第五章
  色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

「色即是空」
心経で一番有名な言葉だろう。
「色っぽいネェ〜チャンは即ち頭が空だ」
この迷訳も捨てがたい・・・。

だが、ブッちゃんは色っぽいネェ〜チャンを差別しない。
ワシも差別しない。
贔屓もしないけど・・・。
まぁ、色っぽいのは個人的趣味だから、どうでもいい。

ここもマトモに直訳しては心経が活かせない。
第四章で「色不異空・空不異色」と言ったのだ。
話し言葉だということを忘れて訳すと繰り返しになる。
しつこいのは・・・嫌われる。
マジメの繰り返しは・・・うっとうしい。
魅力的なオッサンのブッちゃんやゲンちゃんだぜ。
マジメの押し付けなんざ、するもんかぁ。

「色即是空」の直訳。
「この世(色)は実体が無い(空)」
味気無ぇ・・・。
少し加味しても
「物質界(色)は見えない法則(空)と離れてない」
・・・まわりくどい・・・。

そんな言われ方しても、誰も意味がわからない。
タヌキや妖怪や字も書けない人達に通じない。
通じないような言葉をブッちゃん(仏陀)は言わない。
一部の人達だけが、ウンウンと頷くような狭い経じゃないのだ。

ツマラン直訳はやめようぜ。
せっかくの名文句だ。
ブッちゃんは自信満々に言った。
「この世の出来事は(色)、どうにかなるさぁ〜(空)」

「色即是空」の迷訳は幾つかある。
「色事は空しいもんだ・・・」
色事の達人の言葉かもしれないが、ワシにはようわからん。
それでも「この世(色)は実相界(空)の現れだ」
などという訳より味がある。
味気ない言葉は・・・飽きる。

「安心しろや」
「大丈夫だぁ」
「何とかなるさぁ」
「この世は、結構上手く出来てるぜ」

話し言葉としての「色即是空」だ。
紙上の言葉じゃない。
生きているし、活かしてこそ輝く言葉だ。
字にこだわったら心経は訳せない。
ヒントは、
誰にでも解るように話す。

「色即是空」に続けて話す「空即是色」の言葉。
直訳するから空しくなる。
ブッちゃん(仏陀)は優しい。
どんな訳をしてもアレコレ言ったりしない。
だがワシは(自慢じゃないが)心が狭い。
心が狭い故に、他の訳に首をひねる。
同じような訳を二つ並べていいのかぁ?

「色即是空」はどんな訳し方でもいいとしよう。
だが、だからといって「空即是色」にはならないはずだろ。
訳者も意味が変と思いながら書いているフシがある。
「空」の解釈が幾つかあっても、見えない世界ではある。
それが、即「色」というのは、無理があるだろう。
「色」は「空」の現れの一つにすぎない。

ならば元の「空即是色」が間違っている?
んなこたぁ無ぇ。
心経は冥想で解く経だ。
そして話し言葉で説く経なんだぜ。

話し言葉だから、前の言葉に繋がる。
「この世(色)は何とかなるさぁ(空)」
そう話して、元気付けたのだ。
「何とかなる(空)と思えば、現状(色)も変わるのさ」
ブッちゃん(仏陀)は優しい言葉で話を続けた。

「色即是空」で、この世の仕組みを説いた。
「空即是色」で、実践方法を説いたのだ。
だから同じような言葉を続けたのだ。
話の内容を経として書けば「色即是空・空即是色」になる。
なるけど・・・直訳では経が活きない。

イイカゲン(空)な仕組みだから、何とでもなる。
未来を簡単にあきらめない。
苦しさだって変わる。
病気だって治る。
この世は、確定してない世界だぜ。

誰でも、どんなモノでも生きている。
苦しみから抜け出る事が優先だ。
抜け出る方法を知りたいのだ。
宇宙の真理は・・・趣味でいい。
(言われても、正誤の判断もできないし・・・)

ブッちゃんは衆生(あらゆる生きているモノ)が相手だ。
衆生の苦しみを変える事が目的だ。
だから「空即是色」を伝えたかった。
それには「色即是空」を先に話す必要があった。
「色即是空」を知ってもらうのが目的じゃないのだ。

真理探究が趣味の人達がいる。
彼等は「色即是空」に反応する。
す、すばらしい!
自分が発見したような錯覚をする。
知ろうが知るまいが、真理は変わらない。
あるいは、(真理は)常に変化している。

心経に反応し影響される人達。
衆生には違いないが、一部の層の人達が多い。
それらの層はブッちゃんの対象とはズレている。
ブッちゃんは基準を一番苦しい人達にしている。
人以外の生物やモノ達に置いている。

宇宙の真理やこの世の真理を説くのが目的じゃない。
「苦からの解放(救い)」が目的だ。
救いは自力と他力が合わさって発揮できる。
その一部を手伝いたかったのだ。
目的が「救いの方法」と気づけば、心経は解ける。

優しい話し言葉だと気づけば、訳も出来る。
表現はどうでもいいのだ。
それをブッちゃんは弟子達に伝えたはずだ。
「解りやすく言えよ。ウソも方便だぜ」

600巻に及ぶ大般若波羅蜜多経の心経。
その心経を解くキーワードがある。
キーワードは幾つも用意されていた。
ゲンちゃんはサービス精神があるのだ。
「空即是色」もその一つだと思うぜ。
これは心経の目的のキーワード。

それが最後の呪に通じる。
何故、あの呪を伝えたか、が解る。
「色即是空」に反応していては見過しやすいぞ。
最後の呪と「色即是空」は繋がらないだろ。

ブッちゃんの心とゲンちゃんの心。
優しさを中心にすれば、心経の目的に気づく。
すると、更に続く「繰り返しの言葉」が活きる。
ダラダラと続く(し、失礼・・・)言葉が活きる。
全ては「空即是色」を引き立てる。

「受・想・行・識」は個人の心の動き。
「亦復如是」は「それも似たようなもんだ」と訳す。
「かくの如し・同様」よりも、やわらかく話そうね。
「即是」と書かなかった点にも注意をはらおうね。

「受想行識 亦復如是」は「空即是色」にかかるのだ。
「色即是空」に亦復如是とすると「五蘊皆空」とカブる。
色+受想行識=五蘊だからだ。
だが、多くの訳は「色即是空」に亦復如是をかぶせる。
原因は「色即是空」と「空即是色」の違いを認識してないからだ。

頭が良いと字面で訳をする。
正確かもしれないが、困ったもんだなぁ・・・。
字面を正確に訳しても、心中を観ることはできない。
ワシも心中を観ることは不明だが、頭を使わない分、適訳かも。
と、自画自酸性雨、我田因数分解、意味踏み絵・・・。

勉強はほどほど、が適しているのだよ。
頭など良くても、そのうちボケる。
名前が出てこない、漢字を忘れる・・・もうすぐだぞ。
でも、心が柔らかなのは、死んでも残る(活きる)。

「空即是色」は実践方法だ。
それに引き続いて話は進む。
「受想行識・亦復如是」も実践方法だ。
ブッちゃんは(苦から)変われる事を説いている。

何とかなる(空)と思えば、周り(色)の状態も変わる。
周り(この世)だけじゃないぜ。
心と身体(受想行識)も変われるんだぜ。
まぁ、お前ぇ次第だがなぁ(亦復如是)

何という名訳。
誰も褒めてくれないから、自分で褒めよう。
自分で自分を可愛がろう。
それが「受想行識・亦復如是」ということでもある。
すると、いろいろが変わる、とブッちゃんは言った。

ワシ的訳。
「この世ってのはよ〜、常に変わっているんだぜ。
何とかなる、と思えば、それっぽく変わるのさ。
お前ぇ次第で、身体や心の苦しみだって無くなるんだぜ。
大丈夫だぁ。」

ブッちゃん(仏陀)の伝法口調が大元だった。
飾りがないから、一見無愛想な口調だが優しい。
後に粗暴な言い方や振る舞いが「伝法」と勘違いされるが、
本来はブッちゃんがホンモノの法を伝えた口調なのだ。
(信用しないでね。ワシのブッちゃんのイメージなんだ)

「色即是空」を哲学や理論物理学などに当てはめるからズレる。
日常の暮らしから離れたら、経の存在理由は無い。
毎日必死に生活するモノ達に、真理や法をかまっているヒマはない。
真理や法則など、死んでから考えればいい。
生きている間は、楽になりたいのだ。
心経は暮らしに役立つ道標グッズなのだぜ。

 

第五章は終りです。ご苦労様でした
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