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大人・1
02/01 (日)

ワシは妄想空想迷想時々冥想の癖がある。
現実を考え、悩む事項には事欠かない。
ところが、現実に留まる根性が少ない。
無いわけじゃないぞ・・・少ないだけだ。

暮らし上や仕事上で考えるべき問題がある。
ホントに困っている悩みがある。
困ったなぁ・・・どうしよう・・・
悩みはほぼ一つだけだけど・・・

それなのに、ああ、それなのに・・・
いつの間にか、妄想や空想、迷想(時々冥想)になる。
ワシは(社会的)人として欠陥品である。
現実逃避の意識は無い。
ただ、現実に向き合う根性や努力が足りない。
根性が少ないから、克服しようという気もない。


例のごとく迷想散歩・・・

大人とは如何なる人を指すのか。

  大人・2
02/02 (月)

小人と大人。
幾つかの区分がある。
例えば、年齢。
法律的で区別する場合など使う。
日本では二十歳で分けている。

社会的に働く二十歳未満も大人に入れたりする。
一人前に仕事すれば大人、とする風潮がある。
ワシなど、未だに一人前じゃない・・・
社会的には大人じゃないなぁ・・・

身体で分ける場合もある。
同い年でも分かれる。
つまり、年齢とズレがある。
大人の身体、というのも感覚としてある。
年齢は充分でも小人の身体つき、というのもある。

  大人・3
02/03 (火)

精神的な分け方もある。
見えないから線引きは微妙だ。
だが、精神的な大人、小人の違いは大きい。
考え、言行、生き方全てに差が出る。

精神的なのはヤッカイだ。
基準が多種多様だ。
地域、時代、国、人種、宗教によって違う。
精神的というより、風潮的に近いかなぁ・・・

生物的な分け方もある。
実にスッキリした線引きだ。
次の世代を作れる身体か否か。
人類の歴史の大部分は、これが主体だった。
子供が出来れば大人。
現代の日本ではモンクが出るだろうなぁ・・・

  大人・4
02/04 (水)

人間は考える生物である。
余計な事を考える生物である。
生物としての基本を逸脱した考えをする。
生物として独善独走の考えをする。

自分達(人間)は一般の生物とは違う。
生物界の頂点に立つ者だ。
生物の最上階が霊長類。
そのトップに立つのが人間だぁ・・・
(順位を付けたがるのも生物としては異例)
生物の一員なんて思って欲しくない・・・

確かに特異な生物だと思う。
まぁ、生物は其々皆特異なのだが・・・
特異を得意にして威張るのは人間だけだけど・・・
自分達が生物の単なる一員という事実。
そんな事実を忘れがち、あるいは認めない。
人間は、単なる、一生物なのだよ。

  大人・5
02/05 (木)

次世代の子を作れたら大人。
どんなに精神的に未熟でも大人。
まぁ、精神的に完熟の大人などめったにいないけど・・・
自惚れている人間からは異論が続出だろうなぁ・・・

精神的な大人・小人は個の世界だ。
生物的には関係ない。
子を作れたら大人。
それは単純な事実なのだ。
異論を挟む余地はない。

昔の元服。
男は15・6歳。
女は14歳くらいか。
それが大人との境目だろう。

  大人・6
02/06 (金)

生物的な「大人」は「成人」という意味だ。
成獣、成虫、成鳥、成魚と同じだ。
日本の成人式。
「今日から、キミ達も大人だね」・・・
社会的常識では「大人」と「成人」の区別が無い。

ワシはヘソ曲がりだ。
常識を疑ってかかる癖がある。
常識は信用してない。
ここからが、ワシの空想妄想迷想だ。

「大人」と「成人」は違うだろ。
成人式で野生猿のような振る舞いの生物がいる。
成人式だから、成人になったのだろう。
成獣とか成虫とかと同じだ。
子供も作れる身体だ。
だけどなぁ・・・大人じゃないだろ。

  大人・7
02/07 (土)

成人式の野生猿だけじゃない。
国会というオリの中の奇怪な動物達。
平均年齢はとても高い。
だけど新成人の野生猿達と違わない。
とても大人とはいえない振る舞いだ。

不正をして毎日のように頭を下げる経営者達。
卑怯な生き方を恥と思わない人達。
ワシは政治家や官僚や経営者を見て思ったのだ。
とても大人とはいえないだろうなぁ・・・

自慢じゃないが、ワシは立派な生き方をしていない。
自慢じゃないが、ナサケナイと思う生活だ。
自慢じゃないが、スケベなオッサンだ。
だが
自慢じゃないが、卑怯な生き方は嫌いだ。

  大人・8
02/08 (日)

新成人の野生猿や国会の魑魅魍魎。
好きじゃないけど、正しく生きろなんて思わない。
ワシだって正真正銘の出来損ないだ。
目クソが耳クソを非難できない。
非難はしないけど、好きじゃない。
(政治家や官僚には非難しているなぁ・・・)
大人じゃない、といってるだけだ。

大人じゃないくせに、大人ぶるのはなぁ・・・
大人のフリをするのはなぁ・・・
特にエラソウに教訓など垂れるのはなぁ・・・
かなりみっともない。

大人は、カッコイイ人達だ。
不良品を微笑む余裕がある。
余裕があれば卑怯な生き方はしない。
不良を愉しむ余裕がある。
だが、ハマったり流されたりはしない。

  大人・9
02/09 (月)

大人。
大きな人。
身体じゃない。
心じゃない。

生き方に表れる。
行いに表れる。
存在に表れる。
言葉じゃない。

存在するモノは個々別々だ。
個々というのは、個性がある。
自立した存在だ。
自立しているから、共生できる。
自立してなければ、共生共栄はできない。

  大人・10
02/10 (火)

大人には条件がある。
法律じゃない。
肉体でもない。
存在の中だ。

基本的条件の一つ。
それが「自立」だ。
この自立は社会的意味じゃない。
肉体的意味でもない。
存在としての自立だ。

自立とは。
他を侵(犯)さない。他の自立を邪魔しないということだ。
個の尊厳を理解しているということだ。
そうすると・・・
今の人類のほとんどは自立できてないかぁ・・・
少なくても、国家という組織は自立してないなぁ・・・

  大人・11
02/11 (水)

自立が大人の基本的条件。
経済的な意味じゃない。
年齢でもない。
何かの経験値でもない。ならば、誰でも可能性がある。

それなのに・・・
基本的条件さえ出来ない人達が多い。
他を侵さない。
他の存在を認める。
簡単のようで難しいのかなぁ・・・。

力を持つと難しいようだ。
つ、つい、他を支配したがる癖がある。
自分のモノを増やしたがる癖がある。
人間に特有の癖のようだ。
すると、大人になれない・・・

  大人・12
02/12 (木)

この世界を創造したグレちゃん。
(グレートサムシングという偉大な存在)
この世の仕組みを創った。
創造主なんて、イタズラ好きに決まっている。
イタズラ好きじゃなければ、この世なんて創らない。

イタズラの仕掛けがある。
見方によっては・・・ヒネクレている。
見方によっては・・・素直そのもの・・・。
創造は、愉しみから生まれるもの。
愉しい仕掛けがあるから、創造物だ。

求めると、失う。
捨てると、得てしまう。
例えば、
何も持たない赤子が、幸せを持てる。
同じように、
大きくなろうとすると大人になれない。

  大人・13
02/13 (金)

大人は大きな人。
存在の大きな人。
懐の深く広い人。
だから、大きくなろうとすると大人になれない。

大きいだの小さいだの、どうでもいい。
大人だ小人だなんて、どうでもいい。
階級もレベルも種類も、どうでもいい。
どうやら、そういう人が大人に変わるようだ。

大きくなろうとするのは、自にこだわる。
自にこだわって、大人(たいじん)に成れるはずがない。
偉くなろうとして、偉くなれるはずがない。
進歩を意識して進歩するはずがない。
精神世界はヒネクレているのだよ。

  大人・14
02/14 (土)

自にこだわらない。すると自他の区別がアイマイになる。
つまり・・・他が親身になる。
自と同じように他を愛する。

こだわりは我の執着。
こだわりのないのは真愛という。
無関心とこだわりの無い状態(愛)は真逆なのだ。
このへんは、解る人だけ解ればいいや。
説明がメンドウ。
ワシは愛の説明が少し苦手なのだ。

そうかぁ・・・
こだわらないって大きな意味と意義があるんだ。
こだわらないって、とても大切なんだなぁ。
こだわらないのが愛の行為とは知らなかったなぁ・・・

  大人・15
02/15 (日)

自分で書いているんだけど・・・
時々感心するんだよね。
昨年書き上げた「迷説般若心経」。
毎日のブログで266日。

266文字と丁度重なった。
ワシは日本で唯一の訳し方を意識した。
その一つが「空」と「無」の訳し方だ。
「空」を「いいかげん」
「無」を「こだわらない」
どうだぁ、迷訳だろう。

心経でこの二つはとても大切なキーワードだ。
とはいえ、ワシは出任せで書いている。
その「こだわらない」にこんな意味があるとは・・・
今回初めて知ったのだ。
自分の中では、この発見はスゴイぜ。
  大人・16
02/16 (月)

「こだわらない」が「愛」かぁ。
ワシは「愛」というと・・・こそばゆい。
某ナントカ教などは「愛」を強調する。
自称道徳者なども「愛」を多用する。
・・・なんか・・・胡散臭い。

「こだわらない」が愛なら納得できる。
言葉だけが先行しがちの「愛」だ。
具体的行動も直接は露骨で胡散臭い。
だけど「こだわらない」なら頷ける。
とても深い愛の行いだと理解できる。

言葉で愛を多用する人達は信用できない。
大人とは思えない。
懐の深さや、やわらぎを感じられない。
だが「こだわらない」人には大人を感じる。
大人は「こだわらない」人なんだなぁ。

  大人・17
02/17 (火)

書く内容が分からないのに書き出す。
すると思わぬ展開となる。
「大人」という題で書き出した。
特に書きたい内容など無かった。

ワシにとって
「こだわらない」は「愛」の一面という気づき。
とても大きな内容だ。
愛は多面だ。
一方向からでは説明しきれない。

愛が様々な解決の方法だと知っている。
だが、正面から説明するのは苦手意識があった。
どうしても教育的道徳的正義的になりやすい。
それを未熟な人間が上から説明すると偽善になる。
だから、どうしても胡散臭くなる。

  大人・18
02/18 (水)

ワシ流の説明だ。
こうなったら、もう一つも加えよう。
「いいかげん」だ。
「いいかげん」と「こだわらない」だ。
これで鬼に金棒・・・

次の雑記で更に深く書いてみよう。
ここは「大人」がテーマだ。
「いいかげん」な生き方。
「いいかげん」な対応。
これが綺麗に出来れば、素敵な大人だ。

「こだわらない」生き方。
「こだわらない」対応。
これが出来れば、納得の大人だ。
ワシの目指すタイプになる。

  大人・19
02/19 (木)

書き出した時。
ワシは大人になりたいとは思ってなかった。
(年齢的にはオツリが充分くる大人だが・・・)
大人とは、どういう人か考えてみようと思っただけだ。
「大人・たいじん」といわれる人が少ないからだ。

ところが・・・思わぬ展開・・・。
ワシは大人に成りたい。
ず〜と目指していた人物像。
ある意味、それが大人だったのだ。

「いいかげん」な生き方と対応が出来る。
「こだわらない」生き方が出来る。
そして、ヒョウキンでイタズラ好き。
少しスケベ。
そういう人にワシは成りたいのだ。
それが、大人だとは知らなかった・・・。
  大人・20
02/20 (金)

思い出した。
ワシが好きな方々。
故御師匠様や故・現先生達。
お会いできた特別な方々。

共通点があった。
やわらかさ。
優しさ。
こだわらない性格。

当たり前なのだ。
やわらかさ、優しさはこだわったら生まれない。
自分の好みや生き方と違う相手に接するのだ。
好きな相手なら優しくなれる。
そうでない相手に優しくできるのは「こだわらない」からだ。

  大人・21
02/21 (土)

大人への固定概念。
しっかりしている。
社会(常識)的に通用する。
実績や実行力がある。
信念がある。
周りへの気遣いができる。
諸々に対応、適応能力がある。
等々・・・。

ところが・・・
いいかげん・・・
こだわらない・・・
社会的や常識的を意識しない。
い、いや、意識はする時もある。
だが、(強く・固く)こだわらない。

要するに・・・
子供みたいだなぁ・・・
夢など追いかけたりして・・・
自分の世界を大切にするから、他へも優しい。
固定概念の大人とは違うようだなぁ。

  大人・22
02/22 (日)

自分の道を歩いている。
だから他の(社会的)評価は気にしない。
だから他の道も認めていられる。
だから優しくできる。
大人だから・・・

成人式の野生猿達。
国会の魑魅魍魎達。
霞ヶ関の坊ちゃん達。
他から認めてもらいたいんだね。
大人じゃないから・・・

自分の道を歩けばいい。
見つける必要はない。
誰だって個性で生まれている。
自分の道は最初から付いている。
そうすれば、他の評価の必要はない。

  大人・23
02/23 (月)

皮肉なものだ。
社会的常識や教育や育ち方。
子供が周りの人の影響を受ける。
そして、そのように振舞う。
大人というものは・・・

心の底では反発する。
本来の自分を閉じ込めてしまうからだ。
反発をそのまま表に出すと野生猿の振る舞いになる。
本来の自分さえ失うと、魑魅魍魎になる。
我慢して押さえ込んで生活するのが普通の社会人。

大人を意識しないで育ったら・・・
きっと、素敵な大人になるだろう。
素敵な大人は素直な子供を持っている。
小人が自然と育てば大人だったのだ。
だから社会的な大人は歪んでしまった。
成人にはなれるけど、大人になれない。

  「無と空」・1
02/24 (火)

ワシは般若心経を訳してみた。
もちろん、アチコチからの訳を参考している。
だが、その表現は多分日本で唯一かもしれない。
かなり独善独訳的な心経解説だ。
「迷説般若心経」としてHPで公開している。
誰か出版社が商業出版してくれんかのぉ・・・

心経でキーワードといえば「無と空」だ。
ワシは独自の訳し方をした。
「無」を「こだわらない」
「空」を「いいかげん」

特に熟考を重ねたわけじゃない。
熟考など、ワシは好みじゃない。
熟女は、タイプによるが好みだ。
正直30代以下は苦手だ。
だが、ワシは熟年にはなれない。
大人の男も目指してない。
ワシはワシだ。

  「無と空」・2
02/25 (水)

ワシはワシだが鷲じゃない。
王者が好みでもなく、好戦的でもない。
好戦的な生き方が愉しいとは思えない。
正しさを追求し他に押し付けると好戦的になる。
某米国の象徴が鷲だ。

ワシは、無と空が好みだ。
もちろん好みは沢山ある。
アレとかソレとかコレも好きだ。
煩わしくなければ、何でもいい。

ブッちゃん(仏陀)もそうだと思う。
当然ワシとブッちゃんとでは雲泥の差。
雲泥の違いなら、似たようなものだ。
どちらも、この世にある。
少なくても他に正しさを押し付けたりはしない。
好きなように話しただけだ。
どう受け止め、どう活かすかは聞いた方の自由だ。

  「無と空」・3
02/26 (木)

ブッちゃんの伝法。
それは仏教といわれるようになった。
優れた教えだ。
当然、受け継がれて伝えられる。

だけどなぁ・・・
伝えるのも、人間だもの。
組織を作るのは自然かもしれない。
それを維持し続けるうち、何か歪む。
本来のブッちゃんの想いと少しズレる。
組織は仏教に衣を着させた。
金糸の衣だ。

教えを難しく伝える。
伝える役の坊さんが偉くみえるようにした。
本来のブッちゃんの想いと益々ズレる。
偉い坊様の、有難い説教だぞぉ・・・
本来の優しさ(易しさ)から更にズレる。

  「無と空」・4
02/27 (金)

ブッちゃんは誰を対象に伝法したか?
社会の底辺で暮らす人々。
ケモノや鳥や妖怪達。
肉体が無くなっても苦しむ存在達。
全ての生きとし、生けるモノ達。

そういったモノ達が理解できる話だ。
ワシのような落ちこぼれが納得できる話だ。
偉い、立派な人達用の話じゃない。
それが「無と空」の話だ。
だから、ワシの訳の方がブッちゃんの意図に近い。

話言葉では「無」とか「空」などと言わないだろう。
そんな言葉では誰も理解できない。
「無」は「こだわらない」
「空」は「いいかげん」
誰でもわかるように話した。

  「無と空」・5
02/28 (土)

ワシの般若心経解説はHPで読んでくれぇ。
気に入ったら、出版社に推薦してくれぇ。
上手く宣伝したら、大化けする可能性も・・・
出版社もワシも読者も良いことになる・・・

ワシは出任せで書いている。
書かれてから自分で感心する。
こんな内容はワシの中にはない。
ワシは自分で書いたモノを、とても気に入っている。

「無」を「こだわらない」と訳した。
訳してから、その深さに感心していた。
ところが、最近の雑記で更に気づきがあった。
ワシが感心した以上に深い意味があったのだ。
(まぁ、独善独訳のタワゴトだと思って下さいね)

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