第 十 五 章 自 由 と 平 等 と 平 和
自由
御筆様: 自由と平等と平和の意味を解明せずに力で主張したために、今まで多くの苦しみがありました。
それぞれ単独の言葉からの波動は精妙で優しいものなのに、自由のための戦いや、平等を勝ち取る争い、果ては平和への戦争が繰り返されていました。
アッシ: いくらハチャメチャが好きなアッシでも、平和への戦争は笑えないねえ。
強欲と無知と破壊感情の合体した意志は止めどが無いんだ。おまけにマジメな性格が加わるから手に負えねえ。「愚か」なんてカワイイもんじゃないぜ。
御筆様: 自由と平等を自分のものにしたがる強い欲があったのです。自分のものにできる対象という無知があったのです。相手から意志(力)で取れるものだと考え違えをしていたのです。
それを別の欲の意識体が「正義」という言葉を使って扇動するのです。
強い欲があると観る事ができなくなり、幻を追っていくのです。この次元では幻は力を持ち、主張が主義になり、それにそったシステムを創り、合わないものと争うのです。
アッシ: ギャグが姿を消す世の中はやばいんだ。ギャングはポリスが姿を現すとやばいんだ。ポリスが増える世の中もやばいんだ。
妖怪と仲良く暮らせる世の中がボクの願いさ(ゲゲゲの鬼太郎、談)。
御筆様: 自由とは魂のもっている意志の方向性です。魂は性質として進化の方に向かいたがるのですが、その時に実際に進もうとする方向は自由なのです。
しかし、魂本体が自由自在ではなく、もちろん肉体が自由自在でもありません。
どのような方面にも向かおうとする意志は自由であっても、自由に動けるわけではありません。わざわざ自由に動けない「場」を選んで、進化の方法としているのがこの次元なのです。
アッシ: アメリカに行こうと歩きだすのは自由だけれど、到達できるかどうかは分からない。海もあるしパスポートの問題もあるし。根性は無いし努力は嫌いだし。腹がへるから食べ物を探すのが先決だし。美人が通るから後をつけちゃうし。警察に捕まりブタ箱に入れられちゃうし。それでもアメリカに行こうとするのは自由だという事だね。
もちろん、気が変わってインドに向かうのも自由だけどね。
なんでもありだ(寒山、談)。
己? そんなものあるか(拾得、談)。
アッシ: 狂と自由の違いは、調和に向かっているか、調和を乱しているか、によるらしいよ。行動だけ見ていたのじゃ区別がつかないね。
御筆様: 魂は「神」に融(解)けたくて、「空」になりたくて、肉体や光体という不自由ではあるけど力のある体を借りて、意志の自由を使って不自由を超える事を学んでいるのです。
不自由の意味を理解しようとするのです。大きな不自由の条件があるほど大きな進化のチャンスでもあるのです。
「神」は自由という概念を超えてしまっています。魂は自由が目的では無いのです。自由という属性は初めから持っているのです。
自由は使うためにあるのです。
アッシ: 不自由は不必要という事じゃないよ。不自由は重要という事さ。不自由を味わってこそ本当の快感が訪れるのだよ。
縛ってあげる。こわくないから。さあ、おいで。
御筆様: 心は本質が固まり、つまり不自由なので、本当の自由になると消えてしまいます。
心が求めている自由は我の主張なのです。他を不自由にして自分の「こだわり」を好きなように通したい「思い」を自由と考え違いしているのです。
求める自由は「こだわり」の偽自由。真の自由は魂にすでに備わっていたのです。
今生、つまり今回の時間と肉体にこだわると、偽自由を追いかけてしまいます。
アッシ: そんなこと言ったって「思い通りの人生」にしたい。
うなる金。あふれる才能。輝く美貌。鋼鉄の体。永遠のバカさじゃなくて若さ。幸運につぐ幸運。人も物も思いのまま。不可能なんてありゃしない。
アッシは素晴らしい。アッシは美しい。アッシは強い。アッシは正しい。アッシは・・・どうやらアホらしい。
笑い事じゃないよ。アッシとあなたに大きな違いなんてないんだから。
平等
御筆様: 平等とは調和の波動がすべてに染み込んでいる「状態」を現した言葉です。つまり、神の領域であり、人間が扱うべき問題ではありません。すでに与えられている「状態」をどのように動かすつもりなのでしょう。
アッシ: アッシは知っている。平等を主張する人の心が荒れているのを。
アッシは知っているぞ。今より悪条件の平等を主張しない事を。
アッシは知っているんだから。人間の事しか平等に含めないのを。
御筆様: 一定の条件をすべてに等しくなど、無理強い以外の何物でもありません。どんな条件にもなれる機会、可能性を等しくするもの(アメリカンドリームといわれるチャンス)は、他へのサポートという、本来学ぶために来た存在理由の反対側に行ってしまう結果になりやすいのです。まして、現状を認めないで、平等であるべき、などというのは論外です。
アッシ: だけどねえ、虐げられている身にもなってごらん。つらいんだから。平等という言葉の意味がどうであろうとも、現状は変えたいわけよ。
御筆様: 現状は常に変わっています。変えたくないのは支配しようとする心なのです。
確かに他を押さえつけようとする心を、自他の区別なく静めていくのは、この世に生まれて来た大きな目的の一つなのです。
しかし、それと自由と平等を主張する事は別なのです。むしろ、自由と平等を理解する事が、荒れた心を修正する優れた方法なのです。
アッシ: 自由の女神と平等の男神。合体。生まれた子供が人間なんだってさ。
自由の女神は魂。平等の男神は肉体(神)。人間の両親ってすごいんだぜ。ま、たいてい親がすごいと子はだめになるものさ。ワッハッハ。
御筆様: ここに魂の自由と「神」の平等の接点の妙があります。魂の自由な方向の一点が「神」の平等の質(調和)と一致すると、「幸せ」が起こるのです。正しく表現すれば、平等は状態なので、「幸せ」が最初からある事に気がつくのです。
「幸せ」は肉体的には「快」や「おいしい」や「気持ちいい」になり、感情的には「嬉しい」「ありがたい」になります。
つまり、自由な魂の道標が「幸せ」であり、それはどんな魂にも用意されている現状態が平等なのです。
アッシ: そんな解りずらい表現をしなくても「気持ち良く暮らしな」と言えばいいじゃない。「教え」とか経典とか、故意に解らないように解説してるのかなあ。
解説と解脱って字が似ている。解脱って帯を解いて脱いでいく事。ストリップなんだ。じゃあ薄汚い髭モジャのヌードなんてマッピラだぁ。
平和
御筆様: この次元における平和とは、争いや急変する事が無い状態を示すわけではありません。
この次元は時間に影響を強く受けます。特に物質界はなおさらです。魂や物質が止まって(本来の役を行っていない)いても、時は一方向に流れています。
その状態は魂や物質が逆方向に進んでいると表現できます。つまり、魂は退化方向に、物質は腐食方向になるわけです。
アッシ: 歴史の推移における意識波動の周波数を人間界を基軸にして、時間軸と空間軸の座標点を求めて、特殊相対性理論にサイコ・サイバネティックスシステムを使用すると、零点エネルギーが重力場に及ぼす影響から出発して、魂と物質の逆進化現象は、量子物理学から特殊量子理論、靴ひも理論、超ひも理論を経て新特殊カオス理論まで進まざるをえない。
したがって、真理を求める学者達の大脳新皮質と海馬体の新波動方程式におけるハチャメチャ同調現象が起因し、書いている本人をジグザグスパイラル宇宙論へと巻き込んでいき、一体アッシは何を言いたいのだろうという壮大なわけのわかんない文章表現へと変化するわけである。つ、疲かれた〜。
疲れるのは「意味のない行い」という教えである。ありがたや(維摩居士、談)。
御筆様: 物質は生成、分解の繰り返しなので、何もしないと存在できなくなります。
魂はすべてに融(解)ける事を目的としていますので、停滞すればますます固くなり、鈍化、不純化になります。具体的には、汚れ、腐っていくのです。
アッシ: え〜。動くの嫌いなアッシは、汚れて腐って無くなっちゃうの。メンドウだから風呂に入らないだけだし、下着は取り替えないだけだし、歯は磨かないだけだし、それのどこが悪いっていうの? みんな〜、なぜ逃げるんだよ〜。
御筆様: 何もないのが平ら(丸いという意味、平和)では無く、常に自らが動き、しかも自然の法則に従った流れ方をすると、平和になるのです。
自然の法則は調和の法則です。積極的な和への参加なのです。
アッシ: 和への参加より、我への賛歌が圧倒的。ワッハッハ。
宇宙の平和は夫婦の和からじゃ(出口ナオ、談)。
アッシ: 和は輪であり円でも縁でも会でも合でも愛でも解でも融でもナンデモアリジヤ。
御筆様: 平和には自由と平等が係わってきます。他の魂たちを活かそうとする積極的な行い、自由な魂の進化方向の行いが平和という「場」をつくるのです。
そして、平和には 「幸せ」が必ずセットになっていて、誰でも、どこでも、いつでも平等が与えられているのです。
非物質界でも魂たちの進化への行いができないわけではありませんので、平和もあるのですが、多種多様の魂たちへ積極的に交じる事ができる「この世」といわれる物質界こそ平和にふさわしい「場」なのです。
アッシ: 平和の本来の意味はそうかも知れないけど、アッシのようなタークラモノが生きていられるだけでも平和だと思うよ。
平和には感謝がつきものだね。感謝には幸せがつきものだし、幸せには心の静まりがつきものなんだ。
「つきもの」は月のもの。じゃあ、太陽のものもあるんだ。
それはね、心が静まると、「ありのまま」が観えるんだ。蟻のママじゃないよ。「ありのまま」が観えると、幻に囲まれた対象の純粋な事実だけと接する事ができて、自分との係わり方が調和に向かって変わるんだ。
それが「愛」と呼ばれる行いでもあるんだって。「愛」の行いがある「場」が平和というわけさ。これで一巡り。メデタシ、メデタシ。
御筆様: 自由は魂の発する「意志」
平等は神から与えられている「状態」
平和は魂たちの積極的な進化への行いの「場」
それぞれ係わりはありますが、人間が求めていけるのは平和だけなのです。
まとめ
@ 自由は魂の意志の方向性である。
A 自由に目覚めるために、不自由な物質界にいる。
B 平等は「神」の質から観た、この次元の状態である。
C 魂の自由が「神」の平等に一致すると「幸せ」になる。
D 平和は積極的な魂の進化への行いの「場」である。
E 人間が求めていけるのは平和のみである。
無責任な注釈
[ゲゲゲの鬼太郎]
妖怪は通常、亜空間にいる。形はバラエティーだが、人間と変わらないみたいだよ。
[寒山・拾得]
伝説の詩僧。実在人かどうか不明。吾人なのか狂人なのか、自由人なのか我がまま人なのか不明。なんだっていいんだろうなあ。
[維摩居士]
僧ではない。大金持ちである。在家のかがみ。
[出口ナオ]
大本教の開祖。いきなり神さまが降りちゃって大変だったろうなあ。しかも、ナオさんはマジメらしいから、ナオ大変。あっ、ダジャレになった。