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ヤマト・1〜17        暮れ・1〜14
12/01〜12/17

大和。
地球の暮らし方の智恵。
ヨガや古神道の芯でもある。
ベクトルは調和力。
その先に大和がある。

もう一つのヤマト。
嘗て地球の危機に海底から宇宙に飛び出した。
節操の無い船、ヤマト。
海用の形なのに空を飛ぶ。
航空力学など無視するところが好きだ。

途中からワープするのも好きだ。
コツコツ努力しないで目的に向かう。
ワシの生き方にあっている。
まぁ、ワープしても苦労はあるけどねぇ・・・

ワシのホームページのコラム3。
2005年5月に書いた雑記がある。
「ワープ」と「佐渡先生」がヤマトに関係している。
今読み返しても、まぁ面白い。
ワシはワシが面白ければいいのだ。

ワープは固定概念から飛び出た分だけ移動できる。
どこまでも自由にワープはできない。
飛ぶから跳ぶに変わる。
だが、意識が限度を作る。
ワシの仕事能力の質と使える範囲も同じだ。

ワシの能力はコツコツ努力して増やせない。
ある時、ワープして次の階段に立つ。
あるいは、崖から向こう側に跳ぶ。
まぁ、落ちなければ、の話だ。
悪運が強いのか、まだ落ちていないようだ・・・

技術なら伸ばせる。
努力と根性で伸ばせる。
質がアナログ(連続体)だからだ。
人間の暮らしもアナログだ。
通常の仕事はアナログだ。
だから、通常社会は努力すると伸びる。

ワープはデジタル(断続)だ。
道が繋がっているわけじゃない。
イキナリ、ある地点に到達する。
それは意識の世界だ。
意識はデジタルの仕組みだ。
だから、冥想や禅はデジタルだ。

努力にこだわると、ワープはできない。
力では使えない。
意識の切り替えまでのジタバタはある。
それを努力や精進だと勘違いする。
捨てるのに未練があるだけなのだが・・・

ワシの治療法はワープで得る。
治療法がイキナリ広がるのだ。
すると、回復もワープする。
回復が跳ぶのだ。
だから常識でありえない事も起こる。

ワープできると、影響力もワープする。
ヤマトはイスカンダルまでワープした。
限界があるから、幾度もワープしたが・・・
帰りもワープしてきた。
ワープできるようになる事が意味を持つ。

コスモクリーナー(地球浄化装置)がワープの原理だ。
ワープできる能力がないと使えないのだ。
ワープで浄化しなくては間に合わない。
地球の放射能汚染は時間が無い。
努力している間に生物は死滅するのだ。
厳しい状況の病の回復はワープしなくては間に合わない。

ワープ(デジタル・断続)は調和になるか?

通常、自然はアナログ(連続)で調和力が働く。
自然は変化と調和力による安定への繰り返しだ。
繰り返して、徐々に変化する。
時間と調和による変化は切り離せない。

ところがワープは時間(空間)を跳ぶ。
それでも調和して着地する。
調和できなければワープもできない。
ワープ失敗による原子分解はないのだ。
ワープの失敗は、ワープができないのだから変化なし。

目的地にワープできなくても、ワープできたなら成功だ。
断続の跳躍だ。
だから計算道理にワープする、という設定は無理がある。
だが、方向性は決められる。
目的地でなくても、目的方向へはワープできるのだ。

空間の歪みを活用してワープする。
SF創作では多いパターンだ。
座標点を入力して、エネルギーで空間を歪ませる。
それは、かなりムチャクチャだと思うぞ。
(ムチャクチャな設定は好きだけど・・・)

空間の歪みでのワープでは、何処に着くか不明だ。
こちら側での歪みなのだ。
こちら側から座標点に歪みは作れない。
座標点の調和を乱す事はできない仕組みだ。
この方法は現実的には使えないのだ。

ワープは相手側(目標点)に侵入する事ではない。
イキナリの侵入は調和が乱れる。
自然はそういう侵入は起こらない仕組みだ。
ワープは、相手側の許可(調和)があり可能だ。
こちら側と相手側の周波数が一致しなければ存在できない。

ワープは調和が条件ともいえる。
ワープの別面。
シンクロニシティがある。
共時性というヤツだ。
これは、ワープされた側からの見方だ。

イキナリ事が起こる。
もしかしたら、と思っている事が起こる。
因果が共時するのだ。
過去と未来が現在に起こる。
それが共時性(シンクロニシティ)だ。

時間、空間を跳ぶ出来事。
ワープとシンクロニシティが同じ仕組みと説明している。
小さな共時性は各自が体験しているはずだ。
そうでないと、生き続けられない。
だが共時性は普通だが、ワープ経験者は少ない。

ワープは本人が跳ぶ。
出来事が跳んでくる共時性とは立場が違う。
未来に存在できる条件が備わって跳ぶ。
常識や固定概念があると跳べないのだ。
だからマトモな人はワープできない。

常識を外すことが無理なくできる。
時間や空間を無視しても平気だ。
努力や精進で目的地に行くのは違和感がある。
そういうヘンなヤツでないとワープに向かない。

異世界にイキナリ入っても馴染める。
異世界と衝突しない。
それは調和力が大きいという意味でもある。
そして、本人がブレないという長所でもある。
同時に本人に、こだわらない。
本当の自立は共生(調和)と一体でもあるのだよ。

自立できるなら、ワープなどどうでもいい。
本当の自立が調和の先の大和(ヤマト)だ。
自立は精神が上等という事ではない。
魂の向上などとは関係ない。
当たり前が染み付いていればいい。

人間種が落ちるところまで落ちた。
自分達だけが絶滅するなら誰もモンクない。
当然だ。
だが地球の他の生物まで巻き添えにする。
それにはモンクも出るだろう。

だからヤマトが発進したのだ。
地球環境を救えるのは、ヤマト(大和)だけだ。
当たり前だけど。
調和以外に地球環境が復元できるはずがない。
そして、ヤマトに乗るには自立しかない。

自立できなければワープは使えない。
他の時間、空間に出現するのだ。
違和が無いから出現できる。
ヤマトは結構マトモなのだ。
当たり前ができる存在なのだ。

ワシは当たり前が半分くらいしか出来ない。
世間の常識から外れている分しかマトモじゃない。
まだまだ常識を固定概念としている。
だからワシが自立しているわけじゃない。

だが扱う「氣」とその効果はワープだ。
「ワシの氣」や「ワシの技術」じゃないから出来る。
ワシは縁のある「この氣」によって、半人前でいられる。
半分の存在を許されている。
だから駄文でもヤマトを伝える。

人類を救えるのはヤマト(大和)だけ。
手法はワープだろう。
各国政府の取り決めるタワゴト。
○○年までの数値目標などでは絶滅だろう。
まぁ、それさえクリアなんて出来ないだろうけど・・・
超ワガママな某アメリカと某中国が反対してるし・・・

人類が生きていられる環境に戻すのは時間が少ないのだ。
のんびり戻す時間はない。
だから不可能じゃないが、通常方法では間に合わない。
時間や空間を跳び越えるワープ方式じゃないと間に合わない。

各国全員一致での取り決めなどというのはタワゴトなのだ。
今跳びだすヤマトだけが、救いとなる。
といって、マジメな乗組員ではワープできない。
佐渡船医のようなリーダーが必要だ。
艦長ではなく、船医(メディスンマン)が必要だ。

人間種を特別視しない。
というか、他と区別しない。
というか、区別意識がない。
区別が無いから差別も無い。

違いは認める。
当たり前だ。
違いを認めても区別しない。
同じ地球の上で、区別しない。
区別できない。
当たり前だ。

そういう見方をワンネスという。
一体という。
生物だけじゃない。
植物も鉱物も同じと見る。
それが、メディスンマンだ。

一体(ワンネス)を自覚。
するとワープが可能になる。
一体だから時間、空間を跳んでも自然なのだ。
調和を乱さないのだ。

人類種の未来は、一体を自覚するか否かにかかっている。
現状からの推察は絶望的だ。
どの国でも、マトモ(当たり前)の政治家がいない。
い、いや、いるかもしれないが政権はとってない。
方針を決める官僚、力のある財界にマトモがいるとも思えぬ。

それでも希望はある。
ヤマト乗組員は一般人だ。
政治家でも官僚でも財界人でもない。
ヤマトはマトモな人間が乗るのだ。

一般人だから希望が持てる。
政治家は絶望が持てる。
厳しい意見じゃないぞ。
皮肉でもないぞ。
単なる現状の事実だ。
もし、マトモな政治家や官僚がいるなら、
早急に地球環境を変えてみろ!

ヤマトは一般人だから動かせる。
一般人だからマトモに近い。
地球環境を整えるのに利権は関係ない。
アレコレと思惑をしなくていい。
真っ直ぐ、元に戻す事に専念できる。

人間種の一般人なら誰でも参加できる。
本来、その血の中に誰でも持っているヤマトだ。
日本人は、その中でも恵まれている。
大和の血は、特に濃く流れているようだ。
まぁ、現代は忘れている人だらけだけど・・・・

ヤマト魂はナショナリズムとは違う。
ヤマトは、そんなチンケな象徴じゃない。
地球全体、宇宙全体の仕組みがヤマトなのだ。
どの地域でも古から、当たり前の事なのだ。
日本人固有の魂じゃない。

日本には表情豊かな自然があった。
それを愛でる心根があった。
八百万の神として、畏敬する伝統があった。
全てと仲良くする魂が濃かった。
それを、ヤマト魂といった。

国家を一つにして、何かを企てる為の象徴じゃない。
それは、本来のヤマト魂の逆なのだ。
そんな事さえ理解できない為政者だ。
その結果の今の地球だ。
本当のヤマトが必要なのだ。
しかも、至急。

日本は和と表される。
和の意味は調和だ。
日本は調和を基とした国だった。
それだけではない。
和の先、大和という哲学まで行き着いた。

古(いにしえ)の日本はマトモだった。
大和という国名を冠にした。
(神武系の侵略者が意図した名かもしれないが)
大和という思想があった。
そして、美しい国だった。

もちろん、当時から争いはあった。
不良品の人間同士だもの。
だが、自然とは和の国だった。
人以外の自然とは大和だったのだ。

人以外の自然との調和は当たり前だった。
日本以外の地でも当たり前だった。
古(いにしえ)は智恵で生活していたのだ。
文明だ、科学力だなどと、愚かではなかった。
愚かは人同士だけだった。

どの地にもいた原住民といわれる古の民。
自然から学び、その先の大和までたどり着いた。
例えば、ネイティブアメリカン。
例えば、アボリジニ。
例えば、アイヌ。
未来まで続く道を知っていた。

未来に行けるのはヤマトだけ。
ヤマトを知る民族が主導すれば可能性はある。
まだ、可能性は残っている。
ヤマトには、ワープという方法がある。



  暮れ・1〜14
12/18〜12/31


今年もあと数日で暮れる。
21世紀になってから、もう10年も経ってしまった。
この10年間で何が変わったろう。
どう変える事ができたろう。
どう、生きてきたのか?

ワシは常日頃振り返らないようにしてきた。
生きるのは未来。
今から先だけが重要だと思っている。
過去がどうあれ、未来は開けると思っている。

時間、経験の因果で未来を作る人もいる。
未来の作り方は好きでいい。
ワシは未来は作るのではなく、創るのだと思っている。
だから、過去の影響なしで創れると思っている。
未来は時間の連鎖の外にある。

過去が未来を作る方法もある。
過去が未来に関与しない方法もある。
因果律にしばられるだけが、この世の仕組みじゃない。
しばる、しばられるのは趣味の問題だ。
とはいえ、ほとんどの有識者は因果律にこだわるなぁ・・・

過去が未来に関与しなければ、過去の存在価値は何処にある。
ア、アタシなんて、どうでもいいのね・・・
まぁ、どうでもいいっていえば、どうでもいい・・・
過ぎてしまったんだもんなぁ・・・
時間は一方通行だし。

だが心優しいワシは、過去も大切にする。
過去は、愉しむ為にある。
嬉しい事、恥ずかしい事、悲しい事。
これらは、デジタル(断続)の仕組みだ。
経験、研鑽、体験、積み重ね。
これらは、アナログ(連続)の仕組みだ。

未来に反映したければ、すればいい。
未来と関係しなくても、愉しめる。
単なる懐古でなく、もう一人の自分が愉しめばいい。
自分を離れた、もう一人の自分。
すると、過去の全てが微笑ましくなる。

悲しい事も、悔しい事も、辛い事も愉しめる。
自分を離れれば、懸命にいきている人間の出来事だ。
可愛いに決まっている。
微笑ましいに決まっている。
愛おしいに決まっている。

過去は、生物として生きてきた事実だ。
生きていた事実だ。
ならば、可愛いし、微笑ましいし、愛おしい。
未来に役立てなくても充分なのだ。
過去があっただけで、充分なのだ。

アナログの仕組みとデジタルの仕組み。
それぞれの活用法は違う。
だが、活用しなければ関係ない。
過去が作られただけで賞賛に値する。
未来への活用法は趣味ですればいい。

未来は今から新たに創ればいい。
過去はあったという事実だけでいい。
過去の内容など問題ではない。
いろいろあって、当たり前なのだ。
多種多様で、自然なのだ。

とりあえず、今がある。
今があるなら、過去がある。
今があっても、未来は不明だ。
誰にも未来は不定不明なのだ。
だが、誰にも過去だけはある。
この世界を創ったグレートサムシング。
通称グレちゃんは超優しい。
誰にでもある過去に価値をつけた。
今が存在するなら、過去は誰にでもあるのだ。

宗教や道徳思想、成功セミナー等ゴマンとある。
幸せな未来、輝く未来、安心する未来を謳う。
こうすれば、アナタの未来は素敵になる・・・
未来は、誰も確定していないのに・・・
イキナリ、終わる人生が多いのに・・・

理解して言ってるなら詐欺。
知らないで煽っているなら無知。
自分の体験を他に当てはめようとするのは無謀なのになぁ・・・
未来は不確定だから未来なのだ。
それより、過去の全てを賞賛しようぜ。

過去とはいえ、いちいち覚えてない。
昨日の晩御飯の内容だって覚えてない。
区切りで範囲を狭くして、思い出す。
一年の区切りとして、この暮れがある。
バタバタ走り回るのが暮れじゃない。

未来は希望として生命力の活性に使える。
だが、惨めな未来を想像しては活性にならない。
必ず、素敵な未来でなくてはならないのだ。
未来の事実は未だ来ないのだが・・・
だから、未来はニセモノ。

過去は生きている事実に感謝できる。
どんな内容でもいいのだ。
過去は事実だ。
ウソだらけの過去でも事実だ。
だから、過去はホンモノ。

素敵な未来ばかりを煽っている人達。
政治家も役人も経営者も宗教関係者も諸々も。
ダメじゃん・・・
デタラメじゃん・・・
個人の未来は誰にもわからない。

同じ人達が、過去の感謝を示していたら・・・
この世はかなりマトモに素敵な世界になったろう。
どんなに魅力的な言葉でも、未来だけを煽るなら落第。
生きてきた過去を褒めるなら、聞く耳を持とう。
人の見分け方だ。

自分も同じ。
未来ばかりを目指す癖を開放しよう。
良悪の判断から自由になろう。
生きていれば、立派なもんだ。
暮れが来れば、立派なもんだ。

書いていて、ワシも目からウロコが落ちた。
ワシは未来志向だった。
過去や現在はどうでも、未来がよくなればいい。
そう本気で思っていた。

だからツキの研究。
棚からぼた餅。
先の健康、先の幸福。
ダメじゃん・・・
愚かじゃん・・・

超優しいグレちゃんの仕組みだ。
人間の考え、思いより、遥かに深く広く優しい。
そうすれば解けたのに・・・
何故、過去があるか、が解けたのに・・・
まぁ、いいや。
年齢は関係ない。

何故過去があるのか?
考えた事がなかった。
未来がない事にも気づかなかった。
存在は、今の一瞬だけ。

この世の時間は一方通行。
だから、机上論では過去、現在、未来が書ける。
現在を0地点として、過去と未来に区別できる。
だが、事実は過去しかないのだ。
現在は動いている時間にはつかまえられない。

過去からなら、未来はある。
時間軸の元側からみて、先側は全て未来だ。
だが、現在から未来はない。
予測は可能だが、未来は不明であり不定だ。
可能性として、ある、といいね・・・

暮れというのは、過去を振り返る区切りだ。
この一年の過去を振り返る区切りだ。
吉兆じゃない。
良悪じゃない。
幸不幸じゃない。

一年も生きてきたのだ。
いろいろ有って当然。
いろいろと会って当然。
イロイロとも合って当然。
全て、生きてこられた証だ。

過去がこれほど大切だとは気づかなかった。
今の生き方が大切なのは解る。
生の操縦は、今、しかできない。
だが、結果は全て平等に尊いのだ。

生きてきた年月の長さ比べではない。
何歳で亡くなるかは、神のみぞ知る。
個の生に比較は意味を成さない。
人と人も、人と人以外も比較できない。
尊いという点では、等しく同じだ。

それでも過去の長い生物は尊敬に値する。
それは比較ではなく、自然だ。
生物だけではない。
存在する全てが尊敬に値する。
例えば、地球の46億年などはスゴイぞ。

同じ人間種なら。
年長者は、年長という事実だけでスゴイ。
何を成したか、なんてどうでもいい。
社会的評価など、屁のようなものだ。
マトモに論じれば、かなり臭い・・・
じいちゃん、ばあちゃんは、それだけで尊敬なのだ。

ワシの指標。
そして、オススメの生き方。
「う・あ・き的生き方」
浮気的生き方じゃないぞ。
それは、それで中々意味深く話せるが・・・

う:嬉しい
あ:明るく
き:気持ちよく

指標は歩く方向だ。
どうせ歩くなら、好きな方向へ。
だが、人生は自分勝手に歩けない。
悲しく、苦しく、辛い事もある。
それが強く長く続く事もある。
それでも、過去なら尊敬に値する。

指標は未だ見ぬ道の先への行き方。
そして、生き方。
それぞれで、いろいろな指標があるだろう。
努力と根性で結果を求める生き方だってある。
流れ行くまま、どうでもなれ、という生き方もある。

ワシは「う・あ・き的生き方」が好みなだけだ。
どんな生き方をしようが、それは自由だ。
神様でさえ干渉しないのに、同じ人間が干渉するのはオコガマシイ。
エラソウに説教的に生き方を指導するのは、胡散臭い。
そして、少し恥ずかしい・・・

どんな生き方をしようが、過去という事実が出来る。
過去が出来たなら、それは賞賛モノだ。
人間社会的には賞賛できない内容でも、立派なモノなのだ。
生命を任せられた、というのは、賞賛以外にする事がない。
こんなワシだって賞賛されるのだ。
ならば、アナタは大賞賛だぜぃ!

大晦日という年の暮れ。
今年一年、振り返る・・・
振り返っても、大して思い出せない。
それでもいいのだ。

重要なのは、大晦日を迎えられた事実。
この一年の内容、質、成果ではない。
生きて、一年を過ごした事実。
喜び、悲しみ、あせり、怒り、困り、愉しみ。
多種多様な出来事を体験した事実。

ワシはエライ!
暮れを迎えられたのだ。
とても、エライ!
アナタもエライ!
とても、エライ!
この事実だけで、佳き年を迎えられる。
一年、ありがとう。




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