丈夫なのだ。
範囲を超えない「お願い」は日常茶飯だったのだ。

願いは叶う。
叶うが・・・
すぐ叶う、わけじゃない。
いつかは、叶うのだ。
生きていれば、叶う日が来る。
だから、人生は楽しい。

  お願い・13
7/30 (月)

願いは叶う。
だが条件付きだ。
それなのに、言葉だけ利用する人達もいる。
紹介販売や宗教などの人を集めて利用したい場合だ。
本当の意味など、どうでもいい。
「ベンツ欲しくない?」
「別荘欲しくない?」
「幸せ、欲しくない?」
「アナタの思い通りになるのよ」

まぁ、なぁ・・・
騙される方もなぁ・・・

「お願い」相手を「人」にする。
清き一票をお願いします!
(アンタに清き一票は無理だろう・・・)
汚くても一票をお願いします!
(それが本音だろうけど、バカじゃないかぁ?)
「お願い」を人相手にすると、
する方も、される方も、汚れていく・・・

政治ネタは・・・書く方も汚れていく・・・
汚物の塊みたいな世界だなぁ・・・
と言いつつ、つ、つい・・・
汚物を書いてしまった・・・

  お願い・14
7/31 (火)

「お願い」相手を間違わない。
相手は神様だ。
神という表現に抵抗があるなら・・・
「この世の仕組み」だ。

相手が神様なら、お願いの程度も解る。
大きな存在を前にすれば、己の身の程を知る。
だから「本当のお願い」は大切なのだ。
そして日常茶飯にするものなのだ。
神様と繋がる、ってのはとても重要なのだぜ。

日本に限らないが、以前は普通に神様と繋がっていた。
親、我が子、連れ合い、知り合いが遠くにいる。
そんな時には、神様に願った。
「どうぞ、無事でありますように」
神社だけじゃない。
神棚、仏壇、地蔵様、お稲荷さん、その他・・・
人と人と神様が繋がっていた、美しい時代。

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