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近況エッセイ
このページは画像付きエッセイなので、表示まで時間がかかります


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近況報告     インドにて (氣まぐれエッセイのページ)

07年・年賀状     2007. 1/1

  今年も本妻のイラストです
  今年は本妻以外全員学生になります・・・

 今年も宜しくお願い致します。

 
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06年・年賀状     2006. 1/1

  今年も本妻のイラストです
  左から、ワシ・妹犬12歳・兄犬14歳・本妻犬

 今年も宜しくお願い致します。

 
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05年・年賀状     2005. 1/1

  今年も本妻のイラストです
  左から、ワシ・本サイ鳥・トン鳥13歳・トン小鳥11才

 今年も宜しくお願い致します。

 
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04年・年賀状     2004. 1/1

  今年も本妻のイラストです
  左から、ワシ51歳・本妻4?歳・豚児12才・豚子10才

 今年も宜しくお願い致します。

 
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2003年・年賀状     2003. 1/1

 年賀状を出せなかった皆さん
 今年の年賀状をウェブでお受け取り下さい。
 今年も宜しくお願い致します。

 本妻のイラストですが、上手く圧縮できませんでした。
 ちょっと画像が荒れてしまいました。
 私としては珍しい「怒涛のひつじ」です。
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幸せキャッチボール     2002. 5/13
 息子(王子君)と娘(み〜やん)のキャッチボール。
 今は普通の遊びだと思っているのだろうが、これが「幸せのキャッチボール」だと気づくのは、二人が何歳になってからだろうか。
 私も普通の事や当たり前の事が、とてつもなく「幸せ」で奇跡の事だと思えたのは40も過ぎてからだった。

 普通に見える事や聞こえる事、手と足が動く事、兄弟や親子で遊べる事、こういう日常生活が奇跡に値する人達がいる。
 その人達と接する仕事(私の場合、難病、奇病、原因不明、治療法不明、重病などの人と関わる)をしている時、普通が不思議で有り難い出来事だと気づく。
 何気ないキャッチボールでさえ「幸せのキャッチボール」なのが事実。
 時々でしか私には気づく事が出来ないが、こういう自覚の瞬間が真の感性ではないだろうか。  
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スキーフェスティバル     2002. 3/22
 3月21日快晴。
 群馬県水上高原スキー場にて。
 子供達とクロスカントリー。私と娘(小2)は3キロコース、妻と息子(小4)は5キロコースに参加。
 スキーは一応地元なので不自由なく滑れる、とタカをくくって初めてのクロスカントリースキーを履いたら、これが思ったようにならない。
 オマケに坂を上りやすくする「返し」が無く、それに替わる「滑らないワックス」など知らないまま出発。
 普段の運動不足が腕に、首に、腰に、足に・・・。ハァ、ヒィ、フゥ、ヘェ〜。
 体はキツかったが、だからこそ見ることができる景色を体感できた。
 景色は彼方側だけではなく、こちら側との調和点から体感するものだ、との認識を改めて持った日だった。(こちらを向いているのは娘、み〜やんです)
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元旦の風景B     2002. 1/12
   実家でした。今は姉の風香窯のアトリエとなっています。
130年前の建物です。手直しをしましたが、さすがに風情があります。
手前の櫟(いちい)の木も、雪をかぶった柿の木も凛として「場」に融け(解け)込んでいます。
 私は時間の正体は「調和の氣」だと解説しています。ですから時が経ったモノからは落ち着きのある雰囲気が漂うのは当然です。
 肉体(物体)は「不調和」を体験し、それによって魂は「調和」を学ぶようです。
「学ぶ」事が生きる事であるなら、古いから大切にするのではなく、古いモノ自体から多くのメッセージを受け取る「感性」が大切なようです。
 21世紀は「頭で学ぶ」と考え違いをしてしまったこの100年間から、本来に修正する世紀に変わっています。
 元にもどる事は、大きな前進なのでしょう。
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元旦の風景A     2002. 1/11
 私の実家のある島神峡の景色です。(風香窯の近く)
利根川に架かる雪の釣り橋ですが私の表現する写真では雰囲気をお伝えしきれません。
 雪の圧倒的な白さは自然界の中でも抜きん出ています。
それに空の蒼さが寄り添うと、ただ驚嘆する以外に己の存在理由が見つかりません。
 この地球に生まれて限られた時間を肉体と共に過ごすわけですが、生きる意味の大きな理由の一つが「自然界への畏れ」であることは間違いありません。
生きる意味はそれぞれネットワークを組んでいますから(ホリスティック構造)、この「自然界への畏れ(敬い)」を抜かしてしまうと、一見どんな成功者となろうとも、事実は「失敗を学ぶ」人生の選択になるでしょう。
当たり前なのですが、自然の中で私達は生きているのです。
何かに行き詰まった時、自然に帰るところから前に進めます。  
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元旦の風景     2002. 1/10
 2001年最後の日の雪は止み
2002年の最初の日は素晴らしい快晴となった。
前年が今年に雪の飾り付けをしてくれて、ごらんのような景色となった。
 人の思惑がどうであろうとも、時間と空間は常に変わっている。
それは、進んでいるとか巡っているとか関係なしに、一刹那一刹那の変化のみある。
 私も(意識の)進化にとらわれず、停滞感や後退感を恐れずに、変化を楽しむ一年としよう。
それが私の指標でもある自然体(絶対的積極)だと思う。
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明けましておめでとう     2002. 1/1


            今年の年賀状です。
  皆様がますます輝き、嬉しい、楽しい一年となりますように
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関英男先生を偲ぶ     2001. 12/25
1905年山形県生まれ。
東京工業大学卒。工学博士。
東京工業大学、ハワイ大学、電気通信大学等の教授を歴任。
紫綬褒章、勲三等瑞宝章を受章。
加速学園代表、日本サイ科学会会長、
高次元科学界の世界的頭脳との評価が定着している。
 96歳     感謝合掌

関英男先生の訃報を知って驚きました。
17日に亡くなったとの事だが、私はその1週間前の10日に先生から手紙をいただいていた。
先生はサイ科学の先駆者であり、日本が世界に誇る頭脳と称されていた人である。
世界の科学が関先生に追いついた時は、ノーベル賞に最もふさわしい人だと思っていた。
その実績もさることながら、その魂の穏やかさ、レベルの高さは正しく世界の手本であった。
私は故前中川雅仁師匠との縁から、それまで本からしか知らなかった関先生の講義を受けることが幾度かあった。
さらに94年の上海での気功シンポジュウムでは、成田の出発待ちの時間をご一緒させていただき、個人的にお話を伺うことができた。
氣の交流という意味からも、大変貴重な体験をさせていただいた。
今回、関先生からの手紙は私から送った資料についての返事でした。手書きで大変丁寧に「まだまだ私も精進していきます」と結んでありました。
2000年のフナイオープンワールド(横浜パシフィコ)で「グラビトン理論」について講演された姿がお目にかかった最後でした。
私はどんなに頭が良いといっても、人間5万歩と5万1歩の違いくらいしかない、と世間を不遜に観ていましたが、関先生に会ってからは 「本当に頭の良い人はいるんだ。それはレベルが違う良さだ。」と気づかせていただきました。
謙虚で穏やかで力みが無く、万物に対して「愛」がある。
そんな先生でした。ありがとうございました。
    感謝   合掌
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