「新た好き時代(あらたよきじだい)」   HPトップに戻る


これは2010年10月1日から11年9月30日まで毎日ブログに書いたものです。
自分のホームページ、楽天、ヤフー、Facebook,goo,mixi,アメーバ等複数のブログです。
著作権は私、水上陽平にあり、転載、引用する場合は連絡下さい。(iiki8@ybb.ne.jp)





古き良き時代、という言葉がある。
思い出は通常二つに分かれる。
良い思い出。
悪い思い出。

良いも悪いも本人の思い込みが多い。
思い込みも、勘違いも、正確であっても同じだ。
本人が、今、そう思っているのだ。
そして、その事実は有った。

良き思い出と悪しき思い出。
どちらを思い出すかは現在の生命力による。
生命が活性している時は良き思い出になる。
消耗、衰退している時は、悪しき思い出ばかり・・・   

老いを意識すると過去に向かう。
思い出の質に限らず過去を語る。
若かった時(過去)を懐かしがる。
現在も未来も同じく有るのに・・・

それは年齢ではない。
20歳が高校時代を懐かしがる。
20歳という老いを意識しているからだ。
50歳が30代を懐かしがる。
20歳からは未来だったのに・・・

生命力の活性は、年齢とは別次元だ。
年齢に影響を受けるが、条件ではない。
年齢的でいうなら、赤ちゃんが最高になる。
それは、生命力が最高であって活性とは別次元だ。
活性は、現在の話なのだ。

生命が活性している時。
未来、将来を意識する。
そして現在を生きる。
過去の思い出は、未来の為に活かす。

過去は誰でもある。
いろいろな過去がある。
過去は使うモノ。
役に立てるモノ。
それを、どう使うかは現在の生命状態。

昔は良かった。
だけでは使えない。
過去に戻れない。
たとえ戻れても、活かせない。
生命力が衰退しているからだ。

古き良き時代。
それをどう活かすか?

昔は良かった。
それに比べて今は・・・
これでは、生命は活性しない。
生命の活性が、嬉しい未来となる。

古き良き時代を感じる。
その頃の生命力を蘇らせる。
そして、今に持ち込む。
時と空間は跳び越えられるのだ。
これなら、昔を活かせる。
過去は未来を明るくする為に使うモノだ。

過去を未来に活かす。
それはそれで結構だ。
だが過去がどうあれ、未来は明るく。
その為に現在がある。
現在の意識の使い方がある。

「古き」より「新た」だ。
生きているモノは「新た」がある。
「新た」にしか向かえない。
ならば、明るい「新た」にしようぜ。
「古き」を懐かしがるのはヒマな時でいい。

個人的な「古き」は適当でいい。
先達の「古き」は多用重用拝用させていただく。
それらの「古き」は時代遅れのモノではない。
時間と空間を超えるモノが山ほどある。
温故知新などという甘いモノではない。
現在の無知を曝け出す「古き」も山ほどあるのだ。

多くの人が勘違いしている。
過去より現在の方が優れていると。
過去より現在の方が進んでいると。
そして、未来は更に進むと。

それは、全くの勘違い。
無知と固定概念からくる間違いだ。
そういっても固定概念だから改められない。
頑固に信じてる。
それが、一番の遅れの元なのになぁ・・・

単なる事実さえ認めようとしない。
100年前と現在とどちらが優れている?
どちらが進んでいる?
狭量な心と考えで固定概念を持ち込む。
ある意味、鬼に金棒・・・

外見で判断。
それはいい。
ポイントは外見でどう判断するかだ。
外見の何処をみるかだ。
外見から、中身を判断できるかだ。

100年前と現在の何処を見るか。
そして、そこから中身をどう判断できるか。
変わっているのは事実だ。
何を基準にして、進歩と判断するかだ。
外見の文明も内容の文化も現代の勝手な基準だ。

基準は調和度。
そんなの当たり前だ。
人間一種だけの地球じゃあるまいし。
その一種でさえ殺しあう現代だし・・・

車、飛行機、テレビ、コンピュータ。
だから進化した。
科学、医学、○○学。
だから進化した。
本気で言う人達は多い。

核爆弾、中性子爆弾、生物兵器。
進化したね。
オゾン層破壊、土壌破壊、河川海水破壊。
とても進化したね。
間違いない。

人類の苦しみの数。
人類以外の生物の苦しみの数。
古代、昔、今。
苦しみは見えないから、難しいね。
でも、今の方が少ないとは言えないだろうな。
多いかも、とは言えそうだけど。

進化を、一つの方向に進む事と勘違いしている。
破滅の方向に向かう事を進化とは言わないだろう。
少しだけ冷静になってくれ。
幸せが増えなければ、進化とは言わないだろう。
労働が楽になる事は、進化じゃないのだよ。

古き良き時代。
一つのヒントとすればいい。
気づきのヒントとすればいい。
そして、何処へ向かうのか目覚めればいい。

目覚めれば、それが進化だろう。
気づけば、それが進化になるだろう。
生命が喜べば、それが進化と思えるだろう。
進化とは、生きる事が自由になる事のようだ。

人間種は良悪で判断しがちだ。
だが他の生物は良悪では判断しない。
好嫌で行動する。
好嫌は心で判断しない。
生命で判断する。

人間種が他の生物と異なる一つだ。
物事を頭や心で判断する。
不確実で未完成の頭脳と心で判断する。
それが他の生物より上等だと思っているようだ。
人間種の判断の誤りは歴史を振り返るまでもない。

本当に不出来な生物だ。
い、いや、不出来ではない。
使い方を未だ理解できないままだ。
肉体能力はかなり上等なのだろう。
使う心が、あまりに未熟なだけだ。

浅い理屈や道徳を持ち出す人が言う。
物事を好き嫌いで判断してはいけない。
ある意味、その通りでもある。
だが、大きく深く広くなら別だ。
好き嫌いで判断するのが、最適になる。

グレちゃん(創造主)は凄いんだ。
誰でも生きる判断を出来るように生物を創った。
人間だけ特別に創った、なんて思い上がらないでね。
多種多様に特徴や段階はあるかもしれないが、特別はない。
当たり前じゃないか。
全部がハーモニーでこの世が成り立つ。

頭の良い人だけが、物事を判断できる。
浅賢浅考浅思な人は、自分がそうだと思うようだ。
誰でも同じように創られていると認められない。
人間種の優越感意識は、少し滑稽でもあるのだ。

生命はこの世の仕組みと直結している。
生命が好嫌を感じたのなら、それは的確なのだ。
人間種を除く生物は、そうして生きている。
だから、種は続いているのだ。

人間種は、環境適応能力に優れている。
熱帯から寒帯まで生きられる。
それは、生体能力ではなく道具を使うからだ。
そして、環境の方を変化させるからだ。

生命の声(好嫌)を聞かなくても力で押し通した。
ハーモニーより独裁を選んだ。
それでも、種は続いた。
他の生物を犠牲にして生き延びる事はできる。
ある程度までは・・・

一つの種は他の種を一方的に犠牲にする事がある。
それで種が続く。
食料としてなど、通常にある。
それが連鎖して種が続く。
だが、連鎖は輪となるから続いているのだ。

輪とならない弱肉強食は亡びるしかない。
全てが亡びるわけではない。
上位といわれるほど、亡びる率が高いのだ。
微生物や菌類は連鎖が切れても生き残れる可能性が高い。

可能性が極僅かなのは、人類という種だ。
連鎖の最上位にいると勘違いしているからだ。
輪(調和)という意味が、未だに理解していないからだ。
この世に、上位も下位もあるものか。
そんな、当たり前が判らないのは人間種の特徴の一つだ。

輪(和)の範囲ならいい。
どんなに他と摩擦しようがいい。
それによって個体が亡びても種としては残る。
種は個体の集まり故に、種の亡びには余裕がある。

多種多様なモノ達は、この世で摩擦し合っている。
摩擦して交流し合っている。
摩擦無き交流は、あの世でもできる。
この世は物質界という摩擦世界で成り立っているのだ。

その摩擦により、個の様々な変化が起こる。
生命の維持もあるし、生命の終わりもある。
だが、多種多様の全体として輪(和)であればいい。
輪として流れるモノが、それぞれの種の生命を維持する。

輪(和)の範囲は個の行動による。
個の好嫌で行動した結果だ。
好嫌で行動すれば輪(和)の範囲内だ。
この世の輪は、そう創られている。

ところが人間種だけ良悪で行動する。
い、いや、欲得で行動する。
他種を欲の対象で侵略する。
欲得だから際限がない。

個の食欲だけなら満腹で止まる。
ところが、人間種は食べきれなくても狩る。
対象種が絶滅しても欲が上回る。
輪(和)により、自分達が生かされている事を自覚できてない。
かなり未熟すぎる魂のようだ。

同種の人間同士の摩擦は様々だ。
補い合う場合もある。
だが国や組織という塊で行動する時は争いとなる。
しばしば殺し合いとなる。
相手の滅亡を目的とする。

これは他の生物では見られない珍しい行動だ。
個や小さな集団のボスでは殺し合いもあるが、
それぞれの限度や範囲は守られている。
人間種だけ歯止めがきかないのだ。

それには理由がある。
他の生物の欲望は個の肉欲が土台だ。
だから足るを知る欲となる。
満足がある欲だ。
人間種は個の心と集団の理屈からの欲望だ。
だから、足るを知らない。

足るを知らない欲は拡大する。
滅亡まで狩りとるのは他生物に限らない。
植物も絶滅まで刈り取る。
植物も大切な生命連鎖の柱だ。
だが、自分の首を絞める行為は止まらない。

鉱物も取り尽くす。
石油系だけではない。
人間種に都合のいい、あらゆる鉱物を掘り尽くす。
替わりに、地上は人間種の人工物であふれる。
もちろん、鉱物も生命連鎖の大きな土台だ。

こうして、人間種だけ特殊な行為をしている。
愚生物というには、あまりに影響力が大きすぎる。
生き方、という本来なら自然に学ぶ事を放棄した。
個の心(欲)を優先する生き方を肯定してからだ。
本来は生命(肉体)が自然に関わっているのに。

人間種では頭(理屈)の良い人が目立つ。
その人達は、心の大切さを主張した。
誰も反論できない。
そうかなぁ・・・と思った。
そして引きずられた。

現代も同じだ。
心を大切にしよう。
ほとんど反論しない。
心を大切にしたら、人類は亡びるのに・・・

肉体を大切にしよう。
生命を大切にしよう。
他の生物から、生き方を教わろう。
自然から学ぼう。
たまに言う人はいるが、実行する人は少ない。

心に対する安易な認識。
自分の心さえ解らないのに。
心の仕組みなど、ほとんど観ようとしないのに。
心を大切にしよう・・・
疑いもなく、正しいと信じ込む。

歴史を観ない。
現状を観ない。
争い、殺し合い、多種の滅亡。
そして、人類種の滅亡寸前。
全て心を優先して引き起こしている事実。

心は正誤を内蔵しない。
多種多様なモノの総称なのだ。
その中の何かにスポットを当てる。
それに正当性を持たせる。
それぞれが、正しさを主張する。

「古き」から「新た」に。
「良き」から「好き(よき)」に。
各自が変わる時代。
変わらなければ、先が亡くなる時代。
そういう瞬間に、今の人類種がいる。

大きく歴史を観ればいい。
一万年を一メートルとして想像すればいい。
人類の規定によるが、一応最古の人類化石は600万年前。
つまり、600メートル前。
だが二本足歩行の猿もどき・・・

150万年前、ようやく人らしくなった。
つまり、150メートル前。
いろいろ石器などで道具を作り、火を使った。
原人である。

30万年前、知性ある人になった。
ホモ・サピエンスの名前の由来だ。
この旧人には幾つかの種類がいたようだ。
代表例にネアンデルタール人。
30メートル前になった。

そして3万年前、新人登場。
今でも各分野で新人や新人類はいるが、大して変わらない。
クロマニヨン人が突然現れたのだ。
我々の直接祖先は謎の出生なのだ。
僅か3メートル前。

旧人と新人は似ているようでかなり違う。
順調に変化してきた生物が突然変異した。
脳も体力も旧人の方が上回っていたのに。
旧人を滅ぼして入れ替わった謎がある。
我々の祖先は、かなり、出生が、怪しい・・・

ワシはアヤシイのが好きだ。
怪しいのもいいが、妖しいのも魅かれる。
とはいえ、現代人間種の祖先はかなりだ。
アヤシイのを通り過ぎて、謎なのだ。
我々の土台は、不明という闇の中。

旧人のネアンデルタール人と同時代。
イキナリ新人といわれるクロマニヨン人。
通称、クロちゃん・・・
同時代だから交流はあったろう。
争いもあったかもしれない。
だが、混血にはならなかった。

ネアンちゃん一族は何故か滅亡。
クロちゃん一族は繁栄して、我々の祖先となった。
今の人類を見ていると、争い好きなクロちゃんのようだ。
平和好きなネアンちゃんを滅ぼすのは簡単だったろう。
証拠は無いけど、クロちゃんだけにクロ(犯人)かも・・・

謎は更に深まる。
最近話題のDNAというヤツだ。
ミトコンドリアDNAという女系をたどる仕組み。
すると、20万年前頃のアフリカ女性、イヴになる。
変だろ?

同じホモサピエンスとはいえ、20万年前は旧人。
現代人は新人類の末。
(新人の祖先として3万年前からのクロちゃんがいる)。
旧人と新人は混血してないはず(子孫が出来ないDNAとか)
ならば、20万年前の一人の女性というのは?

更に更に謎と変は続く・・・
1万5千年前頃から急に、文化的遺物の質が変わる。
クロちゃんも何故か消滅するのだが、次世代の新人となる。
この辺が、我々の祖先という考えもある・・・
いずれにしても、出生は2メートル未満かも・・・

先祖を大切にしよう。
異議は無い。
ワシの生命を活性する仕事からもいえる。
先祖は生命の通路でもあるのだ。

近い先祖なら大切に出来る。
ところが、人類の先祖は不明のままだ。
どうする?
我々は、誰の子孫だかよく分からないままだ。

誰も証明できない事は、勝手に言う事ができる。
ある宗教はいう。
人間は神の子です・・・
神は己に似せ、人間だけを特別に創られました。
証明は出来ません。
神の言う事を疑ったり反論したりは、ダメよ・・・

神に似せたのなら、神は自然破壊思想になる。
何しろ人間は破壊大好きなのだから・・・
自然は調和、そして神。
すると調和を破壊する神はアホそのもの・・・

い、いや、人間の魂はまだケモノレベルだから・・・
レベルアップの為には、我が宗教に入りなさい・・・
今なら特典付きよ。
地球が滅びても信者だけは助けて、あ、げ、る・・・

でも、ケモノは自然(調和)と共存共栄しているぜ・・・
どう転んでも、神の人間創作説は幼稚すぎるなぁ・・・
まぁ、この世の全てを創作した、というのならいえると思う。
ワシも創造主(グレートサムシング、通称グレちゃん)に異論はない。
逆らう理由も勇気も無い・・・

異説もある。
クロマニヨン人は遺伝子操作された人類だ。
だから、旧人がいるのに急に出現した。
作り出したのは宇宙人だ。
これも確証が無いが、神説よりマトモかも。

宇宙人だから当然失敗もある。
地球人も宇宙人もアホには変わりないだろう・・・
クロちゃんから改良を重ねた。
そして、1万5千年前くらいに一応出来た。
この辺からの文化遺物の質変化に説明がつく。

だが、ニュータイプは暴走・・・
技術力を自然界に介入しすぎたのだ。
そして、自然界の反動。
天変地異の末、大陸は沈没。
アトランティス文明として伝承された。
何やら、現代とカブっているようだ。

それも、そのはず。
多少の知識を持って、僅かな人々が世界各地に散乱した。
それが現代人間種の文明の元となる。
例えばエジプト文明。
妄想でも仮説でも何でもいい。
まだ本当の事など解らないのだ。
だが、50センチ手前の出来事だ。

600メートル前(600万年前)に始まった人類。
文明といえる始まりは、僅か50センチ手前。
文明というのは、自然界への介入でもある。
つまり、人類が自然界に介入し始めたのは最近なのだ。

世界各地で、○○文明といわれる歴史があった。
これらは古代文明とされる。
ちなみにアトランティス文明などは超古代文明になる。
現代人間種の文明という名の傲慢の始まりだ。

古代文明は、自然への介入はあったが限定地域のみだ。
自然界へ広く大きな影響するほどではなかった。
超古代から持ち出した技術が限られていたからだ。
介入するエネルギーは、人力や動物力だったからだ。

石炭をエネルギーにした300年前。
ここから急速に人類種は自然界に介入する。
人力や動物力などの限られた力から離れた。
それは修復可能な自然から離れたともいえる。
3センチ手前だった。

石油をエネルギーとした100年前。
速度、馬力、応用が更に高まった。
人間種は気が狂ったように走り始めた。
すでに多くの自然界変化による弊害があったのに。
1センチ手前の出来事だった。

大量に石油を使い出した50年前。
大量に石油を掘り出した。
そして、掘り尽くす手前の現在。
5ミリ手前からの出来事だ。

石油と同時に電気の普及がある。
電気の為に、枯渇する石油から原子力へ。
だが、某アホな国以外は危険性が高すぎるので脱原子力。
やっと自然系エネルギーの開発に乗り出した。
2ミリ前。

だが、間に合うかどうか微妙。
人間種と自然界の調和に間に合うかは微妙。
絶望に近い微妙の段階がある。
それは、この超急激な変化を見れば一目瞭然。

一目瞭然が解らないアホもいる。
とても多くいる。
しかも困った事に、人々の代表に多い。
あるいは、多くの人々に影響する立場に多い。
アホが人の上に立てば、亡びるのは必然なのだ。
今の人間種が、この立場にいるんだぜ。

自然は常に変化する。
時間とはモノの変化を表わす面がある。
空間の距離移動を表わす面がある。
地球が動くから時間がある。
そして自然は変化する。

自然は常に安定に向かう。
変化を安定に調和させる力が働く。
絶対安定はありえない。
時がある次元ではありえない。
変化と安定の連続体が自然の働きだ。

変化を安定させるには範囲がある。
範囲を超えた変化は安定できない。
それまでの世界から飛び出してしまう。
別の世界の始まりとなる。
人間種の自然界介入は限度を超えた・・・

修復可能な範囲。
修復可能な変化度。
変化が止まり、修復可能な時間がある。
それらなら安定に向かえる。

人間種の最近5ミリからは急激すぎる。
更に加速度が増している2ミリからは絶望が近づく。
600メートル中の5ミリだ。
自然は余裕があるが、明らかに急ぎすぎだろう。

未来はある。
人間種を除けば必ずある。
巻き添えの生物を除けば、未来はある。
地球は安定する。

例え核ミサイルで人類が絶滅しても安定する。
30回分の絶滅が繰り返されても安定する。
放射線で生物は死滅か奇形して絶滅する。
現存する生物は大変化するだろう。
当然、ミサイルを作り、使った人類は死滅。

放射能は幾つもの種類があり、半減期も様々。
放射性物質は、いずれ安定するのだ。
ただし、長ければ2万年から数億年。
それでも、いずれ地球は安定する。
地球に未来はあるのだ。

未来が無くなる可能性は人間種だ。
その可能性も、とても高い。
回避する可能性もある。
ワシも人間種だ。
そして、不肖でも子供がいる。

地球の危機じゃないのだ。
人類の危機なのだ。
自分と自分の子供達の危機なのだ。
この認識が無いと人類種の未来は無い。

人類種とはいえ、個々の集まり。
そして道を選択できるのは自分のみ。
つまり、人類種の未来は自分が鍵となる。
誰かが、じゃない。

国家でもない。
偉い学者や有識者(これもアホな言葉だけど)じゃない。
政治や行政任せで未来が繋がるなら、今の状態はないのだ。
アホな政治家に期待したら絶滅するのだ。
未来は、自分が握っている。

ワシには政治的思想は無い。
というより、そんなモノ不要だと思っている。
当たり前が解る人なら、誰が政治してもマトモになる。
残念ながら、人類種はハズレばかりが政治家になりたいようだ。
証明は簡単だ。
現状の世界を見ればいい。

自分が未来を握っている。
それは間違いない。
しかし、自分だけでは変わらない。
鍵は握っているが、人類は個々の集まりだ。

多数決がマトモとも思わないが、多数で決する事だ。
現在は多数決で滅亡を目指している。
人類の総意だ。
まぁ、自分の時代は大丈夫だろ・・・

病気なども同じだ。
まぁ、自分は大丈夫だろう・・・
温暖化?
まぁ、後20年は大丈夫だろう・・・

この考え方は最近のモノだ。
手前3センチからの考え方だ。
それ以前は、自然と人間の一体は常識だ。
当たり前すぎる感覚だった。
自然界に介入してから感覚が狂った。

考えや感覚の狂いも加速度を増した。
5ミリ手前からは、自分の時代のみ。
自然回復など、欲の前にはタワゴトだった。
何十年も維持できないのは理解している。
だが、自分だけは大丈夫だろう・・・と。

こうして人間種の変化度と時間軸を表にする。
すると、自然界介入の加速度と意識が比例するのがわかる。
自己滅亡種は滅亡するのが当然なのだ。
滅亡するように生き方が変化している。
滅亡するように意識が変化している。

自然と離れて生きていけるわけがない。
そんな当たり前が理解できなくなっている。
自然を開発。
自然を征服。
自然を調教。
アホなどという可愛い存在じゃない。

こんな状況になっても、まだ同じ道を進もうとしている。
特に大国、先進国の政治家官僚財界人。
進めば、滅亡は間違いない。
今は断崖の淵にいるのだ。
で、
どうする?

再度確認。
政治で人類種の未来を取り戻すのは無理。
地球環境、他生物維持会議でさえまとまらない。
綺麗事の会議でさえ、各国のエゴ主張合戦なのだ。
偉い人達に任せたら、確実に滅亡する。
現状が証明しているのだ。

わかっちゃいるけど止められない。
それが各国政治家達の本音だ。
大切なのは人類の未来じゃない。
自分の立場(所属政党含む)の維持なのだ。
その為なら、国民も未来も犠牲にしてもいい・・・

それでも期待したいなら、勝手にしてくれ。
自分自身を変えないで、政治家に期待する。
自分や家族の運命を放棄するなら、勝手にどうぞ。
それでは、新たな好き(よき)時代は無い。
崖に落ちる未来に、好き時代は無いのだよ。

ワシは脅しで人を動かすのは卑怯な方法だと思う。
だから、これは脅しじゃない。
単なる事実だ。
崖っぷちで、それでも進もうとしているのは現状なのだ。

ワシはペシミスト(悲観主義者)じゃない。
ラテン系のオプチミスト(楽観主義者)に近い。
だから、人類種の未来を悲観しているわけじゃない。
楽観するのは、現状をしっかり観ているからなのだ。

こんな事実。
こんな現状。
それでも、新たな好き(よき)時代にできると思う。
未来は自分で創る世界だ。

正誤でなく好嫌。
好きな方向なら不便でも大丈夫だろう。
肉体で判断する好嫌だ。
生命の底で判断する好嫌だ。

デタラメな心の判断は捨てる。
アホな頭の判断は捨てる。
お上の勝手な都合の命令は、そっと無視する。
自分と子孫と他の生物が共存できる未来だ。
理屈は捨てようぜ。
単純な話だ。
多種多様で多くの生物が地球上で暮らしている。
だから、それぞれが生きていられる。
一種だけ特別扱いでは生存不可能な星なのだ。
一種だけ独り占めしたら、結局滅亡するのだ。
だから、分け合わなくては共存できない。

いろいろなモノを所有する。
もっと所有する。
あればあるほどいいだろう。
財産だ。

だが、この世は物質世界。
つまり有限世界なのだ。
それぞれが所有欲で頑張ればぶつかる。
それが国同士なら戦争となる。
戦争で栄える未来は無い。
当たり前だ。

人間種以外の生物は所有しない。
所有しなくても問題ない。
使えばいいだけだ。
所有がなくなれば、使用できるのに・・・

自分のモノにしない。
だから皆で使える。
すると便利になる。
この世はそういう風に創られている。

所有すれば不便になり、争う。
皆が所有するほど無いからだ。
所有を止めれば便利になる。
この世のモノは皆が共同で使えるからだ。
争いは無くなる。

平和なんて、簡単な事。
環境を戻すなんて、簡単な事。
あらゆるモノを所有しない。
それだけでいい。

人間種以外の生物は基本的に所有しない。
個別的には所有欲もある。
アノコが欲しい・・・で争う。
その食べ物、欲しい・・・ それは生命の摂理の一部だ。
ただし、人間種のように使いきれないものは所有しない。

人間種も5ミリ以前はわきまえていた。
原住民といわれる古から生存する人間は知っていた。
この世のモノは所有など出来ないことを。
一時的にお借りしているだけだということを。
死んで持っていけるはずもないし・・・

生命の基本的な事を忘れたのか。
この世に暮らす、基本的ルールを忘れたのか。
全てと相互に支えあうから生きられる事実を忘れたのか。
科学的な思考法と共に、人間種はかなりアホに成り下がった。

皆がアレコレ足りない。
すると助け合うのが当たり前。
お互い様が普通。
それが自然。

その底には、所有という意識が無い。
所有を意識すると、比較する。
比較が幸せを遠ざけるのは当たり前。
比較から不幸が生まれるのも当たり前。
足りない事と比較する事は別な次元だ。

不便でも大丈夫。
助け合えば問題ない。
所有しなくても幸せになる。
お互い様なら、未来は明るくなる。

所有しない意識。
それを綺麗事だと思う現代。
僅か5ミリ(50年)で意識が変わった。
600メートルのほとんどは所有が無かったのになぁ。
今の常識というのは、とても狭い意識なんだ。

崖っぷちからの回避。
難しくない。
環境は回復したがっているのだ。
人間種の意識が元に戻れば回復は急速に速まる。

生命の回復も同じなんだけどなぁ・・・
病からの快復も同じだ。
治る方が簡単で速い。
生命は治る方向に常に働いている。

自然は変化する。
変化するが、急速に調和に向かう。
崖っぷちでも希望はあるのだ。
横に曲がればとりあえずいい。
元に引き返せば、間違いなく安全だ。

正直に真っ直ぐ進む事の弊害。
弊害どころじゃない。
真っ直ぐ進めば滅亡だ。
この世は曲線で創られている。
アナログなのだ。

科学が進めば輝かしい未来が・・・
などという幻想(タワゴト)は卒業しようぜ。
進めば滅亡しかないのは解っているはずだ。
素直に認めて、引き返そうぜ。

地球環境を変えるほどの科学。
正誤は使い方で決まる。
つまり、科学力の使い方は考えてなかったのだ。
核爆弾など発明してどうなるか、想像もしなかったのだ。
活かす、という言葉を知らなかったアホだ。

身内(人間種)の過去のアホは直せばいい。
活かす、という使い方をすればいい。
それほど難しい問題じゃない。
難しいのは、各々の執着心を捨てる事だ。

何故、人間種にこれほどの科学力があるのか。
万物の帝王になる為じゃないぞ。
そんなモノにあこがれるアホは滅亡しかない。
力の使い方など決まっている。
守る為しかありえないだろう。

守るのは国じゃないぞ。
(国を守るといいながら、守った為政者はいない
) もちろん自分の立場でもない。
所属政党でも体制でも組織でもない。

守るのは生命だろう。
ならば、地球全てだろう。
環境を変える力なら、環境を守る為のモノだろう。
そんな当たり前の事さえ忘れ、暴走する人間種だったのだ。
その結果が、当たり前だけど、崖っぷち・・・

科学が間違いじゃない。
使い方が無知なのだ。
という事は、自分(人間種)の存在の意味が無知なのだ。
何故、人間には(智恵は無いけど)力があるのか。

使わない事を学ぶ為の力もある。
そう思っていた。
大きな力は、自制意志を培う為にある。
今でも、その思いがある。
だが、少し消極的だ。

大きな力は、より大きな調和に活かすモノ。
これなら積極的な存在だ。
ただ、人間種の魂が未熟だから無理かと。
でも、そんな事言ってられない。
もう人間種として崖っぷちなのだ。

人間種の力。
それは、自然を積極的に調和(ケア)する為。
人間種としての存在意義は、どうやらここにあるようだ。
個々においては、それぞれの目的意義があるだろう。
だが、種としては積極的な環境保全の為にある。
余計な干渉はしないが、バランスが崩れたら保全する。

人間種は人間同士の利権争いの為に存在しているのではない。
大は国同士、小は個人での利権争い。
本来の仕事を忘れ、その結果が自ら崖に向かった。
環境調和のお手伝い。
それが、多少なりとも他の生物との違いだ。

人間は智恵がある。
人間は道具を作り操る。
人間は魂が神に近い。
自分で自分を持ち上げる程度なのに・・・

生命に高低はない。
だが、役目の違いがある。
新たな時代は、本来の役目に戻れば始まる。
すると、生きる事が好きでいられる。
お互いに助け合えば、今が好き(よき)時代になる。

種の役目はあるのだ。
だが全人間が同じ行動をするわけじゃない。
そんな事は、ほとんどの国の為政者がやりたがっている。
そうして、内外紛争が起きているのだ。
思想や行動を統一させるのは無理というものだ。

個の生き方と種の生き方。
範囲を考えれば両立する。
むしろ、個の生き方が種の生き方となる。
個々は個性がある。
個を活かしてこそ、種が活きる。

大前提さえ踏まえれば何をしてもいい。
大前提は、人間種の共通規制じゃない。
生物としての共通な生き方だ。
地球上の物質の一つとしての共通事項だ。
誰でも、何でも共通のモノだ。

作物を作るのが好き。
魚を獲るのが好き。
家を作るのが好き。
歌うのが好き。

好きな事は他の役に立つ。
そして気づく。
作物も自然を壊しては元が無くなる。
魚も守りながら、適度に獲らねば元が無くなる。
住みよい家は、自然と調和してこそ。

どの道からでも気づける。
地球上の一員だと自覚する。
自然環境の中でこそ、生きていられる。
個を大切にすると、種を超えて全てにつながる。

地球環境はどんなに変わってもいい。
人間がどんなに変えても地球は困らない。
嘗て地球はマグマの塊だったのだ。
変わって困るのは人間なのだ。
苦しんだ挙句死滅するのは人間なのだ。

個の欲と種の役割。
個の欲と地球環境。
個の欲が優先するから止まらない。
崖っぷちでも止まらない。
止まらないなら、落ちるしかない。

新た好き時代は綺麗事だ。
真の意味の理想だ。
理想とは、理(ことわり)を想う事。
つまり、当たり前(綺麗事)の事だ。
綺麗事をしなくて、生き残れるはずがない。

600メートル中の5ミリの変化だ。
急変だ。
現在の常識は、とても非常識なのがわかるだろ。
僅か5ミリのハチャメチャで地球は変わる。
その為、生物は毎日100種類以上絶滅している。
このままでは、人間種の絶滅も確実だ。

原因が唯一種の生物。
人間種の横暴。
横暴とは、理を大きく外れた行い。
自然環境の理を大きく外れた行い。

道は二つのみ。
絶滅するか、新たな時代にするか。
そして、こんな状況でもまだ間に合う。
ギリギリだが、まだ間に合う。
綺麗事を実行すれば、間に合う。

我々は何処から来たのだろう。
600メートル(600万年)前からか。
あるいは、それ以前からか。
あるいは、新人類の3メートル前からか。

我々は何処に向かうのだろう。
神から生まれ、神に還る。
この答えでは、存在の意味が示されない。
この世は精神世界(だけ)ではないのだ。
この世では、この世の存在の意味が優先する。

人間種の存在の意味。
それは、自然の一部であり自然そのものでもある。
魂の話は別次元だ。
この地球での存在の理由だ。
ならば、答えは簡単だろう。

必要なモノだからだ。
地球にとって必要だからだ。
どんなモノでも存在するのは必要だからだ。
不必要なら存在できない。

この物質界はアナログなのだ。
全てが繋がっている。
ワンネス。
だから、存在するなら必要なのだ。

人間種は必要。
だが、今の行為が必要という意味ではない。
行いの間違いは明らかだ。
この世での間違いは、調和を壊す行為。
人間種の極最近の行為は狂っているのだ。

人間種は必要だった。
砂漠を緑にする事ができる。
河川の方向を変える事ができる。
陸も海も空も綺麗にする事ができる。
他の生物の助けになる事ができる。

ただ、しなかったのだ。
逆の行いをしただけなのだ。
それも、最近の2センチから始まり、
激変させた数ミリの間だけ。
汚し、殺し、変調させただけなのだ。

僅かの期間の行いの間違い。
種としての本来の役割をしなかった。
だからこそ、人間種は必要なのだ。
これほど大きな影響力をもっているのだ。
現状を快復改善するのも、人間種だけだろう。

本来の人間種の役割。
地球環境のケア。
他の生物では出来ない。
人間種には特別な能力が備わっていた。

だが悲しいかな。
使いこなす魂が劣っていた。
他の生物より、かなり劣っていた。
600メートル(600万年)も経てば進化する。
創造主は甘い予測で人間種を創ったのかも。

現状を回復改善できるのは人間種だけ。
だが、できなくてもいいや。
人間種と巻き添えの生物達が絶滅するだけだ。
いずれ地球は回復できる。
何千年かすれば、緑あふれる地球に戻る。
創造主のやり方は、だいたいそんなモノだ。

生きている生物に何故自主性があるか。
創造主が統括しているなら、自主性はいらない。
創造主が統括しているなら、人間の横暴は許さない。
だが、創造主は大雑把な性格だった・・・・

いいよ、適当にやってね・・・
ところが人間は適当が理解できなかった。
適当とデタラメを混同していた。
ありぁ〜、ちょっと失敗かも・・・
でもいいや、時間が回復してくれるし・・・

創造主の時間は何億年もある。
だから人間の尺度では大雑把に思える。
自主性は、絶滅も生存も自分で決めてね、という意味だ。
どちらも創造主は困らない。
地球も困らない。

新た好き時代は、自分で決めるモノ。
自分も人間種の一人だ。
自分で時代を選べる。
崖から落ちる事もできる。

人間種は雇われ店長みたいなモノだ。
一応店(地球)のほとんどを勝手に仕切れる。
綺麗に繁盛(共存共生)できれば、当分は店長。
失敗すれば、店から出ざるをえない。
もちろん戻る事はできない。

店(地球)が自分のモノと勘違いしたら衰退する。
勝手に店長だけが美味いものを食べれば当然だ。
材料が無限にあるはずもないし。
店が衰退すれば、メンテナンスして別な店長に任す。
あるいは、店長無しの共和制かも。

自然の一部でしか生きられない。
こんな当たり前を忘れた2センチ。
フロンティアなどとアホなタワゴトを信じた2センチ。
開拓したら生きられないだろ。
自然にとけ込む以外に生物は生きられない。

ちょうど2センチ前に大国が生まれた。
この2センチ間で人間世界をリードした。
そして、崖っぷちの現状となった。
某フロンティア狂国の奴隷の日本も狂った。
本来の日本は、自然と和の生き方の国だったのに。

新たな時代は、自然に合わせる時代。
自然の回復力を応援する時代。
生物という自覚を取り戻す時代。
この2センチ間劣っていた智恵を使う時代だ。

超急変化した人間種の生き方。
それが環境を変えた。
文明開化と粉飾したタワゴトに狂った。
たが、たかが2センチだ。
まだ間に合う・・・
と思う・・・

意識を変えれば、間に合う。
生き方を変えれば、間に合う。
難しいほどじゃない。
所有から共有に変えるだけだ。
元々、所有などできようはずもない。

新たなる、好き(よき)時代。
それは古き良き時代でもある。
古(いにしえ)の時代は、全て良きだ。
そして、全て好きだった。
取り戻そうぜ、新た好き時代を。(終わり)


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