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たまには・19〜29
5/01〜5/11

どこか他人事の感覚。
ワシは奇妙な現象に驚かないほうだ。
「氣」を毎日扱っているのだ。
まして、この「氣」は様々な現象を起こす。
一々驚いていられるか。

15年間付き合っているのだ。
驚くに値する現象は、それなりのモノだ。
今回の現象は、そういうレベルだった。
自分に驚くやら感心するやら・・・

こういうのは直感でわかる。
この現象の「氣」のレベル。
わかる気がする・・・だけかも。
「これは・・・スゴイぞ!」

一つの病と複雑な病。
病の段階じゃない。
初期や末期という話じゃない。
咳でも肩こりでも二つの種類がある。

単一なのは、何かで治る。
薬を飲めば治る。
ある刺激で治る。
健康食品でも治る。
気の持ちよう(意識の切り替え)で治る。

○○で治った。
という病は単一のものだ。
例え、それが末期の癌でも治る。
それは○○が特別なのじゃない。
そこを勘違いしてしまう。
アナタも○○で治る!
そして商売になってしまう・・・

奇跡のような出来事。
○○で治った。
○○で変わった。
だから○○はスゴイ!
アナタもどう?

本当に感激しているから熱心。
ある意味、純粋。
でもなぁ・・・
純粋で熱心は困る事が多いのだ。

この世は、それほど単一じゃない。
いろいろがあるのだ。
多種多様が一緒なのだ。
素晴らしいモノはある。
だが、それだけで解決できる世界じゃないのだ。
それだけでは解決しない(事を知る)為の世界なのだ。

例えば世界で一番強力な能力。
だから、どんな病も治せる・・・
とはいかないのだ。
治せる病も多い。
だが、治せぬ病も多いのだ。

治療側の能力で治せる病もある。
だが、一方通行の能力では治せぬ病も多い。
病の仕組みだ。
何故、病の必要があるか、の仕組みだ。

病が病側の参加行動で回復する仕組みがある。
そこが鍵となっている。
もちろん、病側だけでは回復できない。
病側と治療側の協力で動く仕組みがある。
そこに、病の存在理由がある場合がある。

怪しげで妖しい能力を扱う。
それでもプロだ。
だから○○で何でも治る、なんて言えない。
そこまで無知を振りまけない。
だから治療を商売にはできない。

充分承知している。
その上で・・・
ワシの身に起きた出来事。
「こ、これなら、ほとんど治せるかも・・・」

つ、つい、そう思ってしまう程の「氣」だった。
親指の太さで放射する。
ビリビリじゃない。
バリバリだ。
こんなの使っていいのか?

15年間毎日「氣」を扱っているのだ。
今回のこれが、とても強力だと判る。
「氣」は強力なのが優れているわけじゃない。
質が重要なのだ。
「氣」が強いのなど、迷惑の方が多い。

だが、今回のは「氣」が強力だ。
もちろん基本は「調和」だろう。
だから強力でもモンクない。
普段から「強力」は望まない。
ワシはアマチャアじゃないのだ。

意識して強力にしたわけじゃない。
強力に傾かないようにしている。
それが、あきらかに強力な「氣」だ。
それも、とても強力な「氣」だった。
こ、これは・・・使えるぞ。

求めた「強力」ではない。
単純に「強力」を求めるほど無知じゃない。
勝手にやって来た「強力」だ。
コイツは「強力」が売りの「氣」じゃない。
今までの質の延長上にある。
だから、使える。

一瞬よぎる。
ワシの浅はかさ。
「こんなの使ったら有名になるなぁ」
「借金が返せる・・・」

好事魔多し・・・
い、いや、魔というわけじゃないけど・・・
思い通りになんていかない。
自由に使えない。
消えてしまったのだ。
太い「氣」が・・・

勘違いしないでくれ。
ワシが不埒な低級な意識だから消えたのじゃない。
ワシは自慢じゃないが、元々不埒なのだ。
威張れないが、低級な魂の主なのだ。

15年間「この氣」はワシを扱い主に選んでいた。
一度も消えることはなかった。
意識が高級だから、「高級な氣」を使えるわけじゃない。
高級なモノは、差別なんてしないのだ。
だから、ワシでも扱える。

消えたのは、あの「太い氣」だけだ。
今まで通り、ワシは「氣」の扱い人だ。
消えたけど、ワシを通したのも事実だ。
これから先、また来るのかわからない。
だが、来る可能性は大きいぜ。

「氣」の性質で判ったことがある。
一度覚えると、次は容易に扱える。
一度範囲を超えると、次は容易に超えられる。
つまり・・・節操の無いヤツなのだ。

例えば遠隔氣功がある。
相手と同時刻に送受信しないと届かない。
そう思っている時は、その条件下で働く。
時刻がズレても届く事が判ると、簡単に届く。

写真、本人のモノ(髪毛とか)、直筆のモノ。
そういったモノを本人と同調させて送る。
そうでないと届かない、と思っていた時はその通りだった。
携帯写真でも大丈夫と知ると、変わりなくできる。
電話は当然、メールでも大丈夫と知ると、大丈夫なのだ。
(あまり教えたくないけど・・・)
今回迷い込んで来た「強力な氣」。
何の因果か知らないが、一度来たのは事実だ。
ワシの感覚が覚えてしまった。
自分の「氣」じゃないから、自由に呼ぶ事はできない。
だが、通路はできてしまった。

次はいつ来るのか分らない。
偶然だか必然だか知らない。
それでも扱ったのは事実だ。
これは、次が愉しみだ。

ワシに足りなかった部分。
ワシは強引が苦手だ。
強くなる事を避けていた。
目立たぬように意識してきた。

今までも「氣」の能力が増えてきていた。
種類だか範囲だかが広がってきていた。 故御師匠様もそうだった。
扱っているうちに広がるのだ。
意識が柔らかでないと固定するのはいうまでもない。

自分の「氣」じゃない。
自分の能力じゃない。
自分の力じゃない。
この意識は、とても大切だ。
だから伸び、広がり、増えるのだ。

未来も同じかもしれない。
意識が固定されれば、そこから先は伸びない。
こだわれば、広がらない。
未来は「意識のやわらぎ」で輝くかもしれないぜ。

  迷説恋愛論
05/12〜08/30
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迷説恋愛論


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