第 二 十 一 章   健 康

 

      健体・康心

 

御筆様: 肉体の健やかさと心の康らかさが一緒の状態を健康と名付けていました。

 健やかとは、強固ということではなく、しなやかということです。真っすぐ伸びた強い杉ではありません。小風には動かず、大風には揺れるけど速やかに元に戻れる竹の性質をもつものです。

 康らかとは、荒れてない、あるいは乱れてもすぐに静まる姿勢を顕した言葉です。

アッシ: 病気じゃなければ健康とか、見かけが元気に行動していれば健康とか思っちゃうよね。スポーツ選手は皆健康だと思ったら大間違い。体も心もけっこうガタガタだぜ。

 スポーツは単純に良い事なんて信じないでね。勝負にこだわると乱暴になるし、根性も陰険になるし。体にとっても、魂にとっても、害になる反面があるってことをもっと認識したほうがいいよ。

 健体、康心のモデルは子供達なんだ。力の強さじゃないんだぜ。

御筆様: 病気はメッセージを含んだこの世のシステムなのですが、健康は魂の姿勢であり、同時に状態でもあるのです。あるいは、目標像なのかもしれません。

したがって、必ずしも病気の反対側が健康というわけではありません。病気と健康が同時の場合があるのです。

 病気は解放すべき個別の心を対象として現れますが、健康は個別の体と魂によって無限段階のレベルがあるのです。

アッシ: 誰でも、いつでも、どんな状態でも健康になれるってわけか。さらにその先にも、レベルの上がった健康が幾つも用意されているんだ。一つの固定化された健康体モデルばかり追いかけてしまうと、なかなか健康になれないと思い込んでしまうよね。

  健全なる肉体と健全なる精神。もし一致したらオリンポスにおいでよ(アポロン、談)。

アッシ: ホントは健全な肉体と健全な精神以外は無いんだ。だけど、不健全な使い方と「気づき」が足りないから人間界にいるんだ。

 

御筆様: ここでは健康に新たなる定義をしていきます。

 肉体はもともと完全反応体(神の現れ)なので、魂(我々)は一方的に教わる事しかできません。健やかも、強さも関係ないのです。

魂が解決できる問題があった時や、何らかの必要があった時に、肉体に変化として現れてくれるのです。ですから、肉体を健やかにするのが目的ではありません。

アッシ: どんな肉体だって魂よりず〜とエライんだぜ。エライからこそ、ロクデナシの「心」

や未発達の「魂」の家としてこの物質界にいらっしゃるわけだ。

たまには尊敬しろよな。

  体への感謝から健康が始まるわ(ヒュギエイア、談)。 

アッシ:  一度でいい。お目にかかりたい。できれば触りたい。ヒュギエイアさま〜。

 

御筆様: 人間の魂はまどろんでいます。遥か昔から、個性を味わい活かして、やがて「神」に溶(解)けることが存在理由の魂は、同一状態の健康を目指しません。これまでいわれていた健康と魂は結びつかないのです。

アッシ: 人間の魂は、まどろむ、というほど格好良いもんじゃない。寝ぼけているんだ。もちろん、ほとんど目覚めている魂だっているけど、そういう人はこんなもの読まない。

ここまで読んでるアンタは立派な大ボケさん。怒ったってもう遅い。ワッハッハ。

御筆様: 心は康らかになると消えてしまいます。同様に健やかになることもありえません。だから、健康とは肉体、(これまでの)魂、心の事ではないのです。

 健全な肉体と健全な精神は、最初から最後まで人間に備わっていたのです。健全な心はありえません。歪みが心ですから。

アッシ: 歪んだ心があるから、健康になりたいという自分勝手な欲が出てくるのさ。それにしても、健康が体や心の事じゃないなんて、ムボーな説だと思わない?

  僕は無謀な計画をする冒険家じゃない。人一倍臆病な自分を、大自然の中にそっと溶け込ませてみたいだけなんだ(メスナー、談)。

 


      健康は指針?

 

御筆様: 健康は波動のバロメーターで、調和の度合いを示すものです。

 人類のように、他の魂たちや「場」に大きな影響を与える立場になった時に必要になる概念なのです。しかも、正に今の人類のように、どちらに進むのか微妙な時期こそ健康の真の意味を理解し、指針として活用するのです。

もちろん、針のどちらが良いとか悪いとかはありません。今の自分の、あるいは人間の位置を確かめるものです。

アッシ: し、知らなかった。他の人のことまで解らないけど、アッシは結構ショックです。健康については自分なりの意見があったのに、まったく崩れてしまったよ〜。

 解りづらい表現だけど、ペンさんの解説はすごい。ああ、自信喪失と自画自賛がフラッシュバックしている。

えっ、オマエの方が解りづらいって。ワッハッハ。そんなに褒めないで。

御筆様: 健やかで同時に康らかな波動とは、積極的に他への働きかけがあるものです。自分だけの問題ではありません。しかも、それは「やすらぎ」や「調和」の質をもった意志があるのです。

 別な表現では「平和」という「場」を創る波動のことだったのです。我々人類は、やっと「平和」を創れる指針が見つかったのです。

アッシ: え〜。そういうふうに展開していくの? 健康と平和は夫婦だったわけだね。今までは病気と不倫をしていたのか。

 静かなる事林の如しが、燃え上がる事火の如し、不倫かあさん(風林火山)。なんちゃって。えっ、不マジメだ? 

 ここで久々にクエスチョンです。

 @ 不倫が不マジメ。 A ギャグが不マジメ。 B この場面でオチャラケるのが不マジメ。 C 作者が不マジメ。 四択です。

 不マジメはマジメでないという単なる状態だから、悪いわけじゃないよ。不マジメに出会った時、怒る感情になる人と、笑っちゃう人の違いは大きいぜ。

御筆様: 健康になるとは、個や限られたスペースが活性化することではなく、何処までも果ての無い「場」創りに参加する意思表示だったのです。全存在を対象とした、理解度の方向です。

 地球人意識から宇宙人意志へ転換するキーワードでもあるのです。

アッシ: 健康が宇宙人意志までいっちゃうの? まいったなあ。ユニークだとは思っていたけど、そこまで言い切っちゃうと誰もついていかないよ。あっ、最初から誰もいなかった。

 裸の王様には民衆は誰もついていきません。でも裸の王女様には男達がゾロゾロついていきました。ギリシャ彫刻のような裸の王子様には女達がこぞってついていきました。メデタシ、メデタシ。とても健康的な童話です。

御筆様: 健康の反対が病気ではないのですが、根本的に病気が消える世界とは、魂の目覚めによって健康を目指す世界の幕開けでもあったのです。

 健康という面から観ても、心の役割が終わりにきた時代になったのです。心が消えると健康が始まるのです。病気にも心にもとらわれず、真の健康への行いをする時代になったのです。

アッシ: 健康は魂の方向性に関するものだから、病気であろうと病体であろうと気にしないでね。病気や病体は心や体と対応しているけど、いずれ無くなっちゃうから。

 この本の副題でもある「心」から「魂」へ、という時代は「魂」が中心なんだ。「魂」

の目覚めが始まる時代なんだってさ。今生だけじゃなく、「神」に溶けるまで続く道の明りとして健康があるんだって。

  健康は歩いちゃこない、だから歩いて行くんだね(作者、談)。

 アッシ: これ、前にやったパロディと同じパターンだ。才能ねえなあ。だけど内容は本当なんだぜ。

他のもの(人、食べ物、器具、方法)にしがみついたり、頼ったりじゃあ健康とはいえない。かかわりがあっても、歩くのは本人だけなんだ。人間の段階では、まだ積極的な意志が必要なんだ。

御筆様: 病気が過去を意識してしまうなら、今いわれている健康は現在にこだわったものであり、本当の健康は未来を見つめるものなのです。

 病気が体にこだわったものなら、今いわれている健康は心を加えたものであり、本当の健康は目覚めの魂が主体になるものなのです。

 病気が自分だけを考えたものなら、今いわれている健康は他にまで意識を広げたものであり、本当の健康は「神」と意識を結ぶものなのです。

アッシ: 魂のレベルはいろいろあるんだけど、みんなで健康を目指さす時代が始まってきたんだってさ。

地球さんが変わっちゃったんだから、それが好きも嫌いも関係ないんだ。モンクがあったら地球さんから降りてくれ、というわけでもないだろうけど。まあ、本当の個性の自覚のためにも、一人一人が真の健康に向かうことになっちゃったんだ。

  青年は荒野をめざし、悪人は牢屋をめざす(保安官、談)。

 青年は広野をめざし、中年は深海をめざす(カント、談)。

 病気を考えれば病気をめざす事になるが、病気に感謝すれば健康をめざす事になる(ワイル博士、談)。

 

御筆様: 魂の目覚めから真の健康が始まるのですから、今いる生活の「場」こそ健康の中心になります。今、その場所から全世界に向けての平和の祈りが健康の始まりなのです。

 そして、「調和」こそが歩いた道程になるのですから、具体的な行動としては体への感謝からすべてへの感謝へ広がっていくのです。

アッシ: あれやこれやと長々書いてきたけど、結局のところ、二人の師匠の教えに戻っちゃったわけか。いつでも、誰にでも、どんな場合でも「ありがとう」と笑いで暮らすのが我々の共通した生き方なんだ。

 易しいような、難しいような、優しいような、厳しいような、絶対積極(自然流)な生き方だね。だけど、最高の充実した生き方になると思うよ。

アッシが言うんじゃ信用できないけど、師匠の言葉は信用できる。

 ありがとう。ありがとう。ワッハッハ。ワッハッハ。

御筆様: 健康に生きることに、これまで書いてきたすべてが集約されてしまいます。この次元のことも、「魂」や「神」のことも、因果や時間のことも含まれるのです。

 それぞれの魂が、それぞれの方法で真の健康に生きていくと、それぞれの段階に応じた気づきがあるのです。

物質界は「行」を優先させる方が自然なので、日々の暮らしを健康に生きることこそ、それぞれのテーマをもって人間として地球に生まれてきた意味を知り、その解決の具体的方法となるのです。

アッシ: 健康って元々ホリスティックなものなんだ。今までの健康観が、個人や時間や空間にとらわれていただけなんだ。肉体や心から、「魂」を中心にした生き方になるのが健康となるわけだね。

 このことが言いたいために、ペンさんはインクを減らして走り回ったんだね。どうも御苦労様。やり直しが効くなら、アッシなんかじゃない人間と組めばよかったのにね。

  何があっても、もう過ぎている(泰然、談)。

 アッシ: だから未来を意識した、今という一瞬が大事なんだ。その生き方が健康なんだね。

  未来は明るい(大日、談)。

 アッシ: あたりまえの事実。あたりまえがありがたい。あたりまえが嬉しいね。

 


     まとめ

 @ 病気はこの世のシステムであるが、健康は魂の姿勢である。

 A 体への感謝から健康が始まる。

 B 健康は調和の指針である。

 C 健康は平和への指針でもある。

 D 健康は宇宙意識への扉でもある。

  E 感謝と笑いが共通した生き方である。

E       健康はすべての行と理解の具体的方法である。

 

    無責任な注釈

  [アポロン]

 ゼウスの息子。太陽神。ハンサム。頭脳明晰。スポーツ万能。明朗活発。芸達者。作者とは正反対だね。

  [ヒュギエイア]

 健康神。輝く美しさ。あふれる優しさ。ナイショだけど、作者の女神さまらしいよ。作者ってけっこうマトモだよね。あっ、誰も賛成してくれない。なんで?

  [メスナー]

 登山家。足を使うと頭がルスになる。だから登山は最高なんだ。

  [カント]

 哲学者。難しそうだから、パス。

  [ワイル博士]

 治癒学の第一人者。医療より健康に重点をおいているらしい。

  [泰然]

 謎の人。作者の双子の兄という説もあるが不明。

  [大日]

 神の擬神化。ややこしいねえ。

 

第二十一章は終りです。ご苦労様でした
続いて第二十二章に進む
また目次に戻って選ぶ