08年10月のコラム           コラム6目次に戻る
  迷歩・1
10/01 (水)

普段エラソウな雑記ばかり書いている。
まぁ、それには理由もあるけど・・・。
ワシは時事ネタや日々の私日記は書かないようにしている。
まぁ、それには理由もあるけど・・・。

だがワシの基本方針がある。
「例外は必ず認める」
だから、時々私事を書く。
まぁ、単なるイイカゲンという意見もあるけど・・・。

健康のプロだから、元気を発する言葉を書く。
相手が少しでも生命力が上がるように書く。
まぁ、それほど肩に力が入っているわけじゃないけど・・・。
まぁ、それほど綺麗事でもないけど・・・。

  迷歩・2
10/02 (木)

書いてる事とワシの行動が一致しない。
これを「書行無常」という・・・。
・・・高度の駄洒落は通じないかぁ・・・
まぁ、エラソウな言葉は胡散臭いものだ。

まてよ・・・
ワシはあまりエラソウな言葉は書かないぞ。
(明るい言葉は書いてあるなぁ)
それに、書いているのはワシの手だ。
手は他からのナニかが勝手に使っている。
ワシの意識は隅で固まっているのだ。

ならば、ワシの書いた内容に責任は持てない。
ワシの意識とは違うからだ。
ワシはもっと下品なはず。
書いた内容と本人を同一するのは不本意だ。
ワシは迷いながら歩いているのだ。

  迷歩・3
10/03 (金)

迷ってはいるが、走る事はない。
走る根性がないのだ。
その為か、迷っている自覚はある。
根性無しは、人生に優位に働く・・・。

迷う原因はアレコレ指摘できる。
迷いは「こだわり」から生まれるとか。
迷いは自信の無さから生まれるとか。
そもそも、無明の世界で暮らしているのだ、とか。

原因など、どうでもいい。
だが誘因は一つだ。
簡単だ。
経済的窮乏・・・。
それだけだ。

  迷歩・4
10/04 (土)

貧乏道宗家某亜流。
とはいえ、ナサケナイ話だ。
もう・・・飽きた。
飽きたけど、向こうが離してくれない。

難しいから迷うわけじゃない。
選択肢が多いから迷うわけじゃない。
選択肢が無いから迷うのだ。
進める道が無いから困るのだ。
無いとしか思えないから迷うのだ。

山で多くの道があれば、迷うことはない。
どれかに進めばいい。
道が無くなったら、迷うのだ。
道が見つかるまで、迷うのだ。
選択肢が多いのは、迷いに入らない。

  迷歩・5
10/05 (日)

明日食べる米が無い。
オカズも無い。
息子の通学定期が切れる。
手持ちは、どれか一つ分。

だから迷う。
有れば、何も迷う必要は無い。
難しい問題でもない。
単純に無いだけだ。

いいオトコ(オナゴ)が五人。
誰と付き合おうか。
そんなの迷いにならない。
誰だっていい。
外れたら、別なのにすればいい。
だが、誰もいなければ・・・
心は常に迷う。

  迷歩・6
10/06 (月)

何故、どうして・・・
壁にあたる、アクシデント、迷い。
何故、どうしてなんだ・・・
心は原因を探そうと動く。
原因など、探しても解決にならない。

この世の流れは、全て必然、当然。
人の段階では不明でも、当然には違いない。
ならば、何故、どうしては意味を成さない。
原因(過去)より、先(未来)の方法。

どうすれば進めるか。
迷いは、進む道を見出せない状態。
壁の向こうの道は見えるのに・・・
どうしようか・・・

  迷歩・7
10/07 (火)

病み人と接する仕事だ。
特に重い病を背負った時。
何故、どうして、どうして私が・・・
ほとんど共通して、こう思ってしまう。

これは止まっている状態。
回復への生命力が止まっている状態。
原因探しは前に進まない。
しかも、探しだせるケースは少ない。
同じ処を、グルグル回っているだけ。
どうして、何故、どうして・・・

原因(過去)はどうでもいい。
(どうでもいいわけじゃないけど)
今は、探している場合じゃない。
立ち止まって考えても、状態は変わらない。
止まれば、闇側へ(少しづつでも)滑ってしまう。

  迷歩・8
10/08 (水)

他人の事なら観える。
特に仕事上の事なら観える。
迷って(止まって)いる状態。
どうしたらいいか、が判る。

ところが、自分事だとそうはいかない。
理屈では判っても、動けない。
どうしよう・・・オロオロ・・・
エラソウに他人に言うくせに・・・

ワシの苦手分野。
そう言い訳をする。
経済は苦手だ。
氣が働かない。
心と身体の事なら何とかできるのに・・・

  迷歩・9
10/09 (木)

前に壁がある。
向こう側に道が見える場合。
あきらめる事はない。
通る方法は幾つもある。

上を乗り越える。
下を掘ってくぐる。
回り込む。
抜け穴を見つける。

力任せに壁を壊すのもある。
壁を少しづつ削るのもある。
上手くいくかどうか、なんて考えない。
何故壁があるのか、なんて考えない。
考えても壁はあるのだ。

  迷歩・10
10/10 (金)

常識的な手段だけじゃない。
そもそも壁なんて無い場合がある。
幻で壁を創ってしまう事が多い。
幻はあると思うと、ある。
気づくと、瞬間で消える壁もある。

そのまま、壁を通り抜ける。
瞬間移動だってある。
ワープってやつだ。
壁に絵を描いて遊ぶ方法もある。
なんだって、アリなのだ。

コツは面白がる事。
こうなれば、しめたもの。
迷いは楽しむと消えてしまう。
見えない世界での方法は幾つもあるのだ。

  迷歩・11
10/11 (土)

私事を何となく書くつもりだった。
ところが、書いていると書かされてしまう。
何しろ、手から出任せだ。
そこで気づいた事がある。

壁が病だ。
ワシの本来の仕事の一部。
病からの解放。
壁の通り抜け方。

当てはまれば、ヒントが幾つもある。
何故病になったか、なんて考えない。
ヒマになったら、考えてもいい。
まずは、行うことが最優先だ。

  迷歩・12
10/12 (日)

考え方を一つにする。
原因を見つけて対処する。
原因が同じなら、型でマニュアル化できる。
マニュアル化できるモノは他に教える事ができる。

素質は問わない。
適切も厳しくない。
基本的には誰でも出来るようにする。
誰でも同じ答えになる。

だが・・・この世は多種多様だった。
考え方も多種多様なのだ。
正しい方法を決めると争いになる。
あるいは、邪法とする。
科学的というのは、一つの考え方だ。
それだけを正法とすると歪みがでる。

  迷歩・13
10/13 (月)

考え方や解決法をパターン化する。
それまでの固定概念で判断する。
便利で誰にも使いやすく説明しやすい。
だが、外れたモノに出会うと対処できない。
迷うのだ。

迷うのは固定概念にしがみつくからだ。
マニュアルで解決する病もある。
それは問題ない。
だが、現実は病み人は増えている。
解決できない病みや迷いが多いのだ。

全てが解決なんて出来ない。
だが、解決出来るモノがある。
出来るのに、出来ない。
視点が違う。
方法が狭い。
固定化しては出来るモノも出来ない。

  迷歩・14
10/14 (火)

遠くを見る。
遥か遠くを観る。
計り知れないモノに想いを寄せる。
そんな解決法もあるのだ。

迷いは近くしか見ていない。
頭をうなだれ、下を向いている。
空の色、雲の形など想いもしない。
山の色が変わった事にさえ気づかない。

時は流れ、万物は変化する。
道も壁も変化する。
自分の身体や心も変化する。
未来も変化するのだ。

  迷歩・15
10/15 (水)

変なもんだなぁ。
迷歩状態を書き始めたはず。
状態は変わらないのに・・・
迷いだけが消えてきた・・・

壁は消えなくても迷いは消える。
壁と迷いは別々な出来事。
ならば、問題は無くても迷いは生まれる。
何も無くても、迷いは生まれる。

迷うなんて、当たり前なんだ。
迷いが消えるのも当たり前なんだ。
病と同じだ。
病が生じるのも消えるのも当たり前。
全てが日常茶飯。

  廻る・1
10/16 (木)

生命力の活性が主軸だ。
山は幾つもの上り道がある。
道じゃなくても上れる。
上り方も幾つもある。

上れば、それが道になる。
先達の道もある。
オリジナルの道もある。
生命は巨大な山だ。
無数とも思えないが、幾つも道はある。

その実践と伝達が仕事だ。
結果として病が消えたりする。
上った証で笑顔が増える。
仕事の喜びの大きな一つだ。
笑顔を得る前に縁が切れる事もある。
仕事の辛さの一つだ。

  廻る・2
10/17 (金)

生命力の活性とは何か。
この山は巨大だ。
いろいろな観方がある。
その観方にも基本がある。

表面にとらわれない。
これは共通する観方だ。
いつでも大切なのは内にある。
更に大切なモノが底にある。

内部や底が表面にも影響する。
それも確かにある。
だが表面から内や底を観るのは難しい。
表面は見てしまうからだ。

  廻る・3
10/18 (土)

表面を見て、内部を観る。
まぁ、面白そうな観方ではある。
外面で判断できるようになれば観方も一流だ。
だが一流を目指すのはやめよう。
観方など副産物だぜ。

見えないモノを観るのだ。
共通の観方がある。
(肩の)力を抜く。
素直になる。
だから、観るのは難しい・・・。

もう一つの観方がある。
ワシは当然一流ではない。
二流でもない。
三流でもない。
外流だ。

  廻る・4
10/19 (日)

真実を見る目など持ってない。
何しろ、真実ってヤツがわからないのだ。
正体を見抜く目も無い。
正体なんて興味ないからだ。

社会的能力は劣っている。
当然、常識ある目も曇っている。
だがワシは「氣」のプロではある。
相手を氣で観るのは、当たり前に出来る。
表面など最初から気にしてないのだ。

これは外流の観方だ。
外流は本流じゃない。
一般的に説明はできない。
感覚で観るのだ。
説得力は無い。

  廻る・5
10/20 (月)

常識は劣っているが有る。
小さな狭い思考も有る。
とらわれている意識も有る。
常識外と狭い常識が混在しているのだ。

ワシのライフワークは生命の活性。
生命をどう観るか、はとても重要。
そんな大切なポイントなのに・・・。
狭い常識の部分があったのだ。

生命は巨大な山だ。
単純に一つの観方はできない。
そんな事は知っている。
知っているのに表面を見る。
固定観念ってヤツはやっかいなのだ。

  廻る・6
10/21 (火)

生命力が大きい。
生命力が多い。
生命力旺盛。
そのイメージ・・・。

筋骨隆々。
スタミナ抜群。
イキイキ、ハツラツ。
弾ける行動。

固定概念ってそんなものだ。
一般に言われている事。
見た目と結果で判断。
見た目も結果も表面なのだ。
内や底は結果に結びつかない。

  廻る・7
10/22 (水)

結果は一つの現象。
結果から内や底を判断するのは間違いだ。
努力すれば結果が得られる。
それは間違いだ。
まぁ、努力も表面と深浅とあるけど・・・。

努力の結果もある。
努力の結果の出ない事もある。
この世は自分一人の世界じゃない。
個人の力だけで結果が出るとは限らない。
努力すれば報われる、というのは勘違いだ。

だが、何らかの行いにより結果は変わる。
それは間違いない。
想像するする結果にはならないが。
努力が無駄とか良いとかの話じゃない。
結果は表面という話だ。

  廻る・8
10/23 (木)

生命と生命場。
この世は生命場だ。
だが、生命はもっと先に続く。
ずっと以前からずっと未来まで続く。

その一部の場で結果を判断出来ない。
この世だけでは結果は判断出来ない。
観るところは、もっと内であり底。
そして、それは誰でも持っている。
だから誰でも観る事ができる。

観る事に技術はいらない。
知識も関係ない。
経験も別な要素だ。
基本は肩の力を抜く。

  廻る・9
10/24 (金)

生命。
それは、この世の理を超えたモノ。
この世の法則で観てもとらえられない。
生命を狭く限定してしまう。
生命の素晴しさを小さくしてしまう。

生命即神。
神は信じるモノ。
人は愛するモノ。
(人は人間に限らず、この世のモノを象徴)
不出来なモノは愛する対象なのだ。

愛する家族。
愛するオナゴやオトコ。
愛する国や愛する地球。
全て、不出来だから愛するのだ。

  廻る・10
10/25 (土)

不出来なモノは愛する。
信じる対象じゃない。
完璧なモノは信じる。
神は信じる。

宗教(組織)は信じてはならない。
そこは人が運営している。
「神の言葉」を売り物にしている。
神は言葉を発しないのになぁ・・・
神は何もしないで見守っているだけだ。

その神と生命は同じ。
生命即神。
だから生命を信じる。
生命は敬う相手だ。
生命は自分(のモノ)じゃない。

  廻る・11
10/26 (日)

生命は見えない。
だが生命は観える。
観るとは感じる事だ。
感じるとは同調する事だ。

生命を敬い信じる。
誰でも出来る観方だ。
知識も努力もいらない。
全て脱いで飛び込めばいい。

だから・・・難しい。
誰でも出来るが、難しい。
簡単な方法だが、難しい。
意識は素直になり難い。

  廻る・12
10/27 (月)

素直になり難い意識。
観えないから知識で判断しようとする。
経験で判断しようとする。
他の意見を鵜呑みにする。
自分で観る事を諦めている。

生命は自分にとって最も大切。
最重要を他人任せにする。
社会常識に任せる。
狭い知識や固定概念で判断する。

生命を観ようとしない。
自分で観ようとしない。
観えない事より、観ようとしない事が問題だ。
生命は自分の底にあるのに・・・。

  廻る・13
10/28 (火)

ワシも固定概念で生命を観ていた。
観ているつもりだった。
生命は広く深いから固定概念の部分もある。
だが、いつも「その他」に「氣」を配るのがプロだ。
その他の広さ、深さ、大きさを追求するのがプロだ。

生命力の強さ。
強さが力じゃない事は知っている。
強さは「やわらかさ」だと知っている。
あらゆる「強さ」は「やわらかさ」だ。

生命力の大きさも見た目じゃない。
生命力は見えないところからやってくる。
つまり、通路がしっかりしていればいい。
そこから無限(かどうかは知らん)にやってくる。
今の現状だけが大きさじゃない。

  廻る・14
10/29 (水)

生命力の活性方法。
生命は巨大だから方法も幾つもある。
方法の一つに気功法がある。
本人が身体を動かす保健気功の話だ。

ワシが扱う医療気功はもう少し複雑だ。
活性化は当然するが、それだけじゃない。
だから保健気功とは区別してはなす。
ここは保健気功として書く。

保健気功も多種多様ある。
細かく分ければ何千種類もある。
その中の一つに周天法がある。
大周天や小周天がある。

  廻る・15
10/30 (木)

身体の中の氣を廻らす。
中心線上で廻らす。
男と女では方向が逆になる。
経絡でいうと、任脈・督脈上だ。

身体は小さな宇宙。
だから身体内だけで廻らす方法を小周天。
宇宙まで廻らすのを大周天。
これは簡単で単純な説明だ。
実際には簡単に出来ないだろう。

氣を身体内に廻らす。
あるいは身体外まで含めて廻らす。
すると、生命は活性する。
循環すると、生命は活性する。
循環が止まると、生命は萎縮する。

  廻る・16
10/31 (金)

生命力を一生物に限定しない。
例えば地域の生命力。
国の生命力。
民族の生命力。

場の生命力。
全ての生物の生命力。
地球の生命力。
宇宙の生命力。
あらゆる存在の生命力。

氣の循環で生命力は活性する。
自然は循環するから生命がある。
例えば経済なども同じだろう。
循環が途切れれば、枯れる。

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